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(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 4月25日(火)15時06分0秒
  「Now watching227」

開拓伝道を支援する団体の閉会前に集合写真を撮りました。

純粋で、素敵で、有能で、愛らしい方々ばかりです。

帰るのが名残惜しいです。

また会う日まで、神の守りと祝福を祈ります。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 4月25日(火)11時17分18秒
編集済
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【750】2017/4/25(火) 使命に徹する」

私の開拓伝道(教会を0から生み出す働き)を支援してくれた団体の集まり「2日目」に参加しています。

現在支援を受けている牧師たちのレポートを聞きながら、10数年前のことを懐かしく思い出しています。

(今もそうですが、)苦闘し、涙の祈りを捧げながら、毎日伝道して来ました。

毎月本部に詳しいレポートを提出します。先月や先々月とあまり代わり映えのしない内容しか書くことができず、つらい思いをしました。

はじめて礼拝出席者が10人を超えて二桁になった時、20人を超えた時に、喜んで、「神様ありがとうございます!」と叫んで祈ったことを思い出します。

人数の増加が頭打ちした時、「教会は人数(量)ではない、質が大切だよ」と考ました。しかし、「やはり、質も量も大切だ」という二つの考え方の中で揺れました。

今は、「一人ひとりの牧師、一つひとつの教会にはそれぞれに使命がある。その使命に徹し、生きる」という結論に達しました。

ということは、他と自分を比較することは無意味だと思います。

人を不幸にする考え方の一つが、「比較」です。

「目と鼻と口と耳を比べて、どれが一番か?」考えることはナンセンスです。

比較ではなく、神に愛されている自分をありのままで受け入れ、自己を健全に愛し、評価し、最高の目と鼻と口と耳になることを目指すことが大切だと思います。

結果は、自分を最高に生きたことの結果について来るものに過ぎません。

この後も、ステキな時間を過ごして下さい。
 

「幸せでいていいんだよ」

 投稿者:菅野直基  投稿日:2017年 4月25日(火)07時21分45秒
  世の中には、無意識に相手を不愉快な気分にさせてしまう人がいます。悪気がなければ、こちらの受け止め方次第で何とかなりますが、わざと相手を不愉快な気持ちにさせようとする人がいます。

こういう人はいてほしくはありませんが、残念ながらどこにでもいるものです。

攻撃しやすい人を見つけると、けなして「気分を悪くさせてやろう!」と考える不幸な習性を持っています。

相手をだしにして優越感を感じることで自分の自尊心の不足を補おうとしています。

一々腹を立てたり、気分を害したりしていると、相手の思うツボです。余裕を持って受け止めることができるまでは、このような人は避ける方が身のためです。

「うまく言い返してやろう」と考えて、やり返しても逆効果です。何も言わずにほほえんだり、適当なあいづちで受け流したりして、肯定的な気持を失わないことが大切です。

バイブルには、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝をしなさい。」とあります。私たちは、相手の自尊心を高めるために、自分の自尊心を犠牲にする理由はありません。

あなたは、どんな状況の中にあっても、幸せでいいし、「こういう人がいなければ幸せなのになー」と考えなくていいのです。

イエス・キリストは、「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」と語りました。

人があなたに何を言っても、神はあなたを愛しています。その愛に目を向けて、嫌なことを言う人のために祈れたら最高の対応策です。

あなたはその人を乗り越えたのであり、あなたの幸福は失われませんし、やがてその人をも引き上げてしまうのではないかと思います。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 4月24日(月)20時11分54秒
  「山手線一周路傍伝道の旅の記事」

http://www.christiantoday.co.jp/articles/23658/20170424/kanno-naoki-shinjuku-robodenndo.htm
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 4月24日(月)15時38分31秒
編集済
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【749】2017/4/24(月) 初心を忘れないこと」

今日と明日、私の開拓伝道(0から教会をスタートすること)を支援してくれた団体の集まりに来ています。

この会に参加するたびに、教会を0からスタートした時のことを思い出し、謙遜な思いにさせられます。

私が感動していたからでしょうか、いきなり開会礼拝で祈りの氏名を受けました。

「ありがたいなぁ」。

私の伝道を、祈りと経済的支援を持って下さったことを思い出して、涙が溢れました。

この会場まで、バイクに乗って来ましたが、急に28年前のことを思い出しました。

16歳の時に、自動二輪の免許を取って、すぐにバイクに乗りましたが、若気の至りでしょうか、14点まで加点されました。

あと1点で免許取消しのところまで行きました。

その頃、交差点を曲がる時に、横断歩道の歩行者の横断を妨げたとして、白バイにサイレンを鳴らされて停車を命じられました。

「一巻の終わり」だと思いました。

3時間粘り、ついに違反を見逃してもらいました。

クリスチャンになるまでですが、「神様助けて下さい!」心の中で叫んでいたと思います。

そこで青キップ(軽微な交通違反者に与えられる交通反則切符)を切られたとしたら、免許取消しになるだけではなく、すでに車の教習所に入校していましたので、支払った20万がパーになることろでした。

昔は、時々思い出しては、初心に帰って安全運転をしていましたが、その時のことを思い出して、遜らされました。

神の恵みで許されたと思って、「安全運転しなくっちゃ」と、新たに決意しました。

何事においても、初心を思い出して、原点に立ち返ることは大切だと思います。

謙遜にさせられますし、感謝が湧いて来ますし、新たな気持ちにさせて頂けます。

人生が行き詰まったり、生きることに疲れたならば、今日、初心に帰って見ませんか?

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

「相手の得だけを考える」

 投稿者:菅野直基  投稿日:2017年 4月24日(月)07時15分5秒
  相手の得だけを考える。これが私の仕事に関する基本的な考え方です。結果として自分にも帰って来ますし、やりがいを感じられ、存在を支えてくれます。

牧師の仕事の一つは、人から色々な問題解決の相談を受けることです。その時、「相手にとって一番いいことは何だろう?」「どうしたら元気になってもらえるだろう?」と考えます。

ここで、「どうしたらこの人をうまく利用して自分の利益につながるだろう?」と考えていたら、相手に取ってありがたくない答えを出すことになると思いますし、「この人に相談をしても役に立たない」と思って離れて行くものです。

相手に取って一番いいことを一緒に考えてあげたら、その人はとても助かりますし、うれしくなります。その時私は損をするでしょうか? そうではありません。

①相手に役に立てたという充実感を感じられます。
②相手の問題解決を考える中で、その解決法が自分にも適用できるので、気がついたら自分の問題も解決してしまいます。
③相手は喜んでくれて、感謝してくれるので、良いお友達を得ることになり、自分を慕ってくれる仲間を得たことになります。
④ある場合は、帰りがけに感謝の献金をしてくれたり、お土産を持って来てくれることもあります。
⑤相手が教会の信者となり、教会を支えてくれることもあります。
⑥私は妻帯者ですが、独身で結婚相手を探している人なら、その相手が将来のパートナーになることもあります。

相手の得を考えて生きることはいいことずくめです。

相手の得だけを考えたならば、第一に相手がうれしくなり、同時に、相手の喜んでいる姿を見て自分もうれしくなります。これだけで、人生は幸せになるものです。

しかし、相手の得は考えないで、自分の得ばかりを考えたらどうでしょうか?

多くの人は、自分のことにしか興味がありません。しかし、そう考えていると、自分と一緒なので、相手に伝わります。人の欠点がよくわかる人を調べてみると、自分も同じ欠点を持っているのでわかるのです。

また、こちら側も、「こんなに時間を割いてやってやってるのに、何だあいつは!」となり、その苛立ちがさらなる苛立ちを呼び、悪循環のサークルに入ってしまいます。

「相手の得になることだけを考える」のは、どんな仕事にも適用・応用ができ、即役に立ちます。

サラリーマンなら、上司・同僚・部下の利益だけを考えて仕事をしてみて下さい。きっと最短で出世して行くか、そうでなくてもかけがえのない存在として愛され、かわいがられるでしょう。必ず良いものが帰って来ます。上司から信頼され、同僚に好かれ、部下から慕われたら、その職場は天国のように感じられるのではないでしょうか?

セールスマンならどうでしょうか? 相手のニーズを知り、相手がいかに得をするかを考えてセールしたら、相手はとてもうれしい気持ちになると思います。そして、あなたを信頼するようになり、好意を持ち、感謝をして、最後には、あなたが売っている商品を買ってくれることも稀なことではありません。

政治家はどうでしょうか?区議・市議・町議・村議というような身近な議員の働きはよく見えますが、都議・県議・府議・道議などになると、どんな仕事をしているのかあまり見えて来ません。知事、区長、市長、町長、村長などの首長はそれなりにわかりますが、国会議員も、激務のはずですが、閣僚や与党議員でないと、あまりTVにも映りませんので、あまり見えません。そんな仕事ですから、自分の実績を自分で語らないとわかってもらえない部分がありますが、もし政治家が、人々が良い生活ができることだけを考えて体を張って働いていたとしたら、その思いが必ず伝わり、応援し、支援する人が段々増えて行くものだと思います。しかし、そういう思いを持たない人が、ある日総理大臣になったら、真の姿が国民の前にさらされてしまうことがあります。

私は、ネットで文章を投稿する理由は、相手に取って何が有益で、何が助けになり、どんなことを書いたら気持ちが軽くなり、救われるか?を考えながら準備をします。

牧師の仕事全般も同じです。もちろんその思いは完璧ではありません。自己中心的な思いに傾いてしまうこともあります。しかし、方向は、相手の益をいつも考えています。その時私は、何ともいえない幸福感を感じます。

相手への肯定的な思いは、まず私の心を通過して行きますので、通過している段階から幸せです。そして、その思いは相手に流れて行った時に、幸せを感じてもらえるとしたら、その人が幸せになって、幸せな顔をしていたら、その顔を見た私は幸せになり、幸せを感じた人と一緒にいる私は、さらに幸せになります。幸せな人は、何をしても、何をしなくても周りを幸せにしてしまうものです。

最後に、どうしたら、人の得、人の益ばかりを考える生き方ができるのでしょうか?

あなた自身の得や益だけを考えてくれる人との出会いが鍵です。その人に出会ってもらうために私は毎日生きています。その方はイエス・キリストです。こんな方は世界中どこを探してもいません。

そんな愛と善意と優しさに満ちた方が十字架にかけられて殺されました。それは、私やあなたの罪、全世界の罪が十字架上で背負って身代りに死なれたのです。

傷ついた人は、他の誰かを傷つけることで自分の傷をいやそうとします。それがいじめの一つのカラクリです。

いじめっ子は、かつていじめられっ子だった場合が多いそうです。私の傷、怨念、怒り、悲しみ、どうすることもできない悶々とした感情は、キリストが引き受けて下さいます。

「重荷を負って苦労している人は私のところに来なさい。私があなたがたを休ませてあげよう」と、キリストはあなたを招いています。

今日、あなたの心の重荷、孤独、傷の全てをキリストに引き受けて頂きませんか?

あなたが愛された経験を持ったら、別に無理をしなくても、気がついたら愛の人になって行くものです。人は、いつも一緒にいる人に影響され、似て行くものです。似た者夫婦は良い例です。

目に見えませんが、イエス・キリストを信じ、イエス・キリストと共に歩んだら、きっと、気がついたら、あなたは人の得や益だけを考える人になり、その生き方はあなたに好循環と幸せと祝福をもたらせ、毎日の生活が天国のようになり、豊かな毎日を生きる人になることと思います。

私は、まず聖書のゴールデンルールである「自分がしてもらってうれしいことを他の人にもしてあげなさい」という教えを実行しようとする前に、あなたを愛して下さるイエス・キリストと出会い、その方との交わりを深め、いつも共に歩んでもらいたいと思います。

そうしたら、生き方は、気がついたら変わって来るものです。一緒に、幸せな毎日を生き、この世界に幸せをまき散らし、幸せな地球、日本、町、家庭を作って行きたいですね。いつもみなさんに心から感謝をしています。ありがとうございます。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 4月23日(日)21時39分15秒
編集済
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【748】2017/4/23(日) 幸せだなー」

最近、「あー幸せだなー」と思うことが増えました。

クリスチャンになれたこと、牧師になれたこと、今の私の状況を総合して、幸せです。

今日の夕方礼拝後に、最寄りの駅前で伝道しました。

伝道することに勝る喜びはありません。

駅前で、多くの友人知人に会いうれしくなりました。

幸せな1日でした。おやすみなさい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 4月23日(日)20時33分23秒
  「Now watching225」

第55回首都圏イースターのつどいが持たれました。

10年くらい実行委員をしていますが、最初、音楽委員になり、次に副委員長になり、また音楽委員になり、祈祷委員がいなくなったので祈祷委員になりました。

よみがえられたイエス様を賛美します。
 

「心のごはん」

 投稿者:菅野直基  投稿日:2017年 4月23日(日)07時33分55秒
  中世のキリスト教の修道院で三人の修業僧が一週間の沈黙の業に入った。三日目に一人の僧が「あー、三日目になった!?」とつぶやくと、二人目が「おっ、おまえ、しゃべったな!」と指摘し、共に失格になった。三人目はほほえみながら、たいそう自信ありげに「おー、これでしゃべらないのはおれだけ!?」としゃべってしまった。後の祭り。

沈黙をすることの難しさを教えてくれる話ですが、人間関係の会話においても同じかも知れません。

「聞き上手は話し上手」と言われますが、相手の話をじっと黙って聞いているだけでは楽しくないものです。

心がけたいのは、神様が私たちに、「耳を二つ」「口を一つ」下さったのは、聞くことと話すことの割合を2:1にするようにと暗示されているのではないでしょうか。

聖書には、「だれでも、聞くには早く、語るにはおそく・・・しなさい。」と書かれています。

一人の老人が「人の話を聞くのがうまい」と評判になりました。じっと心ゆくまで耳を傾けて話を聞いてくれるのです。ある人が「聞き上手になる秘訣」を教えてもらおうと、老人を訪ねました。「聞き上手になる秘訣を教えてもらえませんか?」「はっ?ちょっと待って下さい。」と補聴器をつけました。

聞き上手になる秘訣は、「補聴器」を外して話を聞くそうです。いくら人の話を聞くのが上手な人でも、補聴器をつけてまともに聞いていたらやってられないのでしょう。

人の話をじっと聞くのは難しいものです。

人の話をじっと聞くのは難しくても、神の言葉をじっと聞くことは有益です。

聖書には、「イエスは答えて言われた。『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」と書かれてあります。

人が生きるためには、「パン」だけではなく、「ジャム」も「バター」も「飲み物」も必要ということではなく、「パン」は、飲食全般の総称として語り、人が生きていくためには食べ物が必要だけど、それだけでは生きていけない。「神の言葉」という「心のパン(食事)」が必要だと教えているのです。

人は、「食欲」「睡眠欲」「性欲」のほかに、「愛されること」「自分が重要な存在であると感じられること」「人から認められること」などを心が求めています。その全てを「神の言葉」である「心のパン(食事)」は満たしてくれます。

イエスさまは、「心の貧しい者は幸いです」と教えられました。今心が渇き、「愛されること」「自分が重要な存在であると感じられること」「人から認められること」などを求めている人は、神の言葉を聞く心があるので幸いです。

しかしイエスさまは、「あなたがた富む者は哀れです。慰めをすでに受けているから。いま食べ飽きているあなたがたは哀れです。やがて飢えるようになるから。いま笑うあなたがたは哀れです。やがて悲しみ泣くようになるから。みなの人がほめるとき、あなたがたは哀れです。」(ルカ6:24~26)と、世の中の常識とはまるで反対の話をされました。

それは、本当に必要なものは「神の言葉」である「心のパン(食事)」なのに、疑似餌(ルアー「lure」)で釣られる魚のように、心を永遠に満たし、栄養を与える食事ではないもので心を満たしている人は「哀れ」だという意味です。

「お金」は大切です。しかし、使えばなくなるし、落とせば消えます。「名誉・名声」は素晴らしいですが、ちょっとした失敗や不祥事で「不名誉・汚名」に変わり得ます。「人の愛」は最高のものですが、いつまでも続くものではないし、変わる可能性があります。これらを否定しているのではなく、心の拠り所にしたら、それが崩れる時に、一緒に落胆し、悲嘆に暮れます。

しかし、「神の言葉」である「心のパン(食事)」は、決してあなたを失望させたり、裏切ることはありません。

日曜日、教会に行き、「神の言葉」に耳を傾け、「心のパン(食事)」を食べませんか? 神の言葉を聞き、神を礼拝し、一週間をスタートさせませんか?

新宿福興教会 http://www.geocities.jp/sgr_ch/ もしくは、お近くの教会、所属する教会に行きましょう。どこの教会に行ったらいいかわからない人は、住んでいる地域を教えて下されば、教会を紹介致します。

また、インターネットの前で、スマートフォンやタブレット片手にインターネット礼拝をすることもできます。

「教会の集会を生放送」します。
〈1〉朝10時半~昼12時
〈2〉夕4時半~6時

① 新宿福興教会HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/
② ニコニコ動画  http://nico.ms/l/co114841
③ ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor

説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 4月22日(土)23時24分0秒
  「Now watching224」

雨に濡れながら、新宿駅で路傍伝道を行いました。

戦いもあり、足りないこともあったと思いますが、純粋な思いで、高校生、大学生、20代、30代、40代(私含む)、50代、60代、70代以上が集まり、一つになりました。

「山手線一周路傍伝道」の旅は、正月に「渋谷駅」からスタートし、今日は「新宿駅」まで来ました。

しかし、エスカレートして、「路傍伝道日本一周の旅」の話題にもなりました。

いつか、みんなで日本一周したいなと思います。

はじまったばかりです。紆余曲折もあると思いますが、継続して伝道を続けていきたいと思います。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 4月22日(土)12時07分49秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【747】2017/4/22(土) 感謝すると決めた」

生きていると、嫌なことが起こります。嫌なことが起こるというのが生きている証拠ではないでしょうか。

一つひとつは小さなことでも、それが積み重なると怪物のようになります。

その日の問題は、その日のうちに解決するようにしています。

先ほど買い物に行きました。買ったものは9点なのに、レシートには、買上点数10点と書かれていました。

忙しければ、そのまま行ってしまいますが、店員に聞いてみよう思いました。

レジを打った人と違う人が対応してくれました。同じ商品を1点多く打ち込まれていました。

明らかに店員のミスですが、当の間違った店員さんは悪びれた様子も見せません。

ところで、先日、とても腹の立つことが起こりましたが、神様に祈ると、「私を見上げて感謝しなさい!」という神様の導きを感じました。

私は、「神様、これから私は、どんなことがあっても感謝すると決めました。助けて下さい」と祈りました。

そうすると、立て続けに感謝できない状況が私を取り囲みました。

本当に感謝をするのか、神様のテストではないかと思っています。

私が感謝する理由は、
①聖書が命じているから
②マイナスがプラスに変わるから
③ハッピーエンドになるから

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(第一テサロニケ5章16節~18節)

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8章28節)

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(エレミヤ29章11節)

感謝には、ちゃんと理由があります。

しかし、それだけではありません、

感謝することこそ、その日のうちに、その日の問題を解決する方法です。

買い物のレジで、9点しか買い物をしていないのに、間違った10点と打ち込まれ、危うく余分にお金を払ってしまうところでした。

普通に買い物をしているならまだしも、安い買い物をするためにその店に行き、かつ、50%引きなどの商品を中心に買っているのです。

このことで腹を立てて1日を台無しにしないで済みました。

決め手となったのが、感謝したことでした。

①レジを打ち間違えた店員さんを許し
②店員さんの打ち間違いに気づかなかった自分を許し
③店を立ち去る前に気づけたことに感謝し
④とにかく感謝しました

先日は、「誘われた食事と頼まれた説教は断らない」と決めている話をしましたが、もう一つ、「どんなことでも感謝する」と決めています。

これが私を守り、私を祝福しています。

良い習慣を下さった神様に感謝を致します。

この後も、ステキな時間を過ごして下さい。
 

「相手の立場に立って生きよう」

 投稿者:菅野直基  投稿日:2017年 4月22日(土)07時29分3秒
  「人からどう見られているだろう?」と、恐れたり、気になることはないでしょうか。

気になる理由は、自分の立場から、「どう見られているのか?」を気にすることから起こります。

喧嘩は、相手の立場を考えないで、こちらの立場から見て、「私は正しい!あなたは間違っている!」と評価し、断定することからはじまります。

相手は、「そう評価するあなたの方がおかしい!私の方が正しいんだ!」と考えますので、争いになります。

聖書は、「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。」(マタイの福音書7:1~2)と語ります。

人に対して、「間違っている!」と断定すると、断定した相手からも、「間違っている!」と断定し返されるということです。

仮に、法律に触れるような間違いがある場合、法のもとで裁いてもらうことが必要です。聖書は、 「間違っている人がいても、裁いてはいけない!寛容になりなさい!」といっているのではありません。

聖書が「さばいてはいけません」と語るのは、黒白つける必要のない「グレーゾーン」に関しての内容です。

「グレーゾーン」は、お互いが違いを尊重し合い、学び合うことが大切です。

これは、相手の立場に立たないとなかなかできません。

相手の立場に立つには、まず、自分自身の心を開き、自分の心から飛び出して行き、相手の懐に飛び込み、相手の立場に立ち、感じ、考えながら、今度は、そこから「回れ右」をして、自分の方を見ながら考え、語り、行動することです。

「あの人を愛せない!」「あの人を理解できない!」「あの人の間違いを指摘し、間違いを認めさせたい!」などと考える時は、自分の立場から相手を見ているのです。自分の立場を一歩離れ、相手の立場に身を置き、共に考えてみると、「なるほど~、こういう考え方もあるんだ!」となるものです。

ある出来事に関して、あなたが正しいかも知れませんが、相手にも正しい部分があるかも知れません。ことわざに、「盗人にも三分の理」という言葉があるようにです。

相手が間違っているかも知れません。しかし、あなたの方にも間違いがあるかも知れません。正義の味方・月光仮面のように、完全無欠の状態で相手を非難するのではなく、ゆとりを持って接するならば、対話できるようになり、理解し合い、友情が芽生え、愛し合えるようになるものです。

相手の立場に立つことのモデルは「イエス・キリスト」です。

神であることに固執しないで、人間を救うために、クリスマスに人間の姿を取ってこの地上に生まれて下さいました。

「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまで従われました。」(ピリピ2:6~8)

キリストは、罪人の罪を責めるのではなく、「あるがままの姿で私のもとに来なさい」と招いて下さり、キリストのもとに来た人を受け入れ、赦し、救って下さいました。

この方との出会いが、きっと相手の立場に立って生きられるターニングポイントになると思います。

なかなか相手の立場に立てていないかも知れません。しかし、キリストはあなたの立場に立って下さっていることを信じて下さい。

私たちが生きている時代は、とても生きにくいです。「疲れた!」「休みたい!」「苦しい!」「泣きたい!」「死にたい!」「逃げ出したい!」と苦しみを持っている人もいるでしょう。

「大丈夫! 恐れるな! 私があなたと共にいる!」と言われるキリストが一緒に歩んで下さっています。

素晴らしい一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 4月21日(金)20時37分45秒
  「Now watching223」

会議が終わり、決起祈祷会で祈っています。

祈りを通して、一同の心が復活し、息を吹き返し元気いっぱいになりました。

「いやぁ、映画って本当にいいもんですね~」(水野晴郎 )

「いやぁ、祈りって本当にいいもんですね~」(菅野直基)
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 4月21日(金)16時42分34秒
  「Now watching222」

第55回首都圏イースターのつどいの委員会がはじまりました。

復活のためには、死を経験する必要があります。

イエス様を信じるならば、イエス様に起こったことが私にも起こるのです。

人類最大の敵である死が打ち破られたということは、それ以下の問題はもはや問題ではありません。ハレルヤ!
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 4月21日(金)15時41分10秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【746】2017/4/21(金) 急がば回れ、安全第一だ」

最近、車のブレーキから、「キ キ キ キ キキー」と、耳障りな音が聞こえます。

この音は、ディスクブレーキのブレーキパットが残り2ミリになった時から鳴りはじめます。

私の車の走行距離は、12万キロを過ぎ、初年度登録から17年が経過しています。ブレーキパット無交換です。

ラリー、ジムカーナ、走り屋上がりの私は、オートマチック車でも、当然、エンジンブレーキを駆使して走りますので、ブレーキをパッパと踏む人よりは長持ちはするはずですが、よくもここまでがんばったものです。

ブレーキパットの残り2ミリでも、まだ、2万キロは走れる計算になるので、「そのまましばらく乗ろうか」とも考えました。

しかし、「キ キ キ キ キキー」という、ブレーキパットセンサーの音を聞いた歩行者が嫌な顔をします。

昨日の朝、中学の子どもが熱を出しているのに、「皆勤賞のために学校へ行く」と言うので、車で学校まで送迎することになりました。

いつも一緒に行く親友の子に、「今日は車で学校まで行くから、一緒に乗って行こう」と言いましたが、「いいえ結構です。歩いて学校まで行きます」と言うのです。

早く着き過ぎちゃうなどの理由かも知れませんが、私の車のブレーキパットセンサーの音を聞いて、「この車、危ないんじゃないか?!」と、恐れをなしたのかも知れません。

若い頃の私は、随分危険な冒険をしました。

30歳くらいまでは、エベレスト登頂も計画したことがありました。

どんなに危険が潜んでいても、一か八かの勝負に出ることが私の生き方でした。

それが、ここに来てだいぶ変わりました。

それは、妻や子どもたち、教会員などの大切な人たちのことを考えるようになったからです。

人を乗せて車を運転している時は、大切ないのちを預かっています。

一人で車を運転していても、私のいのちも同じように大切です。

そして、「急がば回れ」。つまり、「無理な近道をせず、回り道でも確実な方法を選んだほうがかえって早くなる」もの。

車のタイヤは、一年に2回履き替えます。

冬季(12月~4月)はスタットレスタイヤ。春夏秋は、通常タイヤです。

スタットレスタイヤは安くありません。加えて、使ってない時には預かってもらう費用もバカになりません。

ただでさえ車は金食い虫です。

3500ccで、重量級の車の税金は、弱い者いじめのように感じます。

駐車場代が毎月かかりますし、ガソリン代やオイル代や消耗品の交換代を考えたら、どこかで節約したくなります。

冬季のスタットレスタイヤをやめたり、ブレーキパットの交換を遅らせることも可能です。

スタットレスタイヤは、中古で安く仕入れてもらいますが、何度かやめようと思ったことがあります。

しかし、親しいタイヤ屋さんが、「雪やアイスバーンで、止まらないで一発ガチャーンをしたら、もっと高くつきますよ」の一言で、冬季には、スタットレスタイヤを履き続けています。

ブレーキパットも、近々交換しようと思っています。

今日は、私の実際のできごとを話しましたが、これは、「急がば回れ、安全第一」と言う心構えを伝えたいからです。

人間関係も同じです。

注意しないと、すぐに争いやトラブルに巻き込まれる可能性があります。

人を許すこと。自分の考え方にこだわり過ぎないこと。互いに尊重し合うこと。

人間関係も、急がば回れ、そして、安全第一でいきたいものです。

ちょっとしたことから、取り返しのつかないことになりかねません。

人間関係が壊れるだけではねく、殴ったり、殺したりと言う事件に発展することがないとは限りません。

車も、人間関係も、人生も、安全運転でいきませんか?

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

「すぐに判断しない」

 投稿者:菅野直基  投稿日:2017年 4月21日(金)07時05分43秒
  「すぐに判断しない」と聞いて、優柔不断のススメのように聞こえるかも知れませんが、そういうことではありません。

目の前にある問題に対して、すぐに決断をしなければならない時があります。しかし、無理に決断するよりは、とりあえず棚上げして、祈り、ニュートラルにしておいた方がいい時もあります。

目の前にできごとに対して、パッと黒か白を判断するのではなく、ちょっと立ち止まってみませんか。

中国にこんなお話があります。

片田舎に一人の男性が住んでいました。ある日、彼は名馬を手にします。それを見た隣人は、「おめでとう、素晴らしくいい馬だね。君はラッキーな男だ」と祝ってくれました。

しかし彼は、「このことが良いって、どうしてわかるんだい?」と答えました。目の前のできごとに対して、すぐに「良い?悪い?」の判断をしない人でした。お祝いに来た隣人は、彼のことを「変なヤツ!」と思いました。

しばらくして、王様が近くを通り、その名馬に目を留めます。あまりにすばらしい馬なので「この馬を手に入れたい。お金はいくらでも払おう」と男に申し入れました。それを聞いた隣人は「良かったね、これで君も大金持ちだ」と言いました。

ところが彼は、「私にとってこの馬は家族同然、手放すわけにはいかない。王様、お金で交換できるものではありません」と、いとも簡単に断ってしまいました。

「バカだなぁ、こんなにいい話を断っちゃって・・・、大金が入るはずだったのに台無しだ!」と隣人はまた「良い?悪い?」を判定しました。

すると彼は、「どうしてこれがバカなことだってわかるんだい君?」って答えました。

翌日、その馬が逃げてしまって、いなくなりました。隣人は、「ほら見ろ。だから言ったじゃないか、売っていれば大金持ちになれたのに、馬もいなくなった。お金も手に入れ損なった。かわいそうなヤツだ!」と言いました。

彼は、「どうしてこれが、かわいそうなことだって、君にわかるんだい?」って聞き返しました。

事実は、昨日までいた馬が、今日はいないということだけ。隣人は、それに対しても「良い?悪い?」を判断しました。

半年後、その逃げ出した馬が子馬を連れて戻ってきました。隣の人は「ツイてるね君は!」と祝ってくれましたが、

彼は、「一頭だった馬が二頭になった。これは事実だけど、それがいいかどうかはわからない。どうしてあなたはこのことがツイていると判断できるんだい?」と答えました。

しばらくして、息子が子馬に乗って遊んでいたら、振り落とされて足が不自由になってしまいました。隣の人が「気の毒に、息子さん、かわいそうにな」と同情しました。

彼は、「骨折して足が不自由になったことが、どうしてかわいそうだって、あなたにわかるんだい?」と聞き返しました。

突然、隣の国との戦争が起こりました。隣人の家の息子さんは徴兵されて、戦死して帰らぬ人になりました。隣人は、「君はラッキーだね、君の息子は落馬して足を折ったおかげで徴兵を免れて、今も元気に生きている。私の息子はいなくなってしまった。私はなんて不幸なんだ・・・」と言ったが、

彼は、「どうして、それが不幸なことだってわかるんですか?」と聞きました。

あるできごとに対して、性急な判断は拙速かも知れません。

しかし、いつも「良いか?悪いか?」「黒か?白か?」でだけものごとを判断する人がいます。

本当の意味で、「良いか?悪いか?」「黒か?白か?」を判断するのは神様です。

目を閉じて心の目を開き、限りあるこの地上から永遠に目を向け、あなたを造り、あなたを導いておられる全能の神に聴いてみて下さい。

聖書は、「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ローマ人への手紙8:28)と語ります。

神はマイナスをプラスに変えて下さるお方です。マイナスであっても、それが共に働いてプラスに変えて下さるのが神様です。

神に信頼し、神に聴くならば、全てのことが共に働いてプラスになっていることがわかるので、すべてを感謝するのが一番です。

プラスのことはプラスですが、マイナスもプラスに変わるからです。ピンチこそチャンスです。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(Ⅰテサロニケ5:16~18)

心のスイッチを神に切り替えて、喜び、感謝し、祈りながら、良い一日をお過ごし下さい。今日もありがとうございます。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 4月20日(木)23時01分26秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【745】2017/4/20(木) かけがえのない一人ひとり」

4人の子どもを見ていて、それぞれ似ている部分もありますが、一人ひとりがかけがえのない存在だなーと感じます。

競争のあるところで真価を発揮する子。競争のないところで真価を発揮する子。

平常時に良さを発揮する子。平常時より有事に良さを発揮する子。

人は、あるシチュエーションで、同じ物差しを使って人を見、人をはかります。

必ず優劣が発生します。その結果で、その人その人の価値を決めるとしたら、表面的であり、浅はかです。

ある分野で優れていて、かつ、優しい人もいると思います。

しかし、すべての優れている一面の裏側には、短所、欠点などのマイナスの要素があります。

極悪人にも、キラッと光る何かがあるはずですし、テレビスター、聖人、権力者の中に、誰にも言えない隠された何かがあるはずです。

そこに、人間の多様性の面白さを感じます。

人間は素晴らしいです。ということは、同時に、人間を造られた神が素晴らしいと言うことです。

神を知り、神に知られ、神と深く交わり、神と一体になるならば、神から見た、自分の両面を知ることができます。

その人は、人を偏って見ることなく、両面を正しく見られる人です。

好き嫌いで人の善悪を判断する人を知っています。

危うい基準です。

「昨日の敵は今日の友」と言われますが、「あの人はダメよ」「この人は素晴らしいわ」と、一日おきに変わりかねません。

しかし、神との深い関係がある人は、自分の本質を知っていますし、他人の本質を知ることができます。

お互いを、そのように見、評価し合えれば、傷つけ合うことはなくなりますし、愛し合い、平和な社会が築かれていきます。

私は、神が造られた自分自身に感動し、妻や子どもたちに感動し、出会うすべての人に感動します。

自分を蔑むことは、神を悲しませることです。神の中に、「私はダメだ。私には価値がない。」などと言う考えはありません。

神の目に映る自分自身を知ることができますように。そして、神の目に映る自分以外の人たちを知ることができますように。

一日お疲れ様でした。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 4月20日(木)19時58分36秒
  「Now watching221」

長い長い会議が夕方6時に終わり、祈りの会に滑り込みました。

会議も、お互いに心を開いて語り合いますので、心が喜びでいっぱいになります。

しかし、「祈り」「賛美」「礼拝」をすると、水を得た魚のように、元気になります。

みなさんのためにお祈り致します。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 4月20日(木)18時27分22秒
  「Now watching220」

「ラブソナタ2017東京大会」実行委員会集合写真
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 4月20日(木)14時36分14秒
編集済
  「Now watching219」

ラブソナタの本会議(会場:神の家族主イエスキリスト教会)を行っています。

ただ、朝から小会議をやっていますので一日がかりです。

神の愛が日本に伝えられますように。
 

「エンドルフィンはモルヒネの6倍の鎮痛効果あり」

 投稿者:菅野直基  投稿日:2017年 4月20日(木)07時12分49秒
  ストレスを感じる時に、笑ったり、喜んだり、賛美歌やゴスペルを歌ったり、意図的に気持ちを切り替えます。

笑うと、脳からエンドルフィンというホルモンが出てきて、痛みを和らげ、ストレスをストレスと感じにくくさせてくれます。一説によれば、緩和ケアのホスピス治療に使うモルヒネの約6倍の鎮痛効果があるそうです。

タバコやお酒にも鎮痛効果があるので、吸い続け、飲み続ける人がいます。体に害がなければタバコもお酒も良い薬です。

しかし、笑いは無害、かつ、タバコやお酒以上の鎮痛効果があり、一気に気持ちを良い方向にスイッチしてくれます。

気分転換に、Mr.ビーンの映画をスマートフォンで見て大笑いすることがあります。吉本のお笑い番組を見て笑ったり、落語の寄席や歌舞伎を見に行って笑うのもいいかも知れません。

しかし、もっと最強の方法があります。祈りながら、心の中に、私の罪の身代わりとして死なれたイエス・キリストの十字架上の姿を思い描くことです。

やがて、洗車後に吸水性の良いタオルが水分を吸い取るように、痛み、悲しみ、怒り、怨念はキリストの十字架が吸い取ってくれます。心はいやされていきます。

「彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」(イザヤ書53章5節)

人生にはストレスはつきものです。

ストレスは、人生のスパイスで、多少あった方が刺激となり気分転換になります。しかし、スパイスが効きすぎると、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」で、心身の害になります。

ストレスという言葉は、1936年にカナダの生理学者ハンス・セリエ博士(Hans Selye, 1907-1982)によって初めて使われました。もともとは物理学の言葉ですが、現在では、生物学で使われる方が一般的です。

物理学では、金属に歪みの力を加え続けると、やがて金属疲労を起こし、最後は、ボキッと折れてしまうということをストレスといいます。しかし、金属でさえ折れてしまうので、私たちの心身がストレスに耐えられるでしょうか。

しかし、笑うなら脳からエンドルフィンが放出され、ストレスが私たちを害することはありません。

笑いに満ちた一日でありますようにお祈りします。

「主がシオンの繁栄を回復されたとき、われらは夢みる者のようであった。その時われらの口は笑いで満たされ、われらの舌は喜びの声で満たされた。その時「主は彼らのために大いなる事をなされた」と言った者が、もろもろの国民の中にあった。主はわれらのために大いなる事をなされたので、われらは喜んだ。」(詩篇126篇1節~3節)
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 4月19日(水)23時01分33秒
  コンビニの店員さんが、「よろしかったでしょうか?」違和感があるのに、「はい」と返事。この言葉市民権得つつある。「聖書」も市民権得てほしいな。《つぶやき51》
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 4月19日(水)14時08分22秒
編集済
  昨晩は、7月に行われる大会の会議で、5時間半も熱く語り合いました。

祈りながら、一番いいと思われる方々に打診しますが、最終的には、神様の御心がなります。

とてもやりがいのあるお仕事です。

「この日のためにこの方との出会いがあったのではないか!」と感じることがあります。

「忙しいのにわざわざ来て頂いて・・・」と恐縮されますし、自分でも、、「こんなに忙しいのに・・・」と思いますが、神様のお仕事は喜びであり、そうせずにはおれないものです。

ネット上の出会いにおいても、それがきっかけで教会員になられたり、路傍伝道を一緒にするようになったり、親友になったりと、その時にはわからなくても、神様が与えて下さる出会いは無限の可能性があり、本当に素晴らしいです。

みなさんとの出会いに心から感謝致します。

これからもよろしくお願いします。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

「親の生き様は子供の未来像」

 投稿者:菅野直基  投稿日:2017年 4月19日(水)07時04分16秒
  未来に希望が持てない子供が増えています。未来像に影響を与えるある親の姿を見て失望しているからかも知れません。

親は子供の未来を考えて、教育に一生懸命になり犠牲を払って投資します。

子供は、親の期待に答えようと一生懸命に勉強に励みます。

親も子供も、案外ストレスを感じています。親も自分の時間や睡眠時間を削り、子供が勉強できる環境作りのために自分を犠牲にし、子供は、親の期待に応えようとしても応えきれず、罪責感を感じています。

親は子供に、将来の安定と幸福、快適と安らぎを見つけてほしいと願って一生懸命ですが、子供は、親の願いとは別の夢を持っています。

教育も大切ですが、子供のお手本や未来像として、「こんな大人になりたい」という生き方を提供できているでしょうか? 考えてみたいものです。

そのために、親自身も確かなお手本と未来像を持つ必要があります。

天の父です。天の父は、全ての人のお手本であり、理想像です。その方を信じ、共に歩み、目標としていたら、親は、子供のお手本や未来像となります。

最近、子供たちの自殺、うつや引きこもりが増えています。背景には、親を含めた大人の姿を見て失望し、未来に希望が持てないからではないでしょうか。

教育も大切ですが、それ以上に大切な見えるお手本や未来像の欠如がこの国に行き詰まりをもたらしています。

あなたが子供の親でなくても、多くの子供たちがあなたを見て、「こんな大人になりたい」という見えるお手本や未来像であるならば、日本に未来があります。

「どうか、私にならう者となってください。」(第一コリント4:16)

次の世代を担う子供のお手本になるためには、確かな天の父というお手本を持つことからはじまります。

素敵な一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 4月18日(火)22時49分7秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【743】2017/4/18(火) 生かされている」

「僕らはみんな生きている」と、子どもの頃に歌いました。

しかし、ある時から、「生きている」のではなく、「生かされている」ことに気づきました。

医学が発達し、寿命が延びましたが、聖書が言うように、どんなに長くても120歳以上(122歳まで生きた人もいるそうですが・・・)は生きられません。

先日、ギネスブックに登録された女性が115歳で亡くなりました。

聖書は、『そこで、主は、「わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう」と仰せられた。』(創世記6章3節)とあります。

聖書によると、人間はもともと、永遠に生きる存在として神に造られました。

しかし、アダムとエバは、神から離反し、死を選択しました。

いのちから離れたら、死が待っています。

木から切り離された枝を見ても一目瞭然です。

『わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。』(ヨハネ15章5節)

神からいのちを頂き、そのいのちによって生かされていることを知りました。

妻が体調を崩していますし、私もたびたび弱さを感じます。

とても、「俺は生きているんだ!」とは言えません。

「もう天に戻って来なさい!」と呼ばれる日まで、ただ私は、「生かされている」だけなのです。

与えられたいのちに感謝し、それを使わせて頂き、悔いの残らない一生を送りたいと願います。

私が、自分の教会外の仕事をしているのを見て、恩師が「超教派の仕事を一生懸命やっても、使い捨てにされるだけだよ。自分の教会に力を入れなよ。残るのは教会員だけだから。」と、励まして下さったことがあります。

その言葉は肝に命じています。

しかし、私が、神から与えられた仕事を、分け隔てなく行わなかったとしたら、それこそ悔いが残ると思います。

合理的、効率的計算。選択と集中は大切だと思いますが、損をしても、馬鹿を見ても、神様との関係の中で生きていきたいと思います。

先日、電車に飛び込み自殺はかった男性を助けるために、遮断機をくぐった銀行員が亡くなりました。

残された家族や職場の人たちのことを考えたら、いたたまれません。

この方は、まさか、死ぬことになるとは考えてもいなかったと思います。

しかし、与えらたいのちを存分に使い、悔いのない人生を歩まれたと思います。

深く考えさせられ、心探られています。

一回だけの人生、生かされているいのちを、神様が喜んで下さる生き方をしたいと思います。

そんな生き方を、ご一緒にさせて頂きましょう。

一日お疲れ様でした。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 4月18日(火)18時17分48秒
  「Now watching218」

ラブソナタのリーダーシップフォーラム小委員会中。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 4月18日(火)11時16分42秒
  「Now watching217」

妻は、昨日少し元気になりましたが、今朝は、体調が優れないようです。

「食べたい!」というものをすべて買って来ました。食欲があるだけで感謝です。

健康な時は、おいしいものをたらふく食べられますが、病気になると、食欲も湧いて来ないからです。

少し気弱になった妻は、「イエス様は『すべてを完了した!』と叫んで死なれたけれど、私は何もし終えていない。このまま死ぬわけにはいかない」と、ぽろっと。

祈ることしかできません。

本当の意味で人を励ませるのは、神の言葉だけです。

「わたしはいのちのパンです。」(ヨハネ6章48節)

そして、祈ることで、いのちのパンが血となり、肉となり、元気わ与えてくれると信じます。

『イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」』(マタイ4章4節)
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 4月18日(火)10時00分29秒
  「Now watching215」

韓国の牧師たちとの礼拝と交流を行いました。

行くべき場所には、疲れている時ほど、「来て良かった!」と思うものかも知れません。

今日も、良い一日がスタートしました。
 

「いやしの伝道者」

 投稿者:菅野直基  投稿日:2017年 4月18日(火)07時27分16秒
  昨日、妻の体調が優れないことを載せたら、たくさんの方が祈って下さり、感謝致します。

妻は、約10日間体調を崩して寝込んでいます。

当初は、インフルエンザか何かだと思っていましたが、病院に行ったら、「単なる風邪でしょう。2~3日休んだら治るでしょう」と言われました。

4~5日経っても治らないので、大学病院に行きました。

精密検査をしてもらいました。結果は、あと数日中には出ると思います。

毎日順調で、忙しく、充実した人生を歩んでいると見られることがあります。それは間違っていませんが、同時に、たくさんの問題や課題がありますし、戦いがあります。

どんなに大変でも、妻が健康で、笑顔で送り出してくれるので、元気よく仕事ができます。

ここ最近のように、妻が寝込んでいる姿を見ると、「一緒に居てあげたい」という気持ちと同時に、気持ちが萎えてしまいそうになります。

昨日は、朝から夕方まで仕事や会議がありました。夜は、大雨の中、新宿駅で路傍伝道をしました。

ゆっくり家の中で過ごしたい気持ちでした。

しかし、そんな私を支え、励ましてくれたのは、神様ご自身です。

「わたしはあなたと共にいる。大丈夫だ。出かけなさい」と、背中を押して下さいました。

どんな時にも、神様が支えて下さいますが、やはり、妻が健康で居てくれないと、思いっきり仕事ができません。

母親が体調を崩しているので、お弁当を作ったり、洗濯をしたり、アイロンをかけたり、皿を洗ったり、いつも母親がやってくれていたことを自分でしなければなりません。

子どもたちも大変だし、気持ちも暗くなってしまうと思います。

私は、伝道者として、聖書の中から、愛の神、良い神を語り続けています。

信じるだけで罪が赦され、神の子となり、永遠の命が与えて下さる。

しかし、それだけではありません。

神は、現実の問題に解決を与えて下さいます。

いやし主であり、健康を与え、問題を解決し、祝福して下さることを語り、祈って来ました。

私は、これまで以上に、神のいやしを語り、祈る、いやしの伝道者になりたいと強く願っています。

私は、自分が喘息などの病気を持っていますし、妻が体調を崩していますし、子どもたちも、アレルギーなどの病気のある子も居ます。

聖書を見ると、イエス様は、出会う全ての人の病気をいやされました。また、お葬式をしたことがありません。死人をよみがえらせてしまうからです。

イエス様は、「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、また、それよりもさらに多くのわざを行ないます。わたしが父のもとに行くからです。」(ヨハネ14:12)と語られました。

その少し後に、「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。」(ヨハネ14:16)と書かれています。

「もうひとりの助け主」である「聖霊」に満たされたら、「わたしの行なうわざを行ない、また、それよりもさらに多くのわざを行ないます。」という言葉が、私の人生の中にも実現すると信じます。

聖霊に満たされて、私自身が力と愛に満ち溢れ、健康になり、神の祝福と豊かさを頂き、イエス様と同等以上の働きをさせて頂きたいと願います。

日本には、一日に100人の人が自殺をします。自殺の原因の最多は、「健康問題」だと言われます。

私は、人々の病気の苦しみをそのまま受け止め、いやしを語り、祈りを通していやしを行う伝道者といて神に用いられたいです。

神様は、試練や諸問題を通して、人の痛みを教えて下さり、人を助けられるように導いて下さいます。

今、もしあなたが、試練や諸問題を通して苦しんでいるとしたら、神はあなたを愛しています。あなたを用いたいと願っています。

あなたを優しい人に創り変えたいのです。

そのことを忘れないで下さい。

今日も、素晴らしい一日になりますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 4月17日(月)22時21分16秒
  「Now watching214」

新宿で路傍伝道をしました。

強い雨、弱い雨、強い雨、弱い雨、気がついたら雨が止みました。

びしょびしょになり、ギターの弦二本も切れて、破れかぶれでした。

一生忘れられないような体験でした。

終了後、家が遠いので、すぐに帰られた人たちもいました。

残った人たちで、ラーメンを食べに行き、私の車がカフェに早変わり。コーヒーを飲みながら語り合いました。

帰宅後、妻の様子を見に行ったら、だいぶ元気になったようです。安心しました。引き続き、お祈り頂けたら幸いです。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 4月17日(月)14時05分1秒
  「Now watching213」

これから大会の会議が始まります。

忙しいし、妻の体調が悪いので、一瞬、「会議を休もうかどうか?」と考えました。

祈ると背中を押されたように感じます。

仕事と妻を主にゆだねて出て来ました。

妻の体調が回復するようにお祈りをして頂けたら幸いです。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 4月17日(月)11時51分55秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【742】2017/4/17(月) したいこととすべきこと」

前もってスケジュールの管理をする理由は、「したいこと」と「すべきこと」をしっかり区分して、重要な「すべきこと」から順番に行動するためです。

その場の思いつきで生きていると、「したいこと」か優先になったり、優先順位の低い仕事に振り回されて、重要なことが後回しになったり、できなかったりするなどして、時間を浪費してしまうことになりかねません。

最近、やっと、自然体で「したいこと」を後回しにして、すべきことからチャレンジしていくことが身につきました。

当初は、葛藤がありました。葛藤がなくなったのは、少し長い目で見たら、重要な「すべきこと」からチャレンジすることが一番だと、身に染みてわかるようになったからです。

「したいこと」は、優先順位を下げたとしても、どんなことをしてもその時間を作ることができるものです。

2人とも多忙なはずのカップルが、時間をうまく捻出してデートを楽しんでいます。

私は、スキーが好きなので、冬季は車にスキー板を積みっぱなしにしています。

今年の冬も、何度か出張が終わってからゲレンデでスキーを楽しみました。

スキーの優先順位は、最後の最後ですが、「やりたい!」という思いが強ければ強いほど、何としてでも時間を作り出せるものです。

一年半前に日本武道館で行われた一万人の大会の前には、600を超える教会を訪問し、協力の依頼をしました。

おそらく、丸一ヶ月の時間を教会訪問ために費やした計算になります。

超忙しいはずの私が、ボランティアの活動のためにどうやって時間を捻出することができたのでしょう。

まず、ずっと先の先まで、説教準備を終わらせました。そして、しばらくは、「どうしてもやらなけらばならないこと」だけに集中しました。

また、他の人でもできることは、他の人にお願いして、協力してもらいました。

そこまでできたのは、「関東にある2000の教会を訪問したい!」という燃える情熱があったからです。

今日も、明日も、今週も、来週も、すべきことで、重要な仕事を優先にスケジュールを立てています。

忙しい時には、私がそこにいなくても良い仕事や会議をすべての吹っ飛ばして、より重要なことに集中することもあります。

それは、「時は金なり」と言われますが、私にとって、時間は一番大切なものだからです。

そして、時間の積み重ねが人生であり、命ですから、「時は命なり」です。

時間は、神がすべての人に平等に与えられた宝物です。

お金に関しては、お金持ちの家庭に生まれた人と、貧しい家庭に生まれた人では、やっぱり違います。

しかし、時間だけは、誰であっも、どんな国語を使い、どんな肌の色でも、どんな国籍でも、男女を問わず、神が平等に与えて下さっています。

これを浪費してはもったいないです。

私にとって、神様に関すること、教会に関すること、伝道に関することの優先順位は高いです。

今日、夕方から雨が降りそうですが、新宿駅で伝道を行います。

雨が降らないでほしいですが、雨が降ったとしても、今日しか会うことのできない人がいるはずです。

その出会いを信じて出かけます。

この後も、素敵な時間をお過ごし下さい。
 

「ゆっくりとがんばる」

 投稿者:菅野直基  投稿日:2017年 4月17日(月)07時41分18秒
  ある精神科医師は、患者に「ゆっくりがんばりましょう」と励ますそうです。

うつ病の人などに「がんばりましょう!」という言葉は禁句で、「がんばりたくてもがんばれない」苦しい気持ちに共感して、心に寄り添うことが大切だと言われます。

がむしゃらに、壊れてしまうような「がんばり」ではなく、ゆっくり、完全燃焼するような「がんばり」は必要です。

試しに、何の責任も与えられないで、三食昼寝付きで、「なんにもしなくていいですよ」と言われて、毎日何もしないで過ごしたら、きっと病んでしまいます。

人は、重要で使命感のある仕事をしている時に、生き生きとするものだからです。

例えば、政治家はいつも元気です。「重要で使命感のある仕事をしている」という実感を持てるからです。選挙も大変だし、有権者から色々なことを言われますが、「政治家を一度やったら辞められない」と言われるのは、それだけ「やりがい」があるからです。また、「将来は、総理大臣になりたい!」と思っている政治家も多いはずです。

重要でやりがいのある仕事をしている人は、単純作業の仕事をしている人より長生きするというデータもあるそうです。

動物園のライオンと野生のライオンはどちらが長生きをすると思いますか? 圧倒的に、野生のライオンの方が長生きだそうです。

楽して、面白おかしく生きる人生もいいかも知れません。しかし、どんな人にも果たすべき責任と重要な使命が与えられています。それを後回しにしないで、誠実にチャレンジして行ったら、人は、必ず生き生きとしてくるものです。

「無理ながんばり」ではなく、「ゆっくりがんばる」ことが大切です。

「無理ながんばり」と「ゆっくりがんばる」ことの違いをコマで例えてみたら、「無理ながんばり」は、グラグラしながら回っているコマの状態で、「ゆっくりがんばっている」状態は、静かなのに全力でコマが回っている状態です。

どうやったら、静かに全力で回るコマのように「全力投球」で生きることができるでしょうか?

秘訣は「祈り」にあります。

聖書は、「絶えず祈りなさい」(第一テサロニケ5:17)と語ります。

すべてのことを祈りながらやってみることです。

誰に祈ったらいいでしょう?

あなたを造られた創造主であり、救い主、助け主、いやし主である、いつも共におられる全知全能の愛の神に祈るのです。

神と言ってもわからないので、神を見せて下さったお方が、クリスマスに生まれたイエス・キリストです。このお方に祈り、助けを求め、信頼し、頼る時に、人生は一番いい状態に変わります。

コマが、静かに全力で回るように、全力投球で「ゆっくりがんばり」生き生きと充実感を持って生きる人生は、あなたの瞳の輝きを取り戻し、枯れ木に花が咲くように、人生をやり直すことができます。

神に祈り、神と共に歩むあなたと私の人生に、豊かな祝福がありますように祈ります。いつもありがとうございます。良い一日を過ごして下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 4月16日(日)23時52分12秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【741】2017/4/16(日) バランス」

今日の日曜日は、復活祭、イースターでした。

教会では、十字架と復活の個人的体験について分かち合い、語り合いました。

十字架と復活はバランスを持って受け止め、語ることが大切ですが、どちらかに片寄ってしまうことがあります。

救いは十字架にありますが、十字架で終わったら希望がありません。

「もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」(第一コリント15章19節~20節)

キリストが復活されたので、十字架に救いがあるのです。

しかし、だからと言って、十字架を軽んじると、罪の力からの解放がおろそかにされてしまいます。

バランスが大切です。

キリストを信じるならば、キリストに起こったことが、私の身にも起こるのです。

キリストと共に死に、キリストと共に復活し、キリストと共に永遠に生きるのです。

「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ2章20節)

今日は、昼と夜それぞれに食事会をしました。

昼は、1000gまで無料増量できるつけ麺屋に行きました。

30代の社会人たちは、基礎代謝量も多く、私よりもたくさん食べました。

私が一番少食でしたが、少し食べ過ぎました。

夜は、サイゼリヤで軽く食べることにしました。

お腹のバランスを取りました。

地球の温暖化現象が危惧されていますが、同時に、違う場所では寒冷化しているのです。

地球もバランスを取っているのですね。

物事には、バランスが大切です。そして、バランスを保ちながら存在しているのです。

そんなことを考えさせられた一日でした。

みなさんはどんな一日でしたか?

お疲れ様でした。また明日お会いしましょう。おやすみなさい。
 

「キリストの復活は本当か!?」 

 投稿者:菅野直基  投稿日:2017年 4月16日(日)08時01分27秒
  今日の日曜日は、キリストの復活を記念するイースターです。しかし、本当は毎週がイースターです。今日も、来週も、再来週も、キリストの復活を覚え、教会に集まり礼拝します。

「ハッピー・イースター!」

聖書は、「イエス・キリスト」とキリストの道備えをした「バプテスマのヨハネ」を対比して語ります。

キリストは「言葉(ロゴス)」であると書かれています。ヨハネは、それに対して「声」であると語られています。

声は発せられたら、直ちに人目をひきますが、やがて消えてなくなります。しかし、言葉はいつまでも残ります。

キリストを伝える伝道者、牧師、信徒は、キリストを伝え、キリストを指し示したら消えて、そこにキリストが残るようにしたいものです。

良い説教、良い文章を目指すより、キリストを感じさせ、ありのままのキリストを伝え、それを受けた人がキリストと出会ってほしいと心から願います。

教会に通うクリスチャンを含め、みなさんはキリストの復活を信じますか?

多くの人は、「復活」をおとぎ話のように感じるのではないかと思います。

私は、その原因の一つは進化論にあると思います。進化論は科学的に証明されたものではなく、現段階では仮説に過ぎません。仮説は仮説としておくべきです。

進化論をはっきり見つけられる場所は、学校の教科書の本の中だけです。それ以外で、決定的に証明された事実はなく、多くの証拠は捏造されたものだと言われています。

進化論に触れた人は、聖書の創世記をおとぎ話だと感じるのではないかと思います。そして、創世記をおとぎ話と捉えたとしたら、キリストの復活もおとぎ話と思ってしまうことでしょう。

聖書に書かれている、神が天地万物を創造し、人を神に似た最高傑作として造られたことは、科学的に証明されていません。なぜならば、天地が創造された6000年前に私たちは生きていなかったからです。しかし私は、聖書の天地創造を信仰によって受け入れました。

進化論によると、地球は45~46億年前に偶然に誕生したと教えます。これも科学的に証明されていません。進化論とは、神抜きにこの世界の誕生を説明しようとした仮説であり、言葉を変えるならば、科学ではなく宗教の一つです。

それを知った上で、聖書に向き合って下さい。少なくても、聖書をおとぎ話と括ってしまう前に、同じ土俵の上に乗せて、「聖書は一体何を語るのか?」を謙虚に求道してみたいものです。

信じることも、信じないことも、一つの選択であり、決断です。

「イエスは言われた。『わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。』」(ヨハネ11章25節~26節)

イースターとは、キリストが復活したことを記念する時です。

もし、キリストの復活がないとしたら、人は死で終わりです。しかし、キリストの復活があるなら、人は死で終わりではなく、死の向こう側に復活と永遠のいのちと天国があります。

世界の20億人以上のクリスチャンは、なぜ日曜日に教会に集まって神を礼拝するのでしょうか?

キリストが日曜日の朝、死を打つ破り、黄泉より帰り、墓を空にしてよみがえられたことを記念するためです。

「教会にはまだ行ったことがありません」という方も、「以前は教会に行っていたこともあります」という方も、教会にいらっしゃいませんか?

新宿福興教会HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/
(メッセージを下されば、みなさんの近くの教会を紹介致します。)

また、インターネットを通して神さまを礼拝しませんか?
「生放送」〈1〉朝10時30分~ 〈2〉夕4時30分~

① 新宿福興教会HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/
② ニコニコ動画  http://nico.ms/l/co114841
③ ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor

説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 4月15日(土)22時24分3秒
編集済
  「Now watching212」

代々木駅西口で路傍伝道しました。静かな駅なので、あえて少人数で行いました。

隣の原宿駅や新宿駅とは対象的で、静かな町でした。10人くらいの人が立ち止まって聞いてくれました。

特に、中学生の女の子2人が、じっくり聖書の話を聞いてくれてうれしかったです。

イースターを明日に控え、大きな収穫でした。

明後日の月曜日と来週の土曜日は、新宿駅東口で路傍伝道やります。こちらは、人数をセーブしなくても大丈夫ですので、もし良かったらいらして下さい。

ハッピー・イースター。おやすみなさい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 4月15日(土)15時07分41秒
  「Now watching211」

新年度になり、今日は子供たちの学校の保護者会やPTAの集まりが続きます。

今晩は、代々木駅での路傍伝道ですが、バイク移動中に雨でずぶ濡れ。恵みの雨ですが、夜は止んで下さるようにと祈るばかりです。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 4月15日(土)11時21分1秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【740】2017/4/15(土) 人は、信じる対象ではなく、愛する対象」

気持ち良くバイクで風を切って走っていると、思いがけず危ない目に会うことがあります。

目の前でUターンをする車、右折して来る車、左から割り込んで来る車などがいるからです。

車に乗っているのと同じ感覚でいると、バイクは目立たないからでしょう、見落とされてしまいます。

16歳からバイクに乗っていますが、モトクロスをしたり、峠を攻めたり、極限状況に近い走行をして腕を磨きました。

野生本能が目覚め、その感覚が研ぎ澄まされたと思います。しかし、何度も危険な状態にも遭遇し、いつも死と隣り合わせでした。

無茶をしました。「神が守って下さった」としか言いようがありません。

交通安全のスローガンの看板を見て、「そうか、『君の帰りを母が待つ!』事故で死んだら親が悲しむな?!」と、アクセルを緩めますが、しばらくすると、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」で、神様には、だいぶ苦労をさせてしまったのではないかと思います。

車もバイクも、バスもタクシーも、自転車も、完全でない人が運転しています。いつ、お互いに事故に巻き込まれてもおかしくありません。

だから、今は、最悪を想定しながら運転します。

高速道路を車間距離を詰めて、数珠つなぎに走っている一群を見ると、よっぽど信頼し合っているのか、最悪を想定していないように感じます。

自分の運転がいくら上手だとしても、高速道路の事故の3分の2は「追突」です。

割り込まれたくない気持ちはわかりますが、前の車が急ブレーキをかけても、安全に回避できるくらいの車間距離を取るべきです。

仮に、急ブレーキで事なきを得たとしても、後ろの車が追突して来たら、玉突き事故になります。

人は、信じる対象ではなく、愛する対象だと思います。

お互いに弱さを持っていますし、失敗をする可能性があります。その事実を受け入れ、過信しない事ですね。

信じていて、期待を裏切られたり、ミスをされたとしたら、怒りに変わります。

しかし、愛するなら、「仕方ない。誰しも失敗はあるもの」と、よっぽどのことでもない限り、水に流せます。

交通での関係に限らず、通常の人間関係でも同じです。

極論を言うと、今まで人を信じたり、信頼して来て、裏切られなかったことは一度もないと思います。

自分も、人に対して、期待を裏切っているはずですから、人は責められたものではありません。

ネガティヴな話しではなく、事実として、人は信じる対象ではありません。

9歳の小学生が殺害されて、その死体遺棄に関わったとされる容疑者は、何と、その学校のPTA会長。

黙秘を続けていますので、「疑わしきは罰せず」ですが、仮に、そのPTA会長が殺害にも関わっていたとしたら、教育の現場で誰を信じたらいいのでしょう。

祖先アダムとエバの原罪のゆえに、人は、絶対絶望的な存在に成り下がっています。

これが、人間の罪の現実です。

犯罪や悪い行いは、罪の一つの症状に過ぎません。

人の本質を知ったら、絶望しかありません。

その相手と自分を比べて、劣等感や優越感を持って、妬んだり、見下したりすることは、木を見て森を見ていないようなものです。

人は、全面的に堕落し、罪のゆえに壊滅的な状態だからです。

しかし、「だからダメだ!」ではなく、憐れみの心を持ちたいものです。

今日は、路傍伝道に出かけますが、人には神が必要です。

神以外に、本質的に人を救える方はいません。

いくら、表面をよくしようとがんばったとしても、本質が変わらなければ何の意味があるでしょうか。

やることが山ほどあります。

お互いに、神が必要な存在であり、絶望的な存在です。

とても、信じられる存在ではありません。ただ、ただ、愛するだけの存在です。

しかも、人はもともと、愛されるために生まれて来たのです。

神の愛の対象として、素晴らしい存在として造られた、と聖書は語ります。

神から愛されていることを知り、神の愛を受け入れ、その頂いた愛で互いに許し合い、受け入れ合い、支え合っていきたいものです。

もう人に期待しなくてもいいし、人に傷つかなくてもいいのです。

仮面をかぶって生きなくてもいいのです。

自分をよく見せようとがんばる必要も、劣等感を感じる必要はありません。

みんな、神によって、ありのままで愛されているのです。

神の愛に憩い、この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

「あなたは特別な人」

 投稿者:菅野直基  投稿日:2017年 4月15日(土)07時26分49秒
  自分のことが好きになれず、コンプレックスのかたまりのような女の子がいました。体形も、指の曲がり具合も嫌で、自分で自分を傷つけていました。

彼女が、自傷行為から解放された後に、絵のついた詩集を作りました。自分をユニークにデザインして下さったデザイナーに対する感謝の詩です。

バカヤロウ。役立たず。
天然パー。
いろいろなこと言われちまった。
私はそんなにダメ人間?
どうせ私はダメ人間・・・・・・
と、いじけていた私に
「そのまんまのおまえが大好きだよ」って
言ってくれた。
やさしい大好きな天のお父さん。
あなたのその一言で、
私は孤独から
解放されました。

母の日にカードを贈りました。生まれてはじめて、真剣に感謝を込めて「生んでくれてありがとう」・・・・・・。

人はみな、どこかにコンプレックスを持っています。どんなに美しい女性でも、イケメンの男性でも、自分のある部分を好きになれません。しかし、その部分も、唯一無二のユニークさであるはずです。 あなたは特別な人です。

嫌いだった自分が好きになる時、あなたはあなたでなければいけない人生を生きはじめ、輝いて生きるようになるでしょう。

バイブル(聖書)には、「あなたの若い日にあなたの創造者を覚えなさい。」と語ります。この方は、あなたをデザインし、メイクし、生かしている天のお父さんです。

天のお父さんは、ありのままのあなたを愛し、大好きです。地上の親は愛してくれなかったかも知れません。しかし、天のお父さんは違います。あなたを愛しています。私は今日、あなたにそのことを伝えたいです。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ 43:4)

素敵な週末でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 4月14日(金)12時32分45秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【739】2017/4/14(金) 自分のルール」

「誘われた食事と頼まれた説教(音楽や冠婚葬祭含)は断らない」と、駆け出しの伝道者の時(20年前)に決めました。

当時は、そんなに頻繁に食事や説教の誘いはありませんでした。だから、何も問題はありませんでした。

今は、食事の誘い、説教などの奉仕依頼は飛躍的に増えました。

先ほど、テレビ番組の説教のオファーがありました。

忙しいことを理由に断りましたが、急に、「誘われた食事と頼まれた説教は断らない」という言葉を思い出しました。

一部の予定を変更できたので、電話をして、出演が可能なことを伝えました。

人は、楽な方、楽な方に走る傾向があります。

より多くの人の前で説教するのは、とてもやりがいのある事ですが、もう一つの思いがあります。

「逃げ出したい!」です。

その背後には、低いセルフイメージがあり、「私が説教するよりも、もっと偉大な牧師が説教をした方がいいのではないか?!」

しかし、そのような思いと戦わなければいけません。

私は、他の説教者と同じようには説教できなくても、私にしかできない説教がある。

それを語らせるために、神か私を召して下さった。

そして、私にしかできない説教を語ってほしくて、私に奉仕依頼をして下さったのです。

私が定めた「誘われた食事と頼まれた説教は断らない」というルールが、安全地帯にとどまり続けたり、楽な方、楽な方に逃げられないようにしてくれます。

本当の私は、食事も説教も喜びですが、もう一人の私は、何を食べに行くか、誰と食べに行くかで、「行きたい!」「行きたくない!」が変わったり、説教をすることが私の仕事なのに、もう一人の私は恐れおののいて、逃げ出したくなることがあります。

外国の教会の牧師の中には、7年に一度、「安息年」と言って、丸一年間休みを取る制度があります。

もし、私が安息年を取るとしたら、ダレて、怠けて、一日中ゴロゴロしてしまうのではないかと思います。

これからも、私には、「誘われた食事と頼まれた説教は断らない」というルールの中で生きるのがいいのではないかと思います。

私と食事をしたかったり、相談や交わりがしたかったりしたら、遠慮なくお食事にお誘い下さい。

また、日程が合えば、説教等の奉仕も喜んでさせて頂きます。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

「立ち上がり、再び仕事に取り掛かろう!」

 投稿者:菅野直基  投稿日:2017年 4月14日(金)07時37分57秒
  BC.600年頃、イスラエルは国を追われ、バビロンの国に捕囚として連れて行かれました。しかし、聖書に予め預言された通り、70年後に帰還することができました。

民は失望し切り、疲れ果てていました。

神は、イスラエルの民に対して「仕事に取り掛かれ。私があなたがたと共にいるからだ。」(ハガイ2:4)と語られました。

あなたは今、色々な心配や問題に押し潰され、失望し、疲れ切っているかも知れません。神はあなたに向かっても、「仕事に取り掛かれ。私があなたがたと共にいるからだ。」と語られます。

今は、失望し、落ち込み、悲嘆にくれ、現実逃避する時ではなく、立ち上がって、与えられた仕事、使命、働きに取り掛かる時です。

その原動力は、「神があなたと共におられる」事実です。

「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)

今日も、神様と一緒に、新しい一日を生きていきましょう。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 4月13日(木)20時08分46秒
  「Now watching210」

日本と世界の情勢のために切実に祈っています。

心を合わせて祈りましょう。

「今が、主を求める時だ。」(ホセア10章12節)
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 4月13日(木)18時31分9秒
  「Now watching209」

大久保通りに立ち並ぶ諸教会の牧師や長老、諸団体代表が集まりました。

4月30日(日)午後1時半から、淀橋教会広場で「第2回防災フェスタ」が行われますがそれの話し合いをしました。

夜は、御茶ノ水で集会です。

忙しくはありませんが、朝からずっと動き続けています。ゆったり完全燃焼してます。

神と共に歩み、神に導かれると、本当に良い一日を過ごせます。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 4月13日(木)12時39分27秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【738】2017/4/13(木) 自分の十字架」

どこに行っても、「馬が合わない」「ソリが合わない」人がいるものです。

すべての人と平和を保ち、仲良くしたいですが、ちょっと世界に目を向けただけでも、困難だとわかります。

私は、合わない両者を埋めるのは、神の愛しかないと結論に達しました。

「愛は結びの帯として完全なものです。キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。」(コロサイ3章14節~15節)

神の愛とキリストの平和が、合わないソリを埋め合わせ、合わない馬との心を通わせて下さる工事を進めてくれます。

自分から人に攻撃をしたり、批判するようなことはまずしませんが、降りかかった火の粉を払わなければならないことは少なくありません。

聖書は、罪を持った人間は、絶対絶望的な存在であると教えます。つまり、不治の病を持つ病人です。

その相手や自分自身を、責めたり、叱ってどうするのでしょう?

病気になった病人を叱る医者がいるでしょうか?

もちろん、いるかも知れませんが、叱られた病人は目も当てられません。

病人に必要なのは、温かい心と治療です。

温かい心を持って、人と自分、自分と人を受け止め、神に祈るしかありません。

見捨てたくなることもないわけではありません。しかし、「これが自分の十字架」として、感謝して受け止めたいと思います。

面白いことに、人の欠点が見えて、人を批判しますが、同じものを自分でも持っているのです。

やってられない気持ちになります。

しかし、そんな自分を直視し、向き合う時に、神の愛の凄まじさを感じざるを得ません。

ある人が、床屋に行って髪を切ってもらいました。

シャンプーが終わり、リクライニングして目を瞑っていると、いきなり、熱いタオルが顔に置かれました。

「熱いじゃねーかよ!」と文句を言うと、「お客さんすいません。熱いのでつい落としてしまったのです」と釈明しました。

神様は、自分でも受け止め切れない私を、そのまま受け止めて下さり、罪の赦しと永遠のいのちを与えるために十字架で死んで下さいました。

実は、自分の十字架は、自分一人で背負っているのではなく、イエス様と一緒に背負っているのです。

しかも、イエス様が重たい部分を背負っておられ、極端な話、私は、ただ一緒に歩いているだけなのです。

これが神と共に生きることなんだと思います。

何人かの人から、「菅野牧師は、よくいろいろな人に柔軟に対応されますね。感心しますよ、」と言って頂きますが、笑顔の裏で泣いていたり、傷つき大変な思いをしていることがあります。

しかし、そのプロセスを通して、神の愛の大きさ、広さ、長さ、高さ、深さに驚かされています。

「その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。」(エペソ3章18節~19節)

「こんな人を、こんな私を愛せるのは神様しかいない!」

そして、愛されている実感が深められています。

その結果、幸せを感じます。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

「この道はいつか来た道」

 投稿者:菅野直基  投稿日:2017年 4月13日(木)07時13分23秒
  北原白秋 作詞 山田耕筰 作曲の「この道はいつか来た道」という童謡があります。

この道はいつか来た道
ああ そうだよ
あかしやの花が咲いてる

あの丘はいつか見た丘
ああ そうだよ
ほら 白い時計台だよ

この道はいつか来た道
ああ そうだよ
お母さまと馬車で行ったよ

あの雲もいつか見た雲
ああ そうだよ
山査子の枝も垂れてる

私にとっての「この道」は、聖書が語る『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。』(ヨハネの福音書14:6)と言われた道です。「イエス・キリスト」のことです。

作家の三浦綾子さんは、この聖句から「道ありき」という本を書きました。

ご自分が教師をしていた時、敗戦後の子供たちに、国語の教科書の多くの箇所を「墨」で塗り潰させました。「これが正しい!」と教えて来たことを、「これは間違いだ!」と教えなくてはならなくなり、何も文句を言わずに教科書を「墨」で塗り潰している生徒を見ながら、「真理とは何か?」「自分は、これから何を教えたら良いのか?」苦悩し、迷いました。

道は、歩いて目的地まで行くためのものです。しかし、「途中で、間違った道を歩いていた!」と気がついたとしたら、修正して、正しい道を歩めばいいのです。

ある人は、ずーっと歩いて来たので、「今さら違う道を歩みたくない」と思うかも知れません。しかし、人生にはそういうことが起こり得ます。歩き続けることが大切なのではなく、修正してでも正しい道を歩むことが大切です。

聖書は、布教のための宣伝文書ではありません。人々が信じやすく、信じたくなるような技巧は施されていません。しかし、正しい道を教えます。

「この道」は、「いつか来た道」でもあります。

私たち人間は、神によって造られ、神のもとからこの地上に来ました。しかし、先祖であるアダムとエバは、神と共に生きる道を捨てて、悪魔に誘惑され、自分の思う道を歩み始めました。その結果として、人は不幸を経験し、死ぬべき存在となってしまいました。

しかし神は、2017年前のクリスマスにイエス・キリストをこの地上に送られました。そして、十字架と復活を通して、神に立ち戻る道を造って下さいました。

道は、踏みつけられて人を正しい方向に導きます。イエスは、十字架の上で人々に踏みつけられ、殺され、自らが、天国に続く道となられました。

私は、「この道」は初めて来た道であると同時に、「いつか来た道」であると思います。

週末は何をして過ごされますか? 三浦綾子さんの書物を読んだり、聖書を読んだりしながら、自分の歩んでいる道を確認し、顧みる時を持ってみませんか?

電車が線路の上を走るのは、道が決められてしまっているので不自由でしょうか? そうではありません。線路の上を走ってこそ自由なのです。

私たちも、天国に通じる道を見つけ出し、その道を歩んで行きませんか? そこに本当の自由と、確実な人生があるのです。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 4月12日(水)22時09分32秒
編集済
  「Now watching208」

ペットの亀の水替え。

人間で言えば、高校生一匹、小学生四匹。

常時28度になる水温ヒーター、甲羅干しのための紫外線ランプと島、気温調整のための赤外線ランプを装備しているが、水洗浄機は使ってないので、1日~3日に一度水替えをします。

いつもは、妻と次女が水替えとお世話をしてくれていますが、久しぶりに水替えをして、一仕事した充実感があります。

触れ合うことで、愛情も増し加わるのだと思います。

「飼い主我が主よ」という賛美歌がありますが、主が私をお世話して下さっていることを思い感謝です。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 4月12日(水)14時20分47秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【737】2017/4/12(水) 同時進行の祝福」

毎週日曜日の他に、今月は3回、新宿と代々木で路傍伝道をするのだ、朝からずっとチラシ折りをしています。

しかし、そういう単純作業をひたすらするのは苦手です。気が滅入ってしまうからです。

そこで、今日は7人の方と仕事の電話をする用事があるので、約6時間、電話とチラシ折りを同時進行で行なっています。

結果は、一石三鳥です。

①チラシ折りが進み
②電話の仕事が終わり
③この二つを楽しく、かつ、勢いよく行うことができました。

男性と女性が理解し合えない理由として、脳の構造が違うと言われます。

男性は、一つのことに集中するような構造になっていますが、女性は、いくつものことを同時にできる構造になっています。

私は、典型的な男性脳で、テレビを見ながら電話をするとか、人の話を聞きながらスマホをいじることなどは、大の苦手です。

器用な女性は、テレビを見ながらアイロンをかけ、友達と電話でしゃべりながら、さらに、おせんべいを食べるなどという芸当ができる人を知っています。

私は、電話なら電話だけ、テレビを見るならテレビだけ、スマホをするならスマホだけ、運転をするなら運転だけ、食事をするなら食事だけ、誰かとお話しをするならお話しだけです。

しかし、電話とチラシ折りの相性は良く、電話は頭を使いますが、チラシ折りは単純作業だからです。

あっという間に、ランチを食べることを忘れて、今になってしまいました。

ところで、聖書は、「絶えず祈りなさい。」と教えます。

そんなことをどうやったらできるのでしょうか?

祈りりとは、「霊的呼吸」です。

意識して祈ることもありますが、呼吸を無意識に行うように、無意識に祈ることができます。

眠りながらも(おそらく?)祈っています。

説教しながら、神と語り合い、相談します。そして、教えられた内容を語ります。

もちろん、このような文章を書きながらも祈ります。

祈りは、呼吸をするように、単純作業としても行うことができます。

もちろん、礼拝の代表祈祷のように、格調高い言葉を使うことはあっても、一人で祈る時には、そんな仰々しい言葉を使いません。

ありのままを神に語ります。そして、神も、ありのままで答えて下さいます。

今日は、同時進行の素晴らしさを感じました。

同時進行をすることで、「二兎を追う者は一兎をも得ず」とことわざにあるようなことも起こり得ますが、絶えず祈ることは、一石三鳥以上の祝福を持たらせると思います。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

「人生の3つの坂」

 投稿者:菅野直基  投稿日:2017年 4月12日(水)07時11分59秒
  人生には3つの坂があるといわれます。1つ目は「上り坂」、2つ目は「下り坂」、3つ目は「まさか」。

どんな人にも、「上り坂」をのぼる時期があります。何をやってもうまくいき、飛ぶ鳥を落とす勢いであがり続けます。特に若い時は、ちやほやされ、期待され、喜ばれます。

しかし、進学、入社、昇進、昇格、結婚、子供が生まれ、家を建て、貯金が増え、持ち物が増えていく時期は、ある時に終わります。

やがて、「上り坂」は「平地」になり、「下り坂」になります。

子供が自立し、退社し、引退し、親が亡くなり、配偶者との死別、そして、今まで持っていたものが一つ一つ奪い去られ、自分が必要とされなくなっていく時期がきます。人生の「下り坂」です。

しかし、人生の坂は、「上り坂」か「下り坂」だけではありません。予測不能な「まさか」があります。

「まさか」は人ごとではありません。誰にでも、ある日、「まさか」がやってきます。

小さな「まさか」なら、日常的にやってきます。

一体、「まさか」にどう対応したらいいのでしょうか?

① 聖書を読み、神に祈り、いつでも神の導きを受ける。
② 神と一体になり、神と共に歩む。
③ 人を赦し、愛し、祝福する。
④ マイナス思考を捨て、プラス思考で生きる。
⑤ どんなことも感謝する。
⑥ 夢と希望を持ち続ける。
⑦ 前進し続ける。
⑧ 間違いに気づいたら、素直に罪を認め、悔い改める。

このように生きる人には、「まさか」は災いではなく祝福になります。

ピンチはチャンスに変えられ、マイナスはプラスに変えられ、栄光から栄光へと成長し、一発大逆転します。

「まさか」をマイナスや呪いと考え忌み嫌わないで下さい。

感謝して、神と共に「まさか」に直面し、進むなら、「禍を転じて福と為す」と言われるように、まさかは大きな祝福なのです。

さらに、「上り坂」も祝福ですが、神と共に歩むなら、「下り坂」も祝福です。

「下り坂」とは、傲慢な生き様に気づかされ、本当の自分の立ち位置に立たせて下さる「坂」なのです。そうしたら楽ですよ。そのくだりきったところで神と出会うことができます。

聖書が語る神は、「私たち人間に上って来い!そうしたら救ってやろう!」と言われるのではなく、2017年前のクリスマスにこの地上にこの地上に人間の姿をとり、私たちのところにまで来て下さったのです。

そして、今あなたの前におられます。心を開き、信じ、このイエス・キリストを心に受け入れるなら、罪が赦され、神の子とされ、永遠の命と天国のパスポートを頂き、救われます。

「下り坂」の突き当たりで、人は神と出会うのです。

「人生の3つの坂」は、どれも祝福です。人生には祝福以外ないのです。

素敵な一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 4月11日(火)19時29分40秒
編集済
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【736】2017/4/11(火) 小手先の問題解決ではなく」

会議などで出っ放しの1日でした。雨が降っていて傘が離せず、寒さを感じました。

ここ数日、愛用のiPadの調子が悪くなり、電源が入らなくなりました。

細切れ時間を利用して、Appleサポートに電話しました。

しかし、こういう電話は細切れ時間でどうにかなるものではありません。

症状を伝えて、帰宅後にAppleから電話をもらいました。

Appleサポートのスペシャリストは、解決するまで付き合ってくれます。頼もしいです。

iPadは、ハードの故障だと思っていましたが、ソフトの問題のようでした。ホッとしました。

ところで、牧師のもとに持って来る相談は、小手先のアドバイスでは解決しないものが結構多くあります。

忙しい場合などは日を改めて、解決するまで付き合います。それが根本的解決の一番の近道です。

もう四年くらい前のことですが、Appleサポートで、1日8時間くらいサポートを受けたことがあります。

そこで解決したので、その後は、当分サポートを受ける必要がなくなりました。

仮に、中途半端に、小手先の解決をしようとされたら、わかりますので気分が悪いですし、トラブルにつながる可能性もあります。

そうなると無駄に時間を費やさなければいけないことになります。

相談に来た人に、徹底的に向き合って解決までおともすると、感謝されますし、その後、相談に来る必要がなくなります。

iPadがなおって、感謝ですし、当分サポートは必要なさそうです。

どんな仕事でも、中途半端にするのではなく、徹底してやりたいものですね。

この後も、素敵な時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野直基メール  投稿日:2017年 4月11日(火)15時45分56秒
  「Now watching207」

研修会実行委員会の本会議が終わり、リクレーション部の小委員会をしています。

数年やったいるので完全にネタ切れですが、「日光→湯西川→塩原→那須→日光」に落ち着きそうです。
 

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