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(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月27日(火)14時45分30秒
編集済
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【813】2017/6/27(火) 疲れた時」

時々、無性に疲れてしまうことがあります。それは、考える暇もないくらいに忙しい時ではなく、ほどほどに忙しい時です。

そんな時、どんな場所でも目を閉じて祈り、仮眠するようにしています。

祈り+仮眠がいいのは、祈ることで精神的疲れが取れるからです。

出先で、宿泊施設があるなら、仮眠、お昼寝をします。

バイクでツーリングに行って、お昼ご飯を食べた後に、無性に眠くなることがあります。

そんな時は、ベンチなどで、そのまま仮眠します。

高速道路を車で走っていて、眠くて仕方がなくなることがあります。

パーキングに車をとめて仮眠します。

疲れたら、可能ならですが、祈り、仮眠したら良いと思います。

仮眠といっても、2時間も3時間も寝るのではなく、ほんの15分くらい寝るだけで十分です。

スッキリし、疲れが取れるので、仕事もはかどります。

今日、少し疲れたので、ほんの少しですが仮眠しました。スッキリして、元気になりました。

仮眠は疲れを手っ取り早くとってくれます。

疲れたら、暫しおやすみ下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月27日(火)08時18分30秒
  「Now watching353」

今日の集会のメインは、天野先生のマシンガン機関銃トークだけど痛くないし大笑いの講演、森ゆりさんのゆったりいやしと慰めに満ちた90分コンサート、奥山先生のユーモアセンス溢れるごあいさつ。心が神様の愛で満タンです。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月27日(火)07時58分9秒
  「出会いの祝福」

マルティン・ブーバー(Martin Buber 1878-1965 ユダヤ系宗教哲学者、社会学者)は「人生は出会いで決まる。」と言いました。本当にそうだと思います。

私の人生を変えた最大の出会いは神との出会いです。私の永遠の運命が変わり、人生観が変わり、人生そのものが大きく変わりました。

次に、両親との出会いです。同じ人格であったとしても、他の両親のもとに生まれていたとしたら、全く違った人生を生きていただろうと思います。親子関係は、一番最初の人間関係であり、一生続く関係です。親子関係は人間関係の中で最も人生に影響を与える関係です。

友人・知人・親友、教師との出会いなども人生を変える出会いになる可能性があります。数々の出会いに感謝しています。

忘れてはいけないのは結婚関係です。結婚関係は、基本的に一生涯付き合う関係ですし、おそらく、親と過ごすよりも長い時間共に過ごしますので、誰と結婚するかで人生を大きく変えます。

私に取って大切なのは、教会での人間関係です。神の家族であり、宝です。

最後に、ネット上知り合ったみなさんです。リアルでの人間関係よりももろい面もありますが、また違う面で深い人間関係です。この人間関係があったからこそ、毎日このような文章を投稿するようになりました。

文章を通して今日も心通わせられる友達がいるので、今日も投稿できることに心が踊ります。

願わくは、ネットでの人間関係も、お互いに人生を変える出会いであり、一生涯続く祝福された関係であってほしいと願います。与えられた出会いの祝福に感謝しています。これからもどうぞよろしくお願いします。

出会いは無限にあるように思われることもありますが、本当に大切な出会いは数少ないものです。今ある出会いを大切にして行くことは、人生最大の祝福につながって行くと思います。

「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネの福音書13:34)

ステキな一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月27日(火)00時45分39秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【812】2017/6/26(月) 神からのプレゼント」

神からのプレゼントの第一は、イエス様であり、イエス様を通して与えられた救いと永遠のいのちです。

第二は、私の人生で起こるすべてのことです。

一緒に神学校で学んだ友達が活躍する姿が見れることに感謝です。

神様の導きによって路傍伝道をスタートし、その仲間が次々に与えられて感謝しています。

私の家族、両親、教会の皆さん、出会うすべての人に感謝致します。

マイナスの出来事。気が合わない人。試練等を感謝します。

私の人生で起こったこと、起こることすべてに感謝します。

先日、10分に一度の感謝についてお話ししました。案の定、10分に一度の感謝は続いていませんが、思い出すたびに神様に感謝しています。

聖書は、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(第一テサロニケ5章16節~18節)

ここで語られた「すべてに感謝しなさい」の「すべて」とは何でしょう?

「すべて」です。

すべてのことを感謝しながら、眠りに就きたいと思います。おやすみなさい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月26日(月)23時19分21秒
  「Now watching354」

路傍伝道の仲間たちも多数集会に参加してくれたので、うれしい再会をし、終わった後にお茶をしました。楽しい時間でした。いつもありがとう。そして、おやすみなさい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月26日(月)23時04分53秒
  「Now watching352」

高校生、大学生、そして、プロのクラシックギターリストも一緒にバンドを組んで演奏し、みなさんで一緒に歌いました。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月26日(月)22時58分15秒
  「Now watching351」

ジーザス・ジューン・フェスティバル開演前に、TVのインタビューを受けました。長くしゃべってしまいました。カットされるかな?
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月26日(月)15時17分33秒
編集済
  「Now watching350」

今晩6時半から天野先生のリバイバルメッセージと元NHK歌のお姉さんの90分のヒーリングコンサートがあります。会場は21世紀教会(広尾)です。予約なしで直接来て下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月26日(月)14時26分18秒
  「Now watching349」

日本の総福音化運動の評議員会が持たれています。

時を同じくして、教会防災ネットワークの広域ネットワークの集会が持たれています。こちらにも深く関わっているので参加したいのですが、重なっているため出られず残念です。

良い時間を過ごしています。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月26日(月)14時20分46秒
  「Now watching348」

日本の総福音化運動の評議員会前の執行部会をランチしながら行われています。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月26日(月)08時46分49秒
  「本当に恐れるべきこと」

人が、才能を使わないでうもれさせてしまう原因は、失敗に対する恐怖心からです。

仮に失敗したとしても、ずっと失敗者になってしまう訳ではありません。

失敗を恐れ、傷つくことを恐れて、何もしないとしたら失敗することはありません。挑戦しないからです。

しかし、最も悲しいのは、「やっていれば良かった!?」「もしかしたらできたかもしれない!?」と後で後悔することです。

「やっておいて良かった!」と満足するのと、「すれば良かった!?」と悔しがるのと、どちらがいいでしょう?

選ぶのはあなたです。

「あなたがたはこの山に長くとどまっていた。向きを変えて、出発せよ。」(申命記1:6~7)

今日、そして、今週、今までやろうと思っていたのに、失敗を恐れるあまりしていなかったことに挑戦し、やってみませんか?

素晴らしい一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月25日(日)19時50分34秒
編集済
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【811】2017/6/25(日) 一日一伝」

私は、「一日一伝」、つまり、一日に一人以上に伝道することを心がけています。

しかも、教会の外に出て伝道したいと思っています。

日曜日は、教会に来られる多数の人たちに伝道をしますが、それは関係伝道と言います。

しかし、外に出て行って伝道することは、関係を持っていない人に伝道することです。

イエス様は、「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16章15節)と命じられました。

「関係を持っている人にも、関係を持っていない人にも伝えなさい」です。

東京都議会議員選挙が告示され、選挙戦がスタートしました。

一生懸命に投票を呼びかけています。

「選挙」と「宣教」は少し似ています。

「選挙」は自らへの支持を呼びかけ、「宣教」はイエス様への信仰(支持)を呼びかけることだからです。

私は、この選挙戦以上でイエス様を伝え続けたいです。

教会で説教するのは、毎回命をかけて語っています。伝道もまた然りです。

インターネットを含め、一日たりとも伝道しなかった日はありません。

ここに喜びがあり、私に与えられた使命があるからです。

伝道後に、メンバーと食事をしました。視線が気になるので後ろを見たら、「こんにちは!」とあいさつをされました。

聞くと息子の友達でした。

私は、自分のことを知っている人がいることを忘れて町を歩いていることがありますが、いつも伝道をしていることで、「あの人牧師だよ」と、知って下さっている人がたくさんいます。

イエス様が人々に知られ、有名になってほしいです。

喜びに溢れた日曜日でした。

この後もステキな時間を過ごして下さい。
 

「良いニュース(Good News)と悪いニュース(Bad News)」

 投稿者:菅野直基  投稿日:2017年 6月25日(日)07時44分12秒
  ある日、奥さんがご主人に、「あなたに二つの悪い知らせがあるの・・・。」と打ち明けた。

「何だいお前?」

「実は、お医者さんから言われたの。あなたの余命が3年なんですって・・・」

「そっ、そうだったのか・・・。どおりで、最近、体の調子が悪いと思った・・・。でも、残された時間、最後まで頑張るよ。で、もう一つの悪い知らせって何だい?」

「あなたに伝えるのをすっかり忘れてしまっていて・・・。お医者さんに言われてから、そろそろ3年たつのよ・・・」。

余命の宣告には賛否両論があります。余命を告げられたことで、すっかり元気をなくしてしまって、死期を早めてしまう人もいます。しかし、残された人生を楽しもうと、世界旅行をしたり、今までしたいと思っていたことにチャレンジしたりしているうちに、喜びや笑いがガンを死滅させてしまって、生き続けている人もいます。

あるクリスチャンの人は、脳に腫瘍ができてしまって、「余命半年」と告げられました。あわてて聖書を読み、神に祈るようになりました。

聖書を読んでいたら次の聖句を見つけました。

「まことに、彼(イエス)は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。しかし、私たちは思った。彼は悩まされ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は私たちの罪のために傷つけられ、私たちの不義のために砕かれた。彼(イエス)への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼(イエス)の打ち傷によって、私たちはいやされた。」(イザヤ書 53章4~5節)

「彼(イエス)自身、木にかかって、私たちの罪をその体に負われました。それは私たちが罪に死んで、義に生きるためです。あなたがたは彼の打ち傷によって、いやされたのです。」(ペテロの手紙第1 2章24節)

この人は、聖書の中に「神が健康を与えて下さる!」という約束を見つけ、信じました。毎日祈り続けました。それから数年が経ちましたが、今でも元気に生きています。

「余命宣告」は、人を窮地に追いやります。そこで目を覚まして、何倍もの人生を生きたとしたらとても、良かったことになります。楽しいことをしているうちに病気が治ってしまうこともありますし、神に祈ることで、病気がいやされることもあります。事実を直視できる人には、厳しい内容ですが、プラスになります。

実は、すべての人が「余命宣告」をされているのと同じです。

長い人は100年以上生きますが、平均70~80年。ある人はそんなに長くありません。にもかかわらず、人は自分の死に関してほとんど考えていないのではないでしょうか。

あなたはどうですか。今晩が人生の終わりの時であっても、悔いの最期を迎えられるでしょうか?「私の人生これで良かった!」と言えるでしょうか?

神が与えられる救いには二種類あります。①命の救い ②人生の救い です。

「命の救い」は、来世、つまり、死後に与えられる救いです。復活し、永遠の命が与えられて天国に入ります。

「人生の救い」は、現世で与えられる救いです。

私たちは、いつか必ず死ぬべき存在です。しかし、一回きりの人生を最高に生きられたら、その人の人生は救われていることになります。人生の救いは、人がどう思うかではなく、自分自身が「私の人生これで良かった!」と言える人生を生きているということです。

神は、キリストの十字架と復活を通して、「来世」と「現世」の両方を救って下さいます。

これが「Good News」です。しかし、この「Good News」が「Good News」になるために、「Bad News」を知る必要があります。

聖書は、「あなたは罪人です」と語ります。

この「罪」とは、ギリシャ語で「αμαρτια(ハマルティア)」で「的外れ」という意味です。目に見える悪いことをしたかどうかではなく、本質的な罪の性質、原罪(original sin)を持った存在という意味です。

人は、罪を犯したから罪人なのではありません。原罪を持っているから罪を犯すのです。

だから、罪を犯さない人は一人もいません。人に迷惑をかけないように心がけていたとしても、人は、大なり小なり、必ず罪を犯しており、全てを知っておられる神の前で言い逃れができる人がいません。これが「Bad News」です。

聖書は、「罪の支払う報酬は死である」(ローマ6:23)と語ります。

何だ、聖書は「Bad News」で人を脅かして布教しているのか・・・!と思う人もいるかも知れません。脅かしているのではなく、事実なのです。

死には2種類あります。
体の死
魂の死

肉体の死の後に、神の裁きを受けて、第二の死である魂の死、つまり、地獄に永遠に送られてしまう死があります。絶望的な「Bad News」です。

しかし、ここからが「Good News」のはじまりです。

その罪の刑罰と肉体の死と魂の死と地獄の裁きを、神のひとり子イエス・キリストが十字架で身代わりに引き受け、墓に葬られ、三日後に死人の中から復活されました。このできごとが私の身代わりであったと信じる人は誰でも救われるのです。

もし私が、あのご夫人が余命宣告を死の直前までしなかったように、この「Bad News」と「Good News」を誰にも知らせなかったとしたら、ひどい人です。

私を知っている人なら、死んだ後に神の前に立った時、「菅野直基は、クリスチャンであり、牧師なのに、「Bad News」と「Good News」を知らせてくれなかった。ひどい奴だ!」と言われてしまうことでしょう。

私は、できる限り毎日、この「Bad News」と「Good News」を知らせています。

その時になって、「信じておけば良かった!」と後悔することだけはしてもらいたくありません。どうぞ、チャンスのある今、この「Bad News」と「Good News」を信じ、イエス・キリストの救いを受け取りませんか?

今日は日曜日です。教会では礼拝の集会を行っています。どうぞいらっしゃいませんか? また、インターネットでの録画放送をしています。もし良かったらご覧下さい。

〈1〉朝10時半~12時 〈2〉夕4時半~6時

生放送1(ホーム・ページ) http://www.geocities.jp/sgr_ch/
生放送2(ニコニコ生放送) http://nico.ms/l/co114841
生放送3(スティッカムTV) http://www.stickam.jp/profile/pastor

説教要約 http://pastor.ti-da.net/
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月24日(土)16時02分47秒
編集済
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【810】2017/6/24(土) 神は、車と心の凹みを直して下さる方」

日光からの帰り道、先日、伝道中に付けられた車の傷の見積もりのために、長年親しく付き合っている板金屋さんに行きました。

「税込5万円弱」。

ため息が出ました。

カーコンビニや他の自動車屋(下の写真 65000円)よりも安いし、よくやってくれるお店ですが、やはり高いです。

車の凹みは気になります。心も凹んでしまいそうです。

①それだけのお金を出してまでも直すのか?
②感謝で受け止めるか?
③気にしないのか?

「神様、導いて下さい」と祈りながら自宅に向かっています。

聖書には、神様は陶器師であると書かれています。

神様は、私たちの凹んだ心をなおし、新しくつくりなおして下さるお方てす。

車も直して下さったらいいのに。

以前、同じ場所に突っ込まれて、修理代が浮いた経験がありました。それも祈りの答えであったと信じます。

「陶器師は、粘土で制作中の器を自分の手でこわし、再びそれを陶器師自身の気に入ったほかの器に作り替えた。『イスラエルの家よ。この陶器師のように、わたしがあなたがたにすることができないだろうか。――主の御告げ――見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ、あなたがたも、わたしの手の中にある。』」(エレミヤ18章4節、6節)

気持ちが悶々としていましたが、見積もりを出してもらって、何かホッとしました。

どんなに気持ちが悶々としていても、神様に祈り、問題を聞いて頂いて、委ねるなら、重荷はイエス様の肩に移動し、心は楽になり、平安と喜びがやって来ます。

神様にすべてをゆだねて、今日は少し休みたいと思います。

ゆっくりおやすみ下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月24日(土)12時59分44秒
  「Now watching347」

日光の帰り道に、100円のきのこ汁の量の多さに驚きました。さらに驚いたのは、無料でおかき食べ放題、コーヒーなどの飲料飲み放題。

イエス様は、「受けるよりも与えることは幸いです」と言われましたが、まさにその通りだと思います。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月24日(土)05時50分24秒
  「トゲにも感謝しよう ~我、弱き時に強ければなり~」

新約聖書の13の手紙を書いた「使徒パウロ」は、病気を患っていました。自分の病気を「トゲ」と呼び、常に苦しんでいました。

「私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高ぶることのないように、私を打つための、サタンの使いです。」(第二コリント12:7)

パウロの病気は、「目の病気」か「てんかん」であったと推測できます。それが、福音の伝道をする時に「嘲弄」される原因にならないかと、ひどく心配していました。

「ご承知のとおり、私が最初あなたがたに福音を伝えたのは、私の肉体が弱かったためでした。そして私の肉体には、あなたがたにとって試練となるものがあったのに、あなたがたは軽蔑したり、きらったりしないで、かえって神の御使いのように、またキリスト・イエスご自身であるかのように、私を迎えてくれました。」(ガラテヤ4:13~14)

「パウロ」は、神様に「私の体からトゲを取り除いて下さい」と、三度も強く祈りました。しかし、神様はトゲを取り除く代わりに、「わたしの恵みは、あなたに十分である」と語られました。

神様に祈ったいやしの祈りの答えは、「イエス」ではなく、「ノー」だったのです。

「トゲ」とは何でしょう。命を危険にさらすものではありませんが、ひどい苦痛を与え、しかも、絶えず苦しめるものです。

「パウロ」は、自分の肉体の「トゲ」さえ解決すれば、すべての問題がなくなるだろうと考えたことでしょう。

しかし、神は、「トゲ」を抜くことをお許しになりませんでした。

願ったことがかなえられなかった時に、それにもかかわらず「感謝する」ことが「トゲを感謝」することです。

きれいな「バラの花」を見て、「まあ、きれいな花(*^^*)」と、花だけを見て感謝するのではなく、「バラのトゲ」も含めて感謝することは、成熟した人だけができる「次元の高い感謝」です。

「パウロ」は、「トゲ」が「恵み」であることに気づきました。
① 自分自身を謙遜にさせる
② 神様に信頼させる
③ 結果、強くされる

「ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」(第二コリント12:10)

みなさんに「トゲ」はありますか? 今の苦しい環境。人から言われたキツイ一言。夫や妻、子供、上司や部下、同僚などの存在そのもの。様々な諸問題など。

「この人さえいなければ!?」「こういうことさえなければ!?」と思える「トゲ」があるでしょうか?

「トゲ」とは、あなたを刺して苦しめるすべてのものです。

しかし、「トゲ」のために、神様の前にひざまずき、助けを求め、感謝することができるなら、「パウロ」のように、成熟した人に造り変えるための「神の恵み」となります。

今日、今朝。まず、自分の中に刺さって、チクチクと自分を痛める「トゲ」のために、神の前にひざまずいて祈りましょう。それが感謝に変わった時、「トゲ」は「恵み」となり、あなたを成熟させ、成長させる「祝福」に変わります。

「トゲ」のない人はいません。「トゲ」を、「恵み」や「祝福」に変えるか、「罰」や「呪い」に変えるかは、あなたの祈りにかかっています。今祈って、「トゲ」を「恵み」や「祝福」に変えて頂いて、一日をスタートいたしましょう。祝福がありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月23日(金)21時31分6秒
  「Now watching346」

断食集会は明日まで続きます。とても良い時間を過ごしています。

時間の感覚を失い、天国にいるようです。

「しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。」(第二ペテロ3章8節)
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月23日(金)17時13分33秒
編集済
  「Now watching345」

日光にいても、携帯に情報がリアルタイムに入って来ます。

今奉仕している大会が断食聖会なので、暫し、ネットや世の中からの情報もシャットアウトして、情報断食したいと思っていましたが、一瞬目に留まりました。

回復されることを願い、祈っていましたので、大会の中で、心を痛めつつ小林真央さんが逝去されたお話しに触れさせて頂きました。

有名人であろうが、一般の人(神の目にはみんな特別な人)であろうが、悲しいことには何の違いはありません。

親族・近親者の上に主の慰めがありますようにお祈り致します。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月23日(金)15時58分46秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【808】2017/6/22(木) 『この野郎!』から『わかるよ!』に」

日本人は、あまり自分の感情を表に出さないで、怒りを心の内側に溜め込んでストレスを感じたり、怒りを爆発させてしまったりすることがあります。

「この野郎!」と思うことがあるとしたら、おそらく相手を知らないからです。なぜならば、親しい関係を築いているとしたら、「いいよ、いいよ」と流せてしまうものだからです。

どんなに悪人で、トンデモナイ奴だと思っても、その人の幼少期のトラウマの経験や、暗く悲しい過去を知るならば、「わかるよ!」といってあげられるような気がします。

愛するとは、相手を知ろうとすることであり、知ることです。

愛さないことは、相手を偏見で見て、決めつけて、知ろうとしないことです。

どうしたら相手を知ることができるでしょうか?

神様が私を知っていて下さり、わかっていて下さり、愛して受け入れて下さっていることを知り、受け入れることです。

「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」(ローマ5:6~8)

集会中ですが、神様が私の心に語りかけて下さるので、この文章を仕上げました。

神様が私を愛して下さっていることを知り、互いに愛し合ってほしいと願っておられることを感じました。

感謝でいっぱいです。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月23日(金)10時49分12秒
  「Now watching344」

日光の自然の中でリラックスしています。いつも人に囲まれていますが、たまには自然の中に身を置くことが大切ですね。

「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。」(詩篇19章1節)
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月23日(金)05時29分34秒
  「人生いばらの道にもかかわらず宴会」

「人生いばらの道にもかかわらず宴会」。この言葉は、医学博士であり、順天堂大学医学部病理学教授の「樋野興夫医師」の言葉です。

ガンにかかって、肉体的・精神的苦痛を抱え、試練に遭っている人がいます。人が死の恐怖に直面した時に、一体何を支えにして生きて行ったらいいのでしょうか?

ガンへの疑問や不安に答えるカウンセリングとして、「ガン哲学外来」が一つの病院の外来として治療が行われています。

今や、国民の2人に1人がガンにかかると言われています。とても大切な治療です。

ガンという「いばらの道」を、その正反対の「宴会」に変えることなどできるのでしょうか?

樋野医師は、「こうしたらいい!」と教えるのではなく、患者の言葉に耳を傾けながら、一緒に答えを考え、答えを出して行きます。

世の中には、傾聴したり、共感したり、寄り添うよりも、すぐに教え、共感しないで、すぐに経験や知識に基づいて答えを出してしまう医師や教師が案外多くいます。

10人が同じような悩みを持っていても、10人共、その答えは違うのです。いや、答えは共通している部分が多くあっても、そこに至るまでの道筋がみんな違います。

聖書には、イエス・キリストが問題を抱えた人や病人のもとに行かれたり、反対に、連れて来られる記事が出ています。

キリストは、「私に何をしてほしいのか?」と聞かれることもありました。しかし、ある時は目に泥を塗って、「シロアムの池で洗って来なさい」と言われたこともありました。

みんなに同じように関わって、問題解決や病気のいやしを行ったのではなく、一人一人に耳を傾け、共感し、寄り添いながら、その人にとって一番いい方法で関わられました。

樋野医師はクリスチャンですが、公の病院の中で、キリストという言葉を使わず、「ガン哲学外来」として、キリストの心で、キリストのように人々に寄り添い、治療に携わっています。

その時、ガンという肉体的にも、精神的にも「いばら」の道を歩いている人が、「がんばらないけど、あきらめない心」が湧き上がり、「ガン」を忘れ、「今を感謝」し、さながら「宴会」のような人生を歩み出します。

しかし、この「いばら」の道はガンだけではなく、人生の中にある数々の苦しみや悲しみ、問題が「いばら」です。私たちは、その「いばら」の道を歩いて行かなければいけません。

今日、あなたの人生の「いばら」の道を一緒に歩いて下さる方がいます。

その方と出会い、その方と一緒に、今日も自分に与えられ、あなたの目の前にある「いばらの道」を歩いて行きましょう。

最後に、一つの詩を紹介します。
題名は「FOOTPRINTS IN THE SAND(砂の上の足跡)」です。

One night a man had a dream.
ある晩、男が夢をみていた。

He dreamed he was walking along the beach with the LORD.
夢の中で彼は、神と並んで浜辺を歩いているのだった。

Across the sky flashed scenes from his life.
そして空の向こうには、彼のこれまでの人生が映し出されては消えていった。

For each scene, he noticed two sets of footprints in the sand: one belonging to him, and the other to the LORD.
どの場面でも、砂の上にはふたりの足跡が残されていた。 ひとつは彼自身のもの、もうひとつは神のものだった。

When the last scene of his life flashed before him, he looked back at the footprints in the sand.
人生のつい先ほどの場面が目の前から消えていくと、彼はふりかえり、砂の上の足跡を眺めた。

He noticed that many times along the path of his life there was only one set of footprints.
すると彼の人生の道程には、ひとりの足跡しか残っていない場所が、いくつもあるのだった。

He also noticed that it happened at the very lowest and saddest times of his life.
しかもそれは、彼の人生の中でも、特につらく、悲しいときに起きているのだった。

This really bothered him and he questioned the LORD about it.
すっかり悩んでしまった彼は、神にそのことをたずねてみた。

"LORD, You said that once I decided to follow you, You would walk with me all the way.
「神よ、私があなたに従って生きると決めたとき、あなたはずっと私とともに歩いてくださるとおっしゃられた。

But I have noticed that during the most troublesome times of my life, there is only one set of footprints.
しかし、私の人生のもっとも困難なときには、いつもひとりの足跡しか残っていないではありませんか。

I don't understand why when I needed You most You would leave me."
私が一番にあなたを必要としたときに、なぜあなたは私を見捨てられたのですか」

The LORD replied, "My son, My precious child, I love you and I would never leave you.
神は答えられた。 「わが子よ。 私の大切な子供よ。 私はあなたを愛している。 私はあなたを見捨てはしない。

During your times of trial and suffering, when you see only one set of footprints, it was then that I carried you.
あなたの試練と苦しみのときに、ひとりの足跡しか残されていないのは、その時はわたしがあなたを背負って歩いていたのだ」

「心に楽しみのある人には毎日が宴会である。」(箴言15章15節)

気がついたら、「いばら」の道が、さながら「宴会」のような喜びと楽しさに満ち溢れた人生に変わっていることでしょう。

それぞれの場所で、「人生いばらの道にもかかわらず宴会」を開いて行きましょう。

心から神さまの祝福をお祈り致します。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月22日(木)23時21分7秒
編集済
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【808】2017/6/22(木) 10分に一度の感謝」

約一年前の話ですが、友人が、やたら機嫌がいいので、「何かあったの?」聞いてみました。

ある集会で「10分に一度感謝をしなさい!」と教えられたので、早速実践しているのだそうです。

「言うは易く行うは難し」ということわざがありますが、まさに、10分に一度の感謝もそうだと思います。

しばらくして、友人は、それを教えてくれた人に聞いたそうです。

「最近、10分に一度の感謝をするのを忘れていました。」と言ったそうです。

そして、私の友人も、最近は10分に一度の感謝をしていないそうです。

今日の断食祈祷会で、講師の富田先生が、こんなことを語りました。

「ある医師が、『いつも喜んでいなさい』と聖書が語る『いつも』とはどれくらいか?を科学的に調べたら、『10分に一度だ』と結論を出したそうです。だからみなさん、10分に一度感謝しましょう。私は、タイマーをセットして、10分ごとにアラームがなるようにして、アラームが鳴るたびに神様に感謝を捧げています。」

聞きながら、最初は人ごとのように思っていましたが、「友人が一時的に実践していた『10分に一度の感謝』をやってみたい!」と心が動きました。

いつまで続くかは分かりませんが、「10分に一度、神様に感謝を捧げます!」と祈りました。

みなさんも、『10分に一度の感謝』、いかがですか?

お休みなさい。また明日。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月22日(木)18時23分54秒
  「Now watching343」

日光に来ました。バンドのリハーサル風景。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月22日(木)08時47分54秒
  「嫌だったら断っていいんだよ」

こちらが嫌だとか、都合が悪いと思っているのに、自分の仕事や要求を押し付けてくる人がいます。

その人の要求に負けてそれを受け入れると、後で、不愉快になり、犠牲者になったように感じるものです。

相手の顔色を気にして、うまく断ろうとしても、うまく行かないことが多く、相手はさらに言葉巧みに説得してくるものです。

電話や訪問のセールスで、あんまりしつこいので、「今日は都合が悪いです・・・」と言おうものなら、「いつならば都合がいいですか!?」と切り替えしてきて、結局、次の約束をさせられて、さらに断ることが難しくなり、嫌々買うはめになってしまったという話を聞くことがあります。

こんな時は、はっきり断ればいいのです。

一番いい方法は、「私はそれをしたくありません!」ときっぱりと言い切ることです。そこに理由づけの必要はありません。

相手が自分の仕事や要求を押し付けてくるのに疑問を感じてないのと同じように、あなたも、相手の要求を断ることに疑問を感じる必要はないのです。

神さまは私たち人間を、ロボットのように、ボタン一つで何でもいうことを聞く存在として造られたのではなく、自由意志を与えられました。

普通の感覚を持った人は、人を脅かしたり、強制的に動かそうとはしません。詐欺やしつこいセールスは、人を騙したり、断れないように退路を絶って来ます。

スピリチャルな世界では、悪魔は、自由意志を脅かし、弱みに漬け込みながら、強制的に人を動かそうとします。しかし、神はそうではありません。自由意思を尊重し、優しく導かれます。これは悪魔と神との決定的な違いです。忘れないで下さい。

神が私たちに与えられた最高のプレゼントは自由意志です。これは、いかなる権力を持ってしても侵害できないものです。

不当な要求をはっきりと断ってもいいことを忘れないで下さい。 良い一日をお過ごし下さい。

「盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」(ヨハネ10章10節~11節)
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月21日(水)23時42分10秒
  「Now watching342」

一番苦手な断食。その私が、「断食への招き」という文章を寄稿しました。

断食は難行苦行の類ではなく、より神と親しくなる手段の一つだと思う。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月21日(水)23時34分40秒
  「Now watching341」

寄稿した機関紙の巻頭言。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月21日(水)22時36分20秒
  「Now watching340」

今年は、6つの集会の奉仕に明け暮れています。神様の愛が日本中を覆う日が近いと感じます。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月21日(水)17時11分8秒
編集済
  「Now watching339」

お二人目の面会。遠くオーストラリアのシドニーから会いに来てくれました。

最初は、「私はクリスチャンを辞めました」と言っていた(左の写真)のに、2時間後には、イエス様を信じて「世界が変わってしまいました」と言ってくれました。(右の写真)

本当にうれしいです。

イエス様は、本当に救い主です。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月21日(水)14時26分25秒
  「Now watching338」

お一人目の面会中。熱心に質問責めに合っています。

テーマは防災。教会と地域行政や地域コミュニティーとの関係などなど。

楽しい時間を過ごしています。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月21日(水)12時15分49秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【807】2017/6/21(水) 『わかりやすいありがとう』と『解り難い有難う』」

ここのところ、仕事を交通状況に例えるならば、渋滞している日がしばしばあります。

「神様、時間を下さい。お願いします!」と祈っていました。

明日から三日間、音楽の奉仕で日光に出かけます。しかも、来週の同じ曜日にも、三日間音楽の奉仕で日光に行きます。

しかも、やらなければならない仕事が山積みです。

そんな中、今日はラブソナタの教会訪問の予定です。

が、待てど暮らせど、本部のK姉から連絡がありません。

韓国式の縦割りで、トップダウン組織ですので、どちらかというと、主体的ではなく、受動的に動いています。

主体的なら、とっくに教会訪問に出かけていたはずです。

連絡が来ないので、「とりあえず、連絡が来るまで仕事をしよう!」と、仕事を始めました。

そして、どんどん仕事をしています。

いまさっきは、郵便局、二ヶ所の銀行、区役所などに行って来ました。雨のため、ガラガラです。

とにかく、朝から感謝しています。

また、今日は、2人の方から面会の依頼を受けていますので、仕事を半分終わらせて、面会もすることができます。

こういうのは、わかりやすい感謝です。

ところが、先日のように、車を蹴飛ばされて凹まされてしまっとこと。

前回の教会訪問の時には、いやらしい交通取り締まりを受けて、青キップをいただいてしまったこと。

それから、少し前には、三万円を何者かに盗まれてしまいました。

こういう出来事に対して、どう感謝したら良いでしょうか?

つべこべ言わずに、ただ感謝したらいいのです。

そして、心の傷がいやされ、心に平安が来るまで祈るのです。

痛みと悔しい涙は乾き、やがて、喜びの涙と笑いに変わります。

ただ無条件に感謝し、何事にも感謝を選びと取っていきたいものです。

『わかりやすい感謝』は、感謝なので感謝していきましょう。

しかし、『解り難い感謝』でも、神様が、マイナスをプラスに、ピンチをチャンスに変えて下さるし、後で、感謝できるようになりますので、感謝していきたいですね。

後で感謝できるようになってから感謝したても遅くないですが、その時まで苦しむ必要はありません。

後で感謝できるようになることは決まっているのです。そうであるなら、今から感謝していきたいです。

この後も、ステキなな時間をお過ごし下さい。
 

「失敗を失敗で終わらせない力」

 投稿者:菅野直基  投稿日:2017年 6月21日(水)07時22分5秒
  人は誰でも失敗します。しかし、その失敗を通して何かを学ぶことができたら幸いです。

なまじっか失敗をしないで大人になった人は、かえってかわいそうだと思います。偉くなったり、大きくなってからの失敗は、取り返しが付かないこともあり得るからです。

だから、失敗を恐れないで、若いうちに思いっきり色々なことに挑戦して下さい。失敗を恐れると、緊張して、かえって失敗をしてしまうことがあります。失敗を恐れないで伸び伸びとやった方が失敗しにくいものです。

失敗した時には、素直に失敗を認め、失敗を失敗で終わらせるのではなく、何かを学ぶ機会として下さい。その秘訣を発明王のトーマス・エジソン「Thomas Edison」の中に見ることが出来ます。

エジソンは、生涯で1300もの発明を行いました。しかし、数数え切れないほどの失敗もしました。よく知られている最初の失敗は、小学校を退学になったことでしょう。授業で教師から、「1+1=2」と教えられたエジソンは、それに納得しないで「1+1=1です!」と言い張りました。教師はあきれはて、エジソンを退学させました。

エジソンは、母親の愛に支えられました。母親の愛がなかったら、エジソンはおそらく自暴自棄になり、投げやりになり、荒れ果てたことでしょう。母親の愛は偉大です。

エジソンが退学になった理由をよく考えてみると、本当に妥当だったのでしょうか?

算数では、「1+1=2」ですから、エジソンの間違いです。しかし、理科ではどうでしょう?「1+1=1」になることもあります。例えば、1つの粘土のかたまりと、もう1つの粘土のかたまりを合わせたら、1つの粘土かたまりになります。教師は、算数の授業だったので、「1+1=1以外はない!」と思い込んで、「この子は頭がおかしい!」と決めつけました。

エジソンが、先生の意見をそのまま受け入れていたら、のちの「発明王エジソン」はいなかったかも知れません。世の中には、こういうことで、自分の類まれなる才能を失敗と思い込み、自信を失って挫折する人も多くいるのです。残念です。失敗を失敗と認めない限り、失敗はないのです。

そういう強さを持つためにはどうしたらいいでしょうか?

愛によってです。愛された体験は、どんな逆境の中にあっても倒れず、倒れないばかりか、前進する力を与えてくれるからです。

「私にはエジソンのような母がいませんでした。親は私を愛してくれません。どうしたらいいでしょうか?」と言う人もいるでしょう。世の中は不公平なのでしょうか。そうではありません。誰でも平等に愛される体験を持つことができます。誰でもです。

ある人は、その愛を恋人の中に探し求め、結婚をしますが、夫や妻の中にそのような愛はなかなか見い出せません。1つだけ方法があります。神の愛を通して愛される体験を得ることができます。神はあなたの失敗を責めるのではなく、あるがままで愛し、赦し、包み、受け入れて下さいます。

神の愛が具体的に現されたのが、イエス・キリストの十字架です。

エジソンは、電球を発明するまで一万回失敗したと言われています。しかしエジソンはそのことを失敗とは言いませんでした。「失敗」と言わせなかった力が愛です。

インタビュアーに、「エジソンさん、あなたは一万回も失敗したそうですが、苦労しましたね」と質問された時に、「私は失敗していません。うまく行かない方法を一万通り発見しただけです」と言いました。

ドリームス・カム・トゥルーの「何度でも」という歌の詩に、「10000回だめで へとへとになっても 10001回目は 何か 変わるかもしれない」という一節がありますが、まさにエジソンのことを歌っていると思います。

主演、浅野温子と武田鉄矢のドラマで、「101回目のプロポーズ」というものがありましたが、100回プロポーズして断られて失敗しても、101回目に成功したならば、失敗ではなく成功です。「結婚相手としてふさわしくなかった人100人がプロポーズを断ってくれたので、一番ふさわしい1人に会えたので良かった!」ということになるのです。有名なセリフですが、「僕は死にましぇん。」「僕は死にましぇん。」「あなたがすきだからー!」「僕が幸せにしますからー!!」感動的です。

私自身、恥ずかしながら、今に至るまで何度も何度も失敗を繰り返して来ました。今でも失敗することがあります。しかし、失敗を通してたくさんのことを学ばせて頂きましたので、失敗は決して失敗で終わっていません。

失敗したからこそ、思い通りに行かなくて悩んでいる人の相談に乗ることが出来ます。その思いを受け止め、どうやったらその悪循環から立ち上がることが出来るのかを実体験として丁寧に語ることができます。

小さな失敗をたくさんして来ましたので、致命的な失敗をしないで済んだなー、と感謝しています。

失敗を通して、何が一番大切で、何がそれほど大切じゃないかを知ることがでました。これらは、私に取って大きな財産であり、この失敗が私に取ってのステップアップにつながっています。失敗こそ、成功の母です。

みなさん、失敗を恐れないで下さい。

失敗しても落ち込まない、倒れないためにも、神の愛であるイエス・キリストと出会って神の愛を心行くまで味わって下さい。

失敗から学び、失敗を成功の母として前進して行って下さい。人生には失敗は付きものですし、失敗の可能性はいくらでもあります。ということは、人生には成功の可能性がたくさん隠されているのです。

失敗を後悔してなげいたり、悩んだりしないで、失敗にも感謝し、共に前進し続けてまいりましょう。今週も、良い一日一日を過ごして下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月20日(火)22時52分42秒
  「Now watching337」

二次会盛り上がり過ぎ。楽しかった。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月20日(火)19時13分36秒
  「Now watching336」

ラブソナタ リーダーシップフォーラムの小委員会をしています。

今日は疲れているので、電車の中でイライラし、ウェイターの対応にイライラしてしまいました。

ピンチはチャンス。

「イライラは神へ祈るように誘われている」とに気づきました。

祈りは神の力を受け入れる手段。祈ることで、神様の助けを頂きました。

感謝です。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月20日(火)14時35分25秒
編集済
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【806】2017/6/20(火) 理由なしに憎まれる」

聖書には、「もし世があなたがたを憎むなら、世はあなたがたよりもわたしを先に憎んだことを知っておきなさい。もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです」

「わたしを憎んでいる者は、わたしの父をも憎んでいるのです。もしわたしが、ほかのだれも行ったことのないわざを、彼らの間で行わなかったのなら、彼らには罪がなかったでしょう。しかし今、彼らはわたしをも、わたしの父をも見て、そのうえで憎んだのです。これは、『彼らは理由なしにわたしを憎んだ』と彼らの律法に書かれていることばが成就するためです。」と書かれています。

イエス様は、ヨハネ15章で弟子たちに、「わたしにとどまりなさい。」と語り、イエス様との親密な交わりを持った上で、「互いに愛し合いなさい」と語りました。

しかし、そのしばらく後には、「世があなたがたを憎む」と語りました。

イエス様は、「互いに愛し合いなさい。」と同時に、それと全く相反する「あなたがたは世に憎まれます」と教えられました。

①「世」
「世」とは「? κοσμος(ホ・コスモス)」です。英語では「the world」です。私たちが生活している現実の世界であり、暗やみの支配者であるサタンが支配する世界です。つまり、「世」とは神に敵対し、神を拒絶する現実の世界であり、そのシステムです。

②「憎む」
「憎む」は、「μισέω(ミセオー)」です。「愛する」の反対語です。闇の支配者であるサタンは、「まことの光」である神の御子イエス様を憎んでいます。イエス様は、「もし世があなたがたを憎むなら、世はあなたがたよりもわたしを先に憎んだことを知っておきなさい。」と語りました。

神の愛を伝道する時に、サタンは人を通し、まことしやかな理由を持ってアタックを仕掛けて来ます。

昨日、伝道をしている時に、私の車が何者かによって蹴飛ばされ、凹まされました。昨日投稿した内容です。

イエス様は、「理由なしに憎まれる」と語られました。

それは、建前としての理由はないという意味です。

本音は、闇の支配者は光を嫌い、光を憎みます。

イエス様は、「もし世があなたがたを憎むなら、世はあなたがたよりもわたしを先に憎んだことを知っておきなさい。もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです」

またイエス様は、「これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがつまずくことのないためです。人々はあなたがたを会堂から追放するでしょう。事実、あなたがたを殺す者がみな、そうすることで自分は神に奉仕しているのだと思う時が来ます。」と語りました。

そんなことを思い出して感謝しました。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月20日(火)14時09分6秒
  「Now watching334」

JEA(日本福音同盟)国内災害対策フォーラムに参加しています。

各教団の代表者が集まっています。私も代表者なので、この後発表する予定です。

日本全国から集まった方々との良い交流と、防災・減災に向けた取り組みのために考える機会となっています。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月20日(火)13時45分47秒
  「Now watching333」

親しくしている三浦牧師とランチをしました。

ジョナサン、もちもちの木、DOUTORをハシゴしました。

お互いの近況報告、一緒にやってるラブソナタ、人生について語り合いました。

午後は会議があるので御茶ノ水に向かっています。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月20日(火)08時44分49秒
  「Now watching332」

韓国の牧師たちとの食事会。私が関わっている「ラブソナタ リーダーシップフォーラム」のご案内をさせていただきました。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月20日(火)08時19分10秒
  「Now watching331」

おはようございます。今朝は、韓国人の牧師たちとの祈りの会に参加しています。朝一番に祈るのは大きな喜びですね。ステキな時間を過ごせますように。
 

「自分のためだけの時間を持つ」

 投稿者:菅野直基  投稿日:2017年 6月20日(火)06時46分12秒
  毎日、自分のためだけの時間を持っていますか?

その時間は、手の込んだことをしたり、お金をかける必要はありません。

詩を書いたり、好きな物を食べたり、読みかけの本の数ページを読んだり、何もしないでじっと静かな時間を過ごしたり、どんなことに使っても、それが自分にとって満足を与え、有益な時間であるならばそれでOKです。

仕事に追われ、他人の要求に無理に応えているうちに、自分の人生はいとも簡単に犠牲になってしまうものです。

毎日、自分の必要を満たし、自分を回復するための時間を確保しましょう。

私は、自分のためだけの時間に、聖書を読み、祈り、好きな本を読みます。

ある時は、何もしない、何も考えない時間を過ごしたり、散歩をしたり、このような文章を書いたりしています。

自分だけの時間は、場所はどこでもいいのです。

トイレくらいしか一人になれない人もいるかも知れません。短くても、質の高い時間を確保できるなら、人生を二倍にも三倍にも豊かにすることができます。そんな時間をとってください。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11章28節)

自分を回復し、心豊かになったら、一日を全力で生きることができます。

今日も、素晴らしい一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月19日(月)22時01分59秒
  「Now watching330」

今日は、新宿で路傍伝道をしました。神様の愛を歌い、語ることができたので、心が喜びで弾けそうです。

その背後で、悪いニュースと良いニュースがありました。

悪いニュースは、何者かに車のドアを蹴飛ばされて、凹まされました。

また、今日は、先週の疲れを引きずっていたし、午前中めちゃくちゃ忙しくて、疲れMAXでした。

しかし、良いニュースは、そんな中でも伝道ができたこと。そして、心が喜びで溢れました。

人生は、悪いニュースと良いニュースが交互にやって来ます。しかし、神様とともに歩むならば、悪いニュースを忘れてしまうほどの喜びが与えられます。

God bless you??
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月19日(月)12時36分54秒
  「Now watching329」

全日本子供食堂ネットワーク会議に呼ばれて参加しています。

子供たちに食事を提供しながら、腹を満たし、愛を伝えるながら心をも満たす活動です。

おいしいものを食べながら、心燃やしながら白熱した語り合いをしています。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月19日(月)09時09分18秒
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  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【805】2017/6/19(月) バリウム検査のお奨めと感謝」

バリウム検査には賛否がありますが、毎年地方自治体でやってくれるガン検査を受けています。

以前は、健康に自信があったし、万が一、ガンが見つかったとしたら、「ガーン!」という衝撃を受けると思うので、臭いものにフタをするように、検査することを避けていました。

しかし、身近な知人、友人などがガンになり、「悪いこと言わないから、カンちゃん、ガン検査を受けておいた方がいいよ」と言ってくれるので、受けるようになりました。

事前に、肺ガン検査のために、痰(たん)を出して、それを容器に入れる。次に、大腸ガン検査のために、便を容器に入れる。そして、検査当日に持参します。

当日は、複数のガン検査をしますが、特に苦手なのがバリウム飲む胃ガン検査です。

ミルクでもない、ヨーグルトでもない、クリームでもない、あのネバッ、ドロッとしたものを飲み干す時の違和感。

無重力空間ではないのに無重力体験をするように、検査技師のリモコン操作によって、前後・左右・上下に自由自在に操られ、「はい、息を止めて!」「右から三回回って!」「体をひねって!あっ行き過ぎました。もう少し戻って」と、自分が動物園の動物にでもなったような気持ちになります。

さらにつらいのは、ゲップを我慢しなければならないことです。もしゲップをしてしまったら、検査を中断して、炭酸の粉と水をもう一度飲まなければなりません。

検査終了後は、すぐに下剤二錠を飲み、「水を2リットル飲んでくださいね。もし、夜十時までにバリウムが便から出なければ、もう二錠下剤を飲んでくださいね。もし、バリウムがお腹で固まってしまったらやっかいなことになりますので・・・」と言われます。

一日、そうそうトイレの付近に居られるわけではありません。特に、忙しい日などは、食事もトイレも忘れてしまうほどです。

今回も、超多忙な一日で、夜十時になってもバリウムが出ませんでした。その翌日、白い便が出て、その翌朝には、便がベージュになり、その翌日には、普通に戻りました。ホッとしました。

胃ガンを経験した友人曰く、「バリウム検査をするくらいなら、胃カメラを飲んで検査してもらった方が早いし、はるかにいい」と言います。

人間ドックは高いですが、裏技として、「お腹が痛いです」と言うと、保険適用で胃カメラの内視鏡検査をしてもらえるそうです。

しかし、一度これをやったことがありますが、死ぬかと思いました。その日は、バイクで病院に行ったため、検査技師が一切麻酔を使ってくれなかったのです。

口から喉、肺、胃袋まで、太い蛇が入って来て、息をすることもできないくらいで、何度も吐き気を催しました。もうこりごりです。

そこで、毎年、感謝しながらバリウム検査を受けています。

各地方自治体で、ガン検査などをやってくれることはありがたいです。私の友人が私に検査を奨めてくれたように、私もみなさんに検査をお奨めしたいと思います。

ガンに限らず、病気があったら、早期発見して、適切に治療することで長寿を全うすることにつながります。

神様から、「はい、そこまで。もう十分です。天に戻って来なさい」と言って頂ける日まで、健康で、その使命を果たし続けていきたいものです。

健康を与えて下さる神様に感謝しつつ。今日も、ステキな一日でありますように。
 

「希望が人を生かす」

 投稿者:菅野直基  投稿日:2017年 6月19日(月)07時47分27秒
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  スイスの哲学者であり、「幸福論」を書いた「カール・ヒルティ(【Carl Hilty】1833~1909)」は、『寝床につくとき、翌朝起きることを楽しみにしている人は幸福である。』と言いました。

昨晩、布団の中に入った時、明日が来るのを楽しみにしながら眠りについた人はどれくらいいますか?

人が生きて行くために必要なのは希望です。希望がなくなると明日が見えなくなり、生きて行くのがつらくなります。

しかし、希望があれば大丈夫です。

希望を持つためには、まず、「希望の対極にある絶望を知る」必要があります。

絶望は、人類の先祖であるアダムとエバが悪魔に誘惑されて、神から禁じられた「善悪を知る木の実」を食べようと心で決めた瞬間からはじまりました。

罪が人類に不幸をもたらし、絶望を与え、人は絶望的な存在になってしまいました。

夫婦や隣人との関係に、憎しみ、争い、怒り、悪意、ねたみが入り、互いに愛し合い、励まし合い、支え合いたいのに、さながらハリネズミのジレンマのように、慰め合い、罪というハリがお互いを刺し合うので、近づきたくても近づけないのです。

人生には様々な苦しみがあります。体や心の病気。借金地獄。人間関係の不和。そして、人の最後は死です。人間は、とことん絶望的な存在です。

絶望がわかってそれがどう希望につながって行くのでしょうか? そんな私たちを救ってくれる人はいるのでしょうか?

多くの宗教があり、宗教は人間の努力やがんばりによって救いに到達しようとつとめます。あるいは、避けられない運命として受け入れ、あきらめることを教えます。

もし、「底なし沼」に落ちた人がいたとしたら、何とか自力でそこから抜け出す努力をするか、あるいは、底なし沼に落ちることを運命として受け入れてあきらめるかのどちらかの選択のようです。

底なし沼は、絶望的な状況に陥っている人の状態を示すたとえですが、自力でがんばるか?あきらめるか?のどちらかではなく、もう一つの道があります。その底なし沼の中にまで入って来て下さり、命をかけて救い上げて下さる方がいます。

そのために、2017年前に救世主がこの世に誕生しました。そのお方は、神の一人子イエス・キリストです。

キリストは、私たち人類の罪と不幸と死を十字架で全て背負って下さり、死んで墓に葬られ、三日目に復活されました。

ここに、完全な救いがあります。
ここに、絶望を希望に変える力があります。
ここに、希望があるのです。

希望を持って生きて行くならば、どのような状況にあっても幸福です。夜寝る時にも、明日の朝起きることが楽しみで仕方がありません。希望こそ人を生かす力です。

キリストの十字架と復活は、人類最大の敵である死を滅ぼしましたので、それ以下の試練や患難が私たちを絶望させることはありません。希望は決して失望に終わることがないからです。

そして希望は、あなたにハッピーエンドを約束してくれています。

『わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。--主の御告げ-- それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。』(エレミヤ書29章11節)と聖書に書かれています。

あなたもそんな力強い希望を持ちたいと思いませんか? 希望は、今あなたの目の前に差し出されています。希望は、キリストの十字架と復活を信じる心によって今あなたのものとすることができます。希望を持って毎日を幸福に生きて行きましょう。

今日も素晴らしい一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月18日(日)19時45分31秒
編集済
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【804】2017/6/18(日)  神を礼拝し、聖霊に満たされ、伝道する幸せ」

聖書には、「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒の働き1章8節)と書かれています。

今日は、礼拝後に、高校生たちのリードによって賛美集会をし、その後は、駅前で伝道しています。

私は、こんな毎日に最高の幸せを感じます。

感謝の日曜日です。
 

「本来の姿に立ち戻ろう」

 投稿者:菅野直基  投稿日:2017年 6月18日(日)07時53分4秒
  一人の男性が、高速道路で車を運転していると、奥さんから携帯に電話が入った。

「あなた!今テレビのニュースで見たんだけど、1台の車が猛スピードで高速道路を逆走しているようだから気を付けてね!」

「そ、それどころじゃないんだよ。こっちは何百台もの車が逆走しているんだから!?」

人は、相手の立場からモノを見ないで、自分の立場からモノを見ることを教えてくれる話です。

聖書が教える罪は、簡単に言えば「自己中心」です。

最初の人、アダムとエバは、「神なんかいらない!」と神を捨てて、悪魔と自分の思いに従いました。

日曜日に教会で、人間の罪について説教をすると、色々な反応が現れます。

「私(俺)にはあまり関係ない!」という顔をする人もいれば、「神様、私を造り変えて下さい!」と切実に祈る人もいます。

本当は、「私(俺)にはあまり関係ない!」と思っている人こそ、その説教を聞く必要があるのに、横の人や休んでいる人のことを考えて、「アーメーン! これはいい説教だ! あの人に聞いてもらいたい!」と心の中で考えます。困ったものです。

しかし、神を愛し、神の前に謙遜な人が、「私のことを言ってくれている。その通り、アーメン!」と応答します。

「持っている者はさらに与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられてしまうからです。」(マタイ13:12)と聖書が語る通りです。

人はみんな、基本的に自己中心です。それが罪の現れだからです。

ただ、自己中心性が強い人は、自分が自己中心なことに気づかないほど自己中心なだけです。

試しに、自己中心的な人に「あなたは自己中心ですね。直した方がいいと思いますよ」と言ってみたら大変なことになります。烈火のごとく怒るでしょう。

面白いことは、自己中心な人に「あなた自己中心ですよ!」と指摘できる人も、案外、自己中心だったりします。自分が自己中心なので、人の自己中心が手に取るようにわかるからです。

人はみな、大なり小なり自己中心な存在です。

しかし、どんなに自己中心性が強い人でも、神の愛に触れたら必ず変わります。そこに希望があります。

「自己中心」が「神中心」に変わる時に、本当のその人、その人本来の姿に立ち戻るのです。

「キリスト教は『宗教』ではなく、『関係』です。」

宗教としてのキリスト教は、自己中心さを増長させ、宗教を利用して自己実現を遂げようとします。

しかし、神との関係を持つクリスチャンは、「自己否定して、神中心」に変わり、自分を通して神の御心を実現させて頂こうとします。この差は大きいです。

「宗教は恐ろしい」「一神教は恐い」と考える人たちがいるでしょう。

宗教は人を狂わせ、凶暴にさせ、間違った方向に誘導してしまうこともあります。

しかし、人類の創造者である神に立ち返り、神との愛の関係の中で人生を再構築するなら、本当に人間らしい、人間本来の愛の姿に立ち戻ることができるのです。

教会では、罪に堕落した人が、神によって、人間本来の姿に変えられることを目指しています。

聖書は、「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ」と語ります。

どうぞ、日曜日は教会に行きませんか? 神の祝福を祈ります。

新宿福興教会HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/

首都圏から遠い方で教会に行ってみたいと思われる方には、近くの教会を紹介致します。

また、インターネットを通して礼拝を生中継しています。良かったらご利用ください。

〈1)朝10時半~昼12時 〈2)夕4時半~6時
「集会の生放送」と「録画放送(後ほどアップロードします。http://9001.teacup.com/sfk/bbs)」を行います。

ニコニコ動画  http://nico.ms/l/co114841
ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor

説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月17日(土)21時53分55秒
  「Now watching327」

池袋駅東口路傍伝道終わりました。マイクや伝道チラシを忘れてしまいましたが、とても盛り上がりました。

食事会も笑いで溢れています。明日が日曜日であることを半分忘れています。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月17日(土)14時53分24秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【803】2017/6/17(土)  イライラした状態からの回復」

今日は、とても忙しいスタートでした。次の仕事に遅れて到着しました。

車の駐車場が確保されているはずでしたが、関係者の多くが車で来たため、私の車が停められませんでした。

ホールの関係者はお役所仕事で、何をいっても、もう一台停めさせてくれませんでした。

そのことでイライラしてしまいました。

気分が悪くなってしまって、とても音楽の仕事をする精神状態ではありません。

その場で跪いて、「神様助けて下さい!」と祈るしかできませんでした。

しばらく祈っていると、イライラは消えて、心が喜びでいっぱいになりました。

神様と顔と顔を合わせて、親しく交わる時に、心はいやされ、力が与えられました。

神様に祈れることを感謝します。祈れるのは当たり前ではないのです。

神様に祈るという行為は、とても図々しい行為なのです。

いきなり、天皇陛下に会いにいって、話をしようとしても、それは許されないことだと思います。

神様は、それと比べられない存在です。その方が「祈りなさい。祈っていいよ。」といって下さっているのです。

感謝して、お祈りをしながら、歩んでいけたら幸いです。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

「心の耳を澄ませて」

 投稿者:菅野直基  投稿日:2017年 6月17日(土)07時26分27秒
  私たちは、自分の考えている内容をいちいち自覚していないことが多いと思います。さながら、呼吸を無意識でやっているようなものです。

心は、絶えず何かを考えているのに、自分が何を考えているかを忘れていないでしょうか?

呼吸なら自覚しなくても無意識で呼吸が続けられますが、考えを自覚しないと、色々な心の問題が発生します。恐れ、ストレス、葛藤、怒りなどです。

何も腹を立てる理由もないのに腹を立てることがあるでしょうか? 悲しくないのに涙を流すことがあるでしょうか? ストレスも感じないのに、ストレスに押しつぶされることはないはずです。

人が不幸を感じたり、腹を立てたり、ストレスを感じるのは、自分の考えと深い関わりがあります。

否定的・消極的・破壊的な考えが存在するはずです。

今日、もし不幸だと感じたり、腹を立てたり、ストレスを感じているとしたら、自分が何を考えているかに、耳を傾け、意識を集中してみて下さい。

「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)

心に耳を傾けたら、同時に神に目を向けて、祈って下さい。すべては逆転し、不幸は幸せに、怒りは思いやりに、妬みは愛に、ストレスは爽快な気分に変わってしまうはずです。

自分が今何を考え、どのように感じ、思い巡らしているかを知って下さい。知ったならば、祈ることによって心を変えることができます。

今日も、幸せな一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月16日(金)20時58分17秒
  「Now watching326」

夜遅く、外が暗いので、娘を迎えに来ました。

父親として幸せを感じる時間です。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 6月16日(金)18時15分8秒
  「Now watching325」

仕事を終えて帰り道、いつも気になっていたお煎餅屋さんに立ち寄り、勇気を振り絞って、一枚80円のお煎餅を買って食べてみました。

普通に考えたら、何の変哲もない煎餅が一枚80円なんて高いですが、うーん、80円の価値はありますね。とても香ばしくておいしいです。

宝を探し当てたような気持ちです。
 

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