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7月25日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 7月25日(日)08時59分16秒
  ?〈7/25(日)本日の一言メッセージ+動画+α〉

??「神の言葉に対する正しい応答」

夫婦関係について、3日間扱いました。

いろいろな反応があったと思います。他人事として受け止めた人がいらっしゃったかも知れません。

①私は独身だからあまり関係ない!
②私はうまく行っているから関係ない!聞く必要なはい!
②あっ、あの人のことを言っている!
③そういう説教をするあなたはどうなの!?

しかし、真正面から受け止めた人が大半だったのではないかと思います。

①聖書が言ってるから、「アーメン!」
②「確かに聖書ではそう言っているけれど、それは理想論であって現実はそう甘くない!」と反論
③「痛い。しかし神様、そうできるようにして下さい」と祈った

私は、真に受け止めた人の反応は、最後のものではないかと思います。

これは、聖書を読んだり、説教を聞いた時にどう反応するかで神に対する姿勢が問われるのです。

「持っている者はさらに与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられてしまうからです」(マタイの福音書13章12節)。

聖書に対して、正しく応答する人は、成長し、ますます豊かになっていきます。しかし、スルーしたり、正しく受け止めない人は、そこで成長が止まってしまいます。

聖書の言葉を、自分の現実を基準に考えたり、自分の価値観に当てはめる必要はありません。神の言葉として、そのまま「アーメン」と受け止めたいものです。

神様が語られた言葉なのです。できないことを語っているのではないのです。

もちろん、「人にはできないけれど、神にはできる」という世界です。

聖書の言葉を自分で行えるとしたら、救い主は必要ありません。

自分が聖書の基準から外れているし、それを行う力がないとわかった時に、「イエス様助けて下さい!」と祈りが生じるのです。

夫婦に関しての聖句は、片方は楽しく、もう片方はつらい言葉と感じた人が多かったと思います。

しかし、それこそが、真正面から受け止めようとしている姿勢であり、素直な応答なのです。

今日、イエス様が与えられ、「そう生きよ!」と教えられた愛に生きられるように助けて下さい、と祈って1日をスタートしていきましょう。

その祈りは答えられますし、愛せるようになった分だけ幸せになり、祝福されるのです。

素敵な1日でありますように。


?【動画メッセージ】
「本当の幸せ」
https://youtu.be/p6lcK-hEfOQ


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝LIVE】(日曜日は教会へ!)
https://sgr-ch.net (ホームページ)
一部礼拝:朝10時半 / 二部礼拝:夕方16時半


??【新宿駅 路傍伝道】(前半)
https://youtu.be/Kib9FceAqZQ (側面)
https://youtu.be/AlgHPgLKEEY (正面)


?【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY


?【四十代最後のメッセージ】(7月限定公開)
「私たちに与えられた救いと人生の目的」
https://youtu.be/g0MnAtSKtxM


?【TV番組 説教収録(7月限定公開)】
https://youtu.be/Jk4ENKwzpgQ (説教①)


?「編集後記的メッセージ 『

人生の中で起こるすべてのことは説教の例話になったり、証になります。

①主にあってうまく行ったこと。
②自分の足りなさによって痛い目に会ったこと。
③恵みとして良きものが与えられたこと。
④理由なく苦しみに会ったこと。

①主にあってうまく行ったら、神様に栄光をお返しし、喜び、感謝をしましょう。

②自分の足りなさによって痛い目に会ったら、考える時を持ちたいものです。

「順境の日には楽しめ、逆境の日には考えよ」(伝道の書 7:14)。

③恵みとして良きものが与えられたら、ただただ感謝してください。そして、そのことを記憶に残してください。

「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」(詩篇130:2)。

④理由なく苦しみに会った時には、ヨブを思い出して愚痴をこぼさず、祈ってください。そして、その結末を思い希望を持ってください。

「このとき、ヨブは立ち上がり、その上着を引き裂き、頭をそり、地にひれ伏して礼拝し、そして言った。『私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。【主】は与え、【主】は取られる。【主】の御名はほむべきかな』。ヨブはこのようになっても罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかった」(ヨブ1:20~22)。

「ヨブは【主】に答えて言った。ああ、私はつまらない者です。あなたに何と口答えできましょう。私はただ手を口に当てるばかりです。一度、私は語りましたが、もう口答えしません。二度と、私はくり返しません」(ヨブ40:3~5)。

「ヨブがその友人たちのために祈ったとき、【主】はヨブの繁栄を元どおりにされた。【主】はヨブの所有物もすべて二倍に増された」(ヨブ42:10)。

渦中にある時には、とても人には話せず、証にもならないように感じることもあるかも知れません。

しかし、すべてのことは、すべての人に平等に与えられる可能性があるのです。

「こんなことはとても話せない」と思うことを話したことで、「私も一緒。同じような経験をしたよ」と共感し合い、祈り合い、支え合えるということもあります。

うれしい時に、傲慢にならないように注意してください。自分の「~のゆえに」と考え、口にし出したら注意が必要です。すべてが神の恵みです。「神様のお陰です」と言ってください。

苦しい時に、神に頼ってください。罪に陥りやすい時だからです。

自分で何とかしようとすると、神から離れて行きます。「なぜ神は助けてくださらないのか!?」と怒りを感じます。

また、苦しみを自分で慰めようとしたり、鬱憤を晴らそうとすると、その行く末は、快楽に走り、罪を犯すことになります。

いつも神を見上げ、神に感謝し、神に頼っているならば、傲慢からも罪から守られ、神と共に歩むことになり、幸せで、祝福された人生を歩めます。

今日は日曜日です。オンライン礼拝を含め、教会に集い、神を礼拝しましょう。

素敵な1日、1週間でありますように。
 

7月24日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 7月24日(土)11時36分32秒
  ?〈7/24(土)本日の一言メッセージ+動画+α〉

??「人生の四季を楽しもう!」

今日は、午前中にどーっと雨が降って一時的に涼しくなりましたが、今日もまた暑くなりそうです。こまめに水分補給をし、熱中症などに気をつけて下さい。

日本には、春・夏・秋・冬の四季があり、時間の経過と共に季節が変わります。地球が23.43度傾斜しているからです。

勢いよく成長する春、絶頂期の夏、収穫の秋、実りのない冬。どの季節も必要です。実りのない冬も、次に来る春に備える季節であり、他の季節とバランスを取る意味でも大切なのです。

「いつも良い季節だけだとイイ!」と考えることがありますが、地球の傾斜をなくしたら、地球は暑いか寒いかだけの星になります。きっと退屈なはずです。

神さまは、私たち人間が飽きないように、一年を通じて四季を下さり、私たちを楽しませて下さっています。

四季の変化は、私たちの人生にもあります。

いつも絶好調で何をしてもうまく行っているように見える人がいるかも知れませんが、その人にも、ちゃーんと四季があって、実りのない季節を過ごしているはずです。その時をしっかりと受け止めて、収穫の季節に備えて心も体も準備をしています。

好循環の人は、いつもどんな時にも、その瞬間を大切な時として受け止めて、感謝し、全力でその時その時を生きている人だと思います。

反対に、いつも貧乏くじばかりを引いて、何をしてもうまく行かないように感じている人もいることでしょう。その人にも同じように四季はやって来ているはずです。きっと、その時その瞬間を大切にしないで、感謝しないので、いつも「こうなったらいいのに!?」と嘆き、無い物ねだりをしています。

また、うまく行かないことを人や状況のせいにして何もしようとしません。そのように生きていると、せっかくチャンスがやって来ても、チャンスをチャンスと思わないので、チャンスは素通りして去っていってしまいます。

少し前まで春や初夏だったのに、台風が去り、梅雨が明けて、いきなり猛暑になりました。ここ数日の猛暑は大変なものです。しかし、猛暑もいつまでも続きません。やがて秋になり、その秋も深まり、冬がやってきます。

人生もツライことばかりではありません。四季が巡っています。大切なことは、すべての四季、すべての時を楽しむことです。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」(テサロニケ人への手紙 第一 5:16~18) 。

どの季節にも良さがあり、どの季節も必要です。同じように、私たちの人生のどんな時も素晴らしい時であり、必要です。今日も素晴らしい一日でありますようにお祈りいたします。

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない」(伝道者の書 3:11) 。

今年も本当の夏がやって来ました。夏に感謝し、夏を楽しみましょう。この暑い夏さえ終われば・・・と嘆くような間違いを犯しませんように。「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」のですから。

良い一日でありますように。素敵な連休をお過ごしください。


?【動画メッセージ】
「人を批判する時の心得」
https://youtu.be/KBehiJ2zb_o


??【大久保駅 路傍伝道】
https://youtu.be/yl43kPOEP1o (後半の40分の動画)
https://youtu.be/UDntybcoOHU (短い1分の動画)


?【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY


?【新宿福興教会 主日礼拝】
https://youtu.be/RClw6b598OA
日曜日は教会へ!


?【四十代最後のメッセージ】(7月限定公開)
「私たちに与えられた救いと人生の目的」
https://youtu.be/g0MnAtSKtxM


?【TV番組 説教収録(7月限定公開)】
https://youtu.be/u3YkZuvDk6o (説教④)


?「編集後記的メッセージ 『圧迫止血と教会はキリストの体』」

今朝、ある探し物をしていると、1mくらいの高さのところから少し重い電子機器が頭の上に落下しました。

「あー、これが頭の上に落ちたんだ」と冷静に考えましたが、しばらくすると、「これって結構重たいよな」と考え、さらに、「もしかしたら流血するかも知れない」と考え、頭に手を置くと、手が血で真っ赤でした。

「どうしようどうしよう。大変だ!」と気持ちが焦りますが、祈り、冷静さを取り戻しました。

「そうだ!いつも指導員として救命講習でその場所を圧迫する止血法も教えていたじゃないか!?」。ティッシュを3枚取って、そのまま10分間圧迫止血をしました。

10分後、血は止まりました。しかし、頭がチクチク、ズキズキ痛みますし、頭がフラフラしますので、今日は、体を休めながらゆっくり過ごしたいと思います。

これで、言葉が出にくくなるとか、片方の手が動きにくいとか、意識がもうろうとするなどのことがあったら病院に行った方が良いですが、今のところ大丈夫そうです。

体は、そのようにお互いをいたわり合うものです。

「頭よ、お前がそんなところにいるから落ちたんじゃないか? 自己責任だ。自分で何とかしろ!」などとは言いません。

体の全体の器官が頭の出血・流血を止めるために心配をし、試行錯誤をして、力を合わせます。

聖書は、「教会は建物ではなく、信者の集まりである」と教えます。

一般には、建物のことを「教会」と言います。

「明日は日曜日だから教会に行く!」
「えっ!? 連休で旅行行くから教会を休むの!?」等々。

教会が集まれる場所になってしまっています。

ちなみに、集会をする建物は「教会」ではなく「教会堂」です。

教会が信者の集まりであり、キリストが頭で、私たち信者はそれぞれの器官であるとしたら、体のどこか一箇所の調子が悪ければ共に痛み、共に手当てし、治るように力を合わせます。

しかし、実際の教会は、「こんな牧師がいる。とんでもない!」「こんな信徒がいる。とんでもない!」と批判し、非難し、裁くことがあります。

それは、私の頭の上に重い機器が落下した時、「お前が悪い。自分で何とかしろ!」と言っているに近いのではないでしょうか。

ある人はこう言います。「教会には愛がない」と。

しかしその人は、自分が教会の一員であることを忘れています。「愛がない」と裁くその人こそに「愛がない」のです。

愛をギブ&テイクと考え、「まず牧師や先輩の信徒の方が愛してくれたら、こちらも愛のお返しをします」と。

しかし聖書は、ギブ&テイクの愛を教えていません。

ただ「愛しなさい」と教えているのです。

「だって、『互いに愛し合いなさい』って聖書は教えるじゃないですか!?」。

これは、それぞれに向かって、「ただ愛しなさい」と言っているだけで、ギブ&テイクの愛を教えているのではありません。

教会はキリストの体です。私の頭を他の器官がいたわるように、そして、あなたの体が怪我をしたり、具合が悪かったら、他の器官がいたわるように、牧師を含む信者同士が愛し合い、仕え合い、赦し合い、助け合い、支え合いながら天国への旅路を歩くのです。

聖書が教える罪の現われとは何でしょうか? 自己中心であり、利己的であり、愛がなく、人を裁く状態です。

もちろん、正義は必要です。しかし、正義を求めるとしたら、自分にも欠けがあり、弱さがあるのです。それを自覚したら、互いに戒め合う言葉に優しさと思いやりが溢れるはずです。

そんなキリストの体である関係を築き、主と共に、互いに愛し合っていきましょう。
 

7月23日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 7月23日(金)06時51分51秒
  ?〈7/23(金)本日の一言メッセージ+動画+α〉

??「良い夫になる秘訣」

昨日は、「しっかりした妻」についての話をしました。今日は、「良い夫」についての話をします。

夫は妻に従ってもらうことで心のニーズが満たされ、妻を愛する心が生まれてきます。

しかし、誤って従ってくれない奥さんと結婚してしまったとしたらどうしたら良いでしょう。

キリストが教会を愛し、自分のいのちを捨てられたように、妻を愛することです。

「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい」(エペソ人への手紙5章25節)。

「夫たちよ。妻を愛しなさい。つらく当たってはいけません」(コロサイ人への手紙3章19節)。

愛されることで、妻は心のニーズが満たされ、夫に従う心のゆとりが生まれてきます。

もし、「妻が従ってくれないから妻を愛さない!」と言い、妻は「夫が愛してくれないから従わない!」と双方が言い合ったらどうなるでしょう。

関係は悪くなり、最後は、関係が壊れてしまいます。

もちろん、神と出会い、神にあっては、どこからでもやり直すことができますので、離婚してしまったとしても、復縁が可能ですし、どんなに亀裂が入ったとしても、夫婦関係をやり直すことが可能です。

どうしようもない時のとっておきの方法は、ひざまずいて神に助けを求めることです。

それは神の御心にかなった祈りですので、助け主聖霊が働いて下さり、必ず妻を愛し、夫婦関係を修復させ、家庭が祝福されるところまで行くことができます。

神の救いは、天国に入るだけではなく、すべての人間の生活に関わる問題を解決させて下さいます。

そして、祈りながらありのままの妻を愛することです。

良い夫は、あるがままの妻を受け止める人です。これ以上でもこれ以下でもありません。そこに家庭の祝福があります。

そうできない時があっても、すぐに悔い改め、そのままで受け入れ、赦す方向に舵を切って下さい。

それができたら、その他の人間関係は劇的に変わります。

家庭が祝福され、人間関係が祝福されるようにお祈りを致します。


?【動画メッセージ】
「心配か、信頼か」
https://youtu.be/kAlFf1gsBow


??【大久保駅 路傍伝道】(前半)
https://youtu.be/LrhaiAr6YE4


?【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY


?【新宿福興教会 主日礼拝】
https://youtu.be/RClw6b598OA


?【四十代最後のメッセージ】(7月限定)
「私たちに与えられた救いと人生の目的」
https://youtu.be/g0MnAtSKtxM


?【TV番組 説教収録(限定公開)】
https://youtu.be/XRaCB9abtaE (説教③)


?「編集後記的メッセージ 『天からの導き、第三の視点を持って生きよ』」

いよいよオリンピック東京2020が開幕します。私の思いは感無量です。新型コロナウイルスのパンデミックによって1年延期され、さらに、直前まで、できるかできないかの瀬戸際のせめぎ合いがあっただろうことは想像に難しくなりません。

コロナ禍における日本国内でのオリンピック開催反対の割合は、何と「56%」です。

安心と安全はとても大切なことですが、人々の心には否定的な思いがあり、否定的な力に引っ張られることは、昔も今もあまり変わりません。

モーセは、イスラエルがこれから入るべき約束の地カナンに向けて、ヨシュアとカレブを含む12名の斥候(スパイ)を遣わして偵察させました。

ヨシュアとカレブを除く10人の斥候は次のような否定的な報告をしました。

「私たちは、あなたがお遣わしになった地に行きました。そこにはまことに乳と蜜が流れています。そしてこれがそこのくだものです。しかし、その地に住む民は力強く、その町々は城壁を持ち、非常に大きく、そのうえ、私たちはそこでアナクの子孫を見ました。ネゲブの地方にはアマレク人が住み、山地にはヘテ人、エブス人、エモリ人が住んでおり、海岸とヨルダンの川岸にはカナン人が住んでいます」(民数記13:27~29)。

その直後に、ヨシュアとカレブは、肯定的な報告をしました。

「そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから」(民数記13:30)。

しかし、肯定的な報告を打ち消すかのように、再び10人の斥候は否定的な報告をしました。

「しかし、彼といっしょに上って行った者たちは言った。『私たちはあの民のところに攻め上れない。あの民は私たちより強いから』。彼らは探って来た地について、イスラエル人に悪く言いふらして言った。『私たちが行き巡って探った地は、その住民を食い尽くす地だ。私たちがそこで見た民はみな、背の高い者たちだ。そこで、私たちはネフィリム人、ネフィリム人のアナク人を見た。私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう』」(民数記13:31~33)。

その否定的な報告を聞いたイスラエルの民衆は、その報告を信じて同調しました。

何が、ヨシュアとカレブと他の10人の斥候は違ったのでしょうか?

ヨシュアとカレブは、「敵は私たちの餌食です」と言いました。しかし、否定的な10人の斥候は、「私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう」、つまり、「私たちは敵の餌食になる」と言いました。

戦う前から、勝敗が決まっているかのようです。

そして、信仰の通りになり、不信仰の通りになるのです。

ですから、ヨシュアとカレブを除く、第一世代のイスラエルの民衆は、誰も約束の地カナンに入ることは出来ませんでした。

日本の総理大臣が、「夏の東京オリンピック・パラリンピックは、人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証として、また、東日本大震災からの復興を世界に発信する機会としたい」と言っているのに、それに対して、「一緒に戦いましょう」ではなく、反対する声が勝ってしまいそうでした。

オリンピックに関しては、単純に、信仰か、不信仰かでは割り切れませんが、「木を見て森を見ない発想」ではいけません。

オリンピックは、世界の半数に当たる40億の人たちがTVにくぎ付けになってオリンピックの観戦をします。

緊急事態宣言を発出し、無観客でオリンピックを開催し、全世界の人たちが自宅でオリンピック観戦をするならば、コロナの感染拡大は抑えられますし、スポーツを通して世界が一つになり、心が一つになれます。

選手の中からコロナ感染者が出ていることは確かですし、無観客と言えども、多くの人が移動することは確かですので、心配はあるでしょう。

でも、総理大臣が「やりましょう!」と言うならば、どうして、素直に一致結束が出来ないのでしょうか?

否定的な思いがあるからでしょう。

聖書は、「この後、患難時代がやって来る」と語ります。コロナは、その序章です。

コロナのパンデミックは大きな問題ですが、コロナが収束するまで、あれもこれも、何もかも自粛して、延期して、中止するのが良いのでしょうか?

それも、時にはやもう得ません。しかし、コロナが収束したとしても、きっと、それを遥かに超えるような患難が訪れます。

一々、委縮して、何もしなければ、どうなってしまうのでしょうか?

しかし、もう一方において、「自粛、自粛」と言う人たちも、仕事はするのです。不思議です。

つまり、金のためには、コロナ禍であっても「やもう得ない」と考えるのです。

まるで、金が神のようになっているかのようです。

そして、神様を礼拝したり、伝道をしたりすることに対しては、「不要不急」とまでは行かなくても、仕事よりも簡単に自粛してしまう現実を見る時に、心が痛みます。

そこで登場する対案が、オンライン礼拝、オンライン伝道、オンライン会議、オンライン交流会です。これは、この時代ならではの手段ですので、感謝して活用したら良いのですが。

金のためには、自粛をしないのに、神のためには、自粛をするとしたら、それは、金が神となり、神より金が上になっていることになります。

コロナ禍においての難しい難題です。

そうは言っても、コロナのクラスターが起こったとしたら、大変なバッシングを受けることになります。

大切なのは、「木を見て森を見ない」ではなく、「木も森も見る」ことです。

木を見る視点は、私たちの視点で、森を見る視点は、神が永遠から見られる視点です。この両方を持ち、判断をしていくことこそが、今の時代に求められます。

どうしたら森を見られるでしょうか?

聖書を読み、神に祈ることです。それに尽きます。

神は全知全能です。最善の導きを与えてくださいます。

積極的か、そうでないのか。右か、左か。プラスか、マイナスか。というような二者択一ではなく、第三の天からの答えである、神の導きを受けることです。

オリンピックが開催されることになったことを感謝したいと思います。

時の指導者、リーダーを立てるのは、人間のようですが、その背後に神がおられます。

ですから、オリンピック開催は、神の許しのもとに行われたことであると確信します。

そんな第三の視点を忘れずに、生きて参りましょう。
 

7月22日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 7月22日(木)06時30分46秒
  ?〈7/22(木)本日の一言メッセージ+動画+α〉

??「しっかりした妻は愛される」

聖書は、「夫は妻を愛しなさい」と教えます。しかし、妻に対しては、「夫を愛しなさい」ではなく、「夫に従いなさい」と教えます。

それは、夫は家庭の長として従ってもらうことが必要だし、それが深いニーズだからです。

しかし、仮に、従わない妻であったとしても、夫は妻を愛することが教えられていることを忘れないでいたいものです。そうでないと、夫は妻を裁くことになってしまいます。

夫に従う妻はかわいらしく見えるものです。自然に愛する心が湧き上がります。

ある家庭での実際のやり取りです。

夫は妻に、「明日ゴルフしに行こうと思うんだ」と言いますと、妻は、「コロナでこんな騒ぎが起こっているのに、よく平気でゴルフになんか行けるものね。(少し古い話題ですが)石田純一は沖縄でゴルフをしている時にコロナで倒れたのよ。なに考えているのよ!」と反論しました。夫は不機嫌になりました。

これは、この時期にゴルフをすることが正しいかどうかの問題ではなく、問題となっているのは、「どちらがリーダーか!?」と言う主導権争いがなされて喧嘩になっているのです。

奥さんには、リーダーシップがあり、子どもたちの学校ではPTA会長もしています。言っていることは正しく正論です。

しかし、聖書が教える「妻たちよ。主に従うように、あなたの夫に従いなさい」と言う教えを無視しています。

このやり取りを見ている子どもたちは、お父さんを軽く見て、見下すようになる可能性があります。

夫をリーダーとして認められる奥さんは、夫から愛され、かわいがられます。その家庭は祝福されます。

良い妻とは、夫に従い仕えられる人です。

箴言31章には、しっかりした妻が何よりの祝福であると教えます。

女性であるならば、素敵な結婚をして、そんな妻になりたいと思わないでしょうか。また、男性であれば、そんな素敵な女性と結婚をして、家庭を築きたいと思わないでしょうか。

「しっかりした妻をだれが見つけることができよう。彼女の値うちは真珠よりもはるかに尊い。夫の心は彼女を信頼し、彼は「収益」に欠けることがない。彼女は生きながらえている間、夫に良いことをし、悪いことをしない」(箴言31章10~12節)。

そんな幸せな家庭、幸せな人間関係は、神様を礼拝するところから始まります。オンラインで神様を礼拝しましょう。素敵な一日でありますように。


?【動画メッセージ】
「人を助けることで助けられる」
https://youtu.be/7iMX4JW--OU


??【東中野駅 路傍伝道】(後半)
https://youtu.be/BjKsMHUqykQ (引き)
https://youtu.be/VXJVuVE-r9E (寄り)


?【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY


?【新宿福興教会 主日礼拝】
https://youtu.be/RClw6b598OA


?【四十代最後のメッセージ】(7月限定)
「私たちに与えられた救いと人生の目的」
https://youtu.be/g0MnAtSKtxM


?【TV番組 説教収録(限定公開)】
https://youtu.be/6Lli2UxiCwk (説教②)


?「編集後記的メッセージ 『

聖書は、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つひとつの言葉によって生きる」と教えます。

ここで言う「パン」とは、文字通りのパンのことだけを言っているのではありません。

「パンだけではなく、ジャムもバターも具材も必要です」という意味ではありません。

「パン」とは、食事を代表しています。さらには、衣食住などの生活必需品全般と考えていいでしょう。

世の中は、神なしで生きられるかのように考え、そういう風潮が流れています。

先日、神田駅で路傍伝道をしていると、「右翼」を自称する人から、「申し訳ないけれど、今の日本には神は必要ない」と面と向かって言われました。

私はとっさに、「そう感じているかも知れませんが、実は、神なしに人は生きられないのです」と言いました。

「衣食住」が満たされていても、神との関係なしには人は生きていけないのです。

ある時、生まれたばかりの赤ちゃんに何も話しかけないで、第一声何を語るかという実験がなされました。

その赤ちゃんには、無言のロボットがミルクをやり、衣食住は満たされていましたが、母親の愛が与えられなかったため、思うように成長しませんでした。最後は、孤独に打ち震えるかのようにして、亡くなってしまったそうです。

このようなことをお伝えすると、私が何を伝えたいかに目を向けるのではなく、「それはひどい話だ!」と反応される方が必ずいらっしゃいますが、それが悪いと言っているのではありませんが、私が伝えたいことは、「人はパンだけでは生きられない」ということです。

つまり、衣食住が必要なことは言うまでもありませんが、神の言葉なしに人は生きられないのです。

「自称右翼の人」は、「今の日本は素晴らしい。神なんかに頼らなくても日本人の民度、平和、発展を見てご覧なさい」と言いたいのでしょう。

しかし、こんな平和で、栄えている国において、自殺者は後を絶ちません。

精神的に病む人も多くいます。

そして、新型コロナ、風水害、地震などの前に、人は成す術もありません。

聖書は、「はじめに神が、天と地を創造された」と語ります。

神は無から有を創造されました。天と地(全宇宙)と、その中に住むものを造られ、三位一体のご自身に似せて人を造られました。

「神は仰せられた。『さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように』。神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された」(創世記1:26~27)。

神と人との関係は、創造者と被造物の関係なのです。

神なしに、人は存在することすらできないのです。そして、神によって生かされているのです。それなのに、人は愚かな存在だなと痛感します。神なしに生きていて、これからも生き続けられると錯覚しているのです。

神は、究極の原因者であり、神なしには、何も存在しないし、神なしには生きていけないのです。

聖書は、その事実を、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つひとつの言葉によって生きる」と語るのです。

今朝も、聖書を開いて、心のごはんである聖書の言葉を読み、心で咀嚼し、食べ、心の血肉とし、いのちとして生きていきましょう。

素敵な1日でありますように。
 

7月21日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 7月21日(水)09時16分20秒
  ?〈7/21(水)本日の一言メッセージ+動画+α〉

??「夫婦関係と人間関係を良くする秘訣」

「過去と他人は変えられない」と言われます。

しかし、1人の女性は自信満々で、「結婚をしたら彼を必ず変えてみせるわ」と豪語しました。

程なくして、相談に来られました。

「彼は頑固でまったく変わろうとしないばかりか、最近とても冷たくて離婚の危機を迎えている」と言うのです。

結婚前に感じる不安は、結婚後に的中し、それが大問題になることがあります。

だから、「結婚前には両眼を開けて、しっかり相手を見なさい。結婚後には、片目をつぶって大目に見なさい」と言われます。

彼女は離婚を決意して、残念ながら離婚しました。しかし、しばらくして再婚することになりました。

しかし、しばらくするとまた、同じ問題を抱えるようになりました。

この女性の深層心理は、相手を変えようとすることで満足し、存在意義を感じようとしていました。

変えようとされる夫はたまったものではありません。

「あなたのままでは満足できません。あなたが変わらなければ私の夫として相応しくありません」と言うメッセージが伝わるからです。

ありのままで愛されたい夫は、「変わるもんか!」と抵抗し、関係が悪くなるのです。

この女性は、自分の嫌いなお父さんと似ている夫への不満、そして、以前付き合った男性と比較し、ダブルの理由で相手を変えようとしていたのです。

この場合、夫が変われたとしたら問題は解決しますが、奥さんの側でも変わらなければいけません。

夫をありのままで受け入れることです。

そうすることで、夫も「妻の願いに応えたい」と言う願いを持つようになり、そういう夫が愛おしく見えるようになり、夫婦関係は改善していきます。

その秘訣はイエス様の愛です。

イエス様の愛がこのご家庭に注がれることを祈ると共に、あなたの家庭と人間関係に注がれますようにお祈りいたします。


?【動画メッセージ】
「小さな戦い」
https://youtu.be/AXsjUAn4kQI


??【東中野駅 路傍伝道】(前半)
https://youtu.be/vASMxV8CrW8 (引き)
https://youtu.be/xqGB9WJZxO4 (側面・公開限定)


?【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY


?【新宿福興教会 主日礼拝】
https://youtu.be/8KznHn-wlc4


?【四十代最後のメッセージ】(7月限定)
「私たちに与えられた救いと人生の目的」
https://youtu.be/g0MnAtSKtxM


?【TV番組 説教収録(限定公開)】
https://youtu.be/BYiPBvjiyt4 (説教①)


?「編集後記的メッセージ 『忠実に生きる秘訣』」

今週は、路傍伝道の予定が毎日のように入っているので、久しぶりに外回りの仕事で出かけます。家庭集会も1つ入っています。気分転換が出来るので、とても楽しみです。

しかし、これがたまにだから良いのです。意味もなく、あっちに行ったり、こっちに行ったり、しても意味はありません。

気分転換ばかりしている人がいたとしたら、もしかしたら、不要なところにエネルギーが取られているのではないでしょうか。

使命をシンプルなルーチンワークに変えると、無駄なエネルギーを使わないため、重要なことに集中できます。

例えば、同じ服を10着も持っていて、それを毎日着る人がいます。

洋服選び、コーディネイトは案外時間がかかるし、エネルギーが取られます。

それを全く気にしなくて良いとしたら、どれだけ楽でしょうか? その余ったエネルギーを仕事に使ったら良いのです。

私にとっての路傍伝道は、ルーチンワークにしています。

というのは、伝道に行こうとすると戦いが起こるからです。気分が冴えないから行きたくないと感じたり、体が疲れているから休みたいとか思うことがあります。小さな戦いは日常茶飯事です。

しかし、時間になったら、路傍伝道の開催地に向かって出かけ、準備をして伝道をします。ルーチンワークにしているのです。

そして、この一言メッセージもルーチンです。

書くことが毎日泉のように湧き上がって来る訳ではありませんが、時が良くても悪くても継続しています。

毎日の小さな戦いを乗り越えて、やるべきことをやり続けることは、神様との関係における忠実さです。

神様は、そこを見ておられるのです。

ある知り合いの牧師は、信徒が誰も来ないとわかった途端、サーフボードを車のルーフラックに積んで、サーフィンに行ってしまいました。

「日曜日にサーフィンをする牧師ってなかなか斬新でいいんじゃない?」と思われる方もいるでしょう。しかし、これは忠実とは言えません。

彼に、誰も礼拝に来なかったとしても、壁に向かって礼拝するとしても、教会で礼拝をささげるべきです。

神様が、その教会に新来者を送りたいと思っても、その状態では送ることは出来ません。

使命をルーチンとし、誰が見ていても、見ていなくても、その活動をし続けるべきです。

ある大きな会社の社長が、一介の平社員を社長に昇進させるという人事を行いました。

ある日、社長がある用事で早朝に会社に出勤すると、その平社員は一人、会社のまわりを掃除していました。

その後も、そういう姿をたびたび目撃しました。

この一介の平社員は、社長に見せるための掃除ではなく、自分の生活を養ってくれる会社に感謝をして、せめてもの恩返しとして、朝早く行って掃除をするようになりました。

社長は、この人に会社を任せたら、会社は安泰であるどころか、大きく成長するはずだと見込んだ人事でした。

その通りに会社は大きく成長しました。

忠実さとは、誰かに見られていることを意識してのパフォーマンスではありません。神様との関係で、使命として決めたことやり続けることです。

そして、たまに別の事をやったり、趣味を行ったとしたら、とてもよい気分転換となります。

前述の牧師さんも、コロナ禍ですから、日曜日には誰も信者が来ない日もあるかも知れませんが、それでも、自分一人であったとしても礼拝をし、翌日の月曜日などをOFFにしてサーフィンに行ったら良いと思います。

ストレスがたまりやすかったり、しょっちゅう気分転換が必要な人がいたとしたら、生活をシンプルにし、やるべきことをルーチンワークに変えてみたらどうでしょうか。

そして、SNSやYoutube、ゲーム、ゴロゴロは、やるべきことが終わってからにしましょう。

素敵な1日でありますように。
 

7月20日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 7月20日(火)10時08分8秒
  ?〈7/20(火)本日の一言メッセージ+動画+α〉

??「些細なことにも感謝しよう」

日常の些細なことにでも感謝できる人は幸せな人です。

どんなことにも感謝を忘れない生き方をしたいです。

些細なことへの感謝を忘れると、よっぽどのことがなければ感謝できなくなるばかりか、どんなに感謝に値することがあったとしても、感謝ではなく、不足に目が向けられ、不平不満を口にするようになってしまいます。

イギリスに行くと、「考えよ。そして、感謝せよ」と書かれた教会があります。

不足を数えるのではなく、今与えられているものを数え、考えましょう。

こういうことに気付かせて下さる神に感謝したいと思います。

「いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」
(第一テサロニケ5章16節~18節)。

日常の些細なことにも感謝し、さらに、どんなことにも感謝を忘れない人にさせていただきたいです。


?【動画メッセージ】
「試練は最良の時」
https://youtu.be/Iz6vC37KkAY


??【市川駅 路傍伝道】(後半)
https://youtu.be/44p2NVPYQdI


?【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY


?【新宿福興教会 主日礼拝】
https://youtu.be/bUQOQRJcKqE


?【四十代最後のメッセージ】(7月限定)
「私たちに与えられた救いと人生の目的」
https://youtu.be/g0MnAtSKtxM


?【TV番組 説教収録(限定公開)】
https://youtu.be/P-4dzyQlcXk (説教④)


?「編集後記的メッセージ 『心をぬるくしない生き方』」

ヨハネの黙示録に記された、イエス様がラオデキヤ教会に語られた有名な言葉があります。

「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう」(ヨハネの黙示録3:15~16)。

正しい神との関係を築き、聖霊に満たされ、神様と相思相愛の状態である時、人の心は熱くなります。

しかし、その心をなまぬるくするものがあります。それは、「世」です。

「世」とは、神が除外された状態、システムです。

アダムとエバは、神に創造され、この地を治めるように命じられました。

しかし、罪を犯して、悪魔にこの地の支配権をタダで渡してしまいました。それ以降、この世を治めているのは悪魔悪霊です。

クリスチャンは、この世に生きているけれど、この世に支配されていません。

この世と神様の考えが合わない時には、神様の考えを取るべきです。

この世が進化論を唱える時に、この世をちょっとだけ混ぜて、「進化論的創造論」という妥協の産物を作り出した人がいます。神は、親かというプロセスを通して世界や人類を造られたというのです。

また、聖書が禁じている状態に対して、多様性と神の愛を曲げて、ヒューマニズム的発想を持つクリスチャンがいます。

これは、クリスチャンの熱い心の中に、世という冷たいものを混ぜ合わせた状態です。

そうすると、結果としてどうなるかというと、ぬるくなるのです。

イエス様は、熱い状態であることを願っておられますが、この世と妥協してぬるくなるくらいならば、冷たい方がまだましだと語られました。

いいとこ取りではなく、心の熱さ、神への愛、聖霊充満の状態を保つ必要があります。

その上で、世を愛するのではなく、世に住む人を愛することです。

平和という名の下で、神に反する価値観を訴える人がいます。それは、キリストの体を分裂させるものです。

イエス様が主です。王です。

イエス様は、愛と義のお方です。

しかし、義を持って人を裁くのではなく、ご自身が十字架につけられて、罪人である私たちを受け入れ、愛し、赦してくださいました。

それと、「神は何でも受け入れ、愛し、赦してくださるのだから、何でもいい」というのは、間違いです。

神様に取って、イエス様の十字架によって、赦されない罪はありません。唯一赦されないとされている罪は、イエス様を拒否することです。

イエス様は、ヨハネ8章で、姦淫の女と向き合い、彼女を石打ちにしようとする者たちから救われました。

しかし、「もう罪を犯してはいけない」と言われました。

これなのです。

すべての人は、罪を持っています。しかし、その状態のままで生きる人もいますが、クリスチャンはそうであってはいけません。罪と葛藤し、もがきながらも、主の助けを得て、罪から離れる方向で進むのです。

主は、必ず罪に勝利させてくださいます。

あきらめないで、主と共に、真の幸せと、自由と、愛に溢れた歩みをして参りましょう。
 

7月19日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 7月19日(月)10時24分52秒
  ?〈7/19(月)本日の一言メッセージ〉

??「失敗の歴史を踏み直そう!」

イエス様はバプテスマのヨハネから洗礼を受けてのち、聖霊に満たされて荒野に導かれました。

そこで40日間悪魔から誘惑を受けられました。

この「40」という数字は、試みをあらわします。出エジプトしたイスラエルの民は、荒野を40年間放浪しました。

イスラエルの民は神に従わず、不信仰に陥り、モーセと神に対してつぶやきました。これは人間の失敗の歴史です。

イエス様は、その失敗の歴史を踏み直し、そして、失敗を成功に変えて下さいました。

イエス様を信じるならば、イエス様がしたことを私がしたことと見なしていただけます。

これを「信仰義認」と言います。

聖書が教える最高のわざは、イエス様を救い主と信じることです。

すべては、イエス様を信じることからスタートします。

今日も、改めてイエス様を信じてスタートしていきましょう。

信じたことは考えとなり、それが言葉となり、生き方となっていきます。

イエス様を信じることによって神によって義と認められるだけでなく、生き方は変わっていきます。

これこそが人を変化させ、成長させるプロセスなのです。

イエス様と共に人類の失敗の歴史を踏み直すだけではなく、あなた自身の失敗の黒歴史も踏み直していけたら幸いです。


?【動画メッセージ】
「親友を作る秘訣」
https://youtu.be/SAHreCAMcLQ


??【市川駅 路傍伝道】(前半)
https://youtu.be/NFET7Zfpiik


?【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY


?【新宿福興教会 主日礼拝】
https://youtu.be/bUQOQRJcKqE


?【四十代最後のメッセージ】(7月限定)
「私たちに与えられた救いと人生の目的」
https://youtu.be/g0MnAtSKtxM


?【TV番組 説教収録(限定公開)】
https://youtu.be/S_UtwAd8Pao (説教③)


?「編集後記的メッセージ 『イエス様の居場所を準備する』」

あなたの心の中に、イエス様の居場所があるでしょうか?

欲望、罪の罪責、心配、悩み、恐れ、人の顔色を気にし、この世のことで頭も心も一杯だとしたら、イエス様の居場所がありません。

イエス様がこの地上に誕生した時、なぜ、ベツレヘムの洞窟の家畜小屋の中で生まれなければならなかったのでしょうか?

宿屋は一杯で、両親として用いられたヨセフとマリヤ、そして、その胎の中に宿っているイエス様をお泊めする場所がなかったからです。

今日、あなたの心の宿屋は大丈夫でしょうか?

少し前まで使っていたiPhone(携帯電話)の容量は128GBでした。しかし、写真や動画、録音データ、音楽などで容量が一杯になり、それ以上保存することができないし、動きも遅くなっていました。

そこで、不要なデータの断捨離をしました。それでも、いたちごっこのようで、またすぐに一杯になり、またドバっと捨てることの繰り返しでした。

買い替えた新しいiPhoneの容量は256GBなので、サクサク動くし、余裕があります。

あなたという携帯の中身を掃除し、イエス様で満たしましょう。

欲望、罪の罪責、心配、悩み、恐れ、人の顔色を気にし、この世を上書きし、保存する必要はありません。

OSもイエス様、保存データもイエス様、そして、アプリもイエス様、見るのもイエス様、LINEもイエス様、通話もイエス様とは極端な話のように聞こえるかも知れませんが、聖霊に満たされるとはそういう状態に近づくことなのです。

そして、見るものすべてを、イエス様を通して見ることです。

今日、「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です」(ヨハネ15:5)の状態を祈り求めましょう。

ぶどうの木本体と例えられたイエス様から、あなたという枝にイエス様から良きものが流れてきます。そして、いやされ、きよめられ、実を結ぶのです。

素敵な1日でありますように。
 

7月17日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 7月18日(日)09時11分26秒
  ?〈7/18(日)本日の一言メッセージ〉)

??「人生の目標を立てよう!」

ある医学博士が、人生の目標を持っている人と、目標を持たずに生きている人を調査しました。

目標を持っている人は、目標を持たないで生きている人より収入が二倍もらっていることがわかりました。

さらに、目標を持っている人は、何に対しても意欲的で、人生に満足していて、幸せな結婚生活を送り、健康状態も良好です。

人生の目標を立てないで生きることは、行き先を決めないで乗り物に乗ることと似ています。

空港に行って、とりあえず飛行機に乗る人がいるでしょうか?

人生は長いようですが、長くはありません。

目標を立てることは今からでも遅くはありません。しっかりとした目標を立てて、その目標を目指して歩んでいきましょう。

「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです」(ピリピ3章14節)。

パウロの最終の目標は、天国行った時、神から「よくやった!」といって頂き、栄冠を得ることでした。

最終目標を神からの賞与を得ることに設定すると、安っぽい野心ではなく、命をかけても惜しくないような偉大な夢が出てくるはずです。

目標を設定したならば、その目標に向かって、今日も歩んでいきましょう。


?【動画メッセージ】
「人生の希望」
https://youtu.be/og2ycorLbEU


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝(生放送)】
第一礼拝:10時30分~12時
第二礼拝:16時30分~18時
https://sgr-ch.net (ホームページ)


??【秋葉原駅 路傍伝道】(後半)
https://youtu.be/lSZogRTCi6o (寄り)
https://youtu.be/OnAPUQOhYUk (引き)


?【四十代最後のメッセージ】(7月限定)
「私たちに与えられた救いと人生の目的」
https://youtu.be/g0MnAtSKtxM


?【TV番組 説教収録(限定公開)】
https://youtu.be/6DmV4xMUekY  (説教②)


?【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY


?「編集後記的メッセージ 『土曜伝道と日曜礼拝』」

昨日、久しぶりに土曜日に路傍伝道を行いました。以前は、土曜日は日曜日の礼拝の備え日なので、礼拝準備に集中しましたが、メンバーのある方が平日に伝道ができなくなり、「土・日・月なら伝道ができます」と言われますし、試しに土曜日にやってみました。

そうすると、土曜日は人が多く、「明日の日曜日にはお近くの教会に行ってください」と声もかけやすく、土曜日は伝道に最適の日だと感じました。

もし、土曜日が安息日として、ユダヤ人以外のクリスチャンに適応される律法であるならば、それは、何が何でも土曜日に活動はするべきではありませんが、安息日の律法は、ユダヤ人に対してのものです。

ところで、イエス様の弟子たちはみんなユダヤ人です。イエス様が昇天し、聖霊が降って、教会が誕生した後に、安息日とイエス様が復活された日を記念する主日に礼拝を行っていましたが、最終的には、主日礼拝を行うようになりました。

「なぜ日曜日に礼拝をするのか?」「聖書には、『日曜日に礼拝をしなさい』とは書かれていないじゃないですか!?」などという議論がなされることがありますが、「イエス様の弟子たちが行った」というのは十分な根拠になります。

クリスチャンの安息日は、土曜日から日曜日に変わったのではありません。

「とすると、日曜日の主日(聖日)礼拝は、『ねばならない』ものでないとしたら、日曜日でなくても礼拝を行っても良いのではないでしょうか?」という意見が出ると思いますが、極論を言えばその通りです。

しかし、これを崩してしまうと、「礼拝は、都合の良い時にやれば良い」ということになり、私たちの都合が優先順位の第一になり、礼拝は、優先順位の第二以下に成り下がってしまうことになります。

礼拝は、必ず週に一度行い。私たちの優先順位の第一であるべきです。

そうだとしたら、日曜日の礼拝は、イエス様から教えられた弟子たちが最終的に選んだ礼拝の日であり、イエス様の復活を覚えて礼拝をささげる日として最適なことになりますので、最善の礼拝の日ということになります。

ぜひ、今日の日曜日も、東京などでは緊急事態宣言が発出されていますので、オンライン礼拝も選択肢ですが、不要不急の外出は控えるようにとなっていても、宗教活動に関しての規制はありません。所属教会の対応に従って礼拝をささげていきましょう。

オンライン礼拝を含めて、日曜日は神を礼拝しましょう。

話しは逸れたようですが、路傍伝道を土曜日に行ってはいけないという規定はありませんので、不要不急のことに時間やエネルギーを費やさない方が良いと思いますが、土曜日の伝道は、もしかしたら、とても良いかも知れません。

路傍伝道ネットワークは、超教派の活動です。誰でも参加できます。また、ぜひお祈りをお願いします。

主を礼拝する、素敵な日曜日でありますように。

「路傍伝道の活動予定」(参加者・視聴者募集中)

★7月19日(月)
【第3月曜日定例】
「新宿駅〈東口・中間広場〉路傍伝道」
(18時~20時)〈準備開始17時30分〉

★7月20日(火)
≪?場所と時間の変更あり?≫
【山手線シリーズ】
「神田駅〈北口〉路傍伝道」
(18時~20時)〈準備開始17時30分〉

★7月22日(木)
【東京23区シリーズ】
「御茶ノ水駅〈御茶ノ水橋口〉路傍伝道」
(17時~19時)〈準備開始16時30分〉

★7月23日(金)
【東京23区シリーズ】
「中野駅〈北口〉路傍伝道」
(17時~19時)〈準備開始16時30分〉

★7月26日(月)
【作業】
「路傍伝道新聞発送作業日」
※お手伝い可能な方はご連絡ください。

★7月27日(火)
≪?時間の変更あり?≫
※熱中症対策のために、時間を変更しました。
【荒野の旅】
「横浜駅〈みなみ西口・大和証券前に16時集合〉路傍伝道」
※上記場所に16時までに集合して、その後主の導きに従って移動して路傍伝道を続ける。参加希望者はご連絡ください。途中からの参加や帰宅も可能です。
(16時~ 2、3時間程度)〈準備開始とスタート16時〉

★7月30日(金)
≪?時間の変更あり?≫
※熱中症対策のために、時間を変更しました。
【東京23区シリーズ】
「高田馬場駅〈早稲田通側歩道〉路傍伝道」
(17時~19時)〈準備開始16時30分〉

★8月2日(月)
【第1月曜日定例】
「川口駅〈西口・2階デッキ〉路傍伝道」
(17時~19時)〈準備開始16時30分〉

★8月3日(火)
【東京23区シリーズ】
「経堂駅〈北口〉路傍伝道」
(17時~19時)〈準備開始16時30分〉

★8月6日(金)
【山手線シリーズ】
「東京駅〈八重洲南口・横断歩道を渡った八重洲ブックセンター前〉路傍伝道」
(17時~19時)〈準備開始16時30分〉

★8月8日(日)
【第2日曜日定例】
「大久保駅〈北口〉路傍伝道」
(19時~21時)〈準備開始18時45分〉

★8月9日(月)
【山手線シリーズ】
「有楽町駅〈中央口・広場〉路傍伝道」
(17時~19時)〈準備開始16時30分〉

★8月11日(水)
【千葉シリーズ】
「市川駅〈北口・広場〉路傍伝道」
(17時~19時)〈準備開始16時30分〉

★8月13日(金)
【東京23区シリーズ】
「東中野駅〈東口〉路傍伝道」
(17時~19時)〈準備開始16時30分〉

★8月16日(月)
【第3月曜日定例】
「新宿駅〈東口・中間広場〉路傍伝道」
(18時~20時)〈準備開始17時30分〉

★8月17日(火)
【東京23区シリーズ】
「高田馬場駅〈早稲田通側歩道〉路傍伝道」
(17時~19時)〈準備開始16時30分〉

★8月20日(金)
【東京23区シリーズ】
「中野駅〈北口〉路傍伝道」
(17時~19時)〈準備開始16時30分〉

★8月23日(月)
【作業候補日①】※今日か30日のどちらかを伝道に切り替える。
「路傍伝道新聞発送作業日」
※お手伝い可能な方はご連絡ください。

★8月24日(火)
【東京23区シリーズ】
「高田馬場駅〈早稲田通側歩道〉路傍伝道」
(17時~19時)〈準備開始16時30分〉

★8月25日(水)
【埼玉シリーズ】
「越谷駅〈東口〉路傍伝道」
(17時~19時)〈準備開始16時30分〉

★8月27日(金)
【荒野の旅】
「蒲田駅〈西口駅前広場に16時集合〉路傍伝道」
※上記場所に16時までに集合して、その後主の導きに従って移動して路傍伝道を続ける。参加希望者はご連絡ください。途中からの参加や帰宅も可能です。
(16時~ 2、3時間程度)〈準備開始とスタート16時〉

★8月29日(日)
【第5日曜日定例】
「大久保駅〈北口〉路傍伝道」
(19時~21時)〈準備開始18時45分〉

★8月30日(月)
【作業候補日②】※23日か今日のどちらかを伝道に切り替える。
「路傍伝道新聞発送作業日」
※お手伝い可能な方はご連絡ください。

★8月31日(火)
【東京23区シリーズ】
「御茶ノ水駅〈御茶ノ水橋口〉路傍伝道」
(17時~19時)〈準備開始16時30分〉

★9月3日(金)
【東京23区シリーズ】
「高田馬場駅〈早稲田通側歩道〉路傍伝道」
(17時~19時)〈準備開始16時30分〉

★9月4日(土)
【東京23区シリーズ】
「中野駅〈北口〉路傍伝道」
(17時~19時)〈準備開始16時30分〉

★9月6日(月)
【第1月曜日定例】
「川口駅〈西口・2階デッキ〉路傍伝道」
(17時~19時)〈準備開始16時30分〉

★9月10日(金)
【東京23区シリーズ】
「北千住駅〈西口・2階デッキ〉路傍伝道」
(17時~19時)〈準備開始16時30分〉

★9月11日(土)
【東京23区シリーズ】
「新大久保駅 路傍伝道」
(17時~19時)〈準備開始16時30分〉

★9月12日(日)
【第2日曜日定例】
「大久保駅〈北口〉路傍伝道」
(19時~21時)〈準備開始18時45分〉

★9月13日(月)
【山手線シリーズ】
「新橋駅〈日比谷口・SL前〉路傍伝道」
(17時~19時)〈準備開始18時30分〉

★9月16日(木)
【東京23区シリーズ】
「御茶ノ水駅〈御茶ノ水橋広場〉路傍伝道」
(17時~19時)〈準備開始16時30分〉

★9月18日(土)
【東京23区シリーズ】
「東中野駅〈東口〉 路傍伝道」
(17時~19時)〈準備開始16時30分〉

★9月20日(月)
【第3月曜日定例】
「新宿駅〈東口・中間広場〉路傍伝道」
(18時~20時)〈準備開始17時30分〉

★9月25日(土)
【東京23区シリーズ】
「経堂駅〈北口〉路傍伝道」
(14時~16時)〈準備開始13時30分〉

★9月27日(月)
【作業日】
「路傍伝道新聞発送作業日」
※お手伝い可能な方はご連絡ください。

★9月28日(火)
【埼玉シリーズ】
「越谷駅〈東口〉路傍伝道」
(17時~19時)〈準備開始16時30分〉

★9月29日(水)
【荒野の旅】
「大森駅〈西口広場に14時集合〉路傍伝道」
※上記場所に14時までに集合して、その後主の導きに従って移動して路傍伝道を続ける。參加希望者はご連絡ください。途中からの參加や帰宅も可能です。
(14時~ 2、3時間程度)〈準備開始とスタート14時〉

★10月2日(土)
【東京23区シリーズ】
「大久保駅〈北口〉路傍伝道」
(17時~19時)〈準備開始16時30分〉

★10月4日(月)
【第1月曜日定例】
「川口駅〈西口・2階デッキ〉路傍伝道」
(17時~19時)〈準備開始16時30分〉

ーーーーーーーーーーーーーー
※有事の際には、予定を変更することがあります。はじめて参加される方は問合せ下さい。
(教文館、CLC、オアシスブックセンターはじめ、日本全国のキリスト教書店やクリスチャンセンターなどを通して新聞を配布しています。購読希望者はご連絡下さい)
ーーーーーーーーーーーーーーー
※見学や短時間の参加も歓迎です。
※路傍伝道の集合場所は現地になります。不明な点がありましたら、メッセージ、もしくは、sgr_ch@ybb.ne.jpまで問合せ下さい。
※各活動終了後に自由参加の食事会があります。
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7月17日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 7月17日(土)10時07分35秒
  ?〈7/17(土)本日の一言メッセージ+動画+α〉

??「こわれやすい土の器に宝が!」

「こわれもの注意」と貼られた荷物が宅急便で届きました。

このシールが貼られた荷物は、丁寧に扱われます。

しかし、私たち人間にはそのようなシールが貼られてはないですが、実際は、強そうに見えても弱い存在です。「こわれもの注意」なのです。

このことを意識しながら、お互いに相手に優しく、丁寧に、尊敬して接したいものです。

聖書は、私たち人間を「土の器である」と語ります。土の器は、こわれやすく、落としたら簡単に割れてしまいます。

しかし、その土の器の中に、神ご自身という宝を納めているのです。それゆえに、私たちは高価で尊い存在なのです。

「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです」(コリント人への手紙 第二4章7節)。

「この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです」(コロサイ人への手紙1章27節)。

キリストを心に宿しているのです。私を強くして下さるキリストによってできないことはありません。

「主我を愛す 主は強ければ 我弱くとも 恐れはあらじ」です。

そのことを意識し、自覚しながら今日も生きていきましょう。

そして、互いにこわれやすい存在であることを意識しながら、優しい人にならせていただきたいですね。


?【動画メッセージ】
「一生の幸せと永遠の幸せ」
https://youtu.be/Nh4i8lxOIKg


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/bUQOQRJcKqE (夕礼拝)


??【秋葉原駅 路傍伝道】(前半)
https://youtu.be/AaJ9ip824ks (寄り)
https://youtu.be/_nIWRoWSqeI (引き)


?【四十代最後のメッセージ】(7月限定)
「私たちに与えられた救いと人生の目的」
https://youtu.be/g0MnAtSKtxM


?【TV番組 説教収録(限定公開)】
https://youtu.be/Jk4ENKwzpgQ (説教①)


?【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY


?「編集後記的メッセージ 『「ありのまま」と「わがまま」』」

キリスト教の伝道集会で語られる招きの言葉に、「ありのままでイエス様の元に来てください」というものがあります。

それを信じて手を上げて、洗礼を受けてしまうと、その次の週からは、「ありのままでいい」とは言ってはくれません。

「日曜日の礼拝を休んではいけない」「什分の一(月定)献金をしなさい」「奉仕表に名前を入れて奉仕をしなさい」「伝道しなさい」「信徒の務めを果たしなさい」となる場合があります。

もちろん、そういう教会ばかりではありませんが、ともすると、あの時「『ありのままでいい』と言ってくれた言葉は何だったの?」と思う人もいると思います。

しかし、「ありのまま」と「わがまま」を混同していると、「おかしい!」と感じますが、神を知らず、自己中心で、わがままで生きていた自分自身のままでイエス様の元に行き、救われ、神の子どもとされた後には、すぐに変われなくても、一歩一歩イエス様の似姿に変えられていき、本来のあるべき姿に近づくために、訓練が必要です。

しかし、もし訓練を受けられないとしたら、それは、「私生子であって、ほんとうの神の子ではない」と聖書は語ります。

「そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。『わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである』。訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです」(ヘブル12:5~8)。

ここに出て来る「私生児」とは何でしょうか?

「法律上の婚姻関係にない男女の間に生まれた子どもで、父に認知されていない子どものことを言う」そうです。

その状態は、何と寂しい事でしょうか?

世の中には、本当の私生児もいますが、しかし、父なる神は、みなしごの父であり、父なる神の元に帰って来る人を誰一人見捨てず、誰一人私生児のままにしておくことはありません。

ある人は、「神の子の特権はいただきたいけれど、訓練は結構です」と言いますが、そうはいかないのです。

訓練とは、楽しくないものですが、それは、より良き状態に成長することを願っての愛による「しつけ」なのです。

わがままな状態は、自分を苦しめ、人に迷惑をかけ、神の心を痛ませます。百害あって一利なしです。

しかし、ありのままの状態に成長していくならば、その生き方、あり方が自分を祝福し、他者を祝福し、神を喜ばせます。

悪い腫瘍を外科手術して切り取ることはしたくありませんが、でも、それを切り取るならば、健康になれるように、訓練は痛みを伴いますが、それを通して生まれ変わり、本来のあるべき姿に立ち返り、祝福の人生を歩めるならば、訓練を喜んで受けていきたいものです。

神の訓練は、教会生活だけではなく、1年365日、1日24時間、いつも神様が直接訓練をしてくださったり、人を通して訓練されることもあります。

「訓練と思って耐え忍びなさい」と聖書は語りますが、ただ耐え忍ぶだけではなく、感謝をして受け止めていきましょう。

「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります」(ヤコブ1:2~4)。

試練を含めて、それを主の訓練と受け止めることができるとしたら、もうすべてのことを感謝する状態に限りなく近づいています。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」(第一テサロニケ5:16~18)。

感謝にあふれた、素敵な1日でありますように。
 

7月16日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 7月16日(金)10時20分19秒
  ?〈7/16(金)本日の一言メッセージ+動画+α〉

??「成功の前に成長」

神は、創世記に登場するヨセフを愛していました。だから、成功の前に成長させてくださいました。

神様にとって、人を成功させるのは簡単です。しかし、人を成長させるのは難しく、多くの時間がかかります。

ヨセフは一日にして成功しました。囚人から国務大臣になりました。

しかし、ヨセフが成長するためには、長い年月がかかりました。

人が急に成長したら、壊れてしまいます。時間をかける必要があります。

変わりたくないし、心底変わりたいと思うためには挫折のような経験が必要です。

私の知り合いで、スキャンダラスな問題で失敗した牧師を何人も存じています。

日本は律法的な文化なので、牧師が一度失敗すると、敗者復活がありません。自分の力で立ち直ることはほぼ不可能です。

キリスト教文化のアメリカを見ると、失敗し、挫折したけれど、立ち直った牧師を何人も知っています。

アメリカの前大統領のトランプ氏を見ると、何度も倒産を経験し、何度も離婚しています。数々の失敗を繰り返していますが、敗者復活をし、大統領になりました。

日本が悪くてアメリカが良いと言いたいのではありません。

どんな状況の中にあっても、神にあっては敗者復活が可能です。

そのために、成長する必要があります。

人がどん底に落ちた時は、成長のチャンスの時です。

成長していない人が、中途半端に成功すると、傲慢になり、堕落する可能性があります。

しかし、成長した人が成功するならば、神の栄光が現れ、多くの人々の祝福になります。

今、もし、どん底を経験している人がいたら、成長の時であると知ってください。

成長させていただけることを感謝しましょう。

成長したら、その成長にふさわしい成功はついてくるものです。

神はあなたの成功よりも、成長に興味があるのです。

「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです」(コリント人への手紙 第一 3章6~7節)。

神によって育てていただき、創世記のヨセフのように、聖書の登場人物の多くの人たちのように、本当の意味での豊かな人生を生きていきたいですね。


?【動画メッセージ】
「いつも本番」
https://youtu.be/ASUT782ltLg


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/bUQOQRJcKqE (夕礼拝)


??【大久保駅 路傍伝道】(後半)
https://youtu.be/oP9A-Mq_D3U (正面)
https://youtu.be/5csZk-ycFYw (側面)


?【四十代最後のメッセージ】(7月限定)
「私たちに与えられた救いと人生の目的」
https://youtu.be/g0MnAtSKtxM


?【TV番組 説教収録(限定公開)】
https://youtu.be/u3YkZuvDk6o (説教④)


?【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY


?「編集後記的メッセージ 『理由なく気が合わない「水と油の人間関係」の相手とどうかかわったら良いか?』」

何の理由もないのに、その人と話したり、一緒にいるだけで気分が悪くなり、腹立たしい人がいるものではないでしょうか? もちろん、その逆もあります。

そこには、科学的、論理的、実際的な理由はなくても、目に見えない心の領域においては理由を見出すことができます。

人間は霊的な存在です。聖書は、「神は霊である」と語られますが、人が、その神に似せて造られたゆえに、人もまた霊的な存在であり、神と交わることができるのです。

理由もなく気が合わない人は、どこかで価値観が合わないはずです。

例えば、自分自身が大切にしていることを、相手が忌み嫌っているとしたらどうでしょうか?

自分が大切にしているものや事柄に対して、否定する電波、霊波、雰囲気を感じ取るものです。それは、そのような目に見えない空気に対して敏感か鈍感かによっても、感じる程度の差はありますが、それを心のどこかで感じるはずです。

やがてその人と話しているうちに、「なるほど、この人と私は水と油だな」ということが分かります。

このように、水と油の状態の相手がいるものですが、その時、それを悪い事と考える必要はありません。

水も油も悪いものではないけれど、お互いに異質な物質なので、混じり合うことができないのです。

野菜にかける液体のドレッシングは、水分と油分が分かれているので、使う時には、その容器を振って、混ぜ合わせて使います。しかし、再び分離されます。

水と油のように、混じり合えない相手が、切っても切れない相手の場合は、事は深刻です。

夫婦である。会社の同僚や上司と部下である。隣の家の人や、サークル、団体などでしょちゅう顔を合わす必要がある場合は、疲れますし、ストレスを感じます。

その場合は、祈ることです。そうすると、神様がドレッシングの容器を振られるように、必要に応じて一時的に混じり合わせてくださる場合があります。そこに緊張が生じることで、神に頼り、神を求めるようになり、結果として良い方向に働きます。

あるいは、神様が配置転換をさせてくださり、水と油の関係を遠ざけてくださる場合があります。

宗教的に考えると、これはマイナスの状態なので、人格が練られて変えられる必要があるという結論に至るかも知れませんが、神様は宗教を超越しますので、お互いの人格を練ってくださり、調和させ、仲良くさせて、共生させてくださる可能性もありますが、引き離してくださる場合もあります。

引き離してくださる場合は、体をイメージしたらわかりやすいです。

教会はキリストの体であり、私たちは、各器官、各肢体です。

各器官、各肢体は、必ず隣り合って存在しているでしょうか?

そうではありません。

例えば、腕と二の腕は直接つながっていなくて、肘を介してつながっています。しかし、全体としてはつながっています。

極端な話をすると、頭の頭頂部と足の裏は離れていますが、同じ体の一部分としてつながっています。そして、それぞれが必要です。

有名な歌に、「一年生になったら」というものがあります。
いちねんせいになったら
いちねんせいになったら
ともだちひゃくにんできるかな

それは理想ですし、全クラス、全学年の全校生徒同士が仲良の良い友だちとなれたら素晴らしいです。

しかし、それは理想ですが、現実にはそうはいきません。仲が悪い人がいますし、いじめもあります。

1人、もしくは、数人の友だちができれば、それで十分です。友だちの友だち同士がつながっていれば、全校が仲良しということになります。

キリストの体である教会も同じです。それぞれがキリストとつながり、全体でつながっていれば十分です。

無理に、頭とお腹や、頭と足をくっつけなくても良いのです。体の柔らかい人なら無理はないかも知れませんが。

ただ大切なことは、理由なく気が合わない人に会った時に、毛嫌いしたり、攻撃したりするのではなく、神に祈ることが大切です。

私のように、キリスト大好きな伝道者が、キリスト教を「邪教」と呼ぶある宗教に入っている人に伝道をした時に、とても険悪な雰囲気になりました。

キリスト教の間違いを指摘し、それを否定するという「折伏」が自らの「徳を積む」ことになり、「良い事をした」のであり、「報いが得られる」と考えているのですから、その攻撃力は凄まじいものです。

私から見たら、その人は「悪魔の間違った考え方に支配されている人」と映りますので、火花が飛ぶわけです。

しかし、私が相手を論破しても、相手は納得しないばかりか、ますます激情し、「地獄に堕ちるぞ!」と吐き捨てて離れて行きました。

私は、「残念ですね。神様がいつの日にかあなたに本当のことが理解できるようにしてくださいますように」と言って、見送りました。

神に祈らなかったら、肉と肉の戦いとなり、無益な争いにしかなりません。

こちらの主張は取り下げませんが、大切なことは、祈りながら、相手のペースに乗らないで、相手を祝福し、愛する心を失わないで語ることです。

私は、平和主義ですが、売られた喧嘩は買ってしまいやすい性質を持っています。

その性質が、肉の争いではなく、霊の戦いに向けられるようにと祈っています。

このメッセージを読んでくださる方々の中には、いろいろなタイプの方がいらっしゃると思います。

どのタイプが良くて、どのタイプが悪いのではありません。

みんな違って、みんな素晴らしいのです。

しかし、水同士、油同士の相手ばかりではありません。水と油の相手と出会った時に、神に祈ると、水と油の間に神が入ってくださり、神が最善に働かせてくださると信じます。

あなたの水と油の人間関係の中に神の助けがあり、祝福がありますようにお祈りをいたします。
 

7月15日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 7月15日(木)09時56分16秒
  〈7/15(木)本日の一言メッセージ+動画+α〉

「イエス様はあなたと共にいる」

新型コロナウイルスのパンデミックが、未だに世界の大きな問題です。

しかし、歴史を振り返ってみると、人間は、ウェルスとの戦いを続けて来ました。その途上で多くのいのちが失われましたが、同時に、それに打ち勝って来ました。

目の前の木を見るだけではなく、過去・現在・未来を俯瞰して、森を見たいものです。

約2000年前、イエス様がこの地上に来られました。多くの恐ろしい病で苦しんでいる人に目が留まりました。

イエス様は、それらの病人を毛嫌いしませんでした。ソーシャルディスタンスを保ち、マスクをして、遠くから祈ったり、「病人よ治りなさい」と言ったのではありません。

三密を破って、病人に近づかれました。

しかし、自らが病人の病気に感染しないばかりか、すへての病人をいやされました。

イエス様は、今日も目に見えませんが、私たちとともにおられ、守り、いやし、助けて下さいます。

イエス様は、今日、私たちに近づきたいと願っておられます。

それは、あなたがイエス様を迎え入れるならです。あなたがイエス様を拒否しない限り、イエス様は共におられます。

もちろん、私たちがイエス様を忘れていて、意識しない時にも共におられますが、絶えず祈り、絶えずイエス様と交わりをしましょう。

素敵な1日でありますように。


?【動画メッセージ】
「反対者にどう応じるか?」
https://youtu.be/kCLHE10mq5A


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/bUQOQRJcKqE (夕礼拝)


??【大久保駅 路傍伝道】(前半)
https://youtu.be/AaJ9ip824ks (寄り)
https://youtu.be/_nIWRoWSqeI (引き)


?【四十代最後のメッセージ】(7月限定)
「私たちに与えられた救いと人生の目的」
https://youtu.be/g0MnAtSKtxM


?【TV番組 説教収録(限定公開)】
https://youtu.be/S_UtwAd8Pao (説教③)


?【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY


?「編集後記的メッセージ 『

昨晩は、特別なミッションが与えられて、新宿のいくつかのホテルを巡りました。それらのホテルには、オリンピックの関係者が大挙して来て、宿泊していました。「TOKYO 2020」と書かれた車が多くとまっていました。

ホテルでのミッションには、ホテルの支配人の方が一緒に行動を共にしました。そのマナーと、接客する姿を見て、教えられ、感動しました。

しかし、急に、「全部コロナが悪いんですよね! コロナさえなければ・・・」と強い口調で繰り返しました。確かに、コロナで相当の嫌な思いをされたのだと思います。

しかし、それを聞いた私が、「確かにそうですよね」と思うと思ったのでしょう。

確かにコロナは私の人生に大きなマイナスの影響を与えましたが、私は、「コロナさえなければ」とは思いません。

コロナがなければ、1年前にオリンピックは開催されていたことでしょう。

2019年も、2000年も、2021年も、大きくは変わっていなかったかも知れません。

いや、コロナがなければ、政治も、経済も、今とは大きく違った可能性があります。

とある有名なホテルチェーンは、コロナによって売り上げが上がっているのです。しかも、倒産して、廃業したホテルを次々に買いまくり、その多くのホテルにコロナの患者を収容し、そこからも利益を得ているのです。

ピンチをチャンスに変えている人たちも、目立たないですが、実は数多くいるのです。

イエス様が、今、この世界に来られたとしたら、「コロナさえなければ、教会の働きは安定し、もっと自由に伝道ができたのに」などとは決して言われないと思います。

コロナ患者をいやし、救い、コロナのあるなしに関係なく存在する人々の罪に光を当て、「わたしのところに来なさい」と招かれたことでしょう。

私たちは、コロナを警戒し、最大のコロナ感染拡大防止に努めつつも、コロナで苦しむ人たち、孤独で苦しむ人たち、人間関係や、病気、貧困などで苦しむ人たちに目をとめ、手を差し伸べたいものです。

昨日のミッション終了後には、夜中の歌舞伎町に行きました。歌舞伎町は、夜中0時から目を覚まし、活気を帯びていきます。

不思議なくらい、異様に人々が多くいるのです。緊急事態宣言は無意味なくらいに、多くの飲食店が開いていて、終電も終わっているのに人々が殺到しています。

しかも、お店の中などでマスクをしない人が多いのです。これではコロナの感染が拡大しても仕方がありません。

イエス様が、歌舞伎町を見られたらどう見られるだろう? ソドムとゴモラのように見えないだろうか?

心を痛め、祈りました。

さらに、キリスト教会の中に、伝道がなされなくなりつつあり、罪であっても、それを罪であると言わず、多様性であると言うようになっている姿を見られて、イエス様は、教会の姿をどう思われるだろうか?

教会にまで思いが至りました。

私は、街頭で、SNSで、いろいろなところで、多くの人と関わりますが、顔形、姿は違がっても、本質的には大きく変わらないのではないかと感じて、心を痛めました。

しかし、イエス様にあっては、希望があり、その希望は失望に終わることがありません。

コロナを含めて、今の世界を木として見るならば、絶対絶望的な面を否めません。

しかし、イエス様の目を通して、過去・現在・未来を俯瞰して見るならば、イエス様は、すでに十字架と復活を通して贖いを成し遂げられたのですから、絶対希望そこにあることに気づくはずです。

木として現実を直視し、祈ると共に、イエス様の目で森を見、希望を持って、今日も伝道に励んでいきましょう。
 

7月14日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 7月14日(水)09時41分18秒
  ?〈7/14(水)本日の一言メッセージ+動画+α」

??「さよなら、クヨクヨ人生」

人生に失敗はあるでしょうか?

人生にあるのは、「発見するチャンス」だけです。

エジソンを、「数万回失敗した人だ!」という人がいるでしょうか。おそらくいないだろうと思います。

エジソンは、「数万回の成功しない方法を発見した人」なのです。その結果、数々の発明をし、発明王と呼ばれるようになりました。

「失敗をした」と思った時、「失敗をクヨクヨ悩む失敗」を犯さないで下さい。あなたは、「成功しない方法を一つ発見した成功者」なのです。

人間関係でうまくいかなかったならば、うまくいかない方法を一つ発見できたのです。次からは、うまくいかない方法を繰り返さなければ、発見が成功につながっていくのです。

自分で自分に「失敗者!」という烙印を押すほど、力を奪い取るものはありません。

今すぐあなたの辞書から「失敗」の文字を破り捨ててしまいましょう。

聖書は、「うしろのものを忘れなさい」(ピリピ人への手紙3章13節)と語ります。

それは、失敗をコロッと忘れて、失敗を繰り返すような生き方ではありません。

「失敗をクヨクヨ悩む失敗」を犯さず、それを「発見」と「教訓」に変え、エジソンが数万回「成功しないやり方を発見して、発明に転換した」ように、「発見」と「教訓」をより良い生き方につなげていく生き方です。

「失敗をクヨクヨ悩む」エネルギーを「前進」にギヤーチェンジして、前進していきましょう。


?【動画メッセージ】
「笑いはお金のかからない健康法」
https://youtu.be/lMnbeaXoQZo


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/bUQOQRJcKqE (夕礼拝)


??【大久保駅 路傍伝道】(後半)
https://youtu.be/oP9A-Mq_D3U (正面)
https://youtu.be/5csZk-ycFYw (側面)


?【四十代最後のメッセージ】(7月限定)
「私たちに与えられた救いと人生の目的」
https://youtu.be/g0MnAtSKtxM


?【TV番組 説教収録(限定公開)】
https://youtu.be/S_UtwAd8Pao (説教③)


?【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY


?「編集後記的メッセージ 『失敗を恐れず、前に向かっていきましょう』」

私は、人生を振り返ってみると、数多くの失敗を繰り返してきたなーとしみじみ思います。しかしその都度、痛みを経験しましたが、その失敗から何かを学んできました。

失敗や痛みが、教訓となり、宝に変えられています。

そして、「失敗を恐れて何もしない」という人生よりも、「失敗をしても挑戦する人生を選びたい」と思うようになりました。

毎日みなさんに送るこのメッセージは、私の失敗を恐れず挑戦から得た本音で語るものでありたいと思っています。

気がついたら長くなってしまうので、できるだけシンプルにと願っています。

文章や説教や歌の動画にしても、成功したと思えることはまずありません。

しかし、生きた内容でありたいと思っているので、その都度、長さも、内容もガラっと変わることもありますが、神様が用いてくださって、きっとみなさんに役に立てると信じています。

人生、与えられた使命に向かって生きるしかありません。

失敗を恐れず、前に向かって生きていきましょう。

私は、そんなあなたを心から応援しています。
 

7月13日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 7月13日(火)10時13分17秒
  ?〈7/13(火)本日の一言メッセージ+動画+α〉

??「赦しと神との関係」

最近、「神様から遠く離れているように感じるのです。苦しいです。助けて下さい」と、ある数人の人から立て続けに相談を受けました。

聞いてみると、「赦していない人がいる」ことがわかりました。

ある人は配偶者、ある人は親、ある人は友達、ある人は牧師などなど・・・。

それらの人たちには、赦せない理由があるのですが、自分を中心に考えているため、「自分は正しい!相手が間違っている!」と考えていました。

おそらく、相手の立場から見たら、相手も、「私が正しい!あなたが間違っている!」と思っているでしょう。

神様から見たら、五十歩百歩、目くそ鼻くそ、どんぐりの背比べくらいのものでしょう。

百歩譲って、相手の方が悪かったとしても、神様は、「あなた自身に関して平和を保ちなさい。人を赦しなさい」と語ります。

相手が間違っているかどうかは別として、「あなた自身は人を赦しなさい」と神は語られるのです。

相手を裁くものは法であり、聖書であり、神ご自身です。復讐を自分でしないで、神に任せましょう。

赦しを実践した人から、「即座に心が軽くなり、嬉しくなり、神を近くに感じられるようになりました。ありがとうございました」とお返事が来ました。

しかし、残念ながら、言い訳をして、赦しを実践しなかった人は、解放されないままです。

自分の非を認め、神に対して悔い改めることができる理由は、赦しがあるからです。

しかし、一般の感覚からすると、悔い改めるとは負けを認めたことであり、同時に裁きを受け入れることになります。だから、認めたくないのです。

しかし、神は赦しのために罪を悔い改めることを願っておられます。

そして、赦しを体験した人は、自分を赦し、相手を赦せるようになっていくのです。

人を赦せない根本原因は、神の赦しを受け取っていないことにあります。

今日、神の赦しを受け取り、人を赦し、神との親密な交わりを持ち、その交わりを深めていって下さい。


?【動画メッセージ】
「出会う人、みな我が師」
https://youtu.be/QyO7t-K56rg


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/bUQOQRJcKqE (夕礼拝)


??【大久保駅 路傍伝道】(前半)
https://youtu.be/AvABp_hQOOY (正面)
https://youtu.be/g5qCjQZs5Ro (側面)


?【四十代最後のメッセージ】(7月限定)
「私たちに与えられた救いと人生の目的」
https://youtu.be/g0MnAtSKtxM


?【TV番組 説教収録(限定公開)】
https://youtu.be/S_UtwAd8Pao (説教③)


?【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY


?「編集後記的メッセージ 『人との比較をやめよう!』」

人と自分を比べるから、人を妬むのであり、人が赦せなくなるのです。

人と自分を比較したからといって何か益になることがあるでしょうか?

せいぜい優越感を持つか、劣等感やトラウマを証明して安心するくらいでしょう。

優越感は、誰と比べるかによって一時的に持てるさもしい感情です。そうやって自分を支え、一時の満足を得ている人は、違うあなたより優れた人を見た途端、天国から地獄に堕ちるように、どん底に突き落とされます。

劣等感やトラウマの証明は、「自分は常々ダメだと思っていたけれど、やっぱりダメだった」と、安心と自己満足を得ているようですが、なだらかに奈落の底に堕ちていき、あることでスイッチが入って、自己嫌悪に陥り、落ち込み、うつになり、死にたくなります。

不幸になりたくなければ、比較をやめればいいのに、これも、酒やたばこや麻薬のように、中毒性があるのです。

もし、「人との比較を止めたい!」と思ったとしたら、その日が吉日です。そして、止めてみることです。

そして、比較しない人生を踏み出してみることです。

例えば、お金がない、お金が不足している、貧しいと思っている人がいたとしたら、まずは、それが比較や解釈から生まれていることを知ってください。

私が二十歳になり成人した頃は、バブル崩壊直前でした。誰でも彼でも、車やバイクを持つことに憧れたものです。車やバイクを持っていなければ、デートに誘えないし、彼女ができないというくらいの雰囲気でした。

そんな時、ソアラ、プレリュード、BMWなどに乗れる人もいますが、私は走り屋仕様の車や四駆のごつい奴に乗っていました。

私は、そういうデートカーには興味がなく、「ちゃらいナンパな奴」と思って興味もありませんでした。比較していなかったからです。

ところが、ダサい軽自動車しか乗れなかったとしたらどうでしょう。駐車場が狭いとか、ランニングコストを考えて、「仕方がない!」と思っても、やはり比較してしまうものだと思います。

そんな時、軽自動車の良い点を、比較しないで探したらいいのです。まず、その車が好きであるなら好き。燃費がいい。隣の人との親密感がある。取り回しが楽。丁度いいサイズなどなどです。

まずは自分が気に入って、満足して乗っているなら、それで十分です。人は、自分にしか興味がないものです。ソアラに乗っている人が軽自動車でデートをしているカップルを見て、「ダセー」と思ったとしても、そう思わせておけば良いし、高い車に乗っている人ほど、土足厳禁だとか、あれダメ、これダメとうるさかったりして、軽自動車のカップルの方が心からデートを愉しんでいるかも知れません。

そして現代は、車を所有するよりも携帯を持つ時代に変わりました。

近くのコインパーキングでシェアカーを1時間、数百円で借りられるのです。行って帰って来るならば、タクシーを使うよりはるかに安く、便利です。

車を所有する人は確実に減っています。

私は、家族6人で移動する機会は激減しましたが、路傍伝道の倉庫であり、機材運搬に使っているので、所有し続けていますが、多くの人は、車を必需品と考えなくなっています。

何の車に乗っているかを比較して優越感を持つ人は一部の人に限定されていますし、高い車に乗って気を使い、ハイオク仕様車なのにレギュラーガソリンを入れたり、安いオイルを入れたりします。

そして、リサイクルショップにベンツやBMWで来る人が案外多いのです。見栄を張って高い車を買っても、ローンの支払いで家計が火の車で、それ以外をケチっている人は確実にいると思います。

別に見栄を張らなくても、自分の身の丈に合った生活をしたら良いのです。

私は、大人になってから、自由に使えるお金を持った経験はほとんどありません。しかしだからといって困ったことはなかったし、ひもじい思いをしたこともありません。お金をたくさん持っている人と自分の暮らし向きを比較しないからです。

三食食事ができるし、雨露をしのぐ自宅があり、車とバイクもあるし、ギターやピアノもあるし、不足はありません。ただ、贅沢はできないし、それ以上の余裕はありません。

しかし、必要にして十分なお金があったならば、それ以上のゆとりはなくても困ることはありません。また、贅沢をして堕落をすることから守られますし、困ったら神様にお祈りをしたら、必要な時に、必要なものをすべて与えてくださいます。

それがはっきりわかるのは、伝道者であり、牧師の私は、20年以上、献金という手段でのみ活動をし、生活をし続けてこれているからです。

サタンは、兵糧攻めにして、私の伝道活動が続けられないように攻撃しても、神様がすべての必要を満たしてくださるのです。

単純にお金持ちになりたければ、伝道者や牧師にはならない方が良いでしょう。

しかし、使命が与えられて、この活動ができる人生は、最高に幸せであり、すべてに渡って満ち足りています。

私の実例をあげましたが、比較が無意味であり、比較しないことで幸せを得られることを知っていただきたいからです。

容姿の良し悪し、何かの大小、持ち物の量、力、権力、知名度などは、比較から生まれて来るものです。

以前私は、「世界で一番、豊かで貧しい牧師」というキャッチコピーを考えたことがありましたが、やめました。それは比較から生じる価値観だからです。

もし比較をするとしたら、神から与えられた本来の姿、使命などと、今の自分を比較するにとどめておきたいです。

「あー、まだまだだな!!!」と感じますが、そこで肉の力を働かせても仕方がありませんので、神に祈り、神に委ねるのみです。

人との比較を止めて、神との関係で生き。どうしても比較をしたいならば、本来のあるべき姿。神が自分自身に与えられた使命や姿と、今の自分を比較するにとどめておきましょう。

比較は、神を見失った人の愚かな行為であり、自己満足に過ぎません。

人との比較をやめて、神との関係で、オンリー1の存在として、幸せに生きてください。
 

7月12日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 7月12日(月)12時01分31秒
  ?〈7/12(月)本日の一言メッセージ+動画+α〉

??「神前意識と敵前意識を持とう!」

かつて私たちは、罪の奴隷であり、悪魔に奴隷とされて縛られ、苦しめられて来ました。

悪魔は、どんな人であってもその人を喜んで手放しで去らせることはしません。

イエス様を信じて解放された後も、悪魔は常に隙を伺い、吠え猛る獅子のように食い尽くすべきものを求めて歩き回っています。

私たちはこの世のものではありませんが、この世に遣わされて生きています。ここは敵地なのです。狼の中にいる羊のようです。鳩のように素直に、蛇のように聡くなければなりません。

絶えず神に祈り、神の言葉である聖書を片時も離してはなりません。神の御前にいる事実と共に、敵の目の前にいることを忘れてはいけません。戦場を歩いているようなものなのです。どこに伏兵が潜んでいるのかわかりません。

世界で一番人間の命を奪っている生き物は蚊であると言われます。蚊はその土地に住む人よりも旅人や他の地域に住む人をよく刺すと言われます。絶えず目を覚ましていなければいけません。

罪と戦い、悪魔に付け入る隙を与えず、絶えず神を意識しながら今日も歩んでいきましょう。この方と共に歩むならば、何も恐れるものはありません。試練が来ようとも、貧の道を歩もうとも、富の道を歩もうとも主が共におられるならば、守られ、必要は満たされ、罪に陥ったり、悪魔があなたに触れることはできません。


?【動画メッセージ】
「心疲れた時、聞こえてくる」
https://youtu.be/71htpXqSASs


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/hznutJ3LNBI (朝礼拝)


??【北千住駅 路傍伝道】(後半)
https://youtu.be/Y-G4XtnWLXQ (側面)
https://youtu.be/y4IpDoZSLuk (正面)


?【四十代最後のメッセージ】
「私たちに与えられた救いと人生の目的」
https://youtu.be/g0MnAtSKtxM


?【TV番組 説教収録(限定公開)】
https://youtu.be/6Lli2UxiCwk(説教②)


?【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY


?「編集後記的メッセージ 『この世と妥協しないで、義に生きたいと願い、祈ろう!』」

単に世の中の政治に限らず、民主主義が良いか、独裁主義が良いか、どちらが良いかの答えは簡単には出ません。

聖書は、「民主主義が良い」と教えている訳ではありません。しかし、民主主義が1番理想に近いと一般に考えられています。

民主主義が良い場合は、民衆の民度が高い場合です。

しかし、そこに限界があるのでしょうか。世界では、民主主義国が少数派に転じていると言われています。

民主主義国や地域が87カ国。対して、非民主主義国は92カ国であると言うのです。

もし、優れたリーダーが現れ、そのリーダーが治めたら、非民主主義国がうまくいく場合もあります。

しかし、理想的であったとしても、独裁主義がうまくいった実例をあまり見い出すことは出来ません。

リーダーであったとしても、その人は罪人であり、自己中心だからです。

自分が生き残るために、人を犠牲にし、人を踏み台にして、自分が利益を得ようとしてしまうからです。

仮に、イエス様がリーダーとなられたら、100%うまく行くはずです。この上ありません。罪がなく、公正であり、平等であり、人々を生かすためにご自分が命を犠牲にしてくださるからです。

しかし、事態はそう簡単ではありません。

前述のように、完全なリーダーがいないために、非民主主義、独裁がうまくいきません。

これらが前提として、民主主義が理想とされていますが、その弊害は、間違ったことでも多数決で決められてしまうことにあります。

昔も今も、聖書が語る理想が否決され、少数派に転落している事実を見逃してはいけません。

神は、ノアの時代に洪水で裁きを下されました。また、罪に満ちたソドムとゴモラの町を裁かれました。

民主主義が正しく機能していない結果、神の裁きが下りました。

そして、イエス様を十字架につけた時の民衆の反応は、声をそろえて「除け、除け、十字架につけよ!」というものでした。

今の時代、聖書に反する価値観が民主主義国からも、そして、神を否定する非民主主義国の中からも台頭しています。

クリスチャンであっても、この世の中の力が膨大で強いため、世論を気にして聖書をまっすぐに語れなくなっています。

「私が聖書の時代に生きていたら、神に従い通すことができたのに」と真剣に語った人がいますが、その人は灯台下暗しで、目の前の現実に飲み込まれています。

そしてさらに、「裁いてはいけない」という聖書の言葉を盾に、世と妥協しているのです。

聖書が「裁いてはいけない」と語るのは、裁いてはいけない領域に関してです。

神が黒白をはっきりと付けて、罪と断じることは、裁かなくてはいけないのです。

ある時、ある場所のクリスチャンの集まりで、こんなことが起こりました。

空気が読めない人が断罪され、不倫が罪であると知りながら止めない人に対して、「個人のプライバシーの領域だから、とやかく言うことはできませんね」と言ったのです。

確かに、空気を読めない人は、その場の空気を壊しますし、嫌われますが、神の目から見たら、思ったことは伝えても、裁くべき案件ではありません。

しかし、その同じ人が、明確に罪の中にいる人を裁けなかったのです。

罪の性質は、神と反する価値観を持ち、神と違う判断をし、行動をしてしまいます。

その状態から、神と同じ価値観を持ち、神と同じ判断をし、行動をする義の性質に立ち返り、悔い改めたいものです。

確かに波風は立つでしょう。しかし、神がまず自分自身を赦してくださったという感謝と謙遜さを保って、神の愛の心でこの世と妥協しない生き方を選び取っていきたいものです。

それには、祈って神の助けを受ける必要があります。

「神様、私を助けてくださり、神が願っておられる価値観を持ち、判断をし、行動を取れますように助けてください。アーメン」。
 

7月11日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 7月11日(日)08時45分12秒
  ?〈7/11(日)本日の一言メッセージ+動画+α〉

??「本当の神が自由を与えてくださる」

聖書は神について語ります。

最初の1ページ目を開くと、「はじめに神が天と地とを創造された」とはじまります。

神がいるかどうかを論じるのではなく、神がおられることが当然であるかのようにはじまっています。

しかし、この神とは、日本人の多くの人が考える「八百万の神々」のことではありません。「嘘八百」というように、無限で無数に存在するから八百と言っているのでしょう。少なくとも、30万近くはあるそうです。

聖書が語る神と八百万の神々の違いは、「人を造られた神」と「人が作り出した神」の違いがあります。

そこには、天と地ほどの差があります。

人が作り出した神々は、人の宗教心が作り出し、それを祭り上げ、それに手を合わせて、勝手なお願いをして、もし願いが聞かれなかった時には、「信心しているのに・・・」と文句を言うのです。まことに自己中心的です。

しかし、人を造られた神は、私たちの考えとは違うのです。

「天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い」(イザヤ書55章9節)。

私たちの願った通りに答えてくれなくても、何も文句は言えないのです。

しかし、私たちを造られた全知全能の神は、「祈っていいよ」と言ってくださったのです。

祈るのが当然の権利であり、祈った通りにことが運ばなくても、「信じていたのに・・・」と文句は言えないはずです。

聖書が語る悔い改めとは、自分の理想が作り出した神々の勝手なイメージ、偶像を捨てて、聖書が語るまことの神を受け入れ、信じることです。

神は、ありのままの神ご自身を信じることを願っておられます。

もし、自分の理想に合わなくても、自分の考えと違っても、ありのままの神を信じなくてはいけません。

この方を信じ、受け入れ、従うなら、本当の自由が与えられます。

「私は道であり、真理であり、いのちである」と語られる人となった神、イエスを信じる時に、「真理があなた方を自由にする」のです。

自分のこだわりを捨てられないで、自分が作り出した神々に執着していると、罪の奴隷なのです。


?【動画メッセージ】
「悪を行う者に腹を立てなくてもよい」
https://youtu.be/1AUAoLfIZJo


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝(生放送)】
一部礼拝 10時半~
二部礼拝 16時半~
https://sgr-ch.net (ホームページ)


??【北千住駅 路傍伝道】(前半)
https://youtu.be/3DxGFsitV80 (正面)
https://youtu.be/u33WOeyYJ_4 (側面)


?【四十代最後のメッセージ】
「私たちに与えられた救いと人生の目的」
https://youtu.be/g0MnAtSKtxM


?【TV番組 説教収録(限定公開)】
https://youtu.be/Jk4ENKwzpgQ (説教①)


?【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY


?「編集後記的メッセージ 『金に頼るのか、神に頼るのか』」

お金は必要ですが、お金が多くあるからと言って充実感を感じられるとは限りません。

お金を多く持ち過ぎたことで、人間不信になり、誰も信じられなくなり、喜びも悲しみも分かち合えない寂しい人生を生きている人もいます。

お金がある人のところに人は集まるからです。おこぼれを頂戴したいという下心がある人もいるでしょうし、そこに人を引き寄せる何らかの力があるのでしょう。

しかし、お金がない人のところからは人が去っていきます。「貸してくれ」と言われたり、恵んであげなくてはいけなくなることがありますし、そこから人を離れさせる何らかの力があるのでしょう。

適度にお金がないと生きるのがつらく、生きることがつらいです。

「貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください」(箴言30:8)という言葉があります。それを祈りとしたいものです。

その上で、私たちを幸せにするのは「金(かね)」ではなく、「神(かみ)」であることを覚え、神に頼り、神との関係を深めていきましょう。

そして、神は必要を満たし、必要を備えてくださるお方です。

必要を心配しなくても、神を第一にし、神との関係を堅固にして生きているならば、神が満たしてくださるのです。この方を信頼しましょう。

「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります」(マタイ6:31~34)。

そこに心配からの解放と、真の幸せがあるのです。

神は、必要とあらば、いくらでも必要なものを満たしてくださいます。

ユダヤ人と言うと、億万長者ばかりいるように思われることがありますが、億万長者は一握りで、多くは貧しい人たちです。

国を奪われ、迫害され、のけ者にされ、抹殺されるような危機を何度も経験しました。

そして、極貧の時代も長く経験して来ました。しかし、一旦は追い出されたものの、イスラエルの土地は、神が与えられた乳と三つの流れる約束の地です。

ある時、その土地が売り出されました。それまでのユダヤ人は極貧の状態が続いていましたが、お金が必要になった時には、しっかり神がその額を与えてくださり、イスラエルは、ついには、国を再興することができたのです。

イスラエルは、試練・患難に会い、いつも危険と隣り合わせでしたが、神が守り、神が助け、神が救ってくださっているのです。

イスラエルを見たら、神が生きておられ、神がどのように人々を助けてくださるのかを見ることができると思います。

そして神は、聖書にしっかりと約束を与えられました。

神は、あなたを助け、備えられる神です。

あなたの人生の安定を「金」や「持ち物」に求めるのではなく、必要とあらば、いくらでも必要を満たしてくださる「神」において歩んで行きましょう。

今日は日曜日です。オンラインを含めまして、神を礼拝し、神との関係を強め、神と共に一週間をスタートいたしましょう。
 

7月10日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 7月10日(土)10時27分30秒
  ?〈7/10(土)本日の一言メッセージ〉

??「主の訓練を素直に受けよう」

ゴスペルソングに「もう振り向かない」という曲があります。その一節に「もうつぶやかない」という歌詞があります。

若い人にとっては、「つぶやく」と聞くと、SNSの「Twitter」を思い出すかも知れませんが、「ツイート」のことではなく、「不平不満」「文句」であり、感謝の逆の状態です。

苦しみ・試練・患難をのろい、神が与えられるムチに対して、「なぜ私はこんなに苦しまなければならないのだろう? どんな悪いことをしたので罰を受けなければならないのか?」とつぶやくのです。

これは神の最善の知恵によるものなのに、それに対して不平不満を言うことは正しいのでしょうか。

もし、神が私たちの罪に従って裁くとしたら、イエス様が十字架で背負われた罰を受けなければならないのです。

火で金を精錬するように、神は私たちをきよめ、反抗的な態度を悔い改めて、従順にさせようとしてくださっているのです。

「そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。『わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである』。訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます」(ヘブル人への手紙12章5~11節)。

苦しみ・試練・患難は、神の愛による訓練なのです。

それに対してつぶやき、不平不満を言うのではなく、神のしつけと矯正を素直に受けたいものです。

それが訓練となり、やがて「平安な義の実」を結ばせてくれるのです。


?【動画メッセージ】
「物事の判断の基準」
https://youtu.be/KdP6AV3LXtE


??【越谷駅 路傍伝道】(後半)
https://youtu.be/q-dUIaJdbDY (寄り)
https://youtu.be/o0mAPbzpGGI  (引き)


?【四十代最後のメッセージ】
「私たちに与えられた救いと人生の目的」
https://youtu.be/g0MnAtSKtxM


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/6m2dGketg1Q


?【TV番組 説教収録(限定公開)】
https://youtu.be/u3YkZuvDk6o (説教④)


?【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY


?「編集後記的メッセージ 『私たちが経験する痛みの意味』」

3年前の西日本豪雨で甚大な被害が出た記憶は、当事者以外の多くの方の中から風化しつつあるのではないかと思います。

しかし、集中豪雨によって熱海の伊豆山で起こった土石流のニュースを通して、そういえば、何年か前にも水害が起こったと思い出した方も多いのではないかと思います。

2020年から新型コロナウイルスのパンデミックが起こり、その現実があまりにも大きかったため、それ以前のことを忘れさせてしまったのでしょう。

私たちは、過去の出来事を過去として過ぎ去らせてしまうのではなく、それを教訓としてしっかりと心に記憶したいと思います。

私たちが住む日本は、世界的に見て災害大国なのです。今までもそうでしたが、これからは、今まで以上に多くの災害が起こる可能性があります。

「地震雷火事親父」に備え、早めの避難行動を取るなど、しっかりと役に立てたいものです。

昨年7月には、九州北部で梅雨前線が停滞し、線状降水帯が発生し、球磨川の24時間雨量が最大700ミリくらいに及び、熊本県人吉市では、最高水位が2メートル以上超えて溢れ出て、球磨村や八代市でも大きな被害が起こりました。

今年も、九州において、線状降水帯が発生し、熊本、宮崎、鹿児島の三県に「大雨特別警報」が出されています。共に、神の守りを祈りたいと思います。

そして、過去の水害の教訓を生かして、早めに、いのちを守る行動を取ってほしいと思います。

人は同じ過ちや失敗を繰り返しやすい弱い存在です。しかし、失敗し、痛い思いをしたならば、それを教訓として、今を含む未来に役立てたいと思います。

昨日は、イエス様が十字架を背負わされる前に、「苦いぶどう酒」を渡されて、味見をしましたが、それが何であるかがわかったので、それを拒否された出来事に触れました。

イエス様は、十字架の痛みを薄めることなく一身に引き受けてくださいました。

人が受ける痛みは大切なのです。その痛みが、教訓となり、失敗を繰り返さないように成長させてくれるからです。

痛みは神様からのメッセージなのです。

痛みを悪いものと毛嫌いするのではなく、しっかりと教訓としたいものです。そうしたら、失敗を含めて、私たちが味わう痛みは大きな祝福になるのです。
 

7月9日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 7月 9日(金)11時31分44秒
  ?〈7/9(金)本日の一言メッセージ+動画+α〉

??「自分の考えを大切にしよう」

相手が、「こう言ってほしい」と願うことを敏感に察知し、忖度して話す内容を変えることはないでしょうか。

自分が本当に思っていることを素直に話したいものです。

なぜならば、自分の考えは相手の考えと同じように大切だからです。

もしかしたら、あなたの考えに同意してもらえないかも知れません。

あるいは、あなたの意見は一般の常識と外れているかも知れません。

しかし、だからと言って、それであなたの意見の価値がなくなってしまうことではないはずです。

相手に好かれたいと思って、自分の考えを簡単に曲げてしまうとしたら、それは、相手に対して不誠実ではないでしょうか。

また、自分を曲げてまでその人と友だちになる必要があるでしょうか。

自分の考えを大切に出来る人こそ、本当の意味で、人の意見に耳を傾け、尊重し、大切に出来る人ではないかと思います。

言い難くいとしても、そう思わないならば、「私はそう思いません」と言える強さを持ちたいものです。

それは、喧嘩しようとしているのでもないし、単なる天邪鬼でもありません。

あなたを造り、あなたを愛している神様とのつながりを深めたら、その分だけ、自然体で自分を生きられるようになります。

「私は私で大丈夫」と安心出来るはずです。


?【動画メッセージ】
「どんな時にも大丈夫」
https://youtu.be/FqvaFDfxrJc


??【越谷駅 路傍伝道】(前半)
  https://youtu.be/-yR25jkDCJA (寄り)
https://youtu.be/h1iKzYIVJaM (引き)


?【四十代最後のメッセージ】
「私たちに与えられた救いと人生の目的」
https://youtu.be/g0MnAtSKtxM


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/6m2dGketg1Q


?【TV番組 説教収録(限定公開)】
https://youtu.be/h-20EUCa1Rw(説教③)


?【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY


?「編集後記的メッセージ 『イエス様と1つになるために』」

イエス様は、十字架を背負って「されこうべ」に着くと、苦いものが混ぜられたぶどう酒が渡されましたが、なめただけで、飲まれませんでした。

この「苦いもの」は、毒性の草からできた苦い液体で、麻酔効果があり、意識を失わせたり、分量によっては、安楽死のように、死期を早めることも可能でした。

しかしイエス様は、全人類の罪を背負って死ぬために生まれて来られたのです。十字架刑を楽して受ける気はまったくありませんでした。

イエス様は、私たちの罪を背負い、罪がないお方なのに、罪人の頭となって十字架につけられ、ありのままの十字架の苦しみを味わわれたのです。

「キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである」(第一ペテロ2:22~24)。

このキリストの十字架によって赦されない罪はありません。癒されない病や痛みはありません。

今日、あなたの罪や罪の性質、病や痛み、あらゆる苦痛や苦しみの中にイエス様を迎え入れてください。そこでイエス様との深い出会い、深く一体になることができるのです。

あなたはいやされ、救われ、本当の幸せを味わえるのです。

そして、イエス様を体験した人が、力強く伝道できるようになるのです。

今日は、17時~19時まで、「北千住駅(西口)1階」で路傍伝道を行います。どうぞ、ご参加、お祈りをよろしくお願いします。

イエス様を味わった分だけ、イエス様を伝えたくなるし、力強く伝えられるようになります。

聖霊に満たされ、地の果てまで、イエス様の福音を伝えていきましょう。

「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります」(使徒の働き1:8)。

イエス様を伝える時に、聖霊がさらに注がれ、あなたを流れ、イエス様と完全に1つになれるのです。
 

7月8日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 7月 8日(木)09時55分19秒
  ?〈7/8(木)本日の一言メッセージ+動画+α〉

??「人は変われる!」

私は、常日頃、「人は変われる!」と語っています。

しかし、人はそう簡単に変わることはできません。

「人は変われる!」といおうのは、神様が人を変えてくださるという意味です。

今までのクリスチャン生活を通して体験して来たことです。

表面だけを変えるだけならば、役者のように演じれば良いのですから、難しくはありません。

聖書は、それを「偽善(ぎぜん)」と呼びます。

偽善とは、「演技、振りをする」という意味のラテン語の「ヒポクリシーズ」から派生した言葉です。

さらにさかのぼるならば、古代ギリシャ語の「演じる、振りをする」と同じ意味の言葉です。

「忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、やもめたちの家を食いつぶしていながら、見えのために長い祈りをするからです。ですから、あなたがたは、人一倍ひどい罰を受けます」(マタイ23:14)。

「祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです」(マタイ6:5)。

「断食するときには、偽善者たちのようにやつれた顔つきをしてはいけません。彼らは、断食していることが人に見えるようにと、その顔をやつすのです」(マタイ6:16)。

なぜ、人は善人を演じたがり、そして、演じるのでしょうか。

善人だと思われた方が、人からの評価を得られるし、得をするからです。

それが、単なる演技であるとしたら、人を騙す詐欺と何も変わりません。

急がなくても大丈夫です。イエス様を信じて、神と共に生きるならば、人は必ず変われるのです。

しかし、同時に覚えておかなければならないことは、人は簡単には変われないという事実です。

自分の力で自分を変えることは、不可能だからです。

前述のように、演じることはできても、人の本質部分を変えることは、鉄棒にぶら下がって懸垂(けんすい)をして、上に行こうとすることと似ています。また、自分の髪の毛を引っ張って、背を伸ばそうとするようなものです。

イエス様を通して神とつながるならば、木につながった枝のように、成長し、花を咲かせ、実を結ぶように、人は成長し、変われるのです。

「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです」(ヨハネ15:5)。

そのためには、変わろうとするのではなく、変えていただくことを許可し、変えてくださる神に自分をゆだねることです。

神様は、一生という時間をかけて、私たちを造り変えてくださいます。

イエス様を信じることを後回しにしないで、まず第一に、イエス様を信じましょう。

「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ」(伝道者の書12:1)。

「神は言われます。『わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。』確かに、今は恵みの時、今は救いの日です」(第二コリント6:2)。

素敵な1日でありますように。


?【動画メッセージ】
「渇いた心に潤いを」
https://youtu.be/HD69nEV68_0


??【川口駅 路傍伝道】
  https://youtu.be/gqC76mr3toA (後半)


?【四十代最後のメッセージ】
「私たちに与えられた救いと人生の目的」
https://youtu.be/g0MnAtSKtxM


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/6m2dGketg1Q


?【TV番組 説教収録(限定公開)】
https://youtu.be/6Lli2UxiCwk(説教②)


?【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY


?「編集後記的メッセージ 『「変わりたいけれど変われない」という、しがらみからの解放』」

人が変わることが難しいのは、「変わりたい!」と願うと同時に、「変わりたくない!」と思っているからです。

昔、軽井沢で2人乗りの自転車に乗ってサイクリングをしたことを思い出します。

前に乗っている私はスピード狂で、後ろに乗った人は自転車に乗ることが怖い人です。その結果、私が一生懸命にペダルを漕いでいるのに、後ろに乗った人は、「怖い!怖い」と言ってブレーキをかけるのです。

これと似たことが、自分の中で起こっているのです。

「変わりたい!」と思う一方、「変わりたくない!」と思っているので、ある程度変わったと思いきや、元に戻ってしまうのです。

このからくりから解放されて、自由にならなくては、人は変われません。

「変わりたい!」と思う一方、「変わりたくない!」と思っている自分は、イエス様を信じた時に、イエス様と一緒に十字架につけられて死んでいる事実を受け入れることです。

「それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。死んでしまった者は、罪から解放されているのです。もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはなく、死はもはやキリストを支配しないことを、私たちは知っています。なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。」(ローマ6:3~10)。

祖とパウロは、そして、「このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい」(ローマ6:11)と締め括るのです。

「自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者である」という事実を認め、受け入れてください。

そこから、「人は変わりたいけれど、変われない」というしがらみからの解放があり、「人は変われる」のです。

そして、変えられた分だけ幸せになり、祝福された人生を歩むことができるのです。
 

7月7日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 7月 7日(水)08時40分28秒
  ?〈7/7(水)本日の一言メッセージ〉

??「婚宴の礼服を着なさい」

マタイの福音書22章には、イエス様が語られた「婚宴のたとえ話」が書かれています。

その後半で、当初、王が王子の婚宴に招いていた人はそれに相応しくなかったので、町の大通りに出て行って、良い人も悪い人も婚宴に招きました。

町の大通りで招かれたのが私たちです。

当時、婚宴には一番の晴れ着を着る習慣があり、花婿の父は礼服を持っていない人のために衣服を準備しました。

しかし、衣服を準備したにもかかわらず、こともあろうに、礼服を着ないで婚宴に私服で参加した人がいました。

王は、理由を問いただしますが黙っている人に向かって怒り、側近に命じました。

「そこで、王はしもべたちに、『あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ』と言った」(マタイの福音書22章13節)とあります。

ここで、王が準備した礼服とは、「イエス様」のことです。イエス様を信じ、イエス様に頼るなら、誰でも神の前に大胆に進み出ることができます。

しかし、礼服を着なかった人は、自分に自信があったのでしょう。「イエス様を信じる必要はない。私には罪がない!」という態度を取るようなものです。

聖書は、「罪の支払う報酬は死である」と語ります。しかし、「神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」(ローマ人への手紙6章23節)とあります、

婚宴に礼服を着て参加すると「馬子にも衣装」と言われるように、どんなにみすぼらしい人でも立派に見えるように、イエス様を信じるなら、神の目にはイエス様を見るように完全な人と見て下さいます。

神が用意された人となった神イエス様を蔑ろにすることなく、イエス様を主と認め、第一にし、頼り、共に歩んでいきましょう。


?【動画メッセージ】
「本当に恐るべきもの」
https://youtu.be/VS8G47quLLQ


??【川口駅 路傍伝道】
https://youtu.be/TAWt_TEJTPA  (前半)


?【四十代最後のメッセージ】
「私たちに与えられた救いと人生の目的」
https://youtu.be/g0MnAtSKtxM


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/6m2dGketg1Q


?【TV番組 説教収録(限定公開)】
https://youtu.be/BYiPBvjiyt4 (説教①)


?【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY


?「編集後記的メッセージ 『真の馬子にも衣装』」

「馬子にも衣装」と言われます。「ちゃんとした衣装を身につければ誰でも立派に見える」と言うことです。

類似語として、「鬼瓦に衣装」「猿にも衣装」「切り株にも衣装」「姿は作り物」というものもあります。

反対語として、「公卿にも襤褸」「君飾らざれば臣敬わず」「衣ばかりで和尚はできぬ」などがあります。「公卿にも襤褸」は「いくら高貴な人でも、つぎはぎだらけの破れた衣を身に着けていれば下品に見える」という意味になります。

使い方を間違えると失礼にもなり得ます。

しかし、イエス様を信じるということは、「馬子にも衣装」です。

神学用語を使うと「信仰義認」です。信仰によって、霊的にはイエス様を着たのです。

罪過と罪の中で死んでいた者であり、罪と汚れの性質の私たちでしたが、イエス様の命と義の性質をまとったことで、義と認められ、義として見ていただけるのです。

ボランティアとして、地元の消防団員をさせていただいていますが、普段の活動の時には活動服を着ますし、出初式(団始式)などのセレモニーに参加する時には、制服を着ます。

活動服を着ていると消防隊員と間違われますし、制服を着ていたらおまわりさんと間違えられたこともありました。

しかし、消防団員ですので、活動服や制服を着ることは全く問題はありません。

最近では、消防関係の用具や洋服がヤフーオークションなどに出品されていることがありますが、それを買って、消防団員でもないのにそれを趣味で着て、外を出歩くとしたら問題です。

同じように、救われていないのに、救われているかのように見せるのは偽善者であり、異端です。

イエス様を救い主と信じた人が、洗礼を受け、クリスチャンとして証をし、主と共に生きていくことこそ、「馬子にも衣装」のように、イエス様のゆえに、イエス様のように義と認められます。それは正規であり、さらに、自然とイエス様の姿に変えられていき、気がついたら、イエス様のように生きるようになります。

「馬子にも衣装」は、使い方によっては相手をバカにしたり、見下した意味に取られてしまう可能性がありますが、私たちクリスチャンに取っては、まさにピッタリの言葉ではないでしょうか。

イエス様を着て、イエス様と一体になって、今日も生きていきましょう。
 

7月6日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 7月 6日(火)08時53分1秒
  ?〈7/6(火)本日の一言メッセージ+動画+α〉

??「神様からほめられる人とは!?」

タクシーの運転手と牧師が天国に入った。

タクシーの運転手は、最高で時速200kmも出すようなスピード狂であった。乗った人は、シートベルトをし、「死ぬかも知れない!」と思った。

牧師は、優しい語り口で、難解な説教をし、会衆を安らかな気持ちにさせた。

ある日、タクシーの運転手と牧師は死んだ。

神様は、天国で牧師よりもタクシー運転手をほめた。

タクシー運転手に神様は、「あなたは、たくさんの人に、『神様、助けて下さい!』と祈らせた。偉かった」と言われた。

次に、神様は牧師に、「あなたは40年も教会を牧会したが、みんなを眠らせてばかりだった。一体どういうことだ!?」 と叱責された。

これは事実に基づいた話ではなく、ジョークです。

しかし、牧師にとって、目の前の会衆が眠っていることほどつらいことはありません。

牧師殺すにゃ刃物は要らない。居眠りと「こんな話聞きたくない」という態度を取るだけで、牧師は力を削がれます。

礼拝の中で、イエス様が語られた「グレイト・コマンドメント」、つまり、「互いに愛し合いなさい」をどう実践するべきでしょうか?

牧師の側が、わかりやすく、恵みに溢れた説教を準備し、聖霊に満たされて語ることです。

しかし、それを聴く信徒の側では、語られる説教に対して、笑顔で頷くこと、「アーメン」と応答することです。

居眠りをしたり、「その話は聞いたことあるよ。つまんねーんだよ」もっと楽しい話をして喜ばしてくださいよ、牧師さん」という態度は、少なくても、礼拝の中で「互いに愛し合いなさい」という教えを実践していないことになります。

教会に来て、礼拝の中で「互いに愛し合いなさい」を実践しなかったとしたら、一体どこで互いに愛し合えるのでしょうか?

ある人は、「互いに愛し合いなさい」と聴いて、これを「ギブアンドテイク」と考えました。

つまり、「互いにでしょう。まずはあなたが先に愛を実践してください。そうしたら、こちらもそれ相応の愛を返しますから」。

ここで、相手に要求する愛は、「私を満足させる愛」であるとしたら、きっと、この方を満足させるのは、イエス様でもできないかも知れません。

イエス様の十字架の愛で満足し、感謝できない人は、どんな親切をしてもらっても、「もっと、もっと」となるものです。

イエス様は、「わたしがあなた方を愛したように、愛しなさい」と言われました。

イエス様の愛を受け止めて、その愛に応答するかのように、イエス様が愛してくださったように愛するのです。

あの、神様から叱責された牧師さんが、愛を実践していたのかどうかはわかりません。また、信徒さんが牧師さんを愛していなかったから居眠りをしたのかどうかわかりません。

しかし、愛するとは、目の前の人を大切にすることから始まります。

日曜日の礼拝の説教を眠らずに、心を開いて聴くことから、愛することはスタートするかも知れません。

神様は、イエス様の愛を信じ、受け入れ、その愛を味わい、体験して、今度は他者を愛する人を喜ばれ、ほめられるのではないかと思います。

本日、五十歳になり、自分でも信じられませんが、お祝いメッセージをたくさんいただき、「あー歳を取っちゃったよ」と憂えることではなく、おめでたいこととして喜ぶべきだと感じられます。愛をありがとうございます。

神様の祝福をお祈りいたします。引き続き、どうぞよろしくお願いします。


?【四十代最後のメッセージ】
「私たちに与えられた救いと人生の目的」
https://youtu.be/g0MnAtSKtxM


?【動画メッセージ】
「背伸びしなくていい!」
https://youtu.be/JoM9SGLKbN4


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/6m2dGketg1Q


?【TV番組 説教収録(限定公開)】
https://youtu.be/BYiPBvjiyt4 (説教①)


??【経堂駅 路傍伝道】(後半)
https://youtu.be/e7KUM8Fx6hY (側面)
https://youtu.be/mbFRJiaOKqc (正面)


?【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY


?「編集後記的メッセージ 『紛れもない事実』」

今からちょうど五十年前の7月6日に、私はこの世に誕生しました。これは、紛れもない事実であり、取り消すことはできません。

十八歳の時に、イエス・キリストを救い主と信じてクリスチャンになりました。新しく生まれ変わりました。

私が、五十年前にこの世に誕生したのと同じように、紛れもない事実であり、取り消すことはできません。

救われるとは、そういうことなのです。

ある時、「先生、私は以前に洗礼を受けていますが、効果がなく、新しく生まれ変われなかったようです。もう一度洗礼を授けていただけないでしょうか?」と頼まれました。

教会を転会された方が、「再洗礼を受けたい」という方を含めて、複数回「洗礼を受けたい」と言われる方が案外多くいらっしゃいます。

私は、基本的にその願いに答えますが、その人は、救いの事実が信仰によることであり、紛れもない事実であること、そして、新しく生まれ変わった事実が取り消すことができないことを知らないのではないかと思います。

ある教会は、以前、洗礼を受けている人に対しても、教会員として受け入れる時に、再洗礼を義務としている場合があります。

「聖書的な洗礼の意味がわかっているのだろうか?」と心配になります。

もちろん、何度洗礼を受けても構いませんが、以前受けた洗礼が適礼式であったとしても、全浸礼を受け直す必要はありません。

それを行うことで、最初の洗礼を否定するかのようになります。

洗礼は儀式です。救われた人が最初に神様に従う行動です。だから、洗礼という儀式が人を救うのではないのです。再洗礼は全く不要です。

ただ、聖書とは違う教理の信仰に基づいて洗礼を受けた場合には、イエス・キリストを救い主、人生の主と信じて救われた後に、洗礼を受けることが望ましいと思います。

洗礼が人を救うのではなく、信仰によって人は救われるのです。ただただ、神様からの一方的な恵みです。救いに洗礼いう儀式を含め、人の業や行いは一切含まれません。

「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです」(エペソ8~9)。

イエス様を信じてクリスチャンになったならば、救われていないような感じがしても、生まれ損ねたということはありません。また、新しく生まれ変わった事実を取り消すことはできないのです。

それは、私が、ちょうど五十年前に誕生した事実を取り消せないのと同じです。

クリスチャンの皆さん、救いは、紛れもない事実です。行いがなければ天国に入れないなどという間違った教えに騙されないでください。

努力して正しい行いができるくらいならば、イエス様が十字架にかかって死なれる必要はなかったことになります。

イエス様は、霊的に死んでいた私たちを、救い、生かしてくださったのです。

「あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし」(エペソ4~5)。

救われた確信が安心(平安)と喜びを与え、キリストの性質に変えていただきたいという願いが起こされ、その祈りが生じるのです。そして、その祈りは主の御心に敵った祈りであるがゆえに、必ず答えられるのです。

救いは、0から100まで、すべて神の恵みです。もっともらしい間違った教えに騙されないでください。

だから福音、グッドニュースなのです。

この救いを確信し、味わい、体験した上で、出会う全ての人に伝道をして参りましょう。
 

7月5日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 7月 5日(月)11時00分42秒
  ?〈7/5(月)本日の一言メッセージ+動画+α〉

??「人は愛するため生まれた」

人は愛されることで自分の居場所を見出し、愛することによって真に充実感を持って生きることができる存在ではないでしょうか。

「自分はここにいていいんだ」という居場所がほしくて人の関心を買うために努力をし、認められるためにがんばりますが、求める愛になかなか出会うことができません。

やっと見つけたと思っても、その愛は条件付きであったり、変わるものです。

変わることのない無条件の愛にどこで出会うことができるのでしょうか。

イエス様の愛を信じ、受け入れることによってです。

「悲しみつきざる うきよにありても
日々主と歩めば みくにのここちす
ハレルヤ!罪とが消されし我が身は
いずくにありとも みくにのここちす」
(「みくにのここちす」 聖歌467番)

イエス様の愛を受け入れ、イエス様と共に生きたら、そこが悲しみつきざるこの地上であっても、そこで天国の前味を味わうことができるというのです。

今あなたがどこにいても、どのような環境の中で生きていても、イエス様の愛を受けたら、そこは天国のように変わります。

そしてさらに、その受けた愛を持って、それを出会う人に注いで行くならば、真の意味で生きているという実感を持つことができます。

今日、あなたを通して与えられる神の愛を必要としている人がいるはずです。どうぞ、その愛を惜しみなく注いで下さい。そこに幸せと豊かさがあります。


?【動画メッセージ】
「どんな時にも大丈夫」
https://youtu.be/J4lkLlC5KOo


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/6m2dGketg1Q


?【TV番組 説教収録(限定公開)】
https://youtu.be/P-4dzyQlcXk (説教④)


??【経堂駅 路傍伝道】(前半)
https://youtu.be/M3ulTFXyUVk (側面)
https://youtu.be/m02fJHmTSnE (正面)


?【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY


?「編集後記的メッセージ 『

四十代最後の日を迎え、振り返って見て感じることは、「すべてを神様が守ってくださった」という実感です。

「その時サムエルは一つの石をとってミヅパとエシャナの間にすえ、『主は今に至るまでわれわれを助けられた』と言って、その名をエベネゼルと名づけた」(第一サムエル7:12)。

私が信じる神は、「エベンエゼルの神」です。そして、あなたが信じる神も、「エベンエゼルの神」です。

しかし、主の救いは完全ですが、段階があります。

神学用語を使うと、「義認」「聖化」「栄化」です。

神が与えられた救い主イエス様を信じる時に、救いは完全に与えられていますが、その救いが私の人生の中に成就し始めた段階です。救いは確定していますが、まだ救いが私の中で受け止めきれていないのです。だから、「義と認められる」「義認」なのです。

しかし、その与えられた救いが、徐々に私の人生の中で成就していくプロセスを「聖化」と言います。

ある人は、「私はイエス様を信じて救われたのだから、すべての問題が解決していると思っていたが、依然として問題があるし、試練の中にある。私が何か悪いことをしたから神が罰を与えられたのでしょうか?」と相談されました。

私は、このような説明をしながら、「私自身も、毎日が戦いであり、時々忘れた頃に、とてつもなくデカい問題や(敵である悪魔の)攻撃がやって来ます」と伝えました。

そして、私はその時、与えられている武器を使って戦うことを伝え、戦うべきであることを伝えました。

与えられている武器は、「祈りと賛美」「イエス・キリストの御名」「イエス・キリストの血潮、そして、十字架」「聖書」「聖霊」「信仰と希望と愛」などなどです。

堅く立ち、それらを使って、敵の攻撃を防ぎ、敵の放つ火矢を消し、自らを防御し、敵を追放し、目を覚まして祈り続けることです。

「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。また、私が口を開くとき、語るべきことばが与えられ、福音の奥義を大胆に知らせることができるように私のためにも祈ってください。私は鎖につながれて、福音のために大使の役を果たしています。鎖につながれていても、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください」(エペソ6:11~20)。

すぐに勝利できることもありますが、戦いが熾烈で時間がかかることもあります。

使徒パウロは、このように神の武具を持って戦うように語ったのは、そのような世界があることを知っているだけではなく、自分自身が体験し、戦っていたからです。

戦いに勝利した状態は、「すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。また、私が口を開くとき、語るべきことばが与えられ、福音の奥義を大胆に知らせることができるように私のためにも祈ってください。私は鎖につながれて、福音のために大使の役を果たしています。鎖につながれていても、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください」(エペソ6:18~20)。

①すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くせることです。

戦いに勝利できていないと、忍耐力がなく、イライラし、自分のことで精一杯な状態になります。だから、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くせるように戦いました。

②口を開くとき、語るべきことばが与えられ、福音の奥義を大胆に知らせることができることです。

戦いに勝利できていないと、霊的に圧迫され、霊的な力が働かず、神の言葉が語れなくなり、伝道も牧会もできなくなってしまうのです。

多くの牧師が鬱になったり、聖書以外のことを語るようになっている現実を憂えますが、それは、それだけ敵が執拗に攻撃をして来るので、戦いが熾烈なのです。

そのような牧師を見かけた時には、「牧師のくせに・・・」と考えたり、批判せず、ただ黙って祈ってください。

パウロは、「私は鎖につながれて、福音のために大使の役を果たしています。鎖につながれていても、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください」(エペソ6:18~20)と、とりなしの祈りを要請しましたが、その祈りを要請できないほどの攻撃を受けて、傷つき、圧迫されて、動けなくされているのです。

よく、牧師や政治家などを安易に批判する人を見ますが、その人は、そのような熾烈な戦いの世界があることを知らないのです。

私たちクリスチャンは、互いに味方同士であり、神の家族であり、1つの軍隊です。同士討ちはいけません。

イエス様のように、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(ルカ23:34)と祈りましょう。

また政治家はクリスチャンでなくても、聖書は次のように命じます。

「そこで、まず第一に勧める。すべての人のために、王たちと上に立っているすべての人々のために、願いと、祈と、とりなしと、感謝とをささげなさい」(第一テモテ2:1)。

非難し、攻撃しても、その人はますます攻撃されますので、おろおろし、窮地に立たされます。

特に、上に立つ者、リーダーが受ける戦いは桁違いです。ぜひ非難せず祈ってください。

そして、与えられた武器・武具を用いて戦ってください。

この戦いは、勝利が確定した戦いです。戦うならば勝利できます。しかし、敵前逃亡すれば、敗北します。

その戦いのの中で、人は変えられていくのです。そのプロセスが「聖化」です。

そして、私たちが、やがて天に引き上げられて、イエス様と相間見ゆる時に、「栄化」つまり、イエス様と同じ性質に変えられ、救いが成就します。

「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです」(第二コリント3:18)。

私たちは、その日まで戦いの連続です。しかし、主は共におられ、戦いに必要なすべての武器や武具を与えられ、勝利が確定した戦いを戦わせてくださるのです。

神の守りと戦いの勝利を信じて、今日も、主と共に走るべき道のりを走り、戦いを戦って参りましょう。
 

7月4日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 7月 4日(日)08時48分40秒
  ?<7/4(日)本日の一言メッセージ+動画+α>

??「一緒に食事をすることの祝福」

日曜日は、クリスチャンに取って一番充実した日ではないかと思います。神の家族が一堂に会して礼拝し、祈り合い、心を通わせるからです。

2020年からコロナのパンデミックが始まって以来、なかなか対面で礼拝ができなくなってしまっている人も多いと思いますが、オンラインであったとしても、神の家族の交わりは特別な祝福だと思います。

もし私たちがクリスチャンでなかったとしたら、同じような人間関係を築けるかを考えたら、まずこのような交わりは持てなかったと思います。神様のお陰です。

イエス様は、多くの場合、食卓を囲み、食事をしながら説教を語り、神を礼拝しました。

そこには、嫌われ者の取税人、罪深い人たちが集まり、足元には遊女が座っていました。なぜそんなことが起こったのでしょう。

もし、イエス様が単なる宗教家だとしたら、そういう人たちが来ることはできなかったはずです。

「あれしてはいけない!」「こうあるべきだ!」と、律法を語り、そこから外れた人は裁かれたからです。

まず、そのような温かみのない関係しか持てないとしたら、「一緒に食事をしたい」とすら思わないでしょう。

日本の教会で人が留まる平均時間は1時間半です。つまり、礼拝がはじまってから終わるまでの時間です。

海外留学をしたり、海外に転勤したりする人の多くが、クリスチャンになります。しかし、帰国後に日本の教会に行くと、「あれっ?外国の教会と違うよ?」と戸惑ってしまうという声を度々聞きます。

日本にあるので、キリスト教という以前に、日本教になっているのかも知れません。

キリスト教は、日本教キリスト派。仏教は、日本教仏派。・・・。

私たちは、日本教を超越し、イエス様を通して神と和解し、神の子として共に交わり、礼拝し、(しばらくお預けかもしれませんが)おいしく食事が出来る関係を築きたいと願います。

食堂に1人で行った時に、カウンターで見ず知らずの感じの悪い人の隣で食事をしなければならないとしたら、おいしく食事ができないのではないかと思います。

ところが、仲の良い間柄の数人でテーブルを囲んで食事をするとしたら、食事はおいしいですし、楽しく、心が満たされるのではないかと思います。

敵同士が食事をするというのは普通は考えられません。

イスラエルの文化の中では、一緒に食事をするのは、相手を赦し、過去を問わないことを意味します。

イエス様は、「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする」(ヨハネの黙示録3:20)と語りました。

罪の赦し、和解、親子関係と親しい交わりの回復を意味します。

これが本物のキリスト教です。

楽しいです。うれしいです。感謝です。

私は、イエス様に愛され、イエス様が共に居られ、イエス様と食事を共にするような親しい交わりができるので、世界一幸せ者です。

私は、イエス様との関係の中で幸せを発見しました。

ここに、永遠の安らぎと幸せがあります。

それ以外に幸せを見つけたとしても、それは永続しません。危うい幸せの土台です。

しかし、イエス様との関係の中で見つけた幸せは、何が変わっても変わることがなく、永遠に変わることがありません。

「しあわせなイスラエル(あなたの名前)よ。だれがあなたのようであろう。主に救われた民。主はあなたを助ける盾、あなたの勝利の剣。あなたの敵はあなたにへつらい、あなたは彼らの背を踏みつける」(申命記33:29)。

今週もよろしくお願いします。


?【動画メッセージ】
(昨日)「希望は稀な望み」
https://youtu.be/L-AQF5QPtAM

(今日)「死海写本」
https://youtu.be/yBC1FwQDMfM


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝LIVE】
朝10時半~ / 夕方16時半~
https://sgr-ch.net (ホームページ)


?【TV番組 説教収録(限定公開)】(お休み)


??【大森駅 路傍伝道】(東口)
https://youtu.be/kXNO1yrdTkE (正面)
https://youtu.be/XBzrWxOXWB0 (側面)


?【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY


?「編集後記的メッセージ 『立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。 ~人類最大の問題は解決済~』」

人類最大の問題は、死の問題です。イエス・キリストは、全人類の罪を背負って十字架で死なれました。墓に葬られ、3日目に復活して、死を滅ぼされました。

「イエスは言われた。『わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです』」(ヨハネ11:25)。

クリスチャンは、最大の問題がすでに解決しているのです。

ということは、それ以下の問題も、すでに解決していると言っても過言ではありません。

まず、問題に直面したら、祈り、神に委ねることです。

次に、考えられる問題によるリスクを考えてください。それが死活問題だとしたら、自分の力ではどうしようもありませんし、神だけが解決できる問題ですので、神に頼りましょう。

おそらく、誰かから責められるか、責任を取らされてクビになるか、罰金を支払わされるかでしょう。これくらいなら大したことはありません。

しかし、人間関係が壊れるとか、離婚することになるとか、警察に逮捕されて刑務所に行く必要があるとかならば、専門家に頼るか、何らかのテコ入れが必要でしょう。

一昨日の夜から、人生初の停電を経験しました。死ぬことに比べたらかすり傷にも満たない経験ですが、その時は、大慌てでした。

まずは、一言メッセージの動画をアップロードできないし、説教の原稿をプリントアウトできないので、日曜日の説教をどうしようかと考えたり、オンライン礼拝の配信ができないし、生声で説教をし、賛美歌の伴奏はアコースティックギターにする。朝の礼拝は真っ暗ではないけれど、夕方の礼拝は暗い中でやらなければいけないのかなど、いろいろ考えて心配しました。

しかし、自分の力ではどうしようもありませんので、神様に委ねて休みました。

問題が起こった時に、慌てたり、騒がないことですね。神に祈り、静かにすることが大切です。

「神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。『立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る』」(イザヤ書30章15節)と聖書は語ります。

「慌てる乞食は貰いが少ない」ということわざがあります。慌てたり、騒いだりして、むやみな行動をすると、かえって上手くいかないという意味です。

「どうしよう、どうしよう」と焦って、snsに書き込み、いろいろな人に相談をしても、かえって状況を悪化させてしまうこともあります。

「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る」のです。

そして、解決するのです。その世界をご一緒に信じ、味わっていきましょう。
 

コロナ対策のために祈ろう!

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 7月 3日(土)17時14分30秒
  あれから1年以上経ちました。当時の日本のコロナ対策は、布マスク(通称:アベノマスク)2枚配布。現在、オリンピック開催を前に、ワクチン接種を急いていますが、心配し、見合わせる人が多く、接種率はあまり高くないですね。リーダーは、何が功を奏するかわからない段階で決断をし、行動に移らなくてはいけないので、とても大変です。聖書は語ります。「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい」(テモテへの手紙第一2章1節)。共に祈りましょう!  

7月3日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 7月 3日(土)10時16分9秒
  ?〈7/3(土)本日の一言メッセージ+動画+α〉

??「試行錯誤が人生を豊かにする」

「試行錯誤」とは、「新しい状況や問題に当面して解決する見通しが立たない場合、いろいろ試してみては失敗を繰り返すうちに、偶然成功した反応が次第に確立されていく過程」(広辞苑)です。

人生は一度だけです。できるだけ大きな夢と希望を持って生きていきたいものです。

夢と希望を持ったら、それに対して試行錯誤し、努力し続けることで道は開かれます。

時には、立ち止まって「急がば回れ」がいいこともあります。あんまり考えすぎると臆病になって何もできなくなってしまいます。

しかし、失敗を恐れず、果敢に挑戦し、前に向かって生きて行くことが大切です。

「失敗を恐れて行動しない人生」よりも、「失敗しても行動する人生」を選び取っていきたいものです。

「ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです」(ピリピ人への手紙3章13節~14節)。

神に祈り、神と共に試行錯誤しながら生きてまいりましょう。


?【動画メッセージ】は、停電が復旧したらまとめて送ります。

?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/zt8-VGDIHTc (夕方礼拝)


?【TV番組 説教収録(限定公開)
https://youtu.be/S_UtwAd8Pao(説教③)


??【大森駅 路傍伝道】
https://youtu.be/ZcGK65PK92I(正面)
https://youtu.be/zkUSQXby2Eo (側面)


?【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY


?「編集後記的メッセージ 『問題が起こった時、神に委ね、現象を味方につけて対応しよう』」

昨晩、教会を含む自宅の電源ブレーカーが落ちました。電灯やインターネットのルーターくらいしか電気を使っていなかったので、「おかしいな?」と思いましたが、何度復旧させようとしても、またブレーカーが落ちてしまいますので、真っ暗なまま早めに眠りにつきました。

今朝、東京電力に電話をしましたが、いくつかの子会社をたらい回しにされましたが、最終的に対応してくださり、今は、調査員の訪問待ちです。再び電話がかかって来て、「現在、漏電が多発していて、遅くなります」との連絡が来ました。

便利さに慣れてしまっているので、不便な状況に直面すると、「どうしよう?どうしよう?」と思ってしまいましたが、まずは、1日の大半が停電している北朝鮮の方々のことを思い出しました。また、3.11の東日本大震災後に停電したり、計画停電で不自由を感じた方々のことを思い出しました。さらに、昔の人たちのことを考え、特に、出エジプトして四十年間の荒野の放浪の旅をしたイスラエルの皆さんのことを考えていると、何でもないというところに思いが至りました。

次に、明日の日曜日の礼拝を電気設備なしに行う場合のことをシュミレーションしました。モバイルバッテリーで携帯を動かし、マイクや電子楽器を使わずに、生声とアコースティックギターで礼拝をささげ、その礼拝の様子を携帯で撮影し、後で関係各位に送り、YouTubeにアップロードしたら良いなどと考えているうちに、すべてを神様にゆだねて、現状を受け入れ、現状と戦うのではなく、現状を味方につけて対応したら良いと考えるようになりました。

私たちが行っている路傍伝道ネットワークでは、荒野の旅という活動を月に一度行っています。不思議なほどいろいろなことが起こりますが、その都度神に聴き、神の導きを受けて伝道をします。神様の導きを直接受けますので、計画して伝統を行うよりも遥かに素晴らしい活動になります。

私たちの人生において、想定外の青天の霹靂のような出来事が起こることがあります。その時、神に祈り、神に委ねて、現状を受け入れ、現状を味方につけて、一つ一つ神の導きを受けながら、一歩一歩進んでいきましょう。

今回の停電を通して、大切なことを学ばせていただきました。そして、解決の途上ですがメッセージを分かち合えることを嬉しく思います。

素敵な週末をお過ごしください。
 

7月2日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 7月 2日(金)09時03分27秒
  ?〈7/2(金)本日の一言メッセージ+動画+α〉

??「見なくても信じなさい」

イエス様の弟子のトマスは、不信仰の象徴です。

彼は実存主義者で、目で見、手で触らなければイエス様の復活を信じませんでした。

そのトマスが、「私の主。私の神」と言って、イエス様が復活されたと信じました。

イエス様はトマスに、ただ、「見ないで信じなさい」と言われたのではなく、十字架で釘づけられた手に釘の跡を見せ、その指の穴を見せられました。

やっと、トマスはイエス様だと認識出来ました。

イエス様は、高いところから、「ここまでのぼって来なさい。のぼって来られたら救ってあげよう」と言ったのではなく、トマスの居るところにまで降りて来られて、トマスがわかるように見せて、触らせました。

それでやっと信じましたが、それは信じたというより、わかって、納得して、認めたというレベルです。

イエス様は、その小さなトマスの信仰を受け入れ、それで良しとされました。

信じられないということの背後には何らかの理由があります。

心が頑なになった背後には、傷や失敗、痛み、悲しみなどがあったのではないでしょうか。

小さな子どもが泣き止まず、暴れて騒ぎながら、「バナナが食べたい」「チョコレートが食べたい」「アイスクリームが食べたい」と言って周囲を困らせている時、お母さんは、この子が昼寝をしていなかったことに気づいて、抱きしめながら、「後で食べようね」と言って、寝かしつけました。

子どもが泣き止まなかったのは、お腹が空いていたのではなく、疲れて寝たかったのです。

イエス様は、トマスが信じられない心の背後にある問題を知り、それを満たされたのです。

そして、その上で、「見ないで信じなさい」と言われました。

イエス様は、私やあなたのすべてをご存知であり、それを知った上で、その必要を満たして下さり、その上で、成長できるように導いて下さるのです。

今日、イエス様の元に行きましょう。

イエス様は、あなたを受け止め、必要を満たし、解決させて下さり、その上で、成長させて下さるのです。

イエス様はあなたを愛しています。


?【動画メッセージ】
「偶然か?必然か?」
https://youtu.be/tCvMCQPML9k


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/cuYmiQ0dbgU (朝礼拝)


?【TV番組 説教収録(限定公開)
https://youtu.be/6DmV4xMUekY(説教②)


??【東中野駅路傍伝道(後半)】
https://youtu.be/NEnZ0Su7yug (正面)
https://youtu.be/QgNgLibiltA (側面)


?【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY


?「編集後記的メッセージ 『蛇のようにさとさ』」

三食昼寝付きで、動物園のおりの中にいるライオンと、野生でたくましく生きているライオンでは、どちらが幸せでしょうか?

私たちはライオンではありませんが、試練の中に置かれ、問題に囲まれて、戦いながら生きていることは、決して不幸ではありません。

与えられた、今日を、今を感謝し、主と共に生きていきましょう。

車の安全運転は大切ですが、人生において、万事につけ安全運転が良いとは言えません。危険な冒険が良いとも言えませんが、安全だけを考えていたら、きっと何もできなくなってしまうでしょう。

今のところ、絶対安全な飛行機はありませんし、絶対安全な船はありませんので、外国に行けなくなります。

電車も事故に遭う可能性がありますし、道を歩いていてもトラブルに巻き込まれる可能性があります。

恐がらず、恐れず、強く生きていきましょう。

イエス・キリストは弟子たちに、「いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい」(マタイ10:16)と語られました。

これは、私たちが生きていく世界においても同じことです。

つまり、私たちを羊にたとえ、私たちが生きていく社会の中には、狼のような存在がいるのです。

そこで必要になるのが、「蛇のようにさとさ」と「鳩のようにすなおさ」です。

人が良く、純粋な「鳩のようにすなおさ」だけでは生きてはいけないのです。「蛇のようにさとさ」も同時に必要です。

聖書が語る「蛇」は悪魔を象徴します。アダムとエバを罪にそそのかした悪魔は、蛇の姿を取って人の前に現れました。

悪魔は狡猾に人をそそのかしました。欲に付け込んで、嘘の情報を信じ込ませ、聖書を改ざんして、まんまとエバを騙しました。

聖書は、「悪魔のように嘘をつき、人を騙し、悪に手を染めよ」と言っているのではありませんが、狼のような人の悪巧みを見抜き、騙されないような知恵を持つことが必要なのです。

現在、コロナのワクチンを打つべきか?打たざるべきかの議論がなされています。

マスコミの情報を鵜?みにし過ぎているのか?
Youtubeの見過ぎで洗脳されているのか?

私たちは、ワクチンを打つかどうかは、そんなに騒がずに、個人で考えて、決めたらいいのです。

そして、そんなことよりも大切なのは、神と共に歩むこと。そして、福音伝道をすることです。

ワクチン伝道者が多過ぎます。

なぜ、ワクチンの話題をやめて、イエス・キリストの福音を語らないのでしょうか?

ここに、「蛇のようにさとさ」が必要です。

今日の東京は、1日雨予報です。晴れの日は「ハレルヤ」ですが、雨の日も「ハレルヤ」であり、与えられた恵みの雨を感謝し、状況に逆らわずに、「アーメン」で行きたいものです。

本日16時から、東京都世田谷区の経堂駅で路傍伝道をします。お時間が許される方は、一緒に伝道をしませんか? またその場でお祈りをお願いします。

どんな時にも神を見失わず、神の心を心とし、神が命じられた「グレイト・コマンドメント」と「グレイト・コミッション」、つまり、隣人を愛し、福音伝道に生きましょう。

「蛇のようにさとさ」は、本質を見失わない聡さ、賢さ、知恵です。

素敵な1日でありますように。
 

7月1日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 7月 1日(木)11時43分43秒
  ?〈7/1(木)本日の一言メッセージ+動画+α〉

??「人を慰める力」

人からの相談を受けることがあります。その時心がけることは、自分のこととして向き合いながら相談に乗ります。

同時に、神様がどのような解決をしたいと願っているかを祈り聴きながら答えます。

自分自身が悩みの渦中にある時には、なかなかその苦しい状況から抜け出せないものです。

そこで助けになるのが、ただ問題の解決に焦点を当てるのではなく、苦しい気持ち、傷ついた感情に寄り添うことです。

感情の領域に慰めが与えられ、心がいやされると、正常な判断をし、自分の足で立ち上がっていけるものだからです。

そこで、痛み、悲しみ、傷つく体験が役に立ちます。

その経験を通して、神様から慰められ、神様から慰められた慰めを持って他者を慰めるようにと仕えることができるようになるのです。

『神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです』(Ⅱコリント1・4~5)。

もし、人から嫌な思いをさせられたとしたら、神に感謝して下さい。人を助けるための種が与えられたからです。

しかし、傷んだだけなら人を慰める力にはなりません。むしろ、慰めてもらいたいところに留まってしまいます。

神様からの慰めを祈り求め、その慰めを受け入れて下さい。

時間はかかりますが、徐々に心は慰められ、回復し、元気になります。

世の中は、悩んでいる人ばかりです。

その悩んでいる人を助けることができるというのは何と幸いなことでしょう。

神様が下さった、つらい、悲しい経験と、それに対する神様の慰めに感謝します。


?【動画メッセージ】
「ベテスダの池」
https://youtu.be/WfWoYAWlI8k


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/zt8-VGDIHTc (夕方礼拝)


?【TV番組 説教収録(限定公開)
https://youtu.be/Jk4ENKwzpgQ (説教①)


??【東中野駅路傍伝道(前半)】
https://youtu.be/Nodzasl7pNQ (正面)
https://youtu.be/i-wm3m-Q1PI (側方)


?【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY


?「編集後記的メッセージ 『休みと気分転換のススメ』」

昨日は、大森駅で約30年ぶり(下見を兼ねた伝道は半年くらい前にしましたが、本格的にしたのは四半世紀以上ぶり)の路傍伝道をしました。

変わってしまった部分と、変わらない部分があり、懐かしくもあり、新鮮でもありました。

都議会議員選挙の期間ですので、のぼりを立てて街頭演説をすると多くの人が興味を持ってくださいます。

「イエス・キリストは・・・」と言った途端、離れて行ってしまう人たちもいますが、路傍伝道は、「何人が集まってくださったか?」「何人が反応してくださったか?」「何人がチラシや聖書を持っていってくださったか?」「何人が救われたか?」「何人が教会に来られたか?」などでは計れない価値があります。

神様は、「何人を救いなさい!」とか、「大きな教会を建てなさい!」などと命じられませんでした。「すべての人に福音を伝えなさい!」とだけ命じられました。

神様の心を心とし、神様が命じられたことだけを行ったら良いのです。それがわかったら、多くのクリスチャンの方々が路傍伝道をする価値に気がついてくださると思います。

「菅野先生、路傍伝道を通して何人が救われましたか?」「菅野先生、路傍伝道をして何人が教会に来られましたか?」という質問が減り、「私も福音を伝えたいと思います」と言ってくださるようになるといいなと願い祈ります。

昨日の路傍伝道の後には、すぐに路傍伝道の機材やチラシやマンガ聖書などの荷物の引っ越しを行いました。3回分の仕事を1日で行いました。最後の運搬では、私の日産エルグランドが壊れそうなくらいの荷物を運びました。すべてのスペースに荷物をぎゅうぎゅうに詰め込みました。帰宅したのが午前3時頃でした。

今朝は、朝1番に、近くの学校に行って消防団の団員に与えられた救急講習を行いました。雨の中眠い目をこすりながら出かけましたが、教えているうちに元気になり、眠気は吹き飛んでしまいました。

教会の牧師をされている方の中には、牧師だけをし、聖書1冊しか読まないという方もいらっしゃいます。それで問題はないですし、むしろ最高です。牧師が世の中のことが詳しくなくても、聖書を良く知っているならば十分です。

しかし、伝える相手は世の中で生きていますし、世の中にどっぷり浸かっている方々です。世の中のニュースくらいは知っておいても損はありません。

次に、牧師だけという人は、案外、燃え尽きたり、うつ病になってしまう人がいます。それは、いつも同じことだけを考え、同じ世界の仕事だけをしていますので、気分転換ができないですし、仕事がうまくいかないと、それで心が病んでしまうのです。

私は、教会の働きのほかに、前述のように路傍伝道を年間150回程度行っています。また、消防団の活動や、防災士の活動、そして、キリスト教の教派や宗派を超えた活動などをやっておりますので、それぞれが気分転換になります。

気分転換がうまくできている牧師はいつも元気です。例えば、外国に出かけて行って伝道をしたり、外国のキリスト教の働きを学びに行く牧師は、行って帰って来るだけで、明るくなります。

今日、気分がうつ的になりやすい人、燃え尽きやすい人、イライラしやすい人、精神状態が安定しない人に2つのことをススメたいと思います。

①安息・休息

②人の役に立つためのボランティア活動やいろいろなところに出かけて気分転換をすることです。

今日も、2つのことを心がけながら1日をスタートしてください。

昨晩は、真夜中の午前3時に帰って来てすぐに布団に入り、朝起きてすぐに出かけたために、一言メッセージの配信が遅くなりました。

素敵な1日でありますように。
 

6月30日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 6月30日(水)09時03分7秒
  ?〈6/30(水)本日の一言のメッセージ+動画+α〉

??「弱さと向き合う」

神の永遠という大局から見て、すべてはうまく進んでいるのに、そのように感じられず、落ち込んでしまうことがあります。

悪魔は、一人ひとりの弱い部分を攻撃して心を萎えさせたり、罪の罠を仕掛けて倒れさせようと活動します。

神に頼り、神と共に戦っている時には、飛ぶ鳥でさえ落とすような勢いです。悪魔はそういう人を直接攻撃しないで、間接的に攻撃します。

その人が大切にしている領域を攻撃するのです。

例えば、家族を攻撃して怪我や病気にさせたり、仲間や友人を攻撃して誤解させて関係を壊したりします。

どんなに強い人も、どんなに自信に溢れている人も、必ず弱い部分を持っています。

悪魔は、その弱さに漬け込んで、人を倒そうと狙っています。

牧師やクリスチャンの働き人が狙われることがあります。それは、悪魔が嫌がることをしているからです。

特に悪魔が嫌がることは、人を愛し、神の愛を伝え、導くこと。伝道です。

悪魔は、人を自分の配下に置いておきたいのです。だから、人々が神に目を向けることに貢献する人を憎みます。そして、それをやめさせようと攻撃するのです。

しかし、神様の許しがなければ何も起こりません。

「二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません」(マタイの福音書10章29節)。

つまり、悪魔が攻撃することを神が許されているのです。

神は、悪魔の攻撃というマイナスを許すことで、人々が自分の罪深さと弱さを知り、神の下に立ち返り、神に頼るというプラスに変えられます。

神は悪魔を使って、弱い部分を神にさらけ出すようにさせて、その部分を強めたいと願っておられるのです。

だから、間違った対応をしないように注意しましょう。

神があなたを裁いたり、憎んだり、嫌っているのではありません。むしろ、神のラブコールなのです。

「あなたを愛しているよ」。
「私のもとに来なさい」。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタイの福音書11章28節)。

神が許される試練には、試練と同時に、逃れの道、脱出の道も用意されていますが、倒れない限界の、生きるか死ぬかの厳しいものであることがあります。

しかし、それくらいの試練を与えないと、私たちは、全面的に神様を呼び求め、頼ることをしないのではないかと思います。

「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます」(コリント人への手紙第一10章13節)。

神に立ち返り、神に頼りましょう。

そして、強さを誇ることをやめましょう。

私たちが誇れるものは、ただイエス様の十字架だけです。

そして、もう一つセットで誇れるものは、私の弱さです。

「しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです」(ガラテヤ人への手紙6章14節)。

「もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります」(コリント人への手紙第二11章30節)。

「しかし、私自身については、自分の弱さ以外には誇りません」(コリント人への手紙第二12章5節)。

「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう」「コリント人への手紙第二12章9節)。

人は自分の強さ、実績、能力を誇りたがります。

そして、イエス様の十字架や自分の弱さは恥であるとさえ感じます。

しかし、自分が何かできるというのは、神がそうさせて下さったのであり、人からお膳立てしてもらってのことであったり、誰かの犠牲の上に成り立っているようなものです。誇ってはいけません。

私を愛し、私をいのちの代価で買い戻し、救って下さったイエス様の十字架こそが誇りです。

そして、弱さは、私を傲慢から守り、神に頼らせることで、強くして下さるので、誇れるのです。

「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ」(箴言18章12節)。

「主我を愛す 主は強ければ 我弱くとも 恐れはあらじ」(賛美歌)。

すべては神の恵みです。神に感謝致します。


?【動画メッセージ】
「愚痴をやめると人生が変わる」
https://youtu.be/k6BVmxe_UbM


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/cuYmiQ0dbgU (朝礼拝)


?【TV番組 説教収録】
  https://youtu.be/u3YkZuvDk6o (説教④)


?【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY


?「編集後記的メッセージ 『試練を肉の働く機会とせず、神に近づく機会とせよ』」

試練の中で、霊的・精神的・肉体的にダメージを受けると、主によっていやされ、主に荷っていただかなければ、願っていなくても、結果として、人や自分を攻撃し、神に敵対する行動を取ってしまうことになります。

痛み、苦しみ、イライラを我慢するのではなく、主に申し上げ、主の手に委ね、そして、手渡しましょう。

我慢し、自分の力で何とかしようとするのは、肉の働きです。そこには解決がないばかりか、悪循環のサークルにはまってしまいます。

使徒パウロは、その悪循環のサークルにはまってしまって、もがき苦しみました。

「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか」(ローマ7:24)。

しかし、解決の糸口を見つけました。

「私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します」(ローマ7:25)。

「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです」(ローマ8:1~4)。

肉の働きを止めて、いのちの御霊を迎え入れ、頼ることです。そこに解決の糸口があり、完全な解決があるのです。

「肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。肉にある者は神を喜ばせることができません。けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです」(ローマ8:5~11)。

①「肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えます」「御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます」とあります。・・・考えを変えることです。

②「肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです」とあります。・・・肉、つまり、自分の力で何とかしようとしても、神に反抗し、神の律法に服従できないことを知ることです。

③そして、極めつけは、「肉にある者は神を喜ばせることができません」とあります。・・・肉の働き、つまり、神抜きの頑張りは、百害あって一利なしなのです。

④しかし、「イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです」とあります。・・・御霊を宿し、主として迎えるならば、死ぬべき体も、あらゆるすべての業も生かされ、完全な解決がもたらされるのです。

そのために、今置かれた場所を荒野とし、その荒野で主の恵みを受けることです。

「【主】はこう仰せられる。『剣を免れて生き残った民は荒野で恵みを得た。イスラエルよ。出て行って休みを得よ』。【主】は遠くから、私に現れた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた」(エレミヤ31:2~3)。

なぜ、主が遠くから現れるのでしょうか?

私たちの罪の性質、つまり、神を除外し、自分の肉(力)でことをなそうとする性質が神を遠ざけてしまっているからです。

荒野から主に助けを叫び求めてください。主は、遠くから現われ、近づかれ、あなたの中に入られて、神の恵み「ヘセド」(?????)を得られるのです。

「ヘセド」(?????)とは、契約に基づく神の恵みです。

神は、一方的に与えられた契約に基づいて、あなたに恵みを与えられるのです。

神の気分や、こちらの状況に左右されないのです。

今日、あなたの中に、神の恵みの支配が介入し、神があなたを愛し、祝福し、あらゆる問題を解決してくださいます。

試練を肉の働く機会とせず、神に近づく機会としてください。

素敵な1日でありますように。
 

6月29日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 6月29日(火)07時46分18秒
  ?〈6/29(火)本日の一言メッセージ〉

??「相手の得を考える」

相手の得を考える。これが私の仕事に関する基本的な考え方です。

牧師の仕事の一つは、人から色々な問題解決の相談を受けることです。その時、「相手にとって一番いいことは何だろう?」「どうしたら元気になってもらえるだろう?」と考えます。

ここで、「どうしたらこの人をうまく利用して自分の利益につながるだろう?」と考えていたら、相手に取ってありがたくない答えを出すことになると思いますし、「この人に相談をしても役に立たない」と思って離れて行くものです。

相手に取って一番いいことを一緒に考えてあげたら、その人はとても助かりますし、うれしくなります。その時私は損をするでしょうか? そうではありません。

①相手に役に立てたという充実感を感じられます。

②相手の問題解決を考える中で、その解決法が自分にも適用できるので、気がついたら自分の問題も解決してしまいます。

③相手は喜んでくれて、感謝してくれるので、良いお友達を得ることになり、自分を慕ってくれる仲間を得たことになります。

④ある場合は、帰りがけに感謝の献金をしてくれたり、お土産を持って来てくれることもあります。

⑤相手が教会の信者となり、教会を支えてくれることもあります。

⑥私は妻帯者ですが、独身で結婚相手を探している人なら、その相手が将来のパートナーになることもあります。

相手の得を考えて生きることはいいことずくめです。

相手の得を考えたならば、第一に相手がうれしくなり、同時に、相手の喜んでいる姿を見て自分もうれしくなります。これだけで、人生は幸せになるものです。

「相手の得になることだけを考える」のは、どんな仕事にも適用・応用ができ、即役に立ちます。

サラリーマンなら、上司・同僚・部下の利益だけを考えて仕事をしてみて下さい。きっと最短で出世して行くか、そうでなくてもかけがえのない存在として愛され、かわいがられるでしょう。必ず良いものが帰って来ます。上司から信頼され、同僚に好かれ、部下から慕われたら、その職場は天国のように感じられるのではないでしょうか?

セールスマンならどうでしょうか? 相手のニーズを知り、相手がいかに得をするかを考えてセールしたら、相手はとてもうれしい気持ちになると思います。そして、あなたを信頼するようになり、好意を持ち、感謝をして、最後には、あなたが売っている商品を買ってくれることも稀なことではありません。

政治家はどうでしょうか? もし政治家が、人々が良い生活ができることだけを考えて体を張って働いていたとしたら、その思いが必ず伝わり、応援し、支援する人が段々増えて行くものだと思います。しかし、そういう思いを持たない人が、ある日総理大臣になったら、真の姿が国民の前にさらされてしまうことがあります。

私は、ネットで文章を投稿する理由は、相手に取って何が有益で、何が助けになり、どんなことを書いたら気持ちが軽くなり、救われるか?を考えながら準備をします。

牧師の仕事全般も同じです。もちろんその思いは完璧ではありません。自己中心的な思いに傾いてしまうこともあります。しかし、方向は、相手の益をいつも考えています。その時私は、何ともいえない幸福感を感じます。

相手への肯定的な思いは、まず私の心を通過して行きますので、通過している段階から幸せです。そして、その思いは相手に流れて行った時に、幸せを感じてもらえるとしたら、その人が幸せになって、幸せな顔をしていたら、その顔を見た私は幸せになり、幸せを感じた人と一緒にいる私は、さらに幸せになります。幸せな人は、何をしても、何をしなくても周りを幸せにしてしまうものです。

最後に、どうしたら、人の得、人の益ばかりを考える生き方ができるのでしょうか?

あなた自身の得や益だけを考えてくれる人との出会いが鍵です。その人に出会ってもらうために私は毎日生きています。その方はイエス・キリストです。こんな方は世界中どこを探してもいません。

そんな愛と善意と優しさに満ちた方が十字架にかけられて殺されました。それは、私やあなたの罪、全世界の罪が十字架上で背負って身代りに死なれたのです。

傷ついた人は、他の誰かを傷つけることで自分の傷をいやそうとします。それがいじめの一つのカラクリです。

いじめっ子は、かつていじめられっ子だった場合が多いそうです。私の傷、怨念、怒り、悲しみ、どうすることもできない悶々とした感情は、キリストが引き受けて下さいます。

「重荷を負って苦労している人は私のところに来なさい。私があなたがたを休ませてあげよう」と、キリストはあなたを招いています。

今日、あなたの心の重荷、孤独、傷の全てをキリストに引き受けて頂きませんか?

あなたが愛された経験を持ったら、別に無理をしなくても、気がついたら愛の人になって行くものです。人は、いつも一緒にいる人に影響され、似て行くものです。似た者夫婦は良い例です。

目に見えませんが、イエス・キリストを信じ、イエス・キリストと共に歩んだら、きっと、気がついたら、あなたは人の得や益だけを考える人になり、その生き方はあなたに好循環と幸せと祝福をもたらせ、毎日の生活が天国のようになり、豊かな毎日を生きる人になることと思います。

私は、まず聖書のゴールデンルールである「自分がしてもらってうれしいことを他の人にもしてあげなさい」という教えを実行しようとする前に、あなたを愛して下さるイエス・キリストと出会い、その方との交わりを深め、いつも共に歩んでもらいたいと思います。

そうしたら、生き方は、気がついたら変わって来るものです。一緒に、幸せな毎日を生き、この世界に幸せをまき散らし、幸せな地球、日本、町、家庭を作って行きたいですね。いつもみなさんに心から感謝をしています。ありがとうございます。


?【動画メッセージ】
「アダムの墓」
https://youtu.be/496oUF9GWgk


?【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/zt8-VGDIHTc (夕方礼拝)


?【TV番組 説教収録】
https://youtu.be/h-20EUCa1Rw (説教③)


?「編集後記的メッセージ 『理想と現実のギャップを神にゆだねて、夢に向かって進め!』」

理想と現実のギャップに苦しむことはないでしょうか。

毎日聖書を読むと、そこには理想の世界が描かれています。しかし同時に、その光の部分と共に、陰の部分もそのまま描き出されています。そこが聖書の素晴らしさです。

理想を追い求めることはとても大切です。しかし、理想と現実に大きなギャップがあることに気がつくはずです。

その時、現実から目を背けるのでしょうか? それとも、理想を捨てるのでしょうか? 「まあそんなものだ」とあきらめるのでしょうか?

使徒パウロが語った言葉の中に、生きるべき姿が描かれています。

「私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。もし、あなたがたがどこかでこれと違った考え方をしているなら、神はそのこともあなたがたに明らかにしてくださいます。それはそれとして、私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです」(ピリピ3:10~16)。

①キリストの復活を知り、キリストと共に死に、キリストと共に復活することを追い求める。

②すでに得たのでもなく、すでに完全にはなっていないけれど、その理想を追い求め続ける。

③それをさせてくださっているのはキリストであり、そうできるようにキリストが私を捕らえてくださっている。

④後ろのものを忘れ、神の栄冠を受けることを目指して走り続けている。

⑤これがクリスチャンの生き方であり、神がそれを教えてくださる。

⑥しかし、達し得たところを起点としてすることを忘れてはいけない。

私の人生は、苦難と葛藤の連続でした。そして、それは今も続いています。

神が召して下さった召命と使命に従って夢を描き、その理想を追い求めていても、そこに一向に到達できていないと感じるからです。

しかし、それでもあきらめないで、理想を追い求めて来られたのは、一重に神の恵みです。

昨日、路傍伝道ネットワークの5人のスタッフで力を合わせて、新聞の折り込みと発送作業を行いました。途中で入りはありますが、9時間という長時間の作業でした。

その間、単純作業をしながら、いろいろなことを語り合える交わりがかけがえのない祝福です。

(ソーシャルディスタンスを保ち、マスクをし、換気をし、疾病感染拡大防止に務めながら、安全な状態での作業です)

昨日発送の新聞は45号です。神様と多くの人の助けを得ながら発行を続けて来られたことに感謝をしました。

それから、理想とは程遠いですが、毎月のようにTVやラジオで説教をしていますし、ストリートライブと街頭演説とチラシ配布や個人伝道などを通して路傍伝道をしています。また、YouTuberとなり、毎日動画を配信し、毎日このような文章を書いてメルマガを配信していることを思う時に、神様が、あらゆる方法で私を用いて伝道をさせてくださっていることに、ふいに気づき、感謝をささげました。

理想と程遠かったとしても、神様がくださった召命と使命という理想の状態、そして、神様の愛に満ちて、栄光から栄光へと主と同じ姿に変えられるゴールを追い求めながら生きることで、あきらめてしまうことに比べたら、少なくとも、理想に近づいています。

そして、イエス様が、理想と現実のとのギャップをつなぎ、埋めてくださり、向かわせてくださると信じます。

現実は、甘くありません。厳しいです。しかし、夢を捨てず、夢をあきらめないで、今日も主と共に生きていきたいと思います。

使徒パウロは、「成人である者はみな、このような考え方をしましょう。もし、あなたがたがどこかでこれと違った考え方をしているなら、神はそのこともあなたがたに明らかにしてくださいます」と語ります。

素敵な1日でありますように。
 

6月28日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 6月28日(月)08時47分21秒
  ? 〈6/28(月)本日の一言メッセージ+動画+α〉

??「心を立て直し、研がれ、強くされる」

阪神淡路大震災が起こった時に、私はボランティアで復興支援活動に出かけました。

駅舎が倒壊し、高速道路の橋桁が横倒しになり、家も瓦礫と化していました。

そんな状況の中で、「一体、私に何かできるだろうか?」と無力感を感じました。

私の当時の活動は、主に慰問コンサートでした。

当時、二十歳そこそこの私たちの歌と演奏が何に役に立っているのかわかりませんでしたが、そこに集まってくれる人たちの中の一人が、「家が崩れて、家族が亡くなり、私の心も崩れてしまいました。しかし、東京からわざわざ私たちのために来てくれて、励ましてくれている姿を見て、心がいやされて、心が立て直されています。ありがとうございます」と言って下さいました。

人は、実際の仕事をする前に、自分自身の心が立て直され、強くされなくてはいけません。

今日、あなたの心は立て直されて、強くされていますか?

聖書を読み、祈ることで、神様によってあなた自身が立て直され、強めていただくための時間を設けて下さい。

あなた自身が強められ、満たされた分だけ、仕事が楽しくなり、ゆとりが生まれ、はかどっていくのではないでしょうか。

切れの悪い斧で木を切り倒すよりも、斧を研いで切れ味を良くしてから木を切った方が仕事が楽になり、効率的になるように、あなた自身を主の手によって整えていただきましょう。


?【動画メッセージ】
「苦難の道を追体験」
https://youtu.be/wrjKzi59Kqo


?【中野駅北口2階デッキ 路傍伝道】
https://youtu.be/8X9Aq-OICnA (中盤)
https://youtu.be/DiP04OQ9gP4 (後半)


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/cuYmiQ0dbgU (朝礼拝)


?【TV番組 説教収録】
https://youtu.be/6Lli2UxiCwk (説教②)


?「編集後記的メッセージ 『必要なのは知恵』」

あるクリスチャンは、毎週の礼拝で聖書の話を聞いているので、十分に知識を持っているはずなのに、「まだ足りない、まだ足りない」と知識を増し加えようとしていました。

ある時分かりました。その人は、知識が足りないのではなく、知恵が必要なのです。

ダニエル書に登場する3人のユダヤ人の「シャデラク、メシャク、アベド・ネゴ」は、ネブカデネザル王が建てた金の像を拝まないことで、王を怒らせました。そして、火の燃える炉の中へ投げ込まれることになりました。

「『もしあなたがたが、角笛、二管の笛、立琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音を聞くときに、ひれ伏して、私が造った像を拝むなら、それでよし。しかし、もし拝まないなら、あなたがたはただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。どの神が、私の手からあなたがたを救い出せよう』。シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴはネブカデネザル王に言った。『私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません。もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません』」(ダニエル3:15~18)。

ここで、「シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ」が持っていた知識がもたらす考えと行動は、
①王が建てた金の像を拝まないと、王は怒り、火に投げ込まれる
②もし火に投げ込まれたら、その熱によって焼け死んでしまう
③命あっての物種。死んでしまっては元も子もない。神に仕えられなくなってしまう。
④形だけでもいいから、金の像を拝んだ方が良いのではないか?

知識だけならば、「シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ」は、罪を犯し、神に背き、長い物に巻かれて終わったことでしょう。

しかし、「シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ」には知恵がありました。その知恵がもたらした考えと行動は、
①(上記の)事実を直視し、その最悪を受け入れた上で
②私たちは、神に対して罪を犯すことはできない
③神に従うなら神が必ず守ってくださる
④もし火で焼かれたとしても、人に従うよりも、神に従うべきだ
となります。

「シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ」は、知恵によって信仰の戦いに勝利し、神に従い通すことができたのです。

知識は必要です。しかし、知識をいくら持っていても、それが力になるとは限りません。しかし、そこに知恵があるならば、その知識が生かされます。

Youtubeに没頭して、「コロナが怖い」「ワクチンが怖い」「チップが埋め込まれるから怖い」「666の刻印をおされるかも知れないから怖い」「オリンピックをしたらパンデミックになるから怖い」と、その情報という知識に振り回されている人が多くいます。

知識だけならば、その人を恐れでがんじがらめにしまってしまうだけです。

知恵は、聖書であり、神ご自身への信仰によって与えられます。知恵があるならば、振り回されることなく、冷静でいられるし、正しい、適切な判断をすることができます。

例えば、レンガを山のように持っていたとしても、それが瓦礫の山のように積み上げられているだけならば、ゴミに過ぎず、何の役にも立ちません。しかし、きちっとした設計図に従ってレンガを積み上げるならば、立派な家が建ちます。

冒頭で取り上げた人は、知識をたくさん持っているのに、知恵がないばかりに、その知識が生かし切れていなかったのです。

その人に必要なのは、さらなる知識ではなく、その知識を生かす知恵だったのです。

ソロモンが、イスラエルの三代目の王となった時、主は夢のうちにソロモンに現われて、「あなたに何を与えようか。願え」と言われました。ソロモンは、「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心を与えください」と願いました。ソロモンの願いは主の御心にかないました。主は、「知恵の心と判断する心」とを与えると主は約束し、さらに「富と誉れ」をも与えると約束されました(列王記上3:1~14)。

私たちは、さらなる知識を求めるよりも、ソロモンが主に求めたように、知恵を求めたいものです。

現在、知識ならば十分に持っているのではないでしょうか。しかし、その知識はレンガの瓦礫の山のように有効に活用できていないのかも知れません。そうだとしたら、必要なのは知恵なのです。

聖書は、「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます」(ヤコブ1:5)と語ります。

知恵を頂き、その知恵を活用していくならば、あなたが持っているすべての知識が輝き出し、生かされていきます。

そして、一言メッセージで取り上げたように、あなた自身が整えられ、築き上げられていくことになるでしょう。

素敵な1日でありますように。
 

6月27日 本日の一言メッセージ+動画+α

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 6月27日(日)09時13分45秒
  ?〈6/27(日)本日の一言メッセージ+動画+α〉

??「試練は祝福の時」

今日は、試練の素晴らしさについて考えてみたいと思います。

人は、ある時、自分の本当の姿をさらすようになります。特に、力を握った時です。

状況が変わることで、態度を変貌させる人を見たことがあるでしょうか?

力のある人の前ではへつらい、力がない人の前では横柄に振舞う人。

普段おとなしいのに、車のハンドルを握ると性格が変わって、乱暴な運転をする人。

選挙の前には腰が低いのに、当選してしばらくすると威張る政治家。

人気が出る前と売れるようになった後で態度が変わる芸能人、歌手、俳優、著名人。

まじめで品行方正だった人が、力を握った後に汚職に手を染めたり、贈収賄で逮捕されたり、スキャンダルまみれになる人。

人は、お金、権力、成功、名声、力、実績などを得た時に、隠れていた本当の姿を現します。

なまじっか苦労しないで成功したり、親の七光りによって苦労知らずのおぼっちゃん、若い時に才能が認められて有名になった天才少年など、人格が整えられる機会を通らないで力を得て、有名になって、スポットライトが当てられた時に醜態をさらしてしまう人がいます。

反対に、なかなか日の目を見ず、うだつが上がらず、試練続きで、「何で私ばっかり貧乏くじを引かなければならないの!?」と感じる人がいたとしても悲観しないで下さい。

試練の時に、人格が磨かれ、整えられ、鍛えられるからです。人生が思い通りにならなくても感謝し、喜んで下さい。今が、人生の中で最も重要なプロセスを通っているからです。

人格と器が整えられてから、力を得たら、鬼に金棒のように力強く、何をしても栄え、素晴らしい働きをする人になります。

東京スカイツリータワーを見に行ったことがあります。とても感動しました。スカイツリーは、地上に出ている部分だけではなく、タワーを建てる前に、深く深く地下を堀り、そこに土台を据えています。

試練の時は、人生で大きな働きをする前の土台作りの時です。このプロセスをバイパスして、苦労をしないで成功したいと思うものですが、土台がなしに高い建物を建てることが危険なように、人生で大きな働きをする人は特に、自分自身の土台作りに力を入れなければなりません。

思い通りに行かない時、傲慢な自我が砕かれ、忍耐が身に付きます。そして、本当の自分を知り、自分を受け入れ、謙遜になり、人格が整えられるのです。

聖書には、「あなたの始めは小さくても、その終わりは、はなはだ大きくなる」(ヨブ記8:7)。

また、「イエスは、・・・たとえを彼らに示して言われた。天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります」(マタイ13:31~32)と書かれています。

はじめは小さくても、後や終わりに大きくなり、栄えるならば素晴らしいことです。日本のことわざで、「終わり良ければすべて良し」と言われますが、本当ですよね。

最初うまく行っても、後で取り返しのつかない失敗をしたり、全てがなし崩しになってしまったり、壊れてしまったとしたらとても残念ですし、悲しいことです。

長い試練を経験したとしても、人格が磨かれ、整えられ、鍛えられて、その後に素晴らしい働きをすることが理想です。

自分の先を越して行った同僚、後輩、うまく出世したように見える人を見て、自分と比較してあせったり、妬んだりする必要はありません。

「人は人」「自分は自分」です。与えられた自分の道を一歩一歩、真っ直ぐに進んで行って下さい。

「ダニエルよ、あなたの道を行きなさい。・・・終りまであなたの道を行きなさい」(ダニエル12:9)と聖書は語ります。

神様はあなたにも、「あなたの道を行きなさい。・・・終りまであなたの道を行きなさい」と語っておられるのです。

「千里の道も一歩から」です。今日も良い一日でありますように。


?【動画メッセージ】
「さよなら、クヨクヨ人生」
https://youtu.be/wBjAU1Bztzk


?【中野駅北口2階デッキ 路傍伝道】(後半)
https://youtu.be/MPTOmnoeBSs (側方)
https://youtu.be/8lk_0TEEJ4o (正面)



?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝(生放送)】
朝10時30分~ / 夕方16時30分~
https://sgr-ch.net



?【TV番組 説教収録】
https://youtu.be/GSO5W2lFUGY (祈り)
https://youtu.be/BYiPBvjiyt4 (説教①)


?「編集後記的メッセージ 『真の現実主義者になろう』」

アブラハムは、神様から「今住んでいる地を離れて、わたしが示す地に行け」とだけ言われて、旅に出ました。

現在と違って昔は、旅に出るということは一大決心でした。

アブラハムは旅先で、自分の命を守るために、妻に「私の妹だと言っておくれ。そうでないと殺されるかも知れないから」と頼みました。

普通に考えたら、ずいぶんひどいことをするなと感じるかも知れません。

神から与えられた命令を実行するには、命あっての物種です。

アブラハムの立場に立ち、あなたがその場にいて、アブラハムとは違うもっと模範的な態度が取れるなら、それは神から与えられた信仰と勇気ですので、感謝すると共に、その時、はじめて批判できることでしょう。

私たちの人生は、きれいごとでは済まされません。

簡単に権力者を批判する人がいますが、自分が権力者の立場に立っているならば、同じか、もっとひどい態度を取ったかも知れないという謙遜な洞察力を持つことが必要です。

アブラハムは、現実的な人でした。だから、子がいないので、世継ぎを得るために奴隷の側女を通して子をもうけました。

アブラハムにただ一つ問題があるとしたら、現実的であるのは素晴らしいですが、その解決を神がしてくださるというところにまで思いが至らなかった点です。

後にアブラハムは、モリヤ山で正妻から生まれたイサクをささげました。神は、その信仰から出た行動を見て良しとされ、義と認められました。

人は成長するのです。

人を簡単に批判できる人は、案外、試練を通過していない人かも知れません。

試練が与えられたら、試練と向き合い、その中で葛藤しながら前進することです。

しかし、その時に大切なのは、神を信じ、神を迎え入れることです。

そして、あきらめないことです。

失敗しても、七転び八起きで立ち上がり、また神と共に前進することです。

それが真の現実主義者です。

あなたの歩みに主が共にいてくださいます。祝福を祈ります。
 

6月26日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 6月26日(土)11時37分7秒
  ?〈6/26(土)本日の一言メッセージ+動画+α〉

??「今というスタートラインから歩もう」

人生はいつも今日がはじまりです。

昨日は過去であり、過ぎ去りました。明日は未来であり、まだ来ていないし、来る保証はありません。生きられるのはいつも今日だけです。

今日の今をスタートラインとして、生きていきましょう。

そのためには、ありのままを受け入れることが大切です。

ありのままの自分を受け入れ、自分の状況を受け入れ、自分を取り巻く世界を受け入れるのです。

未来に理想を追い求めることは大切てす。しかし、過去や現在に理想を求めても酷な話です。

今を否定することをやめて、自分の力で変えられないものを受け入れる柔軟さを持ちたいです。

もちろん、変えられるものに関しては変える勇気を持ちたいです。

その両者を見分ける知恵を神に祈り求めましょう。

ニーバーの祈りは、それらのことを思い起こさせてくれます。

《ニーバーの祈り》

神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えて下さい。

一日一日を生き、
この時をつねに喜びをもって受け入れ、
困難は平穏への道として受け入れさせてください。

これまでの私の考え方を捨て、
イエス・キリストがされたように、
この罪深い世界をそのままに受け入れさせてください。

あなたのご計画にこの身を委ねれば、あなたが全てを正しくされることを信じています。
そして、この人生が小さくとも幸福なものとなり、天国のあなたのもとで永遠の幸福を得ると知っています。

アーメン

今というスタートラインに立ち、神と共に前進していきましょう。

「確かに、今は恵みの時、今は救いの日です」(コリント人への手紙 第二6章2節)。

「ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み」(ピリピ人への手紙3章13節)。


?【動画メッセージ】
「笑顔の範囲で生きる」
https://youtu.be/OlWKODkPTv0


?【中野駅北口2階デッキ 路傍伝道】(前半)
https://youtu.be/w92jdn9H6mU (側方)
https://youtu.be/rCWeFTxoV6E (斜め)
https://youtu.be/m8uF-aG5u2g (正面)


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/yiWzIhhQCSI (夕方礼拝)


?「編集後記的メッセージ 『未来ワクワクしながら、今を懸命に生きよう』」

聖書には、絶対絶命と思えるような試練が数多く書かれています。直視したくないような、スリリングでシリアスな内容がそのまま描かれています。

例えば、エステル記です。ユダヤ民族滅亡の危機に瀕して、そこから1つ1つ面白いように状況がひっくり返って行き、ついには、ユダヤ民族絶滅を企てたハマンは、それを阻止しようと働いていたモルデカイがつけられて殺されようとしていた木にかけられて殺されました。

字体は逆転しました。こんな痛快なストーリーはなかなかありませんが、何十回も聖書通読をしていますが、読むたびに、ワクワクし、胸のすくような爽快感を味わうことができます。

読むたびにワクワクする理由は、結末がわかっているからです。

私たちの人生の結末も、ある意味わかっているに等しいのではないでしょうか?

神様は最善以下をなされません。そして、私たちにハッピーエンドの人生脚本を備えておられるのです。

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──【主】の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」(エレミヤ29:11)。

もちろん、私たちが願った通りのハッピーエンドとは限りませんし、イエス様弟子であり、使徒たちの大半は殉教の死を遂げています。それは、果たしてハッピーエンドなのでしょうか?

聖書は、ハッピーエンドだと断言します。

人生は1回限りですが、この地上の人生がすべてではありません。むしろ、この地上の人生は永遠の天国の準備期間なのです。人生を、この地上+永遠の天国だと考えた場合、事実そうなのですが、見方はまったく変わってきます。

神は、この地上+永遠の天国を人生と考え、さらに、永遠という視点から俯瞰して物を見、かつ、神から見た最善を行ってくださるのです。

神を信じるとは、神が良いお方であり、神は最善以下を決してなさらないと信じることも含まれるのです。

神を心から信頼し、未来をワクワクしながら、今日の今を精一杯生きて参りましょう。

今日私は、安息をしながら説教準備をし、明日の日曜日の準備をします。

あなたはどんな1日でしょうか? 与えられた使命を生きて参りましょう。
 

6月25日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 6月25日(金)07時14分49秒
  ? 〈6/25(金)本日の一言メッセージ〉

??「言葉の力」

フランスに、「思いやりは友をつくる。しかし、真実を言うことは敵をつくる」という諺があります。

たとえ真実でも・・・、

1、言ってはいけないことがあり
2、言わない方がいいことがあり
3、言わなくてもいいことがあります

一瞬でも深呼吸をし、祈ってから話しても遅くはありません。

怒りや憎しみの感情に任せて言葉を発しても、争いを生じさせたり、マイナスの結果を招く可能性が高いものです。

冷静になり、「言わなければ良かった!」と、後悔しても、覆水盆に返らずです。

口から出る一つの言葉が、人を生かすこともありますが、人を殺すこともあるからです。

4、言ってあげた方がいいことがあり
5、言ってあげたことでその人が救われることもあります

聖書は、言葉について以下のように語ります。

「私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。馬を御するために、くつわをその口にかけると、馬のからだ全体を引き回すことができます。また、船をみなさい。あのように大きな物が、強い風に押されているときでも、ごく小さなかじによって、かじを取る人の思いどおりの所へ持って行かれるのです。同様に、舌も小さな器官ですが、大きなことを言って誇るのです。ご覧なさい。あのように小さい火があのような大きな森を燃やします。舌は火であり、不義の世界です。舌は私たちの器官の一つですが、からだ全体を汚し、人生の車輪を焼き、そしてゲヘナの火によって焼かれます」(ヤコブの手紙3章2節~6節)。

口や舌を、
①「馬を御するくつわ」
②「船のかじ」
③「森を燃やす小さな火」
の3つにたとえました。

言葉はとても大きな影響力を持っています。

上記の1~3と4~5を見極めることができる知恵と思いやりの心が与えられるようにお祈りをし、素敵な人間関係を作り、人間関係を深めて行きましょう。

今日も、素敵な一日でありますように。


?【動画メッセージ】
「順境の日、逆境の日」
https://youtu.be/9ICszUFhinQ


?【御茶ノ水駅前 路傍伝道】(後半)
https://youtu.be/phmwrZOacqM (正面)
https://youtu.be/DmfVOa-g3EQ (側方)


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/Ppl6jf5Ipfc (朝礼拝)


?「編集後記的メッセージ 『祈るゆとりを持とう』」

言葉を発するということは、非常に難しいことです。相手を傷つける意図はなくても、相手の心を深く傷つけてしまうことがあります。

人から傷つけられた人は、それを体験していますので、どうしたら傷つくのかを知っています。

そしてその傷に対する痛みや怒り、憎しみが残っていると、無意識に受けた傷を人に与えてしまうことがあります。

傷が深いと、その感情と向き合うことすらすぐにはできないこともありますが、直視し、向き合い、そこにイエス様を迎え入れて、傷をいやす必要があります。

心がいやされ、健全であると、人を傷つけることを言う可能性が低くなります。

その上で、さらに、語る言葉に注意をしたいものです。

私は、毎日、文章をはじめ、言葉を発しています。注意をしても失敗してしまいます。

失敗した時に、そういう意図で言ったのではないことを伝えられれば覆水盆に返すこともできますが、そうでないこともあります。

言葉は、諸刃の剣です。すぐに返答をする必要があっても、祈ることを忘れないようにしたいものです。

「そんな簡単なこと?」と思われるかも知れませんが、そんな簡単なことなのです。
 

6月24日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 6月24日(木)07時49分55秒
  ?〈6/24(木)本日の一言メッセージ〉

??「心の方向転換をしよう!」

物事がうまく行かない時に、不平不満を言う癖はないでしょうか?

もし、そのような習慣があるならば、言ったことでプラスになったと感じたことはありますか?

不平不満を言うもっともな理由はあると思います。しかし、この癖は事態をますます悪化させるだけです。

それより、ありのままの状態を受け止めて、事態を好転させることに力を入れたらいいのです。

不平不満を言う時は、人生の暗い部分、陰の部分を見ているものです。

陰の180度反対側には光があります。

向日葵(ひまわり)の花は、太陽に向かって向きを変えながら咲きます。私たちも、向日葵のように明るい方向に向かって向きを変えながら生きていきたいものです。

聖書が教える「悔い改め」は、「心の向きを変える」ことです。

「闇から光」に、「悪魔から神」に、「病気から健康」に、「問題から祝福」に心の向きを変えましょう。

イエス・キリストは、「悔い改めなさい。天国が近づいたから」と叫びました。

「天国が手を伸ばせば届く所にあるから、心の向きを変えて受け取りなさい」ということです。

そこには、罪の赦しがあり、健康があり、祝福があり、天国があります。手を伸ばせばそこにあり、それはあなたのものです。

イエス・キリストは、十字架であなたが必要としている良いものを与えて下さいました。もう不平不満を言う必要はないのです。

不平不満を言う癖を終わりにし、心の向きを変えて、感謝と喜びを口にしましょう。

あなたの気持ちは幸せになり、事態は好転し、最高の人生がはじまります。

素晴らしい1日でありますように祝福を祈ります。


?【動画メッセージ】
「愛を持って生きて行こう」
https://youtu.be/oUooJ-0ygGk


?【御茶ノ水駅前 路傍伝道】(前半)
https://youtu.be/nbMSecTtplY (正面)
https://youtu.be/7DNTUkOxMWk (側方)


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/yiWzIhhQCSI (夕礼拝)


?「編集後記的メッセージ 『悔い改めとは?』」

「悔い改め」は、「罪を悔いて、そして、生き方を改める」という印象を受けやすいと思いますが、今日の一言メッセージで取り上げたように、もっと本質的なことです。

ギリシャ語の原文では【μετανοέω】「メタノエオー」で、ヘブル語の原文では【?????】「シューブ」で、意味は、「立ち返る」「向きを変える」です。

神に帰ることなのです。

難しく考えずに、祈りを通して、心の向きを神に向け。神に近づいていきましょう。

「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい」(ヤコブ4:8)。

①神に近づくならば、神が私たちに近づいてくださいます。神は私たちが神に向き、神に近づくことを待っておられるのです。

②神に近づくということは、神でないものから向きを変えるということです。神と世、神と罪、神と悪魔、神と欲望の二つを同時に求めるのではなく、神だけを求めることです。

③その結果、考え方、語る言葉、生き方が変わっていくのです。

至ってシンプルです。

つまり、猛烈に悔いて、反省しても、心の向きが変わらないならば、考え方は以前と同じなので、生き方は変わらないし、変われないし、変わりたくもないし、変わる気もないのです。

今日、今朝、今、向きを変えて出発しましょう!

https://sgr-ch.net/

 

6月23日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 6月23日(水)06時15分38秒
  ?〈6/23(水)本日の一言メッセージ+動画+α〉

??「すぐに判断しない」

「すぐに判断しない」と聞いて、「優柔不断のすすめ」のように聞こえるかも知れませんが、そういうことではありません。

目の前にある問題に対して、すぐに決断をしなければならない時があります。しかし、無理に決断するよりは、とりあえず棚上げして、祈り、ニュートラルにしておいた方がいい時もあります。

中国にこんなお話があります。

片田舎に一人の男性が住んでいました。ある日、彼は名馬を手にします。それを見た隣人は、「おめでとう、素晴らしくいい馬だね。君はラッキーな男だ」と祝ってくれました。

しかし彼は、「このことが良いって、どうしてわかるんだい?」と答えました。目の前のできごとに対して、すぐに「良い?悪い?」の判断をしない人でした。お祝いに来た隣人は、彼のことを「変なヤツ!」と思いました。

しばらくして、王様が近くを通り、その名馬に目を留めます。あまりにすばらしい馬なので「この馬を手に入れたい。お金はいくらでも払おう」と男に申し入れました。それを聞いた隣人は「良かったね、これで君も大金持ちだ」と言いました。

ところが彼は、「私にとってこの馬は家族同然、手放すわけにはいかない。王様、お金で交換できるものではありません」と、いとも簡単に断ってしまいました。

「バカだなぁ、こんなにいい話を断っちゃって・・・、大金が入るはずだったのに台無しだ!」と隣人はまた「良い?悪い?」を判定しました。

すると彼は、「どうしてこれがバカなことだってわかるんだい君?」って答えました。

翌日、その馬が逃げてしまって、いなくなりました。隣人は、「ほら見ろ。だから言ったじゃないか、売っていれば大金持ちになれたのに、馬もいなくなった。お金も手に入れ損なった。かわいそうなヤツだ!」と言いました。

彼は、「どうしてこれが、かわいそうなことだって、君にわかるんだい?」って聞き返しました。

事実は、昨日までいた馬が、今日はいないということだけ。隣人は、それに対しても「良い?悪い?」を判断しました。

半年後、その逃げ出した馬が子馬を連れて戻ってきました。隣の人は「ツイてるね君は!」と祝ってくれましたが、

彼は、「一頭だった馬が二頭になった。これは事実だけど、それがいいかどうかはわからない。どうしてあなたはこのことがツイていると判断できるんだい?」と答えました。

しばらくして、息子が子馬に乗って遊んでいたら、振り落とされて足が不自由になってしまいました。隣の人が「気の毒に、息子さん、かわいそうにな」と同情しました。

彼は、「骨折して足が不自由になったことが、どうしてかわいそうだって、あなたにわかるんだい?」と聞き返しました。

突然、隣の国との戦争が起こりました。隣人の家の息子さんは徴兵されて、戦死して帰らぬ人になりました。隣人は、「君はラッキーだね、君の息子は落馬して足を折ったおかげで徴兵を免れて、今も元気に生きている。私の息子はいなくなってしまった。私はなんて不幸なんだ・・・」と言ったが、

彼は、「どうして、それが不幸なことだってわかるんですか?」と聞きました。

あるできごとに対して、拙速な判断が良いとは限りません。

「良いか?悪いか?」「黒か?白か?」でだけでは割り切れないことがいくらでもあります。

そして、本当の意味で、「良いか?悪いか?」「黒か?白か?」を判断するのは神様です。

目を閉じて心の目を開き、限りあるこの地上から永遠に目を向け、あなたを造り、あなたを導いておられる全能の神に聴いてみて下さい。

聖書は、「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」(ローマ人への手紙8:28)と語ります。

神はマイナスをプラスに変えて下さるお方です。マイナスであっても、それが共に働いてプラスに変えて下さるのが神様です。

神に信頼し、神に聴くならば、全てのことが共に働いてプラスになっていることがわかるので、すべてを感謝するのが一番です。

プラスのことはプラスですが、マイナスもプラスに変わるからです。ピンチこそチャンスです。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」(Ⅰテサロニケ5:16~18)。

心のスイッチを神に切り替えて、喜び、感謝し、祈りながら、良い一日をお過ごし下さい。


?【動画メッセージ】
「本当の豊かさ」
https://youtu.be/fyotaS1jIX4


?【新宿駅前 路傍伝道】
https://youtu.be/WPtYotN1SFE (後半)


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/Ppl6jf5Ipfc (朝礼拝)


?「編集後記的メッセージ 『信仰による決断』」

すぐに判断するか、しないか。スピードが要求される時代にあって、悠長な態度が許されない環境に置かれることもあります。そんな時は、祈って、その時に最善と思える決断をしたら良いのです。

要は、祈るというプロセスの中に、神様の介入があり、神様の導きを受け入れることになりますので、後で、「拙速である」と批判されたとしても、おそらくそれが最善な決断だろうと思います。

しかし、その素早い決断が肉の働きである、つまり、神を除外した人間の思惑による決定であるとしたら、棚上げしたいものです。

とにかく祈ることです。そして、それがクリスチャンの集まりであるならば、一緒に祈ることです。

祈った結果、それが自分の思いと違ったとしても、それを受け止め、神に委ねることが大切です。

すでにコロナのワクチンを打たれた医療従事者や高齢の方々などは、待ったなしの決断で摂取したかもしれませんが、ワクチン接種に反対する意見も多数取り上げられています。

ここに正解を見出すことは容易ではありませんし、各自が答えを出すしかありません。

そんな時に、政府が推進しているからとか打つとか、不安だからやめよう、などと、まずは自分の頭で考えるだろうと思います。しかし、神に祈り、神に聴くというプロセスを経ることが大切です。

どちらを選んだとしても、神の導きを仰ぎ、確信を持って決断を下すならば、それが信仰者に取っての最善の選択なのです。

聖書は、「信仰から出ていないことは、みな罪です」と語ります。

「しかし、疑いを感じる人が食べるなら、罪に定められます。なぜなら、それが信仰から出ていないからです。信仰から出ていないことは、みな罪です」(ローマ14:23)。

ということは、信仰によって決断し、行うことは善なのです。

信仰とは、神との関係を指す言葉です。神を迎え入れ、主と仰ぎ、共に生きることです。

何が善であり、何が悪であるのか、どう決断を下したら良いのか、とても難しい状況に置かれることがあると思います。

「必要悪」という世界もあります。しかし大切なのは、信仰による決断です。
 

6月22日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 6月22日(火)10時15分45秒
  ?〈6/22(火)本日の一言メッセージ+動画+α〉

??「心と体の『黄色信号』」

「気分がさえない」「体調が優れない」というのは、体が発する「黄色信号」です。今のままだと、やがてそれが「赤信号」に変わり、うつになったり、健康を損なったり、心や体の健康を損なってしまう可能性があります。

心と体が発する「黄色信号」に感謝し、「考え方」「心の姿勢」「生活リズム」「睡眠時間」「食生活」などを点検し、見直してみてください。

ある人は、この「黄色信号」が微弱であったり、忙しさの中で見落としてしまうことがあります。

どうしたら、心と体が発している「黄色信号」をキャッチすることができるのでしょうか?

朝起きたら、まずスマホやケータイを見る前に、聖書を開き、神に祈る時間を持つことです。

「静まって、わたしこそ神であることを知れ」(詩篇46:10)と聖書は語ります。

この「静まって」という言葉は、原文のヘブル語では、「?????(ラーファー)」という言葉で、「やめる」や「静まる」という意味があります。

他に、「失う、消え失せる、なえる、弱くする、静まる、捨てる、手を引く、手放す、猶予を与える、降伏する、抵抗するのをやめる」という意味もあります。

「静まる」ためには、祈りを通して「沈黙」することから始まり、「止まること」です。

「静まり」「沈黙」する時に、体や心が発する「黄色信号」を見落とすことがありません。

次に止まることです。

「正しい」という漢字は、「一」の下に「止まる」と書きます。

正しさとは、唯一の神の下に、私たちが静まり、止まるところから正しさが始まることを教えてくれます。

「黄色信号」を見て、アクセルを踏み込んで、加速して交差点を渡ることもできます。交差点の信号は、一時的に全部赤に変わりますが、見切り発車をする車やバイクがいるかも知れません。黄色信号は、止まるか? 急ブレーキでなければ渡れない状況なら、ブレーキを踏みながら減速して渡ることが安全です。交通事故の70%以上が交差点で起こっています。

道路の信号機同様に、体と心が発する「黄色信号」をキャッチしたら、減速し、止まりましょう。

「頑張ることをやめて」「力を捨て」、「神との深い交わり」をして、神との関係の中で、「生き方」と「心の姿勢」を正し、心と体から出る「黄色信号」が「青信号」に変わったことを確認して、一日をスタートしましょう。

心と体が「青信号」になったら、目的を持ち、目標目指して前進して下さい。


?【動画メッセージ】
「あなたは管理人」
https://youtu.be/NBf9mLtjEBM


?【新宿駅前 路傍伝道】
https://youtu.be/wBOQpeBa-Fc (前半)


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/yiWzIhhQCSI (夕礼拝)


?「編集後記的メッセージ 『神は導かれる』」

若い時は、無理をしても何とかなってしまうので、心と体が発する「黄色信号」を見落としたり、無視して減速するどころか、加速してしまう場合もあります。

年を取るということは、それが通じなくなることです。

黄色信号は、「平安がない」という形で現れる場合があります。

今自分がやろうとしていることに対して、自分の計算ではそれが良いことのように思えても、神様から見たら道が逸れているとしたら、心の中に宿っている御霊が警笛を鳴らすので、心の平安が失われます。

神様は、緊急事態の時には、はっきりと警笛を鳴らしてくださることもあります。

神との関係が築かれていると、必ずその警笛に気づくことができます。

しかし、「これくらいはいいのではないか!?」と無視したり、自我で突っ走ってしまう生き方を続けていると、警笛に気づきにくくなります。

人は愚かです。失敗して初めて気づいたり、痛い目に遭わないとなかなか神様の導きに従えないものです。

しかし神様は、その愚かさ、頑固さ、頑なさを含めて救ってくださったのであり、導いてくださっています。時間がかかっても、神様はあなたをあきらめません。

神様の愛と忍耐に感謝すると共に、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言われるように、経験して学ぶと共に、聖書を読むことで歴史から学ぶことができるし、神から学び、導かれることができるのです。

今日も、神はあなたと共におられ、あなたを導いておられます。
 

6月21日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 6月21日(月)08時30分22秒
  ?〈5/21(金)本日の一言メッセージ+動画+α〉

??「どんな時にも大丈夫!」

人生の中で想定外のことが起こると、今まで積み上げてきたものが音を立てるかのように崩れ落ちてしまうことがあります。

果たして、それでも「大丈夫!」と言えるのでしょうか?

あなたが「もうダメだ!」と思わない限り大丈夫なのです。

だから、「こんなはずじゃなかった!?」「もうダメだ!」と考えたり、自問自答することをストップさせて、神に祈り、神に聞いて下さい。

神様はあなたに「大丈夫だよ!」と言われます。

神の「大丈夫」は、根拠のない楽観ではなく、中身の伴う「大丈夫」です。

神は、一人子イエス・キリストを2021年前にこの地に送り、キリストを十字架にかけて、3日目に復活させて、人類最大の敵であり問題である死を打ち破られました。

神は、人類を含めた全被造物の創造者であり、全知全能のお方です。

そのお方が「大丈夫だ!」と言われるのです。0.1%も、0.1mmも大丈夫じゃない要素はありません。100%、完全に大丈夫です。

傷つき、ボロボロになったあなたを神が見捨てられることは絶対にありません。

しばらくしたら、たくましいあなたになってもう一度立ち上がることができます。

ボクシングの試合に例えるならば、カウンターパンチをくらって「ノック・ダウン」させられることはあるでしょう。

しかし、そのまま「ノック・アウト」させられてしまうことはありません。

神が必ず立ち上がる力を下さるからです。

「どんな時にも大丈夫!」

本当のことです。あなたの人生の中で起こります。

素晴らしい一日でありますように。


?【動画メッセージ】
「翼で覆われて守られている」
https://youtu.be/gx_QRl5SluY


?【上野駅アメ横前 路傍伝道】
https://youtu.be/OjNNPnLeFCs


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/Ppl6jf5Ipfc (朝礼拝)


?「編集後記的メッセージ 『神は真実な方であり、最善を行われるお方』」

今から20年くらい前にインターネットを使っての伝道をスタートしました。当時、クリスチャンがネットを使って伝道することはほとんどありませんでしたし、教会の礼拝の生放送をする教会もほとんどありませんでした。

当時は、数多くの人に福音を伝えることができたので、神様に感謝をしました。

ところが、5年を経過した頃から、あるサイトで私を誹謗中傷する人が出てきました。注意されたことを逆恨みしての攻撃でした。

しかし、それに加担したり、面白おかしく同調する人が出ました。当時は、死ぬほどつらい思いをしました。

ある日、ネット訴訟専門の弁護士に相談しました。2つの可能性を提示してくれました。

1つは民事訴訟を行うことです。サイトの管理者を削除要請に応じないということで訴えるというものです。そして、同じような訴訟を行った人の実例も話してくれました。訴訟をすることで、実名などの個人情報が出されたことで、そのサイトの住人(そこを自分の居場所とする精神的に病んだ人々)が手を組んで、嫌がらせをするようになったそうです。その人の家を外側からと出入口をビデオ撮影し、生放送をしたそうです。それを見ながら、みんなで悪口を言うようになりました。しばらくは我慢しましたが、それに耐えきれなくなり、訴訟を起こした人は、自殺をしてしまったそうです。

2つ目は刑事訴訟を行うことです。誹謗中傷を行う人を名誉棄損で訴えると言う事です。「訴えた場合、菅野先生の正しさが証明されます。しかし、誹謗中傷をする人が精神的に病んでいるならば、その人を罪に問えません。罰金も取れない可能性があります。さらに、勝訴した帰り道に、精神が病んでいる人だから、その人から刃物で刺されるかも知れませんよ」と言うのです。

つまり、訴訟を起こさないのがベストだと、暗に語ってくださいました。ネット訴訟専門の弁護士はさすがだなと思いました。

世の法廷に訴えても、時間をかけ、お金をかけて、自分自身の正しさを証明するだけなら、それは徒労に終わると感じました。

では、天の法廷に訴えようと、思いを変えました。それは、「復讐するは我にあり」と言われる神に、誹謗中傷をする人の裁きを委ね、お任せすると言う事です。

さらに、その背後で働くサタンと悪霊どもに復讐を誓いました。奴らは、私が傷つき伝道ができなくなるようになるか、裁判を起こして同士討ちして伝道ができないようになるか、どちらでもいいので、私に伝道を辞めさせようと目論んでいることがわかったからです。

サタンに対する復讐は、100倍伝道をすることです。

しばらくは、状況は悪化の一途をたどりました。私は、毎朝駅の前に立って街頭伝道を行いました。苦しみから解放され、喜びに溢れ、そして、多くの人が救われ、洗礼を受けました。100倍の祝福を得ました。

何年か経った頃、私は全く気にならなくなっていました。

もちろん、予断は許されない状況でした。その誹謗中傷を信じる人たちがいたからです。しかし、すべてを神に委ねましたので、手出しはしませんでした。

神は、私を訓練しておられました。そして、問題解決のために働いておられました。

ある日、クリスチャンでない人たちが、私を誹謗中傷する人たちに攻撃を仕掛け始めたのです。

「お前らは、ただ悪口を言うだけで、それに対しての証拠を何一つ出せないじゃないか! 自分たちが信じる宗教のリーダーを悪く言うのはおかしい! 問題はお前たちの方にある!」と、言い始めたことで、ストップしたのです。

裁判も行わず、ただ神に祈り、神の手に委ね、私は100倍伝道をしていただけですが、神が問題を解決してくださいました。さらに、私を訓練してくださいました。

よく「菅野先生は、どうしてそんなに一生懸命に伝道をされるのですか?」と聞かれます。

神様が生きておられることを確信しているからであり、神様が試練を通して鍛えてくださったから、強くされたので、伝道を日常的にできる強靭な精神が与えられたのです。

案外、現代のクリスチャンは、批判に弱く、空気を読み過ぎて、大胆に証ができない人が多いです。

神の御言葉が真実であることを体験し、試練や迫害を通して強くなる必要があります。

そして、神に用いられる人にさせていただきましょう。
 

6月20日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 6月20日(日)07時43分41秒
  ?〈6/20(日)本日の一言メッセージ〉

??「ゆっくりがんばりましょう」

ある精神科医師は、患者に「ゆっくりがんばりましょう」と励ますそうです。

うつ病の人などに「がんばりましょう!」という言葉は禁句で、「がんばりたくてもがんばれない」苦しい気持ちに共感して、心に寄り添うことが大切だと言われます。

がむしゃらに、壊れてしまうような「がんばり」ではなく、ゆっくり、完全燃焼するような「がんばり」は必要です。

試しに、何の責任も与えられないで、三食昼寝付きで、「なんにもしなくていいですよ」と言われて、毎日何もしないで過ごしたら、きっと塞ぎ込んで病んでしまいます。

人は、重要で使命感のある仕事をしている時に、生き生きとするものだからです。

例えば、政治家はいつも元気です。「重要で使命感のある仕事をしている」という実感を持てるからです。選挙も大変だし、有権者から色々なことを言われますが、「政治家を一度やったら辞められない」と言われるのは、それだけ「やりがい」があるからです。また、「将来は、総理大臣になりたい!」と思っている政治家も多いはずです。

重要でやりがいのある仕事をしている人は、単純作業の仕事をしている人より長生きするというデータもあるそうです。

動物園のライオンと野生のライオンはどちらが長生きをすると思いますか? 圧倒的に、野生のライオンの方が長生きだそうです。

楽して、面白おかしく生きる人生もいいかも知れません。しかし、どんな人にも果たすべき責任と重要な使命が与えられています。それを後回しにしないで、誠実にチャレンジして行ったら、人は必ず生き生きとしてくるものです。

「無理ながんばり」ではなく、「ゆっくりがんばる」ことが大切です。

「無理ながんばり」と「ゆっくりがんばる」ことの違いをコマで例えてみたら、「無理ながんばり」は、グラグラしながら回っているコマの状態で、「ゆっくりがんばっている」状態は、静かなのに全力でコマが回っている状態です。

どうやったら、静かに全力で回るコマのように「全力投球」で生きることができるでしょうか?

秘訣は「祈り」にあります。

聖書は、「絶えず祈りなさい」(第一テサロニケ5:17)と語ります。

すべてのことを祈りながらやってみることです。

誰に祈ったらいいでしょう?

あなたを造られた創造主であり、救い主、助け主、いやし主である、いつも共におられる全知全能の愛の神に祈るのです。

神を見せて下さったお方が、イエス・キリストです。このお方に祈り、助けを求め、信頼し、頼る時に、人生は一番いい状態に変わります。

コマが、静かに全力で回るように、全力投球で「ゆっくりがんばり」生き生きと充実感を持って生きる人生は、あなたの瞳の輝きを取り戻し、枯れ木に花が咲くように、人生をやり直すことができます。

神に祈り、神と共に歩むあなたと私の人生に、豊かな祝福がありますように祈ります。いつもありがとうございます。良い一日を過ごして下さい。


?【動画メッセージ】
「主と共に歩む人生」
https://youtu.be/8oNY4juaBkg


?【6/18(金)市川駅前 路傍伝道】(後半)
https://youtu.be/l_AHyuxFX-4 (右方)
https://youtu.be/FuW6giCqQow (左方)


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝」
1部礼拝  朝10時半~12時
2部礼拝  夕方16時半~18時
https://sgr-ch.net


?「編集後記的メッセージ 『できるかぎり本音で生きる』」

建前ではきれいごとを言っても、本音は人間臭いドロドロしたものである場合が多くあります。

もし本音だけを口にし、本音だけで生きていこうとしたら、社会ではそれが通らないからでしょう。

きれいごとと言う大義名分を掲げることで、物事がスムーズに進み、何事もなかったかのように解決してしまうことがあります。

しかし、人間関係がすべてであるならばそれで通ってしまいますが、神は目に見えませんが共におられ、そして、その動機を見ておられます。

「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、【主】は心を見る」(第一サムエル16:7)。

神を本気で信じているならば、本音を偽って建前をきれいごとで飾ることは、神を欺いていることであり、神の前には偽善者です。

私たちは、共におられる神の御前で、可能な限り本音を語り、本音で生きることを目指したいものです。

神との関係で、「それはそれ、これはこれ」はないのです。

もちろん、喧嘩を進めているのではありませんが、イエス様は、「平和の君」と呼ばれていますが、イエス様自らが、「わたしは剣を投じるためにこの世に来た」とも語ります。「建前の偽りを壊し、本物の平和を造る」という意味です。

神と共に生きる生き方は、時に生きにくい時があります。しかし、神との関係こそがすべてです。偽っても決して良い実を結ぶことはありません。

そのために、祈ることを止めず、絶えず祈る習慣を身に着けたいものです。

それは、呼吸をするようにです。

今日は日曜日です。神を礼拝し、霊的深呼吸をして、神との関係を回復し、深めていきましょう。
 

6月19日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 6月19日(土)12時18分34秒
  ? 〈6/19(土)本日の一言メッセージ+動画+α〉

??「時が良くても悪くても」

聖書は、どんな時にも変わらない生き方をすすめます。

例えば、「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。しかし、あなたは、どのような場合にも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい」(テモテへの手紙 第二 4章2~5節)です。

牧師になる前は、みことばを伝えるのに悪い時があるとは想像もしていませんでした。聖霊に満たされて、力と愛に満ちているなら、いつでもみことばを伝えるのに良い時だと思っていました。

しかし、そうではないことがあることを知りました。

すぐこの後に、多くの聴衆の前に立って聖書を語る予定なのに、最悪な気分になるようなことがあるのです。

伝道をする時に、とても笑顔で伝道できない状況の時もあります。

だからこそ、「時が良くても悪くてもしっかりやりなさい」という聖句に支えられ、励まされています。

さらに、「寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい」と聖書は語ります。

寛容を尽くしながらも、絶えず教え、責め、戒め、勧めるということは、優しいことではありません。

教え、責め、戒め、勧めることで、人間関係が壊れることもあり得るからです。

その結果、関係が壊れたとしても、それは仕方がないことであり、不思議と神から来る喜びと平安があります。

牧師は、孤独な仕事です。

「人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです」とあるように、愛を持って聖書を真っ直ぐに語る牧師よりも、自分に都合の良いことを言ってくれる牧師を探し求め、真理から耳を背ける人が必ずいるからです。

教会を定めず、転々とする人もいます。

それは自由なようで、実は、自分の居場所がなくて寂しいあり方ではないかと思います。

聖書を真っ直ぐに語る時に、その人が神を求めて神に仕えて生きているのか、神を利用して自分の利益に仕えて生きているのかがはっきり見えます。

寛容を尽くして導くのは人間業ではありません。

聖書は、「あなたは、どのような場合にも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい」と語ります。

私は、今日の話しを、牧師だけの話しではなく、すべての人に適用されるべき話だと思います。

理想と現実のギャップに直面した時、理想を追求したらどうなるでしょう。

結婚関係において、理想と現実のギャップにぶつかる人がほとんどではないかと思います。

その時、理想を追求しながらも、現実を受け入れなくてはいけません。そうでなければ、関係が破綻し、離婚せざるを得なくなるからです。

どんな状況の中にあっても、理想を手放してはいけません。しかし、現実を受け入れなくてはいけません。

その緊張関係の中で生きていくのが、私たちのあるべき姿です。

「寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい」と、理想を追い求めながらも、現実を受け入れ、許し、愛していきましょう。

理想を捨てたら、自己満足の世界に入り、成長は止まります。

神様は、私たちを愛しています。今のままの状態を許して下さっています。しかし、同時に、私たちが成長することを願っておられます。

時が良くても悪くても、神が命じ、導かれる人生を追い求めながらも歩んでいきましょう。

しかし、同時に、「それはそれとして、私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです」(ピリピ人への手紙 3章16節)とあるように、現実を受け止め、受け入れる寛容さを忘れてはいけません。

時が良くても悪くても、素敵な人生を生きて参りましょう。


?【動画メッセージ】
「試練に会ったら喜ぼう」
https://youtu.be/XJiduHDQO8g


?【6/18(金)市川駅前 路傍伝道】(前半)
https://youtu.be/o47rqP8Iffk (右方)
https://youtu.be/1rcOrR4QC-w  (左方)

?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/bRinP0k2hLs


?【ジーザス・ジューン・フェスティバル2021】
https://youtu.be/ZxyV6DHV5jM


?【クリスチャン防災士ネットワーク ニュース】
https://youtu.be/FM49Eq8mJ3U


?「編集後記的メッセージ 『事実と解釈を切り分けよ』」

劣等感の強い人は、その人の問題点を指摘したり、注意すると、自分自身が拒絶されたと考え、腹を立てたり、憤慨したり、逆ギレしたり、パニックになってしまうことがあります。

事実と解釈を切り分けていないからです。

問題点を指摘され、注意されても、だからと言って自分の存在価値が下がってしまうことはないのです。その点を改め、直し、改善していけば良いのです。

つまり、Doingの価値とBeingの価値を混同しているのです。

自分をほめてくれる人、イエスマンだけを身近に置きたがるのです。

もちろん、重箱の隅を突くような人とは誰も一緒に居たくはならないと思いますが、愛し、真剣に思うならば、「寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい」ということが必要になります。

信頼関係ができているならば、厳しい言葉も届くことがありますが、信頼関係が完全に築かれていなくても、教え、責め、戒め、勧める必要があることはいくらでもあります。

現代の風潮には、躓いた者勝ちみたいな価値観があります。それが教会の中にも忍び込んでいます。

警察は、110番通報が入ると、それが正しい通報なのかどうかをしっかり判断しない場合があります。

路傍伝道で、法律に触れることをしていないのに、「110番で苦情が入ったので退去してください」と言われたことがあります。「おまわりさん、しっかり法律に基づいて対処してください」と言ったことで、潮が引くように帰っていかれました。

しかし、反対に、しっかり対処しなければいけないのに、ストーカーやDV被害を訴えているのに、適切に対処しないで、事件に発展してしまうことも数多く起こっています。

さて、「躓いた」「傷ついた」と言われたら、おろおろし、躓かせ、傷つけた人が悪者にされるという風潮は考えた方が良いと思います。

事実と解釈を混同しているがゆえに、躓き、傷ついているという事例も数多くあると思います。

躓き、傷つく方に問題がある場合もあるのではないかと思います。

交通弱者と強者の関係の中で、弱者を優先することは当たり前ですが、それを盾に取って、わざと車の前に飛び出したり、横断歩道をわざとゆっくり渡ったりするのではなく、譲り合いの精神を持って、譲ってもらっても「当然」と思うのではなく、「ありがとうございました」と会釈をし、足早に渡っても良い訳です。

スーパーで、車いすマークのついたスペースに乗用車が止まっていたことに腹を立てた車いすの人が、レジのところに列ができているのに、大声で怒鳴り散らして、「あそこに車をとめた奴を呼び出せ!」と、権利を主張している人の醜い姿を見て、優遇されるのが当たり前で、当然の権利だと勘違いしているなと、心を痛めました。

もちろん、それは正当な権利ですが、「当たり前だ!」と権利の主張をするのではなく、「申し訳ない」「ありがとう」という心を持っていただけたら美しいし、共生できるのになと感じたりもします。

話をまとめますと、事実は、「あなたは神によって造られ、神によって生かされ、神に愛されている高価で尊い人」です。そのような確かなアイデンティティーを持ち、セルフイメージを抱くならば、対等なのですから、卑屈になったり、逆切れしたり、必要以上の権利の主張をしなくても良いのです。

「自分は劣っている、ダメな存在だ」と考え、解釈しないでください。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ」(イザヤ43:4)。

幸せな人生を送ってください。
 

6月18日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 6月18日(金)09時38分59秒
  ?〈6/18(金)本日の一言メッセージ+動画+α〉

??「誰のご機嫌を取ったら良いか」

ストレスがたまりやすい人、肩がこって仕方がない人、胃が痛くなりやすい人、ちゃんと寝ても体の疲れが取れない人。

いつも空気を読み、周囲に気を使い、顔色を伺い、機嫌が悪い人のご機嫌取りをしていませんか?

機嫌が悪い人は、その人の問題です。

本当にご機嫌取りをしなければいけないは自分自身です。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」(第一テサロニケ5:16~18)。

神様が一緒だから・・・
「幸せ!」「満足!」「うれしい!」「ツイてる!」「良いことが起こる!」「大丈夫!」。

機嫌の悪い人は放っておいて、まずは自分の機嫌を取って下さい。そうしたら、機嫌が悪い人のために祈ったり、受け止めたり、理解する心のゆとりが生まれてきます。

機嫌が悪い人に調子を合わせて、あなた自身を犠牲にしないで!

あなたは幸せでいていいんです。いつも喜んでいていいんです。


?【動画メッセージ】
「類は友を呼び、親しくなる」
https://youtu.be/4-zluNumxQ8


?【6/15(火)川口駅前 路傍伝道】(後半)
https://youtu.be/rJ_dpT8rOJc (正面)
https://youtu.be/b5dTWQe1i4I (側面)


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/bRinP0k2hLs


?【ジーザス・ジューン・フェスティバル2021】
https://youtu.be/ZxyV6DHV5jM


?【クリスチャン防災士ネットワーク ニュース】
https://youtu.be/FM49Eq8mJ3U


?「編集後記的メッセージ 『「アバタもエクボ的人間観」と「アバタはアバタと見る人間観」』」

「アバタもエクボ」と見るか? 「アバタはアバタ」と見るか? それは、1つの人間観です。

障がいを持っている人に対して、悪く思ったり、さげすんだり、差別するのはよくありません。

私が、精神障がい者、知的障がい者、発達障がい者などに触れると、反発が起こることがあります。

そして、「そういうことは言わない方がいいのではないか?」と。

もし、受け入れないで、裁く心であるならば、差別になるかも知れません。

「アバタもエクボ」と見るのではなく、「アバタはアバタ」と見た上で、相手を知り、受け入れ、共生を目指すために触れているのです。

「そういう話題に触れない方が良いのでは?」と考える人の中には、もしかしたら、障がい者を低く、悪く、ダメな存在と考えている点があるのかも知れません。

自分の基準で、「~障がい者」と病名を付けるとしたら、それは偏見や行き過ぎです。しかし、医学の範囲で付けられた病名であり、その結果、障がい者手帳が出されたり、障がい者年金を受け取ることができたり、様々な優遇が受けられます。それは、好き嫌いや偏見や差別ではなく、助けが必要だからです。

私の父は、高校受験のために蓄膿症の手術を受けた結果、左半身不随となり、60年以上立派に生きています。障がい者枠での入社でしたが、定年まで仕事をしました。そんな父を尊敬していますし、さげすんだり、ダメだと思ったことは一度もありません。

しかし、世の中は冷たく、厳しく、さげすんだり、差別する人がいることを見て来ました。

賢い人は、それをあからさまに表しませんが、心の中でそう考えます。

そして、精神障がい者、知的障がい者、発達障がい者に対しても同じです。

私の子どもの頃には、「発達障がい」という概念はほぼありませんでした。

「付き合いにくいな」とか、「ユニークで変わった人だな」と感じました。その結果、本人も、まわりの人も苦労したのではないかと思います。

そして、さげすみ、ダメな人という烙印が押されることもあったと思います。

ところが、「発達障がい」という病名が付き、その症状を理解することで、受け入れ、共生していきやすくなったと感じます。

もし、厳密な意味で人に病名を付けるとしたら、きっと何らかの病名が付くのではないかと思います。そして、ある人は、健常者と障がい者を明確に区別し、区分し、差別します。

それとも、「アバタもエクボ」と見るのでしょうか?

障がいについては触れず、ない者と考えて接するのが良いのでしょうか?

私は、「アバタはアバタ」と見て、アバタを受け入れ、その人を丸ごと受け入れるのが1番だと思います。

それは、言葉で言う程、簡単ではありません。

私のまわりには、障がいを持った人がたくさん集まってくれます。本当にありがたく、うれしいです。

その方々は、言葉には尽くせないほどの喜びを与えてくれました。

しかし、振り回されたり、ボロボロになる程、苦労してきた面もあります。

しかし、神が送ってくださった方々を感謝し、受け入れ、牧会し、時には厳しい指導をすることもありますが、共に生きていこうとしています。

神が願っていることは、まずは、自分自らが赦されることです。そして次に、自分自身が赦されたように、他者を許し、そして、共生を目指すことだと思います。

そのためには、お互いに、弱さや特徴などを知ることから始めることです。そして、自分自身も神から理解し、受け入れていただいたように、相手を理解し、受け入れ、そして、祈りながら共に生きていくことです。

その原動力と秘訣は、赦し、愛するために死んで下さった「イエス様を主」と受け入れることです。

少なくても、「イエスは主、我らの救い主」と言える関係の中では、共生が可能です。

しかし、なかなかそうはなっていません。救いの道は完成しているのに、とても残念です。

私は、今日も聖霊に満たされて、「神を信じないこの世の価値観」と「その背後に働く悪魔・悪霊」と「罪の力」と闘います。

本日、6/18(金)17時~19時まで、「市川駅 南口広場」で路傍伝道を行います。ご参加、お祈りをよろしくお願いします。

そして、それぞれの場所で、神と共にその闘いをしていきましょう。

素敵な1日でありますように。
 

6月17日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 6月17日(木)07時28分41秒
  ?〈6/17(木)本日の一言メッセージ〉

??「人の隠された動機を超越する」

人には、隠された動機が潜んでいることがある。

人の目に良く見えることの中に、不純でいやらしい動機が隠されていることがある。

しかしもう一方では、人の目に良く映らなくても、愛という動機で行われている場合もある。

使徒信条に名を連ねる「ポンテオ・ピラト」は、自己保身のために、イエス様に何の罪も見出せないと認めていたにもかかわらず、正義を貫けなかった。

ユダヤ人たちがローマに訴えて、自分の立場が悪くなることを恐れたからである。

こういう動機は、現代にも受け継がれている。

「忖度」も、似た動機からかも知れない。

ユダヤ人たちは、イエス様に対するねたみのゆえに、イスカリオテのユダを銀貨30枚で買収して、偽証をさせた。

数々の律法に違反してまでも、イエス様を亡き者にしようと企てた。

「彼らがこういうことを行うのは、父をもわたしをも知らないからです」(ヨハネ16章3節)。

イエス様が十字架で死に、葬られ、よみがえり、天に戻った後には、イエス様に向けられていた敵意は弟子たちに向けられ、聖霊が降臨して教会が誕生した後には、その敵意はクリスチャンに向けられている。

なぜそうなるのか?

神に反逆し、神を憎んでいるサタンと悪霊の仕業である。

イエス様は、「理由なしに私を憎んでいる」と言われた。

イエス様を殺す正当な理由は何もないのである。しかし、その背後には、ねたみという隠された動機が潜んでいた。

ユダヤ人たちは、神の選民であり、真っ先にイエス様を受け入れて、イエス様に従い、イエス様を伝えるべき人たちであった。

しかし、悪魔が、自己保身の思いを利用して働いた。

神が愛しているあなたをねたみ、意地悪し、攻撃する人がいるとしたら、悪魔から来ているものだ。

悪魔は、ねたみ、いじめ、迫害する人の弱さを利用してけしかけ、あなたを攻撃する。

まずは、悪魔が持って来る隠された動機に加担しないように、神に愛され、救われていることを思い出そう。

悪の連鎖を断ち切ろう。

保身やねたみを捨てよう。

次に、悪魔が持って来る隠された動機を持つ人から嫌な目に合ったとしたら、その人は、父なる神を知らないから、神に愛されているあなたの素晴らしさがわからないからだ。

その相手のために祈ろう。

「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5章43節~44節)。

その相手を赦し、神にゆだねよ。

「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる』」(ローマ12章19節)。

そして、神の愛を伝えよ。

「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます」(第一テモテ2章4節)。

「それから、イエスは彼らにこう言われた。『全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい』」(マルコ16章15節)。

「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい」(第二テモテ4章2節)。

人の隠された動機の背後にいる悪魔に勝利し、神の愛に生きていこう。

あなたは、神の愛をすでに頂いているのだから。

「君は愛されるため生まれた」
(ゴスペルソング)
君は愛されるため生まれた
君の生涯は愛で満ちている
君は愛されるため生まれた
君の生涯は愛で満ちている

永遠の神の愛は
我らの出会いの中で実を結ぶ
君の存在がわたしには
どれほどおおきな喜びでしょう

君は愛されるため生まれた
今もその愛 受けている
君は愛されるため生まれた
今もその愛 受けている


?【動画メッセージ】
「本当の英知」
https://youtu.be/Ztucec6tdLc


?【6/15(火)川口駅前 路傍伝道】(前半)
https://youtu.be/0Xn-hgcKNzk


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/bRinP0k2hLs


?【ジーザス・ジューン・フェスティバル2021】
https://youtu.be/ZxyV6DHV5jM


?【クリスチャン防災士ネットワーク ニュース】
https://youtu.be/FM49Eq8mJ3U


?「編集後記的メッセージ 『相性』」

車・バイク・夫婦、それぞれに相性というものがあります。

それぞれに「愛」が付きます。愛車・愛妻等。

16歳の誕生日に原付免許を取得し、18歳の誕生日に普通自動車免許を取得しました。思い付きで誕生日にたまたま取ったのではなく、準備をし、計画的に取得しました。1日も早く乗りたかったからです。

本当に乗りたいバイクや車と、高性能でカッコ良く、人気のあるバイクや車に乗るのか? これは悩みに悩みました。

最終的には、高性能でカッコ良く、本当に自分が乗りたいものを選びました。そこでは、人気のあるなしではなく、自分がどれに乗りたいかが重要ですからね。

結婚もそうですね。昔は、「三高」という言葉がありました。女性が男性のパートナーを求める時に、「高学歴」「高収入」「高身長」の三つの「高」を求めましたが、最終的には、自分が良いと思う相手を選ばないと、たまたま好きになる場合もありますが、後で後悔することになるのではないかと思います。

現代は、「優しい」「暴力をしない」「価値観が合う」「借金をしない」「浮気をしない」などが相手に求める条件だそうです。

しかし、そう言いながらも、「優しい」「暴力をしない」「価値観が合う」「借金をしない」「浮気をしない」でも、低学歴、低収入、低身長で、デブで、ハゲよりも、「三高」の「高学歴」「高収入」「高身長」も同時に求めるのではないかと思います。

それで良いのだと思います。基本は、結婚は1回だけですし、後悔して、「あちらの人と結婚すれば良かった」などと後悔しても仕方ありませんので、結婚する時点で、最高の相手を選ぶことが良いと思います。

しかし、最終的に残る基準は、「相性」なのではないかと思います。「人気」ではないはずです。「人気」で選ぶならば、「芸能人」や「政治家」や「有名人」がいいことになりますし、人がうらやんでくれても、自分が良いと思えず、そういう人気のある人は、離婚をしても、またいつでも再婚できると思ったりしていますので、簡単に離婚されてしまう可能性もあります。恨んでも恨み切れないでしょう。

イエス様は、「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです」(マタイ11:29~30)と語られました。

2頭の親牛と子牛が同じくびきでつながれているとしたら、同じ歩調で、同じ方向に向かって歩かなければ、首を傷めますし、どちらにも進むことができません。しかし、同じ歩調で、同じ方向に向かって歩くなら、一体ですので、歩きやすく、楽しく、幸せです。

ここで大切なのは、互いに歩調を合わせることですが、どちらか片一方が無理して合わせているだけだと、いつか限界が来てしまい、争いになり、性格の不一致で離婚することになるでしょう。それを、円満離婚と呼ぼうが、卒婚と呼ぼうが、どんなにきれいな言葉を使ったとしても、我慢するよりは良いとしても、痛みが伴います。そして、最初から離婚することがわかっているとしたら、結婚しなかった方が良いはずです。

どうしたら相性の良い相手を見つけられるでしょうか?

それは、イエス・キリストを通して神と和解し、キリストのくびきを負って、神と共に生きる事です。

「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません』」(ヨハネ14:6)。

「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです」(ヨハネ15:5)。

キリストのくびきを負える人は、人生のびきを共に負えるパートナーが誰であるかを直感的に知る事ができるはずです。人気や三高などに惑わされる事はないはずです。

神を知るという事は、自分を知る事だからです。

そして、もう一人の自分自身と仲良くでき、自己一致できるはずです。そこに幸せと、神と共に生きる確かな人生があります。

一挙手一投足に、キリストと共にくびきを負い、自己一致ができ、いつも喜び、絶えず祈り、全ての事に感謝する幸せで確かな人生です。

神を信じ、神と共に歩む人の人生は、空回りがなく、全てが最高なのです。

今朝も、神に立ち返り、神と交わり、神と共に歩み始めましょう。

祝福を祈ります。
 

6月16日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 6月16日(水)10時47分2秒
  ?〈6/16(水)本日の一言メッセージ+動画+α〉

??「思い通りにいかない時にできる感謝」

病気になって、健康のありがたさに気づくことがあるものです。健康は当たり前ではありません。

また、諸問題やトラブルに遭うことで、順調にことが進むことのありがたさを感じるものです。

「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること」(伝道者の書4:14)と聖書は語ります。

逆境は、ある日突然やって来ます。

人はその時、反省し、考える必要があります。

なぜならば、順境の時には、ほとんど何も考えていないからです。

逆境を受け止め、反省し、考えることから、次につながっていきます。

①今まで神によって守られていたことに対して感謝し、
②これ以上事態が悪化しないように神に祈り、
③道を踏み外したり、高慢になったり、嫌な奴になる前に、気づかせていただき、方向転換できるチャンスが与えられたことに感謝をしましょう。

思い通りにいかない時にできる感謝とは、順境でうれしいからする感謝とは、一味も二味も違います。

逆境と出会ったならば、その中に祝福の種が隠されていることを忘れないでくさい。

取り乱して事態を悪化させたり、隠蔽して無かったことにするのではなく、反省し、考え、感謝し、祈り、次につなげていきましょう。

思い通りにいかない経験、逆境は、神様からのあなたへのプレゼントなのです。

あなたを正しい道に導き、強くし、成長させてくれるからです。


?【動画メッセージ】
「本当のあなたは素晴らしい」
https://youtu.be/hAcfiXRUagk


?【6/15(火)川口駅前 路傍伝道】(前半)


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/bRinP0k2hLs


?【ジーザス・ジューン・フェスティバル2021】
https://youtu.be/ZxyV6DHV5jM


?【クリスチャン防災士ネットワーク ニュース】
https://youtu.be/FM49Eq8mJ3U


?「編集後記的メッセージ 『気が合わない人にどう処したら良いか?』」

クリスチャン同士なのに、話が通じないことがあります。その時にどう対応したら良いでしょうか?

「神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう」(マタイ7:6)です。

「犬に神聖なものを与えるな!」
「豚に真珠を与えるな!」

これがイエス様の教えです。

それは、相手を「犬」とか「豚」と判断して見下し、悪く言うと言うと言う事ではありません。

価値がわからない人に良い物を与えても意味がないと言う事です。

「正しい事を言い、正しい事をしているのだから」と、「通じなくてもいいじゃないか!?」と意地を張るのを止めて、それ以上関わらない事です。

しかしそれは、「そういう人を見捨てていい」と言うのではなく、イエス様は、「わたしに委ねなさい。わたしに任せない。わたしが何とかしよう」と言ってくださっているのです。

クリスチャンと呼ばれる人の中に、聖書の話をしても、全く通じない人がいます。

その時に、腹を立てたり、不毛な議論をしたり、「救われているのか?救われていないのか?」までも判断しなくてもいいのです。

クリスチャンの中には、必要以上に白黒をハッキリさせたがる人がいます。

異端やカルトに対しても、一線は引いても、徹底的に攻撃し、やり合う姿を見ることがありますが、イエス様は何と教えておられるでしょうか?

イエス様は、公に次のように語りました。

「イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。『天の御国は、こういう人にたとえることができます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。ところが、人々の眠っている間に、彼の敵が来て麦の中に毒麦を蒔いて行った。麦が芽ばえ、やがて実ったとき、毒麦も現れた。それで、その家の主人のしもべたちが来て言った。「ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。どうして毒麦が出たのでしょう」。主人は言った。「敵のやったことです」。すると、しもべたちは言った。「では、私たちが行ってそれを抜き集めましょうか」。だが、主人は言った。「いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう」』」(マタイ13:24~30)。

次に、弟子たちに、その教えを詳しく説明されました。

「それから、イエスは群衆と別れて家に入られた。すると、弟子たちがみもとに来て、『畑の毒麦のたとえを説明してください』と言った。イエスは答えてこう言われた。『良い種を蒔く者は人の子です。畑はこの世界のことで、良い種とは御国の子どもたち、毒麦とは悪い者の子どもたちのことです。毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫とはこの世の終わりのことです。そして、刈り手とは御使いたちのことです。ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、この世の終わりにもそのようになります。人の子はその御使いたちを遣わします。彼らは、つまずきを与える者や不法を行う者たちをみな、御国から取り集めて、火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。そのとき、正しい者たちは、彼らの父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい」(マタイ13:36~43)。

毒麦を選別し、取り除こうと躍起になると、良い麦まで間違って一緒に取り除いてしまう可能性がある。

「終末の裁きの時まで、そのまま育つままにしておきなさい」とイエス様は教えられたのです。

終末になると、御使いたちが選別をし、毒麦を日に投げ込む。

終末とは、キリストが再臨される千年王国の始まりの時です。

急がなくても、毒麦(つまずきを与える者や不法を行う者たち)は火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。

麦(正しい者たち)は、彼らの父の御国で太陽のように輝くのです。

そして、最後に、「耳のある者は聞きなさい」とイエス様は語られました。

「彼らは、つまずきを与える者や不法を行う者たちをみな、御国から取り集めて、火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。そのとき、正しい者たちは、彼らの父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい」(マタイ13:41~43)。

気が合わない人たちと争い、やり合う時間が合ったら、目の前の人々を愛し、出て行って福音を伝え、弟子とし、教会をたてあげていきましょう。

素敵な1日でありますように。
 

6月15日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 6月15日(火)05時08分37秒
  ?〈6/15(火)本日の一言メッセージ〉

??「あなたは特別な存在」

自分のことが好きになれない、コンプレックスのかたまりのような女性がいました。体形も、指の曲がり具合も嫌で、自分で自分を傷つけていました。

彼女は、自傷行為から解放された後に、絵のついた詩集を作りました。自分をユニークにデザインして下さったデザイナーに対する感謝の詩です。

バカヤロウ。役立たず。
天然パー。
いろいろなこと言われちまった。
私はそんなにダメ人間?
どうせ私はダメ人間・・・・・・
と、いじけていた私に
「そのまんまのおまえが大好きだよ」って
言ってくれた。
やさしい大好きな天のお父さん。
あなたのその一言で、
私は孤独から
解放されました。

母の日にカードを贈りました。生まれてはじめて、真剣に感謝を込めて「生んでくれてありがとう」・・・・・・。

人はみな、どこかにコンプレックスがあります。

どんなに美しい女性でも、イケメンの男性でも、自分のある部分を好きになれません。

しかし、その部分も、唯一無二のユニークさであるはずです。 あなたは特別な人です。

神と出会う時に、嫌いだった自分が好きになりはじめ、あなたでなければいけない人生を生きはじめるようになるでしょう。

バイブル(聖書)には、「あなたの若い日にあなたの創造者を覚えなさい」と語ります。この方は、あなたをデザインし、造り、生かしている天のお父さんです。

天のお父さんは、ありのままのあなたを愛し、大好きです。地上の親は愛してくれなかったかも知れません。しかし、天のお父さんは違います。あなたを愛しています。私は今日、あなたにそのことを伝えたいです。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ 43:4)。


?【動画メッセージ】
「上辺で人を判断しない」
https://youtu.be/mjaJyD4Fn48


?【6/13(日)大久保駅前 路傍伝道】(後半)
https://youtu.be/ZxyV6DHV5jM


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/bRinP0k2hLs


?【ジーザス・ジューン・フェスティバル2021】
https://youtu.be/ZxyV6DHV5jM (正面)
https://youtu.be/nUoGAtW_wNA (側方)


?「編集後記的メッセージ 『体験するに勝るものなし』」

昨晩、久しぶりに対面での集会を行いました。コロナウイルスのパンデミックになって以来、自粛、自粛で、あっちでもこっちでも、オンライン集会、ZOOMミーティングに切り替わりました。これはこれで素晴らしいですし、何よりも、疾病の感染拡大防止になります。

観光地の写真集を見たり、TV番組を見ることで、そこに行った気になりますが、しかし、そこはある特定の場面を切り取って、編集したに過ぎません。その場所に行って体験するのとでは、月とスッポンのように違います。

信仰の世界において、頭で理解することも大切ですが、それを体験するのとでは、これもまた月とスッポンのように違います。

信仰を持ち始めた初期の頃から神学生時代を振り返りますと、聖書を読むより、信仰者の書いた書物を読むことに力を入れていたことを思い出します。そういう時期もあって良かったとは思いますが、人が体験した信仰の世界を読むことと、直接神の言葉である聖書を読むのでは、大きな違いがあります。著書は補完的ではありますが、聖書の代わりにはなりません。人それぞれに時期があると思いますが、とにかく聖書を読むことが大切だと思います。その上で、著書も参考に読んだらよいと思います。

今朝も、聖書を開き、心の糧として読んでください。

それを祈りながら血肉としてください。

それを血肉としたら、伝道をし、証をして下さい。

素敵な1日でありますように。
 

6月14日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 6月14日(月)06時59分3秒
  ? 〈6/14(月)本日の一言メッセージ+動画+α〉

??「教会はキリストの花嫁」

ネットでお店を検索して、食事をしに行ったことがあるでしょうか?

そこに星がつけられているので、その星の数で良い店か、ハズレの店かを判断すると思います。

行ってみて、予想通りだったら★★★☆☆をつけ、予想を裏切られたら★☆☆☆☆をつけ、良い意味で想像が裏切られたら★★★★★をつけるのではないでしょうか。

それと同じ感覚で教会を見る人がいたとしたらどうでしょう。

A教会はここが良いけど、ここが気に入らない。
B教会はここがいいのに、残念だ。
C教会は・・・。

教会は、人を満足させるために存在しているのではありません。

完全な教会はありませんし、もし仮に、完全な教会があったとしても、自分を満足させてくれることを求めてその教会に行った途端、その教会は不完全になります。不完全な人間が加わったからです。

神様は、「教会をキリストの花嫁である」で語られました。

もし、「あなたは大好きですが、あなたの奥さんは苦手で嫌いです」と言う人がいたとしたらどうでしょうか。良い気持ちにはならないと思います。

教会をあちこち行き巡って、教会の良し悪しを言う人がいるとしたら、「イエス様、私はあなたを愛していますが、あなたの奥さんである教会は苦手で嫌いです」と言っているに等しいのです。

教会は、完全な人の集まりではなく、不完全な人が集まって、励まし合い、助け合い、共に成長していく神の家族です。

もし、教会を採点し、教会の悪口を言う人がいたとしたら、自分自身が教会であることを忘れている人です。

信仰と恵みによって救われて、キリストの花嫁としていただいたことを忘れないで、教会の足りないところをとりなして祈り、自らが担う人でありたいですね。

「キリストのからだのために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。キリストのからだとは、教会のことです」(コロサイ人への手紙1章24節)。


?【動画メッセージ】
「自分の欠点と相手の良い点を見よう」
https://youtu.be/Vv5DkuEC7Kc


?【6/13(日)大久保駅前 路傍伝道】(前半)
https://youtu.be/K12Lq-r8R64


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/bRinP0k2hLs


?「編集後記的メッセージ 『根本的な解決は神にある』」

先日の運転免許証の更新の適性検査で、視力の低下を認識したお話をいたしました。兆候はあったと思いますが、その1つはイライラでした。意味なくイライラすることはないのです。

子どものころから喘息を持っている私は、いつの頃からか喘息に慣れてしまいました。入院した時に主治医が、「菅野さんは喘息の自覚症状がないですね」と言われましたが、本当にそうなのです。しかし、喘息発作が出ていると、ひたすらイライラするのです。最近では、イライラを黄色信号として、その体からのメッセージに耳を傾けるようにしています。

小さな子どもが、機嫌が悪く、泣いたり怒ったりすることがあります。「お腹が空いた」「ミルクが飲みたい」「おもちゃがほしい」・・・。しかし、賢明なお母さんは、眠たいことに気づきました。「わかった、わかった」と言いながら抱いてあげると、程なくして安らかに眠りにつきました。イライラのメッセージに耳を傾けた結果、「お腹が空いた」「ミルクが飲みたい」「おもちゃがほしい」ではなく、「眠りたい」ことに気がつきました。

車を運転しながらイライラしていたのは、視力が落ちたので、クリアに見えなかったからなのだと思います。

早速、神の導きの中で、一言メッセージの個別配信をストップしたことで、今朝は聖書を読む時に文字がぼやけないで読むことができました。

どんな高貴な人でも、偉人や聖人と呼ばれる人でも、人々から尊敬される人でも、イライラし、怒ることがあるのです。

あなたがイライラする時、その声、そのメッセージに耳を傾けてください。必ず何か問題や異変があるはずです。

「私はクリスチャンであり、牧師なのだから、イライラするはずがない」と、そのイライラを我慢したり、その声を黙殺しないでください。

次に、神様によって解決していただくことが大切です。神様による解決ではなく、インスタントな解決をしようとすると、それが罪となり、罠となることがあります。

お酒、たばこ、快楽などでイライラを緩和させるのではなく、神の所に行ってください。神は、イライラを理解してくださり、イライラの原因を取り除き、解決してくださいます。

さらに、神と近づくことができるので、祝福を受けることができるのです。

イライラすることは誰にでもあります。その時に、安易な解決をしないで、神による根本的な解決を求めてください。

素敵な一週間でありますように。
 

6月13日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 6月13日(日)07時08分10秒
  ?〈6/13(日)本日の一言メッセージ+動画+α〉

??「とっておきの仲直り法」

ある夫婦がささいなことで喧嘩となり、夫が妻に、「出て行け!電車賃だ!」と小銭を投げつけました。

奥さんはそれを拾って財布に入れ、もじもじしているので、すごい剣幕で「『早く出て行け!』といっただろう!」と怒り出すと、奥さんは「だって、戻って来る電車賃がないんでだもん(´・_・`)」と答えました。

お互いに見つめ合い、笑っているうちに仲直りしました。

違う夫婦は、ささいなことから喧嘩となり、「お前の物は一つ残らず持って出て行け!」と言われて、奥さんは意地になって荷物をまとめた。今、出かけようとした時、ご主人は、「おい、俺もお前のものだから、一緒に持って行け」と言いました。

さっきまで喧嘩していたことが嘘のように、仲直りしたそうです。

夫婦喧嘩は「犬も喰わない」と言われますが、他人が仲裁に入って解決できるものではありません。

上記の2つのカップルは、片方が意地を張ることをやめてバカになれたので、すみやかに解決しました。

しかし、ここで両者が意地を張り合っていたら、喧嘩はエスカレートし、離婚に至ってしまう可能性もあります。

これは夫婦関係ばかりではなく、どんな人間関係の中でも言えることです。片方がバカになれれば、仲直りができるのに、それをしないで意地の張り合いをし、ついには、修復不能の状態に陥り、絶縁となったり、殴り合ったり、殺したり、とんでもないところまで発展してしまうことがあります。

神と人間の関係はどうでしょうか?

人類の先祖であるアダムとエバは、神に対して罪を犯し、神を捨て、悪魔に従いました。聖書は、「罪の支払う報酬は死である」(ローマ6:23)と語ります。

しかし、神の側からバカになって、先に手を差し伸べて下さり、一人子イエス・キリストを十字架にかけて、罪の支払う報酬である死という刑罰を身代わりに受けて死んで下さいました。

信じるだけで救われる道を与えて下さいました。

今日これは、全人類が真剣に考えなければいけない問題です。あなたを造られた神と和解し、神と共に歩む人生をスタートしませんか?

神との和解が、他の人間関係にも決定的に影響を与えます。


?【動画メッセージ】
「本当の友だちはあなたの失敗を喜ばない」
https://youtu.be/_sT7qf_SC6Q


?【6/11(金)越谷駅前 路傍伝道】(後半)
https://youtu.be/9TbN_38q5ik


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
朝10時半~12時
夕16時半~18時
https://sgr-ch.net/


?「編集後記的メッセージ 『祈りと礼拝』」

聖書は、「絶えず祈りなさい」と語ります。これは、無意識の世界で祈ることも含まれなければ不可能でしょう。

心臓が意識しなくても動き続けるように、無意識で呼吸を続けるようにです。

祈りは霊的な呼吸のようなものです。呼吸を止めると生きていけないように、祈りをやめると霊的な命が損なわれてしまいます。

「わたしもまた、あなたたちのために祈ることをやめ、主に対して罪を犯すようなことは決してしない」(第一サムエル12:23)。

聖書は、祈りをやめる事は罪であると教えます。

ぶどうの木と枝がつながっているように、イエス様と絶えずつながり続ける秘訣は、絶えず祈ることを通して神と交わることです。

さらに、日曜日に神を礼拝することです。

まん延防止等重点措置や緊急事態宣言が発出されていますので、多くの人たちがしばらく教会の対面の集まりから離れて、オンラインで礼拝をされているのではないかと思います。

大切なのは、真心から神を礼拝する事です。

神を礼拝し、イエス様から一週間をスタートしてください。

そこに、祝福の秘訣があります。

それに加えて、もしお近くの方がいらっしゃいましたら、19時~21時まで、JR中央総武線「大久保駅」北口ガーと下にて路傍伝道を行います。ご参加、お祈りをよろしくお願いします。

素敵な一週間でありますように。
 

6月11日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 6月12日(土)11時02分45秒
  ?〈6/12(土)本日の一言メッセージ+動画+α〉

※個人様へのメルマガ配信は昨日で終了させていただきましたが、メールでの一斉配信は引き続き行います。もし希望される方がいらっしゃいましたら、メッセンジャーやLINE、sgr_ch@ybb.ne.jpまでご連絡ください。


??「素直に生きる人生」

聖書は、人をマインドコントロールする書物ではありません。

神からのラブレターであり、救いに至る道と、救われた人がどのように生きていったら良いかを教えます。

「信じる者は救われる」と聖書が教えると、大きく分けて 3 種類の反応があります。

①「そんなのおかしい!」
②「なぜ信じないと救ってくれないのか!?」
③「信じます!」

①の「そんなのおかしい!」というのは、常識的な考え方です。

「奥さん(社長)、うまい話ありまっせ!」と、いって来る人がいたら、警戒した方が良いでしょう。

世の中に、うまい話などありません。仮にあったとしても、条件付であったり、何か裏があります。

以前、電気屋さんでノートパソコンが破格で売られていました。

「それなら買おう」と思って話を聞いてみると、「インターネットを 2 年以上契約しなければならない」という条件付でした。

ノートパソコンが破格で買えるというのは、嘘ではありませんが、条件付でした。

うまい話には裏があるのです。

だから、「信じる者は救われる!」といわれて、「何か裏があるのではないか!?」と考えるのは、常識的な考え方です。

そして、この世界では、「何かを得るためには、それ相応の対価が必要」です。

だから、「信じる者は救われる」というのは、「そんなの申し訳なくて受け取れません!」あるいは、「そんなのおかしい!」というのが自然な考え方です。

しかし、神は別格です。

神は、無条件で、一方的に与える恵みによって救ってくださいます。

次に②の、「なぜ信じないと救ってくれないのか!?」と反応する人がいます。

「信じること」は、条件でしょうか?

もちろん、「こちらが頼んだわけではないので、何もいわずに救ってくれたらいい!」と考えるのも自然な考え方です。

しかし神は、「あなたを救ってやった!」と恩を着せたいのではありません。

神は人を造られた創造者です。人に自由意志を与えられた以上、人の意思を尊重されます。

カルト宗教のマインドコントロールは、その自由意志を奪う行為です。

神は、「私を救って下さい!」というのを待っておられるのです。

神は、あなたを一個人として見ておられ、あなたの意思を尊重しておられるのです。

「なぜ信じないと救ってくれないのか!?」と文句をいう人には、「あなたは無理やり何かをされてうれしいですか?」と聞いてみたいです。

願わくは、③の「信じます!」と感謝の心で受け止めたいものです。

これは、神を神と認めることなのです。

人が神に注文をつけたり、ケチをつけるということは、神より自分を高くしていることなのです。

聖書は、「だれでも自分を高くする者は低くされ、 自分を低くする者は高くされるからです」(ルカ 18 章 14 節)と語ります。

ある人は、自分自身を造られた神を信じるのではなく、人間が石や木で作った神を拝みます。

多くの人は、神に仕えるのではなく、自分が主導権を持ち、自分が願う神を作り、その神を祭り上げて、願いを聞いてもらおうとしています。

聖書は次のように語ります。

「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。私たちは、神の中に生き、動き、また存在している のです」(使徒の働き 17 章 24 節~28 節)。

人が悩み、心配し、苦しむ理由は、神の実力がないのに、神になろうとするからです。

人は神ではありません。神に造られた存在です。

神から愛され、その受けた愛で神を愛し、人間同士が互いに愛し合うために造られ、生まれて来たのです。

自分が神であろうとすることをやめて、自分を超える存在がおられることを認め、信じましょう。

最初、神は、先祖のアダムとエバを造られました。

すべてのことを許されましたが、たった一つだけ禁止されたことがありました。

善悪の知識の木の実を食べることです。

これは、神を象徴する木の実を食べることで、自分を神とするということだからです。

神を神と認め、神と共に歩むなら、何をしても良かったのです。

しかし、人は、そのたった一つの法律を破ってしまいました。

その背後にいた悪魔が、アダムの奥さんのエバを誘惑し、エバは夫のアダムを誘惑しました。

神との関係が切られました。

その瞬間、死が入りました。

①根から切られた花束のように、人の死は時間の問題です。

②神との関係が切れたので、力がなくなり、人を愛する愛がなくなり、希望がなくなりました。体は生きていても、生きた屍(しかばね)です。

神は、人を楽園から追放しました。

ノアの洪水によって、全地は水浸しになり、全地は滅ぼされました。

それ以降、神がこの地に宿る場所がなくなりました。

しかし神は、全人類の中からアブラハムを選び、アブラハム子孫からイスラエル民族を生み出しました。

神は、イスラエル民族の中からレビ族が選ばれ、レビ族の中からアロンの家系を選び、アロンの家系からアロンを選ばれました。

神は、人に幕屋を作るように命じられました。

大祭司アロンは、全人類を代表して、一年に一度、幕屋の中心にある至聖所で、 神の栄光と対面しました。そのようにして、神との関係が保たれました。

ポイントは、神のいわれた通りに信じ、従って、幕屋を作ったという点です。

神のいわれた通りに従った時に、神と出会えるのです。

今日の私たちには、神は何といわれているでしょうか?

「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません』」(ヨハネ 14 章 6 節)

神がいわれたのは、自動的に救うではないし、「いわしの頭も信心から」といわれるように、「信心さえあれば救われる」ともいいませんでした。

昔は、神がいわれたとおりの形の幕屋を作るなら、幕屋を通して神と出会おうといわれました。

今は、私の一人子イエスによって、私はあなたと出会おう。聖霊を与え、あなたと共にいよう、といわれるのです。

神のいわれる通りというのは、排他的なのではありません。

人間と神の関係は、完全に遮断され、この地が滅ぼされたことによって、この地に神が宿ることができなくなった今は、昔、幕屋を通して神が人と出会って下さったように、神が遣わされたイエス様を通してのみ、神と出会える道が与えられたのです。

「はい、信じます」と、神がいわれたとおりに、感謝してこたえていきたいものです。

私たち人間は神ではありません。神より少し低く造られたのです。

素直に神に従っていきたいですね。祝福を祈ります。


?【動画メッセージ】
「立ち止まろう」
https://youtu.be/83C6wNg4uLY


?【6/11(金)御徒町駅前 路傍伝道】(前半)
https://youtu.be/a4OOYzBiLS0


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/g01Pzz4o1fQ (夕方)


?「編集後記的メッセージ 『忠実さと神の御心に従う生き方をしよう』」

私が大切にしていることは、「忠実」であることです。神との関係でスタートし、行う奉仕を1度始めたならば、「もう辞めたい」などの自分自身の気持ちや都合で辞めることはしたくありません。

毎日の動画配信をスタートした理由は、「ぜひ菅野先生、短い動画を毎日配信してください」と頼まれたことから、神様に祈りました。その結果、今日で「432回目」です。神様との関係でスタートしたものならば、神様がストップされるまで続けないとしたら、それは忠実ではありません。

この「一言メッセージ」のメルマガの個別配信を約1年半続けて来ました。既読が無かったり、「不要です」と言ってくださった方以外には、継続して送らさせていただきました。この送信作業には何時間もかかりますので、時には、間違って送ってしまうこともありましたし、送信を終える頃には、目がぼやけたり、極端に疲れてしまうこともありました。

「一言メッセージ」は、コロナ禍において対面式礼拝に参加できない教会員の方々向けに送り始めたものでしたが、「そういうメッセージがあるならぜひ読みたい」という声が多数ありましたので、SNSに投稿したり、個別に配信するようになりました。あっという間に、多くの人に送らさせていただくようになりました。

これは、自分に与えられたミニストリーとして、ほぼ一生続けて行くものと思っておりましたが、運転免許証の更新の時の適性検査で、Cのマークがどちら開いているのかが全くわからなかったのです。大幅に携帯を見る時間を減らさないといけないと感じて、神様に祈りました。

イッセーメール配信、SNS投稿、ブログ投稿、掲示板投稿、グループ投稿などで配信をし、(教会員などごくごく一部の人を除いて)個別投稿をストップさせていただくことにいたしました。

神の導きで始めたら、神の明確な導きがないのに辞めることは、理論上おかしなことなのです。

しかし、神の導きがあった場合は、その導きで、スパッと決断できるのです。

あるカップルが、「神の導きで付き合い始めました」と相談されました。しかし、「神の導きで別れました」と報告されました。私は、この場合どちらかが違うのではないかと思います。つまり、「神の導きなしに、自分の感情で付き合い始めたので、合わなくなり別れました」か、「神の導きで付き合い始めましたが、私が原因で別れることになりました」などのどちらかだと思います。

あるクリスチャンは、「昔は、聖書に書かれている奇跡は起こったでしょうけれど、今はそれらの奇跡は終わりました。今は聖書があるので奇跡は不要です」と言われました。

聖書を調べてみると、ある特定の時期には、頻繁に奇跡が起こっていますが、奇跡が起こらない暗黒時代もあります。いつでも奇跡が起こっていたわけではないので、「昔起こった奇跡は、今も同じように起こる」というのは言い過ぎかもしれませんが、「昔起こった奇跡は、今も同じように起こり得る」のです。

「聖書が、それらの奇跡は終わりました」と明確に語られていないならば、「昔起こった奇跡は、今も同じように起こり得る」と信じて、祈り続けたいものです。

つまり、イエス様が主であり、神が主権者なのです。神の御心がなるのです。

神との関係で生きていくことが大切です。

①忠実であることが大切です。

「小事に忠実な人は、大事にも忠実である。 そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である」(ルカ16:10)。

②神が導かれるならば、自分の思いと違ってもその御心に従う事が大切です。

「だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように』」(マタイ6:9~10)。

「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください」(ルカ22:42)。

『感謝します』(讃美歌)
「感謝します 試みに会わせ 鍛えたもう主の導きを 感謝します 苦しみの中に 育てたもう主の御心を
しかし願う道が閉ざされた時は 目の前が暗くなりました どんな時でもあなたの約束を 忘れない者としてください」

素敵な1日でありますように。
 

6月11日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 6月11日(金)09時20分49秒
  ?〈6/11(金)本日の一言メッセージ+動画+α〉

??「この道を歩む」

北原白秋 作詞 山田耕筰 作曲の「この道はいつか来た道」という童謡があります。

この道はいつか来た道
ああ そうだよ
あかしやの花が咲いてる

あの丘はいつか見た丘
ああ そうだよ
ほら 白い時計台だよ

この道はいつか来た道
ああ そうだよ
お母さまと馬車で行ったよ

あの雲もいつか見た雲
ああ そうだよ
山査子の枝も垂れてる

私にとっての「この道」は、聖書が語る「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」(ヨハネの福音書14:6)と言われた道です。「イエス・キリスト」のことです。

作家の三浦綾子さんは、この聖句から「道ありき」という本を書きました。

ご自分が教師をしていた時、敗戦後の子供たちに、国語の教科書の多くの箇所を「墨」で塗り潰させました。「これが正しい!」と教えて来たことを、「これは間違いだ!」と教えなくてはならなくなり、何も文句を言わずに教科書を「墨」で塗り潰している生徒を見ながら、「真理とは何か?」「自分は、これから何を教えたら良いのか?」苦悩し、迷いました。

道は、歩いて目的地まで行くためのものです。しかし、「途中で、間違った道を歩いていた!」と気がついたとしたら、修正して、正しい道を歩めばいいのです。

ある人は、ずーっと歩いて来たので、「今さら違う道を歩みたくない」と思うかも知れません。しかし、人生にはそういうことが起こり得ます。歩き続けることが大切なのではなく、修正してでも正しい道を歩むことが大切です。

聖書は、布教のための宣伝文書ではありません。人々が信じやすく、信じたくなるような技巧は施されていません。しかし、正しい道を教えます。

「この道」は、「いつか来た道」でもあります。

私たち人間は、神によって造られ、神のもとからこの地上に来ました。しかし、先祖であるアダムとエバは、神と共に生きる道を捨てて、悪魔に誘惑され、自分の思う道を歩み始めました。その結果として、人は不幸を経験し、死ぬべき存在となってしまいました。

しかし神は、2021年前の西暦元年にイエス・キリストをこの地上に送られました。そして、十字架と復活を通して、神に立ち戻る道を造って下さいました。

道は、踏みつけられて人を正しい方向に導きます。イエスは、十字架の上で人々に踏みつけられ、殺され、自らが、天国に続く道となられました。

私は、「この道」は初めて来た道であると同時に、「いつか来た道」であると思います。この道を歩み続けたいと思います。

今日は何をして過ごされますか?

三浦綾子さんの書物を読んだり、聖書を読んだりしながら、自分の歩んでいる道を確認し、顧みる時を持ってみませんか?

電車が線路の上を走るのは、道が決められてしまっているので不自由でしょうか? そうではありません。線路の上を走ってこそ自由なのです。

私たちも、天国に通じる道を見つけ出し、その道を歩んで行きませんか? そこに本当の自由と、確実な人生があるのです。


?【動画メッセージ】
「福音の力」
https://youtu.be/uW_9Xq_5o84


?【6/8(火)御徒町駅前 路傍伝道】(後半)
https://youtu.be/ycfHNxEGO3o
https://youtu.be/CKWlRHDppHs


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/g01Pzz4o1fQ (夕方)


?「編集後記的メッセージ 『人生を懸命に生きる』」

昨日は、半日時間が空いたので、運転免許証の更新に行って来ました。

受付は9時~14時。ギリギリに滑り込んでも特に問題はないと思い、銀行に行くなど先に所要を済ませました。

手続きの後半に適性検査がありました。「メガネを使いますか?コンタクトレンズは入っていませんね?」と聞かれました。生まれてから一度も度の入ったメガネをかけたことがありません。サングラスや伊達メガネをかけたことはありましたが、一生メガネと無縁だと考えていました。

30歳頃までは、1.2~2.0の視力を保っていましたし、その後も、1.0~1.2を保っていました。

2回も適性検査に落ちてしまったのです。1度目は視力です。「これでは、普通免許も通りませんね」と言われました。ハンマーで殴られたような感覚でした。

以前、喘息で入院した時に免許証を執行し、半年以内でしたのでお金で買い戻せるということですが、私は、けん引二種と大型特殊二種以外のすべての免許を持っていますので、1つ1つ買い戻すと莫大なお金になりますので、大型二種、大型特殊、けん引、大型自動二輪以外を止むなく切り捨てました。

普通自動車免許を持っていないので、二種免許の適性検査の基準はより厳しいのです。

祈った後に2回目を受けたら、辛うじて通りましたが、深視力検査に落ちました。2回パンチを食らったような感じでした。も一度祈り、3回目でこちらも辛うじて合格しました。

合格したのが13時45分でした。14時までに合格できなければ、支払った手数料は帰って来ないとのこと。必死でした。

しかし、神様が助けてくださり、13時45分に合格し、13時50分からの講習の教室に滑り込みました。

視力が下がり始めたのは、明らかにスマホを常用するようになってからです。スマホは便利ですが、気をつけないと目を悪くするものだと思います。では、スマホを使わないで、ガラケーとPCだけで行けばいいかと言うと、それは時代に逆行するようなもので、難しいことです。

7月6日で50歳になりますが、昨日の出来事は、老いの練習の1つだったと思います。

人生を30年から35年に3区分して考えています。

1つ目の区分は、0歳~30歳、もしくは35歳です。人生の準備段階です。

2つ目の区分は、30歳~60歳、もしくは35歳~70歳です。人生の本番です。

3つ目の区分は、60歳~90歳、もしくは70歳~105歳。人生の晩年であり、フェイドアウトしながら、バトンタッチをし、天国に引越しをする準備をする期間です。

これは1つの目安なので、どこまで生かしていただけるのかわかりませんので、50歳を迎えようとする今が本番ですが、同時に、いつ天に召されてもいいように、3つ目の区分も同時に生きています。

いきなり3つ目の区分に入っても、下り坂なので、気持ちが滅入ってしまう可能性がありますが、今から準備をしていたら、徐々に老いを受け入れると共に、あるものに感謝をする習慣身に着け、成熟を身に着けたいものです。そして、次世代や次々世代に持っている良きものを徐々に受け継いでいきたいものです。

1つ目の区分も素晴らしいし、2つ目の区分も素晴らしいし、3つ目の区分も素晴らしいと思っています。

しかし、世の中の価値観は、1つ目の区分を未熟であると考えるか、逆に、若いことに価値を置き、チヤホヤする場合もあります。

そして、2つ目の区分は、やっと本番が訪れたと思っていたら、案外あっという間に終わってしまうものです。

そして、3つ目の区分を迎えた時に、寂しさを感じないで生き生きできたら幸いですが、どうしたらそうできるのでしょうね。

私は、神と共に生きること。そして、神から与えられた使命を生き続けることだと思います。

「使命」とは、「命を使う」と書きますが、与えられ命を、神から与えられた賜物を活用して、召命に生きることです。

どの区分を生きていても、それぞれの使命があるからです。そして、その使命には優劣はありません。

今日は、越谷駅で17時から2時間路傍伝道をします。路傍伝道をしている2時間だけではなく、荷物の準備をし、移動し、30分以上前から伝道の準備をます。そして、伝道後の後片付けがあり、帰宅までの移動時間があり、帰宅後に活動報告の準備をしたら、ほぼ半日から1日がかりです。

しかし、路傍伝道は私に与えられた命の1つです。神と共に使命に生きる限り、空しくなったり、寂しくなったりすることはありません。

昨日は、運転免許証の更新に行った帰り道に、両親に会いに行ってきました。静かな暮らしをしていますが、とても充実しているし、元気そうでした。その姿を見て励まされますし、うれしくなりました。

両親の人生を一生懸命に生き続けている姿は、子どもに取って大きな励ましになります。

私とあなたが、懸命に人生を生き続けている姿は、必ず誰か励ましとなるはずです。

1つ目の区分を生きている人は、一生懸命に勉強をし、本番に向けてがんばってください。

2つ目の区分を生きている人は、完全燃焼しながら、時には老いの練習をしながらも、今を最高にいきたいものです。

3つ目の区分を生きている人は、「若い奴には負けないぞ!」という気概をどこかに持ちながらも、成熟すること。そして、若い人を妬んだりせず、支えてあげられるような大きな器を持つことができたら幸いです。

素敵な1日をお過ごしください。
 

6月10日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 6月10日(木)06時07分1秒
  ?〈6/10(木)本日の一言メッセージ+動画+α〉

??「人生の3つの坂」

人生には3つの坂があるといわれます。

1つ目は「上り坂」、2つ目は「下り坂」、3つ目は「まさか・・・」。

どんな人にも、「上り坂」をのぼる時期があります。何をやってもうまくいき、飛ぶ鳥を落とす勢いであがり続けます。特に若い時は、ちやほやされ、期待され、喜ばれます。

しかし、進学、入社、昇進、昇格、結婚、子供が生まれ、家を建て、貯金が増え、持ち物が増えていく時期は、ある時に終わります。

やがて、「上り坂」は「平地」になり、「下り坂」になります。

子供が自立し、退社し、引退し、親が亡くなり、配偶者との死別、そして、今まで持っていたものが一つ一つ奪い去られ、自分が必要とされなくなっていく時期がきます。人生の「下り坂」です。

しかし、人生の坂は、「上り坂」か「下り坂」だけではありません。予測不能な「まさか」があります。

「まさか」は人ごとではありません。

誰にでも、ある日、「まさか」がやってきます。

小さな「まさか」なら、日常的にやってきます。

一体、「まさか」にどう対応したらいいのでしょうか?

① 聖書を読み、一瞬一瞬神に祈り、神の導きを受ける。

② 神と一体になり、神と共に歩む。

③ 人を赦し、愛し、祝福する。

④ マイナス思考を捨て、プラス思考で生きる。

⑤ どんなことも感謝する。

⑥ 夢と希望を持ち続ける。

⑦ 前進し続ける。

⑧ 間違いに気づいたら、素直に罪を認め、悔い改める。

このように生きる人には、「まさか」は災いではなく祝福になります。

新型コロナウイルスも「まさか」ですね。

ピンチはチャンスに変えられ、マイナスはプラスに変えられ、栄光から栄光へと成長し、一発大逆転待ち望みましょう。

「まさか」をマイナスや呪いと考え忌み嫌わないでください。

感謝して、神と共に「まさか」に直面し、進むなら、「禍を転じて福と為す」と言われるように、まさかは大きな祝福だったと気づきます。

さらに、「上り坂」も祝福ですが、神と共に歩むなら、「下り坂」も祝福です。

「下り坂」とは、傲慢な生き様に気づかされ、本当の自分の立ち位置に立たせて下さる「坂」なのです。そうしたら楽ですよ。そのくだりきったところで神と出会うことができます。

聖書が語る神は、「私たち人間に上って来い!そうしたら救ってやろう!」と言われるのではなく、2021年前にこの地上にこの地上に人間の姿を取って、私たちのところにまで来てくださったのです。

そして、今あなたの前におられます。心を開き、信じ、このイエス・キリストを心に受け入れるなら、罪が赦され、神の子とされ、永遠の命と天国のパスポートを頂き、救われます。

「下り坂」の突き当たりで、人は神と出会うのです。

「人生の3つの坂」は、どれも祝福です。人生には祝福以外ないのです。


?【動画メッセージ】
「人生を豊かにする死と復活」
https://youtu.be/1emoopncbL4


?【6/8(火)御徒町駅前 路傍伝道】(前半)
https://youtu.be/VPj61E4QI94
https://youtu.be/RoPD_wRq3WM


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/g01Pzz4o1fQ (夕方)


?「編集後記的メッセージ 『最高の祝福』」

神様と出会えたことが、我が人生の最高の祝福だったと思います。

「上り坂」は祝福。しかし、「下り坂」は災いですし、「まさか」は想定外で、希にピンチがチャンスになるかも知れないが、無いに越したことがない。

これが一般の感覚であり、自然に湧き上がる感情ではないでしょうか。

「菅野さんはコロナウイルスに感染していないから言えるんですよ」と言われるかも知れませんが、コロナウイルスのパンデミックを「不幸だ」「禍(災い)だ」と思ったことはありません。

それは、神を信じるからです。

神は、全知全能であり、生死禍福を支配しておられるお方です。神の許しがなければ、すずめ一羽さえ地におちることはないのです。

「二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない」(マタイ10:29)。

たとい、志半ばで天に召されたように見えることがあっても、神の前には、無念ではなく、勝利の凱旋なのです。

そんな大きなことを普通に話してしまえるのは、神を信じているからです。

もし、口では「神を信じています」と言っても、価値観が変わっていないとしたら、その信仰は口先だけです。

神は良いお方で、全知全能で、愛であられ、最善以下はなされず、神の許しがなければ何も起こらないし、目の前で起こっていることがたといマイナスと見えても、「最善だった」と後に悟ることができるのです。

今日もし、あなたが悲観的であったり、希望が持てなかったり、心が病んでいたならば、神が悪い訳ではないし、この世界が悪い訳でもありません。

ただ、「信仰のない私を助けてください」と祈ることが必要の全てです。

神を見上げよ。神を信ぜよ。さらば救われん(救われます)。

あなたに祝福がありますように。
 

6月9日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 6月 9日(水)07時10分53秒
  ?〈6/9(水)本日の一言メッセージ〉

??「本当の幸せは、自立+神に頼ることにある」

先日は、「イギリスのことわざ」を引用しましたが、今日は「中国のことわざ」を引用します。

一日幸せになりたければ酒を飲みなさい。
三日幸せになりたければ結婚しなさい。
七日幸せになりたければ豚を殺して食べなさい。
一生幸せになりたければ釣りをおぼえなさい。
というものがあります。

「酒を飲む」ことで、約一日幸せでいられます。それ以上でもそれ以下でもありません。

2番目に、「結婚」したら三日間は幸せでいられます。結婚の幸せが三日とはちょっと短い気がしますが、「美人は三日で飽き」「ブスは三日で慣れる」と言われることは本当なのでしょうか。三日で恋が終わり、四日目からは愛が求められます。

3番目に、「ブタ」を殺したら七日間は幸せでいられます。一匹の豚肉で、一週間はお腹いっぱい食べられるので、一週間は幸せでいられるんですね。

しかし、これら三つの幸せは、受動的なもので、飲食や人によって幸せにしてもらう人生です。幸せは、求めても永続しないことを教えてくれます。

このことわざは、最後に、「釣りを覚えたら一生幸せでいられる」と締め括ります。

釣りを覚えたら、お腹が空くたびに釣りをすることで、人に頼るのではなく、能動的に自分の幸せのために自分で働きます。

つまり、「自分一人で生きて行こうとする姿勢」と「自分の幸福感を自分で管理する心構え」です。

幸せでない人を観察してみたら、誰かに依存して生きていたり、自分の幸福を人や状況頼みしている人であることがわかります。

あなたはどうですか?

自分一人で生きて行こうとする姿勢を持っていますか?

また、自分の幸福感を自分で管理する心構えを持っていますか?

人からどんなにけなされようが、人からみじめでかわいそうな人と思われても、自分が、「けなされた!」「私はみじめでかわいそう」と認めない限り、そうではないのです。

しかし、自分一人の力には限りがあります。

私は、中国のことわざの作者に断りを入れていませんが、最後にこの言葉を付け加えたいと思います。

「永遠に幸せになりたければ神を信じなさい」

神に頼るからこそ、自立し、自分一人で生きて行く力が与えられるのです。また、自分の幸福感は、神の助けがあるからこそ自分で管理できるのです。

もしあなたが、神を信じ、神を頼るなら、永遠に幸せでいられます。そんな人生を共に歩んで行きたいですね。祝福を祈ります。

「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです」(ピリピ4:13)。

「あなたはいのちの道をわたしに示される。あなたの前には満ちあふれる喜びがあり、あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある」(詩篇16:11)。


?【動画メッセージ】
「自分を許そう」
https://youtu.be/g8AZo7kYA8E


?【6/7(月)川口駅前 路傍伝道】(後半)
https://youtu.be/23cGnO5LEy0
https://youtu.be/rqF8ry2gz6o


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/g01Pzz4o1fQ (夕方)


?「編集後記的メッセージ 『キリストの苦しみといやし』」

「『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか』という声を聞いた」(使徒の働き9:4)。

後の大伝道者となった使徒パウロの改心のきっかけとなった一幕です。

サウロは、イエス様の弟子(使徒)たちに対して迫害するために大祭司のところに行って、ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてもらい、この道の者(クリスチャン)であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いていく権限をえようと旅をしていました。その途上で、突然、天からの光が彼を巡り照らし、サウロは地に倒れました。

その時、イエス様は天からサウロに語りかけました。

「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」と。

サウロは、クリスチャンを迫害し、さらに、その迫害を強めようとしていました。しかし、直接迫害を受けたのではないイエス様がサウロに、「なぜわたしを迫害するのか?」と語りました。

クリスチャンを迫害することは、イエス様を迫害することになることをイエス様は教えられました。

教会とは、信者の集まりであり、キリストのからだです。それは単なる概念ではなく、実際的なことなのです。つまり、体と頭は一体であるがゆえに、体を打ち叩くことは、頭を打ち叩いたことと等しいのです。

「大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです」(ローマ12:5)。

「パンは一つですから、私たちは、多数であっても、一つのからだです。それは、みなの者がともに一つのパンを食べるからです」(第一コリント10:17)。

「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです」(第一コリント12:27)。

「それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり」(エペソ4:12)。

「牢につながれている人々を、自分も牢にいる気持ちで思いやり、また、自分も肉体を持っているのですから、苦しめられている人々を思いやりなさい」(へブル書13:3)。

「なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです」(エペソ5:23)。

「ですから、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。そして、キリストのからだのために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。キリストのからだとは、教会のことです」(コロサイ1:24)。

クリスチャンは、キリストのゆえに迫害され、苦しめられることがあります。

これは、クリスチャンがキリストのからだの一部分だから、キリストに向けられる憎しみが向けけられるからです。

「しかし今、彼らはわたしをも、わたしの父をも見て、そのうえで憎んだのです。これは、『彼らは理由なしにわたしを憎んだ』と彼らの律法に書かれていることばが成就するためです」(ヨハネ15:24~25)。

世は、罪は、悪魔は、イエス様を正当な理由なく憎んでいるのです。

その憎しみは、私やあなたにも向けられているのです。

クリスチャンとして躓きになることの一つは、力がある人、影響力のある人から受ける傷です。

きっとあなたも、そのような傷で苦しみ、躓き、倒れそうになったことがあるのではないでしょうか?

しかし、その時に思い出してもらいたいことがあります。

イエス様も、あなたと一緒に苦しめられ、痛めつけられているのです。

そこに慰めといやしがあるはずです。

あなたの痛みのある場所にイエス様を迎え、イエス様の苦しみを感じてください。

「彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた」(イザヤ53:5)。
 

6月8日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 6月 8日(火)11時14分56秒
  ?〈6/8(火)本日の一言メッセージ+動画+α〉

??「人を批判する時の心得とトレジャー・ハンター」

学生時代、親、教師、社会、政治などに対して痛烈に批判しました。神学校に通うようになると、クリスチャンや牧師に対して批判したことを思い出します。

批判をしている時の私は・・・
①自分が知るべきこともまだ何も知らないということを知りませんでした。

②自分が正しいと信じて疑っていませんでした。

③自分がいっぱしの者であるかのように思い上がっていました。

一人の大学生が、教授から批判することに対しての教訓を得ました。

本を読んで、著者に対して自信満々で批判的な意見を述べました。

それを聞いた教授は、「ちょっと読み込みが甘いというか、もう少し著者の意見に耳を傾けましょう」と言いました。

「え、なんで!?・・・」と思ったそうです。

続けて教授は、「君の指摘している点はある意味で正しいかもしれません。けど、著者の本当に言いたいこと、何を言いたいのかということを、本当に理解しようとしてから、そういう点を指摘してますか?」

「その人が本当に言いたいことを理解するつもりで意見を聞き、その言いたいことを結論づける上で根拠や理由に不十分な部分があるなら、それは指摘して『あげる』必要があるんです」

ハッとしたそうです。

自分の意見は、重箱の隅をつついて、ただ「間違ってやんのー。 やーいやーい、減点~!」と言っている子どもと同じ。

著者が言いたいことに耳を傾けることなく、ただ、わけも分からず、足をひっぱろうとしていただけだったと気づきました。

まず批評ありきで、著者の意見の甘いと思ったところを指摘してやろうと身構えていたら、相手が本当に言いたいことを見過ごしてしまいます。

私は、数年前から、毎日2つ以上の文章をネット上に投稿し続けています。

これを毎日やっていると、時間が限られていますので、文章の校生をしないでそのままアップロードしてしまうこともあります。つまり、不十分な文章のまま載せてしまうこともあります。

勇気をもって間違いを指摘してくれる人がいたらありがたいです。お礼を言って、すぐに訂正します。

ただ、批判してくれる人の中には、文章の本筋ではなく、枝葉の部分の話に過剰反応して、のべつ幕なく攻撃的、かつ感情的に持論を展開する人もいます。

時間があれば、その人とじっくり話し合いたいですが、お互いの時間が合わなかったり、そこまでの時間は取れません。

何より、私が本当に言いたいことに耳を傾け、理解しようとしない心から出る批判者は、私が何を話そうと、聞く耳はなく、堂々巡りが続き、残念な結果に終わってしまうことがあります。

批判をしてくれるということは、真剣に文章を読んでくれていることです。その心はありがたいです。

また、私自身に関心を持ってくれていることに感謝したいと思います。

しかし、パッと目に付く部分を、さっと批判してしまう前に、筆者が、一体何を言おうとしているのかに耳を傾け、それを受け止めた上で、「ここが不十分だと思いますよ」と指摘してくれるとしたら、さらにありがたいです。

もし、本筋ではない枝葉の内容のことで、「あーでもない、こーでもない!」と、落ち度を批判したくなったとしたら・・・、ちょっと立ち止まって、もう一度読んでみて下さい。

次に、聖書を安易に批判する人がいます。

聖書と向き合い、聖書が何を語ろうとしているのかに耳を傾けて、理解しようとした結果、批判するのは構いませんし、否定するというなら仕方ありません。しかし、最初から、自分なりの聖書観という色メガネをかけて、聖書の矛盾点を探すだけの批判なら、いささか早とちりであり、早合点の勇み足ではないかと思います。

聖書は、「・・・もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです」(使徒の働き17章27節~28節)と語ります。

また、「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたし(イエス・キリスト)について証言しているのです。それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたし(イエス・キリスト)のもとに来ようとはしません」(ヨハネの福音書5章39節~40節)と書かれています。

批判する心が文明や文化を発達させて来ました。批判をし、より良くしていこうという心は大切です。

しかし、批判のための批判ならば、理解し合うことなく、争いを生み出すだけです。そして、そこに隠された宝に気づかないで、見過ごしてしまうこともあります。

みなさんは、じっくり文章を読んで下さる方々だと思います。ぜひ、聖書に向き合い、じっくり読んでみて下さい。そこに、想像もできないほど素晴らしい宝が隠されていると思います。聖書を読むことは、世界最高のトレジャー・ハンティングです。

「天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います」(マタイの福音書13章44節~46節)。


?【動画メッセージ】
「負けないこと」
https://youtu.be/G3NS0iOXKTc


?【6/7(月)川口駅前 路傍伝道】(前半)
https://youtu.be/s3bKWH9MF8o
https://youtu.be/hWxebP9TuZk



?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/g01Pzz4o1fQ (夕方)


?「編集後記的メッセージ 『ゆとりを持って、芯を通す』」

SNSの投稿に対して、批判や反論してくださる方の中には、何もわかっていないゆえに簡単にご意見を言われる場合があります。しかし、ある程度わかっていて意見を言って来られる方もいらっしゃいます。

理屈としては合っているのに、私が何を言いたいのかを理解し、共感した上での意見でないので、平行線の場合があります。

意見を述べられる方のその時の思いは、「私は正しい。だから教えてやろう!」などの思いなのでしょう。

正しく理解されていない場合、こちらからも同じような思いが湧き上がるからです。

これは、SNSの投稿に限らず、毎日の人間関係のあらゆる場面で似たようなことが起こります。そして、その思いこそが争いの根っこにあります。

「私が間違っているんですよ」と言って喧嘩している人はまずいません。「私が正しい!」と主張して喧嘩をしているのです。

正しいと思うことはそれでよいですが、「本当に正しいのだろうか?」「部分的に間違っていることはないだろうか?」「持論を押し付けていないだろうか?」「相手にも理がないだろうか?」と考える心のゆとりを持ちたいものです。

心のゆとりがなくなると、融通がきかなくなります。

そんな時、立ち止まり、深呼吸をし、祈り神に聴くことをお薦めします。

膠着した心の中に神の愛が流れ込み、笑顔とゆとりが生まれるものです。

自分の芯を通すことは大切です。しかし、ゆとりを持ったうえで芯を通したら、それは建設的な関係が築けるはずです。

素敵な1日でありますように。
 

6月7日 本日の一言メッセージ

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2021年 6月 7日(月)09時16分38秒
  ? 〈6/7(月)本日の一言メッセージ〉

??「心配か、信頼か」

私には、心配の材料となるものがたくさんあります。

いろいろな人間関係を持つと気分転換になる面もありますが、その裏面として、様々な厄介な問題があります。時間も取られるし、疲れます。

人間関係以外には、経済や健康などの心配の材料があります。

なぜ、「心配」と言わないで「心配の材料」と言うかというと、心配の材料は、心配に変えることも、信頼に変えることもできるからです。

「心配」と「信頼」の違いは、「ぱ」と「ら」の違いですが、この言葉をつなげると「パラ」になります。

新約聖書の原文のギリシャ語で「パラ」という言葉は、「傍らに」という意味の言葉です。

聖書では、三位一体の神の聖霊に対して、「助け主」や「慰め主」と訳されて言葉に「パラ」が入っています。「パラ・クレートス」です。

「パラ」は「傍らに」で、「クレートス」は「呼ばれた者」という意味の言葉です。

「聖霊」というお方は、私たちの傍らに立ち、呼んで下さる、呼び寄せて下さるお方なのです。

また、「傍らに立つ」とは、元々は弁護士を意味する言葉です。

弁護士は、裁判にかけられ訴えられている時に、被告人の側に立って弁護をし、無罪を主張したり、刑が軽くなるように情状酌量を求めてくれます。

後になって、一般的に、助言をしたり、慰めてくれる人も含めて指す言葉になりました。

聖霊は、神であり、いつも私たちと共にいて、訴えられたり、困った状況の時には弁護をしてくれますし、困っている時には助けて下さいます。傷つき、落ち込んでいる時には、傍ら似呼び寄せて慰めて下さり、迷っている時には助言を与え、優しく導いて下さいます。

「心配」と「信頼」を分ける分水嶺は、聖霊なる神と共に歩むのか、否かです。

どんなに大きく、多くの心配の材料があっても、神と共に歩み、生き、考えるならば、この方に頼り、ゆだねるなら、信頼に変わります。赤ちゃんが母親の胸に抱かれて安心し切っているような状態です。

しかし、どんなに有能な人で、人生の経験が豊富な人でも、神を信じないならば、心配の材料の前には形無しになります。

神を信じない、神に祈らない、神に頼らないというのは、神ではなく、神の実力もない自分が神の役を担うことになります。

能天気で、楽観的な人でも、窮地に追い込まれ、身の危険を感じた時には、取り乱し、全くの無力の状態になります。

みなさん、これが本当の人間の姿です。

「人間は、神より少し低く造られた」と聖書は語ります。

「あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました」(詩篇8:5)。

人は、神と同じ性質を持っています。神に似ている存在なのです。しかし、神よりいくらか劣るものであるという意味は、神に頼らなければ生きていけない存在であるという意味です。

人間が、修行をし、心がけ次第で強くなり、神のように全能の存在となれるなら、宗教などに意味がありますが、神を信じ、神に頼ることを教えない宗教は、診療能力や治療能力のない藪医者みたいなものです。

人を騙してお金を巻き上げる悪徳病院のような宗教もない訳ではありません。

キリスト教は宗教ではありません。神と共に生きる生き方を教え、神と共に生きる道です。

キリスト教の本質は、キリスト道なのです。

その道をあなたも生きてみませんか?

心配の材料は、神への信頼に変わります。


?【動画メッセージ】
「どうしたら人を愛せるようになるか?」
https://youtu.be/8H0Vl5CXQ8M


?【6/4(金)経堂駅前 路傍伝道】(短い動画)
https://youtu.be/hz0mq1BBiPI (1)
https://youtu.be/OnrR3c17kPQ (2)
https://youtu.be/s53VVT4U6Tk (3)
https://youtu.be/Voen1ZmVK2U (4)
https://youtu.be/GWmlQIaUxsM (5)


?【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/g01Pzz4o1fQ (夕方)


?「編集後記的メッセージ 『「ブルー・マンデーか、ハッピー・マンデーか」を決めるのは、「心配するか、信頼するか」にかかっている!』」

憂鬱な気分で迎える月曜日を「ブルー・マンデー」ということがあります。その「ブルー」に対する対義語はレッドという感じでもないし、すぐに思いつかないので、「ハッピー」としたいと思います。

今日の一言メッセージは、「心配か、信頼か」ですが、「ブルー・マンデーか、ハッピーマンデーか」を決めるカギは、「心配か、信頼か」にあると思います。

問題や嫌なことがあったら、心配になり、気が重くなります。それは正常な心の機能です。それを直視し、適切な対応をすることで、ピンチをチャンスに変えることができるからです。放置して置いたら、問題はどんどん大きくなってしまうものです。

しかし、心配したからといって、自分で簡単に解決できるようなことであれば、すぐに着手したら良いですが、自分では解決できないのに、延々と心配していても、何も解決にならないばかりか、心が壊れていきますし、得策ではありません。

時間が解決してくれることであるならば、放置しておいてもよいことでしょう。

しかし、時間が解決もしてくれない難問であり、かつ、自分の力ではどうしようもない問題・難題に直面しているならば、全知全能の神に信頼して、委ねることです。そして、神に委ねたならば、手を離すことです。

神は、神ご自身で解決に向かわせてくださり、神と共に解決させてくださいます。すべて神が整わせてくださり、「今、~をしなさい」と導いてくださいます。

神に信頼し、神に委ねたならば、神が主権を持って解決してくださり、その解決のためにあなたを用いてくださいます。

しかし、心配し、自分で抱え込んでいたら、自分一人で解決しなくてはならず、神様にちょっとだけ手伝ってもらうことはできても、徒労に終わるか、傷つくか、倒れてしまう可能性があります。

神に信頼し、神に委ね、神と共に生きていくのがベストです。そんな1週間でありますように。祝福を祈ります。

今日は、17時から、JR川口駅西口2階デッキで路傍伝道をいたします。神に信頼して活動を行います。どうぞ神の守りと助けがありますようにお祈りをお願いします。また、見学やご参加も歓迎します。
 

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