投稿者
 メール
  題名 ※管理者の承認後に掲載されます。
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

他のスレッドを探す  スレッド作成


(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月19日(土)21時49分35秒
  「Now watching417」

山手線一周路傍伝道の旅。今日は田端駅でした。

通りかかりの人々の反応が良くてびっくりしました。

たくさんのチラシは受け取ってくれるし、立ち止まってくれますし、「あなたには神が降りて来ている」と絶賛してくれる人たちもいました。

路傍伝道の後には、参加者の皆さんと食事をしました。

今日が土曜日で、明日が日曜日だというのを忘れています。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月19日(土)17時39分2秒
  ピスガの頂に登って、目を上げて西、北、南、東を見よ。あなたのその目でよく見よ。  

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月19日(土)17時07分24秒
  兄のエサウは毛深い人であった。  

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月19日(土)17時02分51秒
  あなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。  

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月19日(土)17時00分3秒
  主よ。私は昼間はずっと物見の塔の上に立ち。  

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月19日(土)16時55分14秒
  神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。  

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月19日(土)16時52分48秒
  主があらしを静めると、波はないだ。  

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月19日(土)16時48分25秒
  生まれてはじめての「便所飯」。お葬式でもらったお弁当をマクドナルドの客席で食べるわけにいかず、トイレでこっそり。場所は微妙だけど、「おいしかった!」。《つぶやき62》
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月19日(土)15時09分52秒
編集済
  「一日一シャ〈謝と謝と赦と写〉【855】 2017/8/19(土) 心の備え ~備えはいかにや~ 」

今日は、消防団の実践訓練の日でしたが、葬儀司式の奉仕が入ったため、葬儀を優先しました。

消防団の実践訓練は、消防団員としての有事への備えです。

葬儀は、純粋に個人の遺族・近親者・関係者の慰めのために行います。

しかし、同時に、身近な人の死の日がいつか来ることへの心の備えになりますし、自分自らの死の日の備えになります。

葬式は、式辞を通して、生と死の神秘と死者の復活を解き明かします。神様をリアルに感じるので、とても恵まれます。

お葬式と火葬の後には、山手線一周路傍伝道の旅の7駅の下見に行きました。

駅によっては、出口が3つも4つもあります。車を停めて、どの出口が人通りが多く、路傍伝道に向いてるかを考えながら視察しました。

神田駅は、①南口 ②西口 ③東口の順。秋葉原駅は、電気街口 ①右 ②左の順。御徒町駅は、①北口(アメ横) ②南口(公園)の順。上野駅は、①不忍口 ②公園口の順。鶯谷駅は、北口がベスト。日暮里駅 ①東口 ②南口の順。西日暮里駅は改札口が1つで、出て右がベスト。

路傍伝道の備えができてよかったです。

今日は、田端駅北口広場で路傍伝道をします。6時半集合です。

私が、時間を見つけては伝道するのは、いつ私の最後の日が来て、神に会うことになってもよいように、与えられた第1の使命を第1にしたいからです。

あなたは、神に会う備えができていますか?

こんな賛美歌があります。

「さばきの日は近づけり」(聖歌635)

1 、裁きの日は近づけり 裁きの日来たらば
正しき者と不義なる者は ことごとく分かたれん
備えはいかにや 裁きの日のために
備えはいかにや 人々よ

2 、輝く日は近づけり 輝く日来たらば
イエスを愛する正しき者は とこしえに喜ばん
備えはいかにや 裁きの日のために
備えはいかにや 人々よ

3 、悲しき日は近づけり 悲しき日来たらば
イエスは宣のたまわん「不義なる者よ去れ我は知らず」と
備えはいかにや 裁きの日のために
備えはいかにや 人々よ

この後も、ステキな時間でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月19日(土)07時08分57秒
  「幸せ」

中国のことわざに、「三日幸せになりたければ結婚しなさい。」というものがあります。

イギリスでは、「一ヶ月だけ幸せでいたいなら、結婚しなさい。」ということわざがあります。

イギリスでは、結婚が「一ヶ月の幸せ」に対し、中国は、「三日の幸せ」とは少し短い気がしますが、新婚旅行の行き帰りで使う成田空港で離婚を決意する「成田離婚」が存在するくらいですから、あながち嘘ではありません。

結婚とは、日を重ねれば重ねるほど幸せを感じることができるものですし、その幸せは一生続くものなのにもったいないです。

ある人は、「美人は3日で飽き、ブスは3日で慣れる。誰と結婚しても同じだ!」と言いました。真意は、「いかに最初の愛で相手を愛し続けるか!」ということだと思います。

聖書は、神との関係において、「あなたは初めの愛から離れてしまった。それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出しなさい。」(黙示録2:4~5)と教えます。

もし結婚の幸せが継続していないとしたら、どこかで初めの愛から離れてしまっているのです。

結婚する二人は、今まで全く違う環境に育ち、赤の他人でした。男女の違いもありますし、違って当たり前です。性格の不一致も起きて当然です。

それを、強引に一致させようとするから問題が出て来るのです。あるがままで相手を受け入れ、許し、愛し続けましょう。

「結婚前は、両目を開きなさい。結婚後は、片目を閉じなさい。」と言われます。

結婚前は、両目を開いて、「この人は自分が一生涯生きて行くのにふさわしい人か」を見定めて、結婚後は、片目を閉じて悪い部分には目をつぶり、片目を開けていい部分に目を向けて行くことが大切です。

多くの場合は、これが逆になっています。結婚前は、「ぽーっ」となって、片目はおろか、両目までもつぶったまま結婚をし、結婚後、我に返って、「しまった!」ということになり、相手を変えようとし、変わらなければ力づくで変えようとして関係が悪くなってしまうのです。

イギリス人は、結婚の幸せが一ヶ月間、中国では、結婚の幸せは三日間ということですが、日本は、そして、あなたはどれくらいでしょうか? どの国の人でも結婚の幸せが終わる日は必ず来ます。しかし、それは恋の終わりです。幸せを恋と一緒に終わらせないでください。

恋には二つの終わり方があります。

一つは、別れるという形で終わり、もう一つは、愛という形に変えることで終わります。後者の形で恋を終わらせ、一生幸せな結婚生活を送れるようにしていけたらいいのです。

恋は「あばたもえくぼ」。愛は「あばたをあばた」として受け入れ、許し、愛すること。そこに結婚の幸せの秘訣があります。

家庭が幸せだったら、人生のほとんどが幸せになるものです。どうぞ、結婚関係を見直し、あり方を考え直していきましょう。

最後に、結婚していない人に寂しい思いを与えてしまう文章だとしたらごめんなさい。

「サザエさん」を見て、「ブルー」な気持ちになってしまう人がいると聞いたことがあります。しかし、人は、相手が幸せに見えるものです。

比較しないで、今の自分自身のままで幸せであることに気づいてください。

結婚してなくても、身近な人との関係を考え、相手の「あばたをあばた」と認め、許し、受け入れ、愛してください。

今日も幸せな一日でありますように。私たちは幸せになるために生まれて来たのですから。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月18日(金)23時16分18秒
編集済
  「Now watching416」

Happiness lies within you.

1
 天の下では、何事にも定まった時期があり、
 すべての営みには時がある。
2
 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
 植えるのに時があり、
 植えた物を引き抜くのに時がある。
3
 殺すのに時があり、いやすのに時がある。
 くずすのに時があり、建てるのに時がある。
4
 泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。
 嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
5
 石を投げ捨てるのに時があり、
 石を集めるのに時がある。
 抱擁するのに時があり、
 抱擁をやめるのに時がある。
6
 捜すのに時があり、失うのに時がある。
 保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
7
 引き裂くのに時があり、
 縫い合わせるのに時がある。
 黙っているのに時があり、話をするのに時がある。
8
 愛するのに時があり、憎むのに時がある。
 戦うのに時があり、和睦するのに時がある。

9
 働く者は労苦して何の益を得よう。
10
私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。
11
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。
12
私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。
13
また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。
14
私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。神がこのことをされたのだ。人は神を恐れなければならない。
15
今あることは、すでにあったこと。これからあることも、すでにあったこと。神は、すでに追い求められたことをこれからも捜し求められる。
16
 さらに私は日の下で、さばきの場に不正があり、正義の場に不正があるのを見た。
17
私は心の中で言った。「神は正しい人も悪者もさばく。そこでは、すべての営みと、すべてのわざには、時があるからだ。」
18
私は心の中で人の子らについて言った。「神は彼らを試み、彼らが獣にすぎないことを、彼らが気づくようにされたのだ。」
19
人の子の結末と獣の結末とは同じ結末だ。これも死ねば、あれも死ぬ。両方とも同じ息を持っている。人は何も獣にまさっていない。すべてはむなしいからだ。
20
みな同じ所に行く。すべてのものはちりから出て、すべてのものはちりに帰る。
21
だれが知っているだろうか。人の子らの霊は上に上り、獣の霊は地の下に降りて行くのを。
22
私は見た。人は、自分の仕事を楽しむよりほかに、何も良いことがないことを。それが人の受ける分であるからだ。だれが、これから後に起こることを人に見せてくれるだろう。

伝道者の書3章1節~22節
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月18日(金)11時25分0秒
  「Now watching415」

「宗教改革500周年大会」前最後のミーティングが行なわれています。涼しいのでお出かけが楽で感謝です。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月18日(金)10時18分12秒
  「一日一シャ〈謝と謝と赦と写〉【854】 2017/8/18(金) 人生の一瞬一瞬の全てが練習」

人生で起こる全てのことは、次に起こる何かの練習ではないかと思います。

夏になり、体調を崩す日が続きました。老いて体力が落ちて、弱っていく練習だったのではないかと思います。

ここ何日か雨が連続して降ったり、涼しい日が続きました。秋や冬の練習だったのではないかと思います。

人生がうまくいくこともあれば、うまくいかないこともあります。これらも、後の日の何かの練習だと思います。

どんな状況の中にあっても感謝し、神に信頼する練習をしています。

天国に行ったら、死も、病気も、悲しみも、涙もなくなり、感謝と礼拝が永遠に続くと聖書は教えてくれます。

『見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。』(ヨハネの黙示録21章3節~4節)

今までに起こったこと、今起こっていること、これから起こること、それら全ては、将来起こることのための練習だと思ったら、無駄なことは何一つないし、全てが感謝ですね。

『「わが子よ。
 主の懲らしめを軽んじてはならない。
 主に責められて弱り果ててはならない。
    主はその愛する者を懲らしめ、
 受け入れるすべての子に、
 むちを加えられるからである。」
訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。』(新約聖書 ヘブル人への手紙12章5節~11節)

この後もステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月18日(金)06時52分45秒
  「人生の修羅場でつかめるもの」

生きていると修羅場を避けて通ることはできません。しかし、そこで何をつかむかでその後の人生が大きく変わります。

聖書は、「Don't worry about anything.」(Philippians 4:6) 「何も思い煩うな」(ピリピ人への手紙4:6)と語ります。

心配はいりません。神さまがあなたの人生を壊してしまうことはありません。

人生の修羅場に直面すると、肩書きや持ち物などの外側にあるものは何も役に立ちません。

本当の自分自身の実力を見せつけられます。

本当の自分を知って、「傲慢」を捨て、「頭(こうべ)を垂れて」神の前に祈る時に、答えが見つかるはずです。

「だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。」(マタイの福音書23:12)

修羅場の中で、あなたを暖かく見守っている方と出会うならば立ち上がることができるはずです。

「主は荒野で、獣のほえる荒地で彼を見つけ、これをいだき、世話をして、ご自分のひとみのように、これを守られた。」(申命記32:10)

今日も素晴らしい一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月17日(木)12時04分25秒
  「一日一シャ〈謝と謝と赦と写〉【853】 2017/8/17(木) 戦いの本質は自分との戦い」

ある方の相談に乗りました。その方は重度のうつ病を患っていて、死にたいくらいに苦しんでおられました。

私の中で、「牧会相談」と「人生相談」と「カウンセリング」はある程度分けています。

「牧会相談」は、この教会の教会員でなくても、洗礼を受けたクリスチャンが対象で、相談の内容を聞いたら、聖書を土台として、祈りながら霊的な解決を目指します。

「人生相談」は、聖書的な解決よりも、現実的、具体的な解決を目指します。

「カウンセリング」は、問題の背後にある精神的な問題の解決を目指します。

それぞれがはっきりと分かれて対応するような場合がありますが、今回のように、重いうつ病を患った人は、いろいろな問題が重なっています。

うつ病の原因が、環境による場合もあります。その場合は、環境を変えたら治ります。

うつ病の原因が、精神的問題による場合があります。その場合は、精神的な傷が原因ですので、受け止め方を変えたり、赦すことなどで快方に向かいます。

うつ病の原因が、霊的問題による場合があります。その場合は、性的罪や偶像崇拝、スピリチャルな交流を通して悪霊に取り付かれているなどが原因なので、悔い改め、悪霊を追い出すなどをすることで解放されます。

うつ病は原因が一つではないので、簡単に解決しません。

また、そのプロセスの中で、相談者である私がうつ病の影響を受けて、うつ病と同じ症状を発病することがあります。

私が元気いっぱいで、聖霊に満たされているなら、うつ病の影響を受けないで、その人格を愛し、その人を快方に導くことができますが(多くの場合は、精神科医・服薬と二人三脚で治療します)、疲れ切っているような時には、霊・魂・体にうつ病の影響をもろに受けてしまいます。

うつ病になったことはありませんが、うつ病の人と深く関わったことが原因で、うつ的症状に陥って、苦しんだことが何度もあります。

そうすると、何もやる気が出なくなりますし、絶望的な気持ちになり、「死にたい」という気分にさえなります。

神様は、うつ病の人の苦しみを理解させるために、うつ病の人が、「助けて下さい!」と来られることを通して、うつ病の人と関わるチャンスを与えてくれました。

うつ的な気持ちになると、説教の準備どころではありません。そんな時には、ひたすら祈り続け、聖書箇所を繰り返し読むことしかできません。

最初は、霊や魂ががんじがらめに縛り付けられていますが、鎖が引きちぎられるのうに、徐々にうつから解放されていきます。

最後は、説教がまとまっていきます。

毎週日曜日に牧師は説教します。聴衆は聞くことで恵まれます。

説教者は、準備の段階ですでに恵まれます。さらに、語ることで恵まれ、その言葉を自分の耳で聞くことで恵まれるので、3倍は恵まれます。

牧師の力はそこにあります。

聖書の言葉が虚しい言葉ではなく、人のあらゆる問題を解決し、あらゆる病をいやす力があることを誰よりも知っているのです。

「雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。」(イザヤ書22:10~11)

上記聖句は、「私(神)が語られた言葉は、必ずその通りになる!」という神ご自身の宣言です。

長年牧師をした人や、長年クリスチャンとして生きている人の信仰は、伊達(単なる飾り)ではありません。

聖書の言葉が真理であることを繰り返し体験しています。

クリスチャンになったばかりの人の方が熱心で、次々に伝道をするので、信仰が強いとように思われがちです。確かにそうかも知れません。

神が問題を解決され方であり、病をいやされる方であると聞いたら、単純にそのままを信じます。

しかし、その単純さや純粋さ、熱心さは、1~2年のうちに消えるものです。

神の考えと人の考え、そして、神の方法と人の方法が違うことを知るからです。

「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。──【主】の御告げ── 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ書55:8~9)

神の考え、神の方法が最善であることは、通常、後になってからわかるものです。

「汝、今知らず。やがて後、悟るべし」(文語訳 ヨハネ13:7)

最初、「神が自分の願った通りのことをしてくれるはずだ!」と信じているので、そうではないと知ると、がっかりし、失望し、単純さ、純粋さ、熱心さは消えていきます。

後から振り返ってみると、自分の思った通りになるより、神がして下さったことが最善だったと知るのです。

信仰の先輩方は、そのことを何度も何度も経験しているので、信仰が岩のように堅く、動じないのです。

最悪と見えるようなことが起こっても、振り返ってみて、「あー、神はあの時私を守って下さった!」「そして、あのピンチを、素晴らしい祝福のチャンスに変えて下さった!」「今ある試練も、あの時、この時のように、神は解決してくださるに違いない!」と思って、神を信頼し、目の前の問題に動じることなく、前進し続けるのです。

私は、クリスチャンになって28年、伝道師になって20年、牧師になって16年が経ちました。

たくさんの奇跡を経験してきましたが、今でも、嵐のような試練を経験します。その時、振り返って、「今まで守って下さった神様だから、この試練の中でも私を支え、守り、乗り越えさせて下さるに違いない!」と、思いを変えて、前進します。

うつ病の方の相談に乗る中で、何もしたくない、何もできないような精神状況になりました。

でも、「神は、ピンチをチャンスに変えて下さる!」と信じました。

1日に何回分もの説教の準備ができるほど絶好調の時もあります。しかし、丸1日準備をしてもまとまらず、正反対の時があります。

ピンチです。そんな時、「今日一日台無しだな!」と諦め、腹立たしくなり、ボロボロになりそうになります。

しかし、まず感謝をし、「大丈夫だ。神様が乗り越えさせて下さる!」と、喜ぶのです。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(第一テサロニケ5:16~18)

やがて説教の準備が終わります。

うつとの戦いだったのではなく、自分との戦いなのです。その戦いに神とを信頼しながら勝利することができました。ハレルヤ!
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月17日(木)07時07分28秒
  「わたしはあなたと共にいる」

予測不能なできごとが起こった時、これまで積み上げて来たものがあと形もなく崩れ落ちてしまうことがあります。

どしゃ降りの雨と嵐に遭って心がずぶぬれになると、怒りがこみ上げ、それは次第に自己嫌悪に変わります。

自信を失い、「こんなはずではなかった!?」と途方にくれてしまうこともあるでしょう。

しかし、あなたは一人ではありません。

ずぶぬれの心を乾かし、水分であなたを潤し、心の栄養になるように一緒にいて下さる方がいます。

人があなたを見捨て、自分で自分を見捨てたくなっても、変わらずあなたと共にいて下さる方がいることを信じてください。

その方に気づいた時、「ずぶぬれの自分も捨てたもんじゃない!」と思えるものです。

「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこに行っても、わたしはあなたを守り・・・あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」(創世記28:15)

今日も「わたしはあなたと共にいる」と言われる方と一緒に歩みましょう。

よい一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月16日(水)16時50分16秒
編集済
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【852】2017/8/16(水) 送迎奉仕に感謝」

三日間の大会の舞台裏奉仕に加え、ゲストの送迎の奉仕を致しました。成田空港を二往復し、ゲストと一緒に食事をしたり、語り合うことができました。これが第一の感謝です。

第二の感謝は、ゲストのみなさんは、山のように荷物を持って来られたので、少しでもたくさんの荷物を積むために、車の掃除をしました。ストリートライブ(路傍伝道)をする一式セットを積んでいるため、車は倉庫状態でした。しかし、これを機会にあまり使わないような荷物を整理することができました。

私がもう若くないのか、舞台裏と送迎の奉仕で神経を使ったためか、疲れきってしまいました。昨日の午前中は、起き上がれませんでした。

しかし、私に与えられた奉仕をさせて頂けたこと、そして、この機会に車を掃除できたことなど、感謝でした。

一週間前までは、安静にして、寝込んでいたのです。神様が元気を下さり、力を下さいました。

最高のお盆休みでした。

この後もステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月16日(水)08時14分18秒
  恐れるな。  

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月16日(水)07時51分6秒
  私は旅人  

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月16日(水)07時49分53秒
  罪のない者はイエス様だけ。  

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月16日(水)04時35分57秒
  「『人に見られている意識』と『神の愛の眼差しで見つめられている意識』」

大ホールでの集会で、カメラマンが会衆にカメラを向けることがあります。不思議なことに、みんな一応に笑顔になるのです。先程までは、ブスーっとしていた人も、大きなあくびをしていた人も、ピンシャンとなります。

数年前のことですが、お笑いタレント「コロッケ」の観劇会の招待券を頂き、妻と2人でいきました。4時間半、笑いあり、涙ありで、あっという間でした。

おもしろかったのは、休憩時間に、隠しカメラを遠隔操作して、観客の様子をアップで大スクリーンに映し出したことです。

あるカップルは、2人でいちゃいちゃしていましたが、自分たちが映し出されていることを知った途端、パッと離れて、何ごともなかったかのようにすましているのです。その反応を見て、観客席からの笑いを誘いました。

次に、女性が男性に、「あーん」と食べ物を食べさせてあげているところが映し出されました。2人は恥ずかしそうにしていました。

さらに、ひたすら鼻クソをほじくっている男性を映し出しました。本人は気づいていませんが、スクリーンを見ている観客は、笑っていいのか困惑しながらも笑っていました。鼻クソのほじくり方がメチャクチャ激しく、最後は、鼻毛抜きまでやっていました。だいぶたってから気づいた本人は、穴があったら入りたかったことでしょう。

コロッケのショーの一つと考えたら何とか許されるのかも知れませんが、主催者は、遊び心いっぱいのいたずらっ子のようでした。

名誉毀損で訴えられないか!?と心配するくらいでした。

人は、誰かに見られているとやたらなことができないものです。しかし、誰も見ていないところでは、その人の本当の姿が出るものです。

クリスチャンは、目に見えない神を信じています。仮に、人が見ていなくても、神はすべてを見ておられ、知っておられます。心の動機までわかられています。神を誤魔化すことはできません。

猫をかぶったり、いい子ちゃんズラをしても、神の目には偽善にしか映りません。

しかし神は、私たちのすべてを知っておられ、同時に、そのすべてを赦し、受け入れ、愛して下さるお方です。誤魔化す必要はありません。ありのままの姿で神様の前に進み出て、神の愛の中で造り変えて頂きたいものです。

「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」(ローマ12:2)

神様にいつも見られていると思ったら、「嫌だなー!」と思う人もいるでしょう。しかし、監視されているのではありません。最愛の対象として見つめられているのです。その愛の視線を感じますか?

神はあなたを愛しています。神の愛の視線があなたをより良い人間に成長させて下さるのです。

素晴らしいい一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月15日(火)13時48分26秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【851】2017/8/15(火) 平和に感謝」

今日8月15日は、第二次世界大戦の終結を記念する「終戦の日」です。

今の日本が平和であることに対して神に感謝をし、二度と戦争が繰り返されないことを願いながら、今日一日を過ごしています。

戦争は、相手あってのこと。日本が平和を願い、不戦の誓いを守り続けたくても、相手の国が攻め込んで来たとしたら、「私たちには憲法九条があるので、私たちは何があっても戦いません」という訳には行きません。

ある意味、日米安保あっての憲法九条なのです。

もし、アメリカが日本を守ってくれなかったとしたら、占領され、植民地にされる可能性もあります。

外交問題は簡単ではないことを感じます。

だからといって、抑止力を持ったからといって安心とは限りません。

神に祈り、神に頼るほかありません。

与えられた平和に感謝するだけだはなく、平和だからこそできることのために生きていきたいと思います。

「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16章15節)
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月15日(火)08時34分20秒
  「『いつか死ぬこと』以外は決まってないんだよ」

今日、この文章を読んで下さる方の中で、「死にたい!」と思っている人がいるかも知れません。

心配しなくても、そう遠くない将来に死ぬ日が来ます。

それより、死ぬ前にできることを考え、やってみませんか?

もし、明日のことを悩んでいるとしたら、あなたの心の望遠レンズを、今の自分にフォーカスして下さい。

「明日のことは思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労はその日だけで十分である。」(マタイの福音書6:34)

次に、あなたの心の望遠レンズを地球全体に向けてみて下さい。

そこには、今日を、今を、必死に生き延びようとしている人がいます。

最後に、「100人の村」のお話で終わりたいと思います。

もし現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで
全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう

その村には…

57人のアジア人
21人のヨーロッパ人
14人の南北アメリカ人
8人のアフリカ人がいます

52人が女性で
48人が男性です

70人が有色人種で
30人が白人

70人がキリスト教以外の人たちで
30人がキリスト教

89人が異性愛者で
11人が同性愛者

6人が全世界の富の59%を所有し
その6人ともがアメリカ国籍

80人は標準以下の居住環境に住み
70人は文字が読めません
50人は栄養失調に苦しみ
1人が瀕死の状態にあり
1人は今生まれようとしています

1人は(そうたった1人)は大学の教育を受け
そして1人だけがコンピューターを所有しています

もしこのように縮小された全体図から 私達の世界を見るなら
相手をあるがままに 受け容れること 自分と違う人を理解すること
そしてそう言う事実を知るための教育がいかに必要かは
火を見るより明らかです

また次のような視点からもじっくり考えて見ましょう

もしあなたが 今朝目が覚めた時 病気でなく健康だなと感じることが出来たなら
…あなたは今週生き残る事のできないであろう100万人の人たちより 恵まれています

もしあなたが戦いの危険や投獄される孤独や獄門の苦悩
あるいは飢えの悲痛を一度も経験したことがないのなら…
あなたは世界の5億人の人たちより恵まれています

もしあなたがしつこく苦しめられることや逮捕拷問
または死の恐怖を感じることなしに 教会のミサに行くことが出来るなら…
あなたは世界の30億人の人たちより恵まれています

もし冷蔵庫に食料があり着る服があり 頭の上に屋根があり寝る場所があるなら…
あなたは世界の75%の人たちより裕福で恵まれています

もし銀行に預金があり お財布にお金があり
家のどこかに小銭が入った入れ物があるなら…
あなたはこの世界の中で最も裕福な上位8%のうちの一人です

もしあなたの両親がともに健在で そして二人がまだ一緒なら
…それはとても稀れなことです

もしこのメッセ-ジを読む事ができるなら あなたはこの瞬間2倍の祝福を受けるでしょう

何故ならあなたの事を思ってこれを伝えている誰かがいて
その上あなた は全く文字の読めない世界中の20億の人々より
ずっと恵まれているからです

昔の人がこう言いました 「我が身から出るものはいずれ我が身に戻り来る」と

お金に執着することなく喜んで働きましょう
かつて一度も傷ついたことがないかのごとく 人を愛しましょう
誰も見ていないかのごとく 自由に踊りましょう
誰も聞いてないかのごとく のびやかに歌いましょう
あたかもここが地上の天国であるかのように 生きていきましょう

このメッセ-ジを人に伝えて下さい そしてその人の一日を照らしてください

※作者不詳 訳 なかのひろみ

今日という新しい一日を最高の一日として迎えていけますように。良い一日をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月14日(月)23時29分42秒
  「Now watching414」

舞台監督に徹しようと思っていましたが、急きょ、アナウンス係とバンドにも参加しました。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月14日(月)14時39分11秒
  「一日一シャ〈謝と謝と赦と写〉【850】 2017/8/14(月) 練られた品性」

「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。」(ローマ5:3~4)

「練られた品性を頂きたい」といつも願っています。

それは、患難を喜び、耐え忍ぶところから来ます。

滝に打たれるような修行ではなく、神を見上げ、神を信じ続けることです。

「この患難はいつまでも続かない!」
「この患難は益になる!」
「神が最善をして下さっている!」

三日間の大会で、制作舞台監督をしています。

一年前の前回の大会の時には、キューシートを作り、細かく時間配分していましたが、タイムテーブル通りにことが進まないので、今回は、フレキシブルに対応することにしました。

そうしたら、前回は、あんなにピリピリしていたのに、舞台袖でドーンとしていることができます。

私は、神様から頂いた練られた品性の賜物だと思っています。

人生は、思い描いた通りに進むとは限りません。むしろ、想定外のことが起こります。

その時、感謝し、神を見上げて、
「この患難はいつまでも続かない!」
「この患難は益になる!」
「神が最善をして下さっている!」
と対応したいものです。

乗られた品性は、その時に養われます。

そして、練られた品性が希望を生み出し、どんな時にも喜びと平安を持って生きていくことができます。

つまり、幸せになれるのです。

これからの生涯、そんな幸せな人生を歩ませて頂きましょう。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月14日(月)07時57分27秒
  「変わらない幸福感」

あなたは幸せですか? それとも、不幸せですか?

どんなに喜びにあふれていても、誰かの何気ない一言で不幸のどん底に突き落とされることがあります。

しかし、赤ちゃんなどを見ていると、泣いたり笑ったりしながら、世界一幸せな顔をしています。

幸せや不幸せは、身に降りかかるできごとで決まるのではありません。そのできごとをどう捉えるか?で決まるのです。

あなたの心が「不幸せだ」と決めなければ、どんなできことも、どんな人の言葉も、あなたを不幸せにすることはできません。

幸せな赤ちゃんは、親の愛の中で安らいでいるから幸せなのです。しかし、親に捨てられたり、親の愛を受けられなかったり、虐待されたりしたとしたら、その赤ちゃんは孤独に打ち震え、不幸せになるはずです。

幸せの秘訣は、あなたの心が、何があっても「幸せだ!」と強がることではなく、あなたを造り、あなたを愛しておられる天のお父さんの愛の中で憩う時に幸せになります。

「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に」(伝道者の書12:1)

あなたの造り主の懐に立ち返る時に、変わらない幸福感に満たされます。今日も、幸せな一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月13日(日)18時41分55秒
編集済
  「一日一シャ〈謝と謝と赦と写〉【849】 2017/8/13(日) 犠牲に伴う祝福」

昨晩は、寝てすぐに目が覚めてしまって、夜通し祈ったり、懸案事項について考えながら過ごしました。

以前は、頻繁に徹夜祈祷をしました。

しかし、翌日の午前中は眠ってしまいました。

これは、本来の徹夜祈祷ではありません。

祈る時間を確保するために、寝る時間を惜しみ、割き、犠牲して祈ることなのです。

そこに無限の祝福が伴います。

徹夜祈祷をし眠いですが、今晩が楽しみです。

二回の説教を終えて、大会の奉仕に来ました。

日曜日に大会奉仕が入るとつらいです。

教会を犠牲にする訳にはいきません。

今回は舞台監督です。穴を開けてしまうのは申し訳なくて心苦しいです。

大会の方がたくさん人が集まりますが、人数の多い少ないが問題なのではなく、私には、教会での働きを優先することが神に対する忠実です。

何かを犠牲にするということはつらいことです。

しかし、神に導かれるままに犠牲をし、選択と集中するところに祝福があると信じます。

この後もステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月13日(日)05時36分37秒
  荒野で恵みを得た。  

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月13日(日)05時32分37秒
  人間をとる漁師  

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月13日(日)05時14分41秒
  「一事が万事!?」

『一事が万事』の意味を辞書で調べると、「一事を見れば、他のすべての事を推察できること」と書かれています。

「一事を見て、万事が推察できる」ことは確かにあります。

しかし、それはあくまでも推測であり、正確とは限りません。「一事が万事」でないこともいくらでもあります

「一つ悪いところがあるから、この人は悪人である」と決め付けていいはずがありません。

誰にでも、「良いところ」も「悪いところ」もあります。

「一度失敗をしてしまったら、私の人生終わった!?」と考えるのはどうでしょうか?

早合点もいいところです。

人生で大きな失敗をしても、仮にそれが、取り返しがつかないようなものであっても、人生はどこからでもやり直せます。それが、聖書が語る福音です。

どんな過去があっても、どんな状況にあっても、どんな苦しみを感じていても、あなたがいる場所から神に祈るなら、そこに救いの手が差し伸ばされます。その手を握るなら、そこから救い出されます。

その時はいつでしょうか? 今です。

聖書は語ります。「今や、恵みの時、今こそ、救いの日。」(コリント第二6:2) と。

今日、教会にいらっしゃいませんか?

新宿福興教会HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/

ネットで生放送しています。「教会HP」「ニコ生」「stickam」から見れます。
「生放送」〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時

☆新宿福興教会HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/
☆ニコニコ動画  http://nico.ms/l/co114841
☆ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor

説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月12日(土)21時36分41秒
  夕暮れには涙宿っても  

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月12日(土)21時29分44秒
  聖句  

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月12日(土)21時09分18秒
編集済
  「一日一シャ〈謝と謝と赦と写〉【848】 2017/8/12(土) クロスカルチャー」

キリスト教の大会は、多くの場合クロスカルチャーで開催します。

エルサレムから始まったキリスト教は、全世界に向けて宣教されました。

肌の色において、白人、黄色人、黒人。国籍、民族、部族など、多種多様です。

その人たちが共生し、力を合わせて何かをする時に、「世界は広いんだなー」と痛感します。

日本人の中で、人間関係で悩んでいる人でも、外国の人たちの中に身を置くと、その悩みが吹っ飛んでしまうことがあります。

私は日本が好きだし、日本に生まれて良かったと心から思いますが、外国人と語り合ったり、一緒に仕事をするのも大好きです。

国際結婚は通常大変ですが、ちょっとクロスカルチャーを体験するのは楽しいと思います。

キリスト教は世界的な宗教なので、毎週クロスカルチャーを体験できます。

日本人で良かったとと思うと同時に、クリスチャンになれて良かったと思います。

真のクロスカルチャーはクロス=十字架から。

与えられた今に感謝しながら、休みたいと思います。

1日奉仕をして体がクタクタですので。

おやすみなさい。また明日。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月12日(土)11時34分52秒
  「Now watching412」

大会のバンドのサウンドチェックが終わり、リハーサル中。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月12日(土)08時01分33秒
  「自分を好きになる秘訣」

「結婚したいんだけど相手が見つからないんです」。

一人の女性が相談に来られました。とても素敵な人なのに、具体的な話になると御破算になってしまうのです。

私は、「自分自身のことを好きですか?」と聞いてみました。

「とんでもありません。私は自分のことが嫌いです」と言われました。

とっさに、「自分でも好きになれない自分と『結婚してください』というのは相手に失礼な話ですね!?」とお話しました。

その人は妙に納得して、「なるほどー。そうかも知れませんね!」と考え込んでおられました。

通常のカウンセラーは、「自分を好きになる努力をして下さい!」と答えると思います。私もそう話すことがありますが、違う話をしました。

「自分を好きになれない原因は、あなたを造られた神から離れているからです。神に立ち返りませんか!?」と話しました。

「神から離れている自分を好きになれないこと」を何かに例えるとしたら、自分の口の中にある唾液を汚いと感じる人はいないと思います。しかし、一旦口から離れた唾液をもう一度飲もうとしたら「汚い!」と感じて、抵抗があると思います。

自分を造られた神から離れた人も、自分をなかなか好きになれません。

今日、自分を好きになれない人は、無理に自分を受容して、好きなろうとしなくてもいいのです。好きになれない原因を探り、その原因を解決したらいいのです。

「あなたは神と和らいで、平安を得るがよい。そうすれば幸福があなたに来るでしょう。」(ヨブ記22章21節)

相談に来られた人は、イエスさまを信じて、神と和解しました。その後、浮き沈みもありましたが、素敵な男性と出会って、今では二児の母親であり、幸せな家庭を築いておられます。

あなたは自分を好きですか?

あなたを造り、あなたを愛しておられる神との和解こそ、自分を好きになる近道です。

素敵な一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月11日(金)20時32分8秒
編集済
  「一日一シャ〈謝と謝と赦と写〉【847】 2017/8/11(金) ピンからキリまで」

どんな世界にも、「ピンからキリまで」、つまり、「上から下まで」のいろいろな質の人がいるものです。

今日は、大会の講師陣のお迎えのために成田空港まで行きました。

お腹が空いているようなので、ホテルに行く前に食事に行きました。

「お寿司は好きですか?」と聞きますと、「YES!」と言うので、お寿司屋さんを探しました。

回転寿司屋に電話してみると、「2、3時間かかります」というので、回転しない、カウンターに座ってその場で握ってもらう寿司屋さんに決めました。

寿司屋に行く途中、和食レストランが目に入ったので、今度は、「いろいろな日本料理が食べられる店と寿司専門店どちらが良いですか?」と聞きました。

答えは、「いろいろな日本料理にTRYしてみたい」というので、和食レストランに行きました。

お店に入ってメニューを広げて見てもらうと、寿司、うなぎ、たこ焼き、しゃぶしゃぶなど、「あれもいい、これもいい」と迷っているので、食べ放題を頼みました。

種類は多く、食べ放題なので量も多いですが、食事の質は、ピンからキリまでのキリのレベルでした。

寿司だけしかないけれど、ピンからキリまでのピンのお寿司屋さんに連れて行ってあげたらよかったと、少し後悔しました。

食べ放題を頼んだのに、旅の疲れがあるので、たくさん食べることはできなかったからです。

食べ放題で目が回っていましたが、しゃぶしゃぶとデザートのアイスは、「Delicious!」と喜んでくれました。

気を取り直して、宿泊するホテルに向かいました。

ホテルに着いて、従業員の接客の姿を見て、感動し、うっとりしてしまいました。

こんな応対をしてもらえたら、疲れが一気に吹き飛ぶなと思いますし、かゆいところに手が届くというか、気がついたら、私も笑顔になっていました。

いろいろなホテルに泊まりましたが、ここのホテルの接客は、ピンからキリのピンのだと思いました。

世の中、下には下がいますが、上には上がいるんだなと思いますした。

寿司専門店か、日本料理をあれこれ食べられるお店か。

そして、ホテルのサービスに触れて、いろいろ考えさせら、教えられた1日でした。

お疲れ様でした。また明日会いましょう!
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月11日(金)08時09分8秒
  「人は支え合いながら生きる」

「人」という字は、2本の縦棒が寄りかかり、支え合っています。一画目の長い縦棒は「神」で、二画目の短い縦棒は「私」や「あなた」象徴しているかのように見えます。

「人」は、目には見えませんが、神に支えられて生きている存在です。

次に、「人間」という字は、「人」の「間」と書きます。人は、人と人との関係の中で生きている存在であって、一人では生きていけないことを思い起こされます。

毎日インターネットで文章を書いて投稿し続けるのは、しんどくなることがないわけではありません。

忙しい仕事の合間を縫って、やっとの思いで文章をアップロードすることもあります。

しかし、読んで下さる方がいるから、励まされて書き続けられるのだと思います。

一人暮らしをした頃、料理を作って食べたいという気持ちになかなかなりませんでした。せいぜいインスタントラーメンに具を入れて、煮込んで食べるくらいで、外食をしたり、お弁当を買ってきて食べていました。

一緒に生活する家族がいると、楽しく一緒に食事をしている姿を想像しながら、腕によりをかけて料理を作ります。

文章も、誰にも読んでもらえなかったら、自分の記憶のためにメモをするとか、箇条書き程度で終わります。

お話、講演も、聞いてくれる人がいるからこそ、一生懸命話しをします。聞いてくれる人がいないのに話すとしたら独り言です。

パソコンがインターネットにつながっていなかったら、単なる、仕事のツールでしかありません。スマートフォンも役に立ちません。

しかし、ネットがつながっていることで、SNS、ブログ、HP、掲示板、チャット、メールなどを通して人格交流ができるので、励まされて、気がついたら夢中になって時間を忘れています。

私たち人間は、神にしっかりと寄りかかり、神に支えられながら生きていき、同時に、人と人との間で、互いに励まし合い、助け合って生きて行きたいものです。

今日もみなさんと心を通わせられてうれしいです。

素敵な一日でありますようにお祈りいたします。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月10日(木)18時50分3秒
  「一日一シャ〈謝と謝と赦と写〉【846】 2017/8/10(木) 夏の日の思い出」

今日、韓国のソウルオンヌリ教会の方々から写真が送られて来ました。

半月前の猛暑日の午前に、新宿駅前でストリートライブ(キリスト教用語で「路傍伝道」)をしました。

東京国際フォーラムで行われた「ラブソナタ」の本大会と、その決起大会の「ゴスペルナイト」で歌われたクワイヤー(聖歌隊)の方々です。

最初に、バスを乗り付けて、教会に来てくれました。ツアーガイドの方を入れて33名の方々と祈祷会をし、ストリートで配るチラシの準備をしました。

約1時間新宿駅前でオーケストラ演奏と歌を歌いました。

一つひとつ懐かしいです。

8月7日の立秋を過ぎると、「残暑見舞い」を送る時期になります。暦の上ではもう秋です。

夏の日の思い出を振り返って、とても懐かしい気持ちに浸っています。

今日も、ある集会でピアノと歌の奉仕をしましたが、あの日、33名の方々と新宿で歌った時も、声が枯れていましたが、ギリギリで「まあ許せる」くらいにまで回復したことを思い出して感謝しています。

心温まる思い出は、明日への活力を与えてくれます。

良い思い出に感謝です。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月10日(木)17時38分32秒
  「Now watching411」

息子が、「一度油そばを食べたい!」というので、バイク二人乗りで油そばを食べに来ました。お腹いっぱいになりました。
 

つぶやき61

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月10日(木)13時28分25秒
編集済
  メッセージ  

聖書の言葉

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月10日(木)11時16分45秒
  青年は幻を見、
老人は夢を見る。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月10日(木)07時38分47秒
  「優先順位」

毎日、やるべき仕事がある人は幸せです。

しかし、優先順位に従って仕事をする必要があります。

みなさんは、どんな優先順位で毎日の生活をしていますか?

私の場合は、

第一は神との関係。
第二は家族との関係。
第三は教会と伝道者としての働き。
第四はボランティア活動。
第五は趣味やレジャーです。

優先順位が決まっていると、迷いがないし、疲れることはありません。

仕事は楽しいものです。自分が必要とされていると満足感がありますので、気がついたら、優先順位が狂ってしまうことがあります。

お葬式の司式、教会員の病気の見舞い、緊急の待ったなしの仕事が入ることもあります。

これは仕方ありません。

しかし、「今から会えますか?」「これから教会に行っていいですか?」「喫茶店に一時間後に来てくれませんか?」というような依頼もあります。

仕事が立ち込んでいる時だと、悩みます。

ここで、優先順位を崩してしまったら、いくら時間があっても足りませんし、体を壊してしまいます。

まずは、神との交わりの時間を持ちます。

「今、何をすべきか?」「何をしなくていいのか!」を祈りと黙想の中で聴きます。

「何をしなくていいのか?」を知り、そのことをしないだけで、仕事は「二分の一」から「十分の一」に減ります。やらなければいけないことから始め、そこに集中すると時間が余ります。

時間が余ったらしめたものです。

消防団やPTAなどのボランティア活動をしたり、趣味に時間を割いたり、家族でレジャーに出かけます。この時間がたまりません(*゚▽゚*)/

私の第一優先は神との交わり、つまり、祈りの時間です。

ある人は、「牧師さん暇ですね。祈りは牧師だからできるんですよ。私たちはサラリーマンとして毎日忙しく働いているので、祈る時間なんて取れないですよ!」と皮肉混じりで言う人がいます。

しかし、そう言う人に限って無駄に忙しくしています。

私は、「祈らないから忙しいのです。まず祈って下さい。そうしたら、ゆとりが生まれ、時間があまりますよ」と伝えます。

あなたはどうですか?

神に祈り、神と交わる時間を第一にしていますか? そう生きているなら、豊かな人生を生きていることになります。

もしそうでないとしたら、今日から、今から始めてみませんか?

あなたの人生を大きく変えるはずです。祝福を祈ります。
 

つぶやき

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月 9日(水)23時37分1秒
  感謝  

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月 9日(水)18時11分18秒
編集済
  「一日一シャ〈謝と謝と赦と写〉【845】 2017/8/9(水) 預けられた人生と命を使わせて頂く」

台風一過の今日は、猛暑になりました。

時々、雨が降りますが、それでも暑いです。

台風は、天然の大掃除の役割をしてくれますが、ちょっとあら療法過ぎて、被害が出てしまっています。

必要なものだと思いますが、ちょうどいい塩梅で台風が来て、海と陸地と上空などを掃除して、かき回してもらえたら感謝ですけどね。

台風被害の一つの原因としては、この地球は、人類の罪が満ちたことで、ノアの時代に壊滅的な被害に遭っていることにあると思います。

それでも地球は美しいですが、聖書よれば、地球誕生から6000年が経過しています。

私の車も、初年度登録から17年、私が中古で購入してから7年が経ち、走行距離は13万キロです。

少しづつ寿命が近づいています。

時々故障して、修理することもあります。

地球も古くなり、最近故障したり、寿命が近づいているように感じます。

だから、近年、地震、竜巻、津波、集中豪雨、火山の噴火などの自然災害が多く起こるのだはないかと思います。

車も、いつか寿命が来るように、この地球も、いつか寿命が来ます。

私たちも、いつか寿命が来ます。

ところで、聖書によるならば、私たちは何一つ所有していないと教えられます。

裸で生まれて、裸で神のもとに帰って行きます。

「私は裸で母の胎から出て来た。
 また、裸で私はかしこに帰ろう。
 主は与え、主は取られる。
 主の御名はほむべきかな。」(ヨブ記1章21節)

「地とそれに満ちているもの、世界とその中に住むものは主のものである。)(詩篇24篇1節)

生きているのではなく、生かされているのです。

私の人生と命をマンションに例えるなら、私は、マンションの管理人のようなものです。

「管理者には、忠実であることが要求されます。」(第1コリント4章2節)

忠実に管理し、私の人生と使わせて頂いて、神の栄光を現し、最高の人生を歩みたいです。

最近、喘息発作が出て、故障気味です。

車が、車検を受けたり、定期点検を受けるように、私も、神様の元で点検と安息の時間を得ています。

まだ完全ではありませんが、今日の夕方から少しづつ動き出します。

今、この時を感謝し、楽しみ、喜び、神様に喜んで頂けるような歩みをしたいです。

弱さを感じるからこそ、他者に対する思いやりが芽生えます。

地震や集中豪雨、台風の被害に遭われた方々に、いやしと慰め、復興がなされますようにお祈りしたいと思います。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月 9日(水)05時52分38秒
  「バイバイ、ウォーリー!」

「案ずるより産むが易し」ということわざがあります。「事前にあれこれ心配するよりも、実際にやってみると案外たやすい」(広辞苑)という意味です。

やるまで心配していたとしても、やってみたら…

①実際はうまく行った。
②ほとんど問題なかった。
③思ったほど悪くはなかった。
④問題はあったが、なんとかなった。

ということがほとんどではないでしょうか。

いくら心配してもキリがありません。心配とは、「不幸や失敗」を期待することであり、引き寄せることです。

「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ4:6~7)と聖書は語ります。

「ウォーリー」(心配・くよくよ)を探して、「ウォーリー」に別れを告げましょう。

聖書は、「Don't worry about anything!」(何も思い煩らうな!)と語ります。心配しないで、勇気を持って一歩踏み出してみましょう。心配・恐れは逃げて行きます。

今日も素晴らしい一日でありますように。God bless you!
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月 8日(火)15時10分13秒
  「一日一シャ〈謝と謝と赦と写〉【847】 2017/8/8(火) 神様からデートに誘っていただいた」

少し振り返ってみると、先月の7月6日私の誕生日、色々な人から祝って頂きました。

心はとてもうれしくて、喜びでいっぱいになりましたが、体は外気温の高さのために、バテて、極度の疲れを感じました。

その翌日から喘息発作が出て、声が枯れ、具合が悪くなりました。

約二週間、具合が悪かったり、また良くなったりを繰り返しました。

次の二週間は、多忙かて、重要な仕事がつまっていました。元気で過ごせました。

元気に過ごした二週間が終わり、先週くらいから喘息発作が出て、喉が枯れ、具合が悪く、仕事を最低限にして、休み休み過ごしています。

昼間に寝てしまうと夜が眠れません。聖書通読をしたり、祈ったり、スケジュール整理したり、このような文章を書いたりしています。

聖書を読んでいる時、神様が私と時間をゆっくり過ごしたいので私を病気にされたのではないかと感じました。忙しいと、仕事をするのとに集中してしまうので、神様に寂しい思いをさせていたと思います。

スケジュール帳を見ると、予定が詰まっています。

しかし、そのスケジュールの中には、私がその場にいなくても、後で報告を受けるだけで良いような会議であったり、お手伝いのような仕事も多くあります。

具合が悪くて、寝込んでいた日には、そのような仕事ばかりの日でした。

しかし、私がいなければいけない仕事、私がいなければ回らない集まりなどがある時には、元気が与えられて、仕事をすることができました。

少し前まで休んでいなければならないくらいでも、行かなければいけない仕事の前には、すっかり元気になっているのてす。

健康に感謝しました。

この1ヶ月のスケジュールを振り返りながら、イメージですが、本当にやるべき仕事以外の時は、恋人を呼び出してデートするように、神様が私をデートに誘い出して下さったのではないかと思います。

病気という形ですが、神様と2人きりの時間は最高です。

ところで、私は以前、こんな批判をされたことがあります。

「自分がステージに立つ時には来るのに、細々とした仕事の時には来てくれない!」

私は、忙しい中でお手伝いをしていたので、その批判に対して、内心腹を立てました。

しかし、そんなことは言われたくないので、可能な限り、雑用のお手伝いにも頻繁に顔を出すようになりました。

その結果、その点に関して批判はされなくなりましたが、もう1人の私から私に、「忙しい。なんとかしてくれよ!」と苦情を言うことがあります。

「段取り八分の仕事二部」と言われます。

可能なら、純粋に仕事だけをしたいですが、二部の仕事のためには、その4倍の八分の段取りが必要です。

30分の説教をするためには、その何倍もの時間を説教の準備が必要です。

だから、仕事だけではなく、その仕事の打ち合わせや準備の時間は大切です。

今回、こじつけではなく、神様が私を具合悪くさせ、デートに誘い出して下さったと思います。

仕事ができなくてつらい時間を過ごしましたが、神様との2人の時間を過ごすと、文句はいつも間にか消えてしまいました。

神様は、さらに、「これくらい休んでも仕事が回っていくだろう。もう少しゆったり過ごして、私ともっとたくさんの時間を過ごそう!」と、私を誘って下さっていると思います。

私の神様は、天のお父様、イエス様、聖霊様の三位一体の神様です。

しかし、イエス様は主の祈りの中で、神に対して、「天のお父様と呼びなさい」と教えられました。

今日は、語呂合わせですが、8月8日「ババの日」です。

天のお父様に思いを向け、ゆったり時間を過ごすことに意識を向けられたらどうでしょうか。

この後も、ステキな時間でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月 8日(火)07時00分35秒
  「砂時計のように、一時に一つずつ」

目の前には頭が痛くなるような事務仕事、大きなプレッシャーのあるイベント仕事、毎週日曜日は教会で説教があります。

それら一つひとつをいっぺんに考え、やろうとしたら、心も体も忙しくなり、大きなストレスで潰れてしまいます。

砂時計をじっくり見たことがあるでしょうか。

砂時計は、上部と下部をつなぐくびれた部分があり、そこをゆっくり、スムーズに砂が通過します。

砂時計の上部はまだ来ない未来、下部は過ぎ去った過去、くびれた部分を現在と考えて、あのように生きたら無理のない生き方ができます。

くびれた部分は、少量の一定量の砂が通過します。

同じように、一時に一つずつ考え、行っていったらどうでしょう。

仮に、明後日に大きな仕事があっても、目の前の今日の仕事だけを考え、そこに集中し、次に、明日の仕事の準備だけを考え、そこに集中します。それが終わってから、明後日の大きな仕事の準備をし、心を備えていくのです。

明後日の大きな仕事のことで頭が一杯になっていたとしたら、目の前の今日の仕事に手がつけられません。明日の仕事の準備も気になります。しかし、時間だけは過ぎていくもの。

結果、何もはかどらず、気持ちばかりが焦って、イライラします。

イライラするとうまくいかないので、人とぶつかって争いになることがあり、ますます悪循環の底なし沼にはまってしまいます。

砂時計のくびれた部分のように、一時に一つずつ行っていくためには、祈ることが最善です。祈ったら、今何に集中し、何を行ったらいいかが見えてくるからです。そして、優先順位が見えてきます。

優先順位に従って、一時に一つずつ、砂時計の砂がゆったりなめらかに落ちていくように生きていきましょう。

それがゆっくり生きているようで、一番効率的な生き方なのです。

「ただ、この一事に励んでいます。」(ピリピ3章13節)
 

聖書の言葉

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月 7日(月)23時30分47秒
  風は己が好む所に吹く  

聖書の言葉

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月 7日(月)22時21分37秒
  大空はみ手の業をしめす  

聖書の言葉

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 8月 7日(月)22時20分6秒
  我山に向かいて目を上ぐ  

/125