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神を恐れる心

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月21日(日)09時45分23秒
編集済
  「神を恐れる心」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/7/21(日)【1521】」

参院選挙投票に行って来ました。爽快な気持ちで帰って来ました。

国政選挙ですから、統一地方選挙の投票とは一味違った重みを感じます。

ただ、私の一票が結果に影響することはないため、興味を失うこともできますが、有権者としての権利を生かさないわけにはいきません。

祈りを込めて、選挙区と比例に一票ずつ投じました。

政治に夢がない時代です。そんな中、政党要件を満たしていない新党が話題になっています。昨晩も、地元新宿で盛り上がっていました。

永田町の常識をぶっ壊し、既成概念に捕らわれない政策には、一種の魅力を感じますが、同時に、政治は現実の生活に直結するものですから、現実的でなければいけません。

「もし政権を取ったとしたら・・・」という、ずっと先の話だけではなく、現実的なことが大切です。

では、夢を語ってはいけないかというとそうではありません。政治に夢がないので、特に若い人が政治に興味を持てないのです。

ただ、それは、単なるポピュリズムではなく、現実を見据えたものでなければなりません。

また、理念が一致しないままで、野党が統一候補を出すのもどうかと思いますが、同時に、選挙は勝たなければ意味がありません。野党連合も止む無しです。

政治家が、神を信じ、神を恐れ、平等な広い心で政治を行うことを目指すようになってほしいです。

「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」(伝道者の書12:13)

日本の未来に対して、神を恐れる心が大切です。神を恐れたら人を恐れなくなります。

「人を恐れるとわなにかかる。しかし、主(神)に信頼する者は守られる。」(箴言29:25)

人は恐れる存在ではありません。愛すべき存在です。

神を恐れる心を持ち、壮大な夢を持ちながら、今日も説教を語りたいと思います。

ちなみに、選挙区では現実的な候補に。比例区では夢を語る政党に投票しました。

http://sgr-ch.net

 

一体誰のせい?

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月21日(日)04時58分6秒
  「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも・・・一体誰のせい?」

うまくいかないことをすべて人のせいにする人の数は多い。

だから、うまくいかないことを自分のせいだと考える人が居たら、「えっ!?」と思うのではないでしょうか。

しかし、表向きは、「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのもすべて私のせい」と言っていても、心の中ではイライラしているものではないかと思います。

自分を責めても責めきれないし、責めた結果、それを次回に向けた教訓としていくなら健全です。

車のブレーキは、摩擦させることで減速させるため、ものすごい熱を発します。

以前、バイクで富士山五合目から飛ばして降りてきたら、過熱でブレーキの効きが悪くなるフェード現象が出たので、これは危険だと思って、すぐにバイクを停車させました。

だいぶ時間が経ったので、ディスクブレーキが冷えただろうと考えて、ちょっと触れてみた。

「熱ちっ!」

大変な高熱で、火傷をし、水ぶくれができてしまった。

それは私の責任です。ディスクブレーキが熱いのにそれを触ってしまったのは私だからです。

最近のハイブリッドカーでは、「回生ブレーキ」といってブレーキで過熱された熱をエネルギーに利用するというシステムがある。

「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのもすべて私のせい」と言って、自分に責任が有ると考えるのは、ブレーキをかけて熱をためこむことに似ている。

そのエネルギーを回生させて、感謝や前進に向けられたら素晴らしいと思います。

「すべて私のせい!」と考えたら、その行き先は、自虐的、自罰的、内罰的になる。

行き着くところは、自分を傷つけ、自害することにつながる。

そこに行く前に、人は、「すべて私のせい!」から、「私にも責任の一端はあるが、あなたにも責任があるんじゃない!」と人を責めるようになり、「すべて人や状況のせい!」と考えるようになる人もいます。

人類の先祖であるアダムは、妻に禁じられた木の実を食べるようにと誘惑されて、食べてしまった時に、神様から怒られることを察知して、神様から隠れました。

神様はアダムに、「あなたは、どこにいるのか?」と探しに来られました。

『そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」』(創世記3:8~9)

罪を犯した人は、相手の目を真っ直ぐに見られなくなります。

アダムが神様に罪を犯していなければ、「はい神様、私はここにおります」と、すぐに出て行ったことでしょう。

この時のアダムは、かくれんぼ遊びをしていたのではないのです。

最初アダムは、自分を責めたことでしょう。しかし、次に、「私を誘惑した妻のエバにも責任があった。エバが悪い!」と考えるようになり、最後は、「妻のエバを造り、エバを私に与えた神様、あなたが悪いのです!」と矛先を神様に向けました。

怒りを持ち、エバと神様を裁いているアダムの心には平安がありませんでした。

それは正しい心ではないからです。

罪を犯すように選択をしたのはアダム自身なので、当然アダムの責任です。

しかし、自分を責めても責めきれないので、その矛先を他に向けたのです。

私たちも、それと似た考え方をしていないでしょうか?

2019年前に、神は一人子イエス・キリストをこの地上に遣わして下さり、人類の罪をイエス・キリストに負わせました。

神は、罪を赦す方ではありません。神が罪を水に流したとしたら、神ではありません。正義が地に落ちるからです。

だから、私たちの罪をイエス・キリストに負わせて、罪を裁かれたのです。これが神の正義です。

イエス・キリストを信じるならば、罪が赦されるのです。

「すべて私のせい!」と、受け止めても、自分を責める必要はないのです。

「こんな私を神は赦して下さった。ありがたい!」と考え、感謝が生まれ、「この喜びを他の人にも伝えたい!」と考え、前進していくのです。

イエス・キリストの十字架は、自虐、自罰、内罰を回生させて、感謝と前進につなげて下さるのです。

人を裁くのは神であり、人の犯罪を裁くのは法律です。

私たちは、自分の責任を認め、それを神に告白して赦しを頂き、感謝しながら前進していきたいものです。

イエス・キリストの十字架に感謝しながら歩んでいきましょう!

http://sgr-ch.net

 

いたわりあう

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月20日(土)10時08分6秒
  「いたわりあう」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/7/20(土)【1520】」

昨日は、皆さまのお祈り、コメント、悲しいね、いいね、超いいね等の励ましをいただきありがとうございます。

私は、神様の力によって思いっきり心が元気なことが多いので、顔が元気に見えるため、体の具合が悪くても調子良さそうに見られることがあります。

医師にも、友人にも、家族にも見間違えられます。

しかし、いくら心が元気でも、寝てなければ睡眠が必要なように、体調が悪ければ、治療や安静が必要です。

私は、喘息との付き合いが長いですが、喘息の自覚症状がほとんどありません。

苦しいと感じるのではなく、イライラするだけなのです。

そして、自覚が出た時には重篤化してしまうのです。

普段からの予防、運動、ストレスを溜めないことなどを心がけていますので、入院するようなことはまずありませんが、スケジュール帳で1年前や2年前を見てみると、同じくらいの日に、同じような症状が出ています。

喘息が悪くなって病院に行くと、いつも喘息患者が多かったことを思い出します。

今の時期、喘息等を持っている人の中で、体調を崩している人が多いのではないかと思います。

私は、自分の体調が悪いことをみなさんに知らせることに対して心配があります。

信仰が成熟していて、バランス感覚を持った人でも、「クリスチャンで牧師がどうして病気になるのだろう!?」と思われたらと思うからです。

しかし、予想に反して、たくさんの励ましをいただきホッとしています。

ありがとうございます。

引き続きお祈りをいただけたら幸いです。

神のいやし、神癒を信じています。

神癒には、瞬間的ないやし、徐々のいやし、ある場合は、体はいやされないけれど心がいやされるいやしもあります。

さらに、神様は、医学の治療や投薬を通していやされることもあると信じます。

昨日、医師と電話で話して、薬を飲むように指示を受けて、薬を飲むと、しばらくして、体がすごく楽になっていくことを感じました。

もっと体からのメッセージに敏感になって、黄色信号をキャッチする必要があると感じます。

そして、自分の体をいたわる必要があると感じます。

お互いに、心と体の健康を大切にしていきましょう。

自分に優しくできる人こそが、人にも優しくできるからです。

皆さまへの感謝を込めて。

http://sgr-ch.net

 

つぐないとなだめの供え物

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月20日(土)05時47分50秒
  「つぐないとなだめの供え物」

「つぐない」というと、私の世代だと、台湾の歌手「テレサ・テン(Teresa Teng)1953‐1995」を思い出す人がいるのではないかと思います。

テレサ・テンは、私と同じ持病を持ち、42歳の若さで亡くなりました。

子どもの頃に、「つぐない」と聞きてもその意味がわかるようでわかりませんでした。

「つぐない」作詞:荒木とよひさ 作曲:三木たかし

窓に西陽があたる部屋は
いつもあなたの 匂いがするわ
ひとり暮らせば 想い出すから
壁の傷も 残したまま おいてゆくわ

愛をつぐなえば 別れになるけど
こんな女でも 忘れないでね
優しすぎたの あなた
子供みたいな あなた
あすは他人同志になるけれど

心残りは あなたのこと
少し煙草も ひかえめにして
過去に縛られ 暮らすことより
わたしよりも可愛い人 探すことよ

愛をつぐなえば 重荷になるから
この町を離れ 暮らしてみるわ
お酒のむのも ひとり
夢を見るのも ひとり
あすは他人同志になるけれど

愛をつぐなえば 別れになるけど
こんな女でも 忘れないでね
優しすぎたの あなた
子供みたいな あなた
あすは他人同志になるけれど

「? 愛をつぐなえば 別れになるけど こんな女でも 忘れないでね ?」

歌の主人公の女性は、浮気をしてしまったので、恋を精算するために別れようとしているのか?

「? 過去に縛られ 暮らすことより わたしよりも可愛い人 探すことよ ?」

あるいは、主人公の女性は、年下の男性と恋に落ちて同棲し、「窓に西陽があたる部屋」で幸せに暮らしていたが、彼はまだ若く、未来があるので、「過去に縛られ 暮らすことより わたしよりも可愛い人 探すことよ」と、今ならお互いに別れてやり直すこともできるはずと悩んだ末に、自分が身を引き、明日この部屋を出ていくことを決意をしつつも、「心残りは あなたのこと 少し煙草も ひかえめにして」と健康を気遣う、女性の揺れ動く心を描写しているのかも知れません。

「つぐない」とは、「相手に対しての弁償」を意味します。

二人の恋を終止符をうつことが「つぐない」にはならないので、相手のことを思って、自分が身を引き、恋を精算するという意味なのでしょう。

聖書には、「つぐない」ということが教えられています。

『ついで主はモーセに告げて仰せられた。「人が主に対して罪を犯し、不実なことを行うなら、すなわち預かり物や担保の物、あるいはかすめた物について、隣人を欺いたり、隣人をゆすったり、あるいは落し物を見つけながら欺くなど、人が行って罪を犯すことになるどれか一つについて偽りの誓いをする場合、この人が罪を犯し、後で咎を覚える場合、そのかすめた品や、脅迫してゆすりとった物、自分に託された預かり物、見つけた落とし物、あるいは、それについて偽って誓った物全部を返さなければならない。元の物を償い、またこれに五分の一を加えなければならない。彼は咎を覚えるとき、その元の所有者に、これを返さなければならない。この人は主への罪過のためのいけにえを、その評価により、羊の群れから傷のない雄羊一頭を罪過のためのいけにえとして祭司のところに連れて来なければならない。」』(レビ記6:1~6)

日本でも一般的です。相手に対して何か失礼があったり、損害を与えてしまった場合は、ただ「ごめんなさい」と謝るだけではなく、何かお土産を添えてお詫びします。

つぐないをする理由は、人間関係を回復させ、保つためです。

「この人は心から詫びているんだな。そこまでしてくれるならば水に流そう」と思いやすいものです。

聖書の中に、「つぐない」よりももっと強い「なだめの供え物」という言葉があります。

「もしだれかが罪を犯すことがあれば、私たちには、御父の前で弁護する方がいます。義なるイエス・キリストです。この方こそ、私たちの罪のための―私たちの罪だけでなく、世全体のための―なだめの供え物です。」ヨハネ第一の手紙2:1~2)

「なだめの供え物」とは、とうてい赦されないような罪を犯した相手に対して、その怒りをなだめるための「供え物」のことです。

神は、人類をご自分に似せて最高傑作として創造されました。

人間には、たった一つだけ罪を犯す可能性を残し、その一つを禁じ、それ以外の全てを食べたり、触れたりすることを許しました。

しかし、そのたった一つの禁じられた罪を、人類最初の人であるアダムとエバは犯してしまいました。

罪を犯したアダムとエバから生まれて来る子は全て罪人として生まれて来ました。

みかんの種を畑にまくとみかんが収穫されるように、罪人の種から生まれて来る全人類は罪人として誕生しました。

私たちも例外なく罪人です。

神は、人間を愛しています。

しかし、罪は決して赦すことができません。罪に対して怒っておられます。

神の怒りをなだめるために、神の一人子イエス・キリストは十字架にかかって死なれました。

神は、キリストの十字架を見て、罪の怒りを鎮められました。

そして、キリストの十字架を信じ、罪を悔い改める人を赦して下さいます。

キリストの十字架は、罪の「つぐない」であり、罪を赦すことができない神に対する「なだめの供え物」です。

キリストの十字架によって赦されない罪は一つもありません。

今日、キリストの前に出て行って、永遠の赦しを頂きましょう。

また、人間関係で、誰かに失礼をしたり、傷つけたり、損害を与えたとしたら、ただ、「ごめんなさい」と謝って終わらせるのではなく、「つぐない」をしたらどうでしょう。

これは、相手の感情に対する「なだめの供え物」です。

人間は感情の生き物です。

善悪や黒白でだけこの世の中は動いていません。

人は感情によって動かされ、生きています。

その感情に対して仕える心は人間関係をよくして行くはずです。

祝福がありますように。

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お祈り下さい

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月19日(金)18時04分17秒
  「お祈り下さい」
《Now watching 1176》

今日は、元気にお出かけしましたが、帰宅後に体調が下り坂です。

数日前から喘息発作が出ています。発作が長引くので主治医に相談して、プレドニンという強い薬を飲みました。

路傍伝道が11日間ないのが幸いですが、日曜日の教会での奉仕、来週は大会の奉仕があります。

路傍伝道新聞7月号の編集を横になりながらしています。

早く喘息が治るようにお祈りいただけたら幸いです。

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心に喜びと平安を保つ秘訣

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月19日(金)12時04分58秒
  「心に喜びと平安を保つ秘訣」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/7/19(金)【1519】」

心に喜びと平安があると、すべてが回っていきます。

障害をなぎ倒し、ハードルを乗り越え、ピンチをチャンスに変え、マイナスがプラスに変わってしまいます。

しかし、物事がうまくいっていても、心に不平不満、不安に満ちていると、失速し、やがて止まってしまいます。

チャンスがピンチに、プラスがマイナスに変わってしまいます。

心に喜びと平安を保つ秘訣は、喜びと平安の泉である神を心に迎えることです。

「また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。」(ピリピ人への手紙4章19節)

「神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」(コロサイ人への手紙1章27節)

喜びと平安に溢れた1日を過ごせますように。

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愛がもたらす絆

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月19日(金)07時51分53秒
  「愛がもたらす絆」

ある日、父が子に、「お父さんのどこが好き?」と聞きました。

「お父さんがお母さんを愛しているところ」と答えが返ってきました。

「子どもは夫婦の愛のおこぼれで育つ」と言われます。

子どものためにできる最高のことは、夫婦が互いに愛し合うことです。

「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。」(ヨハネ15:12)

「互いに愛し合うこと」は、結婚生活の基本です。

聖書の原語ギリシャ語では、3種類の「愛」という言葉があり、使い分けられています。

1.エロス(恋愛)→愛が強い分、愛されることを求める愛

2.フィレオ(家族愛・友愛)=条件付きで、見返りを求める愛

3.アガペ(神の愛)→無条件かつ、一方的に与える愛を

「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。」(Iコリント13:4~8)

愛を与えて損をすることはありません。与えないから損をするのです。

愛し合う夫婦が浮気をしたり、離婚するなど聞いたことがありません。

芸能人の円満離婚という言葉を聞いて、綺麗ごとにしか聞こえません。

結婚をしたら、すべてを見せ合い、すべてを許容し合わなければ関係を続けることはできません。

愛は必要不可欠です。

子どもは、お母さんを愛するお父さん、お父さんを愛するお母さんが大好きです。

夫婦が互いに愛し合うなら、そこに決して切れることのないきずなが生まれます。

「愛は、すべてを完成させるきずなです。」(コロサイ3章14節)

愛は相手に求めるものではなく、一方的に与えるものです。

夫婦に限らず、隣人同士、神様が下さった愛で互いに愛し合って生きていきましょう。

今日も素敵な1日でありますように。

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家族伝道

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月18日(木)10時13分7秒
  「家族伝道」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/7/18(木)【1518】」

家族への伝道は、意気込んで何か特別のことをするものではありません。

何かを演じても本当の部分を見せ合うのが家族だから、意味がないばかりか、偽善にしか映らないのでマイナスです。

家族にイエス様を証し、家族へ伝道するためには、教会や人の前の姿と、家に帰った時の姿の裏表をなくすことです。

それは、「こうあるべき!」という姿を家でやるのではなく、家にいる気楽さで、他の場所でも生きるのが楽だし、効果的です。

「これは本物だ」と伝わるのです。

次に、目の前にある問題から目を逸らさないで、神様に頼りながら懸命に生きることです。

きれいごとではなく、信仰者の生き方、葛藤、戦いをありのまま見せて、背中で伝えるのです。

あとは、家族1人1人と神様の問題です。

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒の働き16章31節)

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その人にふさわしい状況がやって来る

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月18日(木)06時56分12秒
編集済
  「その人にふさわしい状況がやって来る」

セルフイメージ(自画像)は、低くても高くても傲慢です。

ありのままの自分を知り、それを受け入れ、その自分を生きるためには、神を知り、神と出会う以外に方法はありません。

神を信じていなくても、素晴らしいと思える人はいくらでもいるものです。

しかし、それは人の目から見た素晴らしさです。

神から見たらメッキのようなもので、いつの日にかメッキがはがされます。

本当の私、本当のあなたは、素晴らしい存在ですが、罪のために壊れています。

その素晴らしさを取り戻し、人と比較するのではなく、そのありのままの自分を生きることこそが、最高に素晴らしい生き方なのです。

最高に素晴らしい電気製品でも、壊れているとしたら役に立たないし、価値はありません。

使い物にならないので、どんなに安く売られていても、それを買いたいと思う人はいません。

しかし、それを直すことができる人は、それを買うのではないでしょうか?

「自分はダメだ!」と感じるとしたら、その感覚は間違っていません。

その自分を、「素晴らしい!」と無理やり思い込む必要はありません。

その自分を救い、いやし、回復させるために、イエス様が2019年前にこの地上に来られました。

私たちの罪の身代わりに十字架で死なれ、墓に葬られ、三日目によみがえられました。

『イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか。」』(ヨハネ11:25~26)

イエス様を信じると、イエス様が体験した十字架と葬りと復活を体験することになります。

『私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。』(ガラテヤ2:20)

『もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。』(ローマ6:8)

イエス様を信じた瞬間から、救い、いやし、回復がはじまるのです。

これを『義認』といいます。

しかし、人は簡単に変わりません。抵抗し、昔の生き方に原点回帰しようとするからです。

それにもかかわらず、人は徐々に変わっていきます。

このプロセスを『聖化』といいます。

クリスチャンになって、劇的に変化する人が居ます。昔がひどかった人ほどそのようなドラマチックな変化を体験する人も居ます。

しかし、肩こりのマッサージをし過ぎると、もみ返しが来るように、クリスチャンになって変わったと思った人が元に戻るどころか、もっとひどい状態になってしまうこともあります。

さながら、ダイエットのリバウンドのようなものです。

それにもかかわらず、イエス様を信じ、イエス様とつながっているならば、人は変わり続けます。

『わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。』(ヨハネ15:5~6)

人は必ず変わります。神が変えて下さいます。

しかし、その多くの場合、変化には時間がかかるという事実を見逃しています。

そうすると、過った対応をしてしまうことになります。

秋になると葉は紅葉し、冬になると葉を落とし、何の実りもなく、枯れてしまったように見える状態を経て、春になり、夏になると葉を実らせ、花を咲かせ、実を結びます。

冬の時期には、春や夏に備えているのです。

見える形で成長がないからといって、性急な対応をしないようにして下さい。

イエス様とつながっているならば、必ず成長し、必ず変わるのです。

完全に救われ、いやされ、回復するのは天国に行った時ですが、イエス様とつながって、イエス様と共に歩むなら、その人にとって最高の状態なのです。

そして、その人の成長や本質の変化に応じて、その人にふさわしい状況が訪れるのです。

だから、人や状況を変えようとすることから、自分を変えて頂くことに目を向けて下さい。

今の私の状況は、その人にふさわしい状況なのです。

その人にふさわしくないとしたら、それは訓練の時であるか、やがてメッキがはがれる日が来ます。

人を裁いたり、見下したりすることはやめましょう。

また、人を妬んだり、自分をさげすむことはやめましょう。

『悪を行なう者に対して腹を立てるな。不正を行なう者に対してねたみを起こすな。彼らは草のようにたちまちしおれ、青草のように枯れるのだ。主に信頼して善を行なえ。地に住み、誠実を養え。主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。おのれの道の栄える者に対して、悪意を遂げようとする人に対して、腹を立てるな。怒ることをやめ、憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ。悪を行なう者は断ち切られる。しかし主を待ち望む者、彼らは地を受け継ごう。ただしばらくの間だけで、悪者はいなくなる。あなたが彼の居所を調べても、彼はそこにはいないだろう。しかし、貧しい人は地を受け継ごう。また、豊かな繁栄をおのれの喜びとしよう。悪者は正しい者に敵対して事を図り、歯ぎしりして彼に向かう。主は彼を笑われる。彼の日が迫っているのをご覧になるから。悪者どもは剣を抜き、弓を張った。悩む者、貧しい者を打ち倒し、行ないの正しい者を切り殺すために。彼らの剣はおのれの心臓を貫き、彼らの弓は折られよう。ひとりの正しい者の持つわずかなものは、多くの悪者の豊かさにまさる。なぜなら、悪者の腕は折られるが、主は正しい者をささえられるからだ。主は全き人の日々を知っておられ、彼らのゆずりは永遠に残る。彼らはわざわいのときにも恥を見ず、ききんのときにも満ち足りよう。しかし悪者は滅びる。主の敵は牧場の青草のようだ。彼らは消えうせる。煙となって消えうせる。』(詩篇37:1~20)

「その人にふさわしい状況がやって来る」のです。焦らず、心配せず、一歩一歩神と共に歩んでいきましょう。

素晴らしい1日でありますようにと祈ります。

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夕食会

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月17日(水)22時29分51秒
  「今晩の夕食会」
《Now watching 1175》

シーフードミックスピザおいしかった!

http://sgr-ch.net

 

挑戦に対する応戦

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月17日(水)09時33分45秒
  「挑戦に対する応戦」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/7/17(水)【1517】」

英国人歴史家アーノルド・トインビーは、「ある挑戦を受け、これに果敢に応戦し得る文明は、必ず成長する」と語りました。

私たちの人生も同じです。

天国に行くその日まで、私たちに与えられた挑戦に対して、応戦し続けていかなくてはいけません。

そこに、道が開かれ、成長、祝福があるのではないでしょうか。

神様は、楽をさせて、私が衰退することがないように、毎日、これでもかと、課題・宿題を与えて下さいます。

それに対して、神の方法で、神と共に応戦していきましょう。

それだけが生き残り、生き続ける方法であり、その先に、素晴らしい何かが待っているものです。

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希望を捨てないで

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月17日(水)08時19分35秒
編集済
  「希望を捨てないで」

今どんなに苦しくても、希望を捨てないで下さい。

神は決してあなたを離れず、あなたを見捨てられないからです。

「主ご自身がこう言われるのです。『わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。』」(ヘブル人への手紙13章5節)

「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ローマ人への手紙5章5節)

「あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。」(ペテロの手紙 第一1章21節)

立ち上がり、希望を持って前進しましょう。

改めて、「この希望を持って生きていこう!」と決断したら、心は喜びで溢れるものです。

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雨を楽しむ秘訣

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月16日(火)08時23分11秒
  「雨を楽しむ秘訣」

童謡の「あめふり」という曲は、雨を楽しむ子どもの姿が見えてくるようです。

あめふり
作詞:北原白秋 作曲:中山晋平

あめあめ ふれふれ かあさんが
じゃのめで おむかい うれしいな
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

かけましょ かばんを かあさんの
あとから ゆこゆこ かねがなる
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

あめふりあらあら あのこは ずぶぬれだ
やなぎの ねかたで ないている
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

かあさん ぼくのを かしましょか
きみきみ このかさ さしたまえ
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

ぼくなら いいんだ かあさんの
おおきな じゃのめに はいってく
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

子どもの頃、雨が降ると、母親に買ってもらった長靴をはき、傘を持って外に飛び出して行ったことを思い出します。

16歳でバイクの免許を取得し、レーサーレプリカ型バイクに乗っていましたが、しばらくして、オフロード型バイクに買い換えました。それからは、雨が降るとカッパを着て、バイクが乗り入れられる河原にいって、泥だらけになって大はしゃぎだったことを思い出します。

18歳になり、車の免許を取得し、車で峠を攻めにいくようになりました。雨の日だとドリフト走行がスピードを出さなくてもできるので、雨が降ると血が騒いだことを思い出します。

こういう話をすると、雨が好きで仕方ない人間のように思われるかも知れませんが、バイクや車の熱が覚めると、雨が嫌いになりました。

雨の中、海で2時間以上流された経験がありますし、富士山の登山をして、凍ってしまうほど寒くて生きて戻れないと思ったこともありました。

牧師になって、スーツを着ることが多くなり、ぬれたくないので雨が降ると出かけたくない気持ちになることもあります。

しかし、頭を切り替えて、雨を好きになる工夫をしています。

「もし雨が降らなかったどうなるだろう?」と考えるのです。

日本列島は砂漠化し、住みにくい場所になってしまいます。

雨が降ってくれるおかげで大地がうるおい、植物が生え、自然が豊かになります。

雨が降ってくれるおかげで川が流れ、飲み水が豊かになります。

雨が降ってくれるおかげで空気が清浄され、優しい風が吹きます。雨の恵みは計り知れません。

台風も必要だと言われています。

海をかき回して、プランクトンが活性化されるので、魚にとって大きな恵みです。

大気をかき回して空気を入れ替え、大掃除をしてくれます。

神様が造られたものはすべてに意味や価値があります。

さらに、人生の雨や台風がやって来ることがあります。

経済的な雨や台風、人間関係の雨や台風、病気の雨や台風など、人生は晴れの日ばかりではありません。

いつでも晴れてほしいですが、雨が降らず、晴天続きだったら、砂漠化し、いろいろな弊害が起こります。

同じように、人生においても、雨や台風は必要なのです。

高ぶる心を打ち砕き、謙遜にさせてくれます。

人間の一番の美徳は謙遜です。

反対に、人間の一番みにくい姿は傲慢・高慢です。

人生の雨や台風は、最もみにくい姿を最も美しい姿に変えてくれる力があります。

いっそのこと、人生の雨や台風を感謝して受け止め、自分自身が変えられることを喜びましょう。

今日も素敵な一日でありますように。

「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである」(マタイの福音書5章45節)

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番外編写真

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月16日(火)01時01分30秒
  「番外編 最後の集合写真」
《Now watching 1174》

途中で帰られた人もたくさんいましたが、最後の最後に撮った写真です。2時間全力投球で伝道しました。完全燃焼し、心地良い疲れを感じます。心は喜びで一杯です。

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3Kの写真

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月16日(火)00時45分8秒
  「3Kの写真」
《Now watching 1173》

菅野(かんの)・苅宿(かりやど)・加藤(かとう)の3Kで写真を撮りました。久しぶりに一緒に路傍伝道しました。私が小さく見えますね。以前、3Kで焼肉食べ放題に行ったら、店主からあからさまに嫌がられました。ちなみに、別の時に、別の人と同じ店に行ったら、笑顔で応対されました。焼肉食べ放題で2400円。私は、ライスを抜き、サラダと肉をひたすら食べました。あとの2Kは、ライスと肉を嫌という程食べてました。他の多くの人たちは、4000円でお酒飲み放題も付くコースを頼んでいました。肉少々でお酒を楽しんでいました。この人たちに比べたら、私たちは相当たくさん食べたのでしょうね。

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新宿路傍伝道

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月16日(火)00時07分21秒
  『第三月曜日定例 新宿路傍伝道』
「イエス様の愛を一瞬であっても感じてもらいたい」
《Now watching 1172》

今日は、参議院選挙の後半戦の最中の路傍伝道なので、候補者の演説と重なることを心配しましたが、そちらは全く問題にはなりませんでしたが、祝日だったこともあり、通行人も多く、近くで2つのグループがストリートライブを行っていました。一つはオタク系のライブで、秋葉系の女子が歌うと、オタク男子が大喜びという感じでした。しかし、あまりにも大音響なので、苦情が入ると警察が来て、巻き添いを食う可能性があるので、主催者にお願いに行きました。もう一つはバラード系のライブで、しっとりした音楽ですが、距離が近いので音が干渉しますが、こちらは良しとしました。競争が激しいだけあり、通行人が多いので、立ち止まってくれる人たちも多く、たくさんの人に、チラシ、聖書、路傍伝道新聞などを配ることが出来ました。今日は、30名近い人たちが集まってくれました。20名を超えると、しっかりした音響システムがないと、音楽を一致させるのに苦労します。50Wのストリートライブ用のアンプ一つしかないため、基準になる音をみなさんに届けさせるために、センターで歌っている大学生の女の子の背中に音をぶつけて、それを跳ね返して、みなさんに届けました。人数が多いだけでインパクトがあります。大ホールでの集会に見立てたら、出演者30名、聴衆は通行する数千人です。しかし、立ち止まってくれなければ20秒弱で通り過ぎてしまいます。その一瞬の間にイエス様の愛を感じてもらえたらそれで十分です。そんな思いで、祈りながら、精一杯伝道しました。参加して下さった皆様、お疲れ様でした。お祈りして下さった皆様、ありがとうございました。

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変化を恐れない

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月15日(月)16時50分26秒
編集済
  「変化を恐れない」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/7/15(月)【1516】」

人には、変化に対する恐れがあるものです。変わらない方が楽だし、安全だからです。

しかし、変化を妨げているのはそれだけではありません。

今いるところから変わるまでのプロセスを経なければいけません。

変化にブレーキをかけているのは、気持ちの問題だけではなく、解決しなければならない課題や問題があるからではないでしょうか。

このまま無計画で変わってしまうと、危険が待っているので、本能や潜在意識がそれを察知してブレーキをかけているのです。

例えば、断捨離です。

7年前に長期入院し、退院してからの一ヶ月間は、一日の半分近くを安静で過ごしました。

その時、入院中に、聖書一冊、ノートとボールペン、ガラケー(携帯)と充電器だけで、過ごしたことを思い出しました。

その経験から、本棚にあるたくさんの本を見て、嫌気が差し、うんざりして、本の断捨離を決意しました。

目の前のスーパーでもらって来た段ボール箱に本の大半を詰めて、宅配の本の買い取り業者に引き取ってもらいました。

ほとんどの本に値段がつかず、平均一冊1円、よくて300円とかでした。

普段の私なら、とうていそんな決断をしないはずです。

いろいろ考えたら、その中の1割~2割は捨てるべきでない本だからです。

入院という経験を通して、冷静に考えて、ブレーキをかける安全装置が壊れてしまったようです。

「要らない本」「要るかも知れない保留の本」「要る本」の3つくらいに分けて、まずは、「要らない本」はバサっと捨てて、「要るかも知れない保留の本」は、とりあえず3ヶ月くらい眠らせて、その期間に必要となったら、「要る本」に分別し、要らないと思ったら、「要らない本」に分別し、さらに、迷うならば、6ヶ月や1年の期間を設けて、「要るかも知れない保留の本」の賞味期限の書き換えを行ったら良いです。

日ごろから、こういう作業が出来ている人は、スパッと捨てられるし、こういう作業が出来ていないと捨てられなくて、何かの反動で衝動的に捨ててしまうということが起こるのです。

こういう作業をしないと、いつまで経っても部屋が片付かないか、捨ててしまったことを後悔するか、また、無駄に同じ本を買ってしまうことになります。

変化を恐れる心は実は大切なのです。

しかし、漠然と恐れて、放置しておくのではなく、その恐れに立ち向かい、対決し、そこにある問題を解決し、前に進んで行きたいものです。

その結果、変化を恐れない人に変わります。

残された人生を有意義に過ごすためにも、変化を恐れない人になり、変化し続ける人生を歩んで行きたいです。
「変化を恐れない」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/7/15(月)【1516】」

人には、変化に対する恐れがあるものです。変わらない方が楽だし、安全だからです。

しかし、変化を妨げているのはそれだけではありません。

今いるところから変わるまでのプロセスを経なければいけません。

変化にブレーキをかけているのは、気持ちの問題だけではなく、解決しなければならない課題や問題があるからではないでしょうか。

このまま無計画で変わってしまうと、危険が待っているので、本能や潜在意識がそれを察知してブレーキをかけているのです。

例えば、断捨離です。

7年前に長期入院し、退院してからの一ヶ月間は、一日の半分近くを安静で過ごしました。

しかし、入院中に、聖書一冊、ノートとボールペン、ガラケー(携帯)と充電器だけで、過ごせしました。

その経験から、本棚にあるたくさんの本を見て、嫌気が差し、うんざりして、本の断捨離を決意しました。

目の前のスーパーでもらって来た段ボール箱に本の大半を詰めて、宅配の本の買い取り業者に引き取ってもらいました。

ほとんどの本に値段がつかず、平均一冊1円、よくて300円とかでした。

普段の私なら、とうていそんな決断をしないはずです。

いろいろ考えたら、その中の1割~2割は捨てるべきでない本だからです。

入院という経験を通して、冷静に考えて、ブレーキをかける安全装置が壊れてしまったようです。

「要らない本」「要るかも知れない保留の本」「要る本」の3つくらいに分けて、まずは、「要らない本」はバサっと捨てて、「要るかも知れない保留の本」は、とりあえず3ヶ月くらい眠らせて、その期間に必要となったら、「要る本」に分別し、要らないと思ったら、「要らない本」に分別し、さらに、迷うならば、6ヶ月や1年の期間を設けて、「要るかも知れない保留の本」の賞味期限の書き換えを行ったら良いです。

日ごろから、こういう作業が出来ている人は、スパッと捨てられるし、こういう作業が出来ていないと捨てられなくて、何かの反動で衝動的に捨ててしまうということが起こるのです。

こういう作業をしないと、いつまで経っても部屋が片付かないか、捨ててしまったことを後悔するか、また、無駄に同じ本を買ってしまうことになります。

変化を恐れる心は実は大切なのです。

しかし、漠然と恐れて、放置しておくのではなく、その恐れに立ち向かい、対決し、そこにある問題を解決し、前に進んで行きたいものです。

その結果、変化を恐れない人に変わります。

残された人生を有意義に過ごすためにも、変化を恐れない人になり、変化し続ける人生を歩んで行きたいです。

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試練の中でこそ出会える出会い

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月15日(月)07時50分29秒
  「試練の中でこそ出会える出会い」

人生の中で忘れることができない経験は、多くがつらく悲しいできごとではないでしょうか。

その時には、先が見えずどん底のように感じるものですが、振り返ってみると、((あの経験があったから今の自分がいる」と、感謝に変わります。

聖書には、「すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。」(ヘブル12:11)と書かれています。

暗い夜空ほど星が明るく輝くように、つらく悲しいからこそ、何が一番大切で、何が本当に必要なのかを知ることができるのです。

なまじ、ものごとがうまくいき、平穏に過ごしたとしたら、何も考えず、真剣に生きることなく過ぎてしまうことがあります。

幸せなようで、大切な何かを得損なっているかも知れません。

私は、18歳の時に人生に行き詰まり、これ以上一歩も前に進めないような状態になりました。「もう死んでしまいたい!」と思いましたが、同時に、「何とかこの苦しみから救われたい!」と心で叫んでいました。

私は、聖書を通して、イエス・キリストを見出し、出会うことができました。

一番苦しい状況の中で、一番大切なものを得ることができました。

病気、経済苦、人間関係のトラブル、いろいろな問題の中で苦しんでいる人はいませんか。

その時は、乗り越えられないのではないかとアップアップして、押しつぶされそうになっているかも知れません。

しかし、そのどん底の中で、本当の慰めや励ましを味わうことができ、問題の解決を得ることができるのです。

イエス様は、人間が味わえるすべての喜怒哀楽を味わい、あらゆる問題、苦しみ、死を通過され、復活されました。

「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイの福音書28:20)と約束されました。

目に見えませんが、昨日も、今日も、そして、明日も、永遠にあなたと一緒におられます。この方と一緒に、今日も素晴らしい一日をお過ごし下さい。

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長い一日

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月14日(日)20時45分44秒
  「長い一日」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/7/14(土)【1515】」

子供の頃から喘息が持病でした。しかし、喘息のお陰で、定期的に病院に行くため、検査をしてもらえるので、ついでに健康診断をしてもらっているようなもので、かえってありがたいです。

今から7年前、この時期に喘息発作が悪化して、長期入院をしました。

医師は、入院後しばらくは、肺がんを疑っていたようですが、肺炎球菌による重い喘息発作でした。

一旦強い発作が出るとなかなか治らないのです。

今は、吸引薬などを使うことで、予防ができています。

しかし、毎年この時期には、喘息発作が出ます。その時は、路傍伝道を休むこともあります。

路傍伝道を続けているお陰で、3時間歌い、3時間叫んでいても、一切声枯れはしませんが、喘息発作が出ていると、一発で声が枯れてしまいます。

昨日の路傍伝道の最中も、かなりつらかったですが、今日の一日は、特に長く感じました。

可能なら、安静にしていたいくらいでした。

しかし、ゴスペルを歌い、聖書の言葉を語り、いやしのお祈りをしているうちに、元気になりました。

また、教会のみなさんと語り合っているうちに、体が楽になりました。

今日は、この後ゆっくり休んで、明日も午前中までゆっくり過ごしたいと思います。

長く感じた一日ですが、無事に守られて感謝でいっぱいです。

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笑おう!

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月14日(日)07時16分21秒
  「笑おう!」

多くの人が、対人恐怖や引きこもり、うつ病などで精神的に苦しんでいます。

ある医学博士は、「精神病の一番の治療方は笑うことだ」と言いました。

笑うと交感神経と副交感神経のバランスが取れるようになり、自律神経が正常になって心は正常になるそうです。

精神的に苦しんでいる人がいたら笑ったらいいということですね。

どんな時にも笑って生きたら心は健康になり、人生は幸福になりますが、現実はそう甘くはありません。

少し前まで笑っていたのに、誰かから言われた一言で重く暗い気持ちになってしまうことがあります。

笑うのは感情がうれしい時だけ笑うのではありません。つらく悲しい時にも笑うことを意思で選ぶことがです。

今、とても笑える状態でなかったとしても、心が傷つき、涙が溢れていても、笑ってみませんか。

今の現状と笑いには距離を感じるかも知れません。

しかし、笑いはじめたら、心からの笑いに一歩近づけるのです。

私は、笑いの引き金は、現状の気持ちをありのまま神に祈ることからです。

気持ちは晴れず、イエス様の十字架を見上げていると、徐々に心がいやされ、喜びが湧き上がり、最後は笑いに変わります。

気がついたら、心の底から笑いが溢れています。

感情が笑えないだけで、笑う理由はいくらでもあります。

私が神によって造られ、愛され、生かされ、天国に行けること。

これを本気で信じたら、こんな幸せなことはありません。これだけで十分に笑える理由があるのです。

今日、笑いながら一日を過ごしませんか?

「笑う門には福きたる」と言われるように、笑うあなたのもとにたくさんの幸せが訪れると信じます。

「最後に、私の兄弟たち。主にあって喜びなさい。」(ピリピ3章1節)

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山手線祈祷会と東京駅伝道

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月13日(土)22時38分41秒
編集済
  『山手線祈祷会』と『東京駅路傍伝道』
「本物の聴衆は力強いですね」
《Now watching 1169》

https://youtu.be/kr2AftIW9Bw (ライブ)
https://youtu.be/RzqpVSn4mZw (辻説法)

東京駅に6名が集合して、外回り一周しながら祈祷会を行いました。はじめて参加した方は、祈りの途中で祈りが止まってしまったので、チラッと覗き込むと、目を涙で濡らしながら、「日本人が救われますように」と祈っていました。その姿を見て一同の心に感動が湧き上がりました。祈りの中で心が燃やされて、祈祷会だけで帰る予定だった人が、その後の2時間の伝道にまで参加した人もいました。良い祈祷会となりました。伝道は、八重洲南口を出て「八重洲ブックセンター」隣の「コスモ石油」と「みずほ証券」の前で行ないました。信号が変わるまでの3分間、私たちの音楽と聖書の演説を身動きしないで聞いてくれますし、中には、こちらに近づいてくれる人たちもいます。通常の伝道では、20秒くらいで過ぎて行ってしまうので、3分間聞いてもらえるのはとてもやりがいがありました。後半になると、外国人のクリスチャンが私たちの輪に加わってくれて、一緒に10分くらい賛美をしました。そうすると、多くの人が動画を撮るのです。さくらがいるだけでも人は集まりますが、本物の聴衆がいるというのは力強いです。歌を歌っている人たちも、聖書を語っている人たちも、チラシを配っている人たちも、みんなが元気になりました。チラシもたくさん配れましたし、たくさんの人たちに伝道できました。2時間全力で飛ばしました。さすがに疲れてしましたが、良い疲れでした。立ち食いそばを食べてから、それぞれの帰路に就きました。

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今晩の伝道場所

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月13日(土)18時04分13秒
  八重洲ブックセンター、コスモ石油、みずほ証券の前あたりで、午後6時から8時まで伝道します。遅れてきた方は、「八重洲ブックセンター」を目印に来て下さい。

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山手線祈祷会

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月13日(土)17時05分11秒
  「山手線祈祷会」
《Now watching 1169》

東京駅から東京駅まで、山手線祈祷会をしています。共に心合わせて下さい。神様がお祈りに答えて下さいます。

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愛による国作り

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月13日(土)07時46分43秒
  「うつは立派な病気  ~愛の国になりますように~」

うつ病はとてもつらい病気だと思います。

うつ病の人と深くかかわったり、うつ病の人の話しをずっと聴いた後に、うつ病一歩手前のような症状になったことがあります。

うつ病のこわい症状の一つは「死にたくなる」ことです。

今や、国民の二人に一人はガンにかかると言われていますが、ガンは、早期発見し、適切な治療をすることで完治させることもできますが、人の命を奪ってしまうこともあります。

ガンで亡くなる人が「病死」であるように、うつで自殺する人も「病死」であると思います。

私は、18歳で人生に行き詰って、「死にたい!」と思い詰めたことがありましたが、その後、死にたいほど苦しかったことはありますが、「死にたい!」と思ったことはありません。

健康な精神状態にある人が「死にたい!」と思うことはまずありません。もし「死にたい!」と今日感じている人がいるとしたら、うつ一歩手前か、軽いうつか、立派なうつ病患者かも知れません。

教会にうつ病の人が来たら、迷わず手を置いて祈って上げます。しかし、同時に、心療内科などに行くことをすすめます。

神様が奇跡的にうつ病をいやして下さる可能性もありますし、神のいやしを信じています。しかし、うつ病は簡単には治りません。だから、牧師、医師、カウンセリング、投薬などの二人三脚で治療にあたります。

結果、うつ病が治ったという人をたくさん知っていますし、うつと向き合い、うつと付き合いながら生きている人もたくさん知っています。

最近、新型のうつ病と言われるうつが増えているそうです。

例えば、会社員ならば、出勤時間になるとうつの症状が出るのに、退社した途端元気になります。主婦の人ならば、家事や子育てをしている時にはうつの症状が出るのに、趣味や遊びに没頭している時には元気になのです。

軽度のうつの分類に入れられますが、うつであることには変わりありません。

つらいのは、理解されにくい点にあると思います。「怠けもの」のレッテルを貼られてしまうからです。

聖書には、「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく」(4章23節)と書かれています。

私は、ストレスをためないように注意し、心が喜びと平安で溢れるように見張っています。

誰でもうつ病になる可能性があると思います。

うつを過信しないで、自分の心を見張って下さい。

もし、心が苦しくなることが続いたり、「死にたい!」と思うような時には、病院で診察してもらうことも大切です。

みなさんの周りに、うつの人がいると思います。元気な人は、うつの人をなかなか理解できないかも知れませんが、うつは立派な病気です。しかも、「死にたい!」という気持ちになり、実際に死んでしまう人がいます。

明日は我が身ですし、うつの人を理解し、怠けものと考えず、受け入れ、ケアしてあげて下さい。

聖書は、「互いに仕え合いなさい」「「互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい」と書かれています。

そのような助け合いが、日本を救います。

日本が強い国になることには賛成です。

しかし、それは武力だけではなく、愛によって国が強くなり、互いに支え合う国になってほしいです。

そんな国づくりを一緒にしていきましょう。

国をつくるのは政治家だけの仕事ではありません。私たち一人ひとりの仕事です。

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消防団定例会

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月12日(金)20時22分37秒
  「消防団定例会」
《Now watching 1168》

20時から21時まで消防団の定例会を行なっています。今日は出席者が多く盛り上がっています。

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クリスチャン防災士ネットワーク記事掲載

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月12日(金)19時21分34秒
  「クリスチャン防災士ネットワーク記事掲載」
《Now watching 1167》

6月25日にお披露目をした「クリスチャン防災士ネットワーク」がクリスチャン新聞の記事として取り上げていただきました。

気がついたら、地元の消防団員となり、新宿大久保通り教会防災ネットワークに関わり、その延長線上で防災士の資格を取得することができて、クリスチャンの防災士の集まりが、昨年11月に立ち上がりました。

防災大国の日本おいて、災害が起こってしまってから初動活動に取り掛かるだけではなく、起こる前から、防災は完全には難しいですが、減災のために防災士の活動が期待されます。力を合わせて取り組めたら幸いです。

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やれることをやればいい

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月12日(金)15時03分43秒
  「やれることをやればいい」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/7/12(金)【1514】」

今日は、TVの説教番組の収録がありました。

私は牧師ですが、毎日やれることを最善の努力をしながらやっています。

ですから、できないことを考え、「なぜできないのか!?」と自分を責めることはしません。

できないことを話すこともしません。

ただ、やれることに目を向け、やれることをやるようにしています。

それは、仕事を選り好みしているのではありません。

来た仕事を、すべて感謝して引き受けています。

何度か、本当に不得意なので、丁重にお断りしたことがありますが、それは例外中の例外です。

「来た仕事は断らない!」これが私の理念です。

特に、「頼まれた説教」と「食事の誘い」は断らないことにしています。

来た仕事は、「あなたなら出来る!」と見込んで下さり、「あなたにやってもらいたい!」と期待して持って来て下さったのです。

やれるか?やれないか?を考えるのではなく、自分に出来る範囲で、最善をつくしてやりたいと思います。

「やれることをやる」とは、そういう意味です。

教会での説教、毎日のコラム投稿、週数回の路傍伝道、TV番組出演、路傍伝道新聞編集など、神様に頼り、最善の努力はしますが、出来る範囲で行います。

人と比べたり、出来ないことを嘆く暇があったら、努力してやれることをさらによくやれるように磨くことに力を使って行きたいものです。

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人を批判する習慣を断とう

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月12日(金)06時39分8秒
  「人を批判する習慣を断とう」

人を批判すると鬱憤やストレスの解消になるし、容易に優越感に浸ることができるし、一時的には楽しいものです。しかし、危険な娯楽です。

人を批判する習性はすぐに習慣となり、ほどなくして友人を失い、敵を作ることになります。

マタイの福音書7章1節~2節には、「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。」と書かれています。

人を批判する習慣は恐ろしいもので、徐々にエスカレートしていき、必ず誰かをスケープゴートに祭り上げないと気がすまなくなり、標的がいなくなると、自分自身を批判するようになります。

最後は、自分が自分の敵となり、自分の中で戦争がはじまり、周囲をその戦争に巻き込んでいくことになります。

こういう心の状態だと心の病となり、引きこもったり、アルコールや麻薬中毒になったり、犯罪を犯したり、自殺をしたり、人を傷つけることに発展してしまいます。

人を批判することは、自分の首を絞めることにつながります。

人を批判する習慣を断つならば、そこからすべての好循環がはじまります。

心の病が緩和され、ある人はうつ病などの病がいやされたり、様々な中毒から解放され、生きる希望と力にあふれることでしょう。

人を批判する習慣を断つとは人を赦し、受け入れ、愛することです。

人を赦すためには、自分を造られた神様から赦され、受け入れられ、愛される経験が必要です。

神は、罪を裁く正義のお方なので、人の罪を見過ごしにできません。しかし神は愛のお方です。だから、あなたを裁く代わりに、一人子イエス・キリストを十字架につけて裁かれました。キリストは死んで墓に葬られ、三日目によみがえられました。キリストを信じるなら、罪が赦され、神に受け入れられ、神の愛を一身に受けることができます。

あなたのルーツは神からはじまっています。神との関係が回復されたら、そこから自分自身の心の中に平和が与えられ、人を批判する習慣が絶たれます。

人を批判しなくなる分幸せになり、人生が祝福され豊かになります。

素晴らしい一日でありますように。

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7月13日(土)の路傍伝道の予定

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月11日(木)16時40分8秒
  7月13日(土)
★『山手線祈祷会(外回り)』と『東京駅 路傍伝道』

[前半]
〈山手線内で祈祷会〉
午後4時30分~午後5時30分
【午後4時30分までに山手線 東京駅〔外回り〕 先頭車両ホームに集合】

[後半]
〈東京駅 路傍伝道〉
午後6時~午後8時
【伝道から参加の方はご連絡下さい】

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マウンティングしない、マウンティングの餌食にならない生き方

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月11日(木)10時32分30秒
編集済
  「マウンティングしない、マウンティングの餌食にならない生き方」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/7/11(木)【1513】」

マウンティングとは、本来、動物が自分の優位性を表すために相手に対して馬乗りになる様子のことをいいます。

しかし、人間関係においては、自分の方が相手よりも優れていることをアピールし、自分の方が立場が上であると思いたいと考え、語り、行動する事をいいます。

SNSを通して、あるいは、会話やスピーチなどの中で、意識してか、無意識的かを別にして、マウンティングをしている人がいます。

幸せをアピールしたり、学歴、収入、実力をアピールして、「すごい!」と思われることで、優位に立ちたいのです。

あるいは、上から目線で語ったり、相手がわからないものと決め付けて、高圧的にアドバイスをしたり、仕切ったりして、相手より上に立とうとします。

しかし、本当に実力があり、中身のある人はそのような態度は取りません。

マウンティングの背後に隠されているものは、劣等感、自信のなさなのです。

自信がある人は、ことさら、優位に立とうとしないし、へりくだることができるものです。

マウンティングする人に、「すごーい!」といって称え、持ち上げすぎると、大変なことになります。つけ上がって、嫌というほど自慢話を聞かされたり、支配されるようになります。注意して下さい。

経験があると思いますが、マウンティングされると、別に悪口をいわれているわけではないのに、気分が悪くなり、腹が立つものです。

しかし、「そういう人なんだな」と受け止めたら良いのです。そして、「別に、あなたのそういう話(マウンティング)には興味はないよ。あなたのありのままが好きだよ」という態度で接したら良いのではないかと思います。

聖書は、マウンティングに対して、「あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。だれでも自分を高くするものは低くされ、自分を低くするものは高くされるであろう。」(マタイ福音書 23章11-12節)と語ります。

神は、マウンティングし、自分を高くするものを低く引き下げられます。

しかし、自分を低くするというのは、自虐的になったり、わざとらしい、見せ掛けのポーズだけの謙遜という意味ではありません。

神に愛されている本当の自分を知り、本当の自分になりきり、本当の自分を生きるということです。

自らマウンティングし、引き下げられてしまう生き方よりも、自らへりくだって、神に引き上げていただいてられる生き方を選びたいですね。

神の愛を知ったら、自らマウンティングしなくなるし、相手のマウンティングの餌食にならないしなやかで強い人になれます。

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人を生かす言葉

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月11日(木)07時21分36秒
  「人を生かす言葉」

一人の女性歌手が、その昔、歌の先生から批判されて、失望落胆し、ついに歌うことをやめてしまいました。

何もかも自信を失い。人生を放棄しかけていました。

ある日、一人の男性から声をかけられ、やがてプロポーズされました。

この女性がかつて歌好きで、歌手を志していたことを聞いてからは、「君の歌声が聞きたいんだよ。僕に聞かせておくれ」といいました。

少しメロディーを口ずさむと、「君の歌は世界一だ。もっと歌ってくれよ」とほめました。

男性からのほめ言葉を聞き続けるうちに、だんだん自信を回復して、やがて2人は結婚をし、女性は歌手として大きな成功を収めました。

心からのほめ言葉が、人を生かし、その人の才能以上の力と成果を引き出すものです。

自分の子どもに対し、部下や同僚に対し、後輩や友だちに対して、もっとほめる言葉を使ってみませんか。

私は、多くの人に励まされて今日があると思つています。

特に、神様の言葉は絶大です。失敗や罪を赦して下さり、良い点、得意なもの、ちょっとした成果をほめて下さり、それを伸ばし、豊かにして下さいます。

仮に人がほめてくれなくても大丈夫。神様はあなたを知っておられ、あなたをほめて下さっています。

最後に、旧約聖書の「雅歌2章10節~15節」の言葉を引用します。神様があなたに向かって語られる愛の言葉として受け止めて下さい。

10 私の愛する方は、私に語りかけて言われます。「わが愛する者、美しいひとよ。さあ、立って、出ておいで。

11 ほら、冬は過ぎ去り、大雨も通り過ぎて行った。

12 地には花が咲き乱れ、歌の季節がやって来た。山鳩の声が、私たちの国に聞こえる。

13 いちじくの木は実をならせ、ぶどうの木は、花をつけてかおりを放つ。わが愛する者、美しいひとよ。さあ、立って、出ておいで。

14 岩の裂け目、がけの隠れ場にいる私の鳩よ。私に、顔を見せておくれ。あなたの声を聞かせておくれ。あなたの声は愛らしく、あなたの顔は美しい。

15 『私たちのために、ぶどう畑を荒らす狐や小狐を捕らえておくれ。』私たちのぶどう畑は花盛りだから。」

互いに励まし合いながら生きていきたいですね。

素敵な一日でありますように。

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今晩の夕食会

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月10日(水)22時44分36秒
  「今晩の夕食会」
《Now watching 1166》

今晩は、お肉屋の食堂で牛スタミナ定食を食べました。トッピングに玉ねぎ山盛りをつけました。後半は、ご飯を鍋に投入してチャーハンにして食べました。おいしくて、楽しくて、心も体も元気になりました。

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トラブルとトラベル

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月10日(水)11時16分50秒
  「トラブルとトラベル」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/7/10(水)【1512】」

予期せぬトラブルは、生きている限り起こります。

トラブルとは、いざこざ、もめ事、悶着、面倒、問題、紛争、障害などを言いますが、トラブルがない場所を捜してもなかなか見つかりません。あるとしたら、死んでお墓に入った人くらいです。

トラブルに似た言葉に、旅行を意味するトラベルという言葉があります。

トラベルの語源は、ノルマン語でトラバイルで、骨折り、苦労などの意味があります。

努力のかいもなく効果が上がらず、疲れだけが残ることを、「骨折り損のくたびれもうけ」と言います。

旅行の語源が、そういう意味だというのは面白いです。

聖書は、「すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。」(ローマ人への手紙11章36節)と語ります。

人は、神から発しているのです。神によって創造され、神の元からこの地上に来て、旅行、トラベルをしているようなものです。

トラベルの終わりは、元いた神の元です。

人生は、「骨折り損のくたびれもうけ」であり、いざこざ、もめ事、悶着、面倒、問題、紛争、障害などのトラブルに満ちています。

しかし、人は、「骨折り損のくたびれもうけ」のトラベルを、高いお金を出してわざわざするのです。

出かけない方がお金はかからないし、安全だし、無駄がありません。しかし、あえて、危険な目に合う可能性があるのに、トラベルに出かけるのはなぜでしょうか?

水を入れ替えるように、日常の退屈を打破し、気分転換してリフレッシュしたり、楽しむためです。

今、私たちの人生がトラベルだとしたら、せっかく旅行に来たのですから、それを楽しみ、出来るだけ多くの体験をさせてもらったら良いのではないでしょうか。

冒険かでもない限り、未開の地に、何の情報も得ないで出かける人がいるでしょうか?

せめて、ツアーに参加したり、ガイドの導きを受けるのではないでしょうか。

人生の旅の情報を得る手段は、聖書を読むことです。

ツアーは教会、ガイドは神様です。

神にガイドをお願いし、神の導きを受け、神に同伴していただきながら、この地上を歩んで生きましょう。

一瞬先は闇か?光かわかりません。

しかし、神は、全知全能であり、すべてを知っておられます。そして、すべてを知った上で、一番最善の導きをして下さいます。

神にガイドしていただかない理由がどこにあるのでしょうか?

神は、宗教の教祖やご本尊のレベルではありません。

神は、あなたを造られた、最も身近な方であり、どんな時でもあなたを愛し、あなたの味方です。

そして、「私は世の終わりで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28:20)と言って下さいます。

人生とは、険しいいばらの道を地図や情報もなく歩いているようなものです。

神を信じるとは、弱い人のすることではなく、誰もがしなくてはいけないことではないでしょうか。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。

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神と私の関係

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月10日(水)07時10分30秒
  「神と私の関係 ~『ぶどうの木と枝』~」

イエス・キリスト様は、「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」(ヨハネ15:5)と語りました。

「神」と人類の祖先「アダムとエバ夫妻」の関係は、「ぶどうの木と枝」のように一体の関係でした。

アダムとエバが犯した罪は、神から自分自身を切り離して、自分中心で、自分だけで生きて行く生き方を選びました。

結果、切り離された枝がやがて枯れてしまうように、人類に死が入りました。

「りんごの種をまく」と「りんごが生える」ように、「罪人の種」を持った全人類は、生まれながら「罪人」としてこの世に誕生しました。私たちも例外ではありません。

人類は、アダムとエバの罪の結果、やがて死ぬべき存在です。もし、アダムとエバが神から離れる罪を犯さなかったら、人は永遠に生きることができたのです。悲しいです。

しかし、私たち人類を救うために、神は、2019年前に一人子イエス・キリストをこの地上に送られ、十字架で私たちの罪の贖いをされ、死んで復活されました。信じるだけで救われる道を開いて下さいました。

キリストを信じるなら、「ぶどうの木と枝」のように、「キリストと私たち」が一体になり、罪が赦され、神の子となり、永遠の命を得て、天国に入ることができます。

神を信じる人生は、「ぶどうの木と枝」のように、「神と一体」になります。何と豊かで素晴らしい人生でしょうか。

キリスト教とは、「宗教」ではありません。「神との関係」で生きる生き方です。

神とは、私たちを造り、愛しておられる天の父です。あなたは、天の父と「ぶどうの木と枝」のように、親密な関係で生きておられますか?

神はあなたを待っておられます。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)

神と共にステキな一日をお過ごし下さい。

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自分が参加したくなるような企画

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月 9日(火)21時15分8秒
  「自分が参加したくなる企画」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/7/9(火)【1511】」

今日は、教団の関東地区の集まりがあり、第二部では、教団の研修会の実行委員会を持ちました。

3日間のプログラムを作りました。

ポイントは、「こんな研修会なら参加したい!」と、参加者の気持ちになって考えました。

3日間の2日目は、午前中は参加者で宇都宮駅に行って伝道の実践(路傍伝道)をし、お昼は宇都宮ぎょうざを食べに行き、午後はスーパー銭湯に行き、夕食も銭湯で食べて、夜は、施設に帰ってかくし芸大会とコンサートとしました。

1日目と3日目はちゃんとやりますが、とにかく、「こうあるべき!」というのを取り除きました。2日目の路傍伝道は、メディアチームが動画を撮影し、YouTubeにあげる予定です。

自分が企画に関われるならば、自分が参加したいと思えるようなものにすると、ワクワクします。きっと、他のみなさんも「参加したい!」と思って、申し込んでくれることを期待します。

教会も路傍伝道ネットワークも、自分が参加したいと思えるような集まりにして行きたいなと思います。

夜は、経費でドミノピザをおいしく食べました。

最後に、今日の牧師会でも、誕生日を祝っていただきました。誕生日を覚えていただけることは本当にうれしいです。

感謝に溢れた一日でした。

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熱い熱い

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月 9日(火)13時44分16秒
  「熱い熱い」
《Now watching 1165》

今日は、7月に入っているのに、涼しくて過ごしやすいです。

昨日に引き続いて、牧師会をしています。

昨日は、超教派の牧師会、今日は教団の牧師会です。

そのほかに、地域の教会の牧師会もありますが、それぞれ雰囲気がまったく違います。

それぞれの良さがあります。

妻が、辛い辛い辛い韓国の焼きそばを作って出してくれました。

せっかく涼しいのに、辛くて辛くて、熱くて熱くて、汗をかいてスッキリしました。

心も熱く燃やされて充実した時間を過ごしています。

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試練はあなたをグレードアップさせる

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月 9日(火)08時20分41秒
  「試練はあなたをグレードアップさせる」

あなたの人生に試練はありますか?

今、試練の中にいなくても、過去に試練を経験したことがあるはずですし、未来に試練は必ずやって来ます。

試練はなぜやって来るのでしょう?

① 因果応報のため?
② 運が悪かったから?

聖書は、次のように語ります。

① 訓練のため
② 平安な義の実を結ばせるため

「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。」(ヘブル人への手紙12:11)

試練を喜ぶ人はまずいないはずです。

しかし、聖書は、「試練を喜びなさい」と語ります。試練には目的があるからです。

「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰が試されると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」(ヤコブ書1:2~4)

1つ目の聖書の言葉には、試練は、
①訓練のため
②平安な義の実を結ばせるためとあります。

2つ目の聖書の言葉には、試練は、
①忍耐が身につき
②忍耐を働かせると、「何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な人になる」とあります。

試練は「うれしい!」と感じるものではありません。

試練とは、思い通りに行かない経験だからです。

しかし、試練によってより良い自分自身に成長できるとしたら、試練は祝福となります。

そうだとしたら、試練がないことは悲しむべきことです。

試練がないと、人は楽な方に進み、堕落し、腐ってしまいやすいのです。

権力者が既得権の上にあぐらをかいていることは、世界中どこででも見られる光景です。

試練に遭うと、人は目を覚まし、真剣になり、堕落した歩みを捨て、あるべき姿に立ち戻るチャンスに直面できます。

試練を毛嫌いせず、感謝して受け止めましょう。

人はどこからでもやり直せるし、人は無限に成長できるからです。

また、試練を経験した人は、人の痛みや悲しみが実感としてわかるようになり、同じような痛みや悲しみを経験している人に同情することができ、慰め、助けることができます。

「主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。」(ヘブル書2:18)

キリストは、人が味わう可能性のあるすべての喜怒哀楽を先に体験されたので、私たちのどんな苦しみや悲しみをも理解し、慰め、助けることができます。

今日、キリストのもとに行って、「私を助けて下さい」と祈りませんか?

最後に、あなたは試練を経験し、キリストの助けによって乗り越えることができた人ですので、同じような苦しみの中にある人を助けることができるはずです。

世の中には、顔で笑っていても、心で泣いている人がたくさんいます。



人から羨ましがられるような生き方をしている人が、「死にたい!」と思っていることもあります。

神様は、あなたを通して、苦しみ、悲しみの中にある人を助けたいと願っています。

神の手となり、足となり、心となり、口となり、人を慰め、友なきものの友となり、支え、助ける人になりませんか?

試練はあなたをグレードアップさせ、祝福します。あなたは祝福された人です。

素晴らしい一日でありますようにお祈りいたします。

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埼玉伝道

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月 9日(火)00時16分54秒
編集済
  『京浜東北沿線3駅プレ伝 (赤羽駅・浦和駅・大宮駅)』
「『あと2分で終わりますよ』『2分でお願いしますね』」
《Now watching 1164》

今日は、午後6時に赤羽駅に集合して、赤羽駅・浦和駅・大宮駅の3駅で伝道しました。先日行った、北千住駅・松戸駅・柏駅のように、それぞれが個性的で、各駅それぞれでやりがいを感じました。赤羽駅の一番大きな東口は、参議院選挙の街頭演説が行われていたので、反対の西口からスタートしました。それなりに人の流れがあり、多くの人がチラシを受け取ってくれました。次に南口に移動して、南口の西側と東側でやりました。ここでは立ち止まってくれる人が多くいました。しばらく伝道をしていると、東口の街頭演説がちょうど終わったので、思い切って伝道をしました。フルートを吹くおじさんをはじめ、多くの人が立ち止まってくれたり、声をかけに来て下さいました。最後に、絶妙なタイミングで東口で出来たのがとてもうれしかったです。おかげで、今日は、他に2駅あるのに、ここで1時間半も活動をしてしまいました。感謝の祈りをして、すぐに浦和駅に移動しました。東口と西口で行いましたが、東口はバス停でバスを待つ人たちがたくさんいたので、ずっと私たちの音楽と演説を聞いてもらえたのでやりがいを感じました。西口は人の流れがスムーズで、伝道しやすく感じました。目の前には、クリスチャンが経営するサンクゼールという食品屋があり、うれしくなってお店に入り、「社長と知り合いなんですよ、ぜひ路傍伝道新聞を渡して下さい」と店員さんに渡しますと、とても喜んでいました。店員さん含めて4部手渡しました。感謝の祈りをして、最後の大宮駅に移動しました。まず西口で伝道をしました。夜9時と時間が遅かったこともありますが、他の2駅より反応がにぶい感じでした。しかし、時が良くても悪くても、彼らが聞いても聞かなくても黙々と伝道するのみです。最後は、東口で伝道をしました。ガラの悪い雰囲気ですが、人の流れがありとても伝道しやすいと感じましたが、近くで飲み屋のキャッチをしている人たちから、「ここでやられるとやりにくいから、別の場所に行ってやってくれないかな!?」と、ちょっと絡まれる一幕もありましたが、最初から5分のつもりだったので、「あと2分で終わりますよ」と言ったら、納得してくれて、「2分でお願いしますね」と笑顔に変わりました。仮に、理不尽な対応をされても、絶対に争わない、喧嘩しないと決めています。神様が守って下さいました。最後は、マクドナルドで軽く食事をして、それぞれの帰路に就きました。中身の濃い伝道の活動でした。

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(無題)

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月 8日(月)17時40分19秒
編集済
  次回は、これ食べるのをfacebookライブしたら見てくれますか? しかし、2人で食べたら面白くないし、1人だと食べきれなさそうですね。マヨネーズを入れなければ2000キロカロリー切るかも知れませんが、それでも、明らかにカロリーオーバーです。これ食べたら、1日にこの1食で十分ですね。

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ペヤング超大盛りとハレルヤ牧師会

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月 8日(月)13時59分33秒
  「ペヤング超大盛りとハレルヤ牧師会」
《Now watching 1163》

昨日に引き続いて、ペヤングソース焼きそば、今日は超大盛り。味は超大盛りの方が柔らかくておいしく感じました。ただ長くお湯で蒸されてふやけただけかも知れませんが。友人の牧師が誕生日プレゼントをくれました。申し訳ない気持ちです。現在、新宿福興教会でハレルヤ牧師会をしています。夜は、赤羽駅、浦和駅、大宮駅で路傍伝道します。

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原点回帰

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月 8日(月)08時55分9秒
  「一日一シャの原点回帰」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/7/8(月)【1510】」

最近では、《Now watching》がよく機能していて、「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉」が「一週一シャ〈謝と捨と洒と写〉」くらいになっています。

他が忙しくなったのか、歳のせいか、ネットに使う時間が3割引から5割引になっています。

しかし、本当は燃え尽き気味で、「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉」に対する情熱が持てなくなっているのかも知れません。

「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉」という枠組みは、一日一度の「感謝」などを書き、それに関連した「写真」を添えることでしたが、いつの間にか、もう一つのコラムを書いて載せていました。

原点に返って、生活の中での素朴な感謝や、感じたことなどを書く枠に立ち戻りたいと思っています。

心が整理できたら、感謝が湧き上がって来ました。

自分自身の日記、忘備録であり、神への感謝をそっと書き続けたいと思います。

読んで下さり、心から感謝致します。

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受けるだけの人生と、受けて与える人生

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月 8日(月)07時56分47秒
  「受けるだけの人生と、受けて与える人生」

中東のイスラエル周辺は聖書の舞台となった場所です。

イスラエルには、ガリラヤ湖と死海という代表的な湖があります。

二つの湖は、それぞれ同じ水源なのに、一方のガリラヤ湖は多数の魚が生息し、豊かな自然の宝庫です。もう一方の死海は魚一匹泳いでいないし、周囲には荒れ果てた荒野が広がっています。

何が違うのでしょうか?

ガリラヤ湖は、ヘルモン山から流れ込んで受けた水を、ヨルダン川に流し出しています。つまり、受けて、与えています。

死海は、ガリラヤ湖からヨルダン川を経由して流れた水を受けますが、湖面の海抜はマイナス418mなので、それ以上低い場所がありません。

地球のおへそです。行き止まりなので、それ以上水を流し出す場所がありません。受けるのみです。

結果、ガリラヤ湖は、水の循環があり命に満ち溢れています。

死海は、流れこんだ水の水分が少しづつ蒸発するので、塩分が30%と濃く、命が生息することはできません。

この二つの湖は、神様が実物教育の視聴覚教材として作られたとしか思えないほど大切なことを教えてくれます。

受けるだけの生き方の人は、死海のように命や実りのない状態になってしまいます。

不思議に思うことは、受けるばっかりで与えない人は、損をしないので豊かになるはずですが、口から出てくる言葉に感謝は少なく、不満や不足を訴えますし、喜びがありません。

さらに、人から好かれず、うだつの上がらない生き方に終始してしまう人が多いようです。

しかし、受けると同時に、与える人がいます。

それはお金や物だけではなく、自分の時間、受けて学んだノウハウ、知恵、愛の言葉、笑顔、親切など、自分の持っている良いものを豊かに与える人は、口から出てくる言葉に感謝が多く、喜びに溢れ、人から好かれ、何をしてもうまく行きます。

「主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出しなさい」(使徒の働き20:35)

与えると、物理的に持っているものが減ってしまうはずですが、なぜ与えることが幸いなのでしょうか?

①与える心は豊かである
②与えて相手が喜ぶ顔を見てうれしくなる
③与えて受け取った相手から何かが帰ってくることでさらにうれしいくなる
④受けた人は与えた人にお恩返しをしたくなるので、与えた人が貧しいままでいることはない
⑤受けた人は与えた人に好意を抱き、成功のチャンスを与えたくなる

与えないと、物理的に持っているものは減らず、増える一方なのに、幸いではないのでしょうか?

①与えない心は貧しい
②与えないので相手が喜ぶ顔を見る機会が少ない
③与えないので、相手から何かが帰ってくることが少ない
④相手は、与えない人が困っている姿を見ても助けてくれることは希
⑤相手は、与えない人に好意を抱きにくく、成功のチャンスも逃げてしまう

あなたはガリラヤ湖的な、受けて与える人生を生きていますか?

それとも、死海的な、受けるだけに徹した人生を生きていますか?

与えない人は、今貧しいことが理由かも知れません。

あるいは、豊かにもらった経験がないかも知れません。

神は、あなたに豊かに与えて下さる方です。

神から豊かに豊かに受けて、同時に、神と人に豊かに与えていく人生を歩んでみませんか?

「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」(ローマ人への手紙8:32)

「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」(ルカの福音書6:38)

私は、毎日みなさんに笑顔で喜びと希望のメッセージを分かち合うことができるので幸せです。

最後に、ガリラヤ湖的生き方が良くて、死海的生き方が悪いようなイメージで終わってしまったら、聖書の福音ではなく、因果応報の宗教の話になってしまいますが、結論部分に福音があります。

死海は、受けるだけで、受け続けて、命はないけれど宝の海(湖)になりました。

塩分が濃く、沈むことができません。浮いてしまうのです。死海は現在観光地の一つです。

また死海の成分から様々な製品が作られて、国の収入源となっています。

神様は、受けて与える人生の素晴らしさを教えると同時に、受けるだけの人生も、命の豊かさがないけれど、違う祝福を下さっています。

神様はすべての人を愛しておられます。

喜びに溢れた一日でありますように。

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明日の路傍伝道

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月 7日(日)20時15分12秒
  7月8日(月)
★『京浜東北沿線3駅プレ路傍伝道(赤羽駅・浦和駅・大宮駅)』
午後6時~
【午後6時までに 赤羽駅北口改札口に集合】

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今日の夕食

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月 7日(日)18時34分39秒
  「今日の夕食」
《Now watching 1162》

ランチは午後3時で、夕食は午後6時半。ペヤング焼きそばを食べます。

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今日のランチ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月 7日(日)15時19分50秒
  「今日のランチ」
《Now watching 1161》

今日のランチは、教会の近くのベトナム料理のお店で食事をしました。日本では食べたことのない味付けで楽しかったです。飲み物はあずきウォーターで甘くないおしるこのようでした。

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どうにもならないことは忘れよう

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月 7日(日)06時20分18秒
  「どうにもならないことは忘れよう」

ドイツのことわざに、「どうにもならないことは、忘れることが幸福だ」という言葉があります。

「どうにもならないこと」とは、変えられないことです。

変えられないことをクヨクヨ考えたり、変えようとしても解決のない悩みを悩み続けることになります。

聖書には、「あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その一日だけで十分である」と書かれています。

過ぎ去った過去、まだ来ない未来を悩むことをやめて、悩むのは、現在のことで、変えられることに限定して悩んだらどうでしょう。

悩みは激減するのではないでしょうか。

しかし、悩まないことと、明日の準備をしないことは全く相反することです。

ことわざに、「備えあれば憂いなし」という言葉があります。

明日のことを悩まないけれど、明日のための備えは大切です。

明日に対して希望を持ち、ワクワクしながら備え、期待する心を持って生きていきましょう。

素晴らしい1日をお過ごし下さい。

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御茶ノ水伝道と賛美集会

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月 6日(土)23時52分28秒
編集済
  『御茶ノ水駅路傍伝道』と『第21回賛美集会』
「祝っていただき、『いてくれてありがとう』と愛を感じた。これを伝道に生かしたい!」
《Now watching 1160》

今日の御茶ノ水は、他に広場で活動をする団体もなく、何のトラブルも起こらず、一言で言うと、「大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」(使徒の働き28:31)という状態でした。15名で力を合わせて伝道を行いました。楽器がたくさんあったので音楽が盛り上がりました。プロ級の人もいれば、初心者・初級者の人もいますが、生音なら、調和が取れているように感じます。神様はすばらしいです。チラシを配る人がたくさんいたので、チラシがどんどんなくなって行きました。立ち止まって音楽や話を聞いてくれる人や、写真や動画を撮ってくれる人がたくさんいました。ある時は、誰も聞いていないように見えてることもありますが、実は、聞いていてくれることを後日話して聞かせてくれる人もいますが、たくさんの人たちが私たちの伝道に耳を傾けてくれることは、本当にうれしいですし、励まされます。中には、クリスチャンの人も通りますが、リアクションや表情で、一発でわかります。すぐに路傍伝道新聞を手渡しに行きます。伝道が終わると、御茶ノ水クリスチャンセンターに移動して、賛美集会を行いました。1時間15分で終わりましたが、濃密な時間でした。終了後には、私の誕生日を覚えて下さり、ハッピー・バースデーを歌ってくれたり、プレゼントをいただいたり、夕食をごちそうしていただきました。大変恐縮であり、申し訳ない気持ちになりました。祝っていただいて感謝でいっぱいです。帰宅しても、子どもたちが、ないこずかいをはたいてケーキや手作りチョコ、プレゼントなどを買ってお祝いしてくれました。祝ってもらえることで、存在が肯定され、「いてくれてありがとう」と言ってもらっているように感じます。心が熱くなりました。誕生日を祝い合うことのすばらしさを感じました。これを伝道に生かしていきたいです。伝道とは、「あなたがここにいてくれてありがとう」「あなたがここにいてくれるので私は祝福されています」と伝えることではないかと思います。感謝に溢れた一日でした。

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誕生日と結婚記念日に感謝

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月 6日(土)05時55分47秒
  「『48歳の誕生日』と『結婚22周年』を迎えました」

誕生日は、神が私に命を与え、この世に生まれさせて下さった日です。毎年この日を迎えるたびに、神に生かされていること、神に愛されていることを思い起こして感謝で心がいっぱいになります。

また今日は、結婚22周年記念日です。私にとっては誕生日ですが、妻にとっては結婚記念日です。22年前の7月6日は、ものすごく暑く、長い一日でした。懐かしいです。

26歳で伝道師となり、同じ頃結婚をし、アメリカ留学し、「まだまだ若い!人生これからだ!」と思っていました。30歳で牧師になり、東京の新宿で開拓伝道(0から教会を始めること)をスタートし、今日まで、濃密な人生を過ごして来ました。

改めて、与えられた今この時、この瞬間に感謝し、大切に過ごしていきたいと思います。

この日を迎えることができ、感謝でいっぱいです。

これからもどうぞよろしくお願いします。たくさんの誕生日メッセージをくださりありがとうございます。

『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』(民数記6:24-26)

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明日の路傍伝道

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月 5日(金)14時08分8秒
編集済
  7月6日(土)
★『御茶ノ水駅路傍伝道』と『第21回賛美集会』
[前半]
〈御茶ノ水橋口 路傍伝道〉
午後5時~午後6時30分 (準備 午後4時50分~)
[後半]
〈第21回賛美集会 (御茶ノ水クリスチャンセンター402号にて)〉
午後7時~午後8時30分
【終了後に会場にて愛餐会 軽食持参】

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幸せの青い鳥はどこにいる?

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 7月 5日(金)07時35分7秒
  「幸せの青い鳥はどこにいる?」

「この人さえいなければ!?」「この夫、この妻さえいなければ!?」「この病気さえなければ!?」「この借金さえなければ!?」「あの上司さえいなければ!?」

思い通りに行かないと、「コレさえなければ幸せなのに!?」と考えてしまうことはないでしょうか。

でも、そう考えている限り、幸せはいつまでたってもあなたのもとには来ません。

モーリス・メーテルリンク (Maurice Maeterlinck, 1862- 1949)作の「青い鳥」は、2人の兄弟であるチルチルとミチルが、幸せの象徴である青い鳥を探しに行くけれど、青い鳥はどこか遠くではなく、最も手近なところにいたというお話です。

本当の幸せは、思い通りに人生がいくところではなく、「コレさえなければ!?」という、悲しみやつらい経験の中で見つけ出していくものではないでしょうか。

思い通りにいかないできごとは、それを拒絶するためにあるのではなく、それを受け入れるためにあるのです。そこに青い鳥が隠れているからです。

だから、もう、「コレさえなければ!?」と思わないで、「コレ」と共に生きていく人生を選び取っていきましょう。

聖書は、「曲がっていないものを、まっすぐにはできない。なくなっているものを、数えることはできない。」(伝道者の書1:15)と語ります。

曲がっているものを、「まっすぐであればいいのに!?」と考えたり、なくなったものを数えて「ないものねだり」をするのではなく、現状を受け入れ、感謝することです。

そして、現状が完全ではないからこそ、理想を追い求め、希望を持ち、夢を追いかけて行くのです。そして、その人生のプロセスの中に幸せの青い鳥と出会えるはずです。青い鳥は、あなたの最も近くにいるかも知れません。

今日も素晴らしい一日でありますように。

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