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(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月18日(木)15時35分54秒
  「教会防災ネットワーク定例会」
《Now watching 866》

大久保通りに立つ諸教会が力を合わせる教会防災ネットワークの定例会を新宿福興教会で行なっています。聖霊の交わりについてのお勧めをしました。良い交わりの時を過ごしています。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月18日(木)10時35分5秒
  「戦いの本質は、神を信じるか信じないかの戦いだ! ~先頭はユダ~」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/10/18(木)【1275】」

聖書に出て来る「ユダ」は、ヘブライ語「イェフダー」で、「(神を)ほめたたえよ」という意味の人名です。

イスラエル人の祖であるヤコブの12人の息子のひとりで、ユダ部族の祖です。

ユダ部族は、後に、イスラエル南北分裂後の南王国(ユダ王国)を形成し、イスラエル人の中核をなす部族となりました。

一般に、イスラエルの人のことを「イスラエル人」と呼ばず「ユダヤ人」と呼びます。

ある時、イスラエルが戦いに出る時、誰が最初に戦いに行くべきかを神に祈って聞きました。

神は、「ユダだ!」と言われました。

「イスラエル人は立ち上がって、ベテルに上り、神に伺って言った。『私たちのため、だれが最初に上って行って、ベニヤミン族と戦うのでしょうか。』すると、主は仰せられた。『ユダが最初だ。』」(士師記20:18)

これは、実際に「ユダが先頭に出て行け!」ということと共に、神が先導する戦いの先頭は、「神をほめたたえる賛美」だと言うことを教えているのではないかと思います。

これは、人間の力による戦いではないのです。神が行って下さる戦いなのです。

「それでモーセは民に言った。『恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行なわれる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。』」(出エジプト14:13~14)

「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」(エペソ6:12)

詩篇46篇10節には、
「やめよ。私が神であることを知れ。」(新改訳)
「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」(口語訳)
「力を捨てよ、知れ。わたしは神。」(新共同訳)
とあります。

これは、安全に礼拝ができる室内ではなく、戦いの最前線に於いて、「やめよ」「鎮まれ」「力を捨てよ」と言っておられるのです。

その戦いの先頭は「賛美」なのです。

私たちが、ストリートライブを通して伝道をしているのは、音楽を通して聖書の福音を伝えているという意味合いもありますが、賛美を通して暗闇の勢力との霊的な戦いを行なっているのです。

戦いの本質は、神を認めない自分と、神を認める自分との戦いです。

神を認めないと、不安になり、「大変だ!何とかしなければならない!」とあせって、がむしゃらに何かをしようとしてしまいます。

しかし、神を認めるなら、神にお任せして、神を認めない結果生じる不安や恐れが動機となった行動をやめることができます。

神を賛美することで、私たちの中で神の存在が大きくなり、神が、私たちの代わりに戦って下さるのです。

だから、戦いの先頭は「ユダ」=「賛美」なのです。

自分自身の中における信仰と不信仰の勝利させていただきましょう。

この戦いに負けると、神がおられるのに、神がいないかのように考え、振る舞い、生きてしまうことになります。

その最たる人物は、「イスカリオテのユダ」です。

「さて、十二弟子のひとりで、イスカリオテと呼ばれるユダに、サタンがはいった。」(ルカ22:3)

「イエスがまだ話をしておられるとき、群衆がやって来た。十二弟子のひとりで、ユダという者が、先頭に立っていた。ユダはイエスに口づけしようとして、みもとに近づいた。だが、イエスは彼に、『ユダ。口づけで、人の子を裏切ろうとするのか。』と言われた。」(ルカ22:37~48)

聖書に出て来る言葉の中で、「サタンがはいった。」という言葉ほど恐ろしいものはありません。

ユダは、イエス様の弟子でありながら、イエス様を信じていなかったのです。

イスカリオテのユダの中にサタンが入り、サタンが王となり、神となりました。

そして、神に反逆するサタン(悪魔)の戦いの先頭に立ちました。

イスカリオテのユダは、銀貨30枚で買収され、先生に対する尊敬と好意を表す口づけという手段を用いて、イエス様を逮捕する手引きをしました。

悪魔は、良いものを悪いことに使わせます。

凶悪犯の中に、「この人のこの才能が良いことに使われたらどんなに素晴らしいだろう!」と思える人がいるものです。

あなたの才能を神に用いていただき、良いことのために活用させてもらいましょう。

今日も、神を認め、神を信じることの戦いに勝利させていただきましょう。

「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言3:5~6)

この後も、ステキな時間でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月18日(木)07時52分3秒
  「快く思ってくれない人への対処法」

人生を生きていると、何をしても賛同してくれる友達がいると思えば、何をしても反対して来る人がいるものです。

原因はともかくとして、半々くらいが健全なのではないかと思います。

10人中、5人が賛成、5人が反対するくらいです。

10人中10人が「あの人は良い人だ」と言われる人や、反対に、10人中10人が「あの人は悪い人だ」と言われる人がいるとしたら、偽善者か、よっぽどの悪人でしょう。

人には、長所と共に、短所があるからです。

長所と短所は表裏一体です。

あるシチュエーションでは、長所として現われることが、違うシチュエーションでは短所として現われるものです。

気が利いて、行動的な人は、仕事の面でとても有能で、評価されると思いますが、プライベートでは、人に気を使わせ、人を疲れさせてしまうことが考えられます。

だから、人の評価は半分半分くらいが正常なのです。

しかし、10人中10人に反対される人は、その人の悪い部分が目立ち過ぎているのか、よっぽどの悪人でしょう。

何をしてもこころよく思ってくれない人と会うことがあります。

そういう人に巡り合いたくないですが、そういう人はいるものです。

そんな時は、二人で話すようにします。お茶や食事に誘い出します。

誤解仕合っていたということもあります。

しかし、話せば話すほど、双方の溝が深まることもあります。

イエス・キリストとユダヤ教の指導者たちは、話し合っても平行線であり、話し合えば話し合うほど溝は深まりました。

結果、ユダヤ人たちは石を手に取って、イエス様に打ちつけようとしました。

イエス様は、その場を逃れて立ち去りました。

恐くて逃げたのではなく、イエス様はもともと死ぬために生まれてきました。

全人類の罪を購うために十字架にかかって死んで、復活することが定まっていました。

石打で処刑されてはいけなかったからです。

十字架で処刑される時がまだ来ていなかったからです。

何をしようが和解できず、決裂してしまう関係があります。

10人中10人に評価される人がいるとしたら、妥協し、優柔不断な人かも知れません。

本質的でないことに対しては、争わない方が懸命です。しかし、本質的で、譲れないことに関しては譲ってはいけないと思います。

そういうことが原因で、こころよく思わない人がいた場合どうしたらいいでしょうか?

祈るしかないと思います。

イエス様は、次のように教えられました。

「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」(マタイ5章43~44節)

イエス様は、ご自分に反対する者のために、赦しを祈られました。

「そのとき、イエスはこう言われた。『父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。』」(ルカ23章34節)

イエス様は、この祈る対象の人のためにも十字架で死なれたからです。

そのような祈ると不思議です。相手の態度は変わらないのに、こちら側の心が変わって、笑顔で接することができるようになります。

こちらの態度が変わることで、相手の態度が変わることもあります。

しかし、相手が変わらないとしても、こちらの心の平安と喜びが奪われないなら、それで十分です。

もう一つの問題は、恐れです。

イエス様が教えられた祈りをする時に、その人を愛することに向かっています。

結果、恐れは締め出されます。

「愛のうちには恐れがありません。(恐怖は存在しません。)かえって十分に成長した(完成した、完全な)愛は恐れを締め出してしまいます。(恐れを全く追放して下さいます。)」(第一ヨハネ4章18節 詳訳聖書訳)

恐れがなくなったら、解決したに等しいです。

イエス様が教えられた祈りが、私たちの人生を劇的に変えます。

何をしても好意を持ってくれる人も人もいますが、何をしても敵意を持って来る人がいます。

恐れず、クヨクヨせず、喜びと平安を持って、この日も生きて参りましょう。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月17日(水)23時08分44秒
  「カフェインレスコーヒー」
《Now watching 865》

意外とおいしいカフェインレスコーヒー。これはハマりそう。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月17日(水)09時43分30秒
  「不可能を神と共に!」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/10/17(水)【1274】」

不可能の壁にぶつかった時に、その壁を直視し、受け入れることは健全なことです。

しかし、そこから先はいくつかの選択肢があります。

引き返すのか?
乗り越えようとするのるか?
はたまた、壁を壊して進むのか?

しかし、もう一つの選択があります。

神の導きに従って決断し、神と共に進むことです。

神は、可能的思考を持って、「前進あるのみ!」と語られるのではありません。

もちろん、神は、不可能を可能にするお方です。

待て!
止れ!
引き返せ!

と導かれることもあります。

壁を乗り越えよう!
迂回して、壁のないところを進もう!
壁を壊して進め!

と導かれることもあります。

本当は、
神と共に進むのか?
自分の考えでどうするかを決めるかの二者択一なのです。

私の回りには、問題を抱えている人がたくさんいます。

自分の問題だけでも、自分の地らでは手に負えないのに、どうしたらいいでしょうか?

神がそれらの問題を担って下さり、解決への導き、解決して下さるのです。

神に委ねて、神と共に進むしかありません。

問題の壁にぶつかった時、神と共に歩んでいなければ、アップアップしてしまって、そこで行き詰ってしまいます。

そういう経験をしたことがない人は、これから経験することになると思います。

神があなたを愛しておられるので、神が必要だということを知らせて、あなたが神を求め、神と共に歩ませるためです。

「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」(詩篇50:15)

「まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。」(マルコ11:23)

神と共に歩むなら、不可能は可能になります。

今日、不可能の壁にぶつかっている人は幸いです。

神が必要であると知ることができるからです。

不可能の壁にぶつかっていない人は不幸です。

神に頼らなくても生きていけるので、神をないがしろにしてしまう可能性があるからです。

神はあなたを愛しているので、必ず不可能の壁にぶつかるようにできています。

その時、神を信じ、神に頼って下さい。

「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言3:5~6)

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月17日(水)06時44分54秒
  「最高の友達」

あなたがヘマやドジをしても、「大丈夫だよ」と受け止めてくれる友達がいたとしたら、うれしいですよね。

どんなにつらく、悲しくても、「わかるよ」ってなぐさめてくれる友達の存在は、あなたを支えてくれます。

あなたの状況や今の気持ちを一番わかってくれる友達はどこにいるでしょうか?

この友達は、何があってもあなたから離れることがなく、いつも親切にしてくれます。

心が痛み、心から涙が流れる時、そっと抱き寄せ、寄り添ってくれます。

そんな友達がいたら、どんな時にも心強く、頼もしいですよね。

今、そんなあなたの最高の友達を心に迎え入れて下さい。そのお方はイエス・キリストです。

いつくしみ深き(賛美歌312番)

いつくしみ深き 友なるイェスは
罪科(つみとが)憂いを 取り去り給う
心の嘆きを 包まず述べて
などかは下ろさぬ 負える重荷を

いつくしみ深き 友なるイェスは
我らの弱きを 知りて憐れむ
悩み悲しみに 沈めるときも
祈りに応えて 慰め給わん

いつくしみ深き 友なるイェスは
変わらぬ愛もて 導き給う
世の友我らを 捨て去るときも
祈りに応えて 労(いたわ)り給わん

あなたの最高の友達は、「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイの福音書28章20節)と優しく語ってくれています。

ステキな1日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月16日(火)11時30分52秒
  「あなたはあなた自身の管理人」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/10/16(火)【1273】」

マンションの管理人が、出入り口の部屋に詰めて管理をするように、あなたはあなた自身の管理人です。

不法侵入者からマンションとその住人を守ることが、マンションの管理人に与えられた仕事です。

誰が来ても、「どうぞ、どうぞ」と言っていたら楽ですが、後で問題が起こります。

同じように、なすがままに生きていたら楽ですが、その代償は高く付きます。

一日の時間は限られています。そして、一人の人間が一日に行えることには限りがあります。

大まかに、一日24時間を3つに分けますと、8時間になります。

①睡眠時間
②仕事(勉強)の時間
③自由時間

睡眠時間を8時間取れる人は限られていると思いますが、寝る準備と起きてからの身支度を入れると。平均8時間はかかると思います。

次に仕事の時間は、通勤(通学)時間を除いて8時間なので、その次の自由時間や睡眠時間が削られることになります。

学生は、学校での勉強が8時間もなくても、出された課題や宿題をする時間を入れたら8時間になります。受験生は、これよりはるかに多くの時間を勉強に費やす人もいます。

大切なのは、この最後の自由時間をどう使うかです。

私は、朝起きて、まず神様に祈り、聖書を読むことからスタートします。

その次に、インターネットでこのような文章と写真をセットして投稿します。

私の場合は、自由時間にやっていますが、仕事と考えてやっています。

読んで役に立っている人もいると思いますが、「そんなことわかっている」と感じる人もいるかも知れません。

「役に立つ」ということの中に、「心がいやされた」「励まされた」「慰められた」「心が和んだ」「問題が解決した」など、いろいろな面があると思います。

どのようなことであったとしても、私が書く文章を通して何かを得てくれる人がいたとしたらそれで本望です。

私の場合、仕事の時間と自由時間の線引きをある程度動かすことが出来ます。

このような立場に置かれると、その人の優先順位や生き方の理念がはっきり現れます。

私の優先順位は
①神
②家族
③人間関係
④仕事
⑤趣味

しかし、この5つの線引きも流動的です。

すべてを神との関係で行なっているからです。

生き方の理念は、神の栄光が現されることに尽きます。

そうすると、自分のことが後回しになり、気分転換をしたり、趣味を行なうことを忘れてしまうことがあります。

もちろん、自分への労いは忘れていません。夜眠ること、食事をすること、疲れたら休むことは行ないます。

しかし、趣味に没頭すること、遊ぶことをつい忘れてしまいます。

私は、すべてが楽しいことなので、あえて趣味や遊びを行なう必要がないからなのかも知れません。

昔から、自然が好きなので、自然と関わる趣味をたくさん持っていました。

①車やバイクで自然の中を走る
②サーフィン
③ゴルフ
④スキー
⑤登山
⑥ウォーキング

バイクの燃費は、1リットルで25km派知りますが、車の燃費は、1リットルで3.4km(町中でエアコン使用した場合)しか走ってくれません。

バイクは事故に遭う可能性があるし、車は燃料代がかかるので、仕事など必要最小限しか使わなくなりました。いつの間にか、ドライブやツーリングをしなくなりました。

サーフィンは、これもお金がかかるし、危険も伴うのでやらなくなりました。本当は、ウインドサーフィンをしたいと密かに思ってはいるのですが。

ゴルフは、お金がかかるので止めました。止められたということは、そこまで好きではなかったのかも知れません。誘われたらやってみたい気持ちもありますね。

スキーは、年に何度かは行きます。しかし、以前のように、シーズン券を買って毎週行くまではしなくなりました。

登山は、危険が伴うことと、体力が持たないこともあって、自然に遠のいていきました。

ウォーキングは、お金もかからないし、体力に応じてペースを変えればよいので、これは時々行なっています。

タバコや酒などはやりません。その分、おいしいものを心行くまで食べます。

人生を丸ごと楽しんでいるので、ことさら趣味や遊びを必要としないのかも知れません。

「飲む・打つ・買う」を行なう人は、仕事を一生懸命にやる人という印象があります。オンとオフをはっきりさせているのかも知れません。

しかし、多額のお金を費やさなくても、人生を丸ごと楽しんでいたら、そういうお金は違うことに使ってもいいのになと思います。

みなさんは、一日をどのように使っていますか?

健全な優先順位と人生の理念を明確に持って、人生を丸ごと楽しみながら生きて行ったらどうでしょうか?

これは、私が行き着いた一つの生き方です。

もちろん、足りないところだらけです。

あらゆる面で成長したいとを願います。

しかし、それは、一日の時間の使い方と、今この瞬間の決断にかかっていると思います。

私とあなたのオーナーは神様です。

私は私自身の管理人。
あなたはあなた自身の管理人です。

オーナーである神様が喜んで下さる生き方ができたら、それが最高の喜びと幸せにつながるのです。

人は自己中心であり、お互いを断片的にしか見ないで判断しますので、すべての人を喜ばせることは不可能です。

しかし、神様が喜んで下さる人生を目指すなら、神様は心の底から喜んで下さいます。

やがて、神の前に立った時、「よくやった」と言って頂ける人生を目指し、選び取っていきたいものです。

人の評価は流動的です。あなたのオーナーで神様に喜んで頂けるように、あなた自身の管理人として生きていきたいですね。

この後も、ステキな時間でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月16日(火)09時13分58秒
  「幸せと健康の扉を開くカギ」

ユダヤ教のタルムードには、『世界で一番知恵のある人は学ぶ人であり、世界で一番幸せな人は、感謝しながら生きる人である。』と書かれています。

感謝しながら生きる人は、感謝しないで生きる人より幸せであり、健康です。

体は、感情に敏感に反応するので、感謝しないと不幸になり、病気にかかりやすくなります。

感謝すると、脈拍が安定し、胃腸の働きがよくなり、消化を助けてくれるので気分もさわやかになり、健康になるそうです。

昔の人は、今よりずっと短命でした。平均寿命が50歳を過ぎるようになったのはここ100年のことです。

15世紀~18世紀のフランス人の平均寿命は25歳、19世紀のヨーロッパ人の平均寿命は35歳、20世紀初頭のアメリカ人の平均寿命は45歳だったそうです。

今日、平均70歳~80歳まで生きられることは感謝なことです。しかし、長生きできるだけではなく、健康で長生きできたらもっと素晴らしいです。

アメリカのスタンリー・タンは、事業に成功し、大変なお金持ちになったので、喜んでいました。しかし、1976年に具合が悪いので病院に行ったら、ガンにかかっていて、ステージ3であるということがわかりました。

スタンリーは、良いことは喜んでいましたが、嫌なことには文句を言っていました。しかし、この時から考え方を変えました。

ガンにかかったことも神に感謝しはじめました。

『神様、病気にかかったことも感謝します。病気で死ぬことになっても感謝します。今まで生かされてきたことに感謝します。生きても死んでも、ただ神に感謝致します。』と毎日祈っていると、次第にガン細胞が小さくなり、ガンが治ってしまいました。

これを医学で証明できないかも知れませんが、少なくても、感謝する心が体の免疫力をあげて、ガン細胞を駆除し、死滅させる方向で働いたのでしょう。

全体的に、大きな目で見たら、神がスタンリーのガンをいやして下さったのだと思います。

『彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。』(イザヤ53:3~5)

第二次世界大戦の終戦後、海軍将校の川上喜一さんは、戦争のトラウマで毎日生きるのがつらかったそうです。

喜一とは、『一番喜ぶ』という名前ですが、その名前とは反対に、『一番不満』を言って、毎日まわりの人に当たり散らしていました。

だんだん体が硬直して、動けなくなり、難病にかかってしまいました。

この症状を見た精神科医の藤田先生は、『毎日1万回感謝をしてください』と指導しました。

喜一さんは、毎日、『感謝します』『感謝します』『感謝します』『感謝します』と、ただ口先だけでしたが感謝をし続けていました。いつの間にか、『感謝します』と口で言うのが習慣になり、口癖になっていました。

ある日、息子が柿を2つ持って来てくれました。喜一さんは、心の底から『ありがとう!』と感謝しました。

その頃から、体の調子がよくなり、体の硬直が軟化し、手が動くようになり、完全に健康な体になってしまいました。感謝が健康に関与したことは疑う余地はありません。

アメリカのテキサス州にあるMDアンダーソン・ガンセンターに31年間勤めたキム・イシン博士は、『信仰がガン治療に効果がある』と言いました。

アメリカのある教会の一般の信徒と聖歌隊員それぞれの免疫細胞数を調べてみると、聖歌隊員は、一般信徒に比べて、おおよそ1000倍の免疫細胞があったそうです。

聖歌隊員は、日曜日の礼拝で賛美歌を歌うために、毎日神を賛美し、感謝しながら生きています。そうすることで、ストレスが緩和され、免疫の力を強化させ、体全体のエネルギーが高められて、健康を促進させると、イシン博士は語りました。

アメリカのデューク大学院のハロルド・コーニックとディビッド・ラーソンの2人の医師は、毎週教会に通って神を賛美する人と、教会に通わない人を比べると、教会に通う人は平均7年間長生きするという事実を発見しました。

ジョン・ヘンリー博士は、『感謝は、最高の抗がん剤であり、解毒剤であり、防腐剤である。』と語りました。『風邪薬より優れた効能がある』と言うのです。

もし、今から1分間、感謝し、喜び、笑うと、24時間の免疫システムが構築されるそうです。

反対に、1分間怒ると、6時間分の免疫システムが壊されるそうです。

ユダヤの格言に、『世界で一番愛される人は、すべての人をほめる人であり、一番幸せな人は、感謝する人である。』と言いました。

『感謝』は健康の扉を開く鍵です。しかし、感謝が体を健康にしていく前に、心を幸せにしてくれます。

今日、感謝というカギを使って、幸せと健康の扉を開いて、その扉の向こうの世界に入っていきましょう。

「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。 これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。 」(ペテロの第一の手紙1:8~9)

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。」(テサロニケ人への第一の手紙5:16~18)

ステキな一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月15日(月)22時19分43秒
編集済
  「新宿アルタ前伝道 活動報告」
《Now watching 864》

雨が降ると信仰が試されます。「今日はお休みにしようかな」と。しかし、みなさん内なる戦いに勝利して参加されました。雨でもハレルヤ! 雨は心地よく感じました。スタートした時は3名で苦戦しましたが、しばらくすると12名になり、力強く、楽しくなりました。神様だけを頼り、一つの心で伝道をすると、ギデオンの300人の勇士のように力強い働きが出来ます。また、4名の新しい方が参加して下さいました。一緒に賛美し、伝道できて最高でした。今日出会った一人ひとりの人がイエス様を知ることが出来ますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月15日(月)16時24分18秒
  本日、午後6時半から、新宿駅東口アルタ前広場で路傍伝道を行います。時間のある方はどうぞいらして下さい。  

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月15日(月)11時22分37秒
  「本当の強さ」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/10/15(月)【1272】」

幼稚園を卒園する少し前から、肺炎になって2ヶ月くらい入院しました。小学校の入学式には参加できず、一ヶ月以上遅れて通学するようになりました。

幼稚園では遊んでいるだけで良かったのに、小学校はいきなり勉強をしなければならず、戸惑いを隠せませんでした。

加えて、みんな教室の雰囲気に慣れて、学校生活も板につき始めた頃です。

そこに、いきなり私が登校し始めたのです。みんな興味津々で私を見ました。

ちょっとしたいたずらから、数人が私をいじめ始めました。

なんでそんなことをされなければいけないのかわかりませんが、それが毎日の現実となりました。

つらい毎日を過ごしました。

学校を休むか?
奴らに抵抗して黙らすか?

二者択一が迫られた時、抵抗し、相手に仕返しました。

そうしたら、自分が強いということがわかり、今度は、いじめていた連中をいじめ返すようになりました。

元々は、争いが嫌いであり、平和主義ですが、降りかかった火の粉は払わなければならず、反撃をしたまでです。

勢い余って、いじめっ子に倍返しをしたのは、それまでの傷があったからです。

世の中を生きていると、人が良いだけでは生きていけないことがわかります。

聖書は、「あなた方は自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。」(ローマ12:18)と語ります。

平和を保つためには、無抵抗主義では太刀打ちできません。

3つの愛に生きることです。

神への愛
自分への愛
人への愛

しかし、この3つの愛の源流は1つなのです。

「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。」(第一ヨハネ4:10~11)

神が私たちを愛して下さった愛が源流です。

その愛で、神を愛し、自分を愛し、人を愛するのです。

ここでいう自分を愛する愛とは、自己中心やナルシストとは質的に違います。

神が私を愛して下さったように、自分に関わることです。

自分を愛するとは、人を大切に思うのと同じように、自分を大切に思うことです。

いじめを受ける時、無抵抗でガマンし、そのいじめを甘んじて受けるのではなく、そのいじめを阻止することです。

降りかかった火の粉を払うことです。

いじめられている人を見た時に、それをかばって、阻止することと同じです。

もちろん、喧嘩の仲裁は難しいように、いじめを止めさせるのは難しい事があります。

そのような場合は、その二人を監督する立場にある人や警察などに入ってもらうことも手です。

同じように、いじめられた時には、誰かに助けを求めることも一つの方法です。

本当の強さとは、ヤクザのように人を威嚇したり、格闘家のように強くなることでもありません。

神を愛し、神の愛で自分に接し、人に接することです。

「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」(第一コリント13:13)

本当に強い人は優しく、愛に溢れています。

威勢を張り、強そうに見える人の方が、案外弱く、もろいなどということもあります。

そんな強さをいただきたいですね。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月15日(月)07時52分10秒
  「幸せな自分に気づいて!」

「私は今、幸せだろうか? 不幸せだろうか?」と、改めて考えたことはないでしょうか?

だって、どんなに喜んでいても、他人のたった一言で簡単に不幸のどん底に突き落とされてしまうことがあるからです。

さっきまで、「何もかもうまく行ってる!」と絶好調だったのに、財布を落としたことに気づいた瞬間、最悪の気持ちに変わってしまいます。

私たちの気持ちは、シーソーやエレベーターのように、上がったり下がったりを繰り返します。

しかし、お母さんが押すベビーカーに揺られている赤ちゃんの顔を見ると、世界一幸せに見えます。

幸・不幸を決めるのは、どうやら私たちに降りかかる出来事ではなく、その出来事をどう捉えるか?にかかっているようです。

あなたが、「私は不幸だ!」と決めるまでは、どんな出来事もあなたを不幸にすることはできません。

あなたは幸せな人です。それに気づけば、感謝と喜びが心の底から湧き上がってきます。そして、もう人の幸せをねたむ必要はありません。

「(愛は)人をねたみません」(第一コリント13:4)と聖書は語ります。

ねたみは、自分よりうまくいっていて、幸せそうに見える人に対して感じる感情です。あなたは幸せな人です。どうぞ、それに気づいて下さい。

今日も、幸せな一日を過ごして下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月14日(日)21時24分4秒
  「タピオカでまったり」
《Now watching 864》

夕方礼拝後には、皆さんで夕食食べに行って、その後で、行列のできるタピオカミルク屋さんに立ち寄りました。お隣の淀橋教会の牧師夫人とそのお嬢さんにもバッタリ会って、いろいろ交わりもしました。タピオカミルクLサイズ650円でちょっと高いかなと思ったら、超お腹いっぱいになりました。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月14日(日)13時54分14秒
  「完全燃焼」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/10/14(日)【1271】」

日曜日に3~4回説教をしたことがありました。1回でも力を使い切ってしまうのに、翌日に響くことがありました。

2001年に大久保駅前で教会をスタートした当時は、カラオケスナックの場所で教会をしていました。

音響が良く、音楽も説教もやりやすく、礼拝後の食事をする場所としては最高でした。

朝の礼拝が終わると、電気を消して昼寝をしたことを思い出しました。

昼寝をしないと体が持たなかったからです。

今はだいぶ慣れましたが、礼拝後には力を使い切ってしまいます。

昨日は、消防団の活動で消火器を運び続ける仕事をしたため、体が疲れて筋肉痛になりました。

牧師の仕事は、主に精神労働です。毎日、完全燃焼します。それに加えて肉体労働をするとぐっすり休めます。

中途半端に昼寝をしたり、だらだら過ごすと夜眠れないことがあります。

完全燃焼して、夜グッスリ寝て、朝スッキリ目覚めるのが一番です。

最近、老いを感じますが、その年齢なりの完全燃焼があります。

毎日、全力を注いで主の働きをしたいと思います。

「愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに 励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは 知っているからである」 (コリント人への第一の手紙 15章 58節)

疲れたら、休憩時間にちょっと仮眠を取ると疲れが取れてスッキリしますよ。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月14日(日)07時10分37秒
  「事実は小説よりも奇なり」

人生の中で、時々、夢中にさせてくれるドラマ、映画、小説と出会うことがあります。心感動し、嫌なことを忘れさせてくれて、明日への希望と勇気がもらえて、多くのことを教えられたりします。

ことわざに、「事実は小説よりも奇なり」という言葉があります。「現実に起こるできごとは、作られた物語の中で起こることよりも不思議で面白い」という意味です。

ふと自分の人生に起こったできごと一つ一つを思い巡らしてみました。

なぜか、『良かった!』と思えることは、案外忘れているんだなーと思います。しかし、つらかったこと、悲しかったこと、悔しかったこと、不安や恐れに縛られるような問題や苦しいできごとは、なかなか忘れられません。思い出すと、その時の感情も一緒によみがえってきて、つらくなることがあります。

次の二つのことをして、両方のバランスを取るようにします。

①良かったことを何度も思い出して感謝する。
②嫌な思い出を教訓としたら、神の手に委ねて忘れる。

部分的に見ると、良かったこととつらかったことがそれぞれありますが、全体を通してみると、ドラマや映画や小説にはるかにまさって、感動的であり、ドラマチックで、すごいストーリーだと驚きます。

①10回くらい、命を落としそうな危険から守られた。
②10回くらい、人生の大ピンチから守られた。
③当時マイナスと思ったできごとが、今プラスに変わっている。

神様は、私たちを決して退屈させるようなお方ではありません。

みなさんも、新しいノートを一冊買って、自分史を書いてみませんか?

きっと、「事実は小説よりも奇なり」という事実に気づき、人生って面白い。人生って素晴らしいと感じられると思います。

「サムエルは一つの石を取り、それをミツパとシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、『ここまで主が私たちを助けてくださった』と言った。」(第一サムエル7章12節)

素晴らしいドラマや映画や小説も良いと思いますが、それに負けるとも劣らないのが、みなさんの人生です。人生を一つ一つ掘り起こして見ると、退屈は逃げ去り、絶望も悲しみも消えていき、神様が私を愛して下さっていることに気づかれると思います。

感謝が湧き上がり、人生に幸せと充実感を感じられるはずです。

今日も素敵な一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月13日(土)13時26分58秒
  「最優先事項」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/10/13(土)【1270】」

今週は、定例会を入れて三日連続で消防団の活動がありました。

今日は、近くの小学校の校庭を使って避難所運営訓練が行なわれました。

元々仕事好きな私は、消防団の活動に限らず、一日をいくつもに分けています。

そして、分刻みで予定を入れています。

そのような状態になっていることで充実感を感じます。

先週の日曜日の説教で、人生で最優先すべきとは神との関係であり、それと同じように人間関係である、と語りました。

どんな小さな事にも愛を込めて行なうべきであり、仕事以上に、人との関係を大切にしなさい、と。

牧師は、完全になったから語るのではありません。語る牧師も一聴衆です。自分の口で語って、自分の耳で聞いて、その聖句に応答します。

聖書は、「イスラエルよ、聞け(ヘブライ語: ?????? ??????????【シェマー・イスラエル】」と語ります。

神は、私たちにも「聞きなさい」と語っておられます。

ありがたいですね。

神は遠い方だから、私たち一人ひとりに語られるお方ではないと考える人もいるかも知れませんが、そうではありません。

「聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(申命記6:4~5)

しかし、聞いても、聞き流したのでは聞いたことにはなりません。

「聴従」ということばがありますが、聞いて従うことで、はじめて聞いたことになります。

神を愛することが人生の最優先事項です。

しかし、隣人を愛することもこれと同じように大切なのです。

「イエスは彼に言われた。『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」(マタイ22:37~40)

ともすると、仕事と人間関係を同列に置いたり、仕事をより大切にしてしまうことがあります。

それは優先順位が狂っているのです。

毎日、神との関係、人との関係を最優先にして生きていきたいものです。

もちろん、仕事も大切です。

優先順位の問題です。

人生が空回りしている人がいないでしょうか?

夫婦関係、親子関係などがうまくいかない人のほとんどが、優先順位が間違っていることに原因があるのではないかと思います。

この優先順位に従って生きていたとしたら、そして、その相手にだけ思いを向け、自分を忘れてしまうほど愛するなら、どうやったら人間関係の問題が起こるでしょうか?

今からでも遅くありません。

神との関係を大切にし、同じように、人との関係を大切にして下さい。

壊れた人間関係の修復が起こるはずです。

今週の仕事が一段落したので、この午後は、妻と買い物をしたりします。半分仕事ですが、しかし、優先順位を正しくすることで、素晴らしい時間になります。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月13日(土)08時25分55秒
  「心がいやされるために」

あなたは、自分の両親に対してどのような感情を持ち、どのような関係を持っていますか?

親子関係は、一番最初の人間関係であり、切っても切れないものです。

親子関係の良し悪しが、その後の人間関係に影響を与えます。

親子の関係が良好ならば、人間関係も良い関係が築けるはずです。

しかし、私たちが抱える最大の問題は人間関係ではないでしょうか。

遠くの人との関係ならそんなに悩む必要はありません。避けていればいいからです。

しかし、身近な人との関係ならばそうはいきません。

夫婦関係、親子関係、身近な人間関係は、人生の幸・不幸を決めてしまいます。

例えば、夫婦関係が麗しく、愛し合い、お互いが支え合い、助け合い、高め合う関係が持てるならば、人生のほとんどが幸せなはずです。

夫婦関係は、夫と妻のそれぞれの親子関係がダイレクトにあらわされます。夫婦は一体ですから、隠したり、誤魔化したりすることができません。

夫婦関係で葛藤があったり、不和であったり、争いが絶えないとしたら、その原因を辿って行くならば、必ず親子の関係に行き着きます。

心理学を学んだり、カウンセリングを受けると、親との関係が今の自分と密接に関わっていることがわかります。

その時、「親が悪いからこうなった」「親がこうしてくれなかったことが原因だ」などと、怒りの矛先が親に向くことがあります。

もちろん、子供にとっての親は絶対的な存在ですから、親が子にどう接するかで、子供の運命は大きく変わるだろうと思います。

しかし、親に対する怒りや憎しみを持ったならば、さらに人間関係は悪化します。

問題は、親を憎んだり、裁いたり、「親のようになるまい!」などと考えたことだからです。

親が子供に対してひどいことをしたとしたら、怒って当然だし、裁いて当然だし、「親のようになりたくない!」と思っても当然のように感じるかもしれません。

しかし聖書は、「あなたの父と母を敬いなさい」と語ります。この神の命令に背いているとしたら、それは「的外れ」なのです。

親の対応がが子供を傷つけたことは確かでしょう。そして、親を敬えなくした原因を作ったのでしょう。

しかし、それを選んだのは自分自身であることも確かです。

心がいやされるため必要なのは、①親を赦すことなのです。そして、②親を裁いたことを神に悔い改め、③親を敬う心を選び取ることです。

みなさんも、この3つを実践されるなら、必ず心がいやされ、良い人間関係を築くことができるようになり。幸せになります。

こんなことを教えてくれるのは、唯一、「教会」だけでしょう。

聖書には、「彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。」(マラキ4:6)と書かれています。

神様は、「父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせるために、エリヤを遣わす」と言われました。

現代のエリヤは、私や、先に親子関係が修復されたあなたです。

親子関係の修復には、誰かの助けがないと難しいことがあります。しかし、互いに助け合うことで、親子関係の修復がなされていくのです。

父の心が子にしっかり向いてないので、子供は傷つき、子の心は親から離れています。離れた親子の心が互いに向けられていく時に、親は子を愛するようになり、「あなたの父と母を敬いなさい」と命令が、ごく自然にできるようになっていくのです。

条件を付けないで、今のままで親を認め、親がしてくれたことに対して感謝し、親の権威を認めて、親を敬う心を選び取るならば、親子関係の壊れていた部分は回復し、あなたの心はいやされ、人間関係は変わります。

これはあなた自身のためなのです。

クリスチャンとは、キリスト教という宗教に入ることと考えられていると思いますが、そういう形ではなく、もっと実際的なことです。

神とのしっかりした絆を持ち、キリストの歩まれた道を天国に向かって歩むことです。

親子関係が修復され、心の傷がいやされ、喜びに満ちた人生を歩んでいきましょう。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月12日(金)16時15分50秒
  「賢い計算」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/10/12(金)【1269】」

もともと計算は弱い方です。私の次女は、わずか何年で「そろばん5段」まで昇級しました。私は興味がなかったし、「そろばん5級」で辞めてしまいました。

しかし、そろばんは苦手でも、永遠の視点からの計算は好きです。

日本の教会(プロテスタント)の牧師で、フルタイムで伝道をし、教会の働きに専念している人は、全体の3割くらいだと聞いたことがあります。

7割くらいの牧師の中には、教会からの給料だけで生活するのが難しいから他の仕事を持っています。

中には、有能なので、手に職を持って兼業している牧師も居ると思いますが、日本国内の牧師で裕福な牧師は多くないと思います。

そろばんをはじいて計算したら、牧師になりたいという人はほとんどいなくなってしまうかも知れません。

しかも、いろいろな意味で大変な働きです。

しかし、それにもかかわらず、私は牧師になって良かったと思います。

そろばんをはじいたからではなく、永遠の視点から計算したわけでもありません。そんなことはどうでも良いから、いのちを含めて、人生のすべてを神様にささげたいと思いました。

神様にささげた結果、神様は私を豊かに祝福して下さいました。

お金があるわけではありません。しかし、にもかかわらず、豊かに祝福されています。

時々、もし自由に使えるお金があったら、家族に良い生活をさせてあげたいとか、家族でゆっくり旅行に行きたい。家族がゆっくり過ごせる家を建てたり、もっと良い暮らしをさせてあげたいなどと思います。

しかし、神様は、物質の豊かさを超越した豊かさを与えて下さっています。そして、必要なら、どんなものでも与えて下さると信じます。

「銀を受けるよりも、わたしの懲らしめを受けよ。えり抜きの黄金よりも知識を。知恵は真珠にまさり、どんな喜びも、これには比べられないからだ。」(箴言8:10~11)

「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6:33)

そろばんをはじいたら、お金を稼ぐために仕事をし、それに時間を費やすことが賢いことでしょう。

教会の活動のほかに、無料奉仕やボランティアの活動を数多くしています。

講演や音楽の奉仕で呼んで頂いた時には、お車代+謝礼を頂きます。消防団は、少額ですが報酬や手当がもらえます。

大会の実行委員、PTA、路傍伝道などは、良ければ交通費を出してもらえたり、お弁当を出してもらえますが、お金や物質の報酬はありません。

私は、お金になるかならないかを考えず、神様に仕えたいと思います。

仕事とは、「事に仕える」と書きますが、神様が導かれる事に仕えたいと思います。

そうすると、神様は必要の一切を与えて、満たして下さいます。

本当の賢さとは、目先のことに囚われず、永遠の視点から見て、考え、生きることだと思います。

この地上での生活は一時的です。しかし、天国での生活は永遠に続きます。

神と共に歩む人生は、天国に続く幸せな時間です。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月12日(金)12時16分28秒
  「圧倒的な勝利者として歩む」
《Now watching 863》

東京リバイバルの実行委員会を新宿シャローム教会の新しい会堂で行われています。斜め前の建物からお祈りの声が聞こえて来ました。エルサレムの旧市街で、イスラム教のお祈りを呼びかけるスピーカーからの声を思い出します。圧倒的な勝利とは、喧嘩するのではなく、神が共にいて下さることで与えられる勝利です。どんな時にも神様が共におられるので、私たちは圧倒的な勝利者です。そして、神は、悪魔以外私たち全員が勝利者になることを願っておられます。「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイの福音書28章20節)「私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」(ローマ人への手紙8章37節)
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月12日(金)08時28分7秒
編集済
  「叱られるうちが花か!?」

誰かから注意を受けて、「叱って頂いてありがとうございます」と、なかなか思えないものです。

注意を受けている理由が納得できなかったり、上から目線の態度にムカっとすることはないでしょうか。

あなたが注意を受けたり、叱られるのは、あなたに可能性があるからです。

人生の中で、様々な人からたくさん指導を頂きました。自分の全てが否定されているように感じて、つらい気持ちになったことを思い出します。

「叱られるうちが花なんだよ。言ってもしょうがいと思う人には叱ることはないんだから!」と言われ、「うまいことを言いやがって!」と思わなかったわけではありません。

しかし、後で振り返ってみると、貴重な労力や時間を費やして、「私に見込みがある!」と見込んでくれて、ありがたいなと思います。

私は、叱られているという事実に傷つき、腹が立ち、叱られている内容に目が向いていませんでした。

怒りは、自分自身を追い詰め、相手との関係を悪化させ、何一ついいことはありません。

私たちの人生に起こることはすべて良いことです。何一つマイナスはありません。

叱られた内容は、改善の余地があることであり、成長の無限の可能性を示唆しています。

感情的に受け止めるよりも、叱られた内容にだけ意識を集中し、その領域を改善していけたら、あなた自身が得します。

さらに、叱ってくれた相手との関係が悪くならないばかりか、良い関係を結ぶことにもつながります。

「すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。」(へブル人への手紙12章11節)

叱られるのも悪くありません。

叱られること、注意されることを含めて、人生を楽しんでいきましょう。

今日も素晴らしい一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月11日(木)23時29分33秒
  「吉祥寺 路傍伝道 ~いつでも、どこでも、誰にでも~」
《Now watching 862》

今日の吉祥寺駅路傍伝道は、対照的な2つの場所で行いました。最初は、北口の吉祥寺サンロード商店街前広場。二箇所目は、井の頭公園です。短時間の参加を含めると9名が参加してくれて、力を合わせて伝道をしました。井の頭公園では、3人の小さな子どもたちが一緒に歌ってくれました。北口広場は、より多くの人に伝道ができるという素晴らしさがあり、井の頭公園では、ゆっくりじっくり聞いてもらうことができる素晴らしさがありました。人が多くても少なくても、人が居るところならどこでも伝道すべき場所なのだと感じました。宗教改革者のジョン・ウエスレーは、「世界は我が教区なり」と語りました。私も同感です。いつでも、どこでも、誰にでも伝道し続けたいと思います。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月11日(木)16時22分4秒
  「マジで祈ろう!」
《Now watching 861》

先日の学園祭の奉仕をして以来、コーヒーメーカーを目の前に置くようになり、毎日何杯もコーヒーを飲むようになりました。カフェインの効果で目が冴えています。聖書は、「目を覚ましていなさい」と語ります。「祈りなさい」という意味です。心を眠らせることなく、絶えず目を覚まして生きていきたいですね。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月11日(木)11時46分29秒
  「備えよ、いつも」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/10/11(木)【1268】」

本日は10/11(木)。11日にというと、9.11のアメリカ同時多発テロ事件や3.11の東日本大震災を思い出します。

「喉元過ぎれば熱さ忘れる」と言われますが、定期的に防災訓練をしないと記憶から忘れてしまいます。

今日は、消防団が参加する「破壊訓練」が行なわれました。

取り壊し中のビルの中で、消防団に与えられている機材を使って取り壊しをするという内容です。

指導をしてくれた消防署員の方々が、阪神淡路大震災、東日本大震災、北海道胆振東部地震の現場での話をしながら、この訓練がいかに有効であるかを話してくれました。

さらに、震災後72時間は、ほぼ不眠不休に近い形で救助に当たるため、最小限の力で最大限の効果を発揮することが大切であり、互いの安全確保を最優先でやるべきであることも合わせて話してくれました。

とても良い訓練の時となりました。

阪神淡路大震災の時には、建物の倒壊によって圧死によって亡くなられた方が覆いと聞きますが、私の住む東京も、それと同じ規模の首都直下地震が予想されています。

まずは、自分の身の安全の確保をしないといけないと思います。

自分の身が安全なら、他の人から助けてもらう必要がないばかりか、他の人を助ける側に回ることが出来ます。

もちろん、真っ先に被災するかも知れませんので、その時には、助けを受けたいと思いますが、定期的に行なわれる訓練に参加して、震災に備えたいと思います。

そしてもちろん、神様にお会いする備えが大切です。

「あなたの神に会う備えをせよ。」(アモス4:12)

今日も、最善の備えをしながら歩みたいと思います。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月11日(木)07時43分56秒
  「行為の価値と存在の価値」

自分に自信がない人は、人からちょっと評価されると、舞い上がって得意になりますが、人から評価されないと、がっかりして落ち込んでしまうものです。

自分に自信があるならば、「自分に何ができるのか、何ができないのか」を客観的に知っていて、それを冷静に受け止め、受け入れることができますので、周囲の評価によってふりまわされることがなくなります。

ものごとをポジティブに考える人は、「自分にできること」を知り、その部分を伸ばそうと努力します。

しかし、自分に自信がある人は、「自分にできること」だけではなく、「自分にできないこと」を知り、その部分を減らそうと努力します。

人間の価値には「2種類」あります。

一つ目は、「何ができるか、できないか」の「行為の価値」。

二つ目は、「何ができるか、できないか」と関係ない「存在の価値」です。

私たちの社会は、「存在の価値」はほとんど重要視されません。「何ができるのか、できないのか」の「行為の価値」で人間の価値が計られます。「行為の価値」だけを考えていたら、「できる」ことは「自信」につながりますが、「できない」ことは、「自信をなくす」ことにつながります。

しかし、私たちを造られた神さまは、「行為の価値」もしっかりと評価されますが、「何ができるか、できないか」以前に、「存在の価値」を重要視されます。

極端な話、「何ができても、できなくても。あなたがそこにいる」だけで、あなたの価値を高く評価されています。

「存在の価値」は、「行為の価値」に左右されません。

あなたは、自分の「存在の価値」を知っていますか?

「あなたの神、主は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた。(申命記7:6)

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)

神さまは、あなたに対して「存在しているだけで価値ある者」と見て下さっています。

その証拠に、一人子イエス・キリストを、あなたを救うために十字架につけて下さったのです。あなたの価値は、イエス・キリストと同等なのです。

「存在の価値」を受け入れ、「何ができるか、できないか」を冷静かつ客観的に知り、受け入れながら、「できる」部分を伸ばし、「できない」部分を減らして行けたら、「存在の価値」が、あなたの「行為の価値」をも引き上げて、自分に自信を持って、豊かな人生を生きていけるはずです。

今日も素晴らしい一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月10日(水)21時08分29秒
編集済
  「修復して下さる神」
《Now watching 860》

問題があって離婚したけれど、神が修復して下さいました。再び籍を入れるのはこれからですが、もう一度やり直す決断をして一緒に祈りました。問題のない夫婦も素晴らしいですが、どん底まで行ったけれど、回復して下さるとしたらもっと素晴らしいです。修復して下さる神を賛美します。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月10日(水)15時22分55秒
  「交換が利くものと利かないもの」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/10/10(水)【1267】」

先日のTCUの学園祭では、ギターの弦を3回も切ってしまいました。1弦、2弦、3弦です。

ある程度使っている弦を切った時は、全部丸ごと交換するのが一般的だと思います。

しかし、私のように、度々弦を切ってしまった場合は、バラで弦を買って、切れた弦だけを交換した方が良いのではないかと思います。

全部の弦を張り替えると時間もかかります。

しかし、切れた弦だけの交換ならば、本番中であっても、MCで時間をつないでくれている間に交換が終わってしまうこともあります。

ただ、迷うのは、バラで弦を買うと割高だからです。

昔は、ギターの弦1セットで100円(税込み)で買えましたが、今は、安くても248円(税込み)です(大量に買うともっと安いものもある)。

安い弦(ライトゲージ)をバラで買うと、1弦と2弦は86円。3弦は118円。4弦と5弦は172円。6弦は194円です。

6本1セットで248円です。

せいぜい1弦と2弦。切れやすい3弦までです。

6弦は1本で194円。バラは割高です。

これは使い方によりますは。私のように、ギターを集会や路上ライブなどでしょちゅう弾いているなら、しょちゅう切れるので、バラ弦交換をおすすめします。

しかし、時々ギターを弾く人は、丸ごと交換がおすすめです。

また、観客がいるステージなどで演奏をする時には、丸ごと新品の弦に交換するのがベストです。シャリシャリしてとても良い音が鳴ります。

新品の弦に交換してサウンドチェックをすると、だいたいの音響さんは、「いい音がしますね」 と言ってくれます。

ギターとピックアップが良いからだと思いますが、うれしくなります。

しかし、劣化した弦のことを、「弦が死んでいる」と表現しますが、死んだような弦でサウンドチェックをしても、「いい音ですね」と言われたことはありません。

おそらく、耳のいい人だけではなく、普通の人でも弦の劣化はわかるのではないかと思います。

だから、ギターの弦はケース・バイ・ケースで、切れた弦だけを交換したり、丸ごと交換します。

ギターの弦は消耗品であり、切れたら交換するのが普通です。

しかし、人間の体はそうはいきません。

完全燃焼、かつ、全力投球で生きていたいと思いますが、平和な人間関係と安全運転には心がけたいと思います。

それは、一回の人生の中で与えられている使命を成し遂げるためです。

人の目から見て、志半ばでこの地上を去っていくように見える人がいますが、私は、主が天に召して下さったと確信します。

しかし、いのちは神様からの預かり物です。

大切に管理し、大切に使わせていただきたいものです。

「ですから、私はあなたがたのたましいのためには、大いに喜んで財を費やし、また私自身をさえ使い尽くしましょう。」(第二コリント12:15)

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月10日(水)07時23分14秒
  「『不幸が幸せに変わる』コペルニクス的転回」

「この病気さえなければ・・・」「あの人さえいなければ・・・」「借金さえなければ・・・」と、思い通りにいかないことがあるものです。

そんな時、「これさえなければ幸せなのに!?」と考えてしまうことはないでしょうか?

そう考えている以上、幸せは永遠にあなたのところにやって来ません。

本当の幸せは、思い通りにいくか、いかないかを超えたところにあるからです。

人生につらく悲しいことが起こるのは、そのただ中でより素晴らしい何かに出会うために起こるのです。

聖書は、「神様があなたの病気をいやして下さる」と約束しています。

しかし、病気のいやしには、他の種類のいやしもあるのです。

例えば、「時間をかけて病気がいやされていく」いやし。

さらに、病気はいやされなくても、「病気にならなかったよりも良い人生を生きられる」といういやしです。

健康で、五体満足なのに、不平不満を並べて生きている人を、あなたも知っているのではないでしょうか。

しかし、病気であり、体に障害を負いながらも、幸せに生きている人もいます。そういう人は多くはないけれど、確実にいます。

クリスチャン作家の三浦綾子さんは、生涯、病気と共に生きた人です。「病気は宝である」と言いました。

クリスチャン詩人・画家の星野富弘さんは、「神様が健康な体に生まれ変わらせてくれるとしても、私はお断りします。なぜならば、今のままで十分幸せだからです」と言いました。

このお二人の話を聞いただけでも、「これさえなければ幸せなのに!?」という考えが間違っていることがわかります。

むしろ、「これがあるから幸せ!」という世界があることを教えてくれています。

マンガの「天才バカボン」の口ぐせに、「これでいいのだ!」というのがあります。

「これさえなければ~」と思う出来事に対して、「これでいいのだ!」と語りかけてみてください。

さらに、「これでいいのだ!」から、「これがいいのだ!」と言い換えて下さい。

そして、もっと進んでいくと、「これが最高なのだ!」に変わります。

これは、天と地がひっくり返るようなできごとです。

それを、コペルニクス的転回と言います。

あなたに取って「これさえなければ~」と思っていたことが、「これでいいのだ!」⇒「これがいいのだ!」⇒「これが最高なのだ!」と、まったく変わってしまうんですから。

幸せな人が幸せなのは言うまでもありませんが、「不幸だ!」と思っていた人ほど、大逆転して、これ以上ない幸せ者になれるのです。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」 (ローマ人への手紙8:28)

今日も、ステキな一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月 9日(火)16時44分25秒
  「丁度いい忙しさがある」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/10/9(火)【1266】」

毎日忙しすぎるのも問題ですが、暇すぎるのも問題です。

各々に、丁度いい忙しさがあるのではないかと思います。

神と歩調をあわせ、神と共に生きる状態が一番いい状態ではないかと思います。

各々のペースがあると共に、客観的に、誰にでも当てはまるペースがあります。

聖書は、「六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。」(出エジプト記20章9節~10節)と語ります。

一週間のうち六日間働いて、七日目に仕事を止めて安息することです。

聖書は、「人間の取り扱い説明書」節です。

アメリカで西部開拓時代にゴールドラッシュがありました。

金鉱脈が見つかったという情報を聞いて、一斉にみんなが「我先に!」と馬車に乗って旅に出ました。

長い道のりでした。馬車は壊れたり、倒れたりしました。死んだ馬もたくさんいました。また、到着した人も過労で動けない状態であったり、途中で死んでしまった人もいました。

多くの人が、一日も休まず、ちょっとの休息を取る間も惜しんで、どんどん進み続けました。

そんな中、1番最初に金鉱脈に到着した人たちは、「一週間のうち六日間働いて、七日目に仕事を止めて安息すること」を徹底的に守っていたキリスト教の一派である清教徒たちだったと言われます。

しかも、彼らは、ほとんど疲れていなかったそうです。

清教徒たちは、一週間のうち六日間は前進し、七日目には前進を止めて安息し、神を礼拝しました。また、馬を休ませ、牧草をたくさん与え、水を飲ませました。馬車も点検しました。

しかし、他の人達は、一週間の一日も休まないで前進し続けたのに、やがて疲れによって倒れる人が続出し、馬も倒れ、馬車も車輪が外れたり、修理に多大な時間を要しました。

あなたの人生は、ゴールドラッシュの時に金鉱脈を目指して旅をしている人たちのようではないでしょうか?

寝る間を惜しんで働く人は、一時的には成功しているように見えるかも知れません。しかし、ストレスがたまって燃え尽きてしまったり、健康を損ねてしまったりして、途中で息切れしてしまう人が後を絶たないでしょう。

一週間のうち一日も安息をしないと、「忙しい、忙しい」と言いながら「心を亡ぼして」しまいます。

この安息の過ごし方は、趣味や旅行をすればよいのではありません。神を礼拝し、神と共に安息をすることです。

しかし、休んでばっかりで、何もしないのも問題です。

遊んでいるばかりでは、何も得ることはありません。一週間のうち六日間は勤勉に努力し、一生懸命に働いていきましょう。

その上で、疲れた時には、その都度休んだらよいのです。

私は、昨日は4時間弱しか寝れませんでした。そして、一日奉仕をしました。

今日は、朝から仕事をしていました。

そして、今、一段落しました。少し休もうと思います。

日曜日に神を礼拝し、安息をしていると、日曜日ごとにリセットされるので、疲れが溜まることはありません。

日曜日を休むこと。そして、毎日、祈り、聖書を読み、神と共に歩むこと。その上で疲れたら、その都度休むことで、疲れがたまることはありません。

この後も、ステキな時間をお過ごしください。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月 9日(火)06時57分24秒
  「迷わない、ブレない人生の秘訣」

誰の人生の中でも、思い通りにならないことがあり得る。

怒り、腹を立て、理性を失って間違った行動を取って、「覆水盆に帰らず」で、後で後悔することがあり得ます。

しかし、現実には大きな嵐が吹き荒れるような状況なのに、冷静沈着かつ穏やで、正しい判断と行動ができる人もいます。

後者の生き方をする人の特徴は、自分の中で物事の判断基準をしっかりと決めていますので、どんな状況に直面しても判断に悩まないで済みます。

それは、「譲れないこと」と「妥協できること」の二つを明確にすることです。これが決まっていたら、譲れないことに対しては、頑固おやじのようになればいいし、妥協できることに対しては、柔軟でしなやかに対応をしたらいいのです。

みなさんは、「譲れないこと」と「妥協できること」の基準がしっかりと決まっていますか? そうしたら、人生に悩みがなくなります。

この二点を構築するためには、聖書を土台にすることをお勧めます。

聖書は、時代が変わり、価値観が変わっても、変える必要のない基準です。聖書が土台ならブレることはありません。

ある人は、よい結果が出るならば多少プロセスに問題があっても、「終わりよければすべてよし!」と考えます。しかし、そうではありません。

大切なのはプロセスです。プロセスを大切にしないで、ルールを違反したら失格になります。

「競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。」(第一コリント9:24)

100m走で一番早く走ったとしても、フライングをしたり、ドーピングを使用したことが発覚したら、失格となり、すべては水の泡のように消えてしまいます。

また、選挙でたくさんの得票を得たとしても、学歴や経歴の詐称をしたり、選挙違反があったら、これもまた失格となり、すべてがなし崩しです。

物事のプロセスにおいて、ルールを守るといのは最低限守らなければならないことです。

さらに聖書が教えることは、
① 「すべてのことを愛を動機として行う」。
敵対心や「今に見返してやるぞ!」というスピリットで行うのではないということです。

② 「神を第一にする」。
必ず判断に迷うことが起こり得ます。その時には、神の御心を第一に選ぶことです。

③ 「平和主義」。
声を上げなければいけないことがあります。しかし、争いは可能な限り避けるべきです。争い、恨まれながら成功をしても、後味が悪いですし、ある日、包丁で刺されてしまったら元も子もありません。

プロセスを大切にしていたら、たとえ100m走で一番早くなくても繰り上げで優勝し、金メダルをもらうこともあり得ますし、選挙で次点でも、繰り上げ当選ということもあり得ます。

結果よりプロセスを大切にして行きましょう。

また、人生の中で思い通りに行かないようなことに直面したとしても、あなたなりの基準があれば、迷うことなく、ブレることなく前に進んで行くことができます。

特に、力の弱い立場の人は、悔しい思いをさせられることがあります。

悔しい思いは、神に申し上げ、神にぶつけ、神に受け止めてもらって、その悔しさをいやして頂きましょう。

一人の女性が押さえられないほどの悔しい思いをしていました。彼女は大きな会社の社長の奥さんです。結婚後何年経っても子どもが生まれず、やっと生まれてきた子どもは立て続けに女の子でした。

ある日、養子として息子が連れてこられました。その男の子は、社長である旦那の子どもですが、同じ会社に勤める若い女性が母親です。これは愛人が産んだ隠し子ではなく、社長の両親も後継ぎを残すために一枚も二枚も絡んでいたのです。

その事実を知った時に、頭が真っ白になり、次に、それが怒りに変わって、狂ったように腹を立てました。しかし、その憤りと怒りの声は、黙殺されました。怒りのやり場がありませんので、自分で自分をコントロールすることができない状態になりました。

その時、小さい頃教会に通っていたことを思い出しました。急に十字架にかけられたイエスさまの姿が思い浮かびました。いつの間にか、声にならない悲痛の叫びをお祈りしていました。

女性が思い描いたイエスさまは、むちで何度も打たれ、頭にはいばらの冠をかぶされ、両手と両足を十字架の木に釘で打ちつけられ、祈るたびにイエスさまが全身から血を流し、身代りに苦しんでおられることがわかりました。

「キリストの打たれた傷によりいやされた」と聖書に書かれていますが、徐々に心がいやされて行くことが分かりました。

「主はしいたげられた者のとりで、苦しみのときのとりで。御名を知る者は、あなたに拠り頼みます。主よ。あなたはあなたを尋ね求める者をお見捨てになりませんでした。」(詩編9:10~11)

みなさんも、押さえられないような怒り、裏切られて気が狂ってしまうような心の状態になることがあるかも知れません。そんな時どうしたらいいでしょうか?

ふて寝、ふて食い、ギャンブル、快楽や酒・・・に走りますか?

それとも、イエスさまに祈りますか?

祈りは、問題を根本的に解決しますが、それ以外の解決法は、解決をただ先延ばしにして、問題を大きくするだけです。

祈りは、すべての問題を解決する秘訣です。そして、迷わない、ブレナイ、確かな人生を歩むことができます。

そんな人生を共に歩んで行きましょう。祝福を祈ります。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月 8日(月)22時20分22秒
  「東京基督教大学 学園祭(シオン祭)ブース出店」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/10/8(月)【1265】」

朝6時45分にJR大久保駅で待ち合わせをして、千葉県印西市にある東京基督教大学に向かいました。朝8時30分に学校に着きましたが、学園祭開始の10時には間に合わず、10時半からブースが動き始めました。今回の出店で行なった主なことは、①路傍伝道新聞の配布 ②コーヒーと軽食でのもてなし ③路傍伝道実演でした。来場者は1000名を越えましたが、新聞を渡せたのは500名程度でした。まずまずです。昨年は、5~6名でブースを回しましたが、今年は11名のスタッフが集まって下さいました。適材適所、必要にして十二分で、全員野球で出店することができました。たくさんの方がブースに来て下さってくつろいだり、楽しんで下さいました。さらに、5歳の男の子、高校生、大学生、教会でピアノの奉仕をしておられるご婦人などが賛美チームに飛び入り出演して下さいましたし、音楽ゲストの「ナイトdeライト」のメンバーの方までが友情出演して下さいました。息をつく暇もない6時間でしたが、最高に充実した一日になりました。路傍伝道ネットワークのみなさんと、一日一緒に戦い、活動したことで、絆が深まりました。感謝に溢れた一日でした。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月 8日(月)21時44分39秒
  「TCU学園祭ブース出店の一コマ」
《Now watching 859》

力を使い切り、充実の一日でした。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月 8日(月)05時19分14秒
  「『病気を自覚した人』と『病気を自覚していない人』」

重病の入院患者に医者が聞いた。「だれか、呼んでほしい人はいないかね?」医者の耳もとに口を寄せて、患者は苦しい息の中から答えた。「ほかの医者を!」

病院に入院していると、患者の立場は弱く、喉元まできても言えない言葉です。

「医者や看護師の機嫌を損ねてしまったら、キチンと治療してもらえなくなってしまうかも知れない!?」。不満を飲み込んで、「お願いします」「お世話になります」「ありがとうございます」と言わざるを得ない場合があります。

私が喘息に入院した時、ひどい処置と対応をする看護師がいたので、内科部長が回診に来てくれた時に相談したことがあります。

とびっきり優しく、面倒見のいい看護師が担当してくることになり、幸せな入院の時間を過ごせたことを思い出します。

一歩間違えると、ナースステーションで、「あの患者は、要求が多くて、何にでも文句を言う人だから気をつけてね・・・」と、噂されてしまう可能性もあります。

『イエスは答えて言われた、「健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」』(ルカ5:31~32)

イエス様は、世界一の医者です。全幅的な信頼を寄せても何も不安はありません。

上記聖句は、「病人と義人がいて、イエスは病人だけを招くために来た」と教えたのではありません。

「全ての人が、アダムとエバの罪によって罪人であり、病人なので、医者であるイエスが必要である」と教えたのです。

しかし、病人は病人でも、自分の病気を自覚していないと病院に来ることはありません。病気を自覚した人だけが診察と治療のために病院に来ます。

「病気一つしたことがない人」が、突然亡くなってしまうことがあります。しかし、「病気の総合デパート」と言われながらも長生きする人がいます。

病気があるなら、病気を早期発見し、治療できた人はラッキーです。

同じように、自分の罪を早期に自覚し、イエスの元に来られた人は幸いです。

神の目から見たら、全ての人が罪人です。

「私は人に迷惑をかけていないし、結構いい人だ」と思っている人もいます。

日本人は、ある意味、道徳的に優れた人が多く、自分の罪を自覚しにくい人が多くいます。

聖書が語る罪は「創造者との関係の罪」です。

「道徳的罪」や「法律的罪」は、その結果表面化した罪です。

自分を造り、生かし、導き、救って下さる神に背を向け、信じず、ないがしろにして生きていることが「創造者との関係における罪」なのです。

この状態を植物に例えるなら、根が切られた花束のようです。

病院に病気の人を見舞う時、「病気が根付く」というメッセージになるので鉢植えは避けて、花束を持って行くことが普通です。花束は、すぐに花瓶に移して、水を入れますが、しばらくすると枯れてしまいます。

人間は罪の結果、花瓶の花のように、しばらく生きたら死んでしまいます。

「私たちの齢は七十年、健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。」(詩篇90:10)

「そこで、主は、『わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう』と仰せられた。」(創世記6:3)

聖書が語る罪は、自覚しにくいですが、その結果は明確です。

「罪の支払う報酬は死である。」(ローマ6:23)

しかし、もう一つの明確な事実があります。(ローマ6:23)の後半にはこう書かれています。

「しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける 永遠のいのちである。」(ローマ6:23)と書かれています。

世界一の医者であるイエス様の元に来るならば、永遠の命が与えられます。

あなたは自分の罪がわかりますか?

あなたを造られた神から離れているとしたら、それが罪です。

罪を認め、神の一人子イエスの元に来ませんか?

今日もイエス様は、「私わたしのもとに来なさい、」と招いておられます。

三連休最終日、ステキな一日をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月 7日(日)14時22分30秒
  「神と私とボールペン」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/10/7(日)【1264】」

小学生低学年の時、私のふで箱の中身は、①削られたえんぴつ、②赤えんぴつ、③消しゴム、④えんぴつ削り、⑤定規などでした。

小学生高学年になると、えんぴつがシャープペンに代わり、+シャープペンの芯に取って代わりました。

今、私のふで箱は、黒ボールペン、二色ボールペン、三色ボールペン、四色ボールペン。ボールペンだけです。

リサイクルショップなどで、ボールペンが一本10円以下くらいで買える時に、大量に買いましたので、部屋中にボールペンがありますし、バックの中、車の中、ポケットの中、どこにいてもボールペンがすぐに取り出せる環境にしています。

いいアイデアが浮かんだのに、すぐに忘れてしまったり、人と約束しても、その日時を覚えられなくて、約束をすっぽかしてしまったり、物事を忘れてしまうことがあるため、その場で、手帳に書き記すためです。

私の人生を埋め尽くすほどに、たくさんのボールペンを持っています。

10円以下で買っていますので、量の割にはお金はかかってないのですが、たくさんありますので、どんな時にもボールペンを使えるようにしたいものです。

そして何よりも、誰よりも、どんな時にも、神を意識し、神を中心に生きたいです。

「私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」(ローマ8:35~39)

聖書は、「神の愛から私たちを引き離すものは何もない!」と断言しています。

それは、外的要因です。

人間の不信仰や、神を邪魔に思い、退けたい思いが神を引き離すことは可能です。

罪の根源は、神との離反です。

神が共におられると、自分の思う通りにできないので、その時だけ、「神様、どこかに行っていて下さい!」と考え、困った時には、「神様助けて下さい!」となりがちです。

天国と地獄の違いは、永遠に神が共におられるか、神がおられないかの違いでしかないのです。

イエス様を救い主と信じた人は、天国に入ります。

イエス様が差し伸べられた救いの御手を拒むならば、天国に入ることはできません。

地獄は悪魔以外行くべき場所ではありません。

私の夢は、地獄を空にし、天国を人で満たすことです。

この地上で、神と共に歩むならば、天国を先取りしていることになります。

神は愛です。このお方を退ける理由はありません。

「神様がいてもらっては困る!」と考える時は、悪いことをたくらんだり、不正をしようとしているからです。

悪や不正を行って得することは絶対にありません。

どんな時にも、私たちの人生の中に神様で一杯に満たしていきましょう。

私の人生には、ボールペンと神様で満ちています。

この後も、素敵な時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月 7日(日)07時38分38秒
  「心をいやす秘訣」

あなたは、誰かから傷つけられた時、原因を探して、心の中で自分を責めたり、愚痴を言ったりすることはありませんか?

傷口は広がる一方です。

そうではなく、傷口を包み、いやして、痛みを和らげましょう。

胸の奥からこみ上げてくるやり場のない「悲しみ」「怒り」「悔しさ」「情けなさ」などの感情を受け止め、次に、目を閉じて祈りましょう。

祈りは、あなたの痛みをいやしてくれます。

祈り以外で心の傷をいやす方法は、他の誰かにぶつけることです。

子供を虐待する親の多くは、その親から虐待を受けた過去があります。

いじめっ子の多くは、親からの虐待や他の誰かからいじめられた経験があります。

虐待やいじめによる傷は根が深いので、継続して虐待仕返したり、いじめ返すので、虐待やいじめは、負の遺産として連綿と受け継がれてしまいます。

DV、セクハラ、パワハラなども、やっている本人には正当な理由があっても、無意識の領域では、傷ついた心をいやすために行われることがほとんどです。

心の傷がいやされないと、恨みとなり、誰かにやり返さずにはいられません。そうじゃないと精神的に病んでしまいます。誰かにぶつけ、仕返すことで心の痛みは和らぎます。

しかし、復讐したり、誰かにやり返しても、根本的には心はいやされません。やり返した相手から、さらに何倍にふくれ上がって仕返しされたり、そうでなくても、友達がいなくなり孤独になります。ますます心の傷が深まります。

もし、祈りによって、イエスさまに心のやり場のない感情を持っていき、受け止めてもらうならば、あなたの心は、最深部分からいやされていきます。

イエスさまはあなたの身代わりに十字架で死なれました。いくらぶつけても倍返しをしてくることはありません。黙って十字架で受け止め、肉を割き、血を流して死んでくださいます。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイの福音書11:28)と、イエスさまは両手を広げてあなたが来るのを待っておられます。

傷ついた時、自分を責めると傷口が広がります。また、誰か他の人にぶつけても、一時的に痛みは減少しても、やり返されたり、孤独になり、傷口はかえって広がってしまいます。

あなたの心の傷をいやす方法はただ一つ。

今、あなたのどうしようもない、やるせない感情を受け止めて、目をつぶってイエスさまに祈って、その思いのすべてをぶつけていきましょう。やがて心はいやされ、楽になり、喜びでいっぱいになります。

毎日、傷つくことはあっても、その傷をいやし、それを喜びに変えながら生きていけたら、幸せな一日を過ごせます。幸せな人は、決して傷つかない人ではなく、その傷をいやす秘訣を知っている人です。

幸せな一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月 6日(土)23時47分22秒
  「御茶ノ水駅路傍伝道&賛美集会」
《Now watching 858》

今日の御茶ノ水駅前伝道は、エホバの証人の人たちと並んでの伝道でした。配慮して、いつもの「イエス・キリストを信じたら天国」の看板を掲げないで、「路傍伝道ネットワーク」の看板だけを掲げました。結果、キリスト教だとパッと見てわからなかったからか、たくさんの人が立ち止まってくれました。拍手までしてくれる人もいました。声をかけると、エホバの証人の人たちでした。私たちの表情や音楽の雰囲気が良くて、純粋に感動して拍手してくれたそうです。「私たちはクリスチャンです」というと離れていきました。「残念だな」と感じました。伝道対象は、まったくの未信者だけではなく、エホバの証人のような人たちや、教会に躓いてしまった人たちも含まれます。すべての人に、神様の愛を伝え続けたいです。後半は賛美集会でした。夏に多忙であったり、バテてお休みしていた3人の方が来てくれました。集会後の参加者の感想は、「お腹一杯」でした。クリスチャンにとっては、伝道をし、礼拝をし、交わるというのは、最高の喜びであり、楽しい時間なのだと感じます。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月 6日(土)12時11分45秒
  「人生って不思議」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/10/6(土)【1263】」

私は、東京生まれ、東京育ちです。海外留学の経験はありますが、日本では東京しか知りません。

沖縄や北海道に住んでいたとしたら、環境も違いますし、出会う人が違いますので、そこから受ける影響を考えると、違う人生を生きていたに違いないと思います。

人生一度限り。私は一人だけ。

何かをするということは、何かをしないということ。

今ここにいるということは、他の場所にはいないということです。

神様がおられ、神様が私を導いて下さっていると信じなかったら、すべては偶然になります。

すべてのことを感謝できる理由は、神様が、私の人生において最善以下はなされないと信頼しているからです。

「あの時、こうすれば良かった」という後悔をやめて、仮に、今はマイナスの状況に置かれているように見えても、最終的には、一番良いことになると信じましょう。

私は、100パーセント神の御心がなると信じています。

人生は不思議です。奥が深いです。

すぐに、良いか、悪いかを見定めないで、一瞬一瞬を楽しんでいきたいですね。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月 6日(土)06時15分42秒
  「本当の競争」

「あの人には負けたくない!?」と、ライバル心を燃やして競う社会に生きながら、多くの人がその競争に疲れているのではないでしょうか?

人と競う以上、勝ち負けがはっきりします。

勝ったとしても、「次は負けるかもしれない?」という不安が付きまといます。

負けたとしたら、「一体、いつになったら勝てるのか?」と、敗北感とあせりを感じます。

これでは心が擦り切れてしまいます。

本当のライバルは、他人ではなく、「過去のあなた」です。今日のあなたが、過去最高のあなただとしたら、あなたは間違いなく勝者です。

もう他人と競うのをやめて、過去のあなたより少しでも成長し、人間性においても、スキルにおいても、実績においても、豊かになれるように磨き続けたらいいのです。

完全燃焼して、「うまくいった!?」と思える日には喜び。「ちょっとうまくいかなかったな!?」と思う日には、自分を寛容に受け入れて、慰め、励まし、包んであげて下さい。

競争原理から解放され、過去の自分より、より良い生き方を目指すという、競争原理を超えた競争に生きる人は、どんな時にも幸せです。晴れの日に感謝し、雨の日に傘をさして自分を励まし、いつも心が豊かです。

そんな豊かな心を持った人は、他の人にも励ましや慰めながら、エールを送れる人になるのです。

競争に疲れた人が多くいます。この社会の中で、あなたの存在が、多くの人の痛みを慰め、渇きを潤し、共に生きていくことができますように。

イエスさまは、弟子のペテロに「わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカの福音書22:32)と語りました。

あなたのために祈っていて下さる方がいます。競争社会の中で、誰でも、疲れ、倒れ、立ち上がれなくなることがあります。しかし、あなたが立ち直ったら、多くの人を力づける人になれるのです。

今日も素晴らしい一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月 5日(金)11時14分25秒
編集済
  「人生のマイナスをプラスに変えて下さる神」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/10/5(金)【1262】」

昨日4日(木)、ベトナム戦争中に、アメリカ軍が散布した枯れ葉剤の影響で結合双生児として生まれた「ベトちゃん、ドクちゃん」の分離手術30年周年記念式典がホーチミンで行われました。

高校生1年の時、同じクラスの不良の番長格の生徒が、「あの、ドクとベトとか言うの、気持ち悪いよな!」といっているのを聞いて心を痛めました。

「この男と付き合うのを止めよう!」と考え、離れて行きました。

中学生時代だったら、「この男をしめて、射程にしよう!」くらい思ったかも知れませんが、私の心には相当なショックを感じたのだと思います。

今週火曜日と水曜日、すでに何度か投稿しましたが、奈良県にある生駒聖書学院で2日間の講義をさせてもらいました。

少し前に、恩師に相談したところ、「菅野先生は、たくさんの体験をされているのだから、講義の準備をしないで、失敗談を交えながらありのままを語ったら良いと思いますよ」と励まして下さいました。

6時間もの講義をするのに、その教えに従って、講義原稿を準備しないで出かけました。

朝8時30分からスタートして、一時限目は8:30~9:30。休憩10分。二時限目は9:40~10:40。休憩10分。三時限目は10:50~11:50。そして、お昼ごはんを食べて、午後は、自習や奉仕やアルバイトなどの自由時間。

講義は、ずっと祈りの中で準備して来ましたが、原稿にしないで、10分の休憩時間に祈って、携帯のメモに箇条書きにして教壇に立ちました。

それが良かったのだと思います。神様が、今この時、語らせたい内容をキャッチして語れたからです。

「神様は、マイナスをプラスに変えて下さるので感謝しましょう!」と語り、その実例の一つとして父の話をしました。

父は、先祖代々、神社の神主の家系に生まれましたが、高校受験の時に、医者の失敗によって左半身不随になり、そのことによって人生に悩んだことで、一浪しますが、ミッションスクールの青山学院大学に入学し、聖書研究のサークルに入り、教会に導かれ、信仰を持って洗礼を受け、のちに牧師の娘の私の母と結婚をし、親族に救いが及んでいる、という話をしました。

今は、父のその不幸が、大逆転して、大きなプラスに変わったと確信を持って語れますが、当時は、悲しいことであり、「なんて人生とは理不尽なのだろう?」と、考えたものです。

だから、高校の時、「あの、ドクとベトとか言うの、気持ち悪いよな!」という言葉を聞いて、深く傷ついたのだと思います。

しかし、神を信じ、クリスチャンになり、牧師になり、人生を振り返って断言できることは、「神は、すべてのマイナスをプラスに変えて下さる!」と言うことです。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28)

この真理がわからないと、人生はつらく、目の前の事に一喜一憂しながら生きて行くことになります。

それこそ、無駄な労力です。

私も、無駄なことをしたと思いますが、その無駄というマイナスもプラスに変えられました。

悩む人の気持ちが理解出来ます。

そして、「悩んでも仕方がない」と、心の底からわかります。

「神は、すべてのマイナスをプラスに変えて下さる!」という真理をわからないと、マイナスはマイナスでしかありません。

しかも、「マイナスはマイナスでしかない!」と断定してしまうと、ことわざに「災い転じて福となす」あるような、マイナスがプラスに変わることすら期待できないし、それを拒んでしまう結果になります。

信仰は神からの賜物であると同時に、あなたの選択です。

信じる方を選んで下さい。そして、信じない方を拒絶して下さい。

ベトちゃんドクちゃんの分離手術30年周年のニュースを見て、心かうれしく思います。

残念ながら、お兄さんのベトちゃんは、入院生活が続き、2007年に死去しましたが、19歳まで生きることができました。

弟のドクちゃんは、結婚をし、男女二人の双子が生まれました。

私の父の医師の失敗と重なる部分があります。

かつては、医者に対する不信があり、大の医者嫌いでしたが、神を信じてからは、神は、医学も用いられるとわかったからです。

特に、喘息の持病がありますが、定期的にお世話になっています。

神は、奇跡の神です。

なんとすごいお方なのでしょう。

私のすべてのマイナスをプラスに変えて下さいました。

そして、あなたのすべてのマイナスをプラスに変えて下さるお方です。

祈り、神を信じることを選んで下さい。

この後も、ステキな時間でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月 5日(金)08時21分48秒
編集済
  「KKY ~神の空気を読もう~」

イエス・キリストが水の上を歩いて渡る奇跡の湖に、旅行客がやってきた。

湖の向こう岸へ渡る船があるので行ってみると、「一人50ドル」という看板があった。

観光客は、「なんてこった。たったこれだけの距離で50ドルも取るのか!キリストも歩いて渡るはずだ!?」とつぶやいた。

キリストがガリラヤ湖の水の上を歩いた本当の理由は違いますが、キリストは、湖の上を歩きながら、弟子であるペテロに、「来なさい」と声をかけられました。

ペテロは、単純にキリストの言葉を信じて、ガリラヤ湖の水の上を歩き出しました。

キリストの言葉を信じているうちは何も疑問に思うことはなかったのに、波を見て理性が働き出し、「私は人間だ。水の上なんか歩けるはずがない!」と考え、恐くなり、我に返りました。その瞬間体が湖に沈んで溺れてしまい、キリストに助けてもらいました。

神の一人子であるキリストの言葉を信じている時には、ペテロは湖の上を歩きました。しかし、環境を見てキリストの言葉を疑った時に、湖の上を歩けなくなり沈んでしまいました。

この出来事が教えることは、ペテロは、湖の上を歩いたのではなく、キリストの「来なさい」という御言葉の上を歩いていたのです。

ペテロが、キリストの言葉から目を反らしたら、波という現実を見て恐ろしくなり、「人間が湖の上を歩けるはずがない!?」と理性が働き、キリストの言葉を疑ったので、ペテロの足はキリストの御言葉から、湖に移り、沈んで溺れてしまったのです。

聖書は、この出来事を次のように記しています。

『夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた。弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ、恐れることはない」と言われた。すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」イエスは「来なさい」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ、助けてください」と言った。そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」』(マタイの福音書14章25節~31節)

この世の中で、現実は現実です。それを否定する必要はありませんし、現実は認めることが大切です。しかし、キリストが、目で見ている現実と違うことを言われたとしたら、キリストの御言葉の方を信じることが信仰なのです。

「人が湖の上を歩けるはずがない!?」。これが現実です。しかし、キリストが「来なさい!」と言われたら、それが現実を超える現実なのです。

キリストは神ご自身です。神が、この世界に何もなかった時に、「光あれ」と言われたら、光が現れたのです。

『神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。」(創世記1章3節)

あなたが、どんな逆境に立たされ、絶体絶命のピンチだと思っても、キリストが「大丈夫だ。私が共にいてあなたを守る。」と言われたら、「絶対に大丈夫!」だと信じて下さい。

キリストは、ご自分を信じて頼るあなたに、「あなたの信じた通りにあなたになれ」と言われ、逆境を乗り越えさせて頂けます。

これが信仰者の生き方です。

聖書は宗教書ではありません。まして、人生の参考書でもありません。聖書は神の言葉です。

神は、全宇宙とこの地球を言葉で造られました。また、人間以外の生き物も言葉で造られました。人間だけは、ご自分に似せて手作りで造られました。聖書は創造者(主)の御言葉です。神が語られたら、それが全てです。

犬は飼い主に忠実に従います。しかし、私たち人間は、自分を造られた神を忘れたり、ないがしろにすることがあります。

しかし、今日、神様から離れた生き方をお詫びし、悔い改めましょう。

「悔い改め」とは、「反省」したり、「後悔」することではなく、「心の向きを神に向け」、考え方を変えることです。

神を信じ、神の言葉を信じて生きて人生に立ち返ることこそ、人間本来の生き方です。

神の言葉を信じ、神の言葉に従って一日をスタートしましょう。

そうしたら、あなたもペテロが体験したように、試練や苦しみの湖、悪魔の誘惑と攻撃の湖、病の湖、問題や呪いの湖、死と地獄の湖の上を渡ることができ、天国の向こう岸にまで歩き続けることができます。

湖を渡る秘訣は、現実を認めながらも、神が現実と違うことを言われたならば、それが現実だと信じることです。

「KY」とは、「空気読めない人」のことを言いますが、空気を読み過ぎると心が病んでしまいます。大切なことは、神の言葉を信じること。つまり、「KKY」神の空気を読むことです。

ステキな一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月 4日(木)10時24分1秒
  「七つ道具」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/10/4(木)【1261】」

子供の頃、寝る前に親父が「七つ道具」という話をよくしてくれました。

ドラえもんの四次元ポケットから出て来るひみつ道具のようなもので、ストーリーは、いろいろなところを旅をしていると、その都度、困難な状況に直面しますが、持っている七つ道具が役に立って、窮地を乗り越えて、前に進んでいくという、ワクワクする内容です。

よく考えてみると、道具は七つどころか十個も二十個もあったと思います。

道具の数などはどうでもよかったです。毎晩、寝る前の時間が楽しみでした。

父は、退職後に伝道師になりましたが、当時は、朝から晩までサラリーマンとして会社勤めをしていました。疲れているのによく付き合ってくれたと思います。

七つ道具の話の影響もあったかも知れません。私は道具が大好きです。道具を大切に使っています。

ざっと七つ道具を数え上げてみました。

①携帯(スマホ)
②スケジュール帳
③バイク
④自転車
⑤車
⑥ギター
⑦バック

七つ道具の筆頭に来るのは、①の携帯です。時には、ポケットに携帯を入れて、手ぶらで出かけることもあるほど、これさえあれば事足りてしまうほど、これなしでは生活が成り立たないほどです。

②はスケジュール帳です。私のすべてのスケジュールが書かれています。

何もしない日はまずありません。時間刻み、分刻みで動いていますが、それが可能になるのはスケジュール帳でタイムマネージメントをしているからです。重宝しています。

③のバイクは、そう頻繁には使いませんが、遠過ぎず近過ぎず、かつ、駐車場のないような場所に行く時に役に立ちます。

二人乗りが出来るので、誰かと二人で伝道に出かけたり、おいしいものを食べに行ったり、小回りが利くので都内では、かゆいところに手が届くくらいに便利です。

しかし、ある日のこと、息子と二人で1000円カットに出かけました。床屋の前にバイクを止めてカットが終わって帰ろうとしたら、バイクのハンドルに、駐車違反の紙が張られていました。

カット代は、一人税込み1000円で安いのに、駐車違反で9000円がプラスされたため、日本一?、高いカット代になりました。

バイクは、エンジンをかけて走るだけで楽しいですが、遠出したら疲れるし、雨が降れば濡れるし、事故に会えば怪我をするし、今では、歩道などに停めると駐車違反になりますが、使い方次第では、とても便利な乗り物です。

④の自転車。これも重宝しています。駅前などを除けば、駐輪場はありますし、歩いて行くには遠いけれど、ほどほどに近い場所に行くにはうってつけです。

しかも、電動自転車のため、坂道や少し遠い場所に行く時にも、バイクか自転車か迷うことがあります。

自転車は、前と後ろに子どもを一人ずつ乗せることが出来るし、一人で乗ったとしても、荷物をたくさん積むことが出来ます。

⑤の車は、私の主な移動手段です。電子キーボードやギターなどの楽器を積んで奉仕をしに出かけたり、来週月曜日は、みんなで東京基督教大学の学園祭の出展のために出かけます。

年に数回は、遠方まで宣教旅行に出かけます。その際には、生活道具ごと積んで出かけます。

私の仕事は、いろいろな荷物を持って出かけるのだ、車が便利です。

⑥のギターは、私の出前牧師の奉仕に欠かせません。

ギターは、持ち運びの出来る世界最小のオーケストラ(ウクレレはもっと小さいですが)です。ギター 一台で、十分音楽活動をすることができます。

私のギターは、Martin D-35です。私には高価な楽器ですが、ある方が、「ぜひ伝道のために使って下さい」と言って献金をして下さいました。

もう10年くらい使っていますが、良いギターは使えば使うほど鳴るようになるし、味わいが出てきます。

最後、⑦のバック。バックはいくつももっています。ギターを入れるバック、ギター用品一式を入れるバック、旅行バック、リュックサック、充電器やコード一式を入れるバック、パソコンを入れるバック、ビジネスバック等、いろいろなバックを使い分けています。

バックには、タブレット、スケジュール帳、筆記用具、名刺、サイフなどを入れて出かけます。

私は牧師なので、忘れてはいけないのが聖書ですが、聖書はあまりにも大切ですし、いつも必ず持ち歩きますので、一心同体と考えて道具に入れませんでした。

聖書は、携帯やタブレットで代用出来ますが、聖書は本を使います。

しかし、それ以外のことは携帯は便利です。携帯一台で、電話がかけられるし、パソコンでやる作業が可能です。説教原稿も入れられるし、ギターのチューナーも入っています。

Amazonなどでの買い物もできます。写真を撮ってSNSにアップロードすることもできますし、万能です。

欠点をあげるとしたら、充電がすぐになくなるので、予備バッテリーが必要なくらいです。

結論として、道具は道具です。いくら便利な七つ道具があったとしても、それだけで安心ではありません。

絶対不可欠なのは、神ご自身です。

「神に仕え、道具を使え」です。

神に仕える時に、人は本来の人となり、道具は最良の道具となります。

「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言3:5~6)

心を尽くして主に拠り頼み、自分の悟りにたよらず、どんな時にも主を認めるなら、主は、私たちの行く道を真っ直ぐにされ、守られます。

道具に頼るのではなく、お金に頼るのではなく、主に頼り、道具や必要なことにお金は使いましょう。

この日も、ステキな一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月 4日(木)08時14分13秒
  「神が下さるプラス思考」

人は誰でも、苦しいことをできるだけ避けて、楽しく過ごしたいものではないでしょうか。しかし、現実にはそうはいきません。

水戸黄門の主題歌に「人生楽ありゃ苦もあるさ」で始まる歌がありありますが、人生には、楽もあるけれど、苦もあります。

「禍福は糾える縄の如し」ということわざは、人生が、禍と幸せが縄のようにより合わされてできていることを教えてくれます。

しかし、現実をどう受け止め、どう見るかで大きく変わってくるものです。

砂漠を旅している時に、水筒の水が半分になりました。「もう半分しかない。どうしよう!」と考えることもできますが、「まだ半分残っている。大丈夫だ!」と考えることもできます。「まだ半分残っている」と考えると、生きる勇気と気力が湧いてきます。

ユダヤのことわざに、「右腕を切られたら、左腕が残っているからいいと思え。左腕も切られたら、足が残っているからいいと思え。両足も切られたら、首を切られないでよかったと思え。・・・」というすさまじい言葉があります。

これらは、単なるプラス思考ではなく、現実を直視した上でのプラス思考です。

小学生になる子どもに、お母さんがこう教えました。「学校に行くようになったら、チャイムが鳴ったら授業が始まり、チャイムがなったら授業が終わるんだよ。遅れちゃダメだよ。」

子どもは、「お母さん違うよ。チャイムが鳴ったら遊べるんだよ。次のチャイムが鳴ったら遊びの時間が終わるんだよ。」といいました。

柔軟に発想を変えることで、まったく違って見えてくるものです。

聖書は、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28)と書かれています。

神がマイナスもプラスもともに働かせて、最終的に、益(プラス)にしてくださるというのです。

みなさんは、きっとプラス思考を持った人だと思います。しかし、現実はそう甘くはありません。単なるプラス思考や楽観主義だけでは乗り切れない時がきます。

現実を直視しながらも、神からのプラス思考がこの世の中を楽しく、強く、充実して生きていく鍵です。

無理やりプラス思考を持ち、無理して楽観的になることではなく、素直に神に祈り、神と交わる中で、つらく、悲しい心が、喜びや、感謝に次第に変えられていくのです。

事あるごとに神に祈り、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを信じて、歩んで参りましょう。

今日も、ステキな一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月 3日(水)15時34分31秒
  「座れて感謝」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/10/3(水)【1260】」

関西からの帰り道、京都から新幹線に乗りました。

今までは、平日は座れて当たり前と思っていましたが、行きは2時間以上立ちっぱなしで、東海道新幹線祈祷会を行いました。

行きの立ったままの祈祷会も感謝でしたが、帰りにゆったり座れて感謝です。

東京駅には、午後5時半到着予定です。今晩7時からの集会に間に合いそうです。一度帰って、ギターを持って車で出かけます。

新幹線のぞみ号の速度は時速285キロですが、その安定感、スムーズさに感動しています。

車も良いですが、新幹線も良いです。今度は飛行機を使ってみようかな。

「すべてのことについて感謝しなさい。」(聖書)
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月 3日(水)15時18分32秒
  「近くの神学校にも訪問」
《Now watching 857》

帰り道、近くの神学校にも訪問しました。太田学院長が迎えて下さり、たまたま会った生徒の方が校舎内をくまなく案内して下さいました。同じペンテコステ派の神学校でも、カラーが違うのを感じました。みんな違う、みんな素晴らしい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月 3日(水)14時56分7秒
  「二日間6時間の講義が無事に終わりました」
《Now watching 856》

神学校の講義は、神学博士が難しい授業を教えるという気持ちではなく、友達に会いに行き、自分が体験したことのすべてを分かち合う気持ちです。先生方や生徒のみなさんへの愛、奈良に対する愛の心で一杯です。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月 3日(水)06時18分52秒
  「天職を楽しもう」

もしイヤイヤ仕事をしているとしたら、一種の拷問です。

朝起きるのがつらくなり、一日を乗り越えるだけで精一杯です。

仕事を楽しめないでつらい思いをしている人がいるとしたら、まず第一の選択肢は、転職するか、転職に向けた準備を始めることです。

転職か、転職に向けた決断を、今日か、近い将来することです。

第二の選択肢は、今の仕事に感謝し、仕事を愛し、仕事を楽しむことです。

私は、第二を選択します。

なぜならば、私に与えられた牧師という仕事を天職だと考えているからです。

天職とは、天から与えられた仕事です。そこには、やりがいがあります。

つらいことがないというのではありません。天職ならば、どんな苦しい状況に陥っても、仕事を与えられた神と共に乗り越えていけるはずです。

大切なことは、「天職だ」と受け止めるか、今の仕事が天職でないとさしたら、「天職に転職する」ことです。

天職であるという確信して仕事をしていないと、心から仕事を楽しむことは難しいです。

神と共に歩み、神の導きに従って生きるなら、すべて、天から与えられたものだと受け止められるはずです。

仕事に感謝し、仕事を愛し、仕事を楽しむことがてきたら、人生を楽しめるはずです。

お互いに、そんな人生歩んでいきたいですね。

ステキな一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月 2日(火)21時53分57秒
  「天国にいるような一日」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/10/2(火)【1259】」

今朝は、朝3時過ぎに目覚めて、聖書を読み、神様に祈りました。今日と明日の二日間、神学校で計6時間講義です。ほぼ準備なしで語りました。その理由は、私の恩師の、「菅野先生は、たくさんのことを経験されているんだから、それを一つ一つ語ったらみなさん励まされるはずですよ」というアドバイスに従ったからです。もちろん、祈りの中で準備をしましたが、原稿を見るより、みなさんの顔を見ている方がスムーズに話すことができました。神様が助けて下さいました。また、たくさんの方々にお祈りをしていただきました。「私が口を開くとき、語るべきことばが与えられ、福音の奥義を大胆に知らせることができるように私のためにも祈ってください。」(エペソ人への手紙6章19節)

夜は、天王寺駅前で路傍伝道でギターを弾いて歌い、その後、伝道集会で聖書を語りました。うれしかったことは、救いの招きをしたら、イエス様を信じる決断をしてくれた方がいました。すべての疲れが飛び去り、喜びで溢れました。地上にいるのに天国にいるような喜びを感じた一日でした。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月 2日(火)07時43分4秒
  「おはようございます!」
《Now watching 855》

午前3時過ぎに目が覚めました。中途半端に二度寝するより、神様との時間を過ごしました。あっという間にこの時間になりました。「おはようございます!」は、飲食業などの水商売や芸能界などでは、昼でも夜でも使いますが、その二人の出会いにおいては、それが何時であろうとその日一番早く顔を合わせるのですから、何も問題はありません。この日も神様にいのちをいただいて、あなたと会えてうれしいです。この投稿を何時に見て下さった方にも、「おはようございます!」今日も、ステキな一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月 2日(火)04時43分31秒
編集済
  「刺があるからこそ幸せ」

自分の人生を振り返ってみると、「何と幸せなんだろう!」と、感じます。

感極まって、叫びたいです。

しかし、その幸せをもたらせる影に、一つの刺があります。それは、痛みを伴います。

経済問題です。

牧師になり、教会をゼロからスタートした時、キリスト教の福音派の団体が、経済的に三年間支援して下さいました。

その日以来、教会と伝道の働きだけで経済的に支えられて来ました。

このことだけでも、神が確かに生きておられると確信します。

(牧師の六割以上が、副業をしたり、牧師以外の仕事をしているという統計があります。テントメイキングとか、セルフサポートと言いますが、その形態も含めて、神様が養って下さらのです。そこに優劣はありません。)

神ご自身が私の主人となり、社長となり、羊飼いとなり、天のお父さまとして、今日まで養って下さいました。

この十七年間、経済的にゆとりはありませんでしたが、不足して困ったことはありませんでした。

心配し、恐れたこともありましたが、神が養って下さるので心配無用なのです。

経済問題という刺に感謝しています。

その刺がなかったら、神に必死に祈り、頼ることがなくなってしまったかも知れません。

また、生活レベルがあがり、贅沢をしてしまった可能性があります。

刺は、人を謙遜にさせ、自分の弱さ足りなさを思い出させて、神に頼るように仕向けてくれます。

私の幸せの理由は、願った通りにことが進み、人生が順調だからではありません。

事あるごとに、刺が私を指すので、痛いので、神様に頼るようにさせてくれます。

刺があるにもかかわらず幸せなのではなく、刺があるからこそ幸せな人生を生きさせてもらっているのだと思います。

関西に来ていますが、自分が置かれた場所が世界の中心です。

「神様幸せです。ありがとうございます!」と大声で叫びたいです。

皆さんはどうですか?

神の愛を知り、神が下さった刺が謙遜にさせ、神に頼らせるならば、競争する必要はありませんが、世界一幸せだとわかるはずです。

ステキな一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月 1日(月)23時04分52秒
  「シオン祭ブース出店スタッフ募集」

来週の月曜日、10月8日の体育の日、今年も東京基督教大学のシオン祭で、路傍伝道ネットワークのブース出店をします。ある程度のスタッフが集まっていますが、新聞配布、受付、来場者へのおもてなし、賛美チーム、その他のスタッフを募集します。路傍伝道ネットワークに関わって下さっている方をはじめ、これから関わりたい方も含めて、どうぞ一緒に楽しい一日を過ごしましょう。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年10月 1日(月)22時16分46秒
  「感謝の心」
《Now watching 854》

通常、宣教旅行は車で移動します。スーツは、車の中にポールを設置して、ハンガーにかけているので、シワになることはありません。しかし、旅行バッグの中では同じようにはいきません。明日、こんなシワくちゃなスーツを着るわけにはいかないので、ホテルのフロントに電話してアイロンを借りました。妻は、いつも私が外出する前に、スーツにアイロンがけをしてくれますが、ありがたみを感じます。家族や夫婦は、感謝をし、感謝を伝えることを忘れがちです。お互いに、目の前にいる人への感謝の心を忘れないで生きていきたいですね。
 

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