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(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月19日(木)17時10分20秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【916】2017/10/19(木)どこであっても、そこが都」

今日は、仕事で新潟に来ています。お昼には行列のできる蕎麦屋に来ました。とてもおいしかったです。

景色もいいし、ふと、こんな場所に住んでみたいなと思いました。

どこであっても、「住めば都」と言われるように、住めば居心地良く感じるものです。

私の住む東京の新宿は、仕事に適していますが、人は多く、空気が汚く、住みやすいとは言えません。

ここは、きれいな山に囲まれていて、水と空気がきれいだし、米は日本一のコシヒカリ山地でおいしく、冬はスキーとできるなど、住むのに適していると感じます。

私が牧師でなかったとしたら、きっと、東京にこだわることがなかったと思います。

二十代の時に、週に一度、新宿の路上でギターを弾きながら伝道をしていた時に、神様から、この新宿の地で伝道するようにと導かれました。

三十歳で牧師になって、新宿に教会をスタートしました。

それ以来、新宿に住んでいます。今日来ている場所も良いですが、やはり今の私には新宿が一番です。

人生は一度だけです。こらからも、ただ神様について生きていきたいと思っています。

そして、神様と一緒ならば、どこであっても都です。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月19日(木)07時10分57秒
  「幸せな自分に気づいて!」

「私は今、幸せだろうか? 不幸せだろうか?」と、改めて考えたことはないでしょうか?

だって、どんなに喜んでいても、他人のたった一言で簡単に不幸のどん底に突き落とされてしまうことがあるからです。

さっきまで、「何もかもうまく行ってる!」と絶好調だったのに、財布を落としたことに気づいた瞬間、最悪の気持ちに変わってしまいます。

私たちの気持ちは、さながら、シーソーやエレベーターのように、上がったり下がったりを繰り返します。

しかし、お母さんが押すベビーカーに揺られている赤ちゃんの顔を見ると、世界一幸せに見えます。

幸・不幸を決めるのは、どうやら私たちに降りかかる出来事ではなく、その出来事をどう捉えるか?にかかっているようです。

あなたが、「私は不幸だ!」と決めるまでは、どんな出来事もあなたを不幸にすることはできません。

あなたは幸せな人です。それに気づけば、感謝と喜びが心の底から湧き上がってきます。そして、もう人の幸せをねたむ必要はありません。

「(愛は)人をねたみません」(第一コリント13:4)と聖書は語ります。

ねたみは、自分よりうまくいっていて、幸せそうに見える人に対して感じる感情です。あなたは幸せな人です。どうぞ、それに気づき、いつも忘れないで下さい。

素敵な一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月19日(木)00時06分13秒
  「路傍伝道ネットワークの行事のご案内」

①10月20日(金)
賛美集会
時間:夜7時~9時
JR阿佐ヶ谷駅北口に6時30分に待ち合わせ(その時間に来れない方はご連絡下さい)
【参加費無料 席上献金あり】
※集会後には、自由参加の食事会があります。

②10月31日(火)
イスラエル料理食事会
西武池袋線江古田駅南口で6時30分に待ち合わせ
【参加費 (飲食代)2400円】
※食事をしながら、路傍伝道について語り合いながら心を 通わせる時間を持ちます。

賛美集会も食事会も、参加される方は、準備の関係がありますので、事前にご連絡をお願いします。

わからないこと、わかりにくいことがあったらご質問下さい。

路傍伝道ネットワーク 菅野直基
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月18日(水)22時06分47秒
  「Now watching465」

今晩の食事は、地鶏の阿波尾鶏ステーキです。皆さんとの食事を楽しんでいます。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月18日(水)11時38分30秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【915】2017/10/18(水)資格」

消防団で、「特殊技能調査」が行われました。

「菅野さん、この中で持っている資格を書いて下さい」と言われたので、マルをつけ、書き込みました。

普通自動車、大型二種、大型自動二輪、大型特殊、けん引、小型船舶一級などの免許証はいつも持ち歩いていますが、床上クレーン、移動式クレーン、フォークリフトなどの免許証は、遠の昔に紛失してしまいました。

資格免許のあるものはすべて書き出しましたが、後日、「取得年月を教えて下さい」と言われたので、今朝、労働局等に問い合わせて調べました。

これらの資格免許は、更新がないため、失効することがない上、しっかりとデータが残っていました。ありがたいと思いました。

今は、消防団員として、地域に貢献したいと思って活動をしていますし、合わせて、新宿大久保通り教会防災ネットワークの活動をしていますし、スキルアップのために、防災士の資格を取得したいと思っています。

ところが、取得費用が高い上に、助成を受ける条件に合わず、実費で高額の費用がかかるため、躊躇しています。

車関係は、ほとんど全てを運転できますが、せいぜい、自動二輪と普通自動車の免許を持っていれば事足ります。

資格・免許取得マニアになる必要はありません。ただ、当時は、今後必要になるかも知れないと思って取得しました。

防災士は、きっと私に与えられた領域で活動する上で必要になるだろうと思って、費用が与えられるように祈っています。

資格とは、学科と技能の習得が必要な上、費用がかかります。

しかし、神の子となり、永遠のいのちを得て天国に入る資格には、学科や技能の習得は必要ありません。

ただ、「イエス様を、罪からの救い主、人生の主として迎え入れる」なら与えられ、それに関わる費用はかかりません。

救いは、信仰と恵みによって与えられます。

「あなたがたは、恵みにより、キリストを信じることによって救われたのです。しかも、そのキリストを信じることすらも、あなたがたから自発的に出たことではありません。それもまた、神からの賜物(贈り物)です。」(??エペソ人への手紙? ?2:8?)

何の資格を持っていなくても、この資格だけは絶対に必要です。

しかし、オートマチックには与えられません。信じて受け取ることが必要です。

どうぞ、受け取って下さい。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月18日(水)05時34分41秒
  「こころよく思ってくれない人の対処法」

人生を生きていると、好意を抱き、何をしても賛同してくれる友達がいると思えば、こころよく思わず、何をしても反対してくる人がいます。

その原因はともかくとして、私は、それが半々くらいであるのが健全な人ではないかと思います。

つまり、10人中、5人が賛成、5人が反対するくらいの割合です。

中には、10人中10人近くに賛成してもらえるような人もいるでしょうし、10人中10人近くに反対されてしまう人もいるかも知れません。

10人中10人が賛成、もしくは、反対される人は、誤解されているか?本当に善人か?悪人でしょう。

10人中10人が賛成されるということは、意図的に良い人を演じている可能性が高いと思います。

人には、長所と共に、短所があるからです。長所と短所は表裏一体です。あるシチュエーションでは、長所として現われることが、違うシチュエーションでは短所として現われるものだからです。

気が利いて、行動的な人は、仕事の面でとても有能で、評価されると思いますが、プライベートでは、人に気を使わせ、人を疲れさせてしまうものです。

だから、通常は、人の評価は半分半分くらいが正常であり、問題はありません。

ただ、10人中10人が反対するとしたら、これはよっぽど悪い部分しか人の目に映っていないか、心底悪人かのどちらかです。

時々、私が何をしてもこころよく思ってくれない人がいます。

仕方ありませんが、そういう人に巡り合うことがあります。

そんな時私は、その人と二人で話すようにします。お茶や食事に誘い出します。

誤解仕合っていたということもあります。しかし、話せば話すほど、双方の溝が深まることがあります。

イエスとユダヤ教の指導者たちは、話し合っても平行線であり、話し合えば話し合うほど双方の溝は深まっていきました。

結果、ユダヤ人たちは石を手に取って、イエスに打ちつけようとしました。

イエスは、その場を逃れて立ち去りました。

恐くて逃げたのではなく、イエスはもともと死ぬために生まれてきました。

全人類の罪を購うために十字架にかかって死んで、復活することが定まっていました。

だから、石打で処刑されてはいけなかったのです。

また、十字架で処刑される時がまだ来ていなかったからです。

このように、何をしようが和解できず、決裂してしまう関係があります。

10人中10人に評価されるような人は、妥協して和解し、決裂を避けると思います。

本質的でないこと、あまり重要ではないことならば、争わない方が懸命ですが、本質的なことであり、かつ、譲れないことならば、どうしても一つになれないことがあります。

こういうことが原因で、こころよく思わない人がいた場合どうしたらいいでしょうか?

私は、祈るしかないと思います。

イエスは、次のように教えられました。

「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」(マタイ5章43~44節)

そのように教えられたイエスは、ご自分に反対する者のために、神の裁きを祈ったのではなく、赦しを祈られました。

「そのとき、イエスはこう言われた。『父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。』」(ルカ23章34節)

どうしてこんな祈りができたのでしょう?

イエスは、この祈る対象の人のためにも十字架で死なれたからです。

私は、とてもそういう思いになれないことがありますが、「イエス様が十字架の上で赦しを祈られたように、私も祈ることができるように助けて下さい。」と祈り、そして、「父よ、~さんを・・・」と祈ります。

不思議です。そうすると、相手の態度は変わらないのに、私の心は全く変わってしまって、笑顔で接することができるようになります。

ある場合は、相手の態度が変わることもありますが、変わらないとしても、こちらの心の平安と喜びが奪われないなら、それで十分です。

もう一つの問題は、恐れです。

イエスが教えられた祈りをする時に、その人を愛することに向かっています。

結果、恐れは締め出され、存在できなくなります。

「愛のうちには恐れがありません。(恐怖は存在しません。)かえって十分に成長した(完成した、完全な)愛は恐れを締め出してしまいます。(恐れを全く追放して下さいます。)」(第一ヨハネ4章18節 詳訳聖書訳)

恐れがなくなったら、もう解決したに等しいです。

イエスが教えられた祈りが、あなたの人生を劇的に変えます。

なぜならば、人生の中で起こるほとんどの問題は人間関係に起因しているからです。

人間関係の問題が解決したならば、ほとんどすべての問題を解決したことになります。

恐れず、クヨクヨせず、喜びと平安を持って、この日も生きて参りましょう。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月17日(火)17時33分10秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【914】2017/10/17(火)目が回らない生き方」

毎日、目が回りそうになるくらいに、次から次に仕事が押し寄せて来ます。

自宅に帰っても、メール返信や事務仕事があります。

何もしない時間がないですし、仕事が終わったらそのまま布団に入って、起きたら朝です。

祈り、聖書を読み、神様と深く交わって、神様との確かな絆を持っていないと、自分を見失ってしまいます。

「忙しい」とは、「心亡ぼす」と書きますが、目が回って、何度も自分を見失い、燃え尽きそうになったことがあります。

「暇」の意味は、「継続する動作などの合間に生じるわずかの時間」。

動作と動作の合間のわずかな時間であっても、神様に向かい、神様と触れ合う時間を持ちたいものです。

忙しいと、目が回り、無気力になり、燃え尽き、鬱になり、心が壊れてしまいます。

今日は面白い集会がありました。賛美と祈り、マジック、証、メッセージなどなど。

こういう集会の時間は、私にとって神様に向かうわずかな時間です。

どうぞ、そんなわずかな時間でいいのです。神に向かう時間を取りたいものです。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月17日(火)09時21分45秒
  「Now watching463」

今朝は、韓国の牧師先生たちと祈りと食事の時を持っています。

静かな小雨が降っていますが、温かいくつろぎの時間を過ごしています。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月17日(火)07時21分49秒
  「最高の友達」

あなたがヘマやドジをしても、「大丈夫だよ」と受け止めてくれる友達がいたとしたら、うれしいですよね。

どんなにつらく、悲しくても、「わかるよ」ってなぐさめてくれる友達の存在は、あなたを支えてくれます。

あなたの状況や今の気持ちを一番わかってくれる友達はどこにいるでしょうか?

この友達は、何があってもあなたから離れることがなく、いつも親切にしてくれます。

心が痛み、心から涙が流れる時、そっと抱き寄せ、寄り添ってくれます。

そんな友達がいたら、どんな時にも心強く、頼もしいですよね。

今、そんなあなたの最高の友達を心に迎え入れて下さい。そのお方はイエス・キリストです。

いつくしみ深き(賛美歌312番)

いつくしみ深き 友なるイェスは
罪科(つみとが)憂いを 取り去り給う
心の嘆きを 包まず述べて
などかは下ろさぬ 負える重荷を

いつくしみ深き 友なるイェスは
我らの弱きを 知りて憐れむ
悩み悲しみに 沈めるときも
祈りに応えて 慰め給わん

いつくしみ深き 友なるイェスは
変わらぬ愛もて 導き給う
世の友我らを 捨て去るときも
祈りに応えて 労(いたわ)り給わん

あなたの最高の友達は、「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイの福音書28章20節)と優しく語ってくれています。

ステキな1日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月16日(月)23時00分5秒
編集済
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【913】2017/10/16(月)大好きな仲間たち」

ここ数日涼しく、雨の日が続いているので、心がしっとり穏やかです。

今日は、お昼から来年の大会の実行委員会の集まりがありました。深く語り合い、とても良い時間でした。みんな大好きです。

会議が終わると、路傍伝道の時間が近づいているので、すぐに新宿駅に向かいました。

今日は、新しく女性の牧師先生が一人参加して下さいました。とても嬉しかったです。

また、いつもの素晴らしい仲間たちと一緒に路傍伝道ができて本当に嬉しいです。こんな素晴らしい仲間たちに囲まれて、幸せでいっぱいです。みんな大好きだよ。

今日の新宿は、総選挙東京1区の候補者たちの演説も行われていました。

面白がってはいられませんが、「又吉イエス」という、昔は教会の牧師をしていたのに、(昇格して?)今は、自らを「唯一神」と名乗る人の街頭演説が目の前で熱く演説をしていました。

また、「支持政党なし」という政党?の街頭演説も行われました。

私たちは、競うわけではありませんが、はしゃぎながら、しかし、一生懸命に伝道しました。一時間があっという間でした。

「しかし、聖霊があなたがたに下る時、あなたがたは大きな力を受け、エルサレムからユダヤ全土、そしてサマリヤから地の果てまで、わたしの死と復活を伝える証人となります。」(??使徒の働き? ?1:8?)

伝道後は、私が好きな刀削麺を食べに行きました。

話が盛り上がり、お店のおばちゃんが気さくなので、遠慮なく騒いでしまいました。

一本締めで10時過ぎにお開きにしました。

参加した皆様、お疲れ様でした。そして、それぞれの場所で一生懸命1日を歩んだ皆様、お疲れ様でした。

また明日お会いしましょう。おやすみなさい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月16日(月)06時59分9秒
  「幸せと健康の扉を開くカギ」

ユダヤ教のタルムードには、『世界で一番知恵のある人は学ぶ人であり、世界で一番幸せな人は、感謝しながら生きる人である。』と書かれています。

感謝しながら生きる人は、感謝しないで生きる人より幸せであり、健康です。

体は、感情に敏感に反応するので、感謝しないと不幸になり、病気にかかりやすくなります。

感謝すると、脈拍が安定し、胃腸の働きがよくなり、消化を助けてくれるので気分もさわやかになり、健康になるそうです。

昔の人は、今よりずっと短命でした。平均寿命が50歳を過ぎるようになったのはここ100年のことです。

15世紀~18世紀のフランス人の平均寿命は25歳、19世紀のヨーロッパ人の平均寿命は35歳、20世紀初頭のアメリカ人の平均寿命は45歳だったそうです。

今日、平均70歳~80歳まで生きられることは感謝なことです。しかし、長生きできるだけではなく、健康で長生きできたらもっと素晴らしいです。

アメリカのスタンリー・タンは、事業に成功し、大変なお金持ちになったので、喜んでいました。しかし、1976年に具合が悪いので病院に行ったら、ガンにかかっていて、ステージ3であるということがわかりました。

スタンリーは、良いことは喜んでいましたが、嫌なことには文句を言っていました。しかし、この時から考え方を変えました。

ガンにかかったことも神に感謝しはじめました。

『神様、病気にかかったことも感謝します。病気で死ぬことになっても感謝します。今まで生かされてきたことに感謝します。生きても死んでも、ただ神に感謝致します。』と毎日祈っていると、次第にガン細胞が小さくなり、ガンが治ってしまいました。

これを医学で証明できないかも知れませんが、少なくても、感謝する心が体の免疫力をあげて、ガン細胞を駆除し、死滅させる方向で働いたのでしょう。

全体的に、大きな目で見たら、神がスタンリーのガンをいやして下さったのだと思います。

『彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。』(イザヤ53:3~5)

第二次世界大戦の終戦後、海軍将校の川上喜一さんは、戦争のトラウマで毎日生きるのがつらかったそうです。

喜一とは、『一番喜ぶ』という名前ですが、その名前とは反対に、『一番不満』を言って、毎日まわりの人に当たり散らしていました。

だんだん体が硬直して、動けなくなり、難病にかかってしまいました。

この症状を見た精神科医の藤田先生は、『毎日1万回感謝をしてください』と指導しました。

喜一さんは、毎日、『感謝します』『感謝します』『感謝します』『感謝します』と、ただ口先だけでしたが感謝をし続けていました。いつの間にか、『感謝します』と口で言うのが習慣になり、口癖になっていました。

ある日、息子が柿を2つ持って来てくれました。喜一さんは、心の底から『ありがとう!』と感謝しました。

その頃から、体の調子がよくなり、体の硬直が軟化し、手が動くようになり、完全に健康な体になってしまいました。感謝が健康に関与したことは疑う余地はありません。

アメリカのテキサス州にあるMDアンダーソン・ガンセンターに31年間勤めたキム・イシン博士は、『信仰がガン治療に効果がある』と言いました。

アメリカのある教会の一般の信徒と聖歌隊員それぞれの免疫細胞数を調べてみると、聖歌隊員は、一般信徒に比べて、おおよそ1000倍の免疫細胞があったそうです。

聖歌隊員は、日曜日の礼拝で賛美歌を歌うために、毎日神を賛美し、感謝しながら生きています。そうすることで、ストレスが緩和され、免疫の力を強化させ、体全体のエネルギーが高められて、健康を促進させると、イシン博士は語りました。

アメリカのデューク大学院のハロルド・コーニックとディビッド・ラーソンの2人の医師は、毎週教会に通って神を賛美する人と、教会に通わない人を比べると、教会に通う人は平均7年間長生きするという事実を発見しました。

ジョン・ヘンリー博士は、『感謝は、最高の抗がん剤であり、解毒剤であり、防腐剤である。』と語りました。『風邪薬より優れた効能がある』と言うのです。

もし、今から1分間、感謝し、喜び、笑うと、24時間の免疫システムが構築されるそうです。

反対に、1分間怒ると、6時間分の免疫システムが壊されるそうです。

ユダヤの格言に、『世界で一番愛される人は、すべての人をほめる人であり、一番幸せな人は、感謝する人である。』と言いました。

『感謝』は健康の扉を開く鍵です。しかし、感謝が体を健康にしていく前に、心を幸せにしてくれます。

今日、感謝というカギを使って、幸せと健康の扉を開いて、その扉の向こうの世界に入っていきましょう。

「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。 これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。 」(ペテロの第一の手紙1:8~9)

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。」(テサロニケ人への第一の手紙5:16~18)

素敵な一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月15日(日)13時29分6秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【912】2017/10/15(日)大きなことでは一致を、小さなことでは自由を、すべてのことに愛を」

私の座右の銘があります。アウグスティヌスの言葉ですが、牧師として大切にしている考え方です。

「大きなことでは一致を、小さなことでは自由を、すべてのことに愛を」です。

「大きなことでは一致を」は、「使徒信条」を告白し、「イエスは主、我らの救い主」と語り、「イエスが私の罪のために死なれ、墓に葬られ、3日目によみがえられた」と信じることができることです。

いろいろな宗派があり、教派がありますが、これらで一致できれば、その他の違いは乗り越えられます。

本質的な事柄以外は、寛容でありたいです。それが、「小さなことでは自由を」です。

よく、「超教派」という言葉を耳にしますが、実際は、同じ系統のスタイルを持っていたり、似た者同士で力を合わせているに過ぎないことが大半であるように思います。

譲れないことを譲らないことは大切ですが、それ以外は自由でありたいものです。

最後に、「すべてのことに愛を」です。

「正しさ」と「愛」は両輪のようなものです。

正しさはは大切ですが、それだけならば、非常に厳しい対応になる可能性があります。

正しいと共に、愛を持って関わることが大切です。

このような考え方を、牧師やクリスチャンだけではなく、政治家や、それぞれのリーダーたちも持ってもらいたいです。

今、路傍伝道ネットワークの活動が、平均すると週一回以上あります。

私と真逆なタイプの人がいることを感謝しています。

もちろん、本質部分できるので、何も問題はありません。

そして、すべてのことに愛を持っていくことを大切にしています。

あなたの人生にも、「大きなことでは一致を、小さなことでは自由を、すべてのことに愛を」という考えを持ってみられたらどうですか?

ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月15日(日)07時05分31秒
  「丁度いい忙しさ」

「忙しい、忙しい」と、毎日動き回ってばかりいて疲れていませんか?

反対に、毎日ごろごろしながら、空しい毎日を送っている人はいませんか?

どちらも、本来の人間の生き方から外れています。

聖書には、「六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。」(出エジプト記20章9節~10節)と書かれています。

「忙しい、忙しい」と言いながら、「心を亡ぼして」いる人に必要なのは、「月月火水木金金」ではなく、一週間のうち六日間働いて、七日目に仕事を止めて安息することです。

毎日ごろごろしながら、空しい気持ちで生きている人に必要なのは、七日間休んでばかりいるのではなく、一週間のうち六日間自分に与えられた使命に従って働き、七日目にその仕事を止めて安息することです。

前述の聖句は、「人間の取り扱い説明書」のとても大切な一節です。

アメリカで西部開拓時代にゴールドラッシュがありました。金鉱脈が見つかったという情報を聞いて、一斉にみんなが「我先に!」と馬車に乗って旅に出ました。

長い道のりでした。馬車は壊れたり、倒れたりしました。死んだ馬もたくさんいました。また、到着した人も過労で動けない状態であったり、途中で死んでしまった人もいました。

多くの人が、一日も休まず、ちょっとの休息を取る間も惜しんで、どんどん進み続けました。

そんな中、1番最初に金鉱脈に到着した人たちは、「一週間のうち六日間働いて、七日目に仕事を止めて安息すること」を徹底的に守っていたキリスト教の一派である清教徒たちでした。しかも、ほとんど疲れていませんでした。

清教徒たちは、一週間のうち六日間は前進し、七日目には前進を止めて安息し、神を礼拝しました。また、馬を休ませ、牧草をたくさん与え、水を飲ませました。馬車も点検しました。

しかし、他の人達は、一週間の一日も休まないで前進し続けたのに、やがて疲れによって倒れる人が続出し、馬も倒れ、馬車も車輪が外れたり、修理に多大な時間を要しました。

あなたの人生は、ゴールドラッシュの時に金鉱脈を目指して旅をしている人たちのようです。寝る間を惜しんで働く人は、一時的には成功しているように見えるかも知れません。しかし、ストレスがたまって燃え尽きてしまったり、健康を損ねてしまったりして、途中で息切れしてしまう人が後を絶たないでしょう。一週間のうち一日は安息をしないと、「忙しい、忙しい」と言いながら「心を亡ぼして」しまいます。

反対に、何もしないか、遊んでいるばかりでは、何も得ることはありません。一週間のうち六日間は勤勉に努力し、一生懸命に働くことが大切です。

日曜日、すべての仕事を止めて、神を礼拝するために教会にいらっしゃいませんか?

新宿福興教会HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/
(メッセージを下されば、みなさんの近くの教会を紹介致します。)

素敵な一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月14日(土)21時39分0秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【911】2017/10/14(土)秋葉原で路傍伝道」

もう土曜日だなんて。一週間が早いです。

今日は、初の秋葉原で路傍伝道をしました。

チラシは200枚以上配れたし、10人以上の聴衆が献金もしてくれました。高校生が5人来てくれたのも楽しかったです。

サイゼリヤで夕食を食べています。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月14日(土)15時33分36秒
  「Now watching462」

消防団活動が終わり、昼食を食べ、シャワーを浴びて、淀橋教会での集会に参加しています。とても良い時間を過ごしています。

今晩は、秋葉原駅で路傍伝道をします。雨の降る可能性がありますし、衆議院総選挙の候補者の演説と重なる可能性がありますが、集会で心を備えて参加したいと思います。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月14日(土)12時37分51秒
編集済
  「Now watching461」

朝一番で、消防団員として、近くの小学校での避難訓練に参加しました。

子どもたちに胸部圧迫とAEDの使い方を教えましたが、子どもたちのかわいいこと。元気をもらいました。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月14日(土)07時04分11秒
編集済
  「あなたのストーリーは小説よりも奇なり」

人生の中で、時々、夢中にさせてくれるドラマ、映画、小説と出会うことがあります。心感動し、嫌なことを忘れさせてくれて、明日への希望と勇気がもらえて、多くのことを教えられたりします。

ことわざに、「事実は小説よりも奇なり」という言葉があります。「現実に起こるできごとは、作られた物語の中で起こることよりも不思議で面白い」という意味です。

ふと自分の人生に起こったできごと一つ一つを思い巡らしてみました。

なぜか、『良かった!』と思えることは、案外忘れているんだなーと思います。しかし、つらかったこと、悲しかったこと、悔しかったこと、不安や恐れに縛られるような問題や苦しいできごとは、なかなか忘れられません。思い出すと、その時の感情も一緒によみがえってきて、つらくなることがあります。

次の二つのことをして、両方のバランスを取るようにします。

①良かったことを何度も思い出して感謝する。
②嫌な思い出を教訓としたら、神の手に委ねて忘れる。

部分的に見ると、良かったこととつらかったことがそれぞれありますが、全体を通してみると、ドラマや映画や小説にはるかにまさって、感動的であり、ドラマチックで、すごいストーリーだと驚きます。

①10回くらい、命を落としそうな危険から守られた。
②10回くらい、人生の大ピンチから守られた。
③当時マイナスと思ったできごとが、今プラスに変わっている。

神様は、私たちを決して退屈させるようなお方ではありません。

みなさんも、新しいノートを一冊買って、自分史を書いてみませんか?

きっと、「事実は小説よりも奇なり」という事実に気づき、人生って面白い。人生って素晴らしいと感じられると思います。

「サムエルは一つの石を取り、それをミツパとシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、『ここまで主が私たちを助けてくださった』と言った。」(第一サムエル7章12節)

素晴らしいドラマや映画や小説も良いと思いますが、それに負けるとも劣らないのが、みなさんの人生です。人生を一つ一つ掘り起こして見ると、退屈は逃げ去り、絶望も悲しみも消えていき、神様が私を愛して下さっていることに気づかれると思います。

感謝が湧き上がり、人生に幸せと充実感を感じられるはずです。

今日も素敵な一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月13日(金)17時15分13秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【910】2017/10/13(金)雨の日に備えて」

少し前から、路傍伝道ネットワークの看板を作るために「キャッチフレーズ」を募集して、製作の準備をして来ました。

ところが、看板は意外に値段が高いので、もう少しお金が貯まってからにしようと、棚上げにして来ました。

先日、東京基督教大学の学園祭でブースを出すために、社名版作りをネットワークメンバーにお願いしました。

当日は、原板とカラーコピー4部を受付などに貼り付けました。

今日、仕事の合間に、社名版を眺めながら、ラミネート加工したら、手持ち看板になるのではないかと思い付きました。

大粒の雨の降る中、自転車でキンコーズ(Kinko's)に行って、その場でラミネート加工をしてもらって帰って来ました。

これなら、雨が降って濡れても、風が吹いても大丈夫です。

明日は、雨が降る可能性があるので、雨の日に備えて、雨の日用の献金箱と献金箱の表示の紙のラミネート加工もしてもらいました。

全部入れて約千円。神様が下さったアイデアに感謝しました。

雨の日には、雨の日用のギターもあるのです。雨対策は万全です。

ところで、人生の雨の日の備えは万全ですか?

私は、18歳でクリスチャンになり、20歳で神学校に入学し、26歳で伝道師になり、30歳で牧師になりました。

牧師になる前は、教会の中にいる限り、クリスチャン生活は安泰でした。

教会のリーダーである牧師が、霊的アンブレラ(傘)となって、教会全体を守っていてくれたからです。

牧師になって驚いたことは、悪魔の攻撃や、罪の誘惑、世からの攻撃がダイレクトに浴びせかけられて来ました。

牧師は、親が子を守るように、霊的なアンブレラ(傘)となって、教会員を守る使命があることがわかって来ました。

牧師になる前の私は、生意気にも牧師に対する批判的な心を持ったことがあります。自分が牧師になったら、もっともっと偉大な働きができるに違いないと。

しかし、牧師の働きは、こんなにやりがいのある仕事はありませんが、こんなに、霊的・精神的な意味でストレスを感じる仕事はないのではないかと思うほどです。

この世の中を生きているだけで、人生の雨が降り、嵐がやって来るのです。

神を信じ、祈り、聖書の言葉を心に蓄えて、私たちを押しつぶそうとする人生の雨を防ぎ、力を合わせて、互いを守り、他者を守っていきたいものです。

人を批判することは簡単です。自分を棚に上げた批判はやめるべきです。しかし、自分も同じ弱さや問題を持った人間であることを直視し、認めながら、批判するなら、それは愛です。

共に戦い、共に助け合い、力を合わせて生きて参りましょう。

この後も、ステキな時間でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月13日(金)07時32分40秒
  「あなたの代わりになる人はいない」

自分を好きになれず、まわりの友だちをうらやましがってばかりいる子がいました。

心の中で、顔がきれいな「Aさん」と入れ替わりたいと考えていました。

ある日は、勉強がよくできる「Bさん」と入れ替わりたいと考えました。

違う日には、スポーツがよくできる「Cさん」と入れ替わりたいと考えました。

自分でも好きになれない自分を好きになってくれる人はなかなかいません。友だちもなかなか出来ませんでした。

ある日、トイレの洗面所の鏡で自分の顔を見ました。「あなたは何でそんな変な顔なの? いなくなっちゃえば!!」っと罵倒しました。

その時、心の中に「取り替えたくても取り替えることなんてできっこない。あなたはこの世に2人といないんだから!」という思いが込上がってきました。

突然、胸が熱くなり、自分を粗末に扱ったことが申し訳ない気持ちになり、涙が流れてきました。

この思いを与えてくれたのは神様だと思います。

聖書には、「あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。」(申命記7:6)と書かれています。

あなたも、自分を好きになれなくて苦しんだことはありませんか?

この世の中に、あなたと同じ人はどこにもいません。あなたの代わりはどこにもいないのです。

神はあなたを造り、あなたを宝として見ていて下さっています。

あなたは大切な無二の存在、愛されています。素敵な一日をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月12日(木)13時49分2秒
編集済
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【909】2017/10/12(木)永遠の視点から計算する」

日本のプロテスタント教会の牧師で、フルタイムで伝道をし、牧会に専念している牧師は、全体の3割くらいしかいないと聞いたことがあります。

私は、仕えている教会のほかに、外部のいろいろな奉仕やボランティア活動をしていますが、それらの活動を通して収入を得ているわけではないので、私も3割の牧師の中に入ると思います。

講演や音楽の奉仕で呼んで頂いた時には、お車代+謝礼を頂きますし、消防団は、少額ですが報酬や手当がもらえます。

しかし、そのほかの大会の実行委員、PTA、路傍伝道などを通して、交通費やお弁当が出ることはあっても、全くの奉仕であり、ボランティアです。

一年に一度くらいですが、もし自由に使えるお金があったら、あれを買いたい。こんな家に住みたい。こういう車に乗りたい、などと考えることがあります。

そうしたら、もっとお金になるような仕事のために時間を費やしたらいいのではないかと考えられますが、それは、目先のこの地上だけの視点からの計算です。

お金になるかならないかは関係ありません。神様に仕えているのです。だから、神様の御用をするのみです。

そうすると、神様は必要の一切を与えて、満たして下さいます。

賢さとは、目先のことに囚われず、永遠の視点から見て、考え、生きることだと思います。

この地上での生活は一時的ですが、天国での生活は永遠に続きます。

今日も幸せな一日を過ごしています。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月12日(木)07時29分3秒
  「叱られるうちが花」

誰かから注意を受けて、「叱って頂いてありがとうございます」と、なかなか思えないものです。

注意を受けている理由が納得できなかったり、上から目線の態度にムカっとすることはないでしょうか。

あなたが注意を受けたり、叱られるのは、あなたに可能性があるからです。

私が牧師になる訓練を受けている頃、たくさんの指導を頂きました。その時、自分の全てが否定されているように感じて、つらい気持ちになったことを思い出します。

「菅野君、叱られるうちが花なんだよ。言ってもしょうがいと思う人には叱ることはないんだから!」と言われ、「何言ってんだ。うまいことを言いやがって!」と思わなかったわけではありません。

しかし、後で振り返ってみると、貴重な労力や時間を費やして、「私に見込みがある!」と見込んでくれて、ありがたいなーと思います。

私は、叱られているという事実に傷つき、腹が立ち、叱られている内容に目が向いていませんでした。

怒りは、自分自身を追い詰め、相手との関係を悪化させ、何一ついいことはありません。腹を立てるが負けです。

私たちの人生に起こることはすべて良いことです。何一つマイナスはありません。腹を立て、マイナスと思うからマイナスになってしまうのです。

叱られた内容は、改善の余地があることであり、成長の無限の可能性を示唆しています。感情的に受け止めるよりも、叱られた内容にだけ意識を集中し、その領域を改善していけたら、あなた自身が得します。また、叱ってくれた相手との関係が悪くならないばかりか、良い関係を結ぶことにもつながります。

「すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。」(へブル人への手紙12章11節)

叱られるのも悪くありません。叱られること、注意されることを含めて、人生を楽しんでいきましょう。

今日も素晴らしい一日でありますようにお祈りしています。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月11日(水)17時46分49秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【908】2017/10/11(水)同時進行」

今日は、朝からチラシ折をしました。そういう単純作業はあまり好きではないですが、このチラシを読んで、イエス様を知ってくれる人がいたらいいなーと思ってやっているとやりがいがでます。

昔、ある国でで行われていた拷問に、A地点で水を汲んで、B地点まで運んで水を注ぎ、今度はB地点で水を汲んで、A地点まで運んで水を注ぎます。それをひたすら繰り返すそうです。すべての人が気が狂ってしまうそうです。やる意味も目的もないからです。

しかし、その水を運んだら、誰かのために役に立ったり、喜んでもらえるとしたら、誰も気が狂うことはないはずです。

チラシ折も、意味なくやっていたらどうにかなってしまいますが、チラシは、福音の種まきの種なのです。やる意味や意義があります。

最初は、祈ったり、賛美をしながらやっていましたが、気分転換にiPadでドラマを見たりしました。

しばらくしたら、一緒に伝道をしている友人から電話がかかって来ました。

無料通話なので、時間を気にせずに、何と5時間以上しゃべってしまいました。

その間、チラシ折はとてもはかどりました。

電話しながら単純作業するのは良いですね、飽きることなく、楽しい気持ちで仕事が進みます。

お昼過ぎから、夕方5時過ぎまで、楽しい時間でした。

もう一つ、同時進行でやったら良いことは、祈りながら生活し、祈りながら仕事をし、生活全般を祈りにしてしまうことです。

聖書は、「絶えず祈りなさい。」と語ります。

祈りながら生活をすることで、絶えず祈ることができます。

人と話している時も、仕事をしている時にも、車を運転している時にも、遊んでいる時にも、いつも神様と会話をし、お話をしながら生きることを心がけています。

さながら、天国にいるような喜びと平安に包まれます。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月11日(水)07時45分17秒
  「行為の価値と存在の価値」

自分に自信がない人は、人からちょっと評価されると、舞い上がって得意になりますが、人から評価されないと、がっかりして落ち込んでしまうものです。

自分に自信があるならば、「自分に何ができるのか?何ができないのか?」を客観的に知っていて、それを冷静に受け止め、受け入れることができますので、周囲の評価によってふりまわされることがなくなります。

ものごとをポジティブに考える人は、「自分にできること」を知り、その部分を伸ばそうと努力します。

しかし、自分に自信がある人は、「自分にできること」だけではなく、「自分にできないこと」を知り、その部分を減らそうと努力します。

人間の価値には「2種類」あります。

一つ目は、「何ができるか?できないか?」の「行為の価値」。
二つ目は、「何ができるか?できないか?」と関係ない「存在の価値」です。

私たちの社会は、「存在の価値」はほとんど重要視されません。「何ができるのか?できないのか?」の「行為の価値」で人間の価値が計られます。「行為の価値」だけを考えていたら、「できる」ことは「自信」につながりますが、「できない」ことは、「自信をなくす」ことにつながります。

しかし、私たちを造られた神さまは、「行為の価値」もしっかりと評価されますが、「何ができるか?できないか?」以前に、「存在の価値」を重要視されます。

極端な話、「何ができても、できなくても。あなたがそこにいる」だけで、あなたの価値を高く評価されています。

「存在の価値」は、「行為の価値」に左右されません。

あなたは、自分の「存在の価値」を知っていますか?

「あなたの神、主は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた。(申命記7:6)

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)

神さまは、あなたに対して「存在しているだけで価値ある者」と見て下さっています。

その証拠に、一人子イエス・キリストを、あなたを救うために十字架につけて下さったのです。あなたの価値は、イエス・キリストと同等なのです。

「存在の価値」を受け入れ、「何ができるか?できないか?」を冷静かつ客観的に知り、受け入れながら、「できる」部分を伸ばし、「できない」部分を減らして行けたら、「存在の価値」が、あなたの「行為の価値」をも引き上げて、自分に自信を持って、豊かな人生を生きていけるはずです。

今日も素晴らしい一日でありますように。
 

お知らせ

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月10日(火)21時28分44秒
編集済
  私が関わっている路傍伝道ネットワークの機関紙「路傍伝道新聞」創刊号(全8ページ)が出来上がりました。すでに、TCUのシオン祭でたくさん配布しましたが、今後購読を希望される方は何らかの方法でお届けしたいと思います。

内容は、代表巻頭言、幹事長挨拶、参加者12名の感想、顧問の3人の牧師と1人の弁護士のメッセージやコラムなど、盛りだくさんです。

①路傍伝道の活動に参加した時に手渡す。
②住所を教えて頂けたら郵送させて頂きます。(メールかメッセンジャーで郵便番号と住所、氏名を教えて下さい。sgr_ch@ybb.ne.jp)
③その他
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月10日(火)13時13分47秒
編集済
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【907】2017/10/10(火)シオン祭ブースの裏舞台」

昨日の朝6時50分に大久保駅前で集合し、千葉の印西にある東京基督教大学に向かいました。途中、コンビニに立ち寄って、トイレ休憩を取ったり、朝食を食べたりしました。現地には、8時45分頃に到着し、9時からブースの設営がスタートしました。

学園祭開演の10時の時点では、80%くらいは完成していましたが、まだ少し時間が必要でした。ただ、朝10時に並んで、走って入場してくるような人はいなかったので、ちょうど良かったです。

ステージを作り、その目の前に20畳くらいのブルーシートでアリーナ席を作り、アリーナを囲むように、4人がけの団らん席を3箇所作り、受付、コーヒーとお菓子を並べたテーブル、プロモーションビデオを見れるコーナーを作り、テントを張りました。仕上げには、ホワイトボード一面にチラシを裏表に貼り付け、十字架を3本立てて、いつも使っているのぼり旗を2本立ててブースが完成しました。

シオン祭の出展が決まったのは、つい最近のことで、慌ててチラシと新聞を作り始めました。しかし、チラシと新聞の印刷費用も足りないような状況だったため、Y.Tさんが、チラシ、新聞、プロモーションビデオ、Tシャツ、うちわなどのデザインや製作などをボランティアでやって下さいました。また、テントや小道具を貸して下さいました。次に、Eさんが、コーヒーメーカーとコーヒー200人分を献品して下さいました。Fさんは手作りクッキーを作って持って来て下さいました。さらに、Y.TさんはテレビとDVDプレイヤーを貸して下さいましたし、当日のボランティアスタッフの皆さんをはじめ、多くの人の協力によってブース出展をすることができました。

AM10時半~PM4時半の約6時間、渡せるものは、チラシ、新聞、コーヒーだけなので、立ち寄ってもらえるために、ひたすら、ステージで演奏し、歌い続けました。ただ、メインステージでは、アナウンスが行われたり、コンサートや吹奏楽や講演などのイベントが立て続けに行われていたため、大音量でのコンサートの時には休憩時間とし、その他の時間には、音量を押さえて演奏と歌のコンサート(路傍伝道実演)を行いました。6時間はあっという間でした。

帰りは、みなさんでファミレスに寄って食事をし、簡単な打ち上げを行いました。9時過ぎくらいにみなさん帰宅しました。疲れましたが、とても充実した一日でした。

昨日の一日一シャでは、裏舞台を書く体力がなかったため、基本的には、前向きで、過去を振り返らない主義ですが、昨日の出来事を書き記しました。

ところで、ブースに一番近い場所に車を停めましたが、私の車だけ前進で駐車しました。スタッフがお手伝いの人に「菅野先生の車は、一台だけ前向きに駐車されている車ですよ」と、教えていました。後ろ向きに駐車したら、リアゲートが反対向きになるため、前向きにしたのですが、駐車だけではなく、考え方も、生き方も前向きでありたいと思います。

この後も、ステキな時間をお過ごしください。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月10日(火)06時26分13秒
  「『これさえなければ・・・』のコペルニクス的転回」

「この病気さえなければ~」「あの人さえいなければ~」「借金さえなければ~」と、思い通りに行かないことがあるものです。

そんな時、「これさえなければ幸せなのに!?」と考えてしまうことはないでしょうか?

しかし、そう考えている以上、幸せは永遠にあなたのところにやって来ません。

本当の幸せは、思い通りにいくことではないからです。

人生につらく悲しいことが起こるのは、そのただ中でより素晴らしい何かに出会うために起こるのです。

病気の時、聖書は、「神様があなたの病気をいやして下さる」と約束しています。これは間違いのない事実です。しかし、病気のいやしには、他の種類のいやしもあるのです。

例えば、「徐々に病気がいやされて、健康になる」といういやし、「病気はいやされないけれど、病気にならなかったよりも良い人生を生きられる」といういやしです。

健康で、五体満足なのに、不平不満を並べて生きている人を、あなたも知っているのではないでしょうか。

しかし、病気であり、体に障害を負いながらも、幸せに生きている人もいます。そういう人は多くはないけれど、確実にいます。

クリスチャン作家の三浦綾子さんは、生涯、病気と共に生きた人です。「病気は宝である」と言いました。

クリスチャン詩人・画家の星野富弘さんは、「神様が健康な体に生まれ変わらせてくれるとしても、私はお断りします。なぜならば、今のままで十分幸せだからです」と言いました。

このお二人の話を聞いただけでも、「これさえなければ幸せなのに!?」という考えが間違っていることがわかります。

むしろ、「これがあるから幸せ!」と、考え方を変えましょう。

マンガの「天才バカボン」の口ぐせに、「これでいいのだ!」というのがあります。

「これさえなければ~」と思う出来事に対して、「これでいいのだ!」と語りかけてみてください。

さらに、「これでいいのだ!」から、「これがいいのだ!」と言い換えて下さい。

そして、最上レベルは、「これが最高なのだ!」です。

これは、コペルニクス的転回です。天と地がひっくり返るようなできごとです。

あなたに取って「これさえなければ~」と思っていたものが、「これでいいのだ!」⇒「これがいいのだ!」⇒「これが最高なのだ!」と逆転してしまうんですから。

こうなれば、今まで幸せだった人は言うまでもありませんが、今まで「自分は不幸だ!」と思っていた人ほど、最高の幸せ者になれるのです。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」 (ローマ人への手紙8:28)

良い一日でありますように。
 

楽しい一日

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月 9日(月)19時26分48秒
編集済
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【906】2017/10/9(月・体育の日)あー楽しい一日だった」

今日は、東京基督教大学の学園祭で路傍伝道ネットワークの出展しました。

朝6時50分に東京近辺の皆さんと合流して、車で行きました。

8人乗りの車ですが、シートをたたんで、5人乗車した上で、これでもかとばかりに荷物を満載して出かけました。

帰宅して、皆さんが降車し、荷物の大半を降ろした後には、車が嘘のように軽くなりました。

たくさんのみなさんの協力、献品、尽力により、今日のイベントを無事に終えることができました。

ボランティアスタッフの皆さん、一日本当にありがとうございました。

一言で表現できないくらい楽しく、幸せな一日でした。

来年も行けたらいいなーと、今から楽しみです。

皆さんはどんな一日を過ごされましたか?
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月 9日(月)05時51分34秒
  「傷は相手の心を開くマスターキー」

傷を受けると、「この痛みは誰にもわかってもらえない!?」と思いがちです。

しかし、本当は誰でも同じような傷を経験しているので、みんなわかり合えるはずです。

人はみな、色々な痛みや悲しみを経験し、それを乗り越えながら生きています。

傷を受けると、その分だけ人の痛みを理解できるようになります。

だから、傷を負った人は、人の痛みが理解できるので、相手にそっと寄り添って、共に痛み、心を通わすことができるようになります。

もし、「どうして、私ばかりこんなひどい目に会うの?」と嘆いているとしたら、必ずこの痛みはいやされ、後で笑うことができるようになることを信じて下さい。

神様に祈り、任せて、仕事に集中し、夜になったらぐっすり眠って下さい。

傷は、人と心を通わすために相手の心を開く鍵のようなものです。傷という鍵を持っているならば、もう一人ぼっちではありません。みんな仲間です。

傷という痛みを経験しなければ、人の心を理解することは難しいです。しかし、傷の痛みは、人の心を開くマスターキーです。誰でも、自分の痛みをわかってもらいたいし、寄り添って聞いてもらいたいからです。

「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネの福音書13:34)

痛みを共感し合い、みんな仲良く、楽しく、愛し合って、今日も一日を過ごせたら素敵ですね。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月 8日(日)22時36分58秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【905】2017/10/8(日)神の近くにいることが幸せ」

「私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。」(詩篇73篇28節)

この詩篇の作者の気持ちがよくわかります。心の底からそう思います。

何かがてきるかできないか、成功するかしないか、願った通りになるかならないか、そういったことよりも、神の近くにいるか、神から遠く離れているか、これが私の幸・不幸を決めています。

私の妻は、「日曜日の礼拝の時が最高に幸せ」と言います。

礼拝とは、講演会や音楽会ではありません。また、単なる儀式をするために集まっているのではありません。

神に私自身を捧げて、礼拝すること以外の何物でもありません。

私も、礼拝している時が一番幸せです。だから、日曜日は一番幸せな日です。

次に幸せな日は、路傍伝道をしている時です。

明日は、東京基督教大学の学園祭があり、路傍伝道ネットワークのブースを出すので、前々から準備をして来ましたが、最終準備を致しました。

チラシ、路傍伝道新聞、プロモーションビデオ、一枚だけですが路傍伝道Tシャツ、そして、路傍伝道うちわができました。

ギター三台、キーボード一台、カホン一台、アンプ二つ、テント一つ、のぼり旗二つ、コーヒーメーカーとコーヒー、プロモーションビデオ上映用の19インチのブラウン管テレビとDVDプレイヤー、メガホン三つなどなどを積んだら、5人乗車する以外のスペースはすべていっぱいになりました。

神と共に歩むなら、神の御心が必ずなります。それで十分です。

私が願ったことでも、それが神の御心でないとしたら、実現しない方が良いのです。

朝の礼拝には、遠方からゲストがお二人来られました。夕方の礼拝後には、男性同士で、ネパール焼き鳥とトルコのケバブ丼を食べに行きました。

それから、テントを借りに行き、出来上がったばかりの路傍伝道新聞を取りに行きました。

とにかく、幸せでたまりません。神の近くにいるからです。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月 8日(日)05時41分30秒
  「『病気を自覚した人』と『病気を自覚しない人』」

重病の入院患者に医者が聞いた。「だれか、呼んでほしい人はいないかね?」医者の耳もとに口を寄せて、患者は苦しい息の中から答えた。「ほかの医者を!」

病院に入院していると、患者の立場は弱く、喉元まできても言えない言葉です。

「医者や看護師の機嫌を損ねてしまったら、キチンと治療してもらえなくなってしまうかも知れない!?」。不満を飲み込んで、「お願いします」「お世話になります」「ありがとうございます」と言わざるを得ない場合があります。

私が喘息に入院した時、何度かあんまりひどい処置と対応をする看護師がいたので、致し方なく、内科部長が回診に来てくれた時に相談したことがあります。そうしたら、とびっきり優しく、面倒見のいい看護師が担当してくることになり、幸せな入院の時間を過ごせたことを思い出します。

しかし、これも一歩間違えると、ナースステーションで、「あの患者は、要求が多くて、何にでも文句を言う人だから気をつけてね・・・」と、噂になってしまう可能性もあります。

『イエスは答えて言われた、「健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」』(ルカ5:31~32)

イエスは、世界一の医者です。全幅的な信頼を寄せても何も不安はありません。

上記聖句は、「病人と義人がいて、イエスは病人だけを招くために来た」という内容ではなく、「全ての人は、アダムとエバの罪によって罪人であり、病人なので、医者であるイエスが必要である」という内容です。

しかし、病人でも、自分の病気を自覚していない病人は病院に来ません。病気を自覚した人だけが診察と治療のために病院に来ます。

「病気一つしたことがない人」が、突然亡くなってしまうことがあります。しかし、「病気の総合デパート」と言われながらも長生きする人がいます。

病気があるなら、病気を早期発見し、治療できた人はラッキーです。同じように、自分の罪を早期に自覚し、イエスの元に来られた人は幸いです。

神の目から見たら、全ての人が罪人です。

しかし、「私は人に迷惑をかけていないし、結構いい人だ」と思っている人もいます。日本人は、ある意味、道徳的に優れた人が多く、自分の罪を自覚することが難しい人が多くいます。

聖書が語る罪は「創造者との関係の罪」です。「道徳的罪」や「法律的罪」は、その結果表面化した罪です。

自分を造り、生かし、導き、救って下さる神に背を向け、信じず、ないがしろにして生きていることが「創造者との関係における罪」なのです。

この状態を植物に例えるなら、根が切られた花束のようです。病院に病気の人を見舞う時、「病気が根付く」というメッセージになるので鉢植えは避けて、花束を持って行くことが普通です。花束は、すぐに花瓶に移して、水を入れますが、しばらくすると枯れてしまいます。

人間は罪の結果、花瓶の花のように、しばらく生きたら死んでしまいます。

「私たちの齢は七十年、健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。」(詩篇90:10)

「そこで、主は、『わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう』と仰せられた。」(創世記6:3)

聖書が語る罪は、自覚しにくいですが、その結果は明確です。

「罪の支払う報酬は死である。」(ローマ6:23)

しかし、もう一つの明確な事実があります。(ローマ6:23)の後半にはこう書かれています。

「しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける 永遠のいのちである。」(ローマ6:23)と書かれています。

世界一の医者であるイエスの元に来るならば、永遠の命が与えられます。

あなたは自分の罪がわかりますか? あなたを造られた神から離れているとしたら、それが罪です。

罪を認め、神の一人子イエスの元に来ませんか?

新宿福興教会HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/

どこの教会に行ったらいいのかわからない人は、お近くの教会を紹介致します。

インターネットを通して神さまを礼拝しませんか?

「生放送」〈1)朝10時半~昼12時〈2)夕4時半~6時

① 新宿福興教会HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/
② ニコニコ動画  http://nico.ms/l/co114841
③ ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月 7日(土)21時53分19秒
  「Now watching460」

アメ横が目の前にある「御徒町駅北口」で路上ライブ(路傍伝道)をしました。

約10人で演奏して歌いましたが、はじめて献金箱を置きました。クリスチャン以外の人が献金をしてくれることはないと思いましたが、驚きました。十数人の人が立ち止まり、献金をしてくれました。

目の前を通る人たちと心を通わせることができて心から感謝しました。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月 7日(土)07時54分4秒
編集済
  「丁度イイ加減」

ガンにかかりやすい人は生真面目な人が多いそうです。(今や、国民の二人のうち一人がかかる病気ですので、ガンは誰でもかかる可能性があります)

特に、他人に必要以上に気を使ったり、周りの人から「イイ人」とほめられようとガンバっている人はガンになりやすいそうです。

ストレスがたまり、蓄積されるので、ガンができやすい状態になってしまいます。

人から、何らかのレッテルを貼られると、無意識に、貼られたレッテルの通りを生きようと努力してしまうものです。

私は、クリスチャンであり、牧師です。そこで貼られるレッテルは、優しい人、誠実な人、真面目な人、いい人などです。それに加えて、敬虔な人というレッテルが貼られます。

キリスト教以外の宗教で「敬虔な人」というレッテルを貼ることがあるでしょうか? 敬虔な仏教徒、敬虔な神道などとはあまり言われません。

もし、一般の人が思い描くクリスチャン像や牧師像を演じようとガンバっているとしたら、ストレスがたまって、倒れてしまうでしょう。

私は、クリスチャン像をガンバって演じるのではなく、まず、神様の愛を受け入れ、その愛の中に憩い、どっぷりと浸かります。そうすると、自然に、「神の愛に応えたい」という思いが湧いてきます。その湧き上がった思いを大切にして生きています。

「愛のおのずから起るときまでは、ことさらに呼び起すことも、さますこともしないように。」(雅歌2章7節)と聖書は語ります。

宗教や職業とは関係なくても、「いい人」というレッテルを貼られることもあるでしょう。

「いい人」というレッテルを貼られると、「バカ野郎!」「ふざけんな!」という気持ちになっても、じっとガマンして、いい人を演じてようとガンバってしまうことがあるのではないでしょうか。そのように無理をしてしまうと、ストレスがたまり、ガンにかかりやすくなったり、精神病や様々な病気になってしまうでしょう。

ストレスがたまると、悪いホルモンを分泌したり、活性酸素という遺伝子を傷つける発ガン性の毒物が生成されます。

私は、健康のためにも、「イイ加減」(丁度イイ生き加減)で生きるのがいいと思います。

ただ、「イイ加減」という言葉を聞いて、いいイメージを持つ人はまずいないと思います。

「イイ加減」とは、「でたらめ」「ちゃらんぽらん」「行きあたりばったり」「 無責任」「大ざっぱ」「中途半端」「ぞんざい」「なげやり」など、いい意味で使う言葉ではないからです。

私は、出前牧師でいろいろなところを旅してまわってきました。ある方のお宅で泊めて頂いた時に、お風呂に入らせてもらいました。

お風呂の外から、「湯加減はどうですか?」と聞かれたので、「丁度イイ湯加減です」と答えました。熱くもなく、ぬるくもなく、気持ちのいいお湯だったのでそう答えました。

みなさんのまわりで、「あの人はきっちりしている」「完璧な仕事をする人だ」といわれるような人がいるでしょう。反対に、「あいつはイイ加減なやつだ」といわれる人もいるでしょう。どちらが付き合いやすいでしょうか?

私には、どちらのタイプの友だちもいますが、きっちりして、完全な人と接する時には、少し緊張します。しかし、いい加減な人と接する時には、気が楽ですし、案外楽しいと感じます。人間味があり、ホッとします。

私がススメたいのは、「丁度イイ生き加減」です。やるべき時には、一生懸命に仕事をしたり、励んで生きるけれど、通常は、人間味があり、自分自身が楽でリラックスしていて、他の人を楽でリラックスさせられるような生き方です。

聖書は、丁度イイ生き加減をススメます。

「あなたは正しすぎてはならない。知恵がありすぎてはならない。なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか。悪すぎてもいけない。愚かすぎてもいけない。自分の時が来ないのに、なぜ死のうとするのか。一つをつかみ、もう一つを手放さないがよい。神を恐れる者は、この両方を会得している。」(伝道者の書7章16節~18節)

丁度イイ生き加減で生きられたら、楽しく充実した人生になると思います。

良い週末をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月 6日(金)20時47分58秒
  今、外は土砂降りの雨が降っていますが、明日の午後からは天気が回復して、「御徒町駅北口」の伝道は、気持ちの良い環境でできるのではないかと思います。10月7日(土)夕方6時半に駅前に集合です。

今、明々後日のシオン祭(東京基督教大学の学園祭)の出展ブースのために献品して下さったコーヒー・メーカーとコーヒー一式セットが届きました。愛の心と量の多さに圧倒されています。ベタニアのマリヤが高価な香油の壺を割ってイエス様に注いだ時に、部屋中に香油の香りが満ちたように、部屋中にコーヒーの香ばしい香りで満ちています。当日配布用のチラシも今日届きました。

みなさんの力で路傍伝道ネットワークの働きが行われ、継続していることを思い、今一度神様に感謝を致します。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月 6日(金)20時45分20秒
  シオン祭(東京基督教大学の学園祭)の路傍伝道ネットワークのブースの社名版を、Yちゃんとそのお母さんが作ってくれました。  

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月 6日(金)12時08分54秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【903】2017/10/6(金)人生って不思議だな」

私は、東京生まれ、東京育ちです。海外留学の経験はありますが、日本では東京しか知りません。

沖縄や北海道に住んでいたとしたら、環境も違いますし、出会う人が違いますので、そこから受ける影響を考えると、違う人生を生きていたに違いないと思います。

人生一度限り。私は一人だけ。

何かをするということは、何かをしないということ。

今ここにいるということは、他の場所にはいないということです。

神様がおられ、神様が私を導いて下さっていると信じなかったら、すべては偶然になります。

すべてのことを感謝できる理由は、神様が、私の人生において最善以下はなされないと信頼しているからです。

「あの時、こうすれば良かった」という後悔をやめて、仮に、今はマイナスの状況に置かれているように見えても、最終的には、一番良いことになると信じましょう。

私は、100パーセント神の御心がなると信じています。

人生は不思議です。奥が深いです。

すぐに、良いか、悪いかを見定めないで、一瞬一瞬を楽しんでいきたいですね。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月 6日(金)10時04分56秒
  最近のフィッシングメールは巧妙で狡猾です。添付ファイルを開いたり、リンクに飛んだり、個人情報を入力しないようにお気をつけ下さい。《つぶやき81》  

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月 6日(金)06時27分43秒
  「競争原理を超える競争」

「あの人には負けたくない!?」と、ライバル心を燃やして競う社会に生きながら、多くの人がその競争に疲れているのではないでしょうか?

人と競う以上、勝ち負けがはっきりします。

勝ったとしても、「次は負けるかもしれない?」という不安が付きまといます。

負けたとしたら、「一体、いつになったら勝てるのか?」と、敗北感とあせりを感じます。

これでは心が擦り切れてしまいます。

本当のライバルは、他人ではなく、「過去のあなた」です。今日のあなたが、過去最高のあなただとしたら、あなたは間違いなく勝者です。

もう他人と競うのをやめて、過去のあなたより少しでも成長し、人間性においても、スキルにおいても、実績においても、豊かになれるように磨き続けたらいいのです。

完全燃焼して、「うまくいった!?」と思える日には喜び。「ちょっとうまくいかなかったな!?」と思う日には、自分を寛容に受け入れて、慰め、励まし、包んであげて下さい。

競争原理から解放され、過去の自分より、より良い生き方を目指すという、競争原理を超えた競争に生きる人は、どんな時にも幸せです。晴れの日に感謝し、雨の日に傘をさして自分を励まし、いつも心が豊かです。

そんな豊かな心を持った人は、他の人にも励ましや慰めながら、エールを送れる人になるのです。

競争に疲れた人が多くいます。この社会の中で、あなたの存在が、多くの人の痛みを慰め、渇きを潤し、共に生きていくことができますように。

イエスさまは、弟子のペテロに「わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカの福音書22:32)と語りました。

あなたのために祈っていて下さる方がいます。競争社会の中で、誰でも、疲れ、倒れ、立ち上がれなくなることがあります。しかし、あなたが立ち直ったら、多くの人を力づける人になれるのです。

今日も素晴らしい一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月 5日(木)16時35分42秒
  「みんな、大好きだよ」たまに、そう叫びたくなることがあります。  

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月 5日(木)12時21分10秒
編集済
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【902】2017/10/5(木)きれいに使いたくなる表現」

教会のトイレには、ずっと昔から「トイレをきれいに使って頂き、ありがとうございます。」と貼り出しています。

貼ってと貼らなくても、当然きれいに使います。

しかし、今日改めて、コンビニでトイレをお借りして、「いつもきれいに使っていただき、ありがとうございます。」と張り出されている文字を見て、「きれいに使わなくっちゃ」と心からそう思い、きれいに使わせてもらいました。

肯定的な表現に力があることを痛感しました。

しかも、「トイレを貸していただき、ありがとうございます。」と笑顔で出て来ました。

ちょっとだけですが、良い気持ちになりました。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月 5日(木)06時53分47秒
  「『いい』『悪い』を超えた選択」

私たちは、子供の頃から、物事を「いい」「悪い」のどちらかで判断するように教えられてきました。

内容を吟味するより、「いい」「悪い」の判断を重視すると、悪い方を責めたり、見下したりするようになります。

それが他人なら「非難」に結びつき、自分ならば「自己嫌悪」に陥ります。

あなたは、その人のすべてを知り尽くしているわけでもないのに、見た目や先入観だけで人を判断して、その価値観を相手に押し付け、自分を縛りつけていないでしょうか?

世の中には、「いい」「悪い」だけで判断できないことや、そのままで受け止めた方がいいこともいくらでもあります。

また、あなた自身の中にも、「いい」「悪い」だけで割り切れないことはいくらでもあるのではないでしょうか?

「いい」「悪い」を決めないで、そのまま受け入れるという判断もあるのです。

これからは、今まで見過ごしてきた感情、出来事などを、あるがまま受け入れて、もっと今の現状を楽しみましょう。

「あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。」(ピリピ人への手紙4:4)と聖書は語ります。

今日という一日をもっと楽しんで過ごしていきましょう。

素敵な一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月 4日(水)23時06分29秒
  「Now watching459」

祈祷会で、30分聖書を語り、1時間半大きな声で神様に祈りました。「菅野先生、すごく血色がいいですね 」と言われました。「たくさん祈ったからだと思います」と伝えました。その方は、今日30歳年下のロシア人女性と結婚が決まったそうで、負けず劣らず血色が良いと思いました。参加者一同が最高に良い気分です。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月 4日(水)18時20分52秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【901】2017/10/4(水)大切な七つ道具」

子供の頃、寝る前に親父が「七つ道具」という話をよくしてくれました。

話の中で、いろいろなところに旅をしていると困った状況に遭遇します。その時に、七つ道具が役に立って、境地を乗り越えるというストーリーです。

道具は全部合わせると、七つどころか十個や二十個はあったと思いますが、そんなことはどうでもよかったです。ワクワクするストーリーのお話で、寝る前の時間が楽しみでした。

父は、退職後に伝道師になりましたが、当時は、朝から晩までサラリーマンとして会社勤めをしていました。疲れているのによく付き合ってくれたと思います。

七つ道具の話をしてくれたからか、私は道具が大好きです。

ざっと七つ道具を数え上げてみました。

①携帯(スマホ)
②スケジュール帳
③バイク
④自転車
⑤車
⑥ギター
⑦バック

七つ道具の筆頭に来るのは、①の携帯です。時には、ポケットに携帯を入れて、手ぶらで出かけることもあるほど、これさえあれば事足りてしまうほど、これなしでは生活が成り立たないほどです。

②はスケジュール帳です。私のすべてのスケジュールが書かれています。

何もしない日はまずありません。時間刻み、分刻みで動いていますが、それが可能になるのはスケジュール帳でタイムマネージメントをしているからです。重宝しています。

③のバイクは、そう頻繁には使いませんが、遠過ぎず近過ぎず、かつ、駐車場のないような場所に行く時に役に立ちます。

二人乗りが出来るので、誰かと二人で伝道に出かけたり、おいしいものを食べに行ったり、小回りが利くので都内では、かゆいところに手が届くくらいに便利です。

しかし、ある日のこと、息子と二人で1000円カットに出かけました。床屋の前にバイクを止めてカットが終わって帰ろうとしたら、バイクのハンドルに、駐車違反の紙が張られていました。

カット代は、一人税込み1000円で安いのに、駐車違反で9000円がプラスされたため、日本一とまでは言わなくても、高いカット代になりました。

バイクは、エンジンをかけて走るだけで楽しいですが、遠出したら疲れるし、雨が降れば濡れるし、事故に会えば怪我をするし、今では、歩道などに停めると駐車違反になりますが、使い方次第では、とても便利な乗り物です。

④の自転車。これも案外重宝しています。駅前などを除けば、駐輪場はありますし、歩いて行くには遠いけれど、ほどほどに近い場所に行くにはうってつけです。

しかも、電動自転車のため、坂道や少し遠い場所に行く時にも、バイクか自転車か迷うことがあります。

自転車は、前と後ろに子どもを一人ずつ乗せることが出来るし、一人で乗ったとしても、荷物をたくさん積むことが出来ます。

⑤の車は、私の主な移動手段です。電子キーボードやギターなどの楽器を積んで奉仕をしに出かけたり、来週月曜日は、みんなで東京基督教大学の学園祭の出展のために出かけます。

年に数回は、遠方まで宣教旅行に出かけます。その際には、生活道具ごと積んで出かけます。

私の仕事は、いろいろな荷物を持って出かけるのだ、車が便利です。

⑥のギターは、私の出前牧師の奉仕に欠かせません。

ギターは、持ち運びの出来る世界最小のオーケストラ(ウクレレはもっと小さいですが)です。ギター 一台で、十分音楽活動をすることができます。

私のギターは、Martin D-35です。私には高価な楽器ですが、ある方が、「ぜひ伝道のために使って下さい」と言って献金をして下さいました。

もう10年くらい使っていますが、良いギターは使えば使うほど鳴るようになるし、味わいが出てきます。

最後、⑦のバック。バックはいくつももっています。ギターを入れるバック、ギター用品一式を入れるバック、旅行バック、リュックサック、充電器やコード一式を入れるバック、パソコンを入れるバック、ビジネスバック等、いろいろなバックを使い分けています。

バックには、タブレット、スケジュール帳、筆記用具、名刺、サイフなどを入れて出かけます。

私は牧師なので、忘れてはいけないのが聖書ですが、聖書は携帯の中に入っていまるので、今回は、七つ道具から除外しました。

携帯があれば、電話がかけられるだけではなく、パソコンでやる作業も可能です。また、聖書は入っていますし、説教原稿も入れられます。ギターのチューナーも入っています。

Amazonなどでの買い物もできます。写真を撮ってSNSにアップロードすることもできますし、万能です。

もし欠点をあげるとしたら、充電がすぐになくなるので、予備バッテリーが必要なくらいです。

結論として、道具は道具です。いくら便利な七つ道具があったとしても、それだけで安心ではありません。

絶対不可欠なのは、神ご自身です。

「神に仕え、道具を使え」です。

神に仕える時に、人は本来の人となり、道具は最良の道具となります。

「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言3:5~6)

心を尽くして主に拠り頼み、自分の悟りにたよらず、どんな時にも主を認めるなら、主は、私たちの行く道を真っ直ぐにされ、守られます。

道具に頼るのではなく、お金に頼るのではなく、主に頼り、道具や必要なことにお金は使いましょう。

この後も、素敵な時間でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月 4日(水)07時27分10秒
  「柔軟さとプラス思考の秘訣」

人は誰でも、苦しいことをできるだけ避けて、楽しく過ごしたいものではないでしょうか。しかし、現実にはそうはいきません。

水戸黄門の主題歌に「人生楽ありゃ苦もあるさ」で始まる歌がありありますが、人生には、楽もあるけれど、苦もあります。

「禍福は糾える縄の如し」ということわざは、人生が、禍と幸せが縄のようにより合わされてできていることを教えてくれます。

しかし、現実をどう受け止め、どう見るかで大きく変わってくるものです。

砂漠を旅している時に、水筒の水が半分になりました。「もう半分しかない。どうしよう!」と考えることもできますが、「まだ半分残っている。大丈夫だ!」と考えることもできます。「まだ半分残っている」と考えると、生きる勇気と気力が湧いてきます。

ユダヤのことわざに、「右腕を切られたら、左腕が残っているからいいと思え。左腕も切られたら、足が残っているからいいと思え。両足も切られたら、首を切られないでよかったと思え。・・・」というすさまじい言葉があります。

これらは、単なるプラス思考ではなく、現実を直視した上でのプラス思考です。

小学生になる子どもに、お母さんがこう教えました。「学校に行くようになったら、チャイムが鳴ったら授業が始まり、チャイムがなったら授業が終わるんだよ。遅れちゃダメだよ。」

子どもは、「お母さん違うよ。チャイムが鳴ったら遊べるんだよ。次のチャイムが鳴ったら遊びの時間が終わるんだよ。」といいました。

柔軟に発想を変えることで、まったく違って見えてくるものです。

聖書は、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28)と書かれています。

神がマイナスもプラスもともに働かせて、最終的に、益(プラス)にしてくださるというのです。

みなさんは、きっとプラス思考を持った人だと思います。しかし、現実はそう甘くはありません。単なるプラス思考や楽観主義だけでは乗り切れない時がきます。

現実を直視しながらも、神からのプラス思考がこの世の中を楽しく、強く、充実して生きていく鍵です。

無理やりプラス思考を持ち、無理して楽観的になることではなく、素直に神に祈り、神と交わる中で、つらく、悲しい心が、喜びや、感謝に次第に変えられていくのです。

事あるごとに神に祈り、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを信じて、歩んで参りましょう。素晴らしい一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月 3日(火)18時12分25秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【900】2017/10/3(火)仕事を楽しもう」

もしイヤイヤ仕事をしているとしたら、一種の拷問です。

朝起きるのがつらくなり、一日を乗り越えるだけで精一杯です。

仕事を楽しめないでつらい思いをしている人がいるとしたら、まず第一の選択肢は、転職するか、転職に向けた準備を始めることです。

転職か、転職に向けた決断を、今日か、近い将来することです。

第二の選択肢は、今の仕事に感謝し、仕事を愛し、仕事を楽しむことです。

私は、第二を選択します。

なぜならば、私に与えられた牧師という仕事を天職だと考えているからです。

天職とは、天から与えられた仕事です。そこには、やりがいがあります。

つらいことがないというのではありません。天職ならば、どんな苦しい状況に陥っても、仕事を与えられた神と共に乗り越えていけるはずです。

大切なことは、「天職だ」と受け止めるか、今の仕事が天職でないとさしたら、「天職に転職する」ことです。

天職であるという確信して仕事をしていないと、心から仕事を楽しむことは難しいです。

神と共に歩み、神の導きに従って生きるなら、すべて、天から与えられたものだと受け止められるはずです。

仕事に感謝し、仕事を愛し、仕事を楽しむことがてきたら、人生を楽しめるはずです。

お互いに、そんな人生歩んでいきたいですね。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月 3日(火)07時23分59秒
  「心の傷をいやす秘訣」

あなたは、誰かから傷つけられた時、原因を探して、心の中で自分を責めたり、愚痴を言ったりすることはありませんか?

傷口は広がる一方です。

そうではなく、傷口を包み、いやして、痛みを和らげましょう。

胸の奥からこみ上げてくるやり場のない「悲しみ」「怒り」「悔しさ」「情けなさ」などの感情を受け止め、次に、目を閉じて祈りましょう。

祈りは、あなたの痛みをいやしてくれます。

祈り以外で心の傷をいやす方法は、他の誰かにぶつけることです。

子供を虐待する親の多くは、その親から虐待を受けた過去があります。

いじめっ子の多くは、親からの虐待や他の誰かからいじめられた経験があります。

虐待やいじめによる傷は根が深いので、継続して虐待仕返したり、いじめ返すので、虐待やいじめは、負の遺産として連綿と受け継がれてしまいます。

DV、セクハラ、パワハラなども、やってる本人には正当な理由があっても、無意識の領域では、傷ついた心をいやすために行われることがほとんどです。

心の傷がいやされないと、恨みとなり、誰かにやり返さずにはいられません。そうじゃないと精神的に病んでしまいます。誰かにぶつけ、仕返すことで心の痛みは和らぎます。

有名なドラマ、半沢直樹の「やられたら、やり返す!」という生き方は、旧・産業中央銀行の大和田が融資をストップさせたことによって父親が自殺に追い込まれたと考えて恨み続けたので、その傷をいやし、恨みを晴らすために、半沢はその半生を費やしました。

しかし、復讐したり、誰かにやり返しても、根本的には心はいやされません。やり返した相手から、さらに何倍にふくれ上がって仕返しされたり、そうでなくても、友達がいなくなり孤独になります。ますます心の傷が深まります。

もし、祈りによって、イエスさまに心のやり場のない感情を持っていき、受け止めてもらうならば、あなたの心は、最深部分からいやされていきます。

イエスさまはあなたの身代わりに十字架で死なれました。いくらぶつけても倍返しをしてくることはありません。黙って十字架で受け止め、肉を割き、血を流して死んでくださいます。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイの福音書11:28)と、イエスさまは両手を広げてあなたが来るのを待っておられます。

傷ついた時、自分を責めると傷口が広がります。また、誰か他の人にぶつけても、一時的に痛みは減少しても、やり返されたり、孤独になり、傷口はかえって広がってしまいます。

あなたの心の傷をいやす方法はただ一つ。

今、あなたのどうしようもない、やるせない感情を受け止めて、目をつぶってイエスさまに祈って、その思いのすべてをぶつけていきましょう。やがて心はいやされ、楽になり、喜びでいっぱいになります。

毎日、傷つくことはあっても、その傷をいやし、それを喜びに変えながら生きていけたら、幸せな一日を過ごせます。幸せな人は、決して傷つかない人ではなく、その傷をいやす秘訣を知っている人です。

幸せな一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月 2日(月)14時49分40秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【899】2017/10/2(月)刺があるからこそ幸せ」

ふっと自分の人生を振り返り、見つめ直してみると、「何と幸せなんだろう!」と、改めて思います。

こんなに幸せ過ぎていいんだろう、って思います。叫び声をあげたいです。

ただ、一つの刺があります。それは経済問題です。

牧師になり、教会をゼロからスタートした時、キリスト教の福音派の団体が経済的に三年間支援して下さいました。

しかし、その日以来、教会と伝道の働きだけで経済的に支えられて来ました。

これだけでも、神が生きておられることの証明になるのではないかと思います。

神ご自身が私の主人として、社長として、羊飼いとした、天のお父さまとして、今日まで養って下さいました。

この十六年間、経済的にゆとりがあったことはありませんでした。

だから、精神的に心配し、恐れ、汲々としてしまうことがありました。

しかし、足りなかったことは一度もありませんでした。

本当は、神様に仕えている人を神様が養って下さるのですから、心配無用なのです。

経済問題が、ある意味、唯一の刺です。

しかし、もし経済的にゆとりがあったとしたら、 生活レベルがあがり、贅沢してしまった可能性があります。

また、神に頼らなくなってしまったかも知れません。

刺は、人を謙遜にさせ、自分の弱さ足りなさを思い出させて、神に頼るように仕向けてくれます。

私の幸せの理由は、願った通りにことが進み、人生が順調だからではありません。

事あるごとに、刺が私を指すので、痛いので、神様に頼るようにさせてくれます。

刺があるにもかかわらず幸せなのではなく、刺があるからこそ幸せな人生を生きさせてもらっているのだと思います。

今日は祈祷会に参加していますが、私は、ここ、世界の中心で、「幸せだ!」と叫びたいです。

皆さんはどうですか?

神の愛を知り、神が下さった刺が謙遜にさせ、神に頼らせるならば、競争する必要はありませんが、世界一幸せだとわかるはずです。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月 2日(月)07時55分31秒
  「新しいモノにはない味わいと良さ」

私は地元の消防団に入っています。時々、活動中に無線を使うことがあります。

先日、20年数前のアマチュア無線のQSLカードの写真を載せました。当時、アマチュア無線を趣味としていました。車には、1.9MHzから1200Mhzまで電波の送受信ができました。

毎晩、勉強やバイトを終えてから電波を飛ばすことを楽しみにしていました。休日になると、富士山の五合目などに行って、八木アンテナを設置し、一晩で数百局の方々との交信に成功したこともありました。

現在、アマチュア無線はすたれ、インターネットやスマートフォンに取って代わっています。

ブログや掲示板。mixi・Twitter・facebook・GREEなどのSNS。また、ニコニコ動画・Ustreamなどのライブチャットなどのコミュニケーション・ツールは素晴らしいです。

しかし、無線には、最新のコミュニケーション・ツールにはない面白さがあります。

その面白さを例えるとしたら、車のオートマチック車に対するマニュアル車みたいなものです。

オートマチックは操作が簡単で、初心者でもスムーズな運転ができますし、渋滞にはまっても苦になりません。

マニュアルは、ペダルが一つ多く、よりたくさんの操作が必要になります。オートマ限定免許の人は、マニュアルを運転することもできませんし、マニュアル車を運転したことがない人も多いかも知れません。

マニュアル車は、渋滞にはまったら、帰り道などで疲れ切っている時は特にやりきれません。しかし、マニュアルにしかない楽しさがあります。

現在は、限られた車種でしかマニュアルの車を買うことが難しいので、オートマチックに乗っていますが、せめてものこだわりで、後輪駆動(FR車)に乗っています。昔の前輪駆動(FF車)は、アンダーステアが強く、欠点が目立ちましたが、今はむしろ、前輪駆動車の方が優れているかも知れません。にもかかわらず、後輪駆動にこだわるのは、そこにカーブでの自然なフィーリングや操縦の楽しさがあるからです。

無線の楽しさは、インターネットにはありません。独特な味わいがあります。

どんなモノでも、「新しければいい!」と考える人もいると思いますが、私は、その辺りがミーハーではありません。流行やファッション、カッコ良さで物を選ぶことはしたくないです。人にカッコイイと思われるよりも、自分が満足している方がイイからです。

TVでも、車でも、携帯でも、パソコンでも、まだ使えるのに、あせって新しいものに買い換えるよりも、今あるものを大切に使ったらどうでしょうか?

「ワインと女房は古い方がイイ」と言われますが、今使っているものもそうです。使い慣れ、愛着のあるものを感謝しながら大切に使うと、使い込むほどに新しいものにない味が出てきます。

子供は、「みんが持ってるから私もほしい!」という言い方を時々します。その気持ちは痛いほどわかりますが、私たち大人は、みんなが持っていようがいまいが、本当に自分がほしいものを買い、それを大切に使い続ける考え方、生き方を提唱したいと思います。

最後に、これは、モノとの関係ばかりではなく、人間関係にも同じことが言えます。

自分の家族、配偶者、旧友、親友などの友だちを、利用するためではなく、愛するゆえに大切にしていきましょう。

「愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。」(第一ヨハネ4章7節~8節)

最近、命の通わない人間関係が増えているような気がします。命の通う人間関係を持つ、その秘訣は、自分を創造し、相手の中におられる神との命の関係を、祈りを通して深めていくことです。

みなさんと神との関係、そして、私たちの関係が、命の通う、深い人間関係であることを願います。これからもよろしくお願いします。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月 1日(日)20時18分26秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【898】2017/10/1(日)心も体もリフレッシュ」

今年の夏は、体調が悪くて、トータルすると二週間は安静して過ごしました。

ちょっと外に出だだけでも、体の中が沸騰するように熱くなり、だるくなりました。

ここ最近、秋らしさが深まり、体の調子が良いです。

疲れることはありますが、元気いっぱいです。

特に、日曜日は、神様を礼拝し、教会で信徒の皆さんと交わりをしますので、リフレッシュされ、最高に良い状態になります。

聖書は、週一日休み、神を礼拝することを命じておられます。

どうぞ、その休みと礼拝の時間を大切にして下さい。

お金を稼ぎたくて、週七日間仕事をしていた人が、疲れてマッサージを受けに行ったり、酒を飲みに行ったりなど、気分転換をするための出費がかさんで、週六日間仕事をして、一日休み、神を礼拝する人よりもお金がたまらないという実例を知っています。

週一日休み、神を礼拝する人は、週一度必ずリセットされるので、リフレッシュされて、疲れやストレスを溜め込まないですみます。

そうして来なかった人は、ぜひ、週一日の休みと神を礼拝する習慣を持って下さい。

心も体もリフレッシュされて、月曜日から良いスタートを切れるはずです。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年10月 1日(日)07時15分49秒
  「希望と原動力」

1968年、スウェーデン中南部の村ハーボに生まれ、出生時から両腕がなく、左脚が右脚の半分の長さしかないという重い障害を負っている人がいます。

「レーナ・マリア・クリングヴァル(Lena Maria Klingvall)」さんです。

両親は自分たちの手で普通の子と同じように育てようと努め、彼女は小、中学校とも普通校に学びました。

3歳の時から水泳教室に通い始め、86年、スウェーデン代表として世界障害者水泳選手権に、また翌年にはパリで開催された欧州障害者水泳選手権に出場し、数々のメダルを獲得し、水泳歴のハイライトは88年ソウルパラリンピックへの出場です。

音楽でも幼い頃より秀で、5歳の時教会の聖歌隊に加わり、高校の音楽専攻科から名門ストックホルム音楽大学現代音楽科に入学しました。

1991年に大学を卒業後、本格的に音楽活動を開始した。

全米8州約50ヶ所でコンサートを開催し、日本では92年以来、毎年のように全国各地で多くのコンサートを行なっており、全会場を多くのファンで埋め尽くしています。

彼女のことはマスコミでも紹介され、世界的に注目を浴びる存在となりました。

スウェーデン国営テレビのドキュメンタリー番組「目標に向かって」が高視聴率を記録し、欧州各国で放映された。

日本においては、「ニュースステーション」「徹子の部屋」等で、彼女の歌声と生活が紹介され話題を呼び、98年3月には、長野冬季パラリンピック開会式で熱唱し、さらなる注目を集めました。

年々、世界へ向けて演奏活動の枠を広げており、キリスト教信仰に基づいた彼女の明るく前向きな生き方と澄んだ歌声は、世界中の人々に生きる勇気と希望を与え続けています。

常々私が考えていることは、人に希望を与える説教をしたい。人に希望を与える存在でありたいと願っています。

どんな状況の中にあっても、前に向かって進み続けていきたい。

その力と希望は、イエス・キリストから来ます。

レーナ・マリアさんの原動力は、ここから来ています。

あなたにも、イエス・キリストの愛をあげたい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月30日(土)22時03分21秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【897】2017/9/30(土)う え~の」

今日は、上野で路上ライブ(路傍伝道)をしました。

メンバーが自分の友達を連れて来て、たくさんの仲間が集まって、上野で大暴れしました。

黒人の方々をはじめ、立ち止まって聞いてくれる人がたくさんいて、とても盛り上がりました。

10月9日(月・体育の日)に、東京基督教大学のシオン祭に路傍伝道ネットワークのブースを出しましたが、そこに向けて弾みがつきました。

一人ひとりの仲間に感謝します。立ち止まって聴いてかれた皆さんに感謝します。

お祈りして下さった皆さんに感謝致します。
 

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