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(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月17日(日)07時52分54秒
  「比較をプラスに変える力」

アメリカに長年住んでいた友人夫妻と再会したときに、お互いの食欲や体型などの話題になりました。

「相撲レスラーのように体が大きくて素敵ですね」と言われました。

アメリカ留学時代、私の周りには私よりも太っている人ばかりでした。私は小さく、目立いませんでした。ところが、日本に帰国したら体が大きく、目立つし、個性的に見られます。

比較とは、比べる相手によって変わって来るものです。

同じ土俵で比較できるものを比較するのと、同じ土俵で比べられないものを比較するのではその意味合いは大きく変わってきます。

例えば、バラとチューリップと桜はそれぞれ違う花です。バラにはバラの美しさがあり、チューリップにはチューリップの美しさがあり、桜には桜の美しさがあります。バラとチューリップと桜と比べて、「どれが美しいか?」を比べるのはナンセンスです。それぞれが美しいからです。

同じように、私もあなたも、互いに誰かと比較する必要はありません。あなたにはあなたの美しさ、良さ、素晴らしさがあります。

どうしたら比較から解放されるでしょうか。

キリストが処刑された「十字架」の形は、縦線が少し長いですが、「プラス」の形をしています。

「縦線」とは、「神との関係」です。神との関係をしっかり持つならば、すべてが「プラス」となり、自分を人と比べて劣等感や優越感を持つのではなく、神が造られた自分の素晴らしさを認め、感謝できるようになります。

しかし、神との関係が弱くなると、「プラス」から「縦線」を除くと「マイナス」となります。すべてがマイナスとなり、自分の足りなさ、弱さ、ダメさに目が向かうようになり、他の人と自分を比較して「私はダメだ」と考えて劣等感を抱いたり、「私の方が優れてる」と考えて高ぶり、人を見下すようになります。

私たち人間は、「十字架」の「横線」みたいなものです。しかし、そこに神との関係が築かれたら、すべてが「プラス」に変わります。どんなマイナスもプラスに変わります。

私たちのために十字架で死なれたイエス様を信じ、イエス様との関係を築き、イエス様と一緒に歩みませんか。

どうやったらイエス様を信じられるでしょうか。

勉強して、すべてがわかるようになって、納得できるようになったら信じられるのでしょうか。

もうひとつ方法があります。まず信じることです。その次に、イエス様を受け入れ、イエス様を知っていく方法があります。

私は、後者のまず信じることからはじめることをオススメしたいと思います。

まず信じて、次に、イエス様と出会い、交わり、深く知って行くことです。

結婚だって似た部分があります。相手のすべてを知ってから結婚しようとしたら、きっと100歳になっても決められないのではないでしょうか。

イエス様を信じ、「十字架」の「プラス」の人生を歩んで行きましょう。

素敵な一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月16日(土)11時22分3秒
編集済
  「イスラエル(10)~クムラン~」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/2/16(土)【1396】」

クムランの洞窟で、聖書の写本である「死海写本」が見つかりました。

正確に聖書を書き記してくれたユダヤ人と、1900年間人の目に隠され、ベストタイミングでそれが見つかるようにして下さった神様に感謝をしたいと思います。

私たちの国の言葉で読める聖書は、とても正確で権威あるものです。

写本が見つかったことで、聖書がどれだけ正確なものであるかを改めて証明されました。

そして、聖書は神の言葉です。一点一画であってもすたれることなく、すべて成就するのてす。

「まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。」(マタイの福音書5章18節)

信じて、一生懸命に読みましょう。

「すべての人は草、その栄光は、みな野の花のようだ。【主】のいぶきがその上に吹くと、草は枯れ、花はしぼむ。まことに、民は草だ。草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ」(イザヤ40:6~8)
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月16日(土)10時40分22秒
  「どうしたら愛せるようになるか?!」

愛と恋は混同しやすいところがあります。

まず恋は、相手のいい部分だけを見て、相手を過大評価します。恋愛結婚をした後に、理想と現実のギャップに気づき、性格の不一致等を理由に離婚に至ることがあります。

では、愛とはなんでしょうか? 愛は、相手のすべてを知った上で、なお変わらずに愛し続けることです。

恋は、「あばたもえくぼ」からはじまります。やがて、「あばたはあばた」であったと気付きます。そのままでいると、「えくぼまでがあばた」に見えて、恋は終わりを告げます。

しかし、愛は、恋が終わったところからスタートします。

恋は、二種類の終わり方をします。

1、 別れる
2、 愛に変わる

多くの場合、別れることで終わります。しかし、恋が終わり、恋を愛に変えることができたら幸いです。

通常、生まれも育ちも違う男女が、一生夫婦として寄り添って生きていくことは奇跡に近いと思います。

何度も何度も、恋が愛に変わる経験をしているはずです。すなわち、相手を許し、あるがままで受け入れる痛みを経験しているはずです。

夫婦関係は、愛を学ぶ道場です。

夫婦関係で鍛えられた人は、鍛えられていない人に比べると、通常の人間関係を円満に持つことができるはずです。

すでに、許すこと、愛すること、受け入れること、相手に譲ること、自分に死ぬことなどの大技をマスターしているからです。

しかし、それらの大技がきかないようなモンスターはどこにでもいます。

どんなに夫婦関係の中で愛の訓練を通されていても、これでゴールということにはなりません。おそらく、愛は一生学び続けなければならいと思います。

私たちは、案外、人の欠点はよく見えるし、わかるものです。しかし、自分の欠点や罪はなかなか見えないし、認めたくありません。

私たちの欠点や罪はなんでしょうか?

愛がない点です。

愛と恋を混同している人は、自分は案外寛容で、愛がある人間だと思うかも知れません。恋をすることは難しくありません。相性のいい人や好きなタイプの人と仲良くすることはできます。しかし、愛せないタイプ、許せないタイプの人は、どこにでも存在します。

聖書は、「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。」(ヨハネの手紙 第一4章20節)と語ります。

愛とは、気に入らないタイプの人でも愛し、祝福を祈ることからはじまります。

「わたし(イエス様)はあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」(マタイの福音書5章44節)

その祈りができるかどうかで、愛があるかどうかがはっきりとわかります。

愛がないのが私たちの本当の姿です。

愛がないことは、人をねたむことでもわかります。

「愛は・・・人をねたみません。」(コリント人への手紙第一13章4節)

ねたみとは、天皇陛下や、総理大臣、大スターなどの雲の上の存在に感じることはまずありません。自分と立場が変わらず、年齢が近く、能力的に近い人が脚光を浴び、賞賛され、成功し、豊かな暮らしをしていること知った時に、ねたみを感じるのです。

ねたみを乗り越えている人は、自分の興味のあるジャンルで、しかも、自分が「こうしたい!」「こうなれたらいい!」と思っていることをしている人が居た時に、祝福し、「よかったね!」と言ってあげられます。

それは、非常に難しいことです。

しかし、愛は、身近な人の幸福や成功を心から喜ぶことです。

そして愛は、相手のあるがままを受け入れることです。

消極的には、気に入らない人の誹謗中傷をしたり、うわさ話をしたり、拒絶したり、無視したり、嫌がったり、否定しないことです。

愛は、そういうところからはじまります。

少しでも愛に生きはじめるなら、その分だけ幸せになります。

聖書を一言で要約するならば、「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」という言葉になります。

だから、隣人愛に生きるなら聖書を生きていることになります。

しかし、愛を追求し、愛に生きようと努力すればするほど、「不可能!」というところに行き着くものだと思います。

だから、敵を愛し、十字架の上で赦しを祈ったイエス様が必要なのです。

イエス様に愛を祈り求め、与えられた愛に生きはじめたら、奇跡が起こります。天国の幸せを味わえるようになります。

私たちは、天国の幸せを味わい、その幸せを自分だけではなく、周りの人にも分け与え、ひいては、世界に愛と平和をもたらしていくことにつながります。

現在世界では、血で血を洗うような争い、紛争、戦争が各地で繰り広げられています。やがて日本も巻き込まれる可能性があります。一体どうしたら、憎しみの連鎖を止めることができるでしょうか。

それは、一人の人の愛からはじまっていくのかも知れません。

十字架につけられてもなお、「父よ彼らを赦したまえ。彼らは何をしているのかわからずにいるのです。」と、赦しを叫ばれたイエス・キリストの愛こそが、憎しみの連鎖を止め、世界を救うと信じます。

その愛を頂いて、自分が幸せになり、その幸せを分かち合い、幸せな国、幸せな世界を作って行きたいものです。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月15日(金)23時37分31秒
編集済
  [御茶ノ水駅伝道]
《Now watching 995》

今日の伝道活動は、急きょやることになったため、世話人が私一人だったこともあり、参加者が少なくなるかも知れないと心配していましたが、神様が必要としておられる方を送って下さり、のべ10名で伝道をしました。私たちの路傍伝道は、教会で行う伝道集会を駅前でやっていると表現することが出来ると思います。しかし、四方が壁で囲まれて、安定した場所で行なっているのではないので、戦いがあります。第一には、自分の心の中での戦いがあり、第二に、仲間同士で一致するための戦いがあり、第三には、様々な人がいますので外からの戦いがあり、最後に、サタンからのアタックがあります。その戦いを一緒に戦いますので、結束力は否が応でも深まります。共にチラシを配り、ゴスペルを歌い、語る中で、交わりが深まりました。そして、イエス様の愛を伝えることが出来ました。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月15日(金)23時00分7秒
  「首都圏イースターのつどい委員会」
《Now watching 994》

毎年イースターに行う伝道集会のために集まって話し合いました。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月15日(金)11時59分9秒
  「イスラエル(9)~バプテスマのヨハネが洗礼を授けたヨルダン川~」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/2/15(金)【1395】」

この川の向こう側は隣国のヨルダンです。ヨルダン川は小さく、お世辞にもきれいとはいえません。

季節によって水位は大きく変わりますが、ポイントは、バプテスマのヨハネが叫んだ荒野からすぐ近くであるということです。

聖書を引用します。

「さて、エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川沿いの全地域の人々がヨハネのところへ出て行き、

自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けた。」

(マタイ3章5~6節)

上空を見上げると白い鳩が舞い降りて来ました。イエス様がヨハネから洗礼を受けた時、天が開き、聖霊が鳩のようにイエスさまに下ったと書かれていますが、感慨深いものがあります。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月15日(金)07時55分4秒
  「試練には目的がある」

今あなたの人生の中に試練はありますか?

今試練に遭ってなくても、過去に経験したことがあるはずですし、未来において試練は必ずやって来るものです。

試練はなぜやって来るのでしょうか?

① 因果応報のため?
② 運が悪いから?

聖書は次のように語ります。

① 訓練のため
② 平安な義の実を結ばせるため

「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。」(ヘブル人への手紙12:11)

試練を喜ぶ人はまずいないと思います。もし試練を喜ぶ人かいたら、M(マゾヒスト)を疑った方がいいでしょう。

しかし、にもかかわらず、聖書は、「試練を喜びなさい」と語ります。

試練には目的があるからです。

「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰が試されると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」(ヤコブ書1:2~4)

試練は、
①訓練のためにある
②平安な義の実を結ばせるためにある
③忍耐が身につくためにある
④忍耐を働かせると、「何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な人になる」まてにある、とあります。

試練とは、思い通りに行かない経験です。

「うれしい!」と感じることはまずありませんが、試練によってより良い自分自身に成長できるとしたら、試練は祝福になります。

むしろ試練がないことは悲しむべきことです。

試練がないと、人は楽な方に楽な方に進み、堕落し、腐ってしまいやすいのです。

権力者が既得権の上にあぐらをかいていることは、世界中どこででも見られる光景です。

試練に会うと、人は目を覚まし、真剣になり、堕落した歩みを捨て、あるべき姿に立ち戻るチャンスに直面できます。

試練を毛嫌いせず、感謝して受け止めましょう。人はどこからでもやり直せるし、人は無限に成長できる存在だからです。

また、試練を経験した人は、人の痛みや悲しみが実感としてわかるようになり、同じような痛みや悲しみを経験している人に同情することができ、慰め、助けることができます。

「主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。」(ヘブル書2:18)

キリストは、人が味わう可能性のあるすべての喜怒哀楽を先に体験されたので、私たちのどんな苦しみや悲しみをも理解し、慰め、助けることができます。今日、キリストのもとに行って、「私を助けて下さい」と祈りませんか?

あなたは試練を経験し、キリストの助けによって乗り越えたとしたら、同じような苦しみの中にある人を助けることができるはずです。

世の中には、顔で笑っていても、心で泣いている人がたくさんいるものです。人から羨ましがられるような生き方をしている人が、「死にたい!」と思っていることもあります。

神様は、あなたを通して、苦しみ、悲しみの中にある人を助けたいと願っています。神の手となり、足となり、心となり、口となり、人を慰め、友なきものの友となり、支え、助ける人になりませんか?

試練はあなたをグレードアップさせ、祝福します。

あなたは祝福された人です。

素晴らしい一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月15日(金)00時11分10秒
  「御茶ノ水駅 ゴスペルライブ」
《Now watching 993》

https://youtu.be/KxfXpBMuY7k (動画)

御茶ノ水駅前で歌いました。すぐ横にはエボはの証人の人たちが布教活動。動と静のように対照的。救い主イエス様の愛が伝わりますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月14日(木)23時00分42秒
  「賛美集会の風景」
《Now watching 992》

賛美集会は、とても盛り上がりました。一緒に賛美と礼拝できる仲間がいることに心から感謝でいっぱいです。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月14日(木)22時35分59秒
  [御茶ノ水駅伝道&第16回賛美集会]
《Now watching 991》

午後5時に御茶ノ水駅前に行くと、一番いい場所はエホバの証人の人たちが陣取って布教活動がなされていました。私たちは駅の斜め前の場所で伝道をすることにしました。しばらくすると、政治運動の方々が来ましたが、ここは早い者勝ち。別の場所に移動していきました。昨日と今日は、ずっと早朝から説教準備をしていたので、精根尽きた状態でした。ペンテコステの前の週まで日曜日の礼拝説教の準備が終わりました。ある程度、先々まで準備を終わらせておかないと、心配で、路傍伝道や出前牧師、超教派のお手伝いなどのお手伝いに力を注ぐことが出来ないからです。そういう訳で、今日は疲れきっていましたが、伝道をし、その後の賛美集会を通して、段々元気を取り戻すことが出来ました。たくさんの人にチラシや賛美やお話を通して伝道が出来て心がはちきれそうです。また、御茶ノ水クリスチャンセンター前で、伝道者のアーサーホーランド師に会いました。「ちょうどお前の噂をしていたところだよ」と言われて、喜んでいいのか一瞬戸惑いましたが、人から覚えられているってことは感謝ですね。例えば、政治家は、悪口であっても、人から話題にされてナンボだと聞いたことがありますが、牧師の場合は、噂をされるなら、「がんばってるね」などの、肯定的な噂であってほしいと願います。賛美集会では、豊かな霊的な流れの中で、詩と賛美と霊の歌とを持って主をほめたたえました。説教は、この2日間の説教準備のおかげもあって、何の準備もしませんでしたが、語っている私自身が恵まれるような説教になりました。賛美集会が終わると、テーブルを囲んで、食事をしながら交わりをしました。互いに分かち合いができて、とても良い時間でした。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月14日(木)15時58分41秒
  「断食祈祷聖会委員会」
《Now watching 990》

本日、断食祈祷聖会の委員会が行われています。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月14日(木)15時14分20秒
  「イスラエル(8)~マサダ(砦)~」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/2/14(木)【1394】」

イスラエルに来たら、必ず行く場所の一つがマサダです。

マサダを設計したヘロデ王の建築家としての手腕に唸らせられます。

イスラエルの国防軍は、「マサダは二度と落とさせない!」と入隊宣誓をするそうです。

エルサレムは、AD70年に陥落されました。そこを逃れたユダヤ人たちは、マサダに登り、最後まで抵抗をしました。

最後は、自決ではなく、互いに命を委ねる形で抵抗を続けました。

生き残った人が、こういうことがあった、と証言しましたが、それは作り話ではなく、事実であることが発掘によって立証されました。

「マサダは二度と落とさせない!」の「マサダ」とは、「イスラエルの国」そのものを指します。

イスラエルは、一旦は国を失いましたが、1900年の時を経た1947年に国を再興しました。

神様は生きて働いておられます。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月14日(木)08時51分2秒
  「今日と明日 御茶ノ水駅で路傍伝道します」

★2月14日(木)
[御茶ノ水駅伝道&第16回賛美集会]
〈前半〉
「JR 御茶ノ水駅 御茶ノ水橋口広場 路傍伝道」
午後5時~午後6時30分
〈後半〉
「御茶ノ水クリスチャンセンター402号で賛美集会」
午後6時30分~午後8時30分
終了後に、同じ場所で交わり会。

★2月15日(金)
[御茶ノ水駅伝道]
「御茶ノ水駅 御茶ノ水橋口広場 路傍伝道」
午後5時~ (2時間前後)

参加もしくは、お祈りをお願いします。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月14日(木)07時26分10秒
  「かめの生き方から学ぶ。『オンリー1』イズ『ナンバー1』」

童話の「うさぎとかめ」は、二つの人生観を現していると思います。「ナンバー1志向」と「オンリー1志向」です。

「ナンバー1志向」を持って生きているのがうさぎです。うさぎの目標は、「ナンバー1」になることにありました。この場合は、かめに勝つということです。勝ちを確信したうさぎは途中で昼寝をしてしまいました。

「オンリー1志向」を持って生きているのがかめです。かめの目標は、理性的に考えたらうさぎに勝てっこありません。しかし、「オンリー1」を目指しました。自分のベストを尽くしました。

この勝負は、「オンリー1」を目指した「かめ」に軍配が上がりました。

私たちの人生にも、この二つの人生観があるのではないでしょうか。

「ナンバー1志向」はとにかく勝って一番になることを目指します。それは素晴らしい向上心であり、決して悪くありませんし。

しかし、そこだけに目標を持つならば、うさぎのように、途中で油断したり、勝てば得意になり、高慢になります。反対に負けたら劣等感に押しつぶされて、自暴自棄になってしまいます。

来年2020年には、東京オリンピック、パラリンピックが行われますが、オリンピックは他の誰かと勝負して一番になることこそが一番重要です。

しかし、同時に持たなくてはいけないのが、自分との勝負であり、自分のベストを尽くすこと、つまり「オンリー1志向」です。

かめにとっては、陸上は自分のテリトリーではありません。反対に、水中はうさぎのテリトリーではありません。

しかし、そこで「自分が得意とする場所ではないのでやる気にならない!」とは言わないで、自分のベストを尽くしました。

今の時代、このかめのような生き方、「オンリー1志向」が必要とされていると思います。もちろん、同時に、「ナンバー1志向」は持たないでいいということはありません。

私たちも、「ナンバー1」をどこかで目指しつつも、いつでも自分のベストを尽くしたいものです。

いつでも自分を磨き、向上心を持つことです。その結果として、「ナンバー2」であっても、「ビリ」であっても、自分のベストを尽くし結果なのですから、それは「ナンバー1」なのです。

必ずしも、「ナンバー1」が「ナンバー1」ではなく、「オンリー1」こそが「ナンバー1」なのです。

うさぎとかめのかめからそんな生き方を学んで行きたいものです。

あなたは世界でたった一人の「オンリー1」です。

今日も素晴らしい一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月13日(水)12時43分47秒
  「イスラエル(8)~死海~」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/2/13(水)【1393】」

死海は、海面下400メートルくらいの場所にあり、地球の吹き溜まりであり、おへそのような場所です。

死海の上流にはガリラヤ湖があります。ガリラヤ湖は、水を上流からもらって下流に流します。しかし、死海はそれより低い場所がないので、水をもらうだけです。水は蒸発して、濃い塩水となり、死海と呼ばれるくらいに命のない場所です。

この実物教育から教えられることは、「人から受けるばかりではなく、与える人になりなさい」というメッセージが出てきます。聖書は、「受けるより、与えることは幸いです。」と語ります。

では、もらうだけで与えないケチな人はダメなのでしょうか?!

ケチな人は、人から好かれないし、心に喜びがありません。まさに死海のような状態です。

しかし、悪いことばかりではありません。

死海は、観光地であり、たくさんの貴重な栄養があり、宝の宝庫です。

神は、ケチな人をも愛しています。ケチだからといって天国に入れないということはありませんし、神の愛を受け続けることで、特別な祝福があるはずです。

しかし神は、神から恵みを受けて、豊かになり、多く与える人になってほしいと神は願っておられます。

受けて与える、感謝に溢れる豊かな人生を歩ませて頂きたいですね。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月13日(水)07時41分31秒
  「長所も短所も丸ごと愛する愛」

私たち人間には、必ず長所と短所がそれぞれあります。長所と短所は、相性の良し悪しで見え方が変わってきます。相性がいい関係だと、互いに長所ばかりが見えますし、相性が悪い関係では、互いに短所ばかりを見えます。

紙にオモテとウラがあるように、すべての人には、長所と短所とがあります。

ある人が、飛行に乗って海外に日帰り旅行に出かけました。朝、日本を発ったのに、到着した国も朝でした。そして、暗くなる前に飛行機に乗って帰国の途に着きました。土産話で家族や友人にこう話しました。「私が行って来た国には、夜がなかったよ。いつも太陽が出ていて明るかったよ。」

これは本当のことでしょうか? この人は明るい時間しか見ていなかったのです。

通常私たちは、他の人にいい部分だけを見せようとしていると思います。ある人は、仮面をかぶってでも長所だけを人に見せようとします。どんなに相性がいい2人も、結婚をしてみれば人間には長所だけがあるのではないことがわかるはずです。

どんな英雄も、アイドルも、聖職者でも、短所があります。反対に、どんな極悪人も、犯罪者も、卑劣な人間にも、長所があるのです。

良いと思う人には長所だけがあってほしいと願いますし、悪いと思う人には、短所だけがあると思いたいものです。

イエス・キリストは、私たちに「よい部分だけを伸ばして、悪い部分を削ってから、私のもとに来なさい。」とは言われませんでした。「そのままの姿で、ありのままで、私のもとに来なさい。」と言われました。

私たちが、丸ごとイエス・キリストに赦され、愛され、受け入れられ、包まれていることを経験した人は、自分のすべてを愛し、受け入れられるようになり、キリストが言われた愛を実践して生きる人になります。

そして、愛せるようになれた分だけ幸福になります。

人の長所か短所しか見られない人は、丸ごと受け入れて下さるキリストの愛をまだ知らないのかも知れません。

しかし、その愛は実際に存在します。あなたが認めても、認めなくても、空気がそっとすぐそばにあるように、いつも神の愛はそこにあります。

さらに、キリストの愛を信じる人には、心臓が絶えず鼓動しているように、あなたの中で、いつも優しく、そして強く、キリストの愛が鼓動します。

あなたは愛されています。その愛に気付いても気づかなくても、あなたはその愛にすでに囲まれています。

素晴らしい一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月12日(火)13時54分27秒
  「イスラエル(7)~荒野(ワジ・ケルト)」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/2/12(火)【1392】」

南に下るとエリコがあり、北上するとエルサレムがある地点に、ワジ・ケルトという荒野が広がっています。

ここで預言者エリヤがカラスに養われ、イエス様が悪魔に試みに遭いました。

荒野は岩地です。深く根をはることは出来ません。

雨が降れば1日で草が生え、花が咲きます。しかし、雨が降らないと1日で枯れて、赤茶けてしまいます。

この地からすべてが始まったと思うと感慨深いです。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月12日(火)08時39分46秒
  「ストレス解消の秘訣」

ストレスが溜まると病気になりやすいそうです。心がストレスを感じ続けると、交感神経と副交感神経のバランスを崩れて、自律神経が失調し、体の免疫が低下し、病気になりやすい状態になります。

ストレスという言葉は、1936年にカナダの生理学者ハンス・セリエ博士(Hans Selye, 1907-1982)によって初めて使われました。もともとは物理学の言葉でしたが、後日、生物学の世界で一般的に使われるようになりました。

物理学で使われた時には、金属に対して、歪むような形での力が加えられ続けると、金属疲労を起こし、やがて折れてしまうということですが、もし、金属でさえ壊れてしまうとしたら、私たちの体はなおさら壊れてしまうのではないでしょうか。

ストレスを解消する秘訣はたくさん語られていると思いますが、一番強力な方法は笑うことだと思います。ある医学博士が、笑いの効能が医学的に証明されていると語っている話を本で読んだことがあります。

笑うと、交感神経と副交感神経のバランスが良くなり、免疫が強化され、ストレスを跳ね飛ばします。

ストレスの多い社会の中で、ストレスを感じないで生きることは難しいでしょう。もちろん、ストレスのない状態がいいとは限らないと思います。地球に重力が働いているように、適度なストレスは必要です。

ストレスを感じる人への朗報があります。

神を信じて、笑って下さい。

神を信じて笑うのは、「なるようになる」という意味の「ケセラセラ」(Que sera sera/ケ・セラ・セラ)とは違います。心からの安心から出て来る笑いです。

200Kgのバーベルを持ち上げられる人に取って20Kgのバーベルを持ち上げることはわけありません。

神はキリストを通して、人類最大の問題である死を討ち滅ぼして下さいました。最大の問題が解決されているということは、それより小さい、日常の諸問題は200Kgに対する20Kgのようなもので、解決されているに等しいからです。

バイブルは、「いつも主にあって喜びなさい」(ピリピ人への手紙4章4節)と語ります。

みなさんは最近大笑いをしましたか。私は毎日たくさん笑います。それでもすごいストレスを感じることがあります。もし私から笑いを取ってしまったとしたら、とっくにうつ病などの精神的な病気になってしまっていただろうと思います。笑っていると、いつの間にか嫌なことを忘れています。

お酒やタバコや、一時的に気分を紛らわすのとは違います。二日酔いをしたり、効能が切れてきてイライラすることもありません。笑いは、心の奥底から掃除してくれます。

笑いは、無理に笑っても効果があると思いますが、心から笑うことです。前述のように、人生最大の問題が解決していますので、「今は問題があっても、やがて解決する!」あるいは、「今のマイナスの出来事は、やがてプラスに変わる!」と信じたら、深刻になりようがありません。

深刻にならざるを得ないのは、この問題解決の秘訣がそれを必要としている人に伝わってないことに対してだけです。だから伝道するのです。

その秘訣を知った上で、「興味がない!」と言われるなら仕方ありませんが、知らないままでいてもらいたくないと思います。

仮に、不治の病の特効薬があり、不治の病にかかっている人がいたとします。目の前に特効薬が置かれているのに、特効薬が自分の病気に効くと知らされていないとしたら、目の前に薬はあっても、何の役にも立ちません。知ったら飲むはずです。特効薬の存在を知らないということは悲劇です。

イエス・キリストが救い主であるかどうかを多くの日本人が知りません。「単なる外国の宗教」と括ってしまって終わっています。

一度でいいから、イエス・キリストと対面し、出会ってもらいたいです。その上で、「私は興味がない!」というのはその人の自由ですが、「知らなかった!もっと早く知りたかった!」と言って信じる人がたくさんいます。

昔こんなコマーシャルがありました。「あなたにもチェルシーあげたい」。私は、「あなたにもイエスをあげたい」です。

どうぞ、ストレスは金属さえ壊してしまいます。ストレスを溜めない。ストレスを解消し、ストレスを味方に付けるような毎日をすごせたらいいですね。

今日も、笑って楽しく過ごして下さい。いつもありがとうございます。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月11日(月)14時17分9秒
  「イスラエル(6)~荒野で叫ぶ声」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/2/11(月・建国記念の日)【1391】」

2000年前、バプテスマのヨハネは、荒野に出て行って、「悔い改めよ!」と叫び、イエス・キリストの道備えをしました。

現代のイスラエルにあるユダの荒野も、2000年前の景色とそう大きくは変わらないと思います。

荒野には不思議な魅力があります。地面の石と、青い空と白い雲しかありません。それ以外何もない環境の中だからこそ、神ご自身に目が向けられるのだと思います。

荒野は神と出会う場所です。そこには、基本的にいのちはありません。人が生きていくことはできません。神に頼るしかない環境です。

今日もし、苦しい環境に置かれているとしたら、そこも荒野です。神に頼らなければ押しつぶされたり、倒れてしまうからです。

荒野でバプテスマのヨハネが叫んだように、「神に目を向け、神に立ち返れ!」との神の声を聞くことができる人は幸いです。

恵まれた環境の中では、なかなか細き神の声は聞こえてきませんが、荒野には頼れるものが何もないので、神の声が聞こえやすいのです。

神があなたに人生の荒野に導かれたとしたら、神があなたを愛しているので、あなたに愛を語りたいからだということを知って下さい。

神はあなたを愛しています。

聖書の「マタイの福音書3章1節~12節」を引用します。

1 そのころ、バプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教えを宣べて、言った。

2 「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」

3 この人は預言者イザヤによって、「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。』」と言われたその人である。

4 このヨハネは、らくだの毛の着物を着、腰には皮の帯を締め、その食べ物はいなごと野蜜であった。

5 さて、エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川沿いの全地域の人々がヨハネのところへ出て行き、

6 自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けた。

7 しかし、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けに来るのを見たとき、ヨハネは彼らに言った。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。

8 それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。

9 『われわれの父はアブラハムだ』と心の中で言うような考えではいけない。あなたがたに言っておくが、神はこの石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。

10 斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。

11 私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。

12 手に箕を持っておられ、ご自分の脱穀場をすみずみまできよめられます。麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい!
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月11日(月)10時10分38秒
  「路傍伝道ネットワーク 2月最新予定」

https://evangelism-journal.wixsite.com/evangelism-network

(6)2月14日(木)
[御茶ノ水駅伝道&第16回賛美集会]
〈前半〉
「JR 御茶ノ水駅 御茶ノ水橋口広場 路傍伝道」
午後5時~午後6時30分
〈後半〉
「御茶ノ水クリスチャンセンター402号」
午後6時30分~午後8時30分
終了後に、同じ場所で交わり会。

(7)2月15日(金)
[御茶ノ水駅伝道]
「御茶ノ水駅 御茶ノ水橋口広場 路傍伝道」
午後5時~(2時間前後)

(8)2月18日(月)
[第3月曜定例伝道]
「JR 新宿駅 東口 アルタ前広場 路傍伝道」
午後6時30分~午後8時

(9)2月23日(土)
[路傍伝道荒野の旅]
午後5時 新宿駅西口集合

(10)2月28日(木)
[山手線祈祷会&駒込駅プレ伝道]
〈前半〉
「山手線祈祷会」
午後5時30分に、山手線駒込駅(内回り)ホーム先頭に集合
〈後半〉
「駒込駅プレ伝道」
午後6時45分~午後8時

★見学や短時間の参加も歓迎です。
★路傍伝道の集合場所は現地になります。不明な点がありましたら、メッセージ、もしくは、sgr_ch@ybb.ne.jpまで問合せ下さい。
★各活動終了後に自由参加の食事会があります。

☆「路傍伝道ネットワーク 特集番組」
https://youtu.be/ZG5GksfHdf0 (CGNTV)

☆「路傍伝道ネットワーク紹介番組」
https://m.youtube.com/watch?v=G3cDepEvaFc (CGNTV)

☆「テレビ東京の番組に出演」
http://m.pandora.tv/?c=view&ch_userid=qkfn&prgid=56430348
(川口駅 ロッチ中岡との出会い 1時間11分25秒くらいから登場します)

☆「路傍伝道説教」
https://youtu.be/vjh_i7IJigQ (明治神宮前)

https://youtu.be/H2L99MMq8Pc (明治神宮前)

https://youtu.be/6cNVl5aLB6s (明治神宮前)

https://youtu.be/QGMqJR95ND8 (明治神宮前)

☆「路傍伝道賛美」
https://youtu.be/rbZSmUb0brs (新宿アルタ前)

https://youtu.be/xHUEK4bt_bQ (大久保駅)

https://youtu.be/enkIZWgp0TM (淀橋教会)

https://youtu.be/N9EAi6q3V9c (名古屋駅)

https://youtu.be/N9EAi6q3V9c (池袋駅)

https://youtu.be/rLZQhW0-4p8 (大塚駅)

https://youtu.be/miZ9rAZ1Abc (川口駅)

https://youtu.be/6-YwXNaMjk8 (難波駅)

https://youtu.be/dUHmvQRj5Og (四日市駅)

☆「路傍伝道賛美集会」
https://youtu.be/cweWmoDEXsg (御茶ノ水クリスチャンセンター)

https://youtu.be/FSTT8Uf5FT0 (御茶ノ水クリスチャンセンター)

https://youtu.be/u7tXFh-4bNo (新宿福興教会)

https://youtu.be/WUBLb_S3jc4 (新宿福興教会)

☆「路傍伝道ネットワーク特集記事」
https://www.christiantoday.co.jp/articles/23658/20170424/kanno-naoki-shinjuku-robodenndo.htm

https://www.christiantoday.co.jp/articles/23786/20170519/konohitonikiku-kanno.htm

☆「路傍伝道ネットワーク facebookページ」
https://m.facebook.com/groups/725359987641943?ref=share

☆「献金振込先」
ゆうちょ銀行  記号 10100  番号 72587221  口座名 路傍伝道ネットワーク
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月11日(月)08時01分9秒
  「国と私たちのルーツ」

今日は、建国記念の日で国民の休日です。私にとってはいつもと変わらない一日ですが、子どもたちは学校が休みなので、家がにぎやかになります。

建国記念の日は、「建国された日」ではなく、「建国を記念する日」です。日本の歴史は古く、正確には理解できないのが現実です。

旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、南北朝時代、室町時代、戦国時代、安土桃山時代、江戸時代、明治時代、大正時代、昭和時代、そして、現在の平成の時代と、歴史は刻まれています。

聖書を調べてみると、世界の歴史を約6000年であると推察できます。しかし、聖書を信じないで、進化論を土台とした歴史は、果てしなく長い約46億年と推定されています。

どちらが正しいか、を論ずる前に、世界には、上記のような2つの世界観があることを同じ土俵の上で紹介される必要があると思います。

私は、子供の頃から聖書を知っていました。学校の教科書の人類の進化の絵と説明を見て、「おやっ!?」と思いました。

聖書は、「神が人を創造された」と書かれているのに、学校の教科書はまったく別の事を教えているからです。

私は、2つの世界観を、同じ土俵ではないにしても、知ることができたので幸いでした。

「私の祖先は猿である」というのと、「私は神に造られた」というのでは、自己に対するイメージは全く変わってしまいます。

南米には、「可愛いおてて(Que linda manito/ケ・リンダ・マニート)」という子守唄があります。

"私のおてての可愛いこと
神様がくれた白いおてて
私のおめめの可愛いこと
神様がくれた黒いおめめ
私のおくちの可愛いこと
神様がくれた赤いおくち
私のあんよの可愛いこと
神様がくれたむちむちあし"

赤ちゃんの各パーツのそれぞれを「可愛い!」とほめて、「全てが神様のプレゼントだよ!」と結ぶ歌詞は、どれだけ大きな自己肯定意識を埋め込むでしょうか。

これを聞いて、「ほめ過ぎたら自信過剰になったり、勘違いするようにならないの?」という声も出ると思います。

しかし、謙遜が美徳とされる日本では、南米の人の明るさや楽観さは、根拠がない自信であると感じるかも知れませんが、私たちが、神に造られた存在であることを前提と考えたら、健全で正しい自己認識を持たせることになります。

聖書は、人は神に似た素晴らしい存在として造られたと語ります。

たから、人は素晴らしい存在なのです。

では、聖書が、「人は罪人である」と教えるのはなぜでしょうか。

最初は素晴らしい存在であった人間に、後から罪が入り、死が入ったとしたならば、罪は病気のようなものです。

しかも、私たちがあずかり知らないところで罪は全人類を汚染するようになったのです。

私やみなさんが罪を犯した覚えはないのです。犯したのは、先祖のアダムとエバです。

私たちがあずかり知らないところで罪が犯され、罪人という病人になってしまったのと同じように、神は、私たちがあずかり知らないところで、一人子イエス様によって罪を贖って下さいました。

「イエス様を信じる」とは、罪という不治の病の特効薬を受け取り、それを飲むことです。

イエス様は、「まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。わたしはいのちのパンです。」(ヨハネ6:47~48)と語りました。

今日、「信じる者は永遠のいのちを持つ」と語られるイエス様を信じるなら、「いのちのパン」を食べることになり、罪が赦され、いやされ、永遠のいのちを持つことができます。

私は、日本という長い歴史を持つ国に生まれたことを神に感謝しています。

日本を造り、私たちを造られたのは神だと信じます。

神が造られたものはみな素晴らしいものですが、罪に汚染され、罪という病にかかっています。

不治の病であり、死のトゲです。

唯一の解決は、イエス様にあります。イエス様を信じたら、罪はいやされ、素晴らしさを回復できます。

私は、2つの世界観が同じ土俵の上で教えられ、一人ひとりが選択できるようになることを願い、祈ります。

建国記念日に、この国のルーツとあり方、私たちのルーツとあり方について考えましょう。

今年は天皇陛下の代替わりがあります。皇室の祝福を祈りたいと思います。

日本の未来の祝福、日本に住む一人一人の祝福、日本の政治と経済のため、様々な課題のために祈ります。

三連休の人も多いと思います。ステキな一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月10日(日)21時28分26秒
  「命の泉」
《Now watching 989》

https://youtu.be/Nen_-H_ZplM (動画)

賛美集会で歌いました。神の御霊である聖霊が喜びの源泉です。賛美の中で喜びに溢れます。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月10日(日)20時50分27秒
  「伝道と食事。どちらも食事」
《Now watching 988》

夕方の礼拝後に、皆さんで一緒に伝道に行こうと思ったら、先に帰る人たちや、教会の中で交わりをする人たちがいる人たちもいて、少数で新大久保前で伝道しました。心が喜びていっぱいになりました。神様の仕事は霊的な食事であり、最高です。

「イエスは彼らに言われた。『わたしには、あなたがたの知らない食物があります。・・・わたしを遣わした方のみこころを行い、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。』」(ヨハネの福音書4章32節・34節)

その後、海老ラーメンを食べました。おいしかったです。心も体も満たされました。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月10日(日)12時02分17秒
  「イスラエル(5)~安息日~」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/2/10(日)【1390】」

金曜日の日没から土曜日の日没までは、ユダヤ人は何千年も変わらない習慣として安息日を守ります。

特に、超正統派のユダヤ人たちは安息日を厳格に守ります。金曜日の午後になると慌ただしく安息日の準備をします。

しかし、それは実にゆったりした時間であり、優雅で至福の時のように映ります。

私たちも、強いられてではなく、週一度の日曜日には神様を礼拝し、安息する時を、自ら進んで習慣と出来たら、人生が祝福され、何倍にもなるだろうと思います。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月10日(日)07時27分44秒
  「無理に励まさなくてよい」

私たちは、悩んでいたり、気落ちする人を見たら、何とか励まそうとして、逆に、傷口に塩を塗るように傷つけたり、寂しい思いをさせてしまうことがあります。

ある日、神学校時代(牧師になるための学校)の同級生の奥さんが、癌になり天に召されました。まだ若い方でしたのでびっくりしました。その一報が携帯電話に入った時は、家族で東北に伝道旅行をしていました。お葬式には参列することが出来ませんでした。

帰宅してすぐに、同級生に電話をかけました。電話の向こうの彼の声を聞いた途端、言葉を失ってしまいました。約1分間の沈黙が続きました。

同級生は、電話を切る前にこう言いました。

「みんな、家内が天国に行けたからうれしいですね、感謝ですね。と言ってくれるけど、僕には全然そう思えない。むしろ、カンちゃんのように、沈黙で僕の気持ちを理解してくれてとてもうれしかった。ありがとう。」と言ってくれました。

現代は、4人に1人がうつ病の傾向にあると言われます。例えば、うつ病の人に、「がんばりましょう!」という言葉は禁句です。

「がんばりましょう!」という言葉がいけないのではなく、がんばりたくてもがんばれない人に、「がんばれ!」と言うよりも、その苦しみや弱さを理解し、そっとそばにいてあげることだけでもどんなに大きな助けを与えてあげられるでしょうか。

がんばれる力は、神から与えられます。それは、あなた自身が落ち込んだり、弱っている時に神様から慰めて頂いたり、励まして頂くことで受けることができます。

神は遠く離れておられるのではありません。あなたのすぐそばにおられ、あなたの存在の一部となり、あなたを理解して下さいます。

イエス・キリストの別名は「インマヌエル」です。「神、我らと共にいます。」という意味です。キリストは、いつもあなたと共におられます。

イエス・キリストは、約2000年前に人間の姿となって臭い汚い家畜小屋の飼い葉おけで生まれました。なぜキリストは救い主なのに、最高の環境に生まれなかったのでしょうか?

深い意味があります。キリストが、きれいな宮殿に生まれたとしたら、私たちがきれいにならないとキリストのそばに行くことができません。しかしキリストは、最も貧しく最悪の環境で生まれました。

家畜小屋の飼い葉おけとは、私たちの心を象徴します。誰にも見せられない、知られたくない心の闇、恥ずかしい罪の中に生まれ、来て下さることを象徴しています。

今日、キリストを心に迎えてみませんか?

キリストは、あなたを無理に励まそうとしたり、あなたを変えようとはしません。ただ共にいて下さり、慰め、受け入れ、赦し、愛して下さいます。

そんな愛を体験したら、人を無理に励ますのではなく、その人に必要な助けを与えることができるようになります。

時には、無理に言葉をかけて励まそうとするよりも、ただじっと黙って共にいることの方がその人の助けになることもあるものです。

今日も、ステキな一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月 9日(土)23時51分27秒
  [巣鴨駅 路傍伝道]
「マイナスをプラスに変えて下さる神様」
《Now watching 987》

晴れの日は「ハレルヤ」、雨の日は「アーメン」と応答し、雪の日は「勇気」が必要です。天気予報では、雪が5cm積もると発表されていました。今日参加して下さった6名は、数多くの戦いを乗り越えて参加して下さったのではないかと思います。午後6時に巣鴨駅南口で伝道をスタートしますと、雪が霙(みぞれ)に変わり、霙が雨に変わりました。最初から最後まで、ずっと雨に濡れながら伝道しました。ギター、ウクレレ、キーボード、カホン、献金箱など、それぞれの機材が雨に弱いですが、そういうことを忘れて、神様が降らせて下さる恵みの雨に感謝して、喜びでいっぱいでした。洋服や髪の毛をはじめ、静かに降り続く雨は、容赦なくすべてをびしょびしょに濡らしました。南口の反応も良かったですが、午後7時に北口に移動すると、人は多いし、さらに反応が良かったです。好意的な眼差しを私たちに向けてくれて、立ち止まって声をかけてくれたり、献金をしてくれたり、チラシを受け取ってくれる人も多くいました。2時間の活動が終わると、一緒に戦ったことから、深い連帯意識が芽生えました。誰一人傘を指さなかったので、全員がびしょ濡れですが、顔を見ると、達成感と充実感と喜びで溢れていました。祈って閉会のセレモニーをして、荷物の片付けが終わると、冷え切った体を温めるために、すぐに近くのファミレスに移動しました。食事をし、お茶を飲みながら、1時間以上熱く語り合いました。伝道に関しての具体的な話をしました。また、昨日は、スキーの初心者教室を行ないましたが、今度は、「スノーボードの初心者教室をしましょう!」という話になりました。その時には、「みんながヘッドセットマイクをつけて、リフトやゲレンデで伝道しましょう!」と、冗談で語り合いますが、この勢いなら本当にやってしまいそうな熱気を感じました。今年のゴールデンウィークは10連休になる人もいますが、「お互いの予定が合う日にバーベキューをしに行きましょう!」という話にもなりました。路傍伝道は神様の仕事ですが、そこにあるのは人間関係です。ビジネスライクに活動をするだけではなく、互いに愛と信頼と尊敬の心を持って、力を合わせていくことが大切だと思います。今日は、2時間の間、ずっと雨に濡れるというマイナスの状況でしたが、そのことが、かえってお互いの連帯意識が深めてくれました。また、雨の中で活動する私たちに、通行する人々が好意的な反応で応えてくれました。マイナスがプラスに変えられたと感じます。聖書には、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28)と書かれています。神様は良いお方です。いつでも、どんな時でも、マイナスをプラスに変えて下さる方です。すべてのことを働かせて益として下さる神様に感謝をしたいと思います。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月 9日(土)17時43分57秒
  「本日の路傍伝道」
《Now watching 986》

時折雪がちらつく中ですが(6時以降は曇りの予報です)、巣鴨駅でこの後6時から8時まで伝道をします。今日は、南口と北口の両方の場所で活動する予定です。改札口は一つですので、来て居なかったら、反対の出口に来て下さい。

2月9日(土)
[山手線伝道]
「JR 巣鴨駅 南口と北口交互に路傍伝道」
午後6時~午後8時

お祈りと参加をお待ちしています。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月 9日(土)13時15分59秒
  「イスラエル(4)~ゴルゴダの丘と園の墓~」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/2/9(土)【1389】」

イエス様が十字架にかけられた「ゴルゴダの丘」、そして、死んだ後に墓に葬られ、3日目によみがえったと言われる「園の墓」があります。

考古学的には、絶対その場所かどうかは断定できませんが、大切なことは、イエス様が私たちの罪のために十字架にかかり、死んだ後に墓に葬られ、3日目によみがえられたことが歴史的な事実であり、その事実を信じたら救われるということです。

この場所に行くと、救いに関しての深い確信が持てます。「ゴルゴダの丘」や「園の墓」に行くことで信仰を持つようになる人もいます。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月 9日(土)11時02分4秒
  「人工雪と天然雪」
《Now watching 985》

昨日はスキー場で人工雪に触れました。今日は東京で天然雪に触れました。雪を見るとテンション上がります。「雪やこんこ  あられやこんこ  降っても降っても  まだ降りやまぬ  犬は喜び 庭かけまわり  猫はこたつで丸くなる」私は犬タイプですね。外出の際には足もとに気をつけて下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月 9日(土)08時00分45秒
  「無邪気なあなたが一番素敵」

無邪気とは、心に「邪気が無」く、悪気やいつわりがない姿です。

無邪気なあなたは、まっすぐで悪意のない、素直なあなたです。それが本当のあなたです。

あなたが無邪気な姿で生きているなら、自分が好きで、同じように、人のことも好きになり、生きていることが楽しくて仕方がないでしょう。

しかし、心に「邪気」が広がると、人を疑い、意地を張ったり、意地悪をするようになり、生きていることがつらくなります。

いつも無邪気でいる秘訣は、あなたを無邪気な人として造り、そのあなたを愛しておられる神と共にいること。

そして、いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことについて感謝することです。(テサロニケ人への手紙5章16節~18節参照)

そうしたら、「邪気」は振り落とされ、無邪気で優しく、幸せなあなたでいられるはずです。

そんなあなたと一緒にいる人は幸せになるに違いありません。

今日も一日、無邪気なあなたでいられますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月 8日(金)22時37分59秒
  「スキー場でGod bless you!」
《Now watching 984》

https://youtu.be/JVSRv99uFdY (動画)

神様と共に歩む人生は、最高の人生です。どこにいても、この方を賛美し、伝えたいです。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月 8日(金)21時52分54秒
  [スキー親睦会&スキー場伝道]
「いつでも、どこでも、誰にでも」
《Now watching 983》

スキー親睦会は以前から計画し、日程を話し合っていましたが、皆さんの予定が合わず、流れそうな雰囲気でした。しかし、一日前の昨日、急きょ今日の予定が空いたため、関係者の何人かの方々に声をかけました。急に声をかけて一日時間を空けられる人はまずいないと思いましたが、最低催行人員の3名が参加できることになり、朝一番に集まってスキーに出かけました。休憩時間を除いて、滑り続けました。食事の時間やリフトに乗った時などに、伝道についていろいろな話をすることができました。決めていたことは、行った先で伝道をすることでした。祈っていると導かれて、スキー場の駐車場でゴスペルライブをしました。いつもと同じようには伝道は出来ませんでしたが、ゴスペルの歌詞を通してそこにいる人たちに福音を伝えることができました。おそらく、スキー場に駐車場で神様を賛美したのは私たちがはじめてではないかと思います。心が喜びで一杯になりました。回転すし屋で食事をしてから帰って来ました。プライベートと伝道の時や、プライベートと牧師の顔を使い分ける必要はありません。いつでも、どこでも、誰にでも伝道をしたいと思いました。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月 8日(金)11時39分30秒
  「イスラエル(3)~エンカレム~」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/2/8(金)【1388】」

「エンカレム」は、「葡萄畑」という意味で、「マリヤの泉」とも呼ばれる場所です。

「そのころ、マリヤは立って、山地にあるユダの町に急いだ。」(ルカの福音書1章39節)

また、「エンカレム」は、「山地にあるユダの町」とも呼ばれます。

狭くてバスが入れないので、徒歩で傾斜を登ると「マリヤの泉」があり、さらに山の中腹まで登ると、イエス様の母マリヤがエリザベツを訪問したことを記念に建てられた「マリヤ訪問教会」があります。

この時マリヤが歌った「マリヤ賛歌(マグニフィカート)」が46ヶ国語で書かれていて、その中には日本語も含まれています。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月 8日(金)05時17分40秒
  「人生の四季」

子供の頃、好きな季節は夏でした。コカコーラを飲んだり、アイスクリームを食べたり、プールで泳いだり、冷房の部屋で涼んだり、川や海に遊びに行ったり、夏の何もかもが好きでした。

少し大きくなってからは春と秋が好きになりました。過ごしやすく、桜も紅葉も好きでした。

30歳を超えてからは冬が好きになりました。冬景色がロマンチックですし、クリスマスのイルミネーションと白銀のゲレンデの景色が好きです。

雪を見ると、私の心は踊り、すぐにでもスキー板を車のルーラックに積んで、ゲレンデに行きたい気持ちです。

年と共に、好きな季節が変わって来ました。これからも変わっていくのではないかと思います。

みなさんはどんな季節が好きですか?

冬が好きで、雪が好きで、ゲレンデが好きでしたら、今度スキーにご一緒しませんか。スノボもOKですし、中・上級者も歓迎です、ご一緒にいかがですか?

もし、春や秋が好きで、バイクが好きでしたら、一緒にバイクツーリングに行きませんか? あるいは、車で日本一周路傍伝道の旅に行く時ご一緒しませんか?

夏が好きならば、登山、ハイキング、川や海に行きませんか?

神様は、私たちの住む日本に四季を与えて下さいました。

春夏秋冬のすべてが素晴らしい季節だと思います。

私がいくら冬を好きだとしても、北極のような環境で、一年中雪に包まれていたとしたら、沖縄やハワイが恋しくなると思います。

四季があるからこそ、好きな季節があるのだと思います。

人生にも春夏秋冬のように、心が寒くて凍えてしまいそうな冬の時もあれば、春と秋のように快適な時もありますし、夏のように晴れ晴れした時もあります。

色々な時があるからこそ人生は楽しいのです。

うれしいことを「うれしい!」と感じるのと、悲しいことを「悲しい!」と感じるのは同じ心の働きです。

悲しいことがあるから、うれしいことを「うれしい!」と感じることができるのです。

今あなたの人生の四季がどの季節でも、その時を楽しみ、感謝し、味わいながら歩んでいきましょう。

つらい体験がないと、うれしいことを心の底から「うれしい!」と思えません。

人生がうれしいことばかりだと、うれしいことも退屈に終わってしまいます。

人生の感動は、人生の四季を通して喜怒哀楽を経験できるところにあります。

今日、今この時、この瞬間、この私、この環境を、そして、共におられる神様を楽しみ、感謝していきましょう。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケ人への手紙第一5章16節~18節)

ステキな一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月 7日(木)22時48分51秒
  [山手線祈祷会&巣鴨駅プレ伝道」
《Now watching 981》

今日の活動の前半は、山手線の車内で一周回りながらの祈祷会を行ないました。最初は、祈りにくい雰囲気でしたが、祈りが深くなるにつれて祈りやすくなりました。国のため、路傍伝道の活動のため、そして、「東京からリバイバル(人々がイエス様を信じるようになること)が始まるように」と祈りました。後半は、お年寄りの原宿巣鴨駅に降りて、北口、南口、正面口と行ったり来たりしながら祈り、少しずつ歌を歌い、伝道をしました。街頭演説(辻説法)の第一声は、地元で篤く信仰されている「とげぬき地蔵」に触れて、「イエス・キリストは死のとげを抜くために十字架で死んで下さり、よみがえられました。この方を信じましょう!」と勧めました。巣鴨駅前のそば屋で店員をしている方も参加してくれました。仕事をしている町で福音を伝えられて、「うれしくてたまらない!」という顔をしていました。プレ伝道とは、祈りの歩行をし、人の流れや霊的な雰囲気などをリサーチします。北口、南口、正面口は、それぞれ甲乙付けがたく、それぞれが良いため、明後日の巣鴨駅路傍伝道では、「前半に南口、後半に北口で行ないましょう」と話し合いました。伝道後には、一緒に定食を食べに行きました。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月 7日(木)15時36分7秒
  「本日の路傍伝道のお知らせ」

「山手線祈祷会」と「プレ伝道」になるので、多少地味な活動になりますが、参加を希望される方を歓迎します。また、お祈りをお願いします。

日時:2月7日(木)午後5時30分~午後8時

〈前半〉
「山手線祈祷会」
午後5時30分に、山手線巣鴨駅(外回り)ホーム先頭に集合

〈後半〉
「巣鴨駅プレ伝道」
午後6時45分~午後8時

後半から参加される方は、コメントかメッセンジャーなどで連絡下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月 7日(木)14時01分18秒
  「新宿福興教会のホームページ移転のお知らせ」
《Now watching 980》

15年以上使っていた「Yahoo!」の「ジオシティーズ」の「http://www.geocities.jp/sgr_ch/」のアドレスが、今年の3月31日で閉鎖されるので、ホームページを引っ越ししました。

新しいアドレスは、
https://sgr-ch.net です。
引き続きよろしくお願いします。

新宿福興教会牧師 菅野直基
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月 7日(木)12時58分52秒
  「イスラエル(2)~ベツレヘム~」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/2/7(木)【1387】」

イエス様は救い主としてベツレヘムという町で生まれました。町の名前の意味は「パンの家」です。「パンの家」という町で、「いのちのパン」であるイエス様は生まれたのです。

「イエスは言われた。『わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。』」(ヨハネの福音書6章35節)
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月 7日(木)07時27分27秒
  「永遠と今をつなぐもの」

三郎くんは算数が大の苦手。学校の授業では大きな数の勉強をしているのですが、1億がどのぐらいなのかわかりません。

宿題を途中でやめて、勉強部屋から外を眺めていると、雲が動いて、ひげを生やしたおじさんの形になりました。そして、三郎くんに話しかけました。

(神)「三郎や、何をしているんだね?」

(三郎)「もしかして神様?!」

(神)「そうだよ。宿題ができないんだね」

(三郎)「神様、僕、1億ってどれぐらいかわからないんだ。だから宿題するのがいやになっちゃった・・・。たとえば、1億年ってどれぐらいなんですか?」

(神)「1億年か。君にとっての1億年は私にとっては1分と同じだな」

(三郎)「へー。じゃあ1億円ってどれぐらい?」

(神)「1億円か。君にとっての1億円は私にとっては1円と同じだよ」

(三郎)「うわ!神様、お願いです。僕、おこづかいがほしんです。1円だけでいいんです。神様の1円をください。宿題も一生懸命にやります。ママやパパの言うこともちゃんと聞きます」

(神)「よしよし、1円ぐらいお安いご用だ」

(三郎)「わーい! やったー!」

(神)「じゃ、ちょっと取ってくるから、そのまま、1分ほど待ってなさい」

(三郎)「はーい!」・・・・・・

聖書には、「愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。」(第二ペテロ3:8)と書かれています。

神様の世界の時間と私たち人間の世界の時間は全く違います。

しかし、日曜日に教会に行き、心を静めて神様の言葉に耳を傾ける時に、私たち人間の世界の中に神様の世界がやって来ます。

その時、一日と千年が一つになり、永遠の今を生きることになります。

限りある私たちが、限りない神と直結され、一つになって生きて行くことができます。

神様と一緒に歩む一日は千年のようであり、神様と交わる1分は1億年に匹敵するほど豊かな時間になります。

今日もステキな一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月 6日(水)10時11分7秒
  「イスラエル(1)~ヤドヴァシェム(虐殺記念館)~」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/2/6(水)【1386】」

イスラエルやユダヤ人を理解する上で、歴史を知ることが大切です。ドイツのヒットラーの政権によって、ここまで恐ろしいことが起こってしまったことに対して、「神様、なぜですか?」と何度も問いかけました。ユダヤ人は、「過去を許すけれど、過去の歴史を忘れない」と言います。許すことに忘れることも含まれますが、歴史を正しく理解し、それを教訓としないと、過去の失敗を繰り返してしまうことがあります。「エルサレムの平和を祈れ」(聖書)と聖書は語ります。「エルサレムの平和のために祈れ。『おまえを愛する人々が栄えるように。おまえの城壁のうちには、平和があるように。おまえの宮殿のうちには、繁栄があるように。』私の兄弟、私の友人のために、さあ、私は言おう。『おまえのうちに平和があるように。』私たちの神、主の家のために、私は、おまえの繁栄を求めよう。」(詩篇122篇6~9節)エルサレムの平和を祈りましょう。中東でこれ以上血が流されないように祈りましょう。世界の平和を共に祈っていきましょう。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月 6日(水)07時52分32秒
  「寒い季節に木を切るな」

寒い季節になると、動物は冬眠し、植物は葉を落とします。

昔ある人が、冬に枯れてしまった木を見て切り落とそうとしていました。近くを通りがかった知恵深い老人が一言いいました。

「冬に木を切ることはやめなさい。春まで待っていたらまた元気に葉を実らせ、実を結ぶはずだから」

この老人の言葉は、私たちの人生にも当てはまります。人生の冬には、何の実りもなく、失敗者や敗北者であるように感じることがあります。周りの人を見ているとうまくいっているように見えて、ますますみじめな気持ちになることがあります。

SNSで燃え尽き症候群になる人がいます。その理由の一つは、みんな人生の明るい面ばかりを投稿するので、比較してみじめな気持ちになって、もうやりたくなくなるそうです。スパッとやめると、気持ちが楽になるそうです。

誰にでも人生の四季があります。何をしてもうまくいき、絶好調な時もあれば、何をしても空回りで、何の実りのない時期もあります。

人と自分を比較する必要はありません。自分は自分、人は人です。その上でお互いに受け入れ合い、許し合い、愛し合っていけたら人生は幸せです。

人がうまくいっているように見えて、自分がうまくいっていないように見えるとき、きっと自分の人生の冬を迎えていると受け止めてください。

老人が、「冬に木を切ることはやめなさい。春まで待っていたらまた元気に葉を実らせ、実を結ぶはずだから」と語った言葉に心に留めてください。今うまくいっていなくても大丈夫です。もう少ししたら人生の春がやってきて、何もかもうまくいくようになるかも知れません。

聖書には、「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」(詩篇1編2節~3節)と書かれています。

水路のそばに植わった木は、「時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」のです。

水路のそばに植わった木になるためには、「主のおしえを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ。」ことだと書かれています。

主の教えである聖書の言葉を喜び、その言葉をいつも口ずさむとは、
① 聖書が「あなたは持っている!」と語るものを「持っています!」と口で語ることです。
② 聖書が「あなたはできる!」と語ることを「できます!」と口で語ることです。
③ 聖書が「あなたは~です!」と語ることを「私は~です!」と口で語ることです。

これは、どんな状況の中にあっても、心がそう思わない時も、苦しくつらいときでも語ってください。季節が冬であっても、木が砂漠に植えられていたとしても、その根は水路につながっています。

外から見たら枯れているように見えることがあっても、生きています。

うまくいかない時にも、あきらめたり、投げ出したりしないで、どんな時も「主のおしえを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさんで」下さい。

あなたは何をしても栄えます。

素晴らしい一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月 5日(火)23時52分2秒
  「バイクでお出かけ」
《Now watching 978》

16歳の誕生日に原付免許を取ってバイクに乗り出しました。自然が大好きで、山でも海でも、自由にどこにでも出かけました。今は無駄に走ることはありませんが、バイクは楽しく、気持ちがいいですね。バイクで出かけて、一仕事終えて帰宅しました。「風は南に吹き、巡って北に吹く。巡り巡って風は吹く。しかし、その巡る道に風は帰る。」(伝道者の書1章6節)
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月 5日(火)11時14分34秒
  「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/2/5(火)【1385】」

2019年は、イエス様の福音を伝道する年として、神様が加速して下さっていると感じます。

日本全国での路傍伝道、そして、百万部のポスティング伝道をしたいと思っています。

最近、エホバの証人の人たちが、日本の各地でストリートでの布教活動に力を入れています。それは、効果があるからやっているのだと思います。

もちろん、2人組になって、各家を訪問して布教するのは、嫌がられると思います。もしかしたら、玄関のベルを鳴らした後に、「留守であってほしい」という気持ちになるのではないかとも思います。

彼らは、街頭に立って、無言で小冊子を掲げます。単純接触という伝達方法です。

雑誌の表紙を飾るモデルは、コンビニの本棚を通して人々の目に触れます。

また、街角に貼られた選挙ポスターの顔写真は、毎日人々の目に触れます。

これが単純接触といいますが、印刷物や写真などの簡単で単純な接触でも、それを繰り返しているうちに、人々の心に刻まれていくのです。

伝道冊子をポスティングしても、その多くはゴミ箱に直行する可能性が高いと感じますが、ポストを開くたびに「イエス様はあなたを愛しています」と目に触れたら、それが人々の心に刻まれていくのではないかと思います。

SNSを開くたびに、イエス様の愛が伝えられてほしいと思って、毎日投稿をしています。

また、路傍伝道は、単純接触ではありませんが、その日、その場所をたまたま歩いていることで、私たちの音楽や演説に触れることで、イエス様に一歩でも二歩でも近づいてもらえたら良いなと感じます。

「ある夜、主は幻によってパウロに、『恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから。』と言われた。」(使徒の働き18:9~10)

私は、この言葉に励まされます。

聖書は、「彼らが聞いても、聞かなくても、あなたはわたしのことばを彼らに語れ。」(エゼキエル2:7)と語り、また、「神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現われとその御国を思って、私はおごそかに命じます。みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」(第二テモテ4:1~2)と語ります。

伝道とは、神の至上命令であり、「彼らが聞いても、聞かなくても」語らなくてはいけないし、「時が良くても悪くても」続けなくてはいけないことであると受け止めています。

神様が、私に使命を与えて下さって感謝しています。

「使命」とは、「命を使う」と書きますが、神の命に答えて命を使わせてもらえることに、最高の幸せを感じます。

共に、幸せを味わいながら歩んでいきましょう。

この後も、ステキな時間でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月 5日(火)08時58分18秒
  「風が強く吹きました。聖霊の風も吹きました」?
?《Now watching 977》?

?日本中で神様の御名が賛美される日が来ると信じます。??

川口駅ストリートライブ
https://youtu.be/NUHrQ-uOm9Y
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月 5日(火)07時46分34秒
  「一日をぞんふんに楽しみましょう!」

人生には、たくさんの喜びや感動、美しい出来事があります。その一つ一つをどれくらいの重みで受け止めているでしょうか。

朝日が登り、あたたかい光に町が包まれて行く様子。早朝の澄み切った空気を胸いっぱいに吸い込んでいるでしょうか。もしかしたら、仕事に出かける準備で追われていて、それどころではないかも知れません。

人生の最期が近づいた時、「もっと人生を楽しみ、日常のひと時を楽しんでいたら良かった!」と考えるのではなく、いつも、今この時、この瞬間を楽しみ、大切に過ごして行きたいものです。

仕事に対して、情熱を込め、感動や興奮を感じているでしょうか。何気なくその場を切り抜けてしまっていないでしょうか。

作家・思想家・詩人のソロー(Henry David Thoreau、1817~1862)は、『人間は皆、静かな絶望の中に生きている。』と語りました。

大切な一日を『静かな絶望』で生きてしまってはもったいないことです。今日という一日を、昨日と同じ一日として退屈に生きるのではなく、二度と戻って来ないかけがえのない一日としてすごしてみませんか。

今日は、まぎれもなくあなたの人生です。リハーサルではなく本番です。神に祈り、大切に、情熱を込め、期待を込めて一日をスタートし、今日一日を最高に充実した時間にして行きたいですね。

「きょうこそ、主がお造りになった日です。 さあ、この日をぞんぶんに楽しみましょう。」(詩篇118:24)
「This is the day which the Lord hath made; we will rejoice and be glad in it.」(Psalm 118:24)

今日一日をぞんぶんに楽しみましょう。祝福をお祈りします。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月 4日(月)22時43分5秒
編集済
  「川口駅 路傍伝道」
《Now watching 976》

日中は、春が来たのではないかと感じるほど暖かく、上着が必要ないほどの陽気でしたが、夕方になると風が強くなり、気温も下がりました。いつもの西口の2階デッキに行くと、市議会議員選挙の演説の準備をしている人たちがいましたので、予定を聞くと、私たちと同じ3時間の活動の予定だそうですが、「1時間半ずつ西口と東口で交互にやりましょう」ということになり、折り合いが付きました。前半は川口駅西口で行いました。毎回5時にたくさんの参加者が来られますが、1時間ほどで帰る方が多いです。人数が少し減りましたが、気分を取り直して、中盤は東口に移動して伝道をしました。後半は西口の1階に移動して伝道しました。それぞれの場所に良さがあると感じました。まずは、川口リリアのある西口の2階が一番やりやすいです。続いて東口は人が多く、路上ライブのメッカですが、音楽をやると苦情が入りやすく、西口の1階に移動しました。人は少なく、タバコの喫煙所があるので、その人たちに聞いてもらうほかは、人は時々しか通りませんが、ほとんどの人がチラシを受け取ってくれるので、ここも悪くありません。今日は感謝なことに、3ヶ所で伝道することができました。また、前半にたくさん来て、中盤で人が減りましたが、後半には、また仕事帰りの人たちをはじめ、地元の教会の方々も集まって下さいました。3時間、力を合わせて伝道をしますので、心を通わしますので親しくなります。おまけに、たくさんの人に伝道ができるので有意義でした。最後は4人で食事をしました。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月 4日(月)11時02分51秒
編集済
  「中学生時代を想う」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/2/4(月)【1384】」

昨日、次女が中学生の東京駅伝に出場したことが心に留まったのは、毎朝5時に起きて朝練をし、一生懸命に練習をしていたこと。それにもかかわらず、直前にインフルエンザA型にかかってしまって病み上がりでの出場だったこともあり、心配し、祈りましたし、車で送ったことで心がそこにあったかたらです。

しかし、高校二年生の長男に聞いてみると、中学二年生の時に東京駅伝に出場したそうです。彼もサッカー部ですが、足が速かったので引っ張られて出場したようですが、詳しく話してくれなかったので、「えっ!?そうだったの?」という感じでした。

私が中学生時代は、応援団長をしたことや、当時、ビーバップハイスクールという不良少年の映画が流行っていましたが、その映画さながらの生き方をしていたため、学校で私を知らない人はいなかったし、隣や隣の隣の学校にまで知れ渡っていたようです。

先日、年子(同じ母親から生まれた一つ違いの子供)の妹が、教会に来た時に、「お兄ちゃんがあまりにも有名だったおかげで、生徒会副会長に立候補したら、一発で当選できたので、その点に関してはありがたかった」という話をしていて、「そういう見方もあるのか!?」と、「なるほど」と思いました。

私の中学生時代を思い出すと、私から生まれた子どもたちは、優秀だなと思います。

所謂(いわゆる)「進化論」は信じないですが、私の家庭では進化論は成り立っているかなと思います。

中学生時代を思い出すと、懐かしいです。

あの頃に戻りたいとは思いませんが、思いっきりやりたいことをして、青春を過ごしていたなと思います。

上の子たちは、比較的良い高校や大学に進学してくれましたが、塾に行かせたことはありませんし、自由に育てました。

私自身を振り返って見てもそうですが、学歴だけがすべてではないし、いくら親が「勉強しろ!」と口うるさくいっても、本人がその気にならなければ何の意味もありません。

子どもたちには、今を最高に生きてほしい。そして、悔いのない生き方をしてもらいたいと思っています。

4人とも信仰を持ち、洗礼を受けていますので、それだけで十分だと感じますが、その信仰を一生涯持ち続けてほしいです。

正しい信仰を持ったならば、その人生は豊かな実を結び、祝福されると確信します。

学歴や、どんな道を歩むのかは、神様との関係の中で一番良い状態に導かれるはずですので、神様にゆだね、神様の愛の中で生きていってほしいです。

4人の子どもたちは、全然違うので面白いです。

つい少し前まで、私自身が中学生や高校生だったような気がしますが、子どもたちが、その年頃にまで成長したと思うと、神様の恵みでしかありません。ただただ神様に感謝を致します。

子どもたちの人生の祝福を祈るとともに、私自身も、最高の人生を生きられるように神様に祈りたいです。

私のいう最高の人生とは、神様の愛を伝え続ける人生です。

今日は、夕方5時から8時まで、川口駅西口歩行者用デッキのところで路傍伝道をする予定です。

お時間のある方、良かったら一緒に伝道しませんか?

主に仕えるところから、最高の人生が始まっていくに違いないと確信します。

今日のこの後も、ステキな時間でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月 4日(月)10時47分41秒
編集済
  「春のように暖かいですね」
《Now watching 975》

今日はこれから奉仕に出かける予定です。うれしい誤算で、出発予定の時間を間違って、1時間早く終わりました。心は元気なのに、体の疲れを感じますが、青空を見上げながら、「神様、ありがとうございます。今日1日を導いて下さい」と祈っていると、不思議と力が湧いてきます。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月 4日(月)07時44分33秒
  「人のせいにしない習慣」

嫌な出来事に巻き込まれると、誰かのせいにしたくなるものです。

誰かのせいに出来なければ、出来事のせい、社会のせい、不運のせいにしたくなります。

しかし、このような生き方をしていたら、いつまでたっても被害者のままです。

そこから、一歩抜け出してみませんか?

物事は、人や状況のせいにするのではなく、自分のせいだと考えてみたらどうでしょう。

あの時、あの場所で転んで怪我をしたのは、人とぶつかったからだけど、あの時間にあの道を選んで歩いていたのは私です。

人にすすめられて買ったけど・・・・、親にすすめられて結婚したけれど・・・・、友達のアドバイスに従って決めたけど・・・・、最後に受け入れたのは私です。

クリスチャンになった人で、物事がうまくいかないと、「何で神様は私を見捨てたのだろう?」と嘆き、「神様何ていない!」と考える人がいます。

人は都合がいいものです。物事がうまくいくと、自分の手柄にするのに、物事がうまくいかないと神のせいにし、人のせいにし、出来事のせいにします。

人生とは、あなたが選び続けていることの積み重なった時間です。

あなたがインターネットを使ったので、私と出会うことが出来ました。

毎日、私が投稿する記事や写真を通してみなさんと出会えることに感謝しています。みなさんとの出会いは、私の最高の宝です。

人生で起こる全てのことは、みんなあなた自身が選んだことの結果です。良い事が起こっても、悪い事が起こっても自分が選んだことの結果です。

しかし、その背後に神が働いておられます。良い事が起こることも、悪い事が起こることも神が許されています。そして、良い事も悪い事も、すべて相働いて益となるようになっています。振り返ってみたら、みんな良い事なのです。

これからは、人や状況のせいにすることをやめて、どんなことにも感謝して受け止めていきましょう。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28)

今日も、ステキな1日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2019年 2月 3日(日)23時23分49秒
  川越ストリートライブ
https://youtu.be/JCyujv9YYzE (動画)
 

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