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(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年12月10日(月)17時40分57秒
  「心が亡びてしまう前に 1:6で生きよう!」

忙しくと動き回っているばかりだと、心を亡(な)くし心を亡(ほろ)ぼしてしまいます。

空を見上げたら青空が広がっていたのに、気づかなかったかもしれません。

目を下ろせば道端にかわいらしい花が咲いていたのに、気づかなかったかもしれません。

あなたと話したがっていた寂しい人が近くにいたのに、何一つ目に入ることがなかったかもしれません。

優しく吹くそよ風に気づかず、親切な忠告にも馬耳東風でいたかもしれません。

忙しくしていることは、あなたをそんな状態に追い込むほど価値があるものですか?

今ならまだ間に合います。

「忙」という字は、「心を亡ぼす」と書きますが、心が疲れてダメになってしまう前に、一度棚上げして、休んでみたらどうでしょうか。

「静まって、 わたしこそ神であることを知れ。」(イザヤ書46章10節)

人間の取扱説明書である聖書には、週に一度は神を礼拝し、安息をする必要があることを命じています。

心が亡びてしまうその前に、最低、週一度は安息して下さい。

逆に、ヒマを持て余している人がいたら、安息は週一度にして、六日間与えられている活動に力を注ぎましょう。

1:6のバランスで生きていきましょう。

この後も、ステキな時間でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年12月10日(月)08時17分7秒
  「ありがとう ~ツキを呼ぶ魔法の言葉~」

「ありがとう」。これは不思議な魅力に満ちた言葉です。どんなに疲れていても、その一言を聞いただけで元気になることができます。

先日、講演を終えた後で、聴衆の何人かが、「とっても良かったです。ありがとうございました。」という言葉をかけてくれました。その言葉を聞いただけで、疲れは吹き飛び、元気になりました。力ある言葉ですね。

「ありがとう」は、通常、何かをして頂いて感謝を表す時に使いますが、しかし、そういう時だけではなく、とてもそう思えない時にも使うことができます。

漢字で「有難う」と書きます。「有る」ことが「難しい」ことに使えます。

めったにないような好意を受けた時、かゆい所に手が届くような心配り、親切などは「有る」ことが「難しい」です。

しかし、めったにないような最悪な出来事、とてつもない惨事、珍事。侮辱されたり、ひどい目に合ったり、腹が立つような対応を受けた時。これも「有る」ことが「難しい」、有り得ない、想定外です。

「ありがとう」は、良くても悪くて、「有る」ことが「難しい」ことに対して使っていい言葉です。

しかし、後者の悪い方の「ありがとう」は、その相手や状況に対してまともに口にしたら、皮肉に聞こえますし、それを見た人から、「この人、どうかしちゃったんじゃないか?」と心配になります。この「ありがとう」は、祈りによって、「有難い」ことを与えて下さった神に対して語って下さい。

ところで、「ツキを呼ぶ魔法の言葉」という小冊子を読んだことがあります。「五日市剛氏」の講演をまとめたものです。五日市さんが大学院生の頃、自分の研究に行き詰まり、人間関係に悩み、現実逃避のために一人でイスラエルを旅行しました。しかし、旅先でもトラブルが続き、飛行機が遅れるし、財布を失くしてしまうし、詐欺に会って所持金のほとんどを失ってしまいました。さらに、大寒波が襲来し、泊まる宿も見つかず、一人つぶやきました。「なぜ俺ばっかりこんな目に遭うんだ!」「俺ほどツイいてない人間はない!」。

そんな時、一人のユダヤ人のおばさんと出会い、親切にも自宅に泊めて頂きました。ツキに見放されていた五日市さんを見たおばさんは、かわいそうに思って、「ツキを呼ぶ魔法の言葉」を教えてくれました。

後日、五日市さんはこの言葉を実際に使うようになりました。そうしたら、次々に幸運なできごとが引き寄せられるようになりました。人間関係の改善。研究の成功。工学博士号取得。一流会社に就職が決まり、さらによい会社からヘッドハントされ転職し、世界的な発明をし、理想の女性と結婚をし、まさに、いいことずくめです。かつての五日市さんの面影もありません。

五日市さんの人生と運命を変えた「ツキを呼ぶ魔法の言葉」とは何でしょう? それは、「ありがとう」と「感謝します」と「ツイてる」の3つです。

嫌なことがあったら「ありがとう」。うれしいことがあったら「感謝します」。そして、口ぐせのように「ツイてる」と言います。難しくないですね。

人生は、だいたいうれしいことか?うれしくないことか?のどちらかです。うれしかったら「感謝します」。うれしくなかったら「ありがとう」と言うだけです。そして、どんな時にも、「ツイてる! ツイてる!」と言えばいいのです。

五日市さんに「ツキを呼ぶ魔法の言葉」を教えたユダヤ人のおばさんは、ユダヤ教徒ですから聖書を信じています。「ツキを呼ぶ魔法の言葉」は、実は聖書の言葉なのです。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(Ⅰテサロニケ5:16~18)

また、「ツイてる」も聖書にあります。

「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」(詩編1:2~3)

「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。」(詩編23:6)

「ツイてる!」と信じたら、自然に口からもその言葉が出て来るものです。しかし、今は信じられなくても、いつも口にしていたら、段々、「私はツイてるかも知れない」⇒「私はツイてる」と信じられるようになり、やがて現実も、信じた通りになって行きます。

イエス・キリストは、「あなたの信じたとおりになるように。」(マタイの福音書8:13)と言われました。

聖書は、さらに「ツイてる」と語ります。

「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイの福音書28:20)

「いつも、あなたがたとともにいます。」⇒「神は私にツイていて下さる」のです。こんな素晴らしい人生がツイてないはずはありません。ツイて ツイて ツキまわる人生です。

神が一緒にいて下さるなら、「マイナスはプラス」に、「ピンチはチャンス」に変えられます。だから、有難い、嫌なことがあっても「ありがとう」と言えるのです。

最後に、創世記に出て来るヨセフの物語をお話します。

親に溺愛され、うぬぼれの強かったヨセフは、兄弟たちにねたまれ、嫌われていました。ある日、ヨセフは兄弟たちに半殺しの目に会い、エジプトに奴隷として売り飛ばされました。売られた先でヨセフは主人に気に入られますが、主人の奥さんからも気に入られ、甘い言葉で誘惑されました。しかし、誠実なヨセフは、その誘惑を跳ねのけますが、恥をかかされた奥さんは、「奴隷のヨセフから性的な乱暴を受けた!」と旦那に報告し、ヨセフに濡れ衣を着せました。怒った主人はヨセフを牢屋に入れられました。ヨセフは、思春期のほとんどを牢屋の中で過ごしました。しかし、神と共に過ごし、ある日、他の囚人の夢を解き明かし、その解き明かしがすごいので、エジプトの王様の夢も解き明かすことになりました。そのことがきっかけで、ヨセフは牢屋から出してもらっただけではなく、エジプトNO.2の地位である総理大臣になりました。ヨセフが総理として国を治めていたある日、自分を半殺しにし、エジプトに奴隷として売り渡した兄弟たちが、ヨセフが総理大臣になっているとは知らずに陳情に来ました。ヨセフは、そこで自分の身分を明かし、そのことを知って恐れた兄弟たちにこう言いました。

ヨセフは彼に言った。『恐れることはありません。どうして、私が神の代わりでしょうか。あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。』」(創世記50:19~20)

ヨセフは、「お兄さんたちの悪意を、神が良いことに変えて下さったんだ。だから、怒っていないから心配しないで下さい」と言いました。ヨセフはまさに、自分に対するひどい仕打ちに対して、苦しみ、葛藤しながらも「ありがとう」と神に祈れるようになっていました。

その「ありがとう」がヨセフを、外国の総理大臣にまで引き上げたのです。

みなさんも、どんな時にも「ありがとう」と感謝の人生を歩んで行きましょう。

また、神はいつも共にいて、ツイていて下さるのです。だから「ツイてる!」と、自分が祝福されていることを口にして下さい。

これが「ツキを呼ぶ魔法の言葉」なのです。

良い一日でありますようにお祈りいたします。今日もありがとうございます。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年12月 9日(日)23時16分33秒
編集済
  「伝道会議&現地視察」
《Now watching 923》

12月22日(土)の「新宿東口アルタ前広場(午後5時~8時)」での「クリスマス路傍伝道大会」のミーティングをしました。熱く語り合い心が燃やされました。その後、12月25日(土)の池袋駅西口芸術劇場前の西口公園伝道の現地視察を行いました。何と、公園は工事中で入ることすらできませんでした。12月25日のクリスマスは、「池袋駅西部東口前」に変更します。路傍伝道ネットワークはクリスマスも、年末年始も熱いです。よろしくお願いします。

【今後の予定】

「路傍伝道ネットワーク 12月の予定」
【12月25日の開催場所変更】

④12月13日(木)
【クリスマスシリーズ第一弾】
〈前半〉
(午後2時30分集合)
午後3時20分~午後4時
「老人ホーム クリスマス慰問コンサート」
〈後半〉
午後6時30分~午後8時
「JR南武線 武蔵溝の口駅北口 路傍伝道」
(ペデストリアンデッキ二階広場〔東急田園都市線溝の口駅正面改札口へ南武線から向かう連絡通路〕)

⑤12月17日(月)
『第三月曜日定例』
午後6時30分~午後8時
「新宿駅東口 アルタ前広場 路傍伝道」

⑥12月22日(土)
【クリスマスシリーズ第ニ弾】
午後5時~午後8時
「新宿駅東口 アルタ前広場 クリスマス三時間路傍伝道大会」

⑥12月25日(火・クリスマス)
【クリスマスシリーズ第三弾】
午後6時~午後8時
「池袋駅 西部東口 路傍伝道」

⑦12月29日(土)
【山手線シリーズ第二弾】
〈前半〉
午後5時~(約一時間)
「目白駅スタート 山手線祈祷会」
(外回り先頭車両集合)
〈後半〉
午後6時30分~午後8時
「目白駅北口前広場 路傍伝道」

⑧12月31日(月・大晦日)
【埼玉シリーズ第二弾】
『路傍伝道納め』
午後6時~午後8時
「川越駅東口 歩行者用二階デッキ 路傍伝道」

[1月]
①1月2日(水)
『初路傍伝道』
午後4時~午後6時
「原宿駅 竹下口前広場 路傍伝道」

★見学や短時間の参加も歓迎です。
★路傍伝道の集合場所は現地になります。不明な点がありましたら、メッセージ、もしくは、sgr_ch@ybb.ne.jpまで問合せ下さい。
★各活動終了後に自由参加の食事会があります。

「路傍伝道ネットワーク紹介ビデオ」
http://japan.cgntv.net/movie_player.php?number=2437&sub_number=104892

「献金振込先」
ゆうちょ銀行  記号 10100  番号 72587221  口座名 路傍伝道ネットワーク
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年12月 9日(日)13時59分21秒
  「誠実さとは?」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/12/9(日)【1327】」

「誠実」という漢字は、「言」+「成」+「実」から構成されています。

つまり、誠実」な人とは、「言葉」と「行動」が一致した人のことです。

「あの人は誠実そうですね」という場合、裏表がなく、言動が一致しているように見える人を言うのではないでしょうか。

聖書は、「人はその口の結ぶ実によって腹を満たし、そのくちびるによる収穫に満たされる。死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。」(箴言18章20節~21節)と語ります。

「口が語ることが種としてまかれ、そのまいたものを収穫する」と言うのです。つまり、人生はその人が語った通りになるのです。そうしたら、語る言葉とその人の生き方が一致するのでみんなが誠実な人であるはずですが、不誠実な人も数多くいます。

良いことを語る人は、良い実を結ぶので、その実を隠す必要はありません。しかし、悪いことを語る人は、悪い実を結ぶので、その実を隠して、良い実を結んでいるように見せかけたり、猫をかぶり「いい子」を演じたりするのではないでしょうか。

イエス・キリストは、そのような人を「偽善者」や「白く塗った墓」と呼びました。

「わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは白く塗った墓のようなものです。墓のその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいです。」(マタイの福音書23章27節)

言葉を変えていうならば、不誠実です。

そうならないためにどうしたらいいでしょうか。

悪い言葉を語ることをやめて、良い言葉を口で語るようにしましょう。

1、陰口をやめましょう。

2、目の前にいる人を否定することをやめましょう。私たちは、人の「良い・悪い」をいう評論家になる必要はないのです。

3、神の言葉を語りましょう

「その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」(詩篇1編2節~3節)

「この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行うためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。」(ヨシュア記1章8節)

神の言葉を、昼も夜も口ずさむならば、「あなたが何をするにしても栄える」というのです。

もちろん、成功や繁栄をひけらかし、自慢することは控えるべきですが、やることなすことがうまくいくならば、それを隠す必要はありません。

誠実に生きる秘訣は、悪い言葉を語ることをやめ、良い言葉、神の言葉を語ることです。そうしたら、人生は祝福され、誠実な人になります。

否定的、消極的、破壊的な言葉も必要以上には使うことをやめて、肯定的、積極的、建設的な言葉を多く使っていきましょう。

この後も、ステキな時間でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年12月 9日(日)07時14分12秒
  「小さな幸せに敏感でいたい」

「幸せ」と感じられることは、年と共に変化します。

子供の頃、空を見上げているだけでうれしくなって、「あの雲に乗ってみたいな」と考えるだけで幸せになりました。

初めて人を好きになった時、すべてが輝いているように見えて、好きな人のことを思うだけで幸せでした。そうじゃなかったですか?

今は、大きな幸せを追い求めて、知らないうちに小さな幸せを感じることを忘れていることはないですか?

幸せは、頭で判断することではなく、素直な心で感じるものです。

ささやかな小さなことに幸せを感じることができれば、その人は幸せな人だと思います。

私は、年に一度、大きな幸せを感じることよりも、毎日、小さくても幸せを感じられる人でありたいと思います。

私は、みなさんのことを考えることで、幸せを感じます。だから、ネットに文章や写真を投稿し続けられるのだと思います。いつも幸せをありがとう。

素敵な一日をお過ごし下さい。

「神の恵みをいたずらに受けてはならない。神はこう言われる、『わたしは、恵みの時にあなたの願いを聞きいれ、救の日にあなたを助けた。』見よ、今は恵みの時」(コリント人への手紙第二6章1節~2節)
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年12月 8日(土)23時17分14秒
  「遅めの夕食」
《Now watching 922》

番組収録後には、表参道のレストランで、広島牡蠣のスープスパゲッティを食べました。食後には、クリームソーダとレアチーズケーキを食べました。楽しい時間でした。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年12月 8日(土)22時40分25秒
  「クリスマス番組の撮影」
《Now watching 921》

今日はクリスマスの番組の収録がありました。原宿表参道のクリスマスイルミネーションをバックに撮影しました。インターナショナルで、通行する人がたくさん写真を撮ったり、手を振ったりしてくれました。夜の代々木公園では、誰もいないところで2つのグループの人たちがライブをしていました。私なら、駅前とか、人がたくさんいるところでするのにな、と思いながら彼らの音楽に耳を傾けました、有名な曲のコピーも悪くないですが、オリジナルソングは耳新しくてより良いですね。今日は、撮影のためにクリスマスソングを歌っただけなので、少し不完全燃焼。原宿駅前でも歌いたかったです。ステキな夜をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年12月 8日(土)11時56分2秒
  「誰がやるか?何が成されるか?」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/12/8(土)【1326】」

本来、仕事をやっていく上で大切にすべきことは、何が成されるかであるはずです。

しかし、実際は、そう簡単に物事は進んでいきません。

そこにねたみの感情が出て来たり、ヒエラルキー組織などがそれを阻み、誰がやるかが重要なことになってしまいます。

また、それを行なう「誰」という人が純粋な思いからそれをするのではなく、やることによって得られる立場を利用して分派を作ってしまう可能性があります。

そうすると、誰がやるかによって、その「誰」と親しいなら厚遇されますが、敵対関係にあるなら冷遇されることになります。

そうすると、途端に、「誰がやるのか?」が重要なことになってしまいます。

9月に行なわれた自民党の総裁選には、安倍総理大臣と石破元幹事長の一騎打ちとなりました。

石破さんの派閥にいる人や石破さんを支持した人は冷遇されていると言われます。

「何が成されるか?」が大切なら、選挙が終わった時点でノーサイドと考え、石破さんを支持しようが関係なく、適材適所で人事が行なわれるはずです。

世の中は、「誰がやるか?」が大切にされているのが現実です。

私は、数多くの組織と関わって来ましたし、現在も、いくつかの組織に入っています。

そこで聞いた言葉が、「~さんが長になるなら、私はそれを支えます」「~さんが抜けたので、もう私がいる意味はなくなったので辞めます」などです。

本来組織とは、「何が成されるか?」のために設立され、編成されます。

誰が「長」になろうが、誰が「役員」 になろうが、目的が達成されればそれで良いはずです。

そこには、人間の罪があるので、「ねたみ」の感情がそれを阻みますし、さらに、誰が長になるかで、方向が変わってしまう可能性があります。

会社を再生させようとしている時に、「会社単体で再生させようとするリーダー」と、「身売りして、経営権や事業を譲渡して生き残っていこう」と考えるリーダーでは、その結末が大きく変わってしまう可能性があります。

教会も、「神を愛し、神に忠実な牧師がリーダーの教会」と、「人を愛し、時流を読むことに長け、有能な牧師がリーダーの教会」では、大きく方向も形も変わってしまうことになると思います。

「誰がやるか?」「何が成されるか?」という二者択一ではなく、両方が大切だということになります。

その意味においても、リーダーはとても大切です。

リーダーは、神に祈り、適材を選ぶことが大切です。

次に、リーダーが選ばれたならば、分裂や分派をもたらせてはいけないと思います。

リーダーが正しい方向に進めるように励まし、支援しつつも、一丸となって進んでいくことで、Win-Winで、みんなが喜ぶことにつながります。

適材適所です。どんなに有能な人でも、すべての領域でリーダーになることはできません。また、すべてにおいてフォロワーであるわけにはいきません。

リーダーも、フォロワーも、
①神の栄光を現し
②人々が幸せになり
③より良いことがなされるために、
力を合わせていきたいものです。

このあとも、ステキな時間でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年12月 8日(土)07時48分46秒
編集済
  「失敗とは、自らが失敗と決めない限り存在しない」

人生に失敗はありません。あるのは「発見するチャンス」だけです。

発明王のトーマス・エジソンは、「わたしは、今までに、一度も失敗をしたことがない。 電球が光らないという発見を二万回しただけだ」と言いました。

「失敗したくない」と恐れる人は、ちょっとうまくいかないとすぐに、「あー失敗しちゃった。これでもう終わりだ!?」と、自らに「失敗の烙印」を押してしまいます。

自分で自分に押すこの「失敗の烙印」ほど、力を奪い取ってしまうものはありません。

あなたの辞書から、「失敗」の二文字をなくしてしまいませんか。

それは単なる強がりではなく、「失敗は成功の基」と言われますが、失敗を発見のチャンスと考えて、それを新たな成功につなげていくことです。

「しくじるは稽古のため」
「失敗は成功の母」
「失敗は成功を教える」
「七転び八起き」
「禍を転じて福と為す」

これらのことわざが教えるように、失敗は失敗で終わらせない限り、それは発見のチャンスであり、成功につながっていくのです。

今日、いくつもの成功の種を発見し、それを前進の肥やしとさせて頂きましょう。

「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。兄弟たちよ。私は、すでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。もし、あなたがたがどこかでこれと違った考え方をしているなら、神はそのこともあなたがたに明らかにしてくださいます。それはそれとして、私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです。」(ピリピ人への手紙3章12節~16節)

今日も素敵な一日でありますように。祝福をお祈りいたします。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年12月 7日(金)23時52分25秒
  「山手線祈祷会&高田馬場駅伝道」
《Now watching 920》

山手線祈祷会は、遅刻する人がいたり、アメリカ在住40年の方が集合場所になかなかたどり着けないこともあって、45分遅れてスタートしました。午後6時15分は混雑のピークで、一周ずっとぎゅうぎゅうの状態で、圧迫と酸欠で、倒れそうな状態になった人もいました。過酷な祈祷会でした。祈りきることができて感謝でした。高田馬場駅伝道は、少数で行いました。前半は、マーチンのギターのことで聞いてくる人がいて、なかなかスタートできませんでした。しかし、ゴスペルやバッハなどの教会音楽の話で盛り上がりました。チラシを渡すことができて伝道できました。後半には、「イエス様は、自分のお姉さんの家で生まれたのであって、馬小屋で生まれたのは間違いだ。バカだ!かわいそうな奴だ!」と絡み付いてくるので、「あなたの話の根拠となる資料を持ってきて下さい。そうしたら検証して、こちらが間違っていたらそれを認めましょう」と言いますが、「聞く耳のない哀れな人だ」とかみ合わず、あんまりしつこいので、アメリカ在住40年の方が警察を呼びました。警察の姿を見た途端、すたこらと逃げてしまいました。終わりの頃に、カトリックのクリスチャンの方が合流し、意気投合し、一緒に食事にまでいきました。今日は、電車で酸欠で倒れそうになり、そのあとにギターで意気投合し、いちゃもんつけられ、からまれたけれど、そのあとに、カトリックのクリスチャンと意気投合しと。マイナスとプラスが交互に訪れました。神様は、私たちを退屈させることはありません。戦いが多かったですが、祝福も多かったです。神様に栄光がありますように。心から感謝致します。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年12月 7日(金)23時40分12秒
編集済
  「新宿大久保通り教会防災ネットワーク」
《Now watching 919》

日本福音ルーテル東京教会を会場にして、SOS防災ネットの会議が行われました。活発に意見を出し合い、有意義な話し合いが行なわれました。開会前には、クリスチャン防災ネットワークのミーティングも行ないました。「これで完璧!」ということはありません。日本は震災大国です。いつどこで、どんな震災が起こるかわかりません。良き備えができますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年12月 7日(金)18時49分37秒
  「本日の山手線祈祷会」

今日の山手線祈祷会は大変なことになっています。ピークの時間であることもあり、ぎゅうぎゅうの状態。酸欠でめまいがします。個別に祈っています。最後まで祈りが支えられるようにお祈り下さい。終了時間が少し遅れます。高田馬場駅路傍伝道から参加される方は、少しお待ち下さい。よろしくお願いします。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年12月 7日(金)13時19分34秒
  「幸せな人間関係の秘訣」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/12/7(金)【1325】」

私たち人間が直面するほとんどすべての問題は、人間関係と関わりがあるものではないでしょうか。

人間に対してどう見ているかで、傷を受ける度合いや、納得し、解決できるかが決まってしまうのではないかと思います。

人は信頼に値する存在かどうかです。

一番本当の姿が現われる関係は、結婚関係です。

結婚とは、「契り」を交わすことです。永遠に変わらない愛の契約であり、誓いです。

この契りが破棄されていいと聖書が教えているのは、不貞です。

「また『だれでも、妻を離別する者は、妻に離婚状を与えよ。』と言われています。しかし、わたしはあなたがたに言います。だれであっても、不貞以外の理由で妻を離別する者は、妻に姦淫を犯させるのです。また、だれでも、離別された女と結婚すれば、姦淫を犯すのです。」(マタイ5:31~32)

不貞は、結婚相手に対する裏切り行為だからです。

しかし、浮気や不倫があったからといって、積極的に離婚を薦めているのではありません。あくまで容認です。

修復できるとしたら、それが望ましいのです。

そのほかに、離婚理由があるとしたら、働かない、酒癖が悪い、DVなどです。

普通の生活に支障をきたすからです。

つまり、好きで結婚をして、嫌いになったから離婚することは筋が通ってないのです。

少なくても、結婚関係においては、一番本当の姿が出る関係であることは確かです。

それを前提として、その上で相手を許し、愛し続けて行くということは、愛を学び、人間として成長を意味します。

次に、神は教会という人間関係を与えて下さいました。

教会には、いろいろな人が集まります。好きなタイプもいれば、苦手なタイプもいます。「この人は絶対に無理!」という人もいます。

その時に、気が合い、共通点のある人と親しくし、気が合わず、苦手なタイプの人と距離を置くのも知恵の一つです。

しかし、そう簡単に割り切れるものではありません。

その時、違う教会に移るという選択もできますが、もし、そうしたとしたら、愛を学ぶ機会を失ってしまうことになります。その人は、次の教会でも、同じように気が合わない人を見つけて、転々とするようになるからです。

教会は、愛を学ぶ教室です。そこで愛を学び、成長できたら、この世の人間関係にも反映されますし、幸せを経験できるようになります。

人間関係がうまくいかない理由は、どこかで、人を過大視しているか、「人間はこうあるべき!」と勝手に決め付け、思い込んでいるからかも知れません。

人は、祖先アダムとエバが神を捨てて、悪魔に従うという原罪という罪を犯した時から、神との関係が切られ、壊れてしまっているのです。

この事実を受け入れましょう。

人は自己中心です。その自己中心を肯定していいわけではありませんが、自分が一番かわいいのです。

利害が一致している時には、愛し合い、仲良くしますが、利害関係がなくなり、愛が憎しみに変わると、敵対し、関係が切れてしまいます。

人を信じるということは美徳のようですが、人は、究極的には信じられない存在です。

究極的に信じられるのは、神だけです。

神を信じ、神の愛を受けて下さい。この愛は、何が変わっても変わることがありません。

ここに希望があり、安心があり、喜びがあります。

人は、信じるべき対象ではなく、神が愛して下さったように、愛するべき存在です。

神の愛は、一人子イエス・キリストをクリスマスに与えて下さり、そして、そのいのちを持って私たち人間の罪を贖って下さり、赦して下さり、和解して下さったのです。

過ちを見過ごし、水に流すこととは次元が違います。

神は、自ら罪の代償を支払って下さり、赦して下さったのです。

この神を信じ切り、この神の愛を受け入れて下さい。

この愛で人を愛そうとしたら、神の愛がどれだけすごいかがわかると思います。

神の愛に感謝し、神の愛で人を許し、愛し、受け入れることを選び取って下さい。

それは、「何でもいいよ、いいよ」ということではありません。罪を憎んで、人を憎まずです。

聖書が罪と教えることは、徹底して除いていかなくてはいけません。

しかし、同時に、人を愛することです。

しかし、人は、原罪のゆえに壊れている存在です。その人間を愛せるでしょうか。

原罪は病気であり、その症状は「愛せない」ということです。

愛せない私たち人間が、どうしたら愛せるようになるのでしょうか?

まずは、私たちを愛し、救って下さる神を信じましょう。

そして、神に頼りましょう。

神様は、愛せない人に「愛しなさい」といっておられるのではなく、「わたしに頼りなさい」といっておられるのです。

だから、キリストがこの地上に来られたのです。

神様に頼り、神様に祈りましょう。

そして、愛を選択していきましょう。

存在の根底が震えるような究極の選択かも知れませんが、神は、私たちを助け、私たちが愛に生きられるように助けて下さいます。

その選択の先に、真の幸せがあるのです。

このあとも、ステキな時間を過ごせますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年12月 7日(金)06時16分56秒
  「本当のクリスマスとは」

クリスマスとは、「Christ(キリスト)のmass(ミサ)」からきている言葉です。

キリストの誕生を喜び、キリストを礼拝することを意味します。

日本では、キリストなしのクリスマスという芸当が行われることがあります。

なぜクリスマスを祝うのか?
キリストは何のために来られたのか?
キリストと私にはどういう関係があるのか?

もう一歩踏み込んで考えることができたら、本当の意味でのクリスマスを祝えるのではないかと思います。

クリスチャンは、心からキリストを礼拝し、キリストを信じない人は、ちょっとだけクリスマスについて考えてみませんか?

キリストは、一宗教の教祖ではなく、全人類の救い主であり、神のひとり子です。

2018年前、イスラエルのユダヤ地方のベツレヘムの町に生まれました。

「御使いは彼らに言った。『恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。』」(ルカ2:10~11)

今年のクリスマスは、本当のクリスマスを祝いたいですね。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年12月 6日(木)19時59分6秒
編集済
  「携帯が不通で怒号が飛ぶ中で契約」
《Now watching 918》

ワイモバイルのお店に来て、妻や子供たちの携帯の機種変更に来ました。お店では、電話が使えないことに納得がいかないおじさんがひたすら腹を立て、店員を怒鳴っていました。先ほど開通し、静かに帰って行きました。店員さんは携帯がつながらないことに対する苦情対応でお昼ご飯を食べる時間が無くて、9時過ぎまで食事ができないそうです。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年12月 6日(木)17時11分16秒
編集済
  「携帯が圏外に」
《Now watching 917》

iPhoneにワイモバイルのSIMカードを使っています。ソフトバンク回線が都心を中心に通信障害が起こっているため、私の携帯も、お昼過ぎから携帯が圏外に。フリーWi-fiのあるところ以外携帯が使えない。携帯は便利ですが、不通になると不便を感じますね。しかし、そういう時には、昔のようにアナログ式に生きよう。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年12月 6日(木)14時38分2秒
  「幸せな一瞬一瞬を生きる秘訣」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/12/6(木)【1324】」

年を経るにつれて感じることが幸せです。

重い責任が与えられ、仕事の量も多くなります。

アップアップすることもあります。

ややこしい、めんどくさい仕事が好きではないのに、時々そういう仕事が舞い込んで来ます。

しかし、焦ってイライラしながら仕事をやっつけなくても、神様は、目の前にある仕事をやり遂げる力をも与えて下さるのです。

神様に委ね、神様と共に仕事を行えば、すべてやり遂げることができるようになっているのです。

ですから、恐れ、心配、焦りこそが敵なのです。

聖書は語ります。

「何事も思い煩うな」と。

恐れ、心配し、焦ることは、神様がおられるのに、神様がおられないかのように考える結果湧き上がってくる感情なのです。

あなたがそこにいるのに、あなたがいないかのように扱われたとしたらどうでしょうか? 寂しいはずです。

神様がおられることを認め、信頼し、頼りながら生きていきましょう。

そうしたら、恐れも、心配も、焦りも消えて無くなっていきます。

どんな状況の中にあっても共におられ、助けて下さる方が私の側に立っていて下さるとは何と幸いなことでしょう。

ここに私の幸せ源泉があるのです。

私はあなたが大好きです。愛しています。神様があなたを大好きであり、愛しておられるからです。

共に幸せな時間を過ごしてまいりましょう。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年12月 6日(木)08時14分25秒
  「失敗にも感謝」

私たちの人生において、「失敗を回避できるマニュアル」があるとしたらありがたいですが、今のところ、そういう本の出版はされていません。

数え切れない失敗を思い出す時に、後悔し、自己憐憫に陥って終わってしまったとしたら、それこそ本当の失敗です。

失敗を失敗に終わらせず、失敗を成功に変える方法があります。

「失敗から何かを学ぶ」ということです。

失敗は、貴重な学びの機会です。

失敗するたびに、解決策を一つ見出したことになるからです。

失敗から学ぶことができるとしたら、失敗に感謝できます。

私は、失敗を通して、たくさんのことを学ばせていただきました。

だから失敗に対しても感謝しています。

もちろん、「失敗を繰り返してもいい!」ということではありません。

失敗から学ぶ人は、失敗を繰り返さないか、繰り返したとしても、成長することができます。

今日もステキな1日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年12月 5日(水)22時41分38秒
  「祈祷会後の夕食」
《Now watching 916》

かすうどんホームラン(全のせ)で2000円。顔を洗える洗面器サイズ。キャベツはお代わり自由。数え切れないほどお代わりしました。満腹です。余は満足じゃ。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年12月 5日(水)15時09分54秒
編集済
  「人からどう思われるか心配することをやめる」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/12/5(水)【1323】」

人からどう思われているかを気にしだしたら、身動きが取れなくなるものです。

こちらが相手からどう思われているのかを心配する時には、相手もこちらからどう思われているのかを心配しているものです。

相手からどう思われるのかを気にするくらいなら、相手を愛し、親切にすることに徹した方がはるかによいと思います。

聖書は、人からそう思われるのかを気にして、悩むことを「世の思い煩い」と表現します。

そして、「世の思い煩い」は、人生の実りをふさいでしまうと書かれています。

「茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。」(マタイ13:22)

神を愛し、自分を愛するように隣人を愛して生きたらいいのです。

相手からどう思われているのかを気にし、心配し、恐れているのは、相手を愛していない証拠です。

聖書は、「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。」(第一ヨハネ4:18)と語ります。

私は、聖書を通してこのことを教えられてから、人を恐れることがなくなりました。まして、どう見られているのかを心配することの無意味さを知りました。

愛が恐れを締め出し、相手との良好な関係を築かせ、最善の結果をもたらせて下さいます。

この後もステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年12月 5日(水)08時17分48秒
  「愛を求める人から、愛する人に」

もしあなたが、誰かの愛を求めて待っているなら、あなたから誰かに愛を分かち合いませんか?

あなたと同じように、愛を求めて待っている人はたくさんいます。

あなたからほほ笑みかけ、あなたからあいさつし、あなたから手を差し伸べてあげましょう。

私は、若い頃、人からの愛を求めてさまよっていました。そんなある日、私を造られた神から無条件で愛されていることを知りました。

私たち全員が、この愛によって生かされていると実感しました。

私の残りの人生は、その愛を伝えるために捧げようと決意しました。

その時、自分から愛を分かち合うことによって、愛が与えられるのだとわかりました。

「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」(ルカの福音書6章38節)

私は毎日、涙が出るくらい温かい愛をみなさんから頂いています。ありがとうございます。

今日も素晴らしい一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年12月 4日(火)11時30分59秒
  「自分の幸せを管理する」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/12/4(火)【1322】」

自分の幸せを人に依存すると、人が自分に対して願ったような対応をしてくれないと腹を立てることになります。

自分の幸せくらいは自分で管理したいものです。自分が幸せでないと、どうやって一緒に居る人を幸せにできるでしょうか?

幸せは、親子関係の確立がカギです。

『子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。」という約束です。』(エペソ6:1~3)

聖書は、あなたの父と母を敬うなら、幸せと長寿を約束します。

権威に対するアレルギーを持っている人は、よく聞いてみると、自分のお父さんと関係が悪く、お父さんに敵対する心が、権威に対する敵対につながっていることがわかります。

不倫や浮気に陥りやすい人は、親が同じような傾向があって、傷を持っていて、赦せず、憎んでいるケースが見ます。

犯罪に手を染める人、社会への適応が難しい人、人間関係がうまく持てない人の多くが、親子の関係が原因になっています。

父と母を敬まうか、敬わないかが、人生に大きな影響を与えます。

さらに、幸せや長寿にまで影響を与えるとは驚きです。

しかし、尊敬できるような親に育てられた子どもと、でたらめな親から育てられた子どもでは、条件が違います。

不公平にも見えます。

父と母を敬い、幸せで、円満な家庭の中で育った子どもは、健全な子どもに成長し、健全な子ども同士が結婚をし、またそのような家庭を築いていきます。

しかし、争いが絶えず、軽蔑したくなるような不健全な家庭で育った子どもは、「そうはなりたくない!」と思いながらも、また同じような家庭を築いてしまいます。

どこかで、その不幸のサークルを断ち切らなければなりません。

そこで必要になるのは、親を敬い、親との関係を改善する前に、天の父なる神を知り、その方と和解し、その方との関係の中で生きていくことです。

『信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。』(ローマ5:1)

神との平和を持つためには、仲介者が必要です。

『神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。』(第一テモテ2:5)

イエス・キリストを通して、父なる神とワイすることができるのです。

『イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ14:6)

天のお父さんと和解し、このお方を敬い、愛し、仕える時に、気がつけば、この地上でのお父さんとお母さんとの関係が修復され、回復し、敬えるようになっていくのです。

そこに、幸せの秘訣が隠されています。

そして、その幸せを得たら、人に幸せにしてもらうなどという考えは捨てるべきです。

結婚した人は、結婚に理想と現実の違いがあることがわかると思います。

幸せな夫婦は、相手から幸せにしてもらおうという相互依存関係にはないはずです。

自立していて、自分の幸せを自分で管理し、相手を幸せにしたいと願い合っているものです。

誰にでも、精神的な浮き沈みはあります。しかし、今の状況や環境がどうであろうと、人が自分にどう接しようと、幸せでいることは可能なのです。

神との関係が堅固であるなら、あなたの幸せを奪える存在はどこにもありません。

『私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。』(ローマ8:35、38~39)

あなたは幸せな人です。

誰かに遠慮する必要はありません。

どうか幸せでいて下さい。その幸せを奪われないで下さい。

あなたが、幸せでないと決めない限り、あなたは幸せな人です。

幸せを決めるのは、あなた自身であり、それは、神との関係の中から溢れ流れるものです。

このあとも、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年12月 4日(火)05時48分51秒
  「祈りが答えられない理由」

聖書には、「祈ったら100%祈ったとおりに答えられる」とは教えていません。

キリスト教とは、宗教ではありません。神との関係です。

ご利益宗教ならば、祈った通りになるべきだという考えが出て来ますが、神との関係であるならば、全被造物の創造者であられ、全知全能の神と祈りを通して交わりができるだけで感謝以外に何があるでしょうか。

教会に来られる方の多くが、祈りに答えられ、神に感謝を捧げますが、ごく希に、祈りが答えられないと不平をもらす人がいます。

原因を一言で言えば、神との関係が良好ではないと言えます。

次に、祈りが答えられないいくつの理由があります。

①本気で願って祈っていない。
「あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。」(ヤコブ4:2)

②祈りの動機が不純。
「願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです 。」 (ヤコブ4:3)

③神を第一にしていない。
「貞操のない人たち。世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか。世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。」(ヤコブ4:4)
「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。」(マタイの福音書6:33)

④神を軽んじている。
「それとも、『神は、私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておられる。』という聖書のことばが、無意味だと思うのですか。」(ヤコブ4:5)

⑤高慢
「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」(ヤコブ4:6)

祈りを神との関係の中で捧げるなら、答えられない祈りはないのです。

①のように、本気で願って祈っていないとしたら、建前で祈っているに過ぎず、本当の願いではないかも知れません。祈りを吟味してみて下さい。

②のように、自分だけを喜ばせようとしたり、愛することではない悪い動機で願っているとしたら、その心を悔い改め、自分だけのためではなく、みなさんの祝福を願い、神と人を愛する良い動機で祈って下さい。

③のように、神より大切なもの持つことを偶像礼拝といいますが、金や名誉や神以外を一番にしていたことを悔い改めて、神を第一に愛して祈って下さい。

④のように、神の愛を軽く見てはいけません。神の愛はいのちをかけた愛です。神の愛を受け入れ、神を愛しましょう。神との関係が良好ならば、どんな祈りにでも答えられます。

⑤神が一番嫌われるのは高慢です。神の前にへりくだりましょう。神が試練を与えられたり、祈りに答えられない理由は、私たちがへりくだれるようにという神の愛です。

未信者であっても、クリスチャンであっても、キリスト教を宗教と考え、誤解している人が案外多くいます。

キリスト教は、神と共に生きる教えであり、道なのです。

神様は素晴らしいです。

今日もステキな一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年12月 4日(火)00時10分8秒
  「クリスマス祈祷会と懇親会」
《Now watching 915》

懇親会の時間があるため、40分くらいしか祈れませんでしたが、祈ると不思議です。聖霊に満たされ、時間と空間を超越したような感覚になり、とても充実した時間を過ごせました。懇親会も楽しい時間でした。「良いお年を!」と挨拶して別れました。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年12月 3日(月)23時55分13秒
  「川口駅西口 二階歩行者用デッキ 路傍伝道」
《Now watching 914》

川口の3時間伝道は、9月にロッチの中岡さんの番組に出演した時以来で久しぶりでした。埼玉のいくつかの諸教会が市民クリスマスの案内をすることを兼ねて、複数の方々が参加して下さいました。面白い方々が多く、ステキな仲間たちとの出会いに感謝します。ひたすらチラシを配り続ける人、ひたすらキーボードの演奏をし続ける人、多数の同じ職場の人に声をかける人たち、ひたすら説教をする人たち、ひたすら賛美し続ける人たち、個性的な一人ひとりを見ているだけでも目を楽しませてもらいました。役者がそろっていることもあり、いつも以上にたくさんの人が写真や動画の撮影をしていました。立ち止まる人、話しかけてくれる人、献金をしてくれる人などなど、私たちに応答してくれる方々が多かったように思います。終了後には、車が遠くの駐車場に止めていため、旗4本や機材一式をみんなで運びましたが、まるで主にある大名行列のようでした。みんなでやったお陰か、3時間立ちっぱなしで、歌ったり、語ったり、チラシを配ったので疲れてもおかしくないですが、心は喜びで一杯で、一晩寝たら明日も3時間くらい軽くできそうな気がするくらい元気です。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年12月 3日(月)11時39分43秒
  「未来の心配をやめて、過去と今に感謝しよう!」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/12/3(月)【1321】」

私自身は、クヨクヨ人間で、心配性です。夜も眠れないことが時々あります。

そんな私が、クヨクヨを吹き飛ばし、心配を消し去り、夜ぐっすり眠れるようになった理由は、神を心から信じているからです。

未来の心配をしたらキリがありません。たくさんあるし、四六時中心配していたら、胃に穴が開いてしまいそうです。

未来は神の手にあると信じ、過去から今ままで守られ、与えられ、備えられたことに感謝することに集中すると、心が軽くなり、うれしくなり、クヨクヨや心配はどこかに消えてなくなってしまいます。

あなたも、未来の心配をやめて、過去から今を感謝しましょう。

未来に対しては、最善の備えをし、未来に問題が起こってから心配し、備えても遅くはありません。

このあとも、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年12月 3日(月)07時56分31秒
  「どんな時にも大丈夫」

ある日、ユダヤ教のラビ(教師)の息子が突然、「キリスト教に改宗したい」と言い出した。

両親はショックのあまり言葉を失い、夜、一心不乱に祈り始めた。

すると、急に天から神が現れた。そこで両親はこう叫んだ。

「主よ、わたしたちの息子がキリスト教に改宗すると言っています。あの憎きキリスト教に息子が盗まれてしまいました!!」

神は、ため息一つ付いてこう言った。

「実は、わたしの息子もそうだった。」

人生は何が起こるかわかりません。一寸先は闇か?光か?

そんな状況の中、なるようになる「ケセラセラ(Que sera sera)」で生きていったらいいのでしょうか?

仏教徒の「リチャード・カールソン」は、「小さいことにくよくよするな! しょせん、すべては小さなこと」という本がベストセラーになりました。この題名は説得力があります。

このテーマに対して、聖書は何と言っているでしょうか?

「何事も(大きいことも、小さいことも)思い煩ってはならない。(くよくよするな!)ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。」と語ります。

「ケセラセラ(なるようになる)」ではなく、「神が共におられるから大丈夫!」と言っているのです。

「神が共におられる」という確かな土台を持って、くよくよせず、今日も歩んで下さい。

ステキな一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年12月 2日(日)14時04分5秒
  「クリスチャンの交わり」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/12/2(日)【1320】」

クリスチャンの交わりの対極にあるのは、世の中の交わりともいないことはありませんが、あえていうなら、宗教的な交わりです。

お互いを「兄弟」とか「姉妹」とは呼ぶけれど、お互いに仮面をかぶり、宗教倫理や道徳的に正しいかどうか、隙か嫌いかで分類し、裁き合います。

「兄弟」とか「姉妹」と呼ぶのが悪いのではなく、本当の家族になることが大切です。「兄弟」や「姉妹」と呼び合ったから家族になれるとは限りませんし、かえって距離を感じてしまう場合があります。

本当の兄弟を「兄弟」とは呼ばないからです。

自分と血のつながっているお兄さんや弟を、「~兄弟」と呼ぶでしょうか?

日本の文化の中では、そんな呼び方をする人は一人もいないのではないかと思います。

本当の家族は、正しいか、正しくないかで相手を裁いて関係を切ってしまうことはありません。

家族は、お互いに弱さを見せ合い、わかり合っているので、かっこつけることはできないからです。

家族とは、お互いを見せ合いながらも、赦し合い、受け入れ合い、愛し合いますし、関係を切ることはないからです。

お互いを大切にし、お互いを受け入れあい、支え合って生きていくなら、離婚をしたり、関係が壊れてしまうことはないからです。

夫婦が離婚に至る原因は、不貞などの裏切り、酒癖が悪い、仕事をしない、暴力をふるうなどです。

それらの関係は、どこかで仮面を作っていたり、どこかがずれているのです。

赦しと愛によって、関係は修復され、回復が可能です。

ダビデは、傷つき、心が痛む時には、獣のようになったと語っています。

人は誰でもそうなることがあります。

そういう時に、家族なら、相手を包み、その傷をいやし、獣から人間に戻れる温もりがあります。

私たちは、神様の愛によって、愛と忍耐と許容性を持って、お互いにすべてを見せ合い、同時に、すべてを受け入れ、包み込み、一生涯関係を続けていけるような温かさをいただきたいものです。

人は、人の変わらない愛を求めています。その愛は神様から与えられます。そして、その愛は私たちの中に与えられています。

人を好き嫌いで見たり、気が合う合わないで人を選別したりするのではなく、神の家族となって、互いに支え合いながら生きていけたら幸いですね。

それを、クリスチャンの交わりと呼ぶと思います。

そこには、「兄弟」「姉妹」 という言葉すら必要がないかも知れません。本当の兄弟・姉妹だからです。

この後も、ステキな時間でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年12月 2日(日)08時37分58秒
  「ゼロのままでの感謝」

ある時、イギリスの新聞記者が、劇作家で有名なバーナード氏を訪ねてインタビューをしました。

「世界中のすべての本が焼却炉で燃やされたとして、もし一冊だけ残したい本があるとしたらどんな本ですか?」

バーナード氏は、「聖書のヨブ記です」と答えました。

新聞記者は、理由と聞きました。

ヨブは、全財産を失って貧しくても、体中が病気になっても、子供たちを失っても、妻にののしられ、捨てられても感謝できる人だった。そこに励まされるからだそうです。

ヨブは、東洋一の大富豪でしたが、それ以前に、神の目から見たら義人(正しい人)でした。

主(神)は、サタン(悪魔)の前でヨブをほめました。

『【主】はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。」』(ヨブ1:8)

神は、ヨブの人柄を、「潔白で正しく・・・」と語りました。この意味は、ヨブの神を愛する心が、どんな時にも終始一貫しているということ。

さらに、ヨブは神を敬い、悪から遠ざかる敬虔な人でした。

神はそんなヨブを、経済的・物質的に豊かに祝福されました。

『彼は羊七千頭、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭、それに非常に多くのしもべを持っていた。それでこの人は東の人々の中で一番の富豪であった。』(ヨブ1:3)

しかし、ある日、ヨブに想像を絶するような試練がやって来ました。

財産は、一瞬のうちに無くなり、10人の子供を失いました。さらに、健康を失い、愛していた妻から、「神を呪って死になさい!」と見放されてしまいました。

理由がわからないまま、茫然としていたヨブのもとに友達がやって来ました。友達は、ヨブを嘲(あざけ)り、ののしりました。

ヨブは、すべてを失いましたが、ヨブの神への信仰は揺るぎませんでした。挫折することも、倒れることもなく、神を賛美し、神に感謝を捧げました。

『ヨブは立ち上がり、その上着を引き裂き、頭をそり、地にひれ伏して礼拝し、そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。【主】は与え、【主】は取られる。【主】の御名はほむべきかな。」ヨブはこのようになっても罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかった。』(ヨブ1:20~22)

これは、「人は全くのゼロの状態で生まれて来るのだから、もう一度そのゼロの原点に戻ればいい!」と考え、ゼロの状態をのまま感謝しました。

『私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。【主】は与え、【主】は取られる。【主】の御名はほむべきかな。』(ヨブ1:21)

本当の感謝は、無条件の感謝です。

無条件の感謝とは、もう一度ゼロの原点に戻り、神に自分の全てをお返しすることです。心を空にして、「すべては神のものであり、神から頂いたものである」と認め、感謝することです。

私たちの人生において、ゼロから再出発するということはまず起こりません。

すでに、あまりにも多くのものを手に入れて所有しています。それを楽しみ、それに依存しながら生きています。

しかし、これらのものは、自分の努力やがんばりによって手に入れたのではなく、神から頂いたものだと認めないと、ゼロを感謝することはできません。

愛する夫や妻ががんにかかって、苦しむ姿を見て感謝できるでしょうか。

生まれて来た子供が治らないような障害を抱えていると知った時に、両親は感謝できるでしょうか。

就職したいと思って、何通もの履歴書を出しても書類審査で落とされ、面接も受けさせてもらえず、就職が決まらないような状況が続く中で、感謝の言葉が出て来るでしょうか。

起業をし、寝食を忘れるほど一生懸命に働いているのに、家賃も払えず、生活費も入って来ないし、仕方なく借金して続けているような時に、感謝することができるでしょうか。

戦争で息子を失った夫婦が、日曜日に教会に来て神様を礼拝し、多額の感謝献金を捧げました。封筒には、「神様、18年間も素晴らしい息子を私たちのそばに置いて下さり、感謝致します。あなたが息子の魂を受け止めて下さり感謝致します。」と書かれていました。

戦争で息子を失ったのだから、神を恨み、神に呪いの言葉を浴びせかけたとしても不思議ではありません。しかし、18年間の息子との思い出は神からの贈り物だと考えました。

私たちの心を低くし、すべてはゼロからはじまり、すべては神が与えて下さったものであると認めるならば、そこから本当の感謝がはじまります。

すべてのものは、神から与えられたのです。

そうしたら、どんなことにも感謝を捧げることができるようになります。

『すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。』(ローマ11:36)

感謝に溢れた一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年12月 2日(日)01時33分52秒
  「御茶ノ水駅路傍伝道&賛美集会」
《Now watching 913》

アメリカとウクライナの宣教チームとの伝道は今日が最後。気合を入れて、午後5時スタートを1時間早めて4時スタートにしました。しかし、10名が揃ったのは5時でした。歌とチラシ配りに分かれて全力でイエス様の愛を伝えました。ネットでつながっている人、知り合いともたくさん会いました。今日感じたことは、かなりの人が私たちの活動に関心を持っていますが、もう一歩踏み込んで、心と心が通い合う必要があるということです。通行する人を最も大切な人と考えて愛すること。そして、一般社会で通じる言葉で伝道が必要することです。チラシを受け取った人には内容が伝わりますし、良い雰囲気が伝わるだけでも十分かも知れません。そして、「あの人たちの仲間になりたい!」と感じてもらえるだけでもいうことありません。聖書の言葉を引用します。「毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。」(使徒の働き2:46~47)これは初代教会の姿です。路傍伝道がこんな働きであったら、リバイバルが起こるに違いありません。しかし、さらに内容が伝わったら、その場で救われる人が起こされるのではないかと感じます。福音が福音としてダイレクトにハー伝わるように祈ります。伝道後には、宣教チームの活動をねぎらっての「お疲れ様の会」を行ないました。会が長引いたので、賛美集会の時間が半分になってしまいましたが、お互いに心を通わすことができたのでとても良かったです。一緒に行なった活動の時間は、8日間×3時間=24時間くらいですが、一緒に戦った時間は、その何倍もの中身があります。何ヶ月も一緒に活動をしたように感じます。一緒に伝道するというのは、一番深い交わりなのではないかと思います。毎回、神様が活動を祝福して下さいます。今日も、感謝で心がいっぱいです。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年12月 1日(土)11時43分22秒
  「ちょうどいい仕事量2」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/12/1(土)【1319】」

今週は、「説教準備」と「路傍伝道」に明け暮れました。

説教準備が終わると、その後の時間が自由に使えます。牧師の多くの時間がそこに割かれているからです。

心軽く、うれしい気持ちで路傍伝道にも出かけられます。

しかし、気をつけないとやりすぎてしまいます。

昨晩は、一緒に協力して伝道をしている一人の女性が、疲れのため具合が悪くなり、駒込駅の路傍伝道に来られませんでした。おそらく、がんばり過ぎてしまったのではないかと思います。

ユダヤ人を救うために、いのちのビザを発給した「杉原千畝」さんは、手が動かなくなるまでビザの書類を書き続けたと言われます。

もう一枚書けば、もう一人のいのちを救えるからです。

伝道も、もう一枚のチラシを配り、もう一分伝道したら、もう一人が天国に行けるかも知れないのです。

そう考えたら、伝道の時間が段々増えて、体が動かなくなるまで伝道してしまい兼ねません。

路傍伝道ネットワークの活動をスタートした頃は、準備時間30分、そして、活動は1時間と決めていました。

しかし、いつの間にか、1時間半、2時間、2時間半、3時間と時間が延びていきました。

時間が延びるきっかけは、準備をし、車を出して、たくさんの機材を持って遠方まで行った時、1時間で終わらせたらもったいないと感じたことだったと思います。

3時間伝道をしたきっかけは、最初の1時間なら手伝える人や、終わる1時間前なら行けるという人がいたからです。

しかし、本当の根底にある思いは、もう少し伝道をしたら、もう一人天国に行く人が増えるかも知れないという思いです。

毎日伝道を続けていくためには、今日無理をし過ぎて明日できなくなるよりも、無理せず毎日続けていく方が、結果的により多くの人に伝道ができるのです。

新宿の消防署隊員が、北海道胆振東部地震の被災地に派遣された時、数日間は不眠不休のような状態が続きました。

やっとの思いでガレキを撤去すると、その下からご遺体が現れることもあるし、精神的にも、肉体的にも極限状態です。

倒れてしまっては、他の隊員に迷惑がかかるし、活動できる人が一人減ってしまいます。立ったまま仮眠をしたり、省エネに努め、本当に力が必要になった時のために力を蓄えたそうです。

今週は、毎日3時間路傍伝道をしました。1500枚のチラシの準備をするのに3時間。伝道の行き帰りの時間を入れる1~2時間。

声は枯れそうだし、体は疲れきっています。

もし倒れたら、活動に支障が出てしまうので、電車での移動時間に目を閉じたり、細切れ時間で仮眠を取ったり工夫をしています。

やるべきことがあるけれど、やりすぎない範囲でやり続けて行くのが、ちょうどいい仕事量です。

人は愛され、愛するために生まれてきました。

そして、人に与えられた使命は、神から受けた愛を分かち合い、伝道するの一言に尽きると思います。

牧師は、牧師の働きを通して神の栄光を現しますが、それぞれの牧師が違う使命が与えられています。

アフリカ系アメリカ人の公民権運動を主導したキング牧師は、人種差別の撤廃のために戦いました。

伝道者ビリー・グラハムは、TVやラジオを含めると、20億人に聖書を語ったといわれています。

また、ビジネスマンはビジネスの現場で伝道をし、主婦は家庭や地域で伝道をし、入院したら病院で伝道をし、いつでもどこでも伝道しながら生きていきたいものです。

それは、神の栄光を現すことであり、人を愛することですが、結果として、祝福され、幸せな人生も添えて与えられます。

そして、その祝福や幸せを分かち合いながら、一生涯伝道を続けていきたいです。

このあとも、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年12月 1日(土)08時20分31秒
  「師走の時期のひと工夫」

今日から12月。あと一ヶ月で今年も終わりです。

旧暦の12月を師走と呼びます。具体的には、12月下旬から2月上旬ごろを指すそうです。

師走は、普段落ち着いている学校の先生までもが走り回るほど忙しい月である様子を指すと聞いたことがあります。

牧師の師走はどうかと聞かれたら、普段とそう大きく変わらないと思いますが、クリスマスのイベントなどを数多く行う教会の牧師は、当然普段より忙しくなります。

また、社会全体が忙しいムードになりますので、その流れに巻き込まれるので、忙しくなるのかも知れません。

「忙しい」とは、「心亡ぼす」と書きます。そういう忙しさは避けなくてはいけませんが、コマが全力で回っているのに、止まって見えるように、ゆったりした心で全力投球できたら、完全燃焼できるので、とても充実して過ごせるのではないかと思います。

この時期、10の仕事をこなすキャパがある人に、11や12の仕事が入って来る可能性があります。そんな時には、思い切って優先順位に従って、9や10に減らすことも大切だと思います。

私のモットーは、「頼まれた説教と食事の誘いは断らない」です。

次に、私がその場所に居なければいけない用事は優先順位をあげますが、私が居ても居なくても大丈夫な用事、他の人でもできる用事ならば、優先順位を少しだけさげます。

そうすることで、超過密なスケジュールをほんの少しだけゆったりさせています。

その上で、全力で走るならば、とても充実した毎日を過ごせます。

ぜひ、ゆとりがないくらい忙しい時、過密なスケジュールなのに疲れがたまってしまった時などには、優先順位を見直すなどして、少しだけゆとりを持たせて、全力で走っていきましょう。

今日も充実した1日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年12月 1日(土)01時06分42秒
  「伝道の開始時間変更のお知らせ」

明日の路傍伝道は、午後5時開始予定でしたが、午後4時開始に変わりました。よろしくお願いします。

1日(土)
午後4時~午後6時20分
御茶ノ水駅 御茶ノ水橋口


The Street evangelism of tomorrow was scheduled to start at 5 pm, but it changed to start at 4 pm. Thank you.

1 (Sat)
4: 00 PM~6: 20 PM
Ochanomizu station
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年11月30日(金)19時18分2秒
  「天皇代替わりに関するシンポジウム」
《Now watching 912》

JEA(日本福音同盟)の社会委員会、神学委員会、女性委員会、青年委員会共催の天皇陛下代替わりに関するシンポジウムが行われています。キリスト教界で、政治や天皇の話題になると、7パーセントが否定的反応、8パーセントが肯定的反応、85パーセントが興味がなしだそうです。しかし、予想に反して、中身があり楽しい話が聞けて感謝しています。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年11月30日(金)19時00分8秒
  「駒込駅南口路傍伝道」
《Now watching 911》

ゴスペル音楽と聖書メッセージ、そして、伝道チラシ配布を通して、たくさんの人に伝道できました。今日から、「メリー・クリスマス!」というあいさつをはじめました。幸せな時間でした。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年11月30日(金)14時06分1秒
  「クリスチャン防災士ネットワーク会議」
《Now watching 910》

Zoomをつなげて、会議を行っています。有意義な時間を過ごしています。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年11月30日(金)12時24分29秒
編集済
  「ちょうどいい仕事量」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/11/30(金)【1318】」

人それぞれ、ちょうどいい仕事量があります。

やりすぎだと疲れて倒れてしまうし、足りないとエネルギーが余ってフラストレーションがたまります。

ちょうどいい仕事量と、そのやりすぎと足りないの3つを経験したことがあります。

やりすぎたことで倒れて、入院までしました。

足りないと、エネルギーが余ってしまうので、何かで発散させないとフラストレーションがたまります。

先週と今週は、毎日のように、駅前で路傍伝道をしました。

この街頭活動だけをしているなら、別に大した仕事量ではありませんが、日常の生活、そして、説教準備、宣教旅行準備、様々な仕事や準備があります。

不思議ですが、忙しければ忙しいほど仕事がはかどるのです。

ない時間を削って仕事をするので、集中し、勢いが増します。

その勢いで、どんどん仕事が片付いていてしまうのです。

「仕事を頼むなら忙しい人に頼め」というのは本当だと思います。

暇な人に仕事を頼んでも、すぐに手がけてくれず、締め切り間近になって急にやり出し、手抜きをし、質の悪い仕事しかしてくれません。

忙しい人は、時間が今しかないため、場合によっては、その場で仕事を仕上げてくれることもあります。しかも、質が高いのには驚かされます。

今週は、毎日1500枚のチラシを折り、3時間前後伝道をしていますので、普段以上に忙しいはずですが、仕事がものすごくはかどるのです。

しかし、ここに罠が潜んでいます。

このペースで過ごしていたら、仕事をやりすぎて、倒れてしまいかねません。

一緒にチラシを配ってくれる宣教チームが12日間来日しているので、この期間限定なのでやっています。

疲れがたまっていますが、優先順位を付けていますので、優先順位の低いものはやっていません。

忙しいと、神様に関することの優先順位を下げて、後回しにする人がいます。これは本末転倒であり、的外れです。

神様に関すること、人との関係、これを後回しにして、仕事をがむしゃらにやるのは優先順位がずれています。

ちょうどいい生き方は、神を第一にし、神に導かれる順番に優先順位を付けて、生きて行くことです。

ちょうどいい忙しさは、コマが、静かに、かつ、全力でまわっているように、疲れることなく、やるべきことをし終え、充実した時間を過ごすことが出来ます。

私は、どちらかに傾きがちです。

やりすぎて疲れきってしまって、そのあとに、疲れを取るために休む時間を長く取る必要が出ます。

時間の遣い方がうまくないからこそ、時間の使い方に関してのコラムをよく書くのだと思います。

だから、自分が実践して良かったことを書いていますが、それは、それを完全にできているからではないのです。

お互いの生活の場は工事現場です。そして、私たちは成長途上、成長過程にありますので、工事現場です。

工事によって、騒音等の迷惑を書けることがあるように、お互いに迷惑を掛け合うかもしれませんが、理解仕合い、共に成長していきましょう。

このあとも、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年11月30日(金)07時45分5秒
  「感謝を妨げるもの」

小さな感謝が大きな幸せを与えてくれることがあります。

しかし、小さな不満や絶望が私たちの心の中に住み着いて不幸をもたらしていないでしょうか。

感謝を妨げるものが3つあります。

1、「欲望」
2、「比較」
3、「心配」

1、欲望

ある人がこんなジョークを言いました。

「人の欲望はあまりにも深いので、神様でさえそれを満たすことはできない。」

何かを望み、それを手に入れたかと思うと、次のものをほしくなります。さらに次のものをほしくなり、多くを望むのに満たされず、不幸になります。

欲望と感謝は共存できません。欲望は悪魔に属し、感謝は神に属するからです。

欲望は、神の恵みを受けている人でも、一瞬にして不幸のどん底に陥れる力を持っています。

つまり、ある程度の欲望は、人にやる気をもたらせますが、行き過ぎた欲望は不幸をもたらします。

私たちに必要なのは、満ち足りるすべを知ることです。

『満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。』(第一テモテ6:6~8)

『私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。』(ピリピ4:12)

2、比較

比較は欲望の別の顔です。

相手と自分を比較し、優越感を持って高慢になり、劣等感を持って自己卑下します。

どちらに転んでも感謝できません。

比較すると、相手が、自分より多く持っていて、多くの愛や称賛を受け、高い才能や学歴を持っていると感じて、感謝は消えて、不幸な状態に落ちていきます。

悪魔は、比較によって私たちを妬みの奴隷にし、みじめな気持ちにさせます。

人生をみじめにするのは、貧しいからではない。失敗したからでもない。才能が少なく、学歴がないからではない。人と自分を比較するからです。

聖書は、『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。』(イザヤ43:4)と語ります。

比較することをやめて、神があなたにどう思っておられるのかに思いを向けましょう。

3、心配

人が心配する内容の90%以上は、過ぎ去った過去や、まだ来ていない未来のことです。現在の心配は10%未満です。

聖書は、『あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。』(マタイ6:34)と語ります。

未来のことを前もって心配することはやめましょう。

一人の女の子が、難関の進学校を受験しました。面接がうまくいかなかったので、家に帰るなり、「もうダメだわ。私の人生終わったも同然だわ!?」と、泣きながら両親に心配の気持ちをぶつけました。

数日後、結果が知らされました。合格することができました。

しかし、「優秀な人ばかりが入学することになった。勉強についていく自信がない。どうしよう・・・」と、次の心配をはじめました。

この女の子は、このままであれば、その後も、大学受験を心配し、大学に合格しても、就職ができるかどうかを心配し、職場になじめるかどうかを心配し、結婚できるかどうかを心配し、延々と心配し続けていくことになります。

聖書は、『何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。』(ピリピ4:6)と語ります。

心配すると、心を委縮させてしまいます。感謝するなら、心が楽しさで溢れさせてくれます。

「感謝をもってささげる祈り」とは、過去に起こったすべてのできごとや、現在起こっているすべてのできごとのすべてが相働いて、未来に大きな益が与えられると信じて、先取りして感謝することです。

「今あるもので十分」と考え、他人と比較せず、心配を感謝に変えていきましょう。

突風が黒雲を吹き飛ばすように、感謝は「欲望」と「比較」と「心配」の黒雲を一気に吹き飛ばしてくれます。

感謝に溢れた一日を過ごせますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年11月29日(木)18時42分11秒
編集済
  「新大久保駅路傍伝道」
《Now watching 909》

今週は毎日伝道をしています。今日は、新大久保駅駅前で2時間半路傍伝道しました。時間になった時、あと少しでチラシ1500枚配り終わるところでした。ギター弾き語りとメッセージを語り、駅前が教会のようになりました。たくさんの人に伝道がてきて幸せです。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年11月29日(木)12時54分53秒
  「キリスト教の極意は、死んで生きることにある」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/11/29(木)【1317】」

宗教や自己啓発セミナーなどの多くは、今の自分の延長線上にある救いや成功を目指します。

それが、人間の罪の性質なのです。

人は、罪を犯した時点で罪人なのではなく、最初から罪人であり、罪人だから、罪を犯したくないと思いながらも罪を犯してしまうのです。

聖書が教える罪とは、原罪(英語: original sin)です。

アダムとエバが罪を犯し、神を捨てて悪魔に従いました。

それ以来、子々孫々、神との関係が壊れたまま誕生し、死んでいきました。

その大元の、神との関係が壊れた部分を修復しなければいけないのに、表面を修復し、繕うとしているのです。

「身分の低い者から高い者まで、みな利得をむさぼり、預言者から祭司に至るまで、みな偽りを行なっているからだ。彼らは、わたしの民の傷を手軽にいやし、平安がないのに、『平安だ、平安だ。』と言っている。」(エレミヤ6:13~14)

表面を修復し、繕うとしているのは、偽者のインチキな医者のようです。

「彼らは、わたしの民の傷を手軽にいやし、平安がないのに、『平安だ、平安だ。』と言っている。」のです。

手軽な方法を教え込まれて、大丈夫じゃないのに「大丈夫だ、大丈夫だ」という言葉を信じるのではなく、私たちを造られた神の言葉を信じましょう。

「ボタンの掛け違い」をしたら、一旦すべてを外して、一からやり直すのが一番早く、確実です。

同じように、本当の救いと豊かさをいただきましょう。

「キリスト教の極意は、死んで生きることにある」のです。

しかし、手軽ないやしは、「生きよう」とがんばった結果、死んでしまうのです。そして、人をも殺してしまうのです。

死んでいく人に、いくら栄養剤を打っても、死んで行くように、生きようとがんばっても、それは、死期を少し遅めるくらいにしかなりません。

死の根本的な原因を知り、その新の根本的な解決をするため、2018年前のクリスマスにこの地上に来られ、十字架で死んで、葬られ、よみがえられたイエス様を受け入れましょう。

イエス様を信じたら、イエス様に起こった死と復活が、私たちにも起こるのです。

イエス様と共に、古い罪の性質に死んで、イエス様と共に、新しく生まれ変わることに、本当の救いと豊かさがあるのです。

しかし、クリスチャンの中には、イエス様を信じて、死んで新しく生まれ変わったはずなのに、古い生き方が懐かしくなり、再び、自分の肉の力によって生きていこうとする人がいます。

そう生きてもうまくいかないようにできています。

今日、クリスチャンの中で、なぜ私はこんなに苦しみ、こんなに葛藤し、こんなにもがかなければいけないのか、と考え、苦しんでいる人がいたら、もしかしたら、自分の肉の力で生きようとしているのかも知れません。

死んで生きていきましょう。死ぬとは、神にお任せすることです。そして、神に頼り、神に従い、神と共に生きていきましょう。

そうしたら生きます。解決します。悪魔から解放され聖霊に満たされます。自由になります。豊かな人生を生きていけます。

この後も、ステキ時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年11月29日(木)10時48分5秒
  本日の路傍伝道の予定が少し変更になりました。
場所は変わりませんが、スタート時間が30分早くなります。お祈りをお願いします。また、参加できる方はよろしくお願いします。

29日(木)
午後3時30分~午後5時50分
新大久保駅前

Today's schedule of Street evangelism has changed a bit.
The place will not change, but the start time will be 30 minutes earlier. Please pray. Also, who can join us thank you.

29 (Thu)
3: 30 PM~5: 50 PM
Shin-Ookubo station
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年11月29日(木)06時47分18秒
  「創造と想像」

私は、「創造」と「想像」という漢字を意図的に使い分けています。

「創造」は、無から有を造り出すこと。「想像」は、すでにあるものの組み合わせを変えることで、新しい発想をし、新しいものを作ることです。

その意味では、「創造」は神が行ったことに限定されます。

「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記1章1節)

神は、全宇宙、そして、地球とその中に住むすべてのものを創造されました。

私たち人間の文明の発達は、神が無から有を造り出されたものの組み合わせを変えるという想像によって起こって来ました。

神と人間はパートナーです。

聖書は、「あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。」(詩篇8篇5節)

この聖句を見ると、人間がいかに優れた存在であるかを知ることができます。全知全能の神より少しだけ劣る存在であるというのです。

人は神ではないので、神にはなれません。しかし、神を神と認め、神を心に迎え、神と共に歩むことで、どんなことでもできるのです。

『イエスは言われた。「人にはできないことが、神にはできるのです。」』(ルカの福音書18章27節)

ここに、無限の可能性と希望があります。

神と共に働くことで、できないことはないのです。

私は毎日文章を書いていますが、すでにある神の言葉の組み合わせを変えたり、現実に適応させているのです。神と私の共同作業です。

もし私が、一から文章を考えて文章を書くとしたら、それは大変な作業です。いや、不可能です。

大学以上は、修士も博士も、それぞれに論文を書き、それが認められて学位が授与されます。

論文は、様々な引用文献・参考文献の出典を示します。それが必要だし、それを示すことで論文の価値が上がります。どんなにすごい発見であっても、それは創造ではなく、想像なのです。

聖書には、「主が家を建てるのでなければ、建てる者の勤労は空しい」(詩篇127篇1節)と書かれています。

上記聖句は、神と私たちとの関係を端的に教えてくれています。

神は、天地万物をデザインし、無から有を創造し、築き上げられました。それを家を建てることにたとえました。

「主が家を建てる」とありますが、人も「建てる」という勤労を行うのです。神と人間はパートナーであり、共同作業を行うべきだということを教えます。

人は、「神のかたち」に創造されました。

「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された」(創世記1章27節)

神の聖さ、義、愛の性質を持ち、自由意志を持った人格であり、神の交わりの対象という意味です。

しかし、人間は、神の崇高な性質が与えられましたが、土のちりという一番低い物質を使って造られました。

「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹き入れられた。そこで人は生きた者となった」(創世2章7節)

「土のちり」で造られたので、人は弱いのです。それゆえ、神が必要なのです。

弱い「土の器」である人間に、神の「命の息」が吹き入れられたのです。

聖書は、「そこで人は生きた者となった」と語ります。

新約聖書には、「この宝を土の器の中に持っている」(Ⅱコリント4章7節)と書かれています。

これが神を信じた人の状態だけどです。

讃美歌461番に、「主われを愛す」という歌があります。

「主われを愛す 主は強ければ われ弱くとも 恐れはあらじ」

神と共に生きるなら、何も恐れる必要がないのです。私は弱く足りない存在ですが、共におられる神が強く全知全能であるからです。

今日は、創造と想像について考え、神と共に歩む必要性、その素晴らしさに思いを向けることができて感謝で一杯です。

今日も、ステキな一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年11月29日(木)00時03分53秒
  「夜はそば屋」
《Now watching 908》

鴨南蛮そば。だし巻き玉子、揚げ出し豆腐。このようなお店でお腹いっぱいにすることは考えない方が良いですね。セイロ一枚のそばの量は、わんこそばくらいの量です。ヘルシーです。若い頃、そば屋で働いていました。そば屋特有の店の雰囲気に懐かしさを感じました。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年11月28日(水)20時35分5秒
  「高田馬場駅路傍伝道」
《Now watching 907)

今日は、約2時間、人通りの多い高田馬場駅前ガード下で伝道しました。数え切れないくらい多くの人に歌を通してイエス様の愛を伝え、チラシ1500枚を配りました。数人が立ち止まって聞いてくれました。声をかけてくれる人もいました。両通行で伝道できることはうれしいです。歌う人が加わるにつれて伝道が力強くなりました。力を使い切り完全燃焼できました。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年11月28日(水)13時31分9秒
  「二日連続で会合」
《Now watching 906》

昨日と今日も同じ場所で会合をしました。昨日は「クリスチャン防災士ネットワーク」、今日は、「宣教の会合」をしました。良い時間を過ごしています。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年11月28日(水)11時08分36秒
  「綱渡り人生」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/11/28(水)【1316】」

その信仰の有無や質は、物事が順調な時には見えてこないことがあります。

ところが、問題に直面したり、多忙になったり、試練に遭遇した時などに、本当の姿が現われます。

神様は、その人の成長度合いに応じて対応を変えられます。十把一絡げではないのです。

信仰を持ったばかりの人には、祈った途端に問題が解決したり、祈ったと単に病気がいやされたり、目に見える形で神様が働いて下さることがよくあります。その人の信仰を育てるためです。

人間に例えるならば、母乳であったり、離乳食です。

しかし、成長に応じて、かたく、栄養価の高い食べ物を与えられます。

祈っても、すぐに問題が解決しないし、神が御顔を隠されて、神を信じることが難しい状況に置かれます。

信仰がない人は、すぐに神を信じられなくなります。教会を離れ、世の中の生活に戻ってしまいます。

しかし、信仰がある人に取っては、それが神様のテストであり、信仰を育てて下さる神の愛だとわかるので、神の御顔が見えなくても、それでも神様を信じ、それでも信仰を捨てることはありません。

むしろ、信仰が強められ、神様を信頼しながら前に進んでいきます。

もちろん、信仰が強い人も信仰が弱い人も、同じ弱さを持った人間です。

だから、不安になりますし、苦しくなります。

しかしそれでも、信仰を持っている人は神を否定することができないのです。

私は、のうのうと楽観的に生きているように見られますが、それは信仰の結果です。

毎日激しい戦いがあり、自分の弱さに直面し、神様に祈り、神様に頼りながら、一歩一歩歩んでいます。

厳しい激しい試練がやって来ると、「神様にゆだねます」と祈っても、ナイアガラの滝の頭上にロープを張って、綱渡りをしているような感覚になることがあります。

昔、ナイアガラの滝の頭上に、本当にロープを張って綱渡りをした人がいます。

多くの人が固唾を呑んで見守り、渡り終えた時には、大歓声が起こりました。

そして、「今度は、誰かを背負って渡りたいと思います。誰か私の背中に乗ってもらえませんか?」と言うと、下を向いたり、目を逸らしました。

一人の男の子が、手を上げて、「はい。僕が乗ります!」と言いました。

渡り終わった時に、この子どもに声をかけました。「恐くなかったの?」

「恐くなかったよ。僕のパパだもん」と言いました。

子どもは、自分では綱渡りができなくても、お父さんの背中に乗ってなら渡ることができます。

私は、この子の姿を想像しながら、私の天の父である神にゆだねて、主と共に綱渡りをしながら生きています。

聖書の言葉と、聖書に書かれた神を信じ、神におんぶしてもらいながら生きていきませんか?

信仰が成長すると、それだけ大きな問題や試練が与えられますが、同時に、大きな祝福も与えられます。

神と共に、一歩一歩歩んでいきましょう。

「聖歌588番 主とともにあゆむ(原題:Step by step)」
作詞・作曲:A. B. Simpson (1897)

主と共に歩む その楽しさよ 主の踏み給いし 御跡をたどる
一足 一足 主にすがりて たえず たえず 我は歩まん

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年11月28日(水)07時26分49秒
  「プラス思考はごく自然な考え方」

プラス思考は、何にも代えられない素晴らしい習慣です。

「プラス思考の例」としてよく用いられるのは、好きな飲み物を半分飲み終わった時に、
(マイナス)「もう半分しかない」
(プラス)まだ半分もある」
と考えられます。

また、靴の会社が、発展途上国の奥地に二人の調査マンを派遣して報告させたら、
(マイナス)「現地人はみんな裸足です。靴が売れる可能性は全くありません」
(プラス)「現地人はみんな裸足です。靴が売れる可能性が無限にあります」
と語ることができます。

人生において、目の前にある扉が開くかどうかは、心の持ち方、物の考え方一つです。

落ち込んだ時、逆境に置かれた時、失敗した時などのマイナスの状況にあっても、考え方一つで希望が湧いてきます。

失恋して落ち込んだ女性に、「彼があなたから去っていったことは確かに悪いニュースですが、良いニュースは、この世の中には、あなたにふさわしい素敵な男性が星の数ほどいることです。」と話してあげることができます。

夫からのDVで苦しめられた挙句に、離婚を迫れている女性に対して、「子供が1人いて、さらにおなかの中に赤ちゃんがいるのに大変だと思います。しかし、あなたはDVから解放されて、今日から自由です。」とアドバイスをしたことがあります。

その女性は、その言葉に慰められただけではなく、その後復縁して、現在は幸せな家庭を築いています。

プラス思考の力は、一人の人の人生を変えることさえあります。

プラス思考において大切なことは・・・、

1、まず、無理にこじつけたようにプラスに考えるのではなく、「現状をあるがままで受け入れる」ことです。

アメリカの神学者の「ラインホルド・ニーバー」は、次のような祈りを神に捧げました。

「神よ 変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、 変えることのできるものと、変えることのできないものとを、 識別する知恵を与えたまえ」

(英語版の原文)
「O GOD, GIVE US
SERENITY TO ACCEPT WHAT CANNOT BE CHANGED,
COURAGE TO CHANGE WHAT SHOULD BE CHANGED,
AND WISDOM TO DISTINGUISH THE ONE FROM
THE OTHER」

プラス思考の土台は、「変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さ」つまり、「現状をあるがままで受け入れる」心のゆとりです。この心を神に、「与えて下さい」と祈ることからはじまります。

2、次に、あるがままの現状に対して、マイナスとか、プラスという判断を下さないで、神に委ねることです。

『神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。』(ローマ8:28)

神は、「すべてのことを働かせて益としてくださる」お方です。

私たちの目にはマイナスに映ったとしても、神は、マイナスをプラスに変えて下さいます。

神が「すべてのことを働かせて益としてくださる」プラスは、私たちの目にも、マイナスがプラスに変わったと必ずわかる形で変えて下さる「プラス」です。

神に信頼し、神にお任せしましょう。

3、最後に、「十字架」は「プラスの形」をしていますが、十字架こそ、マイナスをプラスに変える最強の力です。

どう見てもマイナスとしか言いようがない状況もあります。

無理にプラスに考えようとしても、とても難しいですし、神が万事を益と変えて下さったことが自覚できるのにも、しばらく時間がかかりそうな時にこそ有効な方法があります。

マイナスの状況の中に、イエス・キリストが十字架にかけられた木を投げ入れ、イエス・キリストをそのただ中にお迎えすることです。

次のような実話があります。

『モーセはイスラエルを葦の海から旅立たせた。彼らはシュルの荒野へ出て行き、三日間、荒野を歩いた。彼らには水が見つからなかった。彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲むことができなかった。それで、そこはマラと呼ばれた。民はモーセにつぶやいて、「私たちは何を飲んだらよいのですか」と言った。モーセは【主】に叫んだ。すると、【主】は彼に一本の木を示されたので、モーセはそれを水に投げ入れた。すると、水は甘くなった。その所で主は彼に、おきてと定めを授け、その所で彼を試みられた。』(出エジプト15:22~25)

イスラエルの民は、荒野で三日間も水が見つからなくて瀕死の状況に追い込まれていました。しかし、やっと見つかった水は苦くて、とても飲めるようなものではありませんでした。

民は、導いているモーセにつぶやきました。モーセは神に祈りました。そうしたら、「一本の木」が示されました。モーセは、苦くて飲めない水の中に、「その一本の木」を投げ込みました。すると、その苦い水は、甘くておいしい水に変わりました。

この「一本の木」とは、将来、イエス・キリストが十字架にかけられて処刑される十字架の木です。

祈りによって、あなたのマイナスの状況の中に、イエス・キリストの十字架の木を握りしめて、投げ込んで下さい。マイナスはプラスに変えられるはずです。

今、この時代のマラはどこにあるでしょう?

それは、私たちの心の中から流れてくる感情であり、霊です。

心が傷つき、否定的になり、失望し、絶望するならば、心が苦くなり、苦い感情と、苦い霊が流れ出ます。

しかし、その苦い心に十字架を投げ込むならば、心はいやされ、その苦さは甘く変わり、甘い肯定的な感情と霊が流れるようになります。

聖書は語ります。『イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。』(ヘブル13:8)

祈るならば、時間を超え、空間を超えて、イエス・キリストがかけられた十字架が、あなたの手に握られ、あなたの苦しみと絶望の暗闇の中に投げ込むことができるのです。

十字架は、その苦しみをいやし、マイナスをプラスに変え、絶望に光をもたらして、大逆転の祝福に変えてしまいます。

私は、クリスチャンになり、牧師になってから、この十字架による軌跡を何度も体験してきました。

プラス思考は、人間の業ではなく、神が与えて下さるごく自然な考え方です。

神が共におられるならば、プラスはプラスなので感謝できるし、マイナスもプラスに変わるので感謝できます。

すべてのことを感謝し、神にあるプラス思考で生きてまいりましょう。

今日も、素敵な一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年11月27日(火)21時45分30秒
  明日の路傍伝道の場所が、「大久保駅(北口 ガード下)」から「高田馬場駅(早稲田口 ガード下)」に変更になりました。時間は、午後4時から午後6時30分です。お祈りとご参加をよろしくお願いします。  

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年11月27日(火)19時51分52秒
  「大久保駅 3時間耐久路傍伝道」
《Now watching 905》

日本の伝道のために外国から来た4名のチームとジョイントして、毎日のように伝道をしています。一緒に伝道ができるのはあと4日間。使える時間のすべてを伝道のためにささげました。といっても、日中は通常業務があります。新設された、「クリスチャン防災士ネットワーク」のための意見交換をし、二回分の説教準備を終えました。伝道がはじまる前は元気一杯でしたが、すべてのエネルギーを使い切った感じがします。この3時間で、通行人に1500枚の伝道チラシを配ることができました。イエス様の名前のもとで力を合わせると、大きなことができるのですね。神様に感謝を致します。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年11月27日(火)12時30分36秒
  「一つひとつすべてが神の導き」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/11/27(火)【1315】」

神の導きは、神と共に歩むことを心がけているならば、ハッキリわかることが多いです。

例えば、行こうと思っている道が閉ざされ、同時に、新しい道が開かれるようなことが起こります。

あるやってみたかった仕事の面接に行きました。給料もよく、条件も良いし、何もかもが私にぴったりでした。

ところが、日曜日に仕事ができないことが理由で不採用になりました。

同じ時期に、別の仕事の依頼が入りました。やりたい仕事ではなかったですし、収入は多くありません。しかし、牧師の延長線上ですし、やってみてわかったことは、とてもやりがいのある仕事でした。

道が閉ざされるということは、予定外のことが起こることです。その時にはがっかりしたり、落ち込んでしまうこともあります。

後で振り返ってみると、「これで良かった!」と思えるのです。

神の導きを受けるためには、神は良いお方で、最善以外を行われることはないと信じることが大切です。

神が信頼できないと、自暴自棄になって投げ出したり、あきらめたり、場当たり的な行動を取ってしまいます。

私のちっぽけな頭では理解できなくても、神はすべてを知っておられ、最善の導きを与えて下さることに安んじて、お任せして、着いていきたいものです。

今日も心は安らかであり、喜びであふれています。

一つひとつのできごとが神様の導きだからです。

そして、その一つひとつのできごとを通して、神様の慰め、励ましが与えられます。

お互いに、この後もステキな時間をお過ごしましょう。
 

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