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(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月17日(火)17時53分20秒
  「ありのままを感謝できる理由」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/7/17(火)【1184】」

外に出た瞬間、「うわー暑い!」と声が出てしまうくらいのうだるような暑さに体が焼けるようです。

子供の頃、夏が好きで好きで仕方がなかったのは、夏休みがあるからだけではなかったはずです。

海に海水浴やサーフィンをしに行くのがたまらなく好きでした。

今では、クーラーの効いた部屋で一日中こもっていたい気持ちです。

午前中は、祈り、聖書を読み、やるべき仕事を片っ端からやりました。

午前中は、本当は二つの外回りの仕事がありましたが、昨晩の路傍伝道での暑さでバテてしまったせいか、キャンセルせざるを得ませんでした。

しかし、神様は暑さで私をバテさせることでやるべき仕事をするように導いて下さったと思います。

出かけていたら、ランチまで含まれていました。

そんな矢先、神学校時代の友人からLINEで、「パワーランチしませんか?」とメッセージが富んできました。

ランチを一緒に食べながら、楽しい時間を過ごしました。

それから、家族の所用に付き合いました。

もし、早朝から出かけていたとしたら、昼食を食べる予定だったので友人との昼食はできなかったかも知れません。

また、暑さでバテてしまって、家族の所用に付き合えなかったかも知れません。

神は、すべてのことを働かせて益として下さるので、すべてのことを感謝できるのです。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28)

暑くても感謝、寒くても感謝、どんな時にも、どんな状況でも感謝できるのです。

もし、感謝できないで、不平不満を言い、つぶやいているとしたら、それは、悪魔に騙されているか、罪の性質によって本当の事が見えなくなっているかのどちらかです。

今はわからなくても、神は、すべてのことを最善にして下さるので、そのことを前もって認識して、感謝していきましょう。

外の暑さに感謝し、クーラーの涼しさに感謝し、起こる一つ一つの事に感謝を選び取っていきたいものです。

感謝できなくても感謝です。

それは、強がっているのでも、無理しているのでもないのです。

もし、この世界に神がおられないとしたら、感謝できることは限りなく少ないと思います。

しかし、神は、信じようが、信じまいが、確かに存在されます。

神をすべての中に認めて下さい。

「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言3:5~6)

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月17日(火)12時03分35秒
編集済
  「★路傍伝道ネットワーク(7月・8月の予定)最新情報★」

「路傍伝道ネットワーク紹介ビデオ」
http://japan.cgntv.net/movie_player.php?number=2437&sub_number=104892

【7月】
④7月21日(土)【④と⑤は連続のイベントです】
午後6時30分集合
「山手線祈祷会」
集合場所:JR山手線内回り恵比寿駅ホーム一番前

⑤7月21日(土)【④と⑤は連続のイベントです】
午後7時45分~午後9時
「恵比寿駅プレ伝道」
集合場所:恵比寿駅(出口などは直前にお知らせします)

⑥7月28日(土)
午後4時30分集合(途中からの参加可能)
「路傍伝道荒野の旅」
集合場所:JR中央総武線大久保駅北口ガード下

【8月】
①8月4日(土)
午後6時半~午後8時
「山手線1周路傍伝道の旅 恵比寿駅」
集合場所:恵比寿駅(出口などは直前にお知らせします)

②8月11日(土・山の日)【②と③は連続のイベントです】
午後5時~午後6時15分
「山手線祈祷会」
集合場所:JR山手線外回り渋谷駅ホーム一番前

③8月11日(土・山の日)【②と③は連続のイベントです】
午後6時30分~午後8時
「山の日に渋い谷の渋谷で伝道しよう!(渋谷プレ伝)」
集合場所:渋谷駅ハチ公口緑の電車前

④8月20日(月)
午後6時30分~午後8時
「第3月曜日定例 新宿伝道」
集合場所:JR新宿駅東口アルタ前広場

⑥8月25日(土)【⑥と⑦は連続のイベントです】
午後5時25分~午後6時25分
「御茶ノ水駅路傍伝道」
集合場所:御茶ノ水駅御茶ノ水橋口広場

⑦8月25日(土)【⑥と⑦は連続のイベントです】
午後6時30分~午後9時
「第11回賛美集会」
場所:御茶ノ水クリスチャンセンター402号室

⑤8月28日(火)
午後6時~午後8時
「中野駅路傍伝道」
JR中野駅北口広場

※各イベント活動開始前に集合して下さい。
※終了後には、有志で食事に行きます。

「宣教献金」
ゆうちょ銀行  記号 10100  番号 72587221  口座名 路傍伝道ネットワーク

?「路傍伝道ネットワーク規約」

★「路傍伝道ネットワーク」がはじまった経緯
 第6回日本伝道会議(JCE6)一日前の2016年9/26(月)に、大阪の仲間たちと路傍伝道をしたことがきっかけで、「Japan Street Evangelism Ministry(JSE)」を結成。東京に戻ってから路傍伝道を開始すると、次々に仲間が加えられ、2/11(土)に「路傍伝道ネットワーク」を結成し、現在に至っています。

★ 『路傍伝道ネットワーク』のビジョン
 路傍伝道ネットワークは、2017年3月13日に原宿駅からスタートし、山手線外回り29駅を順番に伝道しています。また、日本全国47都道府県を少しずつ巡回路傍伝道をしながら、日本全国に福音を満たしていきます。
 同時進行で、賜物発掘や賛美チームのスキルアップ、メンバーの一致と霊的成長のために、月に一回賛美集会を行なっています。また、山手線を東京のエリコの壁に見立てながら、電車の中で祈祷会を行なって、日本の中心である東京からリバイバルがはじまっていくように夢見ています。

★避けるべきこととして
 参加する皆様は、純粋に路傍伝道をする為に集まっています。避けるべきこととして、ここで知り合った人同士の『お金の貸し借り』や『ナンパ』『ビジネスや投資の誘い』『他の集会や教会への勧誘』等の行為は謹んで頂きたいと思います。自由な集会ですが、最低限の秩序を守るために、このようなルールを決めさせて頂いています。

★献金のお願い
 路傍伝道をする上で必要な備品・消耗品等の購入、運搬車のガソリン代や駐車代、下見時の交通費、遠方からの参加者で交通費が大変な人に対して一回500円の支給等の為に使わせて頂きます。個人の必要や飲食等の為には一切使いません。会計報告は、必要ならばいつでも開示できるようになっています。

★神の国国会(役員)
 ネットワークの核になって下さる方に神の国の国会議員になって頂いています。重要なことを決める時など、直接会うか、ネット上で、通常国会、臨時国会、閣議、小委員会などを開き話し合います。出席者の過半数の同意を持って決定します。

★顧問
 三人の牧師と一人の弁護士がアドバイザーとなって下さっています。問題が起こった時には、解決に動いて下さる体制となっています。

世話人代表 菅野直基

「振込先」
ゆうちょ銀行  記号 10100  番号 72587221  口座名 路傍伝道ネットワーク
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月17日(火)08時25分35秒
  「祈りに力がある」

祈りには力があります。今のあなたに必要なのは祈りではないでしょうか?

聖書を4カ所引用します。

「義人の祈りは働くと、大きな力があります。エリヤは、私たちと同じような人でしたが、雨が降らないように熱心に祈ると、三年六か月の間、地に雨が降りませんでした。そして、再び祈ると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました。」(ヤコブ書5章16節~18節)

「イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ』と言えば移るのです。どんなことでもあなたがたにできないことはありません。」(マタイ17章20節)

「私たちの戦いの武器は、肉のものではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。私たちは、さまざまの思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させ、」(第二コリント10章4節~5節)

「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」(エペソ6章18節)

祈りには絶大な力があるのに、祈りを過小評価することがないでしょうか。

サタン・悪霊は、あなたに祈ってもらいたくないので、嘘を語って祈りを過小評価させ、祈りをやめさせようと躍起になっています。

祈ったら解決し、祈ったらマイナスがプラスに変わり、祈ったら勝利できるのに、祈らないとしたら大きな損失です。

祈らないとどうなるでしょうか。

自問自答し、思案して答えを出そうとします。

結果、思い煩い、心配し、恐れることになり、がんじがらめになります。

自分の力でそれを覆そうとしますが、うまくいかないので、悪循環に陥ってしまいます。

自問自答を自問神答に変えましょう。

思案をやめて神に聞きましょう。

思い煩い、心配し、恐れを神に委ねて前進しましょう。

「祈っていい」「祈りなさい」といって下さる天の父に祈って、素晴らしい一日を過ごして下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月17日(火)00時33分53秒
  「第三月曜日定例 新宿路傍伝道」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/7/16(月・祝)【1183】」

第三月曜日は、毎月新宿駅東口アルタ前で路傍伝道をします。おなじみのメンバーに加えて、二人の新しい人が活動に参加してくれました。一人は、神学生であり、ギデオン協会の会員の方で、持参した聖書を配布されました。もう一人は牧師で、赤い十字架を手渡すと、終始賛美チームに加わって歌い続けてくれました。神様が、力強い助っ人を送って下さいました。三連休最終日でしたが特に人が多いという感じはなく、伝道しやすい雰囲気でした。日中は40度近くまで気温が上がって、たくさんの人がね中傷になったりしましたが、夕方以降は、びっしょり汗をかきましたが、そよ風が吹いて気持ちの良い伝道の日よりでした。賛美チームに加え、チラシや聖書配布、個人伝道のそれぞれのチームに分かれて伝道をしました。賜物に応じて、適材適所に配置されて、キリストの体として一人の人のように一致した活動となりました。通りがかりの人の中には、写真や動画を撮ってくれる人も多く、励みになりました。新宿という場所は、どんな人が居てもおかしくない場所です。それだけに、「出て行って福音を伝えなさい」というイエス様の大宣教命令にダイレクトにこたえられるという実感があります。路傍伝道だけが伝道だとは思いませんが、路傍伝道ほどたくさんの人に一気に福音を伝える方法はあまりないのではないかと思います。第三月曜日は必ず、新宿駅東口アルタ前で路傍伝道をしていますので、一度いらっしゃいませんか? またぜひ、私たちの活動のためにお祈りをお願いします。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月16日(月)15時30分26秒
  「次男ピアノ発表会」
《Now watching 817》

猛暑の中、息子のピアノ発表会。神は人それぞれに賜物を与えられた。会場は、私語も飲食も撮影も全て禁止。潔い。昨日のリハーサルはうまくいった。しかし肝心なのは本番。会場入りする前の姿。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月16日(月)10時09分56秒
  「人生の四季を楽しむ」

日本には、春・夏・秋・冬の四季があり、時間の経過とともに季節が変わります。地球が23.43度傾斜しているからです。

勢いよく成長する春、絶頂期の夏、収穫の秋、実りのない冬。どの季節も必要です。実りのない冬も、次に来る春に備える季節であり、他の季節とバランスを取るためにも大切です。

いつも過ごしやすい季節だけだとイイと考えることがありますが、もし地球の傾斜をなくしたら、地球は暑いか寒いかだけの星になります。きっと退屈なはずです。

神さまは、私たち人間が飽きないように、一年を通じて四季を下さり、私たちを楽しませて下さっています。

四季の変化は、私たちの人生にもあります。

いつも絶好調で何をしてもうまく行っているように見える人がいるかも知れませんが、その人にも、ちゃーんと四季があって、実りのない季節を過ごしているはずです。しかし、その時をしっかりと受け止めて、収穫の季節に備えて心も体も準備をしています。

好循環の人は、いつもどんな時にも、その瞬間を大切な時として受け止めて、感謝し、全力でその時その時を生きている人だと思います。

反対に、いつも貧乏くじを引いてばかりで、何をしてもうまく行かないように感じている人もいることでしょう。その人にも同じように四季はやって来ているはずです。きっと、その時その瞬間を大切にしないで、感謝しないで、いつも「こうなったらいいのに!?」と嘆いたり、無い物ねだりをします。

また、うまく行かないことを人や状況のせいにして何もしようとしません。そのように生きていると、せっかくチャンスがやって来ても、チャンスをチャンスと思わないので、チャンスは素通りして去ってしまいます。

少し前まで春や初夏だったのに、いきなり猛暑になっています。最近の猛暑は大変なものですね。しかし、この猛暑もいつまでも続きません。やがて秋が来て、秋が深まり、冬がやってきます。

人生もツライことばかりではありません。四季が巡ってきます。すべての四季を楽しむことが大切です。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケ人への手紙 第一 5:16~18)

どの季節にも良さがあります。そして、どの季節も必要です。同じように、私たちの人生のどの季節も素晴らしいものであり、必要なのですよね。今日も素晴らしい一日でありますようにお祈りいたします。

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」(伝道者の書 3:11)

夏を感謝し、夏を楽しみましょう。この暑い夏さえ終われば楽なのに・・・と嘆いてしまう間違いを犯さないように。「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」のですから。

良い一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月15日(日)19時36分29秒
編集済
  「サプライズのお祝いありがとう」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/7/15(日)【1182】」

誕生日のお祝いで、「ラーメン好きの先生に」と、ラーメン型のケーキをプレゼントされました。ちょっとずつですが、みんなでおいしく食べました。植木は、夫婦と4人の子どもたちをイメージしているようです。ネットで「お誕生日おめでとうございます」って言ってもらえるだけで喜びでいっぱいなのに、プレゼントまで頂いて感無量です。ありがとうございます。感謝の余韻に浸ってます。互いに誕生日を祝い合うっていいですね。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月15日(日)07時15分31秒
  「試練の中でこそ大切な何かと出会える」

人生の中で忘れることができない経験は、ほとんどつらく悲しいできごとです。

その時は、トンネルの先が見えないどん底のように思えますが、今は、「あの経験があったからこそ今の自分がいる」と、心から感謝をしています。

聖書には、「すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。」(ヘブル12:11)と書かれています。

暗い夜空ほど星が明るく輝くように、つらく悲しいからこそ、何が一番大切で、何が本当に必要なのかを知ることができるのです。

なまじ、ものごとがうまくいき、平穏に過ごしたとしたら、何も考えず、真剣に生きることなく過ぎてしまうことがあります。

幸せなようで、大切な何かを得損なっているかも知れません。

毎日、私の文章を読んで下さる方々に心から感謝しています。

自分が体験し、知っていることだけを文章にして書いているだけですが、その文章を通して慰めや励ましを感じ取って下さる方がいるのは、私がつらく悲しい時に与えられた慰めや励ましが文章を通して伝わっているからだと思います。

私は、18歳の時に人生に行き詰まり、これ以上一歩も前に進めないような状態になりました。「もう死んでしまいたい!」と思いましたが、同時に、「何とかこの苦しみから救われたい!」と心で叫んでいました。

私は、聖書を通して、イエス・キリストを見出し、出会うことができました。

思えば、一番苦しい状況の中で、一番大切でなくてならないものを得ることができました。

病気、経済苦、人間関係のトラブル、いろいろな問題の中で苦しんでいる人はいますか?

その時は、乗り越えられないのではないかとアップアップして、押しつぶされそうになっているかも知れません。

しかし、そのどん底の中で、本当の慰めや励ましを味わうことができ、問題の解決を得ることができるのです。

イエスさまは、人間が味わえるすべての喜怒哀楽を味わい、あらゆる問題、苦しみ、死を通過され、復活されました。

「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイの福音書28:20)と約束されました。

目に見えませんが、昨日も、今日も、そして、明日も、永遠にあなたと一緒におられます。この方と一緒に、今日も素晴らしい一日をお過ごし下さい。

今日は日曜日。三連休中日ですが、教会に行って神さまを礼拝しませんか。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月14日(土)12時50分56秒
  「感謝 感謝 感謝 感謝 感謝 すべてに感謝」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/7/14(土)【1181】」

今日は、消防団員の定期健診を受けた。

十代、二十代、三十代の頃は、そういうのをめんどくさいと思っていた。

心のどこかでは、「自分は病気になるわけがない!」と、根拠のない健康信仰を持っていた。

しかし、喘息のお陰で、健康信仰は崩れた。

今では、消防団員の健康診断に加え、新宿区の生活習慣病予防健診とがん検診を毎年欠かさず受けている。

病気をしたことがない、病院に行ったことがないというような人に限って、ある日突然病気になって亡くなってしまうことがある。

一病息災ということわざがあるが、病気がない健康な人よりも、少しの持病がある方が健康に気を配るようになって、かえって長生きするということがあります。

私は子供の頃から喘息を持っていたが、ずっと放置していた。2010年に入院してからは定期的に病院に通うようになった。

当時は、医療費は全額公費でをまかなってもらっていた。現在は、6000円を超える医療費を公費で援助してもらっている。

ここ一週間、喉が傷んで声が枯れている。声枯れは喘息を連れて来て、弱い喘息発作が出た。

私は、喘息のお陰で一病息災だ。

定期的に病院に行って検査を受けるので、病気を早期発見できる体制になっているし、健康に人一倍気をつけている。

改めて、すべてのことに感謝し、生きていきたい。

外の暑さも感謝している。しかし、クーラーにはもっと感謝している。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(ローマ8:28)

ここに、すべてのことを感謝する理由が明確に書かれている。

感謝に生きよう。

オウム真理教の麻原が処刑されたことで、尊師のマーチが再び話題になっているらしい。

「尊師 尊師 尊師 尊師 尊師 麻原尊師」

私は、感謝マーチを歌いたい。

「感謝 感謝 感謝 感謝 感謝 すべてに感謝」と。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月14日(土)07時25分16秒
  「笑う理由」

今多くの人が、対人恐怖や引きこもり、うつ病などで精神的に苦しんでいます。

ある医学博士は、「精神病の一番の治療方は笑うことだ」と言いました。笑うと交感神経と副交感神経のバランスが取れるようになり、自律神経が正常になって心は正常になるそうです。

今日、精神的に苦しんでいる人がいたら笑ったらいいということですね。

どんな時にも笑って生きられたらいい心は健康になり、人生は幸福になりますが、現実はそう甘くはありません。

今さっきまで笑っていたのに、今は、誰かから言われた一言で重く暗い気持ちになってしまうことがあります。

しかし、笑うのは感情がうれしい時だけ笑うのではありません。つらく悲しい時にも笑うことを意思で選ぶことができます。今、とても笑える状態でなかったとしても、心が傷つき、涙が溢れていても、笑ってみませんか。

今の現状と笑いには距離を感じるかも知れません。しかし、笑いはじめたら、心からの笑いに一歩近づけるのです。

私は、笑いの引き金は、現状の気持ちをありのまま神に祈ることから始めます。しかし、それでも気持ちは晴れず、この苦しい気持ちは解決できないだろうと感じたとしても、イエスさまの十字架を見上げていると、徐々に心がいやされ、喜びが湧き上がり、最後は笑いに変わります。

気がついたら、心の底から笑いが溢れています。

感情が笑えないだけで、笑う理由はいくらでもあります。私が神によって造られ、愛され、生かされ、天国に行けること。これを本気で信じたら、こんな幸せなことはありません。これだけで十分に笑える理由があるのです。

今日、笑いながら一日を過ごしませんか? 「笑う門には福きたる」と言われるように、笑うあなたのもとにたくさんの幸せが訪れると信じます。

「最後に、私の兄弟たち。主にあって喜びなさい。」(ピリピ3章1節)
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月14日(土)00時32分56秒
  「山手線一周路傍伝道の旅 目黒駅伝道」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/7/13(金)【1180】」

今日は、賛美チームみんなの声がかれていたり、声が出なかったりして、苦戦の状態からスタートしましたが、途中から流れが変わり、肉体的には声が出ないはずなのに、いつの間にか聖霊の力によってみんなで声を出して歌うことができました。バス停が目の前にあるため、数分間立ち止まってくれる聴衆に歌と講演によってメッセージを伝えることができました。新しい参加者が二人来られました。力強い助っ人でした。私たちの伝道を立ち止まって聞いてくれている人が何人もいました。献金をしてくれる人がたくさんいたことも印象的でした。中には、小学一年生や幼稚園の子などもいました。かわいいゲスト聴衆に思わず笑顔になりました。今日から、四人の世話人が役割分担をするようにしました。①ディレクター(司会進行) ②アシスタント・ディレクター(舞台監督) ③ゼネラル・マネージャー(総務・人事) ④パブリック・リレーション・マネージャー(広報)また、賛美チームが少しずつレベルアップして来ました。歌、ギター、キーボード、パーカッションなどです。みんなが一つになれました。最高の喜びと祝福がありました。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月13日(金)14時12分49秒
  「ワクワク折込中」
《Now watching 816》

今晩6時半からJR目黒駅で路傍伝道をします。歌、ギター、キーボード、パーカッションなどの賛美チームのほかに、チラシ配布チームが伝道チラシを手渡します。毎回たくさんのチラシを配るので準備にアップアップ気味。しかし、ワクワクしながら準備しています。一緒に伝道する人を募集しています。聖書は語ります。「収穫は多いが、働き手が少ない。」(マタイの福音書9章37節)と。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月13日(金)12時40分9秒
  「新しいiPhoneケースにしたが・・・」
《Now watching 815》

スマホのケースは、大事に使っていても、1年から1年半でガタが来てしまう。そんな時、新古で50円でiPhone6用のケースを買ってしまった! どうしよう。このまま使い続けるべきか、やはり、オタクと思われそうなので変えるか、考え中。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月13日(金)11時15分35秒
  「あれから10年」
《Now watching 814》

渡辺美里の「10years」という曲に、「あれから10年も この先10年も」という歌詞がある。

神学大学院の卒業式と学位授与式から10年。「10年ひと昔」と言われますが、10歳歳を重ねたというだけではなく、とても中身のある10年でした。この先10年も大切に、そして、楽しみながら生きていきたいです。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月13日(金)02時12分8秒
  「暑中見舞い」

今年も暑い夏がやって来ました。夏生まれなので夏が大好きですが、夏のクーラーと夏に食べるそうめん、そして、アイスクリームが一番大好きです。

西日本豪雨の被災地の方々のことも祈りの中にあります。日本全国、世界各地に住んでいるお友達の上に、神様の守りと祝福がありますようにお祈りいたします。

夏バテ、熱中症、脱水症、日焼け等に気をつけて、素晴らしい夏を満喫し、お楽しみ下さい。

2018年夏 暑中見舞い  菅野直基
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月12日(木)17時58分48秒
編集済
  「今あるものに感謝」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/7/12(木)【1179】」

車は、ただでさえエンジンを冷やしながら走っているのに、この暑い夏に車内までも冷やしながら走ってくれることにありがたいなと感じます。

3500ccのエルグランド燃費は良くない。通常エアコンを使わないで走って1リットルのガソリンで町中を4km~5kmくらい走るが、エアコンを使うと、一リットルのガソリンで町中で3km~4kmくらいしか走ってくれない。

ハイブリッドカーが1リットルのガソリンで20km~26km走ることを考えると、いささか時代錯誤のように感じる。

しかしだからといって、即燃費のいいハイブリッドカーに買い換えるというのも知恵がない。

ハイブリッドカーのガソリン代が安くなる分車両本体の値段が高いからだ。元が取れるのは、おおよそ10万km走った頃だそうだ。

むしろ、今ある車に感謝しながら大事に乗っていた方がお金もかからないし、もしかしたら地球にとってもエコなのではないかと感じる。

携帯の会社が2年縛りをすることで、スマホを2年で買い換える動きがあったが、最近ではそれが延びて平均4.4年になったという。

車も、10年10万kmという言葉があるが、1992年当時では平均6.1年で買い換えていたのが、最近では平均8.8年に延びている。

タクシーは50万kmくらい走るし、大型トラックやバスは100万km走るのも珍しくはないです。

自家用車は、ある程度で壊れるようにできているとも言われますが、10年10万km走ってもまだまだ走ってくれるはず。

自転車は新車で買って10年、バイクは中古車で買って6年、車は中古車で買って8年使っていますが、危なくない範囲で壊れるまで乗りたいと思います。

それは、死ぬまで生きるということと似ています。

もちろん、大切な人を乗せることもありますし、走行中に突然壊れてしまったら困るので、メンテナンスをすることは必要ですが、今ある乗り物に感謝しながら、乗り続けたいと思います。

必要なものがあったら買う。しかし、古くても使えるならば感謝して使い続けたいと思います。

自転車も、バイクも、車も、私のために一生懸命動いてくれるので、「がんばってくれてありがとう」と言いたくなることもあります。

今あるものを大切に、感謝しながら使っていけたら、それこそが節約であり、ひいてはエコにつながるのではないかと思います。

ギターも長持ちしてくれるし、神を賛美するために良く鳴ってくれるので感謝です。

「乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。」(ピリピ4:11~12)

「満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。」(第一テモテ6:6~8)

「金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。『わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。』」(ヘブル13:5)

この後もステキな時間をお過ごしください。
 

ご無礼ながら、投稿させて頂きます

 投稿者:V.T.Marrjskaja  投稿日:2018年 7月12日(木)12時46分16秒
  ホームページを拝見しました。説教をとても楽しみにしてます。近くなら間近でお話を聞けたらと思いますが、あいにく遠方なので残念です。しかし、文章だけでもとてもよく伝わりますので勉強になります。  

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月12日(木)07時11分37秒
  「人を批判する習慣を断つ」

人を批判するのは鬱憤やストレスの解消になるし、容易に優越感に浸ることができるし、一時的には楽しいものです。しかし、危険な娯楽です。

人を批判する習性はすぐに習慣となり、ほどなくして友人を失い、敵を作ることになります。

マタイの福音書7章1節~2節には、「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。」と書かれています。

人を批判する習慣は恐ろしいもので、徐々にエスカレートしていき、必ず誰かをスケープゴートに祭り上げないと気がすまなくなり、標的がいなくなると、自分自身を批判するようになります。

最後は、自分が自分の敵となり、自分の中で戦争がはじまり、周囲をその戦争に巻き込んでいくことになります。

こういう心の状態だと心の病となり、引きこもったり、アルコールや脱法ハーブ中毒になったり、犯罪を犯したり、自殺をしたり、人を傷つけることに発展してしまいます。

人を批判することは、自分の首を絞めることにつながります。

人を批判する習慣を断つならば、そこからすべての好循環がはじまります。

心の病が緩和され、ある人はうつ病などの病がいやされたり、様々な中毒から解放され、生きる希望と力にあふれることでしょう。

人を批判する習慣を断つとは人を赦し、受け入れ、愛することです。

人を赦すためには、自分を造られた神様から赦され、受け入れられ、愛される経験が必要です。

神は、罪を裁く正義のお方なので、人の罪を見過ごしにできません。しかし神は愛のお方です。だから、あなたを裁く代わりに、一人子イエス・キリストを十字架につけて裁かれました。キリストは死んで墓に葬られ、三日目によみがえられました。キリストを信じるなら、罪が赦され、神に受け入れられ、神の愛を一身に受けることができます。

あなたのルーツは神からはじまっています。神との関係が回復されたら、そこから自分自身の心の中に平和が与えられ、人を批判する習慣が絶たれます。

人を批判しなくなる分幸せになり、人生が祝福され豊かになります。

素晴らしい一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月12日(木)00時58分11秒
  「食事は大切ですね」
《Now watching 813》

まだのどの調子は治りませんが、祈り、賛美をして元気になりました。夜の食事は、ジョナサンの厚切り!やわらかひれかつ膳。元気になりました。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月11日(水)09時45分37秒
  「愛されたいシンドロームからの解放」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/7/11(水)【1178】」

「愛されたい」と願いは誰もが持っている当たり前の感情ではないでしょうか。

しかし、その思いが強くなり過ぎると病的になり、「愛されたいシンドローム」になり、自分を苦しめ、周りの人を苦しめることになります。

「僕(私)を見て!」
「スゴイでしょ!?」
「僕(私)を愛して!」
「もっとわかるように愛して!」

常に「愛されている」という実感が得られないと不安になります。

そして、とても寂しがり屋です。

自分を愛してくれる人がいないと、「僕(私)って必要がない人間なのかな?」と不安になってしまいます。

誰かから愛されることによって、「自分の価値を認めてほしい!」という強い承認欲求が根っこにあるのです。

①条件付の愛によって育てられた

親は子に、「このような子どもになってほしい!」という理想を持っています。願った通りの状態だとほめますが、願った通りでないとほめません。

その結果、「何とか親の期待に答えなければならない!」という気持ちになり、「親に愛されたい!」しかし、「期待に答えないと愛されない!」。そして、親の期待に答えきれないため、「僕(私)には価値がなんだ!」と考えるようになります。

②親の虐待や育児放棄によって愛情を得られなかった

誰もが、「ありのままの自分で愛されたい!」という願いを持っていますが、愛情を受けられないと、「それは叶わないものだ!」とどこかであきらめつつも、親から愛されなかった分、「愛されたい!」という気持ちが暴走して、「愛されたいシンドローム」になってしまいます。

③低い自己像

自分に対するイメージが低いと、自分を愛せないので、誰かから愛されることによって自分を愛そうとします。

「愛されたい!」という強い欲求が出て来て「愛されたシンドローム」になっていきます。

誰かからの愛を受けることで、「存在していいのだろうか?」「必要な人間なのだろうか?」と、その疑念を払拭してもらいたいのです。

愛を受けることで、「自分には価値があるんだ!」と実感して、安心するのです。

④愛するよりも「愛されたい!」

「愛されたい」気持ちが強いからといって、「愛されたいシンドローム」になるとは限りません。しかし、「愛されたい!」という気持ちが強くなればなるほど、その必死さが自己中心な形で現れ、相手のことを考えないで自分の事ばかりに固執する行動に現れてしまいます。

人はドン引きし、離れていきます。

さらに「愛されたい!」ともがき、人が離れてしまうので、悪循環のサークルにはまってしまいます。

⑤「捨てられるのではないか?!」という恐怖心

人間関係には相性の良し悪しがあります。万人から愛されるということは不可能です。

「愛されたいシンドローム」の人は、誰かに嫌われると、「自分は価値のない人間だ!」と考えてしまいます。

「捨てられたくない!」という強い願いと、「捨てられるかもしれない!?」という強い恐怖心が心を支配し、「愛されたいシンドローム」になってしまいます。

では、「愛されたいシンドローム」から解放される方法はあるでしょうか?

「神の愛を信じ、受け入れる」ことです。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

神の愛は、無条件であり、一方的です。

「愛されたいシンドローム」を神に向けていくならば、それが一気に満たされ、解決し、いやされていきます。

神が僕(私)を愛しておられる事実を認め、受け入れることによって、健全な自己像が解決して、健全に自分を愛せるようになります。

自分を愛するとは、「ナルシスト」と紙一重ですが、ナルシストは自分を愛せないで苦しみもがいている状態です。

自分を愛するとは、神の目に映る自分を受け入れ、神が僕(私)を見て下さるのと同じように自分を見、扱うことです。

これで、【③の低い自己像】が解決します。

【⑤の「捨てられるのではないか!?」という恐怖】は、神の愛を知らなければ持って当然です。

「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」 (ヘブル13:5)
「わたしはあなたがたを捨てて孤児にはしません。」(ヨハネ14:18)

神だけが、無条件の愛を持っておられます。

神を信じないある人が、「聖書の神の愛は無条件ではなく、条件付だ! なぜならば、信じなければいけないからだ!」と自信たっぷりに文句を言って来ました。

しかし、「信じる」とは、神が差し伸べた愛の手を無理やり押し付ける行為ではなく、自由意志を尊重した行為なのです。

神は、あなたを決して捨てることはありません。そして、愛の手をあなたに差し伸べておられます。

その神の手を握ることが「信じる」ことなのです。

そこに「捨てられるのではないか!?」という恐怖心からの解放があります。

【①条件付の愛によって育てられた】
【②親の虐待や育児放棄によって愛情を得られなかった】

親もその親の子です。親の愛を受けられなかったのかも知れません。親を許して下さい。

親から受けられなかった愛は、神によって受け直すことができます。

愛を十分に受けられなかった人は、強い自己中心な生き方をしてしまいます。

人の話に耳を傾けられないし、自分の事しか考えられません。

しかし、神の愛を受け入れ、味わい、体験する時に、人は変わっていきます。

【④愛するよりも「愛されたい!」】人は、十分な愛を受けていないから、愛する力がないのです。

しかし、神の愛は、「これでもか!?」という無限の愛です。

この愛で満たされたならば、受けた愛によって、愛することができるようになります。

愛することで、愛する痛みを感じても、神の愛の偉大さに感動しますし、何よりも、愛すると喜びで満たされます。

これが好循環になり、いつしか、「愛されたいシンドローム」はいやされ、人を愛する人に変えられます。

「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)

神の愛がすべての人の心を満たし、解放し、自由にします。

この神の愛に生きていきましょう!
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月11日(水)08時00分51秒
  「ほめ言葉が人を生かす」

一人の女性歌手が、その昔、歌の先生から批判されて、失望落胆し、ついに歌うことをやめてしまいました。

それから、何もかも自信を失い。人生を放棄しかけていました。

ある日、一人の男性から声をかけられ、やがてプロポーズされました。この男性は、女性がかつて歌好きで、歌手を志していたことを聞いてからは、「君の歌声が聞きたいんだよ。僕に聞かせておくれ」といいました。

少しメロディーを口ずさむと、「君の歌は世界一だよ。もっと歌ってくれよ」とほめました。

女性は、男性からのほめ言葉を聞き続けるうちに、だんだん自信を回復して、やがて2人は結婚をし、女性は歌手として大きな成功を収めました。

心からのほめ言葉は、人を生かし、その人の才能以上の力と成果を引き出すものです。

自分の子どもに対し、部下や同僚に対し、後輩や友だちに対して、もっとほめ言葉を使ってみませんか。

私の今日があるのは、私をほめてくれた人が少数だったけど周囲にいてくれたことです。それをどれだけ感謝しているでしょう。

何より、神様はほめ上手です。失敗や罪を赦して下さり、良い点、得意なもの、ちょっとした成果をほめて下さり、それを伸ばし、豊かにして下さいます。仮に人がほめてくれなくても大丈夫。神様はあなたを知っておられ、あなたをほめて下さっています。

最後に、旧約聖書の「雅歌2章10節~15節」の言葉を引用します。神様があなたに向かって語られる愛の言葉として受け止めて下さい。

10 私の愛する方は、私に語りかけて言われます。「わが愛する者、美しいひとよ。さあ、立って、出ておいで。

11 ほら、冬は過ぎ去り、大雨も通り過ぎて行った。

12 地には花が咲き乱れ、歌の季節がやって来た。山鳩の声が、私たちの国に聞こえる。

13 いちじくの木は実をならせ、ぶどうの木は、花をつけてかおりを放つ。わが愛する者、美しいひとよ。さあ、立って、出ておいで。

14 岩の裂け目、がけの隠れ場にいる私の鳩よ。私に、顔を見せておくれ。あなたの声を聞かせておくれ。あなたの声は愛らしく、あなたの顔は美しい。

15 『私たちのために、ぶどう畑を荒らす狐や小狐を捕らえておくれ。』私たちのぶどう畑は花盛りだから。」

西日本豪雨で甚大な被害が出ています。多くの人たちの助け合いがなされています。人生の中で問題の豪雨がやって来た時、互いに助け合い、支え合い、ほめ言葉をかけ合っていきたいですね。

素敵な一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月10日(火)22時05分37秒
  「神様ありがとう。救助に関わってくれた人にありがとう」
《Now watching 812》

タイの洞窟に閉じ込められていた少年たちが無事に救出された。

「どうなってしまうのだろう?」と心臓が苦しくなりながら神に祈った。

亡くなったダイバーもいる中、いのちをかけて救出に関わってくれた方々に感謝を申し上げたい。

神様が助けて下さり、勇敢な人たちを用いて助けの手を差し伸べて下さって感謝でいっぱいです。

「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。」(詩篇121篇1~2節)
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月10日(火)13時20分45秒
  「自分だけは大丈夫? 率先して避難者たれ!」
《Now watching 811》

防災士の勉強をする中で、人は「自分だけは大丈夫」だと思う存在だと実際のデータを通して教えられました。

物事を深刻に捉えすぎのも問題ですか、根拠のない楽観主義も困ったものです。

「死になしない。大丈夫だ!」と根拠のない楽観主義のお父さんを、息子が諭した。

「早よ逃げよ。みんな避難してるじゃけん。みんなと違う行動をするのが一番危ないやけん!」と。

生放送のテレビに長い時間出演して、その時の生々しい様子を語った。

私たちも「自分だけは大丈夫!」という根拠のない楽観主義を持っているのではないだろうか?!

自然災害が起こったら、率先して避難者になりたいものです。

避難を促すサイレンがなってから、誤報であると感じて、平均20秒以上誰も行動を起こさないという統計があります。

しかし、1人が避難すると、その行動につられてすぐ様たくさんの人が避難します。

私たちは、率先して避難者でありたいです。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月10日(火)12時08分37秒
  「地震・雷・火事・親父・永遠に備えよ」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/7/10(火)【1177】」

「地震・雷・火事・親父」とは、恐いものを「7・5調」に並べて言ったものですが、日本は自然豊かでありますが、多様な自然災害に見舞われる可能性があることを改めて感じます。

東日本大震災では、下からは地震、横からは津波、上からは放射能汚染の三重苦に見舞われました。

このたびの「西日本豪雨」は、120人を越える尊いいのちが失われました。鉄道などの交通インフラが被害を受けて物流網が寸断され、工場停止、コンビニ休業に追い込まれていて、復旧・復興のめどが経っていません。

消防団員として、防災士としてだけではなく、一人の人間として何かお役に立てないだろうかと心痛めながら祈っています。

台風接近などの影響があると思いますが、私自身も喘息発作と喉の声枯れで声が出せず、体がだるくて調子が良くないので、今朝は病院に行って薬をもらって来ました。

喘息の薬は振る装備で持っているので、漢方の「ツムラ138桔梗湯」をもらって来ました。その薬をもらうために2時間半も待たされたというか、時間が与えられたので、聖書を30章読むことができました。

「自助・共助・公助」と言われますが、まずは自分が健康にならなくてはいけません。

聖書を読むことで心が健康になり、元気になります。

祈ること、そして、必要に応じて薬を飲むなどして体の健康を回復させる。まずは自助。

地震でも、台風でも、豪雨でも、まず自分が助かることで、人に助けてもらう必要がないばかりか、人を助けることができるようになります。

互いに助け合う共助が成り立ちます。

順番的には最後になりますが、公助も大きな助けを与えてくれます。しかし、これはある程度時間が経過してからでないと助けはやってきません。

公務員も同じ人間です。自分が被害に合うこともあるし、家族が被害を受けることもあり、公助をすることも間々成らないこともあります。

首都直下地震、南海トラフ地震をはじめ、スーパー台風、たつ巻、火山の噴火、集中豪雨など、多様な自然災害が起こる可能性があります。

まずは、備えることです。それが今できる最善のことです。

備えた上で、神に祈り、神に委ねることです。

聖書には、「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル9:27)と書かれています。

これはおどしではなく、実際の事なのです。

先日は、オウム真理教の幹部たちが処刑されましたが、オウムは宗教というよりカルトであり、犯罪集団です。

おどしはカルト宗教の常套手段です。

先祖の呪いや祟り、因果応報を語り、そこから救われるために、お布施を求めたり、出家や修行を強要します。

しかし聖書は、事実を語り、その解決策として、「イエス様があなたの罪のために十字架で死なれ、墓に葬られ、三日目によみがえられた。信じるだけで救われる」と教えます。

聖書は、死後のさばきを語り、「そのさばきの日に備えよ」と語ります。

「イスラエル、あなたはあなたの神に会う備えをせよ。」(アモス4:12)

備えは、備えができる今しましょう。

「確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。」(第二コリント6:2)

その備えができたら自助は完成します。

その次は共助です。

「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16:15)

私は、その共助のために、今日も、明日も、明後日も、この地上に生きている限り生きていきたいです。

イエス様は、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」と教えられました。

できることを、できる時にしていきましょう。

そのようにして、私たちは、天国への旅路を生きて行くのです。

この後もステキな時間でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月10日(火)08時37分1秒
  「神と私の関係 ~『ぶどうの木と枝』~」

イエス・キリストは、「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」(ヨハネ15:5)と語りました。

「神」と人類の祖先「アダムとエバ夫妻」の関係は、「ぶどうの木と枝」のように一体の関係でした。

アダムとエバが犯した罪は、神から自分自身を切り離して、自分中心で、自分だけで生きて行く生き方を選びました。

結果、切り離された枝がやがて枯れてしまうように、人類に死が入りました。

「りんごの種をまく」と「りんごが生える」ように、「罪人の種」を持った全人類は、生まれながら「罪人」としてこの世に誕生しました。私たちも例外ではありません。

人類は、アダムとエバの罪の結果、やがて死ぬべき存在です。もし、アダムとエバが神から離れる罪を犯さなかったら、人は永遠に生きることができたのです。悲しいです。

しかし、私たち人類を救うために、神は、2015年前に一人子イエス・キリストをこの地上に送られ、十字架で私たちの罪の贖いをされ、死んで復活されました。信じるだけで救われる道を開いて下さいました。

キリストを信じるなら、「ぶどうの木と枝」のように、「キリストと私たち」が一体になり、罪が赦され、神の子となり、永遠の命を得て、天国に入ることができます。

神を信じる人生は、「ぶどうの木と枝」のように、「神と一体」になります。何と豊かで素晴らしい人生でしょうか。

キリスト教とは、「宗教」ではありません。「神との関係」で生きる生き方です。

神とは、私たちを造り、愛しておられる天の父です。あなたは、天の父と「ぶどうの木と枝」のように、親密な関係で生きておられますか?

神はあなたを待っておられます。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)

神と共にステキな一日をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月 9日(月)08時19分33秒
編集済
  「鳥(とり)と烏(カラス)と私」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/7/9(月)【1176】」

教会にいると、最近キレイな声の鳥(とり)が来て鳴いてくれている。

とても良い気持ちになる。

都内だと、烏(カラス)が飛んで来て、「カー、カー」と鳴くことがある。

なぜか良い気持ちにならない。

鳥(とり)はキレイな鳴き声を通して、さわやかな気持ちにさせてくれる。

烏(カラス)はしゃがれた声のせいなのか、ゴミをあさり、奪っていくから嫌な気持ちになるのだろうか。

旧約聖書に出て来る預言者エリヤは、烏(カラス)に養われた。

烏(カラス)は奪うことはあっても、与えることはまずないイメージがある。

烏(カラス)は、エリヤのために食べ物を咥えて運んで来た。

途中、「カー」と鳴きたくたくなったらどうなるのだろう。咥えていた食べ物を落としてしまうことだろう。

神は、そんな烏(カラス)を使って、人を養わせた。ユニークであり、すごい。

『ギルアデのティシュベの出のティシュベ人エリヤはアハブに言った。「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによらなければ、ここ二、三年の間は露も雨も降らないであろう。」それから、彼に次のような主のことばがあった。「ここを去って東へ向かい、ヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに身を隠せ。そして、その川の水を飲まなければならない。わたしは烏に、そこであなたを養うように命じた。」それで、彼は行って、主のことばのとおりにした。すなわち、彼はヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに行って住んだ。幾羽かの烏が、朝になると彼のところにパンと肉とを運んで来、また、夕方になるとパンと肉とを運んで来た。彼はその川から水を飲んだ。』(列王記 第一17章1~6節)

私は、昨日から声が枯れてしまって、今朝のPTAの交通当番を妻に代わってもらった。

鳥(とり)の鳴き声を聴きながら、自由に声を出せるのは恵みだなと感じる。

烏(カラス)のような声でもいいから自由に話したい。歌いたい。語りたい。伝道したい。

少し声を休めたい。普段声を発せられることに感謝したい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月 9日(月)07時00分14秒
  「試練はあなたをグレードアップさせる」

あなたの人生に試練がありますか? 今、試練の中にいなくても、過去に試練を経験したことがあるはずですし、未来に試練は必ずやって来ます。

試練はなぜやって来るのでしょうか?

① 因果応報のため?
② 運が悪かったから?

聖書は、次のように語ります。

① 訓練のため
② 平安な義の実を結ばせるため

「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。」(ヘブル人への手紙12:11)

試練を喜ぶ人はまずいません。

聖書は、「試練を喜びなさい」と語ります。試練には目的があるからです。

「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰が試されると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」(ヤコブ書1:2~4)

1つ目の聖書の言葉には、試練は、
①訓練のため
②平安な義の実を結ばせるためとあります。

2つ目の聖書の言葉には、試練は、
①忍耐が身につき
②忍耐を働かせると、「何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な人になる」とあります。

試練は「うれしい!」と感じるものではありません。試練とは、思い通りに行かない経験だからです。

しかし、試練によってより良い自分自身に成長できるとしたら、試練は祝福となります。

そうだとしたら、試練がないことは悲しむべきことかも知れません。試練がないと、人は楽な方に楽な方に進み、堕落し、腐ってしまいやすいのです。

権力者が既得権の上にあぐらをかいていることは、世界中どこででも見られる光景です。

試練に会うと、人は目を覚まし、真剣になり、堕落した歩みを捨て、あるべき姿に立ち戻るチャンスに直面できます。

試練を毛嫌いせず、感謝して受け止めましょう。人はどこからでもやり直せるし、人は無限に成長できるからです。

また、試練を経験した人は、人の痛みや悲しみが実感としてわかるようになり、同じような痛みや悲しみを経験している人に同情することができ、慰め、助けることができます。

「主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。」(ヘブル書2:18)

キリストは、人が味わう可能性のあるすべての喜怒哀楽を先に体験されたので、私たちのどんな苦しみや悲しみをも理解し、慰め、助けることができます。今日、キリストのもとに行って、「私を助けて下さい」と祈りませんか?

最後に、あなたは試練を経験し、キリストの助けによって乗り越えることができた人ですので、同じような苦しみの中にある人を助けることができるはずです。

世の中には、顔で笑っていても、心で泣いている人がたくさんいます。人から羨ましがられるような生き方をしている人が、「死にたい!」と思っていることもあります。

神様は、あなたを通して、苦しみ、悲しみの中にある人を助けたいと願っています。

神の手となり、足となり、心となり、口となり、人を慰め、友なきものの友となり、支え、助ける人になりませんか?

試練はあなたをグレードアップさせ、祝福します。あなたは祝福された人です。

素晴らしい一日でありますようにお祈りいたします。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月 8日(日)19時05分6秒
  「教会員と久しぶりの再会」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/7/8(日)【1175】」

数年間教会員として教会生活を一緒にした主にある兄弟が朝一番の礼拝に来て、夜までずっと教会にいてくれました。

「来てくれてありがとう」

教会は、存在しているだけで喜び合い、祝福し合います。

神の家族が与えられて神様に感謝致します。

日曜日は特に幸せを感じます。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月 8日(日)07時08分29秒
  「受ける人生と、受けて与える人生」

中東のイスラエル周辺は聖書の舞台となった場所です。イスラエルには、ガリラヤ湖と死海という代表的な湖があります。二つの湖は、それぞれ同じ水源なのに、一方のガリラヤ湖は多数の魚が生息し、豊かな自然の宝庫です。もう一方の死海は魚一匹泳いでいないし、周囲には荒れ果てた荒野が広がっています。何が違うのでしょうか?

ガリラヤ湖は、ヘルモン山から流れ込んで受けた水を、ヨルダン川に流し出しています。つまり、受けて、与えています。

死海は、ガリラヤ湖からヨルダン川を経由して流れた水を受けますが、湖面の海抜はマイナス418mなので、それ以上低い場所がありません。地球のおへそです。行き止まりなので、それ以上水を流し出す場所がありません。受けるのみです。

結果、ガリラヤ湖は、水の循環があり命に満ち溢れています。死海は、流れこんだ水の水分が少しづつ蒸発するので、塩分が30%と濃く、命が生息することはできません。

この二つの湖は、神様が実物教育の視聴覚教材として作られたとしか思えないほど大切なことを教えてくれます。

受けるだけの生き方の人は、死海のように命や実りのない状態になってしまいます。

不思議に思うことは、受けるばっかりで与えない人は、損をしないので豊かになるはずですが、口から出てくる言葉に感謝は少なく、不満や不足を訴えますし、喜びがありません。さらに、人から好かれず、うだつの上がらない生き方に終始してしまう人が多いようです。

しかし、受けると同時に、与える人がいます。それはお金や物だけではなく、自分の時間、受けて学んだノウハウ、知恵、愛の言葉、笑顔、親切など、自分の持っている良いものを豊かに与える人は、口から出てくる言葉に感謝が多く、喜びに溢れ、人から好かれ、何をしてもうまく行きます。

「主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出しなさい」(使徒の働き20:35)

与えると、物理的に持っているものが減ってしまうはずですが、なぜ与えることが幸いなのでしょうか?

①与える心は豊か
②与えて相手が喜ぶ顔を見てうれしくなる
③与えて受け取った相手から何かが帰ってくることでさらにうれしい
④受けた人は与えた人にお恩返しをしたくなるので、与えた人が貧しいままでいることはない
⑤受けた人は与えた人に好意を抱き、成功のチャンスを与えたくなる

与えないと、物理的に持っているものは減らず、増える一方なのに、幸いではないのでしょうか?

①与えない心は貧しい
②与えないので相手が喜ぶ顔を見る機会が少ない
③与えないので、相手から何かが帰ってくることが少ない
④手は、与えない人が困っている姿を見ても助けてくれることは希
⑤相手は、与えない人に好意を抱きにくく、成功のチャンスも逃げてしまう

あなたはガリラヤ湖的な、受けて与える人生を生きていますか? それとも、死海的な、受けるだけに徹した人生を生きていますか?

与えない人は、今貧しいことが理由かも知れません。あるいは、豊かにもらった経験がないかも知れません。

神は、あなたに豊かに与えて下さる方です。神から豊かに豊かに受けて、同時に、神と人に豊かに与えていく人生を歩んでみませんか?

「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」(ローマ人への手紙8:32)

「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」(ルカの福音書6:38)

私は、毎日みなさんに笑顔で喜びと希望のメッセージを分かち合うことができるので幸せです。

最後に、ガリラヤ湖的生き方が良くて、死海的生き方が悪いようなイメージで終わってしまったら、聖書の福音ではなく、因果応報の宗教の話になってしまいますが、結論部分に福音があります。

死海は、受けるだけで、受けて、受けて、受け続けて、命はないけれど宝の海(湖)になりました。塩分が濃く、沈むことができません。浮いてしまうのです。死海は現在観光地の一つです。また死海の成分から様々な製品が作られて、国の収入源となっています。

神様は、受けて与える人生の素晴らしさを教えると同時に、受けるだけの人生も、命の豊かさがないけれど、違う祝福を下さっているんだなーと思います。神様はすべての人を愛しておられます。

今日も喜びに溢れた一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月 7日(土)23時48分11秒
編集済
  「御茶ノ水路傍伝道+賛美集会+誕プレ」
《Now watching 810》

第10回賛美集会の前に、御茶ノ水駅前で路上ライブを通して路傍伝道をしました。御茶ノ水クリスチャンセンターがすぐ近くにあるため、知り合いのクリスチャンが何人も通りかかり、手を振ってくれたり、笑顔を見せてくれました。駅前が教会であると錯覚するほど心から神を礼拝し、伝道しました。続いて、御茶ノ水クリスチャンセンターに移動して、賛美集会を行いました。1時間30分賛美歌を歌い、20分聖書メッセージ、20分一人ひとりが祈りました。とても充実した時間でした。最後に記念撮影しました。別れ際に、一人の参加者から、「誕プレです」と袋を手渡されましたが、一瞬、「えっ!?誕プレ?」と聞き返したら、「誕生日プレゼントです」と言われて、とてもうれしい気持ちになりました。さらに、もう一人の参加者から、「今日は何でも好きなものを食べて下さい。誕生日プレゼントとしてごちそうします」と言って下さったので、ヒレカツを頂きました。こういう素敵な仲間たちと一緒に活動ができることを神様に感謝しました。私としては、活動に参加してくれるだけでうれしいし、そこにいてくれるだけで何もいらないくらいうれしいのに、その上、心使いをしてくれる仲間が与えられて、神様からの最高のプレゼントだと思います。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月 7日(土)11時33分47秒
  「改めて、そこにいてくれてありがとう」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/7/7(土)【1174】」

昨日は、誕生日を覚えて下さり、祝福して下さりありがとうございました。とてもうれしく幸せな一日でした。

世の中は、行為による価値が重んじられます。

何ができるか、できないか。
どんなことに役に立つのかなどです。

有名な人か、特別な関係のある人でなければ、そこにいるだけで「ありがとう」と言ってもらえることはそうありません。

誕生日を祝うとは、「生まれて来てくれてありがとう」と、行為の価値、何ができるかできないか以前の存在価値を認め、肯定することです。

そのように、お互いの存在価値を認め、肯定し、感謝しながら生きていけたら、どれだけ居心地のいい場所になるでしょうか。

ネットを通して出会う皆様、そこにいてくれてありがとうございます。

あなたがそこにいてくれるので私は祝福されています。

改めて、ありがとうございます。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月 7日(土)08時37分54秒
  「どうにもならないことは忘れよう」

ドイツのことわざに、「どうにもならないことは、忘れることが幸福だ」という言葉があります。

「どうにもならないこと」とは、変えられないことです。

変えられないことをくよくよ考えたり、変えようとしても解決のない悩みを悩み続けることになります。

聖書には、「あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その一日だけで十分である」と書かれています。

つまり、過ぎ去った過去、まだ来ない未来を悩むことをやめ、悩みは、現在のことで、変えられることに限定して悩んだらどうでしょう。おそらく、悩みは1/10以下になるのではないでしょうか。

しかし、悩まないことと、明日の準備をしないことは全く相反することです。ことわざに、「備えあれば憂いなし」という言葉があります。

明日のことを悩まないけれど、明日のための備えは大切です。明日に対して希望を持ち、ワクワクしながら備え、期待する心を持って生きていきましょう。

ステキな週末をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月 6日(金)23時04分31秒
  今日は  

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月 6日(金)21時57分17秒
編集済
  「幸せ」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/7/6(金)【1173】」

本当は毎日が特別な日なのに、特別な日だと自覚して生きたので、幸せを深く味わうことができました。

教団の牧師会があり、一緒に語り合いました。閉会前にハッピーバースデーを歌ってもらいました。心が温まりました。

ビルウイルソン 牧師の集会に参加し、賛美の奉仕をしました。たくさんの再会をしました。元気をもらいました。

今日は早く帰宅したので、妻とゆっくり時間を過ごそうと思います。

「その道は楽しい道であり、その通り道はみな平安である。」(箴言3章17節)

幸せって、普通の平凡な日常の中に散りばめられているんですね。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月 6日(金)00時36分41秒
  「『47歳』&『結婚21周年』今日まで守られて感謝」

今日7月6日は私の誕生日です。誕生日は、神様が命を与え、この世に生まれさせてくださった日です。この日を迎えるたびに、神が小さな私(体は大きいですが)を生かして下さり、守って下さっていることを思って感謝でいっぱいになります。

また、結婚21周年を迎えました。私にとっては誕生日ですが、妻にとっては結婚記念日です。21年前の7月6日に結婚式と結婚披露宴をしました。暑く長い一日でした。

26歳で伝道師となり、結婚をし、アメリカ留学をし、「人生これからだ!」と思っていました。

30歳で牧師になり、東京の新宿で開拓伝道(0から教会を創立すること)をスタートしました。

ある時、「まもなく47歳になります。あっという間でした!」と話しました。70代後半の方から、「40過ぎたら、70はあっという間だよ!」

実感こもってました。

与えられた今この時、この瞬間に感謝をし、大切に過ごしていきたいと思います。

誕生日メッセージをありがとうございます。

この日を迎えられて幸せです。

神様から与えられた恵みを分かち合っていきたいです。

これからもよろしくお願いします。

『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』(民数記6:24-26)
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月 5日(木)22時26分17秒
  路傍伝道ネットワークチラシ  

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月 5日(木)11時56分1秒
  「希望を捨てないで」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/7/5(木)【1172】」

今どんなに苦しくても、希望を捨てないで下さい。

神は決してあなたを離れず、あなたを見捨てられないからです。

「主ご自身がこう言われるのです。『わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。』」(ヘブル人への手紙13章5節)

「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ローマ人への手紙5章5節)

「あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。」(ペテロの手紙 第一1章21節)

立ち上がり、希望を持って前進しましょう。

改めて、この希望を持って生きていこうと決断したら、心が喜びで溢れています。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月 5日(木)08時48分2秒
  「幸せは思い通りにいかない中にある」

「この人さえいなければ!?」「この夫、この妻さえいなければ!?」「この病気さえなければ!?」「この借金さえなければ!?」「あの上司さえいなければ!?」

思い通りに行かないと、「コレさえなければ幸せなのに!?」と考えてしまうことはないでしょうか。

でも、そう考えている限り、幸せはいつまでたってもあなたのもとには来ません。

モーリス・メーテルリンク (Maurice Maeterlinck, 1862- 1949)作の「青い鳥」は、2人の兄弟であるチルチルとミチルが、幸せの象徴である青い鳥を探しに行くけれど、青い鳥はどこか遠くではなく、最も手近なところにいたというお話です。

本当の幸せは、思い通りに人生がいくところにあるのではなく、「コレさえなければ!?」という、悲しみやつらい経験の中で「すばらしい何か」を見つけ出して行くことにあるのではないでしょうか。

思い通りにいかないできごとは、それを拒絶するためにあるのではなく、それを受け入れるためにあるのです。そこに青い鳥が隠れているからです。

だから、もう、「コレさえなければ!?」と思わないで、「コレ」と共に生きていく人生を選び取っていきましょう。

聖書は、「曲がっていないものを、まっすぐにはできない。なくなっているものを、数えることはできない。」(伝道者の書1:15)と語ります。

曲がっているものを、「まっすぐであればいいのに!?」と考えたり、なくなったものを数えて「ないものねだり」をするのではなく、現状を受け入れ、感謝することです。

そして、現状が完全ではないからこそ、理想を追い求め、希望を持ち、夢を追いかけて行くのです。そして、その人生のプロセスの中に幸せの青い鳥と出会えるはずです。青い鳥は、あなたの最も近くにいるかも知れません。

良い一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月 4日(水)23時54分14秒
  「風を楽しむ」
《Now watching 809》

「風は己が好むところに吹く」と聖書は語りますが、急に突風が吹いて来て車が飛ばされそうくらいでした。台風の影響でしょうか? 楽しみながら運転し帰宅しました。神様がなさることに対しても楽しみ、天国への旅路を感謝しつつ歩みます。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月 4日(水)14時02分59秒
  「神にある人間関係」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/7/3(水)【1171】」

1、人間関係を壊してしまった時

人間関係を築くのは簡単ではないのに、人間関係はいとも簡単に壊れてしまうことがあります。

こちらに悪意があったり、人間関係が壊れても良いと思って関わっているならまだしも、良い関係を築きたいと願っている相手との関係なのに、人間関係がうまくいかないことがあります。

そんな時、第一にすべきことは神に委ねることです。

言い訳をしたり、説得をしたりして、修正しようとしても、かえってうまくいかないものだからです。

次に、神との関係を修復することです。

神との関係が親しくなり、深まると、相手から受けた傷がいやされ、素直で優しい心で接せられるようになります。

さらに、自分は正しいと思っていたのに、自分のこういうところが問題だったと気づいて、相手が心を開いてくれた時には、こちらの心が整えられるため、相手との関係が修復されやすくなります。

その上、神様が直接両者の心に働いて下さり、関係の修復がなされると思います。

2、人間関係が壊れてしまった時

反対に、相手との関係でこちらが傷ついて、相手と距離を置きたくなったような場合には、その感覚を大切にして下さい。

自分を傷つけないための心の免疫機能だからです。

何度も人から騙されて、お金を取られてしまうクリスチャンの女性を知っています。

また、何度も、暴力をふるい、酒を飲み、働かない男と結婚と離婚を繰り返してしまう女性を知っています。

私は、一度傷つけられたら、「こいつには気をつけろ!」としっかりと記憶します。

何度も繰り返し騙されないためです。

ただ、一度そういうことがあっても、その人が変わるかも知れません。

また、今いい人だと感じている人でも、今後、私の敵になるかも知れません。

人は変わる可能性があるのです。

新しく生まれ変わり、人生をやり直すことができるのです。

人間関係は本当に面白いです。

こんなやりがいのあることはありません。

こんなにやりがいのあることを与えて下さった神様に感謝致します。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月 4日(水)08時31分12秒
  「誰のご機嫌取りをするの?」

ストレスがたまりやすい人、肩がこって仕方がない人、胃が痛くなりやすい人、ちゃんと寝ても体の疲れが取れない人はいないでしょうか。

いつも空気を読み、周囲に気を使い、顔色を伺い、機嫌が悪い人のご機嫌取りをしていませんか?

機嫌が悪いのはその人の問題です。

本当にご機嫌取りをしなければいけないは自分自身ではないでしょうか。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(第一テサロニケ5:16~18)

神様が一緒だから、「幸せ!」「満足!」「うれしい!」「ツイてる!(共におられる)」「良いことが起こる!」・・・。

機嫌の悪い人は放っておいて、まずは自分の機嫌を取って下さい。

そうしたら、機嫌が悪い人のために祈ったり、受け止めたり、理解する心のゆとりが生まれてきます。

機嫌が悪い人に調子を合わせて、あなた自身を犠牲にしないで!

あなたは幸せでいていいんです。いつも喜んでいていいんです。

ステキな一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月 3日(火)22時50分35秒
  「生活を分かち合う理由」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/7/3(火)【1170】」

以前教会に通っていた人が、「牧師は平日には一体何をしているのか!」と、尋問するかのように問い詰めて来ました。

礼拝に参加しても、足を組みイスにふんぞり返っているし、自分のためには惜しみなくお金を使うのに、「献金することが惜しいからしない」といいました。

信仰も常識もない人でした。

そんな人に、「牧師は平日に何をしてるのか!?」と聞かれたくないし、聞かれても答える必要はないと感じましたが、祈って思いを変えました。

「なるほど、牧師の姿を一週間に一度しか見ていないのだから、他の一週間24時間をどのように生活をし、仕事をしているのかわからなくて当然だな」と感じました。

私は、聖書を読み、祈り、説教の準備などの日常を除いて、できるだけありのままの活動を分かち合おうと決めました。

神様は私のすべてを知っておられますが、人は知らないし、知る由もありません。

可能な限りありのままの生活を分かち合い、神に愛され、神と共に歩む人生の素晴らしさを伝えたいと思います。

「可能な限り」というのは、人を傷つけたり、人が受け止め切れない内容は避けています。

私の日常生活は、朝起きて祈り、聖書を読み、一日に3回食事をし、家族との時間を過ごしますが、同じ内容の繰り返しは避けているので、非日常や珍しいいつも同じ内容だから、出かけた時や比較的珍しいできごとを分かち合い、聖書や聖書の価値観を伝えています。

毎日一からコラムを書くことは大変な労です。しかし、自分が体験して、学び、感じたことならば簡単に書けるので毎日でも続けられるからです。

私は、弱く、足りない、小さな人間です。そんな私が神と共に歩む時に、強くされ、満たされ、用いられる人間に変えられます。

神様の素晴らしさを伝えたいのです。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月 3日(火)08時17分35秒
  「エンドルフィンはモルヒネの6倍の鎮痛作用!?」

私の仕事は、毎日いろいろな人に会いますし、とても変化に富んでいます。

器用でない私は、ストレスを感じることがあります。大きなストレスは心を破壊してしまいます。

ストレスを感じる時、意図的に笑ったり、喜んだり、ゴスペルや賛美歌を歌ったり、楽しい気持ちになれるように考え方を変えます。

笑うと、脳からエンドルフィンが出て、痛みを和らげてくれるので、ストレスを感じにくくさせてくれます。一説によれば、エンドルフィンはホスピスの治療に使うモルヒネの6倍の鎮痛効果があるそうです。

タバコやお酒にも鎮痛効果があります。しかし、毎日タバコを吸い続け、お酒を飲み続けると、体に害があります。

笑いは、タバコやお酒以上に鎮痛効果があり、楽しい気持ちにさせてくれます。

一体どうやったら気持ちを切り替えて笑うことができるのでしょうか?

面白い映画やお笑いを見に行ったり、友達とお茶をしながら笑うこともいいでしょう。しかし、忙しいみなさんは、ストレスが溜まるたびに出かけて行くのも大変です。

私は、ストレスや痛みを感じる時に、祈りの中で、私の身代わりとして死なれたイエス・キリストが十字架にかけられている姿を思い描きます。この方を心で見上げていると、心の痛み、悲しみ、怒り、怨念、憎しみ、どうしようもない悶々とした思いがどんどん吸い込まれて行って、いやされて行くことを感じます。

自然に笑いが出てきて、悲しみや苦しみの涙が喜びと笑いに変わります。

笑っていると、まだ残っている悲しみもストレスも感じなくなり、心が平安になり、楽しい気持ちになります。

ストレスはスパイスのようなもので、多少あった方がいい刺激になりますが、スパイスが強過ぎたら有害です。

しかし、笑うことでストレスを感じさせないモルヒネの6倍の鎮痛作用のあるエンドルフィンが脳から出て、楽しくなります。そして、「いい一日だった!」と一日を終わることができたら幸せですね。

ストレスを感じる時、あなたなりの方法で笑って下さい。笑いはエンドルフィンをもたらし、エンドルフィンはストレスの中にあっても喜びを与えてくれます。今日も良い一日でありますように。

「主がシオンの繁栄を元どおりにされたとき、私たちは夢を見ている者のようであった。そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。そのとき、国々の間で、人々は言った。『主は彼らのために大いなることをなされた。』主は私たちのために大いなることをなされ、私たちは喜んだ。主よ。ネゲブの流れのように、私たちの繁栄を元どおりにしてください。涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。」(詩篇126:1~6)
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月 2日(月)18時16分16秒
  「バイクで夏を感じた」
《Now watching 808》

今日は月一度の祈祷会に参加しました。普段はギターで賛美をリードしていますので車で行きますが、車だと1時間かかり、バイクだと30分で着くので、旅行用ギターを背負ってバイクでかっ飛んで行きました。外は暑いけれど、バイクだと気持ちがいいし、気分爽快です。たくさん祈りました。さっと行ってさっと帰って来ました。バイクで夏を肌で感じました。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月 2日(月)11時07分53秒
  「良いものが最も良いものの妨げになることがある」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/7/2(月)【1169】」

クリスチャンは、神から与えられた賜物を活用して神と人に仕える人生を生きます。

しかし、賜物を一旦神にお返しし、神の手から受け取りなおすという、聖別というプロセスが大切になります。

火が通されて、神の役に立つものになって預かりなおすのです。

賜物が際立っていればいるほど、人の注目を集め、一芸に秀でる人がそれだけで食べていけるように、大活躍できる可能性があります。

しかし、その賜物が聖別されていないと、神に栄光を現し、神に栄光を帰すのではなく、自分の栄光とし、自分の栄光を現すことになってしまいます。

結果として、神の働きを妨げることになってしまうことがあるのです。

神は、高慢・傲慢を一番嫌われます。

高慢・傲慢は勘違いであり、神の栄光の泥棒です。

神の素晴らしさがたたえられるのではなく、その人の素晴らしさがたたえられてしまうことになります。

もちろん、素晴らしいものを「素晴らしい」ということは自然であり、素直な応答です。

しかし、その素晴らしさを通して神がたたえられるようにならなければいけません。

人が争い、組織や団体の中で分裂や分派が起こる原因はここにあります。

神お一方に栄光我帰され、注目され、たたえられているならば、みんなで喜ぶことができます。

しかし、特定の人が注目され、賞賛され、優劣がつけられるならば、気分がいい人と気分が悪い人が出て来ます。

自分自身を神への生きたままの供え物としてささげたいものです。

「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」(ローマ12:1)

その中に、賜物も、時間も、お金も、与えられたすべてのものを神にささげましょう。

世の価値観も、常識も、学問も、文化も、あらゆるものを神にささげて、神から受け取りなおすのです。

そうしたら、すべてが生かされます。

神を喜ばせ、自分も人も生かすことができます。

良いものが、最も良いものの一番の妨げになってしまうことがあります。

しかし、死んで生かされるなら、すべてが最も良いものとして生かされます。

イエス様が十字架で死なれ、墓に葬られ、三日目によみがえられたことで、信じる人の罪を赦し、神の子とし、永遠のいのちを与えられました。

そして、死んだ後に、復活させられて天国に入れて頂き、そこで神と共に永遠を生きるのです。

「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ2:20)

すべては、神の手にゆだね死んで、神か受け取りなおすことで最も良いものとなるのです。

今日も、神の栄光が現され、幸せで、かつ、人を生かすことのできる一日が歩めますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月 2日(月)07時16分25秒
  「決断する力」

頭の中で悩み出すと、堂々巡りがはじまります。そうすると、問題ばかりを考え、身動きが取れなくなります。

悩みは、「こうする!」と決断するまで続きます。だから、ズルズルと決断を先延ばしにしないで、とにかく決断することです。

「どうしよう・・・」と迷いはじめたら、悩むことをやめて祈ることです。「神様、どうしていいのかわかりません。導いてください」と祈りましょう。

その時に与えられたインスピレーション、その直感を信じて結論にしたらいいのです。そこで完全主義にならなくてもいいのです。

大切なことは、頭で計算して結論を出すのではなく、神様に祈り、心で感じた直感を信じて結論を出すことです。

人生は、リハーサルなしのぶっつけ本番です。心で感じた直感に従って、決断し、一歩踏み出し、想定外の人生を楽しんでみたらどうでしょう。考えているだけでは何もできないものですよ。

素晴らしい一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月 1日(日)19時36分12秒
  「人生って楽しいな」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/7/1(日)【1168】」

「神様どうしてですか?」
「どうして私にばっかり試練を与えられるのですか?」

たびたび、生きるか死ぬかのような試練がやって来ます。

行き詰まりを覚えます。逃げたくても逃げられないので苦しいのです。

結局、神様に頼るしか突破する道はないのです。

「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます」(Ⅰコリント10:13)

問題のただ中から神様に叫び、神様に頼り、神様と共に問題を解決して行くと、問題が解決するだけではなく、問題の解決と共に、想像もしていなかった祝福が与えられます。

「(神は)試練とともに脱出の道も備えてくださいます」というのは、神と共に試練を乗り越え、解決させて下さるという意味です。

そして、試練を乗り越えた後には、祝福まで下さるのです。

「今回ばかりは・・・」と思えるような試練が毎回やって来ます。

神様は、私の弱い部分を知っておられるのでしょう。その弱さを射抜かれるような試練がやって来るのです。

神に頼るほかに道はない状況を作られるのです。

そして、神に頼ることでその試練を脱出させて頂くことで、信仰を強めて下さるのです。

「今回ばかりは・・・」と同時に、「今まで神様が助けてくれたのだから、今回も助けて下さるに違いない」と、もう一つの思いが湧き上がります。

そして、「神様、あなたを信じます。私を助けて下さい!」と信仰による祈りができるのです。

振り返ってみると、「人生って楽しいな」と思います。

試練がなければ、神に頼ることも、安全地帯から出ることもなかったと思います。

神様は試練を通して、神を信じ、神様に頼る信仰を与えて下さっています。

今日、試練の中にある人がいたら、神を信じ、神に頼って下さい。

そして、試練を乗り越えた後に、「人生って楽しいな」と共に味わいましょう。

数日前も、一週間前も、二週間前も、一ヶ月前も、神様は試練と共に、「人生って楽しいな」と私を楽しませて下さっています。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月 1日(日)08時07分47秒
  「ウォーリーを探し出して追放せよ」

「案ずるより産むが易し」ということわざがあります。意味は、「事前にあれこれ心配するよりも、実際にやってみると案外たやすい」(広辞苑)ということです。

やるまで心配していたとしても、やってみたら…
① 実際はうまく行った。
② ほとんど問題なかった。
③ 思ったほど悪くはなかった。
④ 問題はあったが、なんとかなった。
ということがほとんどではないでしょうか。

いくら心配してもキリがありません。心配とは「不幸や失敗」を期待することであり、引き寄せることになります。

「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ4:6~7)と聖書は語ります。

「ウォーリー」を探して、「ウォーリー」に別れを告げましょう。

聖書は、「Don't worry about anything!」(何も思い煩らうな!)と語ります。心配しないで、勇気を持って一歩踏み出してみましょう。心配・恐れは逃げて行きます。

今日から7月、新しい月と新しい週の祝福を祈ります。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 7月 1日(日)00時22分27秒
編集済
  「3日間の日光での仕事を終えて、川越駅に直行して路傍伝道」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/6/30(土)【1167】」

日光では、すべての大会で賛美のリードをしました。教会にいる時よりも忙しいくらいで、聖書と祈りの時間を確保するのに必死でした。メールと電話がひっきりなしに入るし、一部の仕事をしなくてはならなかったからです。結果、睡眠時間は短く、日に日に疲れがたまっていきました。日光での昼間は、猛暑といってもいいほどの暑さでした。大会からの帰り道、そのまま川越駅に向かいました。

久しぶりに川越駅に伝道をしました。前回は、東口デッキは数珠つなぎで、次から次に政治団体や路上ライブなどの人たちが活動をしていたために、ギリギリでうまく滑り込むことができました。今回は誰も何もやっていなかっため、2時間ぶっ続けで路上ライブをし、聖書を語り、チラシを配ってイエス様の愛を伝えました。旗を立てられないほどの強い風が吹き荒れていました。頭上にはたくさんの小鳥が鳴きながら飛んでいました。イエス様のように、風、気候、小鳥、草花を例話としながら神様の愛を伝えました。

20年前の神学校時代に一緒に毎週路傍伝道をした友達が栃木から参加してくれました。月末で疲れ切った体を引きずるようにして参加して下さった方々もいました。一つのチームイエス・キリストで伝道をする中で、様々な反響があり、好意的な顔で立ち止まってくれた人が何人もいました。笑顔で立ち止まってくれた人はクリスチャンで意気投合したのでfacebookのお友達になりました。ニコニコ動画で生中継してくれた人たちもいました。写真や動画を取ってくれた人たちもいました。チラシをたくさん配ることもできました。

猛暑の一日だったこともあり、みんなそれぞれが疲れていましたが、伝道が終わった後には勝利したため、元気になって帰って行きました。今月も伝導の活動が守られて感謝でした。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 6月30日(土)06時16分44秒
編集済
  「裏切り者を赦す愛」

聖書で「裏切り者」というと、真っ先に思い浮かぶのは「イスカリオテのユダ」ではないかと思います。

イエスに選ばれて弟子となり、信頼されて会計係となり、最後まで愛されたにもかかわらず、ユダはイエスを裏切りました。

ユダがイエスを裏切った理由は、イエスこそ、祖国イスラエルをローマ帝国の支配から解放してくれる政治的リーダーとして期待し、イエスが政権を取った時には、大臣として権力を得たいという思惑があったのだろうと思います。しかしイエスは、全人類の罪の贖いのために十字架にかかりって死んで復活する救世主であると知った時に、思惑と違ったので、「裏切られた!」と思ったからでしょう。

ユダの裏切りは、イエスの弟子でありながら、イエスを救い主と信じることなく、会計を任されていましたが、少しづつお金を盗んでいました。最後は、悪魔に心を乗っ取られ、イエスを十字架につけるために、最も愛情を示すキスという目印を持って引き渡すという裏切りを行いました。

ユダは、その後後悔し、最後は、首をつって自決しました。

日本の武士道的に考えると、潔い最期に見えないことはありませんが、イエスは、最後までユダを愛し、赦し、悔い改めて回復するチャンスを与え続けました。公にユダの罪を責めることがなかったのは、ユダが悔い改めることを願っていたからです。

普通の宗教指導者、教師、リーダーなら、このような裏切り者をまず赦しません。

裏切りというのは、この世の中では命取りになることもあります。また、取り返しのつかない汚名を着せられることもあります。

裏切りは、当然ですが、故意にすべきではありません。しかし、仕方なく、結果的に裏切りを犯してしまうこともありますし、感情的に傷ついたり、疑心暗鬼に陥ってどうしようもなく裏切る事もあり得ます。

今日、イスカリオテのユダの裏切りをどこまでも赦そうとしたイエスの姿に思いを向けて下さい。

この方は、どんな裏切りも赦そうと待っていて下さり、その裏切りの罪を赦すために十字架にかかって死んで下さいました。

人や社会は裏切り行為を看過してくれないかも知れません。しかし、イエスは、裏切り者を赦し、人生をやり直すチャンスを与えて下さいます。

裏切りを他人事として考えていたら、「とんでもない!?」と息巻くかも知れません。しかし、私たちも、人生のどこかで誰かに裏切りを行ったことがあるだろうと思います。また何より、神に対して背を向け、何度も裏切り続けている存在です。でも、イエスは、あなたの裏切りを赦し、受け入れ、人生をやり直すチャンスを与えて下さる方です。今日、イエスのもとに一緒に行きましょう。

イエスはあなたを愛しています。あなたを赦して下さいます。何度でも立ち上がらせて下さり、何度でもやり直すチャンスを与えてくださいます。

聖書は、因果応報や宗教を教えるのではありません。あなたに取って良いニュースが書かれています。裏切り、罪は決して赦されるものではありません。しかし、その罰をイエスは十字架で背負って死なれたので、信じる人は、赦され、救われるのです。

「神が御子(イエス)を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」(ヨハネの福音書3:17)

どこまでも赦して下さる愛に支えられて、今日も歩んで参りましょう。
 

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