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選挙応援

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月18日(木)20時51分24秒
  「選挙の応援演説と応援ソング」
《Now watching 1061》

https://youtu.be/ndnJpoNbNcw 〈応援ソング 動画〉

友人であり、路傍伝道ネットワークのスポンサーである下田大気さんの市議会議員選挙の応援に行って来ました。4回の応援演説の中で、「体も大きいけれど、心も大きい下田大気さん」というキャッチフレーズを勝手に作ってしまいました。脱ムダ宣言と共に、自殺や登校拒否、薬物依存を無くし、住みやすい希望が持てる武蔵野市を作るために、下田さんへの支援を訴えました。当選を心から祈ります。

http://sgr-ch.net

 

時が良くても悪くても

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月18日(木)10時31分18秒
編集済
  「時が良くても悪くても」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/4/18(木)【1454】」

聖書の論調は、どんな時にも変わらない生き方をすすめます。

「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。しかし、あなたは、どのような場合にも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。」(テモテへの手紙 第二 4章2~5節)

牧師になる前は、みことばを伝えるのに悪い時があるとは想像もしていませんでした。聖霊に満たされて、力と愛に満ちているなら、いつでもみことばを伝えるのに良い時だと思っていました。

しかし、そうではないことがあることを知りました。

これからみなさんの前で聖書を語るのに、最悪な気分になることがないわけではありません。

路傍伝道をする時に、とても笑顔で伝道できない状況の時もあります。

「時が良くても悪くてもしっかりやりなさい」という聖句に支えられ、励まされています。

「寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」と聖書は語ります。

寛容を尽くしながらも、絶えず教え、責め、戒め、勧めるということは、優しいことではありません。

それで人間関係が壊れることもあるからです。

その結果、関係が壊れたとしても、それは仕方がないことであり、不思議と神から来る喜びと平安があります。

牧師は、孤独な仕事です。

「人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。」とあるように、愛を持って聖書を真っ直ぐに語る牧師よりも、自分に都合の良いことを言ってくれる牧師を探し求め、真理から耳を背ける人が必ずいるからです。

教会を定めず、転々とする人もいます。

それは自由なようで、実は、自分の居場所がなくて寂しいあり方です。

聖書を真っ直ぐに語る時に、その人が神を求めて神に仕えて生きているのか、神を利用して自分の利益に仕えて生きているのかがはっきり見えます。

寛容を尽くして導くのは人間業ではありません。

聖書は、「あなたは、どのような場合にも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。」と語ります。

私は、今日の話しを、牧師だけの話しではなく、すべての人に適用されるべき話だと思います。

理想と現実のギャップに直面した時、理想を追求したらどうなるでしょう。

結婚関係において、理想と現実のギャップにぶつかる人がほとんどではないかと思います。

その時、理想を追求しながらも、現実を受け入れなくてはいけません。そうでなければ、関係が破綻し、離婚せざるを得なくなるからです。

どんな状況の中にあっても、理想を手放してはいけません。しかし、現実を受け入れなくてはいけません。

その緊張関係の中で生きていくのが、私たちのあるべき姿です。

「寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」と、理想を追い求めながらも、現実を受け入れ、許し、愛していきましょう。

理想を捨てたら、自己満足の世界に入り、成長は止まります。

神様は、私たちを愛しています。今のままの状態を許して下さっています。しかし、同時に、私たちが成長することを願っておられます。

時が良くても悪くても、神が命じ、導かれる人生を追い求めながらも歩んでいきましょう。

しかし、同時に、「それはそれとして、私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです。」(ピリピ人への手紙 3章16節)とあるように、現実を受け止め、受け入れる寛容さを忘れてはいけません。

時が良くても悪くても、素敵な人生を生きて参りましょう。

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ゆっくりがんばりましょう

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月18日(木)06時38分11秒
  「ゆっくりがんばりましょう」

ある精神科医師は、患者に「ゆっくりがんばりましょう」と励ますそうです。

うつ病の人などに「がんばりましょう!」という言葉は禁句で、「がんばりたくてもがんばれない」苦しい気持ちに共感して、心に寄り添うことが大切だと言われます。

がむしゃらに、壊れてしまうような「がんばり」ではなく、ゆっくり、完全燃焼するような「がんばり」は必要です。

試しに、何の責任も与えられないで、三食昼寝付きで、「なんにもしなくていいですよ」と言われて、毎日何もしないで過ごしたら、きっと病んでしまいます。

人は、重要で使命感のある仕事をしている時に、生き生きとするものだからです。

例えば、政治家はいつも元気です。「重要で使命感のある仕事をしている」という実感を持てるからです。選挙も大変だし、有権者から色々なことを言われますが、「政治家を一度やったら辞められない」と言われるのは、それだけ「やりがい」があるからです。また、「将来は、総理大臣になりたい!」と思っている政治家も多いはずです。

重要でやりがいのある仕事をしている人は、単純作業の仕事をしている人より長生きするというデータもあるそうです。

動物園のライオンと野生のライオンはどちらが長生きをすると思いますか? 圧倒的に、野生のライオンの方が長生きだそうです。

楽して、面白おかしく生きる人生もいいかも知れません。しかし、どんな人にも果たすべき責任と重要な使命が与えられています。それを後回しにしないで、誠実にチャレンジして行ったら、人は必ず生き生きとしてくるものです。

「無理ながんばり」ではなく、「ゆっくりがんばる」ことが大切です。

「無理ながんばり」と「ゆっくりがんばる」ことの違いをコマで例えてみたら、「無理ながんばり」は、グラグラしながら回っているコマの状態で、「ゆっくりがんばっている」状態は、静かなのに全力でコマが回っている状態です。

どうやったら、静かに全力で回るコマのように「全力投球」で生きることができるでしょうか?

秘訣は「祈り」にあります。

聖書は、「絶えず祈りなさい」(第一テサロニケ5:17)と語ります。

すべてのことを祈りながらやってみることです。

誰に祈ったらいいでしょう?

あなたを造られた創造主であり、救い主、助け主、いやし主である、いつも共におられる全知全能の愛の神に祈るのです。

神を見せて下さったお方が、イエス・キリストです。このお方に祈り、助けを求め、信頼し、頼る時に、人生は一番いい状態に変わります。

コマが、静かに全力で回るように、全力投球で「ゆっくりがんばり」生き生きと充実感を持って生きる人生は、あなたの瞳の輝きを取り戻し、枯れ木に花が咲くように、人生をやり直すことができます。

神に祈り、神と共に歩むあなたと私の人生に、豊かな祝福がありますように祈ります。いつもありがとうございます。良い一日を過ごして下さい。

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一日一シャとは!?

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月17日(水)12時11分55秒
  「【一日一シャ】とは!?」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/4/17(水)【1453】」

【一日一シャ】とは、感謝のバトンリレーのバトンがまわってきたことをきっかけに、その後、【一日一善】をオマージュして、リメイクして作ったものです。

「一日一シャ」の「シャ」とは、「〈感謝の謝〉、〈断捨離の捨〉〈洒落(しゃれ)の洒〉、〈写真の写〉」です。

主に、一日一回の感謝について、あるいは、感謝の理由についての内容を書いています。

次に、「断捨離」の「捨」とは、古い生き方を捨て、悔い改め、新たな決断をしたなどの内容をたまに書きます。

「洒落(しゃれ)」の「シャ」は、ダジャレ、親父ギャグ、ブラックジョークなどを、スパイス的に入れたいと思っていますが、物足りないのか、効き過ぎているのか、本人はわかりません。

最後の写真は、他の投稿でも必ずといっていいほどセットで付けています。

写真を添える理由は、実際の写真の場合と、その内容のイメージを写真で表現する場合がありますが、視覚的にわかりやすくするためです。

そして、もう一つの理由としては、投稿の内容に同意できなかったり、意味が理解できなくても、写真を見て、「いいね!」と思って下さったら、それも「いいね!」だからです。

読者層は、ネットで関わっている人の半分はクリスチャンの知人・友人。半分はクリスチャンではない知人・友人です。

クリスチャンでない人を「未信者」と言いますが、これは、「未だクリスチャンになっていないけれど、未来にクリスチャンになるかも知れない人」です。

「俺は神を絶対に信じないぞ!だから、布教はしないでね」という人がいますが、この世の中に「絶対」はあるでしょうか!?

決して押し付けることはしませんが、できるだけありのままに、かつストレートに分かち合いたいと思っています。

キリスト教は信じないけれど、私が書くコラムに同意をして下さる方もいます。キリスト教の内容にはちょっと違和感を感じているけれど、友達であることには変わらないと思う方々もいます。

SNSの良いところは、「何を言うか!?」よりも「誰が言うか!?」が重視されると思います。

それは、通常の人間関係でも同じかも知れません。

有権者が選挙で投票する候補者の基準も、「どんな政策を持っているのか!?」も大切だと思いますが、「この人が好き!」という人気投票になってしまうことがあります。

どんな世界においても、本来は、「誰が!?」よりも、「何が!?」が優先されなくてはいけないと思います。

例えば、牧師が、聖書をそのまま語る時に、教会に集う信者は、「アーメン!」と言うべきです。

そして、もし、牧師が、聖書とかけ離れた独自の見解を語った時には、勇気を持って、「牧師様、・・・・」と語りたいものです。

同じありふれた助言を、その道の権威者が話すと、「さすが先生!」と、ありがたくそのお言葉を頂戴するのに、同じことを、若くて、好かれてない人が話すと、「この若造が、何を言ってるんだ!?」となるものです。

SNSでつながっている人の中には、親友もいますし、いつも会う人もいます。時々会う人や年に一度くらい会う人もいます。中には、ネット上だけの知り合いの人もいます。共通点は、温度差はあっても、好意を抱き合っている関係だと思います。

その友達一人ひとりに、そして、その友達の友達に、聖書を伝えられることを感謝しています。

書いた内容に同意できなくても、写真単体や写真の組み合わせに共感してくれたり、話の本筋に同意できなくても、話の枝葉に同意してくれたら、それもありがたいと思います。

今日で、「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【1453回目】」を迎えました。

毎日続けて来られたのは、見て下さり、読んで下さり、関心を持ってアクセスして下さる方々がいるお陰です。

心から感謝を致します。

引き続き、心通わすことが出来たら幸いです。

今後ともよろしくお願いします。

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安堵

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月17日(水)10時37分3秒
  ギターが戻って来て良かった。
神様ありがとうございます。
これからは気をつけます!

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どんなことが起こっても大丈夫

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月17日(水)08時44分32秒
  「どんなことが起こっても大丈夫」

あるユダヤ教の教師の家庭において、息子が突然「キリスト教に改宗したい」と言い出した。

両親はショックのあまり言葉を失い、夜一心不乱に祈り始めた。

すると、急に天から神が現れた。

そこで両親はこう叫んだ。

「主よ、わたしたちの息子がキリスト教に改宗すると言っています。あの憎きキリスト教に息子が盗まれてしまいました!」

すると神は、ため息一つ付いてこう言った。

「実は、わたしの息子もそうだった。」 (神の息子は、「イエス・キリスト」)

人生は何が起こるかわかりません。

一寸先は闇なのか?光なのか?

でも、なるようになる「ケセラセラ(Que sera sera)」で生きていったらいいのでしょうか?

仏教徒の「リチャード・カールソン」という人が書いた、「小さいことにくよくよするな! しょせん、すべては小さなこと」という本がベストセラーになりました。この題名には説得力があります。

聖書は何と言っているでしょうか?

2000年も前から、「何事も(大きいことも、小さいことも)思い煩ってはならない。(くよくよするな!)ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。」と語っています。

「ケセラセラ(なるようになる)」ではなく、「神が共におられるから大丈夫!」と言っているのです。

確かな土台を持って、くよくよしないで、楽しみながら新しい日を迎えましょう。

すべては、自分を造られた神を信じ、頼り、讃えるところから始まります。

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思い通りにいかない時にできる感謝

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月16日(火)12時55分8秒
  「思い通りにいかない時にできる感謝」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/4/16(火)【1452】」

病気になって、健康のありがたさに気づくことがあるものです。健康は当たり前ではありません。

また、諸問題やトラブルに遭うことで、順調にことが進むことのありがたさを感じるものです。

「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。」(伝道者の書4:14)と聖書は語ります。

逆境は、ある日突然やって来ます。

人はその時、反省し、考える必要があります。

なぜならば、順境の時には、ほとんど何も考えていないからです。

逆境を受け止め、反省し、考えることから、次につながっていきます。

①今まで神によって守られていたことに対して感謝しましょう。
②これ以上事態が悪化しないように神に祈りましょう。
③道を踏み外したり、高慢になったり、嫌な奴になる前に、気づかせていただき、方向転換できるチャンスが与えられたことに感謝をしましょう。

思い通りにいかない時にできる感謝とは、順境でうれしいからする感謝とは、一味も二味も違います。

逆境と出遭ったならば、その中に祝福の種が隠されていることを忘れないで下さい。

取り乱して事態を悪化させたり、隠蔽して無かったことにするのではなく、反省し、考え、感謝し、祈り、次につなげていきましょう。

思い通りにいかない経験、逆境は、神様からのあなたへのプレゼントなのです。

あなたを正しい道に導き、強くし、成長させてくれるからです。

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仕事に取り掛かれ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月16日(火)06時45分43秒
  「仕事に取り掛かれ」

BC.600年頃、イスラエルは国を追われ、バビロンの国に捕囚として連れて行かれました。しかし、聖書に予め預言された通り、70年後に帰還することができました。

民は失望し切り、疲れ果てていました。

神は、イスラエルの民に対して「仕事に取り掛かれ。私があなたがたと共にいるからだ。」(ハガイ2:4)と語られました。

あなたは今、色々な心配や問題に押し潰され、失望し、疲れ切っているかも知れません。神はあなたに向かっても、「仕事に取り掛かれ。私があなたがたと共にいるからだ。」と語られます。

今は、失望し、落ち込み、悲嘆にくれ、現実逃避する時ではなく、立ち上がって、与えられた仕事、使命、働きに取り掛かる時です。

その原動力は、「神があなたと共におられる」事実です。

「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)

今日も、神様と一緒に、新しい一日を生きていきましょう。

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第3月曜日 新宿路傍伝道

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月15日(月)23時03分33秒
  『第三月曜日定例 新宿路傍伝道』
「多様な人が伝道に参加してくれました」
《Now watching 1060》

集合時間の午後6時には、10名弱の人が集まりました。集まりがよく、よいスタートを切ることが出来ました。昨日、統一地方選挙の公示がなされ、今まさに新宿区議会議員選挙中なので、候補者の演説とかぶらないようにと祈っていましたが、有権者は新宿区民なので、国政選挙ならいざ知らず、地域密着なのでしょう。人通りの多い新宿駅には選挙活動の雰囲気は全くありませんでした。外国や関西から参加された方々もいました。ホームレスの2人の男性の参加もありました。さらに、未信者なのに、「飛び入り参加させて下さい」と、申し出た男性もいました。最後まで、カホンを叩いてくれました。カホンを叩く時には座わりますが、曲と曲の間の演説をしている時には、直立不動で聞いてくれていました。彼にとってもイエス様の福音wの聞くチャンスとなりました。また、比較的多くの人々が注目してくれたので、たくさんの人にイエス様の十字架と復活を聞いてもらうことができました。今週、キリスト教界では受難週で、次の日曜日がイースターなので、ダイレクトにイエス様の死と復活を語ることが出来ました。伝道の参加者は20名を超えました。力強い伝道が出来て感謝でした。終了後には、5名で削刀麺を食べに行き、楽しく語り合いました。今日も、素晴らしい時間になりました。

最後に、路傍伝道ネットワークでは、写真担当者は決まっていませんが、SNSや路傍伝道新聞に記事とともに写真を載せるので、誰かが写真を撮影してくれます。集合写真は、決まって、通行している人にお願いします。経験上、若くて、オープンな雰囲気の人にお願いすると快く引き受けてくれるし、よい写真を撮ってくれます。

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これから行く先を見る

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月15日(月)06時52分19秒
編集済
  「これから行く先を見る」

16歳で自動二輪の免許を取得し、バイクを乗るようになりました。

当時、全国高等学校PTA連合会で決議されて、「バイク3ない運動」というものがありました。多くの学校で校則に組み込まれ、強い実効力をもっていました。

「バイクの免許を取らせない」
「バイクに乗せない」
「バイクを買わせない」

私が通っていた高校はあまり関係がなく、中学時代の同級生の前に現れては、「いいだろー!」って自慢したことを思い出します。

時間があれば、河原を走り回り、「ジャンプ」「アクセルターン」「ドリフト」を体で覚えました。やがて、箱根や奥多摩などの峠道を走るようになりました。

慣れないライダーが峠道を走ると、「転ぶんじゃないか!?」「曲がり切れないんじゃないか!?」「対向車とぶつかるんじゃないか!?」などの恐怖心が湧きます。

そんな時、バイクがこれから向かう先を見て運転するといいのです。

「曲がれる!アクセルオンだ!」「曲がれない!ブレーキだ!」「よし安全だ!」「危険だ!」ということが瞬時にわかるようになります。そして、恐怖心を感じることなく安全に走行することができます。

「行く先を見る」というのは、スキーやスノーボードを始めた頃にも役に立ちました。どうしても足元を見て、「転んだらどうしよう!?」「恐い!」「止まれないかも!」などの恐怖心が湧いて来ます。しかし、自信を持って、これから滑って行く先を見ていると、恐怖心が減り、案外スムーズに滑ることができます。

人生においても同じです。人生の目的や目標を定め、そこを向かって進んで行くならば、細かい失敗を恐れたり、いろいろ考えすぎて消極的になったり、否定的になることがなくなり、自信を持って前に進んで行くことができます。

だからといって、障害がない訳ではありません。障害は山ほどあります。しかし、その障害のずっと先にあるゴールを見ているので、障害が前進を妨げることがないのです。

障害がある時、
① 一時、立ち止まり
② 神に祈り、導きを求める
③ 導きに従って、神と共に障害を突破する

人生の目的は、「神の栄光を現し」「幸せになる」ことです。

人生の目標は、その人生の目的から出てくるものです。

目標は目的の結果として出るものであって、「まず目標ありき」ではありません。最終目的地は、死という絶対的な障害の先にある永遠の天国です。

「私たちの国籍は天にあります。」(ピリピ人への手紙3:21)

最近、うまくいかないな!? 萎縮しているな!? イライラするな!? 何かがおかしい!? など、人生が空回りしたり、こんがらがっているとしたら、今日のこのコラムがあなたの助けになると思います。

神様の祝福がありますように。

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天職と聖職者

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月14日(日)14時53分9秒
  「神に導かれる仕事は天職であり、その働きをする人は聖職者」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/4/14(日)【1451】」

日本のプロテスタント教会の牧師の60%以上が、教会以外の何らかの仕事をして生活費を稼いでいるという統計があります。

教会付属の幼稚園の園長、神学校の教授などをはじめ、バイト、パートをしたり、正社員になって働いている人も知っています。

私も、何度か仕事をしようとしました。しかし、その都度、道が閉ざされました。

代わりに、路傍伝道ネットワークや、キリスト教の超教派での大会の実行委員、消防団やPTAなどの地域活動などに導かれてやって来ました。

それらをいくらやっても、給料は入って来ません。

しかしお金をもらえるかどうかは関係ありません。

神様に導かれたことをやることがすべてです。

牧師が神の国の会社員だとしたら、社長は神様です。

神様が、生活を養って下さり、必要を満たして下さいます。

神に導かれてやることすべてが天職だと思います。

そして、神に導かれる職業に就く人を、聖職者と考えます。

職業に優劣はありません。

神に導かれた働きをしているかどうかが大切なのです。

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桜花見

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月14日(日)14時25分56秒
  「桜花見」
《Now watching 1059》

お昼の礼拝の後に、桜の花見に来ました。神田川は、葉桜もありますがきれいに咲いている木もあります。統一地方選挙後半になり、地元の区議会議員選挙が始まりました。

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本当に恐るべきこと

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月14日(日)07時23分4秒
  「本当に恐れるべきこと」

人が、才能を使わないでうもれさせてしまう原因は、失敗に対する恐怖心です。

仮に失敗したとしても、ずっと失敗者になってしまう訳ではありません。

失敗を恐れ、傷つくことを恐れて、何もしないとしたら失敗することはありません。挑戦しないからです。

最も悲しいのは、「やっていれば良かった!?」「もしかしたらできたかもしれない!?」と後で後悔することです。

「やっておいて良かった!」と満足するのと、「すれば良かった!?」と悔しがるのと、どちらがいいでしょうか。

選ぶのはあなたです。

「あなたがたはこの山に長くとどまっていた。向きを変えて、出発せよ。」(申命記1:6~7)

今日、新しい一週間、今までやろうと思っていたのに、失敗を恐れるあまりしていなかったことに挑戦し、やってみませんか。

素晴らしい一週間でありますように。

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山手線祈祷会と日暮里駅伝道

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月14日(日)00時08分48秒
  『山手線祈祷会』と『日暮里駅路傍伝道』
「悪魔の妨害があっても大丈夫。神様が助けて下さるから」
《Now watching 1058》

今日の前半は、山手線祈祷会で、出発は日暮里駅。約束の時間に間に合うように、みなさんが急いで現地に向かいました。あんまり急いでいると、ゆとりがなくなって、普段はそういうことは起こらないのに、道を間違えたり、乗る電車を間違えやすくなります。忘れ物や落し物をしやすくなります。駅に集合して、祈祷会前にオリエンテーションをしていると、ギターを電車の網棚に置き忘れたことに気づきました。すぐに駅員さんに助けを求めに行きました。電車は動き続けています。11駅先の品川駅で駅員さんが受け取ってくれました。30分祈祷会のスタートが遅れてしまいました。それに加えて、品川駅でギターを受け取りに行っている間、みなさんに待ってもらうわけにはいきません。祈祷会を逆方向の山手線に切り替えて、ギターを取りに行く私の方が15分先に品川駅に着くようにしました。品川駅に着いて遺失物センターにギターを取りに行きました。ルカ15章の放蕩息子の話を思い出しながら、心から神様と駅員さんに感謝しました。トイレを済ませ、駅のホームに戻ると、反対側からみなさんの乗った電車に到着して、再び合流することが出来ました。感謝で終っても良いのですが、「悪魔が祈りと伝道を嫌がって、私がギターを忘れるようにしたのではないか!?」と、みなさんに話しました。もしかしたら悪魔は、「神様、あいつはひどいですよ。自分が勝手にギターを忘れておきながら、俺たちのせいにするんですよ。何とか言ってあげて下さい!」と、言っていたかも知れません。しかし、祈りと伝道をしようとすると、いつも、悪魔の妨害があるように感じます。悪魔は、クリスチャンに祈ってほしくないはずです。祈ると、力と喜びに満ち溢れてしまって、強いクリスチャンになってしまうからです。また、伝道をしてほしくないはずです。伝道をすると、必ず救われる人がいますので、その都度、人質が神の手に奪い返されてしまって、世の終わりの日が早められてしまいます。つまり、悪魔が神に裁かれる日が近づいてしまうのです。聖書は、「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。」(マタイ4:14)と書かれています。クリスチャンの最大の任務は伝道です。キリスト教を大きくするとか、教会の人数を増やすことなどは結果に過ぎません。神様の至上命令なので、喜んで伝道しましょう。また、どんなに妨げがあったとしても、伝道をやめてはいけません。後半は、日暮里駅前で伝道をしました。統一地方選挙の時期ですが、議員候補者と噛み合うことなく伝道することができました。通行人の反応は良くありませんでした。どちらかという無関心だという空気を感じました。しかし、それは感じに過ぎません。多くの人が、聖書やチラシをたくさん受け取って下さいましたし、立ち止まって聞いてくれている人もいました。祈り、人々の心に寄り添うことは大切ですが、空気を読み過ぎないことも大切だと思います。人の顔色を気にし過ぎたら、すくんでしまって伝道できなくなってしまいます。聖書は、神を恐れたら人を恐れなくなると語ります。人は恐れる対象ではなく、愛する対象です。人々の永遠を決定する伝道をすることこそ、人々を愛することだと確信します。伝道終了後には、祈り、献金をし、集合写真を撮り、マクドナルドに行って軽食を食べながら語り合いました。ギターは戻って来ましたし、神様が伝道を助けて下さり感謝致します。

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ギターを受け取って皆さんと合流!

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月13日(土)18時18分53秒
  「ギターを受け取って皆さんと合流!」
《Now watching 1057》

私と皆さんは、反対周りで日暮里から品川を目指し、今ギターを受け取って合流しました。神様に感謝します。

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失ったギターが見つかった

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月13日(土)18時08分42秒
  「失ったギターが見つかった」
《Now watching 1056》

本日の路傍伝道に向かう途中、ギターを電車の網棚に置き忘れてしまいました。

山手線祈祷会開始が遅れ、皆さんに迷惑をかけてしまいました。

日暮里駅で置き忘れました。置き忘れた電車を特定し、品川駅で駅員さんが引き取って預かって下さいました。

今、遺失物センターで受け取りました。

ホッと胸を撫で下ろし安堵しました。

そして、最高の喜びです。

下記の聖句を思い起こしました。

「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。見つけたら、大喜びでその羊をかついで、帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。」〈ルカの福音書 15章4~7節)

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路傍伝道ネットワーク予定

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月13日(土)17時31分57秒
  「路傍伝道ネットワーク 4月以降の活動予定」
(教文館、CLC、オアシスブックセンターはじめ、日本全国のキリスト教書店を通して新聞を配布しています。)

【次回】
4月13日(土)
★『山手線祈祷会』と『日暮里駅路傍伝道』
[前半]
〈山手線内で祈祷会〉 午後5時~午後6時
【午後5時までに山手日暮里駅〔外回り〕先頭車両ホームに集合】
[後半]
〈日暮里駅 東口 路傍伝道〉 午後6時30分~午後8時
【伝道から参加の方はご連絡下さい】

4月15日(月)
★『第三月曜日定例 新宿路傍伝道』
〈新宿駅東口下車 駅とアルタ前の中間広場〉
午後6時~午後8時(準備 午後6時~)

4月20日(土)
★『山手線祈祷会』と『鶯谷駅路傍伝道』
[前半]
〈山手線内で祈祷会〉
午後5時~午後6時
【午後5時までに山手線 鶯谷駅 〔内回り〕 先頭車両ホームに集合】
[後半]
〈鶯谷駅 北口 路傍伝道〉
午後6時30分~午後8時
【伝道から参加の方はご連絡下さい】

4月23日(火)
★『越谷駅 路傍伝道』
午後5時~午後7時(準備 午後4時半~)

4月25日(木)
★『宇都宮駅西口 路傍伝道』
〈ペデストリアンデッキ一階〉
午後5時~午後7時(準備 午後4時半~)
【新宿周辺から、車で一緒に行くことも出来ます】

4月27日(土)
★『路傍伝道 荒野の旅』
〈午後5時までに池袋駅西武東口に集合〉
【途中での参加や帰ることも可能】

4月29日(月・昭和の日)
★『J+PASSION TOKYO ブース出展』
〈御茶ノ水クリスチャンセンター8階〉
午前9時~午後7時 (9時に御茶ノ水クリスチャンセンター1階集合)
【特に、朝一番に人員を必要としています】

5月1日(水)
★『新メンバー歓迎 バーベキュー親睦会』と『野外礼拝』
【参加希望者は予め連絡下さい】
〈千葉県市川市河川敷(雨天時は場所を変更します)〉
午後12時~午後5時 (準備 午前11時30分)

5月3日(金・憲法記念日)
★ 『千葉遠征 路傍伝道』
船橋駅中央改札口に午後4時集合
①船橋駅 中央改札口集合 (午後4時~午後5時)
②津田沼駅 北口 駅前広場 (午後5時30分~午後6時20分)
③千葉駅 東口 クリスタルドーム跡付近 (午後7時~午後8時)

5月6日(月・振替休日)
★『第一月曜日定例 川口駅伝道』
〈西口 歩行者用二階デッキ〉
午後5時~午後8時(準備 午後5時~)

5月11日(土)
★『御茶ノ水駅路傍伝道』と『第19回賛美集会』
[前半]
〈御茶ノ水橋口 路傍伝道〉
午後5時~午後6時30分(準備 午後5時~)
[後半]
〈第19回賛美集会(御茶ノ水クリスチャンセンター402号にて)〉
午後7時~午後8時30分
【終了後に会場にて愛餐会 軽食持参】

5月13日(月)
★『TORCH宣教大会 夏の陣 ブース出展』
〈文京シビックホール 大ホール〉
午後4時~午後8時
【特に、午後4時台~5時台に助けが必要です】

5月18日(土)
★『山手線祈祷会』と『上野駅路傍伝道』
[前半]
〈山手線内で祈祷会〉
午後4時30分~午後5時30分
【午後4時30分までに山手線 上野駅 〔外回り〕 先頭車両ホームに集合】
[後半]
〈上野駅 公園口 路傍伝道〉 午後6時~午後7時
〈上野駅 不忍口 路傍伝道〉 午後7時~午後8時
【どちらかの伝道から参加の方はご連絡下さい】

5月20日(月)
★『第三月曜日定例 新宿路傍伝道』
〈新宿駅東口下車 駅とアルタ前の中間広場〉
午後6時~午後8時(準備 午後6時~)

5月24日(金)
★『山手線祈祷会』と『御徒町駅路傍伝道』
[前半]
〈山手線内で祈祷会〉
午後4時30分~午後5時30分
【午後4時30分までに山手線 御徒町駅 〔内回り〕 先頭車両ホームに集合】
[後半]
〈御徒町駅 北口 吉池ビル(ユニクロ)前広場 路傍伝道〉
午後6時~午後8時
【伝道から参加の方はご連絡下さい】

5月27日(月)
★『横浜駅 路傍伝道』
〈横浜駅みなみ西口 相鉄ジョイナス大和証券前〉
午後6時~午後8時(準備 午後5時50分~)

6月8日(土)
★『御茶ノ水駅路傍伝道』と『第20回賛美集会』
[前半]
〈御茶ノ水橋口 路傍伝道〉
午後5時~午後6時30分(準備 午後5時~)
[後半]
〈第20回賛美集会(御茶ノ水クリスチャンセンター402号にて)〉
午後7時~午後8時30分
【終了後に会場にて愛餐会 軽食持参】

6月10日(月)
★『ジーザス・ジューン・フェスティバル 賛美奉仕』
〈日本福音ルーテル東京教会〉
午後5時30分~午後9時
【奉仕者は、午後5時30分集合 開演午後7時】

※見学や短時間の参加も歓迎です。
※路傍伝道の集合場所は現地になります。不明な点がありましたら、メッセージ、もしくは、sgr_ch@ybb.ne.jpまで問合せ下さい。
※各活動終了後に自由参加の食事会があります。

☆「路傍伝道ネットワーク 特集番組」
https://youtu.be/ZG5GksfHdf0 (CGNTV)

☆「路傍伝道ネットワーク紹介番組」
https://m.youtube.com/watch?v=G3cDepEvaFc (CGNTV)

☆「テレビ東京の番組に出演」
http://m.pandora.tv/?c=view&ch_userid=qkfn&prgid=56430348
(川口駅 ロッチ中岡との出会い 1時間11分25秒くらいから登場します)

☆「路傍伝道説教」
(1)https://youtu.be/vjh_i7IJigQ (明治神宮前)

(2)https://youtu.be/H2L99MMq8Pc (明治神宮前)

(3)https://youtu.be/6cNVl5aLB6s (明治神宮前)

(4)https://youtu.be/QGMqJR95ND8 (明治神宮前)

☆「路傍伝道賛美」
(1)https://youtu.be/rbZSmUb0brs (新宿アルタ前)

(2)https://youtu.be/xHUEK4bt_bQ (大久保駅)

(3)https://youtu.be/enkIZWgp0TM (淀橋教会)

(4)https://youtu.be/N9EAi6q3V9c (名古屋駅)

(5)https://youtu.be/N9EAi6q3V9c (池袋駅)

(6)https://youtu.be/rLZQhW0-4p8 (大塚駅)

(7)https://youtu.be/miZ9rAZ1Abc (川口駅)

(8)https://youtu.be/6-YwXNaMjk8 (難波駅)

(9)https://youtu.be/dUHmvQRj5Og (四日市駅)

(10)https://youtu.be/aqbQRk3cbYU (富士急ハイランド)

☆「路傍伝道賛美集会」
(1)https://youtu.be/cweWmoDEXsg (御茶ノ水クリスチャンセンター)

(2)https://youtu.be/FSTT8Uf5FT0 (御茶ノ水クリスチャンセンター)

(3)https://youtu.be/u7tXFh-4bNo (新宿福興教会)

(4)https://youtu.be/WUBLb_S3jc4 (新宿福興教会)

☆「路傍伝道ネットワーク特集記事」
(1)https://www.christiantoday.co.jp/articles/23658/20170424/kanno-naoki-shinjuku-robodenndo.htm

(2)https://www.christiantoday.co.jp/articles/23786/20170519/konohitonikiku-kanno.htm

☆「路傍伝道ネットワーク facebookページ」
https://m.facebook.com/groups/725359987641943?ref=share

☆「路傍伝道ネットワーク ページ」
https://evangelism-journal.wixsite.com/evangelism-network

☆「献金振込先」
ゆうちょ銀行  記号 10100  番号 72587221  口座名 路傍伝道ネットワーク

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感謝にシフトチェンジ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月13日(土)10時27分22秒
  「いつも今が最高!とギアチェンジ」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/4/13(土)【1450】」

30歳以下くらいの人たちは、パソコンよりスマホ世代なのではないかと思います。

私の世代は、いろいろな意味で過渡期です。パソコンもスマホも、手紙もe-mailもSNSも使いこなせます。

新年号になり、20年もしたら、生きていればの話ですが、令和生まれの人たちから、昭和生まれの人が明治生まれの人を見るように、昔の世代の人と見られるのでしょう。

しかし、私は、年配者や若い人たちを羨ましいとは思いません。

私にも若い頃がありましたし、若い時をエンジョイして来たからです。

生きることができるのは、いつも今だけです。

過ぎ去った過去を悔やみ、「年を取りたくない!」「若い頃は良かった?!」と嘆き、未だ来ない未来を心配しても何もはじまりません。

今を生き、今を楽しみ、今を最高に生きて行きましょう。

「こうなったら~」
「こうでなかったら~」
と考えるてマイナス思考をやめて、

「こうだからこそ~」
「これだから~」
と、感謝と喜びにシフトして生きて行きたいですね。

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この道はいつか来た道

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月13日(土)07時20分50秒
  「この道はいつか来た道」

北原白秋 作詞 山田耕筰 作曲の「この道はいつか来た道」という童謡があります。

この道はいつか来た道
ああ そうだよ
あかしやの花が咲いてる

あの丘はいつか見た丘
ああ そうだよ
ほら 白い時計台だよ

この道はいつか来た道
ああ そうだよ
お母さまと馬車で行ったよ

あの雲もいつか見た雲
ああ そうだよ
山査子の枝も垂れてる

私にとっての「この道」は、聖書が語る『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。』(ヨハネの福音書14:6)と言われた道です。「イエス・キリスト」のことです。

作家の三浦綾子さんは、この聖句から「道ありき」という本を書きました。

ご自分が教師をしていた時、敗戦後の子供たちに、国語の教科書の多くの箇所を「墨」で塗り潰させました。「これが正しい!」と教えて来たことを、「これは間違いだ!」と教えなくてはならなくなり、何も文句を言わずに教科書を「墨」で塗り潰している生徒を見ながら、「真理とは何か?」「自分は、これから何を教えたら良いのか?」苦悩し、迷いました。

道は、歩いて目的地まで行くためのものです。しかし、「途中で、間違った道を歩いていた!」と気がついたとしたら、修正して、正しい道を歩めばいいのです。

ある人は、ずーっと歩いて来たので、「今さら違う道を歩みたくない」と思うかも知れません。しかし、人生にはそういうことが起こり得ます。歩き続けることが大切なのではなく、修正してでも正しい道を歩むことが大切です。

聖書は、布教のための宣伝文書ではありません。人々が信じやすく、信じたくなるような技巧は施されていません。しかし、正しい道を教えます。

「この道」は、「いつか来た道」でもあります。

私たち人間は、神によって造られ、神のもとからこの地上に来ました。しかし、先祖であるアダムとエバは、神と共に生きる道を捨てて、悪魔に誘惑され、自分の思う道を歩み始めました。その結果として、人は不幸を経験し、死ぬべき存在となってしまいました。

しかし神は、2018年前のクリスマスにイエス・キリストをこの地上に送られました。そして、十字架と復活を通して、神に立ち戻る道を造って下さいました。

道は、踏みつけられて人を正しい方向に導きます。イエスは、十字架の上で人々に踏みつけられ、殺され、自らが、天国に続く道となられました。

私は、「この道」は初めて来た道であると同時に、「いつか来た道」であると思います。

週末などは何をして過ごされますか?

三浦綾子さんの書物を読んだり、聖書を読んだりしながら、自分の歩んでいる道を確認し、顧みる時を持ってみませんか?

電車が線路の上を走るのは、道が決められてしまっているので不自由でしょうか? そうではありません。線路の上を走ってこそ自由なのです。

私たちも、天国に通じる道を見つけ出し、その道を歩んで行きませんか? そこに本当の自由と、確実な人生があるのです。

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お土産

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月12日(金)21時32分8秒
  「長崎のお土産」
《Now watching 1055》

友人が長崎旅行のお土産に文明堂のカステラをもらいました。粗目砂糖が入っていて一味違うおいしさです。

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路傍伝道 バーベキュー

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月12日(金)17時40分13秒
  「路傍伝道の活動」

5月1日(水)
★『新メンバー歓迎 バーベキュー親睦会』と『野外礼拝』

【参加希望者は4月29日(月)までにご連絡下さい。食材調達の関係で、基本的に、当日参加はお断りしております】

〈千葉県市川市河川敷(雨天時は場所を変更します)〉

午後12時~午後5時 (準備 午前11時30分)

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教区会

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月12日(金)13時42分43秒
編集済
  「友愛グループ教会連合の関東教区会」
《Now watching 1054》

年数回行う教区の牧師の集まりを持っています。食事をし、霊的な賛美の礼拝、プログレッシブ神学に対する一考察と神学研究、近況報告、お互いのためにとりなしの祈りなどをします。超教派の集まりの良さもありますが、同じ団体の中でのこのような集まりは、本当に嬉しいです。

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危機を好機に変える

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月12日(金)11時54分56秒
  「危機は好機に変えよう!」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/4/12(金)【1449】」

危機を迎えた時、好機に変える絶好の時であると考え方を変えて下さい。

「ピンチはチャンス!」というのは、単なるスローガンではありません。

それは本当の事だからです。

ピンチとは、姿を変え、変装したチャンスなのです。

私は、それを数数え切れないくらい経験して来ました。

まず、危機が来なければ、現状にあぐらをかいていたことでしょう。しかし、危機が来たから、「このままではいけない!?」「大変だ!?」「何とかしなければ!?」と目を覚まさせられるのです。

危機は、目覚まし時計のベルです。

「朝ですよ!起きて下さい!」

「自分を変えて行動する時が来ましたよ!」と知らせてくれているのです。

ありがたいものです。

その結果、即行動せざるを得ないように追い込まれることになり、やるべきことをやり遂げる時となり、結果として、それがチャンスに結びついていくのです。

危機が訪れた時、神に祈り、神に信頼して感謝して受け止めて下さい。それは、好機であり、チャンスなのです。

あなたにも、機器を好機に変えた経験がたくさんあるのではないかと思います。

コメントやメールで教えて下さい。

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人生における3つの坂

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月12日(金)08時34分46秒
  「人生における3つの坂」

人生には3つの坂があるといわれます。1つ目は「上り坂」、2つ目は「下り坂」、3つ目は「まさか」。

どんな人にも、「上り坂」をのぼる時期があります。何をやってもうまくいき、飛ぶ鳥を落とす勢いであがり続けます。特に若い時は、ちやほやされ、期待され、喜ばれます。

しかし、進学、入社、昇進、昇格、結婚、子供が生まれ、家を建て、貯金が増え、持ち物が増えていく時期は、ある時に終わります。

やがて、「上り坂」は「平地」になり、「下り坂」になります。

子供が自立し、退社し、引退し、親が亡くなり、配偶者との死別、そして、今まで持っていたものが一つ一つ奪い去られ、自分が必要とされなくなっていく時期がきます。人生の「下り坂」です。

しかし、人生の坂は、「上り坂」か「下り坂」だけではありません。予測不能な「まさか」があります。

「まさか」は人ごとではありません。誰にでも、ある日、「まさか」がやってきます。

小さな「まさか」なら、日常的にやってきます。

一体、「まさか」にどう対応したらいいのでしょうか?

① 聖書を読み、神に祈り、いつでも神の導きを受ける。
② 神と一体になり、神と共に歩む。
③ 人を赦し、愛し、祝福する。
④ マイナス思考を捨て、プラス思考で生きる。
⑤ どんなことも感謝する。
⑥ 夢と希望を持ち続ける。
⑦ 前進し続ける。
⑧ 間違いに気づいたら、素直に罪を認め、悔い改める。

このように生きる人には、「まさか」は災いではなく祝福になります。

ピンチはチャンスに変えられ、マイナスはプラスに変えられ、栄光から栄光へと成長し、一発大逆転します。

「まさか」をマイナスや呪いと考え忌み嫌わないで下さい。

感謝して、神と共に「まさか」に直面し、進むなら、「禍を転じて福と為す」と言われるように、まさかは大きな祝福なのです。

さらに、「上り坂」も祝福ですが、神と共に歩むなら、「下り坂」も祝福です。

「下り坂」とは、傲慢な生き様に気づかされ、本当の自分の立ち位置に立たせて下さる「坂」なのです。そうしたら楽ですよ。そのくだりきったところで神と出会うことができます。

聖書が語る神は、「私たち人間に上って来い!そうしたら救ってやろう!」と言われるのではなく、2019年前にこの地上に人間の姿をとり、私たちのところにまで来て下さったのです。

そして、今あなたの前におられます。心を開き、信じ、このイエス・キリストを心に受け入れるなら、罪が赦され、神の子とされ、永遠の命と天国のパスポートを頂き、救われます。

「下り坂」の突き当たりで、人は神と出会うのです。

「人生の3つの坂」は、どれも祝福です。人生には祝福以外ないのです。

素敵な一日でありますように。

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何を土台にして人生を生きたら良いか?

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月11日(木)12時28分18秒
  「何を土台にして生きたら良いのか?」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/4/11(木)【1448】」

人は何を土台にして生きているかは、試練によって試されます。

「わたしのもとに来て、わたしのことばを聞き、それを行なう人たちがどんな人に似ているか、あなたがたに示しましょう。その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、それから家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せたときも、しっかり建てられていたから、びくともしませんでした。聞いても実行しない人は、土台なしで地面に家を建てた人に似ています。川の水が押し寄せると、家は一ぺんに倒れてしまい、そのこわれ方はひどいものとなりました。」(ルカ6:47~49)

聖書は、地免を深く掘って、岩の上に家を建てることと、土台なしで家を建てることを対比して語ります。

土台とは、何が変わっても揺れ動かない確かな地盤です。

例えば、海岸の砂浜のように、波が押し寄せて来る度に形が変わってしまうものは地盤とは言えず、土台になりません。

私たちの住む世界において、何が変わっても変わらない、地盤となるものはあるでしょうか?

「形あるものは必ず壊れる」と言われます。

つまり、この世界において土台に出来るものはないのです。

いのちの息のある人はいつか必ず死ぬし、全宇宙も、地球も、その中に住むすべての動植物も、すべてが限りあるものです。

あらゆる価値観、哲学、宗教も、今は通用しても、やがて廃れてしまいます。

聖書は、宗教書ではなく、全人類と全被造物を造られた神の言葉です。ゆえに、変わることがないし、変わる必要もありません。

そこに、自分の土台を据える人は、聖書が言うように、「洪水になり、川の水がその家に押し寄せたときも、しっかり建てられていたから、びくともしませんでした。」(ルカ6:48b)という確かな人生を生きることが出来るのです。

「地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、それから家を建てた人」(ルカ6:48a)とは、どんな人でしょうか?

「わたしのもとに来て、わたしのことばを聞き、それを行なう人たち」(ルカ6:47)のことです。

聖書が語る「神」の元に行き、「神の言葉」を聞いて、実行する人のことです。

神は、2019年前に一人子イエス・キリストをこの地上に遣わされました。

神の元に行くとは、修行をし、真面目になり、良い人間に変って、神のおられる天に近づいていくのではありません。

神の側からあなたのところに来られたイエス・キリストを受け入れることです。

「何もしなくていい、ただ信じなさい!」と言われるのです。

それは、神にお任せすることです。自分に死ぬことです。

さらに、神の言葉に聞き、それをそのまま実行することです。

神の言葉を聞いて、実行するとはどうしたら良いでしょうか?

①神が遣わされたイエス・キリストを信じること
②この方を人生の主と迎えること
③洗礼を受けること

そこから人生の土台作りがスタートします。

私は、数え切れないほどの人に洗礼を授けて来ました。しかし、その多くの人が、洗礼を受けたことで、キリスト教を卒業してしまいました。

これは、大きな勘違いです。イエス様を信じて、洗礼を受けるとは、キリスト教の入学式なのです。

そして、キリストにつながり、キリストと一体になり、キリストと共に歩み続けるのです。

「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」(ヨハネ15:5)

卒業とは、天国に入る日です。

キリストというぶどうの木につながった途端、「はい、卒業させていただきます」というのは、一瞬キリストにつながって、再び、キリストから離れてしまうことなのです。

聖書は、「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」(ヨハネ15:5)と語ります。

確かな土台に一瞬だけ家を建てて、すぐに土台から切り離して、海岸の砂浜にポンと置いただけの家みたいなものです。

干潮の時には問題なくても、満潮になったら、水が溢れますし、台風がやって来て、大波や高潮が来たらひとたまりもありません。大地震が起こって津波が来たら、ぼろぼろにされてしまいます。

確かな土台の上に自分自身を据えたら、その土台は一生動かしてはいけないのです。

何も問題のない時には、確かな土台のありがたみを感じませんが、問題が起こり、試練がやって来た時には、確かな土台のありがたみがはっきりわかります。

あなたは、土台なしで生きていないでしょうか? つまり、移り変わり、消えてしまう、壊れてしまうものを頼って生きてないでしょうか?

確かな土台にあなた自身を据えて、頼って生きていきませんか?

それは、いつ行ったら良いのでしょうか? 聖書は、「今」だと語ります。

「私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。神は言われます。『わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。』確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。」(第二コリント6:1~2)

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心の方向転換をしよう!

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月11日(木)07時59分3秒
  「心の方向転換をしよう!」

物事がうまく行かない時に、不平不満を言うことが癖になっていないでしょうか。

もし、そのような習慣があるならば、言ったことでプラスになった経験はあるでしょうか。

不平不満を言うもっともな理由はあると思います。しかし、この癖は事態を悪化させるだけです。

それより、ありのままの状態を受け止めて、事態を好転させることに力を入れましょう。

不平不満を言う時は、人生の暗い部分、陰の部分を見ているものです。

陰の180度反対側には光があります。

ひまわりの花は、太陽に向かって向きを変えながら咲きます。私たちも、ひまわりのように明るい方向に心の向きを変えながら生きていきたいものです。

聖書が教える「悔い改め」は、「心の向きを変える」ことです。「闇から光」に、「悪魔から神」に、「病気から健康」に、「問題から祝福」に心の向きを変えましょう。

イエス・キリストは、「悔い改めなさい。天国が近づいたから。」と叫びました。

「天国が手を伸ばせば届く所にあるから、心の向きを変えて受け取りなさい。」ということです。

そこには、罪の赦しがあり、健康があり、祝福があり、永遠のいのちと天国があります。手を伸ばせばそこにあり、それはあなたのものです。

イエス・キリストは、十字架であなたが必要としている良いものを与えて下さいました。もう不平不満を言う必要はありません。

不平不満を言う癖を終わりにし、心の向きを変えて、感謝と喜びを口にしましょう。

あなたの気持ちは幸せになり、事態は好転し、最高の人生がはじまります。

素晴らしい一日でありますように。

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自分を知る

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月10日(水)11時55分5秒
  「人の醜い醜態を知ること、その性質が自分の中にもあることを知ることが成長につながる」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/4/10(水)【1447】」

牧師をしていると、人の本質を否が応でも見させられます。がっかりし、失望させられます。

しかし、それだけならば、人を裁き、勘違いした高ぶった人になる可能性がありますが、そうはなれません。

なぜならば、人の汚い本質を見て、絶望した同じものを自分の中にもあることを見させられるからです。

毎日、聖書を最低10章読み、1時間以上祈ることを心がけていますが、その中で、神様が私の本質に光を当てて下さり、鮮明に見させて下さいます。

預言者イザヤは、イスラエルの醜い醜態を見て、嘆き、罪を糾弾しました。しかし、主の聖さの前で、自分も同じ汚れを持っていることに気づかされました。

「ウジヤ王が死んだ年に、私は、高くあげられた王座に座しておられる主を見た。そのすそは神殿に満ち、セラフィムがその上に立っていた。彼らはそれぞれ六つの翼があり、おのおのその二つで顔をおおい、二つで両足をおおい、二つで飛んでおり、互いに呼びかわして言っていた。『聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満つ。』その叫ぶ者の声のために、敷居の基はゆるぎ、宮は煙で満たされた。そこで、私は言った。『ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから。』すると、私のもとに、セラフィムのひとりが飛んで来たが、その手には、祭壇の上から火ばさみで取った燃えさかる炭があった。彼は、私の口に触れて言った。『見よ。これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの不義は取り去られ、あなたの罪も贖われた。』」(イザヤ6:1~7)

イザヤは、自分の汚れを知った時、「ああ。私は、もうだめだ。」(イザヤ6:5)と叫びました。

その時、主の火がイザヤをきよめ、贖い、不義が除かれました。

人が成長するためには、自分の本質を知らされると共に、「そのままではダメだ!」と感じて、神に救いと助けを求める心が必要です。

「クリスチャンは、所詮、罪人なのだから、そのありのままを認め、心のままに生きたら良いのだ!」と、ありのままと我がままを取り違えてしまう人に会うことがあります。

「悔い改めて、神に立ち返りましょう!」と牧師が語っても、「律法主義だ!」「頭が固い!」などと反発して、生き方を変えない人を見ることがあります。

しかし、その性質は私の中にもあるのです。

だから、安易に人を裁くことはできません。

だからと言って、罪の中に留まることを肯定できません。罪は、神を悲しませ、人を傷つけ、自分を破滅に向かわせるからです。何一ついいことはありません。

人の醜さを見て、裁いて、そこで終わってしまったとしたら、自己満足で終わり、成長は止まります。

「人の振り見て我が振り直せ」ということわざがありますが、人の欠点はよく見えるのに、自分には甘いという人がいます。

しかし、人を簡単に責められないのは、そういう性質が私にもあるし、みんな持っているからです。

神様は、恵みと愛によって、自分の汚れと醜さを見させ下さり、赦し、きよめて下さり、成長させて下さるのです。

人は、成長した分だけ幸せになり、祝福され、豊かになれます。

そして、愛と正義を持った人に近づけるのです。

人は、多くの場合、偏ってしまうのです。

寛容な人は、「何でもいい!」と言って、いい加減になり、厳しい人は、厳格になって、狭く、頑固な人になります。

しかし、自分の醜い本質を知り、神の憐れみを求め、神の赦し、贖い、きよめを経験した人は、愛と謙遜な心を持って、人を正し、人を指導できるようになるのです。

かつての私は、自分の醜さを見て、知ることで、人に注意したり、指導できない人間でした。しかし、神の光によって自分の醜さを知らされ、神に憐れみを求め、神のきよめを経験した後には、優しい心で厳しい指導ができる人間に変わりつつあります。

「兄弟たちよ。もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。」(ガラテヤ6:1~2)

柔和な心で人を正すことができる人になれますように。

神の恵みに感謝を致します。

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本当の自分を生きよう

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月10日(水)08時03分38秒
  「本当の自分を生きよう」

中年の仕立て屋の一郎さんは、何十年も変わらない日課に従っています。毎日、擦り切れた同じ洋服を着て、自分の店に出かけます。途中で教会によって、神に祈りを捧げる。一日一生懸命に働いた後、家に帰って、稼いだお金を妻に渡す。しかし、一郎さんは、毎日100円の宝くじを1枚買っていました。

ある日、一郎さんは当たりくじを引きました。1億円の小切手を持って帰宅し、いつものように小切手を妻に渡しました。翌朝、いつも通りに擦り切れた洋服を着て、仕事に行こうとすると、妻が呼び止めました。「あなた、あなたはこれまでずっと苦労して働いてきたわ。今やっと、楽しく暮らせるチャンスが来たのよ。新しいスーツを買い、マッサージを受け、おいしいものを食べたりして、もっと自分を大切にして下さい!」

いつも妻の言葉に従う一郎さんは、その提案を素直に実行しました。何万円もするスーツを仕立て、マッサージを受け、散髪をし、おいしいものを食べて、生まれてはじめてあらゆる贅沢を体験し、見違えるようになりました。これが、あの一郎さんだと誰がわかるでしょう?

肩をいからせ、胸を張り、大通りを大またで渡っていると、猛スピードで車が走って来て、気の毒に一郎さんを跳ね飛ばしました。

一郎さんは、正しい生き方をして、大通りを通って天国に到着しました。神様に聞きました。「私は、生涯まじめに働きました。毎日コツコツと日課を行って来ました。しかし、最後に違った生き方をした時に、あなたは全てを取り上げました。なぜですか?」

神様はしばらく間を置いてから、言った。「一郎、正直言うと、あなたがあまりにも変わってしまって、あなただと気づかなかったんだよ。」

〈贅沢がいけない」という話ではなく、「その人らしい生き方がある」ことを教えてくれています。

一郎さんの生き方から学ぶことは、「自分じゃない自分になろうとする」のではなく、「本当のありのままの自分になって」生きることです。

人や時代が考える理想の姿を目指して、自分を変えようとするのではなく。「本当の自分」を慈しみ、磨き、最高に生きることです。

神様が考える理想は、本当のあなたになり切ることです。神と出会い、本当のあなたの姿を知り、殻を破って、本当のあなたに向かって今日も前進して参りましょう。

「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。」(エペソ2:10)

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心配か、信頼か

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月 9日(火)14時18分11秒
  「心配か、信頼か」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/4/9(火)【1446】」

私には、心配の材料となるものがたくさんあります。

いろいろな人間関係を持つということは、気分転換になる面もありますが、その裏面として、様々な厄介な問題があります。時間も取られるし、疲れます。

人間関係以外には、経済や健康などの心配の材料があります。

なぜ、心配と言わないで心配の材料と言っているかというと、心配の材料は、心配することに変えることも出来ますが、信頼に変えることも出来るからです。

心配と信頼の違いは、「ぱ」と「ら」の違いですが、この言葉をつなげると「パラ」になります。

新約聖書の原文のギリシャ語で「パラ」という言葉は、「傍らに」という意味の言葉です。

聖書では、三位一体の神の聖霊に対して、「助け主」や「慰め主」と訳されて言葉に「パラ」が入っています。「パラ・クレイトス」です。

「パラ」は「傍らに」で、「クレートス」は「呼ばれた者」という意味の言葉です。

「聖霊」とは、私たちの傍らに立ち、呼んで下さる、呼び寄せて下さるお方なのです。

また、「傍らに立つ」とは、元々は弁護士を意味する言葉です。

弁護士は、裁判にかけられ訴えられている時に、被告人の側に立って弁護をし、無罪を主張したり、刑が軽くなるように情状酌量を求めてくれます。

後になって、一般的に、助言をしたり、慰めてくれる人も含めて指す言葉になりました。

聖霊は、神であり、いつも私たちと共にいて、訴えられたり、困った状況の時には弁護をしてくれますし、困っている時には助けて下さいます。傷つき、落ち込んでいる時には、傍ら似呼び寄せて慰めて下さり、迷っている時には助言を与え、優しく導いて下さいます。

「心配」と「信頼」を分ける分水嶺は、聖霊なる神と共に歩むのか、否かです。

どんなに大きく、多くの心配の材料があっても、神と共に歩み、生き、考えるならば、この方に頼り、ゆだねるなら、信頼に変わります。赤ちゃんが母親の胸に抱かれて安心し切っているような状態です。

しかし、どんなに有能な人で、人生の経験が豊富な人でも、神を信じないならば、心配の材料の前には形無しになります。

神を信じない、神に祈らない、神に頼らないというのは、神ではなく、神の実力もない自分が神の役を担うことになります。

能天気で、楽観的な人でも、窮地に追い込まれ、身の危険を感じた時には、取り乱し、全くの無力の状態になります。

みなさん、これが本当の人間の姿です。

「人間は、神より少し低く造られた」と聖書は語ります。

「あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。」(詩篇8:5)

人は、神と同じ性質を持っています。神に似ている存在なのです。しかし、神よりいくらか劣るものであるという意味は、神に頼らなければ生きていけない存在であるという意味です。

人間が、修行をし、心がけ次第で強くなり、神のように全能の存在となれるなら、宗教などに意味がありますが、神を信じ、神に頼ることを教えない宗教は、診療能力や治療能力のない藪医者みたいなものです。

人を騙してお金を巻き上げる悪徳病院のような宗教もない訳ではありません。

キリスト教は宗教ではありません。神と共に生きる生き方を教え、神と共に生きる道です。

キリスト教の本質は、キリスト道なのです。

その道をあなたも生きてみませんか?

心配の材料は、神への信頼に変わります。

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人を批判する時の心得

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月 9日(火)04時46分21秒
  「人を批判する時の心得とトレジャー・ハンター」

学生時代、親、教師、社会、政治などに対して痛烈に批判しました。神学校に通うようになると、クリスチャンや牧師に対して批判したことを思い出します。

批判をしている時の私は・・・
①自分が知るべきこともまだ何も知らないということを知りませんでした。

②自分が正しいと信じて疑っていませんでした。

③自分がいっぱしの者であるかのように思い上がっていました。

一人の大学生が、教授から批判することに対しての教訓を得ました。

本を読んで、著者に対して自信満々で批判的な意見を述べました。

それを聞いた教授は、「ちょっと読み込みが甘いというか、もう少し著者の意見に耳を傾けましょう」と言いました。

「え、なんで!?・・・」と思ったそうです。

続けて教授は、「君の指摘している点はある意味で正しいかもしれません。けど、著者の本当に言いたいこと、何を言いたいのかということを、本当に理解しようとしてから、そういう点を指摘してますか?」

「その人が本当に言いたいことを理解するつもりで意見を聞き、その言いたいことを結論づける上で根拠や理由に不十分な部分があるなら、それは指摘して『あげる』必要があるんです」

ハッとしたそうです。

自分の意見は、重箱の隅をつついて、ただ「間違ってやんのー。 やーいやーい、減点~!」と言っている子どもと同じ。

著者が言いたいことに耳を傾けることなく、ただ、わけも分からず、足をひっぱろうとしていただけだったと気づきました。

まず批評ありきで、著者の意見の甘いと思ったところを指摘してやろうと身構えていたら、相手が本当に言いたいことを見過ごしてしまいます。

私は、数年前から、毎日2つ以上の文章をネット上に投稿し続けています。

これを毎日やっていると、時間が限られていますので、文章の校生をしないでそのままアップロードしてしまうこともあります。つまり、不十分な文章のまま載せてしまうこともあります。

勇気をもって間違いを指摘してくれる人がいたらありがたいです。お礼を言って、すぐに訂正します。

ただ、批判してくれる人の中には、文章の本筋ではなく、枝葉の部分の話に過剰反応して、のべつ幕なく攻撃的、かつ感情的に持論を展開する人もいます。

時間があれば、その人とじっくり話し合いたいですが、お互いの時間が合わなかったり、そこまでの時間は取れません。

何より、私が本当に言いたいことに耳を傾け、理解しようとしない心から出る批判は、私が何を話そうと、聞く耳はなく、堂々巡りが続き、残念な結果に終わってしまうことがあります。

批判をしてくれるということは、真剣に文章を読んでくれていることです。その心はありがたいです。

また、私自身に関心を持ってくれていることに感謝したいと思います。

しかし、パッと目に付く部分を、さっと批判してしまう前に、筆者が、一体何を言おうとしているのかに耳を傾け、それを受け止めた上で、「ここが不十分だと思いますよ」と指摘してくれるとしたら、さらにありがたいです。

もし、本筋ではない枝葉の内容のことで、「あーでもない、こーでもない!」と、落ち度を批判したくなったとしたら・・・、ちょっと立ち止まって、もう一度読んでみて下さい。

次に、聖書を安易に批判する人がいます。

聖書と向き合い、聖書が何を語ろうとしているのかに耳を傾けて、理解しようとした結果、批判するのは構いませんし、否定するというなら仕方ありません。しかし、最初から、自分なりの聖書観という色メガネをかけて、聖書の矛盾点を探すだけの批判なら、いささか早とちりであり、早合点の勇み足ではないかと思います。

聖書は、「・・・もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。」(使徒の働き17章27節~28節)と語ります。

また、「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたし(イエス・キリスト)について証言しているのです。それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたし(イエス・キリスト)のもとに来ようとはしません。」(ヨハネの福音書5章39節~40節)と書かれています。

批判する心が文明や文化を発達させて来ました。批判をし、より良くしていこうという心は大切です。

しかし、批判のための批判ならば、理解し合うことなく、争いを生み出すだけです。そして、そこに隠された宝に気づかないで、見過ごしてしまうこともあります。

みなさんは、じっくり文章を読んで下さる方々だと思います。ぜひ、聖書に向き合い、じっくり読んでみて下さい。そこに、想像もできないほど素晴らしい宝が隠されていると思います。聖書を読むことは、世界最高のトレジャー・ハンティングです。

「天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。」(マタイの福音書13章44節~46節)

今日も素敵な一日でありますように。

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自賠責保険延長

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月 8日(月)18時04分41秒
編集済
  「自賠責保険延長」
《Now watching 1053》

オートバイの自賠責保険が切れていることに気づいたので、近くのバイク屋に来ました。人の良さそうな夫婦が一生懸命やってくれていますが、すでに30分。軽二輪なのに、原付二種を選択してしまったようです。車で待っている妻から、「あなた、早くして!」と電話。店のおじさんがイスを出してくれて、古いバイクの話で盛り上がっています。旅は道連れ世は情け。優雅な時間を過ごしています。

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消防団入団促進活動

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月 8日(月)12時34分32秒
編集済
  「火事は消すが、心に火を点ける牧師」
《Now watching 1052》

大学の入学オリエンテーションにて、消防団入団のお誘いをします。登壇時間は午後2時過ぎ。早く着き過ぎましたが、遅れるより遥かに良いです。消防団院として火事は消すが、心に火を点ける出前牧師カンちゃんです。

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小さな戦い

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月 8日(月)10時59分12秒
  「小さな戦い」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/4/8(月)【1445】」

子供の頃、様々な夢を見ました。そこには何の計算もありませんでした。

しかし、大人になると、そのほとんどの夢をあきらめてしまうのではないでしょうか。思い通りにいかない経験をするからです。

戦わないと、マイナス思考がもたげて、いつの間にか否定的になってしまいます。

その時、現実を直視し、現実を受け入れながらも、同時に、「神が共におられるから夢は実現する!」と、自分の中で小さな戦いをし、その戦いに勝利したいものです。

その勝利の積み重ねが、大きな勝利になり、夢で願ったよりはるかに素晴らしい未来を生きることになるのです。

この小さな戦いを戦わないならば、萎縮してしまいます。

しかし、神を信じ、神に祈り、神と共に不信仰に立ち向かうならば、信仰が与えられます。

その信仰を持って今日も生きていきましょう。

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人を助けることで助けられる

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月 8日(月)08時22分12秒
  「人を助けることで助けられる」

ある日、「天国」と「地獄」から招待状が届いた。それぞれの場所を旅して気づいたことは、どちらも同じ光景でした。

しかし、天国の住人は豊かに太っているのに、地獄の住人は醜くやせていました。

天国の食卓にも、地獄の食卓にも、それぞれ1mのフォークとナイフが置かれています。

地獄の人たちは、1mのフォークとナイフを握って、一生懸命食べようとしますが、どう工夫しても食べることができませんでした。

天国の人は、お互いに相手に食べさせてあげているので、助け合って、おいしく食事をしていました。

天国の住人は互いに助け合って生きていますが、地獄の住人は自分のことだけを考えて生きています。

みなさん、天国と地獄は、死んだ後にいく場所ですが、この世の中でも天国と地獄を味わうことができます。

互いに愛し合い、助け合う関係のある場所は、天国です。しかし、利己的で、自己中心で、互いにねたみ合い、無関心な関係しかもてないなら、地獄です。

キリストは、「神の国(天国)は 実にあなたがたのただ中にある(ルカ17:21)」と言われました。

今日、私たちのただ中に天国を作りましょう。大金持ちにならなくても、権力を握らなくても、高い地位を得なくても、天国は、あなたのちょっとした心がけで作られるのです。

素敵な一日でありますように。天国を味わえますように。

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ATS人生

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月 7日(日)19時51分25秒
  『「KKT」ではなく「ATS」』
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/4/7(日)【1444】」

今だから言えることは、神に従う人生は最高に幸せです。

クリスチャンになる前の私は、「イエス様を信じたら天国に入れる」という知識だけはあったので、死ぬ直前まで好き勝手に生きて、死ぬ直前に、「今更ですが、イエス様を信じます。おこがましいですが、天国に入れて下さい」と祈ろうと心で決めていました。

イエス様を信じる人生は犠牲が伴うし、「かたい、くらい、つまらない」という「KKT」の人生だろうと思い込んでいました。

そして、クリスチャンに成りたての頃は、好きなこと、面白いこと、やりたいことができなくなるので、「あーあ」と思っていましたし、高校卒業後に神学校に入ってしまったので、不自由に感じたことを思い出します。

しかし、だいぶ経ってからですが、クリスチャンの人生は最高に素晴らしいことに気づきました。

「明るく、楽しく、幸せ」つまり、「ATS」の人生を味わっています。

私は、世の中に喜びを見出していたし、世の中で成功することこそが真の人生の幸せだと感じていました。

その私が砕かれ、変えられて、神様と共に歩む人生の幸せに気づくまでには、多くの時間がかかりました。

有能なトップ・セールスマンであり、モティベーション・スピーカーの「ジグ・ジグラー」は、「自分がセールスする商品は、会社から無料でもらってはいけない。自分のお金を出して買って、日常的に使いなさい。そうしたら、最高のセールスマンになれる」と言いました。

牧師や伝道者は、キリスト教を商売道具とするのではなく、そこに飛び込み、体験し、日常の中で生きることが大切だと思います。そうしたら、ありのままのクリスチャン生活をわかりやすく語ることが出来ると思います。

ネットでも、ストリートでも、いつでも、どこででも、イエス様を伝えたいと思っています。

クリスチャンになり、牧師・伝道者になれて幸せです。

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負わされた十字架

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月 7日(日)07時32分9秒
  「負わされた十字架」

アメリカのテキサス州に大地主がいた。

ある日、誕生日のお祝いに、大勢のお客さんを家に招いた。宴もたけなわになった時、庭に人々を集めてこう言った。

「みなさん、本日はようこそお出でくださいました。こちらのプールをどうぞご覧ください。オリンピック規格の正式なプールです。向こう側まで泳ぎ切った人にご褒美を差し上げます。私は、たくさんの別荘を持っていますが、そのうちの一つを差し上げましょう。あるいは、私には未婚の一人娘がいます。これは娘次第ではございますが、独身の方で挑戦したいと思う方は是非、申し込んでみてください。ただし、気をつけて下さい。プールの中で見え隠れしているのはワニでございます。一週間、何も食べさせていません。さらに、アマゾンの流域から持って来たピラニア一万匹をプールに放ってあります。それでもやりたい方はどうぞ・・・」

すると、一人の青年が突然、バシャーンと飛び込んで「イヤー!」と泳ぎはじめた。みんなは「いや~、すごいな~、勇気あるな~」とびっくりし、固唾を飲んで見守りました。

すぐにワニがやってきて、バッ!ピシャ!血しぶきが上がりました。ピラニアはピョン、ピョン、ピョンと追いかけて、食いつきました。プールの水は、次第に血で染まっていきますが、それでも狂ったように泳ぎ続けて、とうとう向こう側まで泳ぎ切りました。

抱えられるようにして、大地主の前に運ばれました。この青年はみごとに泳ぎ渡ったのだ。大地主は顔が青くなりまひた。

「と、ところで、あなたは別荘がほしいですか、それとも娘がほしいですか?」

「いや、私はどちらもほしくありません」

大地主と人々は驚いた。

「では、あなたは何がほしいのですか?」

「いや、ほしくありませんが、どうしても一つのことが知りたいのです」

「何が知りたいのですか?」

青年は叫んだ。「いったい誰が後ろから俺を押したんだ!」

これはフィクション(作り話)だと思いますが、青年は、押されててプールに落ちて、泳ぎ切りました。背負わされた十字架のようなものです。そこに祝福がありました。

クレネ人シモンは、無理やりイエス様の十字架を背負わせられました。計り知れない祝福があったと思います。

私たちの人生には、十字架を負わされるような経験をすることがあります。十字架には3重の祝福があります。

①十字架はプラスの形をしています。十字架を負う時に、人生のマイナスがプラスに変わります。

②イエスは、十字架で全人類の罪を背負われました。十字架を信じて受け入れる人は、罪の刑罰と罪責感、悪魔からの圧迫、病い、呪い、死の力から解放されます。

③自分の十字架を負う時に、キリストの弟子となることができます。

イエスはこう言われました。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(マタイ16:24)

教会に来たら、十字架にかかり、復活し、今も生きておられるイエス・キリストと会うことができます。日曜日は教会にいらっしゃいませんか?

素敵な一日でありますように。

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御茶ノ水伝道と賛美集会

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月 6日(土)23時36分13秒
編集済
  [「御茶ノ水駅路傍伝道」と「第18回賛美集会」]
「神様を中心にした交わり」
《Now watching 1050》

https://youtu.be/GIyNEDkKuws 〈動画〉

最近では、月に一度は御茶ノ水で伝道をしているので、新宿駅と並んで、御茶ノ水駅もホームグラウンドのように感じます。今日は、男性だけののべ10名が集まっての活動を行ないました。聖書30冊、チラシ80部を持って来ましたが、あっという間に配り終わってしまって、チラシを50部コピーして配りましたが、それも配り終わりました。チラシだけではなく、音楽の反響もよく、立ち止まったり、動画や写真を撮影する人たちも多くいました。親子や学生、外国人、中には、通りがかりのクリスチャンの人たちもいました。駅の前で歌ったり、語ったりしている姿を見て、刺激を感じてくれているようです。クリスチャンの人たちの中には、「伝道しなくっちゃ!」という思いを抱く人たちもいるようで、それだけでもやる意味があると感じます。伝道を終えて、次に、御茶ノ水クリスチャンセンターに場所を移動して、賛美集会をしました。時間は、メッセージを含めて1時間30分ですが、その後の交わりも、1時間30分くらい行いました。話し合ったのは、今後のより良い活動をしていくためにどうしたら良いかを話し合いました。交わりの時間は、世間話で終わってしまうことがあります。世間話を好む人がいるため、その場を導く人がいないといけないなと感じます。もしかしたら、各教会でも同じような傾向があるのではないかと思います。交わりとは、神様を中心にして、今、ここでしか話せない重要なことを話し合いたいものです。もちろん、他愛のない話題で笑ったり、ホッとしたりすることも大切です。結局は、バランスが大切なのだと思います。伝道も、賛美集会も、交わりも、良い時間となりました。

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試練は最良の時

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月 6日(土)07時31分7秒
  「試練は最良の時」

人は、ある時、自分の本当の姿をさらすようになります。特に、力を握った時です。

状況が変わることで、態度を変貌させる人を見たことがあるでしょうか?

力のある人の前ではへつらい、力がない人の前では横柄に振舞う人。

普段おとなしいのに、車のハンドルを握ると性格が変わって、乱暴な運転をする人。

選挙の前には腰が低いのに、当選してしばらくすると威張る政治家。

人気が出る前と売れるようになった後で態度が激変する芸能人、歌手、俳優、著名人。

まじめで品行方正だった人が、力を握った後に汚職に手を染めたり、贈収賄で逮捕されたり、スキャンダルまみれになる人。

人は、お金、権力、成功、名声、力、実績などを得た時に、隠れていた本当の姿を現します。

なまじっか苦労しないで成功したり、親の七光りによって苦労知らずのおぼっちゃん・お嬢さん。若い時に才能が認められて有名になった天才少年・少女など、人格が整えられる機会を通らないで力を得たり、有名になって、スポットライトが当てられた時に醜態をさらしてしまう人がいたりするものです。

反対に、なかなか日の目を見ず、うだつが上がらず、試練続きで、「何で私ばっかり貧乏くじを引かなければならないの?」と感じる人がいたとしても悲観しないで下さい。

試練の時に、人格が磨かれ、整えられ、鍛えられるからです。人生が思い通りにならなくても感謝し、喜んで下さい。今が、人生の中で最も重要なプロセスを通っているからです。

人格と器が整えられてから、力を得たら、鬼に金棒のように力強く、何をしても栄え、素晴らしい働きをする人になります。

少し前に、東京スカイツリータワーを見に行きました。とても感動しました。スカイツリーは、地上に出ている部分だけではなく、タワーを建てる前に、深く深く地下を堀り、そこに土台を据えています。

試練の時は、人生で大きな働きをする前の土台作りの時です。このプロセスをバイパスして、苦労をしないで成功したいと思うものですが、土台がなくして高い建物を建てることが危険なように、人生で大きな働きをする人、自分自身の土台作りに力を入れなければなりません。

思い通りに行かない時、傲慢な自我が砕かれ、忍耐が身に付きます。そして、本当の自分を知り、自分を受け入れ、謙遜になり、人格が整えられるのです。

「あなたの始めは小さくても、その終わりは、はなはだ大きくなる。」(ヨブ記8:7)また、「イエスは、・・・たとえを彼らに示して言われた。天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」(マタイ13:31~32)と聖書には書かれています。

はじめは小さくても、後や終わりに大きくなり、栄えるならば素晴らしいことです。日本のことわざにも、「終わり良ければすべて良し」と言われますが、本当ですよね。

最初うまく行っても、後で取り返しのつかない失敗をしたり、全てがなし崩しになってしまったり、壊れてしまったとしたらとても残念ですし、悲しいことです。

長い試練を経験したとしても、人格が磨かれ、整えられ、鍛えられて、その後に素晴らしい働きをすることが理想です。

自分の先を越して行った同僚、後輩、うまく出世したように見える人を見て、自分と比較してあせったり、妬んだりする必要はありません。「人は人」「自分は自分」です。与えられた自分の道を一歩一歩、真っ直ぐに進んで行って下さい。

「ダニエルよ、あなたの道を行きなさい。・・・終りまであなたの道を行きなさい。」(ダニエル12:9)と聖書は語ります。神様はあなたにも、「あなたの道を行きなさい。・・・終りまであなたの道を行きなさい。」と語っておられるのです。

「千里の道も一歩から」です。今日も良い一日でありますように。

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首都圏イースター

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月 5日(金)19時58分28秒
  「首都圏イースターの委員会と決起会」
《Now watching 1049》

イエス様は、わたしはよみがえりでありいのちである。」と語り、事実復活されました。人類最大の敵である死は打ち破られました。すべての問題が解決されたに等しいです。この方を信じて、復活のいのちをいただいて生きていきましょう。

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継続は力

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月 5日(金)12時23分21秒
  「継続は力」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/4/5(金)【1443】」

私が高校生時代によく聞かされた言葉が、「継続は力なり」です。

学校に通い続ける。
勉強をし続ける。
決められたことをやり続ける。

これを行なったことで、高校を卒業することができました。

「継続は力なり」の言葉のリアルさを身を持って感じます。

これは毎日の戦いであり、一瞬一瞬の小さな小さな戦いであると思います。

「忙しいからあとでしよう!?」
「今日は疲れたからもういいんじゃないかな!?」

このような言葉で、継続するという戦いに負けてしまうと、次の時には、もっと戦いに勝つことが難しくなります。

そうして、習慣は簡単に壊れて行くのです。

「三日坊主」とはよく言ったものです。

毎週日曜日に神様を礼拝する習慣。
毎日聖書を読み、祈る習慣。
毎日運動をする習慣。

そして、毎日文章と写真を準備してネットにあげる習慣。

これらをお休みすることは楽です。しかし、それを再開するのは、休めば休むほど難しくなります。

だから、自分に厳しく、例外を認めないようにしています。

どうしてもどうしても、仕方がないことがあります。それは仕方がありません。

しかし、遊びや趣味などの気分転換に時間を使い過ぎて、習慣としていることが疎かにされてしまうようであれば、本末転倒です。

遊びや趣味などの気分転換をするとしたら、1~2時間早く起きて、習慣としていることを先に済ませるようにしています。

だから、「忙しくてできない!」というのは言い訳であり、正直に言えば、「やる気がない!」のです。

それを認めた上で、自分が大切にしている習慣を継続していきたいものです。

習慣は、人生のごくごく一部ですが、それを続けることで、やがてあなたの人生となっていくのです。

大きな戦いに勝つ前に、「小事に忠実」という小さな毎日の戦いに勝利していきましょう。

「小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。」(ルカ16:10~11)

神様は、あなたが小事に忠実ならば、大事にも忠実であると考えて、大事をも任せて下さるに違いありません。

継続は力です。

その継続するための、毎日の小さな戦いに勝利し続けていきましょう。

神に祈るなら、神が助けて下さいます。

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神の三つの願い

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月 5日(金)07時53分55秒
  「神の三つの願い」

神様は、私たちに3つのことを願っておられます。

①いつも喜んでいなさい。
②絶えず祈りなさい。
③すべての事について、感謝しなさい。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(第一テサロニク5:16~18)と聖書は語ります。

①いつも喜んでいなさい。
いつも喜ぶことは命令であり、その神の命令に対する選択です。私たちは、うれしくないこと、悲しいこと、つらいことを経験するからです。

つまり、いつでも喜べるわけではありません。いつも喜ばず、感情の赴くままに生きることの方がはるかに簡単なのです。

感情の流れに逆らっても、喜びを選択し、喜びたいものです。

②絶えず祈りなさい。
理屈抜きに、絶えず祈りましょう。「どうしようかな?)「こうしようかな?」と考えている時間があったら、「神様!」と祈りましょう。

神様は、その祈りに答えて、助けて下さいます。

③すべての事について、感謝しなさい。
私たちは、自分の願った通りのことが起こったら感謝します。しかし、都合の悪いことが起こったらどうでしょうか?

おそらく、感謝しない人が圧倒的多数ではないかと思います。

「すべての事について、感謝しなさい。」という聖書の命令は、都合が悪いことが起こった時にも感謝することなのです。

絶対感謝です。

しかし、理由なき感謝ではありません。

理由の根拠を、自分の物差しや自分の感情に置くのではなく、神に置くことです。

神は、マイナスをプラスに変え、ピンチをチャンスに変え、最善以下はなさいません。

すべてのことを働かせて益として下さるのです。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28)

聖書は、次の言葉を持って締め括ります。

「これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」と。

神は、明確に、私とあなたに、この3つのことを願っておられます。

しかし、この箇所の聖句だけを切り取って語ることもできますが、聖書の前後関係があります。

使徒パウロは、この聖句が登場する前には、終末について語っています。

神が、すべてのことを働かせて益として下さるだけではなく、今の世界、今の状態、今の苦しい状況や環境はいつまでも続くのではなく、終わりがある。そして、神は、最終的に、さらに良い世界に私たちを連れて行って下さるのです。

目の前の木ばかりを見るのではなく、全体の森を見るように、今の現状だけを見るのではなく、永遠という視点から今を見てみましょう。

神様が、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(第一テサロニク5:16~18)と語られた意図がわかると思います。

神様に感謝を致します。

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人は自己中心な存在であるが

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月 4日(木)14時38分27秒
  「人は自己中心な存在であるが」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/4/4(木)【1442】」

人は自己中心な存在だとつくづく感じます。

どれくらい自己中心かというと、自分が自己中心だとわからないくらい自己中心です。

それが罪の根底にある原罪ですので、仕方がありません。

だからこそ、2019年前にイエス・キリストがこの地上に来られたのです。

修行や修養くらいで人が変われるなら、キリストは必要ありません。

人は神との関係が切れてしまったことによって、徹底的に堕落し、壊滅的な状態になってしまいました。

しかし、希望があります。

その希望はイエス様にあります。

人は変われる。変わり得る。

それは、自分が自己中心であると気づき、それを認め、変えていただきたいと願うならです。

神様は素晴らしいです。

人生には希望があります。

そして、本当の希望は、その先にあります。

あー、本当にありがたいです。

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路傍伝道ネットワーク 最新の予定

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月 4日(木)08時45分41秒
  「路傍伝道ネットワーク 4月以降の活動予定」

【次回】
4月6日(土)
★『御茶ノ水駅路傍伝道』と『第18回賛美集会』
[前半]
〈御茶ノ水橋口 路傍伝道〉
午後5時~午後6時30分(準備 午後5時~)
[後半]
〈第18回賛美集会(御茶ノ水クリスチャンセンター402号にて)〉
午後7時~午後8時30分
【終了後に会場にて愛餐会 軽食持参】

4月13日(土)
★『山手線祈祷会』と『日暮里駅路傍伝道』
[前半]
〈山手線内で祈祷会〉 午後5時~午後6時
【午後5時までに山手日暮里駅〔外回り〕先頭車両ホームに集合】
[後半]
〈日暮里駅 東口 路傍伝道〉 午後6時30分~午後8時
【伝道から参加の方はご連絡下さい】

4月15日(月)
★『第三月曜日定例 新宿路傍伝道』
〈新宿駅東口下車 駅とアルタ前の中間広場〉
午後6時~午後8時(準備 午後6時~)

4月20日(土)
★『山手線祈祷会』と『鶯谷駅路傍伝道』
[前半]
〈山手線内で祈祷会〉
午後5時~午後6時
【午後5時までに山手線 鶯谷駅 〔内回り〕 先頭車両ホームに集合】
[後半]
〈鶯谷駅 北口 路傍伝道〉
午後6時30分~午後8時
【伝道から参加の方はご連絡下さい】

4月23日(火)
★『越谷駅 路傍伝道』
午後5時~午後7時(準備 午後4時半~)

4月25日(木)
★『宇都宮駅西口 路傍伝道』
〈ペデストリアンデッキ一階〉
午後5時~午後7時(準備 午後4時半~)
【新宿周辺から、車で一緒に行くことも出来ます】

4月27日(土)
★『路傍伝道 荒野の旅』
〈午後5時までに池袋駅西武東口に集合〉
【途中での参加や帰ることも可能】

4月29日(月・昭和の日)
★『J+PASSION TOKYO ブース出展』
〈御茶ノ水クリスチャンセンター8階〉
午前9時~午後7時
【特に、朝一番に人員を必要としています】

5月1日(水)
★『新メンバー歓迎 バーベキュー親睦会』と『野外礼拝』
【参加希望者は予め連絡下さい】
〈千葉県市川市河川敷(雨天時は場所を変更します)〉
午後1時~午後4時30分(準備 お昼12時)

5月3日(金・憲法記念日)
★ 『千葉遠征 路傍伝道』
船橋駅中央改札口に午後4時集合
①船橋駅 中央改札口集合 (午後4時~午後5時)
②津田沼駅 北口 駅前広場 (午後5時30分~午後6時20分)
③千葉駅 東口 クリスタルドーム跡付近 (午後7時~午後8時)

5月6日(月・振替休日)
★『第一月曜日定例 川口駅伝道』
〈西口 歩行者用二階デッキ〉
午後5時~午後8時(準備 午後5時~)

5月11日(土)
★『御茶ノ水駅路傍伝道』と『第19回賛美集会』
[前半]
〈御茶ノ水橋口 路傍伝道〉
午後5時~午後6時30分(準備 午後5時~)
[後半]
〈第19回賛美集会(御茶ノ水クリスチャンセンター402号にて)〉
午後7時~午後8時30分
【終了後に会場にて愛餐会 軽食持参】

5月13日(月)
★『TORCH宣教大会 夏の陣 ブース出展』
〈文京シビックホール 大ホール〉
午後4時~午後8時
【特に、午後4時台~5時台に助けが必要です】

5月18日(土)
★『山手線祈祷会』と『上野駅路傍伝道』
[前半]
〈山手線内で祈祷会〉
午後4時30分~午後5時30分
【午後4時30分までに山手線 上野駅 〔外回り〕 先頭車両ホームに集合】
[後半]
〈上野駅 公園口 路傍伝道〉 午後6時~午後7時
〈上野駅 不忍口 路傍伝道〉 午後7時~午後8時
【どちらかの伝道から参加の方はご連絡下さい】

5月20日(月)
★『第三月曜日定例 新宿路傍伝道』
〈新宿駅東口下車 駅とアルタ前の中間広場〉
午後6時~午後8時(準備 午後6時~)

5月24日(金)
★『山手線祈祷会』と『御徒町駅路傍伝道』
[前半]
〈山手線内で祈祷会〉
午後4時30分~午後5時30分
【午後4時30分までに山手線 御徒町駅 〔内回り〕 先頭車両ホームに集合】
[後半]
〈御徒町駅 北口 吉池ビル(ユニクロ)前広場 路傍伝道〉
午後6時~午後8時
【伝道から参加の方はご連絡下さい】

5月27日(月)
★『横浜駅 路傍伝道』
〈横浜駅みなみ西口 相鉄ジョイナス大和証券前〉
午後6時~午後8時(準備 午後5時50分~)

6月8日(土)
★『御茶ノ水駅路傍伝道』と『第20回賛美集会』
[前半]
〈御茶ノ水橋口 路傍伝道〉
午後5時~午後6時30分(準備 午後5時~)
[後半]
〈第20回賛美集会(御茶ノ水クリスチャンセンター402号にて)〉
午後7時~午後8時30分
【終了後に会場にて愛餐会 軽食持参】

6月10日(月)
★『ジーザス・ジューン・フェスティバル 賛美奉仕』
〈日本福音ルーテル東京教会〉
午後5時30分~午後9時
【奉仕者は、午後5時30分集合 開演午後7時】

※見学や短時間の参加も歓迎です。
※路傍伝道の集合場所は現地になります。不明な点がありましたら、メッセージ、もしくは、sgr_ch@ybb.ne.jpまで問合せ下さい。
※各活動終了後に自由参加の食事会があります。

☆「献金振込先」
ゆうちょ銀行  記号 10100  番号 72587221  口座名 路傍伝道ネットワーク

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親友をつくる秘訣

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月 4日(木)07時54分54秒
  「親友をつくる秘訣」

人生の成功の基準は、「なにを成し遂げたか?」で計られます。でも、「どんな親友をつくったか?」の方がもっと大切な基準ではないかと思います。

人生に成功できたとしても、その喜びを分かち合う友達がいなければ、寂しいものです。悲しみや痛みを分かち合う友がいなければ、孤独です。

友達の中には、学生時代の同級生とか、友情でつながっている関係もありますが、会社の同僚とか、仕事の取引先とか、利害関係でつながっている関係もあります。

「金の切れ目が縁の切れ目」。お金を通してつながっている友達は、金銭のトラブルであっけなく切れてしまいます。

「遠い親戚より近くの他人」。困った時は、遠い親戚よりも近くの他人の方が頼りになります。血縁関係も、そんなに宛になりません。

「美人は三日で飽きる」。本来、一生涯続くはずの夫婦関係なのに、簡単に離婚をするカップルが増えています。日本の離婚率は3組に1組だそうです。聖書は、二人は心も体も一つであると語りますが、そんな一心同体の夫婦の約30%が別れるなんて、もろいものです。

そう考えると、「親友をつくることがどれだけ難しいか」を痛感します。親友の定義は、「どんな時にも互いに味方であり、一生涯続く人間関係」といえます。

私には親友がいますが、「いました」という過去形の親友もいます。親友の関係が壊れたのは、決定的な裏切りがあったことが原因です。私に対して裏切りをした元親友は、心で裏切り、行為で裏切った時点で、すでに親友の関係にヒビが入っていました。彼はそれをひた隠しにしていましたが、ある日、わかった時には、親友関係は自然消滅してしまいました。

「親しき仲にも礼儀あり」といいますが、「親しいからこそ、もっと礼儀を大切にしなければならない」と思います。非礼行為、これは友達関係を崩します。裏切り行為は論外ですよね。

さらに、親友をつくるために必要なことは、「ゴールデンルール」と「新しい戒め」に生きることだと思います。ゴールデンルールは、「自分がしてもらってうれしいことを相手にする」ことです。新しい戒めは、「キリストが私たちを愛して下さったように、互いに愛し合う」ことです。

この「ゴールデンルール」と「新しい戒め」に生きた人は、イエス・キリストです。人は、どんなにそれに近づこうとしても足元に及びません。

しかし、ちょっと考えてみて下さい。もし、完全ではなくても、「ゴールデンルール」と「新しい戒め」に近い親切と愛を与える人がいたとしたら、親友になりたいと思うものではないでしょうか。

また親友とは、互いの利益を求めることは大切ですが、相手を利用することは避けるべきです。仮に、相手から恩恵を受けたとしても、それ同等のお返しも必要だろうと思います。それは、必ずしもお金で返す必要はありません。

「受けるよりも与えるほうが幸いである」(使徒の働き20章35節)と聖書に書かれています。

多くの人は、「人に与えるよりも、人から受ける方が幸いだ」と考えます。でも、それを乗り越えるところから親友はつくられます。

だから、親友をつくることは簡単ではありません。ケチで、自己中心で、利己的な人には、なかなか親友はできません。「付き合うことで利益がある」と思う時には、ニコニコして近づいて来ても、あなたから利益を得られなくなると、さーっと離れて行ってしまいます。

私は、「人生において、親友を3人つくれたら、その人生は成功だ」と思います。

それが、人間としての魅力の証明であり、人間力の強さの証明であり、親切で思いやりのある人であることの証明です。

あなたには親友がいますか?

もし仮に、親友がいなかったとしても心配無用です。

最高にすばらしい親友を紹介します。

「いつくしみ深き 友なるイェスは
罪咎(つみとが)憂いを 取り去り給う
心の嘆きを 包まず述べて
などかは下ろさぬ 負える重荷を

いつくしみ深き 友なるイェスは
我らの弱きを 知りて憐れむ
悩み悲しみに 沈めるときも
祈りに応えて 慰め給わん

いつくしみ深き 友なるイェスは
変わらぬ愛もて 導き給う
世の友我らを 捨て去るときも
祈りに応えて 労(いたわ)り給わん」

What a friend we have in Jesus,
all our sins and griefs to bear!
What a privilege to carry
everything to God in prayer!
O what peace we often forfeit,
O what needless pain we bear,
all because we do not carry
everything to God in prayer.

Have we trials and temptations?
Is there trouble anywhere?
We should never be discouraged;
take it to the Lord in prayer.
Can we find a friend so faithful
who will all our sorrows share?
Jesus knows our every weakness;
take it to the Lord in prayer.

Are we weak and heavy laden,
cumbered with a load of care?
Precious Savior, still our refuge;
take it to the Lord in prayer.
Do thy friends despise, forsake thee?
Take it to the Lord in prayer!
In his arms he'll take and shield thee;
thou wilt find a solace there.

この方が最高の親友となって下さいます。

一人が親友ならば十分です。

この方と親友関係を結んだ人は、この親友からの愛により、自分自身を愛することができるようになり、自分を大切にできるようになります。

自分を愛し、大切にした分だけ他者を愛し、大切にできるようになりますので、他の親友は自然にできてきます。

時間がかかるかも知れません。しかし、あせらないで下さい。

親友は、そう簡単にできるものではありません。でも、いったん親友になったら、そう簡単に関係が壊れることはありません。数の多さではなく、その質の深さが大切です。

親友がいたら、人生は何百倍にも豊かになります。どうぞ、そんな親友を見つけて下さい。

そして、願わくは、私はあなたと親友になりたいです。

少しづつでも、そんな友情を育て、友情を深めて行きたいです。

どうぞ、よろしくお願いします。いつもありがとうございます。

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一生、そして、永遠の幸せの秘訣

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月 3日(水)07時44分8秒
  「一生、そして、永遠の幸せの秘訣」

「中国のことわざ」に
一日幸せになりたければ酒を飲みなさい。
三日幸せになりたければ結婚しなさい。
七日幸せになりたければ豚を殺して食べなさい。
一生幸せになりたければ釣りをおぼえなさい。
というものがあります。

1番目に、「酒を飲む」ことで、一日幸せでいられます。それ以上でもそれ以下でもありません。

2番目に、「結婚」したら三日間は幸せでいられます。結婚の幸せが三日とは短い気がしますが、「美人は三日で飽き」「ブスは三日で慣れる」と言われることは本当なのでしょうか。四日目からは愛が求められます。

3番目に、「ブタ」を殺したら七日間は幸せでいられます。一匹の豚肉で、一週間はお腹いっぱい食べられるので、一週間は幸せでいられるんですね。

しかし、これら三つの幸せは、受動的なもので、飲食や人によって幸せにしてもらう人生です。幸せは、求めても永続しないことを教えてくれます。

このことわざは、最後に、「釣りを覚えたら一生幸せでいられる」と締め括ります。

釣りを覚えたら、お腹が空くたびに釣りをすることで、人に頼るのではなく、能動的に自分の幸せのために自分で働きます。

つまり、「自分一人で生きて行こうとする姿勢」と「自分の幸福感を自分で管理する心構え」です。

幸せでない人を観察してみたら、誰かに依存して生きていたり、自分の幸福を人や状況頼みしている人であることがわかります。

あなたは、自分一人で生きて行こうとする姿勢を持っていますか?

自分の幸福感を自分で管理する心構えを持っていますか?

人からどんなにけなされようが、人からみじめでかわいそうな人と思われても、自分が、「けなされた!」「私はみじめでかわいそう」と認めない限り、そうではないのです。

しかし、自分一人の力には限りがあります。

私は、中国のことわざの作者に断りを入れていませんが、最後にこの言葉を付け加えたいと思います。

「永遠に幸せになりたければ神を信じなさい」

神に頼るからこそ、自立し、自分一人で生きて行く力が与えられるのです。また、自分の幸福感は、神の助けがあるからこそ自分で管理できるのです。

もしあなたが、神を信じ、神を頼るなら、永遠に幸せでいられます。そんな人生を共に歩んで行きたいですね。祝福を祈ります。

「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」(ピリピ4:13)

「あなたはいのちの道をわたしに示される。あなたの前には満ちあふれる喜びがあり、あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある」(詩篇16:11)

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反対者に対してどう応じるか?

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月 2日(火)11時49分35秒
  「反対者に対してどう応じるか?」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/4/2(火)【1440】」

どこにいても、同じような人間関係があり、あなたの考えに反対する人がいるものです。

反対者は声が大きく、攻撃的であるため、そこにばかり目が向かいやすいかも知れません。

しかし、反対者がいると同時に、声は大きくなくても賛成者がいるものです。そして、その他大勢は、どちらにでもなびく可能性のある人達です。

人間関係を全体的に俯瞰し、冷静に受け止めることが第一にすべきことです。

「あっ、ここにもいるな!」と、ほほえんで受け止めましょう。

正しいか正しくないかではなく、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」と言われるように、あなたを嫌って反対しているだけの可能性があります。

この場合は、無駄な抵抗をしないで、「はい」と「いいえ」だけを答えるくらいに留めた方が良いかも知れません。

次に、内容の良し悪しではなく、あなたの態度に対して反感を持っているかも知れません。

たとえあなたが優位な立場にあったとしても、謙遜であることが大切です。

聖書は、「だれでも自分を高くする者は低くされ、 自分を低くする者は高くされるからです。」(ルカの福音書18章14節)と語ります。

あるいは、あなた自身に対する好き嫌いではなく、正しい正しくない、内容の良し悪しを言っているのかも知れません。

その場合は、相手の意見を尊重しつつも、堂々と自分の意見を述べたら良いです。

もし、あなたの周りの人のすべてが、あなたに反対するとしたら、その声に全面的に耳を傾けるべきです。

もし、あなたの周りの人のすべてが、あなたに賛成するとしたら、マインドコントロールをしているか、相手に反対意見を言わせない脅しをしていて、忖度させているかのどちらかの可能性があります。

どの人間関係においても、賛成、反対、どちらでも良いの三種類の人がいます。

それで正常なのであり、普通です。

しかし、その時に、賛成者の意見だけを聞くのではなく、反対者の意見にも耳を傾ける度量、謙遜さを持ちたいものです。

反対者が真理に近いことを語ることもあるのです。

その人の態度が悪ければ、反面教師とし、冷静に受け止めて、「確かにそうだな!」と感じる点があるならば、「教えてくれてありがとう!」という気持ちを込めて、笑顔を向けたら良いのではないでしょうか。

すべての人に感謝し、すべてのことに感謝し、その背後にいて、万事を益にして下さる神様に感謝をしましょう。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」(テサロニケの信徒への手紙第一 5章16節~18節)

神に感謝を致します。

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断ってもいいんだよ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月 2日(火)08時10分33秒
  「断ってもいいんだよ」

都合が悪く、嫌だと思っているのに、仕事や要求を押し付けてくる人がいます。

その要求に負けて受け入れてしまうと、後で不愉快になったり、犠牲者になったように感じるものです。

断る理由を色々考えても、うまく行かなかったり、相手はさらに言葉巧みに説得してくるものです。

電話や訪問のセールスの人があんまりしつこいので、「今日は都合が悪いです・・・」と言うものならば、「いつならば都合がいいですか?」と切り替えして来て、嫌々次の約束をさせられて、最後は、買うはめになってしまったという話を聞くことがあります。

一番いい方法は、「私はそれをしたくありません!」ときっぱりと言い切ることです。理由づけの必要はありません。

相手が自分の仕事や要求を押し付けて来るのに疑問を感じてないのと同じように、あなたも、相手の要求を断ることに疑問を感じる必要はありません。

神は、私たち人間をボタン一つで言うことを聞くロボットとして造られたのではなく、自分で考え、自分で決定できる自由意志が与えられました。人の言いなりにならなくていいのです。

自由意思は、神が人間に与えられた最高のプレゼントです。いかなる権力によっても脅かされてはいけないものです。

「自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである」(ガラテヤ5:1)と聖書は語ります。

自分の責任でもないことを引き受ける義務はありません。不当な要求をはっきりと断ってもいいのです。

そして、断った後には罪悪感を感じなくていいのです。

相手の都合で振り回されるいい人になる必要はありませんし、相手を傷つけるのではないかと恐れる必要もありません。

嫌なことを断る勇気は必要ですが、嫌々受け入れた場合に払わされる代償と比べたら小さいものです。嫌なことを断る自由があることを忘れないで下さい。

今日も、素敵な一日でありますように。

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伝道を通して交わりが生まれた

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月 2日(火)00時05分34秒
  [第一月曜日定例 川口駅伝道]
「伝道を通して交わりが生まれた」
《Now watching 1048》

今日は、気候の変化が激しい一日でした。夕方までは、小春日和でしたが、夜から雨が降り出し、風が強くなり、寒くなりました。川口駅の雨に濡れない屋根のあるところで伝道しました。3時間の間に、10名の方が伝道に参加して下さいました。最初、勢いよくスタートしましたが、1時間後の6時には5名が変えることになり、私一人が残されました。路傍伝道の原点に帰らせてもらいました。神様一方に頼り、力まず自然体でゴスペルを歌い、聖書の言葉を演説しました。しばらくしたら、別の仲間が、次々に集まってくれましたので、いつものような活動になりましたが、一人で行なうのも自由でいいなーと感じました。風が強く吹いて旗が飛ばされたり、雨水が濁流のように流れて荷物がびしょびしょに濡れたりしました。寒さに手がかじかんでしまってとても疲れを感じました。多くの方々が立ち止まったりしながら私たちの歌うゴスペルを聞いてくれました。うれしかったのは、小さな子どもがしばらく歌を聞いてくれたあとに、お母さんからお金をもらって献金箱にお金を入れてくれたことや、自転車の整理をするおじさんたちが、拍手をしてくれたことなどです。そこに交わりが生まれたからです。寒く、過酷な条件の中での伝道でしたが、福音を伝えることができて感謝でした。

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平和の命令

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月 1日(月)23時55分59秒
編集済
  「平和の命令」
《Now watching 1047》

今日は、全国民が注目する中、菅官房長官によって新元号の発表が行なわれました。「令和」。良い響きだなと思いました。万葉集の梅の花の歌の一節から取られたとのことですが、「令和」という字は、「命令の令」に「平和の和」と書きますが、聖書から取った意図はないと思いますが、知らずして聖書のメッセージが込められることになったのではないかと感じない訳ではありません。「わたしがあなたに与える命令は平和」(イザヤ60:17)という言葉があります。つまり、「令和」とは、神の平和の命令とも言えます。聖書は、「キリストこそ私たちの平和」(エペソ2:14)であると書かれています。しかし、別の箇所では、「わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。」(マタイ10:34)とも書かれています。これは矛盾のように感じますが、そうではありません。キリストは、見せ掛けのニセモノの平和に剣を投じて破壊し、ご自身によって本物の平和をもたらして下さるということです。弟子たち、そして、クリスチャンたちは、キリストのゆえに迫害されると教えられます。それは、キリストと同じ性質を持っているので、見せ掛けだけのニセモノの平和をぶち壊してしまうから、理由なく憎まれてしまうのです。詩篇にもそのことが書かれています。「ゆえもなく私を憎む」(詩篇35:19)と。しかし、憎まれることを恐れるのではなく、キリストのゆえに憎まれるに足る者とされたことを喜びながら、福音伝道を続けていきたいものです。神が与えられる命令であり、「令和」なのです。官房長官は、総理大臣のスポークスマンとして新元号の発表を行ないましたが、私たちは、天の神のスポークスマンとして、福音の伝道をしていきたいものです。総理大臣は、新元号に関する談話を発表しました。日本の伝統や文化について語り、美しい国、誇り、希望などについて語りました。この国が真の美しい国なり、国民一人一人が真の誇りと希望を持つためには、イエス様と出会い、その方を信じて生きていくことではないかと思います。

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本日の川口駅路傍伝道 場所の変更

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2019年 4月 1日(月)16時45分32秒
  今日の川口駅の路傍伝道は、今現在雨は降っていませんが、雨を想定して、西口の一階に変更になります。よろしくお願いします。

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