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(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月21日(月)16時39分35秒
  「路傍伝道新聞執筆者・協力者募集」

路傍伝道新聞の執筆して下さる方々に感謝致します。最大二ヶ月に一回書いて頂いていますが、はじめての方を含めて、月一回以上路傍伝道に参加して下さっている方の中から、文章の寄稿をお願いします。

1、路傍伝道の感想(200字程度)

2、救いの証(400字程度)【①イエス様に出会う前 ②イエス様と出会ったきっかけ ③イエス様に出会った後から現在を、ドラマチックに書いて下さい】

3、路傍伝道の苦難と勝利の証(ツイッター程度)

4、その他路傍伝道に関係すること【こういうことが書きたいという希望があったらおっしゃって下さい】

5、一コマ、三コマ、四コマの伝道に関するマンガ。

※文章に自信がなくても、こちらで編集できます。気楽にエントリーして下さい。

※マンガや路傍伝道者の執筆して下さる方を知っていたら紹介して下さい。

※路傍伝道新聞をまとめて配布して下さる方、制作代の献金を募集しています。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月21日(月)15時20分14秒
  「日本福音同盟(JEA)宣教者会議」
《Now watching 769》

テーマは「次世代育成」。
有意義な集まりが持たれています。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月21日(月)07時30分28秒
  「目の前の必要は神から与えられた使命」

ある牧師が、「目の前の必要は神から与えられた使命だ」と語ってくれました。

「目の前に、何かを必要としている人がいて、その必要が自分を通して満たせるなら、100%召しと思いなさい」というのです。

目の前に必要があっても、「神様に祈ってみます」と言って、答えを先延ばしにして、答えてくれない人もいます。

何かを決断する時に祈って決めることは大切です。

奉仕を頼まれた時、即答しないで祈ってから引き受けることにしています。

そして、断ることもあります。

神様がその働きのために私を必要としておられるのかを確認したいからです。

しかし、今、目の前で助けを求めている人がいて、助けたらその人のいのちが助かるのに、「祈ってみます!」というのは、祈っているというより、損得を計算し、自分の身を案じているだけなのかも知れません。

目の前に必要を求める人がいて、その必要が自分を通して満たすことができるなら、「はい神様」と言って仕えることが、神に仕える生き方ではないでしょうか。

「ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、『マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください』と懇願するのであった。パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤへ出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。」(使徒の働き16:9~10)

人は、神に愛され、人を愛し、神に仕えるために造られ、この世に生まれて来たのです。

今、あなたに神からの召しが与えられていませんか?

ステキな一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月20日(日)22時26分41秒
  「失敗を悔やむのではなく」
(一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/5/20(日)【1127】)」

人生を振り返ってみると、数多くの失敗をしてきました。

しかし、失敗を悔やんだとしても過去を変えることはできません。

ドラえもんのタイムマシーンに乗って過去に戻って、別の選択をすることができるなら、悔やむ価値はあるというものです。

しかし、仮にそれができたとしてもキリがないのではないでしょうか。

「こうすればもっと良かったのではないか!?」と考えて、またタイムマシーンに乗って過去を変えに行くことになると思います。

私の場合、失敗の経験を通して、それが人生のターニングポイントになったということがいくつも思い出されます。

悔いたくなるような失敗の経験でもしなければ、人生の方向転換ができなかったのではないかと思います。

失敗をして痛手を被った時には、痛いものです。

しかし、そんな時こそ、感謝をし、笑うことにしています。

「ありがとう」を漢字で書くと、「有ることが難しい」、「有難い」となります。

よりによって、有ることが難しいこんなことが私に起こるとは、「有難い」。だから、「ありがたい」、「ありがとう!」と捉えます。

後で振り返ってみると、「その判断が正しかった!」と心底思います。

失敗は教訓となり、「失敗を繰り返さないようにしよう」と思いますので、結果として一番いい道を歩むことになったからです。

失敗は失敗で終わらせるのではなく、それをチャンスに変えて、より良い人生を歩むターニングポイントにしていきましょう。

そして、無理やりにでも感謝し、喜ぶのです。

そんな心のゆとりを持てたら、幸せを失うことはありません。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月20日(日)07時29分54秒
  「どうやって聖書を読むか?」

ある人が、目を閉じて聖書をパッと開き、開いたページの聖句を神からのお告げとして受け取ろうとした。

開いたページに指を置いた。目を開くと、指の下にあった聖句は「ユダは出て行って首を吊って死んだ。」であった。

「神様。とんでもないことです。どうか私に必要なお言葉を・・・」。こう言って再び目をつむり、聖書を開き指で差し、目を開いて読み始めた。

「あなたも行って同じようにしなさい」

「神様どうか冗談はよしてください。私を助けてください。どうか何をしたら良いのかお教えください」。心の中で呻きながら、もういちど目をつむり、聖書を開き、指で指し、読み始めた。

「・・・あなたのしようとしていることを明日に伸ばしてはならない」であった。(完)

これは笑い話のようですが、こういう聖書の読み方をしてしまう人がいたとしたら、それは正しくありません。

文脈を無視して聖書を読んだとしたら、全く別の意味に取ってしまうこともあり得ます。

聖書を正しく理解するためには、聖書に聞く心を持ちながら、聖書を文脈的に読んで理解しなければいけません。

最初の「ユダは出て行って首を吊って死んだ。」という聖句は、そのもの事実を語っているだけです。

次の「あなたも行って同じようにしなさい」という言葉は、ルカ10章の有名な「善きサマリア人」の例え話の結論ですし、「・・・あなたのしようとしていることを明日に伸ばしてはならない」という言葉も、ユダが首をつった記事と何の関わりもありません。

聖書は、この世界のはじまりと共に、「神」「罪」「救い」について書かれています。神がいかに人間を愛しておられるか。罪を犯した人間を何とかして救いたいと考えておられるかを聖書は語ります。しかし、その聖書を見て、太宰治のように自殺してしまう人もいます。

人を救う前に、聖書は、人の罪の姿をありのまま指摘します。それを認めたくないという思いは、聖書を知らないから起こってくる反応です。この世の中では、自分の罪を認めたら、裁かれたり、弱みを握られて、自分の立場を失ってしまう可能性があります。しかし、神は、本当のあなたを愛しておられ、救いたいのです。

聖書が罪を指摘するのは、「自分は正しい!」「人に迷惑をかける生き方をしていない!」「私を罪人呼ばわりするなんて!?」と考える人に、「あなたは罪人であり、救いが必要な人ですよ」と知らせないと、イエス・キリストが必要であることがわからいので、神を求めることができないからです。

教会では、聖書を単なる「知的理解」するにとどまらず、「体験的理解」「霊的理解」を人に与えてくれる場所です。神と出会い、神を全身全霊で理解できるようになります。

今日は、キリスト教三大祭(「クリスマス」「イースター」「ペンテコステ」)の一つである「ペンテコステ」です。ペンテコステは、聖霊が降ったことを記念する時です。同時に、約2000年前に聖霊が降ったことによって教会が誕生した日です。つまり、「教会の誕生日」です。

このような記念すべき日に、教会に行ってみませんか? 久しぶりの方、はじめの方、毎週教会に通っている人。みんなこぞって教会に行きましょう。

イエスは彼らに言われた。「来なさい。そうすればわかります。」(ヨハネ1:39)

新宿福興教会HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/

近くの教会を紹介することもできます。

インターネットを通して礼拝を生中継しています。良かったらご利用ください。

〈1)朝10時半~昼12時 〈2)夕4時半~6時
ニコニコ動画  http://nico.ms/l/co114841
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月19日(土)23時38分4秒
  「伝道協力をお願いするための教会訪問」
(一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/5/19(土)【1126】)」

 今日は、午前から夕方まで、のべ5名のメンバーで16ヶ所の教会を訪問して、路傍伝道の働きのためにお祈りして頂き、協力の依頼をお願いしにいきました。今までに、「セレブレーション・オブ・ラブwithフランクリン・グラハム」をはじめ、数々の大会の協力を依頼するために600を超える教会を訪問して来ましたが、どの教会も、それぞれに素晴らしい賜物が与えられていることを痛感させられます。心底それを感じました。教会員の人数が多さ、教会堂の立派さ、教会の資産が多さなどで、教会の優劣がはかられることがありますが、どの教会も素晴らしく、優劣をつけることができないというのが率直な感想です。主日(ペンテコステ礼拝)前の土曜日だということもあり、留守の教会もありましたが、たくさんの牧師先生と心を通わすことができました。とても有意義でした。また、食事をしながら、来月以降の予定についても話し合いました。路傍伝道ネットワークの活動があるので、人生に退屈が入り込んでくる余地すらありません。神様が私たちに与えて下さった使命に心から感謝します。これからも、イエス様の愛を伝え続けていきたいです。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月19日(土)08時12分30秒
  「背伸びしなくたっていい」

親や友人、社会などの「こうあるべき!」「こうあってはいけない!」などの物差しに合わせて、いつしか背伸びをするようになっていないでしょうか?

人の評価ばかりを気にして生きていたら、いっときも心が休まりません。

あなたのまわりにいる人の多くは、あなたを肯定したり、ほめたり、評価するためには生きていません。

自分のモノサシを引っ張り出してはあなたにあてがい、「短い」だの、「長い」だのといっているに過ぎません。

そのモノサシは、気分や雰囲気、利害によって目盛りの尺度が変わります。まるで伸びたり縮んだりするゴムのようなもので作られています。

背伸びしてまでも、ほめられようとしなくてもいいのです。自分を見失わないで下さい。

代わりに、あなたを造られた神様のモノサシで自分を見て下さい。それが本当のあなた自身です。

あなたは神の最高傑作であり、神はあなたをご自分の瞳の中に入れても痛くないほど愛しておられます。

ただ、神から背を向け、神との関係が壊れているならば、神のモノサシはあなたを「罪人(つみびと)」と断定します。

実は、人はみんな罪人であり、罪の結果、死とあらゆる不幸がやってきているのです。

しかし、神はご自分のモノサシをあなたにあてがって、「だからあなたはダメなんだ!」というのではありません。神は「そのあなたを愛しているよ」といわれます。

神の一人子イエス・キリストは、あなたを罪から救い出すためにクリスマスにこの地上にこられました。そして、あなたの罪と死を背負って十字架にかかって死なれ、墓の中に葬られ、3日目によみがえられました。

このお方を信じて受け入れるならば、新しく生まれ変わることができます。

もう、人のモノサシに合わせて背伸びして生きる必要はありません。

人のモノサシは人を苦しめるか、ごうまんにさせるか、劣等感に落ち込ませるか、背伸びをさせます。

神のモノサシは人を解放し、謙遜にさせ、自由にし、ありのままでのびのび輝いて生きさせます。

ステキな一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月18日(金)12時30分10秒
  「仕事は一つずつ」
(一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/5/18(金)【1125】)

毎日の「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉」は、私自身の葛藤や戦いの中から生まれます。

仕事が、3つも4つも重なって覆い被さって来ると、気が重くなり、投げ出したくなったり、現実逃避したくなります。

そんな時、まずは、やるべき仕事をリストアップします。

しなければならないのに後回しにしていた仕事
いつかやろうと思っているうちにやることを忘れていた仕事

頭の中で考えても、考えるだけで終わってしまいます。

そんな時に、紙に書き出して、目に見える形で表します。

次に、重要で、簡単な仕事から着手します。

その時のポイントは、同時進行で仕事をするのではなく、ひと時に一つずつ仕事をこなすことです。

そうすると、集中して仕事ができるので、短時間で、良い仕事ができます。

そのようにして仕事を終えると、達成感で心が満たされます。

その達成感で心が満たされているうちに、次の仕事に着手します。

達成感に浸って、そこで満足して中断したらもったいないです。

達成感があると、勢いがついていますので、その勢いのあるうちに次の仕事に着手することを繰り返したら良いのです。

今朝も、そのようにして一つずつ仕事に着手して、完結しています。

その達成感のあるうちに次の仕事に着手し、それを繰り返し、そして、今日の「一日一シャ」も書いています。

仕事が行き詰った時には、仕事を切り替えることで気分転換になります。

説教準備などをしていて、煮詰まり、行き詰って、そこから前に進めないことがあります。

そんな時には、食事をしたり、休憩したり、昼寝をしたり、他の仕事に切り替えるのも良いです。

また、一つの仕事に集中するということは、一心不乱になり、ゾーン状態に入るほどの集中力でしなくてもいいのです。

とにかく、重要で、簡単な仕事から、一つずつはじめていったら良いのです。

そうすると、勢いがついてきますので、その勢いで段々難易度の高い仕事に手をつけていき、ついには、仕事をやり切ることができるのです。

この後も、達成感と勢いある、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月18日(金)09時14分48秒
  「自分の天職を知り、それに生きよう!」

ある時、地域の方々と食べ物を囲みながら話をしていると、「ところで、菅野さんの田舎はどこ? ご両親も牧師さんなの?」と聞かれました。

「生まれは東京。田舎は福島。父の家系は代々(1000年続く)神社の神主で、母の家系は(3~4代続く)牧師の家系です。」と答えました。

「(神道から基督教に改宗したことに対して)どこで狂ってしまったのかしら・・・もったいない!」と言われました。

職業に優劣はないはずですが、一般に、神主は高貴な神職であり、地域の名士で、素晴らしい職なのに、外国から入って来た宗教の宗教家になるなんてもったいない!

世の中の人はそういう風に見ることを知り、新鮮な気持ちになりました。

もちろん私は、牧師にさせて頂いて一番良かったと思っています。それを文章にしたためるたびに、実感となっています。

職業とは、神からの召しですから、一切の優劣はありません。

どんな職業であっても、神から与えられた天職と自覚し、自信と誇りを持って働くべきです。

大切なのは、神から与えられた天職に就いているかどうかです。

聖書は、「神の賜物と召命とは変わることがありません。」(ローマ11:29)と語ります。

天井にある蛍光灯を取り替えようとしたら、はしごを使うだろうと思います。

しかし、高価なグランドピアノを足台にして蛍光灯を取り替えることも可能です。しかし、ピアノは足台として使われることは想定されていません。足台に使われたら、そのうち壊れてしまいます。

はしごは、はしごとして使われることが一番幸せです。

ピアノは、足台に代用されていたら不幸せです。演奏してもらうことが一番幸せです。

賜物と召命はセットです。

はしごには、はしごとしての使命とともに、はしごとしての性能が与えられています。

ピアノも、ピアノの形をしているだけではなく、ピアノとしての性能が与えられています。

神様がみなさんに与えられた天職も同じです。

あなたが天職を行う能力(賜物)がセットで与えられています。

賜物は、それを発見し、磨いていくことも必要ですが、あまり苦労しなくても、他の人よりも上手に行える能力が備わっています。

天職を発見し、天職に就いて働くなら、必ず満足し、幸せになります。

さらに天職は、喜びや充実感だけではなく、生きていくために必要なすべてを与えてくれます。

天職ではない無難な職について、悶々としている人がいるかも知れません。

今からでも遅くありません。「天職に転職する」ことも選択肢です。

しかし、ほとんどの場合、現在の職が天職だと思います。

神様は、プロセスを通して今の職に導かれたはずです。

だから、他の職業と比較して、優劣をつけて、コップレックスや劣等感を持たないで下さい。

神の目を通して、自分の職業を再評価して、喜びと自信を持って仕事に励んで下さい。

はしごは、はしごとして使ってもらえることが一番の幸せです。はしごは楽器ではありません。いくらピアノに憧れてもピアノにはなれません。

ピアノは、演奏者のいない場所に置かれて、足台として使われたとしたら、「みにくいアヒルの子」のように、「私の天職は違う!?」と疑問が湧き上がり、いつかそれが叫びとして爆発するはずです。

もし、天職が他にあると気づいたら、転職する勇気を持って下さい。

はしごははしご、ピアノはピアノとして生きていくことが一番の幸せだからです。

あなたはあなたとして生きていくのが一番の幸せなのです。

「このままの姿で」という「Jゴスペル(賛美歌)」があります。

小さな野の花でも 主の愛を受けて輝く
あふれる主のめぐみは いついつまでも
バラはバラのように すみれはすみれのように
わたしもこのままの姿でついてゆきます

空を飛ぶ鳥たちは 主の愛を歌い続ける
あふれる感謝喜びは いついつまでも
わしはわしのように すずめはすずめのように
私も主のほめ歌を歌い続ける

人生はたった一度だけです。

自分の天職に生きなかったら必ず後悔します。

天職に生きたら、「私の人生、これで良かった!」と、悔いのない人生を生きられます。

天職を見極め、最高の人生を生きて下さい。

今日もステキな一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月18日(金)00時40分41秒
  「一年前の新宿伝道」
《Now watching(過去を回想) 767》

一年前の今日、16人で1日に700万人が乗り降りする新宿駅で伝道しました。

計り知れないくらい多くの人に、イエス様の愛を伝えました。とても素晴らしい時間でした。

路傍伝道の働きのためにお祈りをお願いします。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月17日(木)22時43分23秒
  「防災士徽章(バッジ)とイエスの焼き印」
《Now watching 767》

帰宅したら防災士徽章(バッジ)がポストに届いていました。「『防災士としての自覚をより強固なものに高めると共に、防災士相互の連携の絆となることを基本に、防災士の活動に対する、防災士相互の連携の絆となることを基本に、防災士の活動に対する地域・職場での社会的認識の周知に資するもの』として、防災士としての活動時にはもとより、日常的にも極力、身につけて頂きたく宜しくお願い申し上げます。」と、長い説明書きがつけられていました。要は、「バッジをつけることで、防災士としての自覚を持ってほしい」ということです。ところで、クリスチャンや牧師にはバッジはないなと思い巡らしていると、使徒パウロよ言葉を思い起こしました。「私は、この身に、イエスの焼き印を帯びているのですから。」(ガラテヤ人への手紙6章17節)私も、イエスの焼き印を帯びるほどいのちをかけて伝道し続けたいと願います。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月17日(木)19時53分56秒
  「マニュアル車」
《Now watching 766》

バイクで仕事に来ています。昔から、車もバイクもマニュアルが普通です。車のマニュアルを探すのは難しいので、せめてバイクくらいはマニュアルが普通であってほしいです。マニュアルで各ギアを駆使して運転したら、とでも面白いし、自由だし、安全だと思います。車のミニバンのマニュアルを出してくれたらいいのに。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月17日(木)11時36分22秒
  「みんな仲良くしたい 理想と現実」
(一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/5/17(木)【1124】)

理想としては、みんな仲良くしたい。しかし、現実はそうはいかないことがあります。

人の罪のゆえ、あるいは、水と油の性質ゆえでしょう。

教会とは、教会堂ではなくキリストの体のこと。

神によって、世から選び出された人の集まりです。

好き嫌いを超えて、神の主権の領域です。

しかし、体とはすべての肢体や細胞がつながっているのではありません。

肘は、腕と二の腕とつながっていますが、手や肩とは直接つながっていません。

そういうつながり方で良いのだと思います。

つまり、理想としては、世界人類みんなと仲良くしたいし、そうできたら良いですが、それは物理的に不可能だし、そうする必要もない。

大切なのは、肘が腕と二の腕としっかりつながっているように、誰かとしっかりつながることです。

広く浅い付き合いもさることながら、親友を持つことが大切だと思います。

「もしあなたに、3人の親友がいるとしたら、あなたの人生は成功だ」と、ある親しい人から言われたことがある。

仕事での人間関係は、その仕事をしている時はものすごく親しくなることがありますが、仕事が終わったり、退職したらそれで関係が切れてしまうことがほとんどです。

仕事での人間関係は、親友とは言えません。しかし、仕事の人間関係が親友に発展することもあり得ます。

親友とは、どんな時にも相手の立場に立ち、味方であり、ちょっとやそっとでその関係が切れてしまうことがありません。

そんな人間関係を持っているとしたら、大きな支えになります。

イエス様が教えられた「互いに愛し合いなさい」という言葉を本気で実践したら、必ず親友が生まれると思います。

キリストの体として、ごく少数であったとしても、一生付き合っていけるような友だちを作りたいですね。

また、直接つながっていなくても、親友の友だちならば好意を持つことができますし、間接的な友だちです。

そのような形で、みんな仲良くしていけたら良いと思います。

いつも良い交わりをして下さり感謝します。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月17日(木)07時39分49秒
  「からし種は小さいけど、成長すると大きくなる」

聖書には、「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」(マタイの福音書 13:31~32)と書かれています。

立派に活躍をし、偉大な功績を残している人を見ると、自分が小さく情けなく思えることがあるかも知れません。

キリストは、「(はじめは)どんな種よりも小さいのに・・・」と、天国について語られました。天国では、小さいことはみじめではありません。

イスラエルの二代目の王であったダビデは、エッサイの子供らのうちで最も小さい者でした。

キリストが生まれたベツレヘムは、ユダの氏族の中で最も小さいものでした。

キリストは、乳飲み子、幼子を抱いて祝福し、「神の国とはこのような者たちのものである」と言われました。

自分が「小さい者である」と恥じる必要はありません。神は、どんな種よりも小さく思える者をも、後に大きな者として用いられます。

「成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」

もしあなたが、天国につながる人生を生きるならば、今は小さくても、からし種の木が後に成長するように、神様はあなたを、大きな働きをする人に成長させて下さいます。そんな生き方をさせてもらいたいですね。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月17日(木)00時18分57秒
  「今晩の夕食」
《Now watching 765》

夜の食事会は、親子丼と稲庭うどん、サラダ、ドリンクバーでした。良い時間でした。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月16日(水)11時21分47秒
編集済
  「人生の3つのステージ」
(一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/5/16(水)【1123】)

出エジプトを導いたモーセの人生は、大きく分けると3つのステージに分けることが出来ます。

①誕生から40歳
②40歳から80歳
③80歳から120歳

エジプトは世界最初の反ユダヤ主義の国でした。

イスラエルを奴隷にし、過酷な労働を課していました。

さらに、「イスラエルの男子の初子をナイル川に投げ込んで、皆殺しにせよ」という命令が出されていました。

モーセの両親は神を恐れていたので、何とかそれを回避しようとして、葦でかごを作り、モーセを乗せてナイル川に流しました。

神が働かれました。

パロ王の王女が赤ちゃんのモーセを見つけました。

モーセは、宮殿に住み、エジプト最高の学問である帝王学を学びながら育ちました。

誕生から40歳までのモーセは、自信に満ち溢れて、自分の力で民を解放しようとしました。

クリスチャンも、救われたばかりの時には、自分の肉の力であれもこれもできるような気がします。

しかし、40歳から80歳までのモーセは、絶望して、エジプトからミディアンの荒野に逃亡して、羊飼いになりました。

この40年間は、自分の無力さを学にました。

そして、最後の80歳から120歳までの40年間に、自分に頼るのではなく、神に頼り、神の恵みによって生きることを学びました。

そして、解放者として大きく用いられました。

みなさんは、今どのステージを歩んでいますか?

若い時の良さは、万能感に満ちて、何でもできるような気がします。そういう時期があるからこそ、人は大きな目標に向かって進めるのです。

しかし、壁にぶつかり、想定外のことが起こり、挫折します。

そのようにして、人は神と出会い、神を信じ、神に頼ることを学ぶのです。

そして、神に訓練された後に用いられるのです。

神様って素晴らしいですね。どのステージも必要なのです。

私は、モーセが用いられはじめた80歳までまだ34年あります。

しっかり神様の訓練を受けて、神様に大きく用いられたいです。

今試練の中に置かれている人は、将来大きく用いられるための訓練を受け、準備されているのです。

失望することがあっても、希望を持ち続けて下さい。神はあなたを用いたいのです。

共に力を合わせて神様の働きをしていきましょう。

この後もステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月16日(水)07時25分12秒
  「一時間をどう使うか」

かつて、医師の日野原重明氏は、「命を大切にするとは時間を大切にすることだ。子どもの時は自分のために時間を使ったらいい。大人になったら人のために時間を使いなさい」といいました。

あなたに一時間あったら、一時間を何のために使いますか?

私は、一時間聖書を読み、祈ることをおすすめします。

聖書を読み、祈ることで、何時間かけても解決困難な問題が、短時間で解決することは珍しくありません。

祈りは、心の中にあるマイナスの感情がプラスの感情に変わり、憎しみが愛に、怒りが赦しに、悲しみが喜び変わってしまいます。

祈りの中で、今日一日何をすべきか?何をしないべきか?を神様と相談してからスタートしたら、一日が何倍にもなります。

次に、一時間を困った人を助けたり、誰かのお手伝いをしてみてはいかがでしょうか?

私は、少なくて一日一時間は人のために使うと決めています。

この一時間が私に充実感と喜びを与えてくれます。お金で買うことができない喜びです。酒、タバコ、快楽や遊びを通しても得ることができない満足感です。

時間を使った相手に喜んでもらえます。その姿を見ると、さらに喜びが一杯になります。

人生に満足している人と、満足していない人の違いは、クリスチャンの人ならば、神様に時間と命を捧げていますし、クリスチャンじゃない人なら、人のために時間を使っています。

自分のためだけに時間を使うこともできます。自分のために時間を使っていいし、誰からも叱られることはありません。

「たかが一時間。されど一時間」です。

その一時間を毎日自分以外のために使い続けるならば、それは大きな時間になり、必ず何かが起こります。

今朝、まず、神に祈りを捧げてから一日をはじめませんか?

神に祈ったら、誰かのために時間を使うように導かれると思います。妻や夫のために、子供のために、親のために、友達のために、困っている人のために・・・。

自分の心のままに、自分のためだけに時間を使うのか?

神の導きよって誰かのために時間を使うのか?

ここには葛藤や戦いがあると思います。しかし、その戦いに打ち勝ち、人のために時間を使う時に、必ず充実感と満足感に満たされ、「これでよかった!」と思えるはずです。

そんな幸福感を、お金を一銭も払わずに手に入れられるのです。

たくさんの時間ではなく、一時間でいいのです。あなたの一時間の使い方があなたの人生を変えます。

正確に言えば、一日ニ時間です。1時間は神様に祈り、一時間を人のために使うことです。

残った時間は自分の仕事と自分のために使って下さい。今日も良い一日をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月15日(火)19時03分44秒
  「息を抜こう」
(一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/5/15(火)【1122】)

出かけて行って一緒に祈ること。そして、人と交わることで息抜きができます。

そして、息抜きができない時でも、今を生きることに集中することで息抜きができます。

今を生きるとは、過去のこと、未来のこと、今できないことをしないで、今に集中することです。

砂時計の砂が上のフラスコから下のフラスコへ落ちる時、細い管の部分を滑るように落ちます。

そのように、今に集中することです。そうしたら、肩の力が抜けて、息抜きになります。

今日は、月に一度の息抜きの時を持ちました。

とでも良い時間でした。

時々、仕事から離れて、息抜きの時間を持って下さい。

また、過去を悔やんだり、明日の心配をやめて、今に集中することで息抜きをして下さい。

「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」(マタイの福音書6章34節)
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月15日(火)06時40分47秒
  「本当に恐れるべきもの」

「The only thing we have to fear is fear itself.」
「私たちが恐れなければならない唯一のことは、恐れそのものである。」

アメリカ第32代大統領「Franklin Delano Roosevelt.(フランクリン・ルーズヴェルト 1882~1945)」の言葉です。

聖書には、「恐れるな!」という言葉が「366回」出て来ます。

神は私たちに、うるう年を含めて一年の毎日「恐れるな!」と語りかけて下さっています。

「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」(ヨシュア記1:9)

神様が一緒にいて下さるので恐れる必要はないからです。

素晴らしい一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月15日(火)00時57分38秒
  「山手線祈祷会&五反田駅プレ伝道」
(一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/5/14(月)【1121】)

月に一度、山手線に乗車して東京のために祈ります。電車の中にはほかの乗客もいますので、声のトーンを落としますが、心を込めて祈ります。一周の一時間があっという間です。心が神の愛で一杯に満たされました。その流れで、五反田駅でプレ伝道をしました。私の生まれた場所は、五反田駅から東急池上線に乗って三駅の荏原中延駅の近くです。五反田はよく利用しましたので懐かしいです。生まれ故郷近くで伝道ができて感無量です。伝道の後には、ワンタン麺を食べながら心行くまで語り合いました。神様の助けが必要です。ぜひ路傍伝道の活動のためにお祈りをお願いします。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月14日(月)07時13分51秒
  「苦しみは私の宝」

人生を振り返ると、思い出すのは、失敗や、つらく、悲しい経験です。そういうことの方が懐かしく感じます。

反対に、成功し、思い通りにいった時のことは、あまり印象に残っていません。

人生に行き詰まった時、「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」(マタイ11章28節)と語られたイエス様と出会うことができて、絶望のどん底から救われました。

その日からも、試練を何度も経験して来ましたが、苦しみの経験を通して、神に近づけられ、神と親しくなり、その苦しみや涙が喜びと笑いに変えられました。

苦しい経験は、へりくだらせ、一番大切なものが何かを教え、人の心の痛みを理解するきっかけになりました。

苦しみは、いつの間にか、輝く宝のような祝福に変わっていました。

「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」(詩篇119篇71節)と聖書は語ります。

「苦しみに会ったことが幸せだった」とは、嘘では言えません。しかし、詩篇の記者が語った言葉は、そのまま私の人生の中でも起こりました。

苦しいから苦しみです。

拒絶や否定されることは、もぐらたたきゲームのハンマーで頭を叩かれたような衝撃と痛みを感じます。

「逃げ出したい!」「回避したい!」「逃避したい!」という気持ちになります。

しかし、逃げ出さないで、自分自身と向き合うと、そこにイエス様が共におられ、両手を広げて私を抱きとめて下さるように感じます。

苦しみの中に、神は共に居て下さいます。

苦しみは宝に変わり、マイナスはプラスに、ピンチはチャンスに変わっていきました。

もちろん、うれしいこと、順調にものことが進むこと、成功すること、良いことが起こることは感謝です。

しかし、ものごとが思ったように進まず、つらく悲しいできごとや、失敗、挫折、行き詰まりを経験する時、そのただ中で神と出会うと、全てが良いことに変わり、マイナスと思っていたことが感謝に変わります。

私は、どんな時にも、どんな状況の中にあっても感謝できる人生を発見しました。

今日、苦しい状況の中にあり、行き詰まり、挫折して、「死にたい!」と思っている人はいないでしょうか。

そこまで深刻でなくても、苦しくて、人生の登校拒否をしている人はいませんか。

あなたは一人ではありません。その苦しみの中で、あなたを待っていて下さる方がいます。イエス様です。

自分自身を責めたり、現実から逃避するのではなく、自分と向き合って下さい。

イエスさまはあなたを助けるためにそっと待っていて下さいます。

その出会いを通して、苦しみ、悲しみ、挫折、行き詰まりは、喜びと宝物に変わります。

人生は楽しいことばかりではありませんが、朝が来ない夜はないように、人生の苦しみは必ず宝に変わります。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月14日(月)01時01分53秒
  「一年前の高田馬場駅路傍伝道 懐かしい!」
《Now watching 764》
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月13日(日)15時50分49秒
  「日常の些細なことにも感謝しよう」
(一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/5/13(日)【1120】)

日常の些細なことにでも感謝できる人は幸せな人です。

どんなことにも感謝を忘れない生き方をしたいです。

些細なことへの感謝を忘れると、よっぽどのことがなければ感謝できなくなるばかりか、どんなに感謝に値することがあったとしても、感謝ではなく、不足に目が向けられ、不平不満を口にするようになってしまいます。

イギリスに行くと、「考えよ。そして、感謝せよ。」と書かれた教会があります。

不足を数えるのではなく、今与えられているものを数え、考えましょう。

こういうことに気付かせて下さる神に感謝したいと思います。

「いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」
(第一テサロニケ5章16節~18節)

日常の些細なことに感謝したいものですね。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月13日(日)07時29分3秒
  「母の日に思う 父と母を敬う祝福」

母の日は、一般的に、「日頃の母の苦労を労り、母への感謝を表す日」とされています。

日本やアメリカでは5月の第2日曜日を祝いますが、スペインでは5月第1日曜日、スウェーデンでは5月の最後の日曜日に祝うそうです。

母の日は、アンナ・ジャービスが亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会を持ち、そこで、白いカーネーションを贈ったことが起源とされています。

アンナの母への想いに感動した人々が、母を覚え、母に感謝することの大切さを認識し、1908年5月10日に、教会に470人の子どもとその母親が集まり、最初の「母の日」祝われました。そこで、アンナの亡き母が好きであった白いカーネーションを贈りました。

このことから、母親が故人である人は白いカーネーション、母親が健在な人は赤いカーネーションを胸に飾ることが習慣となりましたが、現在では、母親本人にカーネーションを贈る習慣へと変化してきました。

この機会に母親を覚え、感謝する時がもてたら素晴らしいと思います。

聖書は、「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。」(出エジプト記20章12節)と語ります。

一ヶ月後には父の日がやってきますが、聖書は、父親だけではなく、母親を敬うように教えます。

それは、父母のためというより、父と母を敬えた人が幸せになり、長寿の祝福が与えられると聖書は語ります。

父母との関係は、一番最初の人間関係です。この人間関係がうまくいっているか?まずくいっているか?で、他の人間関係に大きく影響します。

父親とうまくいかない人は、父は権威を象徴しますので、自分の目上の人、力のある人、権威のある人に対するアレルギーを持ちやすくなります。

時々、牧師である私に、非常に嫌悪感を持つ人に会います。よく聞いてみると、お父さんとの関係がうまくいっていません。そして、男らしい男性をはじめ、公務員、警察官、政治家など、力や権威のある立場の人に対して嫌悪感を持ち、敵対しています。

ある日、父親との関係がうまくいかない男性にカウンセリングをしました。やがて、「父母を敬わないこと」が罪であるとわかり、父に対する憎しみを赦しに変え、悔い改めのお祈りをしました。祈りながら男性は、嗚咽しながら激しく泣きました。

父親との人間関係が変わり、同時に、他の人間関係が改善され、トゲのない、謙遜で、明るく、ユーモアに満ちた方に変わりました。これが、この人本来の姿なのです。

これと同じように、母親とうまくいかない人も、人間関係に問題を抱えます。

ある男性は、母親とうまくいきませんでした。その母親を通して満たされない愛を女性に求めましたので、若い頃から、恋人がいない時期はなく、同棲生活もしました。やがて結婚をしますが、ほどなくして女性に逃げられてしまいます。現在では、3度の離婚歴があります。この方にもカウンセリングをしました。

母親を赦す祈りをするように促すと、「牧師先生、申し訳ないけれどそれだけはできないよ」と言うのです。しかし、最後は、渋々同意して、一緒にお祈りしてくれました。

祈りながらその方を見ると、静かに涙を流していました。お祈りが終わると、あどけない少年のようなすがすがしい顔になっていました。

祈る前は、母親に虐待され、冷たくされ、見捨てられた思い出しかなく、母親を巨大な怪獣のように感じていたそうです。しかし、母親を赦し、悔い改めの祈りをしたら、急に母親が小さく感じるようになり、何で、この小さく弱い母親を憎んでいたのかを後悔し、「母親にあやまりたい。感謝を伝えたい。しかし、今さらそんなこと言えないよなー」と、素直な気持ちを話してくれました。

聖書が、「父と母を敬いなさい」と語るのは、その本人の祝福のためにです。幸せで、長寿の祝福が与えられ、良い人間関係を築けるようになります。

今日、お母さんが健在なら、電話でもいいので、母親に対して感謝を伝えられたらいいですね。

良い日曜日をお過ごしください。

日曜日は教会に!
新宿福興教会HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/
(メッセージを下されば、みなさんの近くの教会を紹介致します。)

また、インターネットを通して神を礼拝しませんか?
「生放送」〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時

ニコニコ動画  http://nico.ms/l/co114841
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月13日(日)00時43分18秒
  「路傍伝道ネットワーク 第8回賛美集会」
《Now watching 763》

賛美集会は、第一回目だけは久遠キリスト教会をお借りして行いましたが、第二回目以降はずっと御茶ノ水クリスチャンセンターを会場に開催しています。路傍伝道ネットワークは超教派の活動であり、同時に、それぞれの地域教会を大切にしています。聖書が「教会」と語る場合、ほとんどが地域教会を指しています。しかし、地域教会を根ざしていないクリスチャンを数多く見かけます。ネットワークのメンバーが自分の仕える教会を大切にするお手本になることを願っています。その上で、伝道をするために力を合わせています。賛美集会は、一緒に神様を礼拝することで、ただお一方の救い主を伝えることにおいて一つになる時であり、賛美チームの練習の場であり、賜物発掘の場でもあります。今日は、ひ たすら賛美を歌い続けました。後半には、聖書のメッセージを分かち合いました。献金を捧げ、記念撮影をし、食事をしてから解散しました。とても良い祝福された時間でした。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月12日(土)10時51分40秒
  「何事もバランスが大切」
(一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/5/12(土)【1119】)

今朝は、久しぶりに「朝祷会」で奨励(説教)の奉仕をさせて頂きました。

そのために、昨晩は、気持ち早く電気を消して休みました。そうしたら、朝5時に爽快な気持ちで目を覚ましました。

一つの部屋で生活をしていますが、家族6人のうち規則正しく生活をしている子もいれば、夜型で朝が苦手な子もいます。

次女は、どんなに部屋が明るく、騒がしくても、決まった時間になると布団に入り、朝は5時半に起きます。

妻は、一番最後に寝る子が休んでから眠り、一番早い子が起きると同時に起きますので、「万年寝不足だ」と言ってます。

あれもこれも、バランスよく行ってからと思うと、あっという間に深夜になります。早めに切り上げないと、朝が眠くて仕方ありません。

優先順位としては、朝一番に神様と交わり、その次に、家族と顔を合わせますので、朝から出かけて行くことはあまり好きではありませんが、説教に招かれた場合は別です。

「誘われた食事会と頼まれた説教は断らない」という主義です。

さすがに、一日に5回別々の方々から食事に招かれた時には、食事はお断りして、お茶だけを頂いたということがあります。

今後は、仮に10回食事に誘われたとしたら、ほんの少しずつ食事を頂こうと思っています。

しかし、説教に関しては、うっかり忘れてしまった時とインフルエンザになった時以外にはお断りしたことがありません。

これもバランスだと思います。

もし、毎朝説教を頼まれたとしたら、夜の仕事は入れないとか、調整をすると思います。

毎朝家族の顔を見てから一日をスタートすることを大切にしていますが、早朝から家を出て、神の家族の皆さんと顔を合わせて一日をスタートするのも良いです。

朝祷会の会場に行ってみると、想像していましたが、信仰の先輩であり、人生の先輩の方々ばかりが集まっていました。若い人たちを前にするのと比べて、やはり緊張します。

しかし、説教がはじまると、その先輩方は聞き上手です。うなずき、メモを取りながら、真剣に聞いて下さいます。緊張はほぐれ、会場は一体となりました。

反対に、若くても、生意気盛りで、やる気満々。腕組みして、「そんなの分かってらー」と斜に構えたり、居眠りしてしまう人たちを前にした方が、逆に力が入ってしまうものです。

最近、やせたいと考えて、炭水化物を抜く人が増えています。確かに、ごはんやパン、麺類を食べなければやせますが、それはバランスの悪いやせ方だと思います。

1、肉、魚、卵、牛乳、乳製品、豆など。
2、米、パン、麺類、イモ類、油、砂糖など。
3、野菜、果物、きのこ類など。

健康にやせるには、上記3種類をバランスよく食べながら、全体の量を減らすことだと思います。

人生、何事にもバランスが大切だと思います。

1、神様との関係
2、家族や親しい人との関係
3、仕事や社会的人間関係

バランスよく関係を保っていきたいものです。

しかし、神様との関係は、三分の一ではなく、三分の三であるべきです。

何をする時にも神様を迎え入れ、24時間を神と共に過ごすことです。

すべてのことを神に向かって行い、神のためにしていきたいものです。

それがバランスです。

ある人が私の教会での説教を聞いて、「菅野さんの説教はキリスト教過ぎます。もっとキリスト教抜きの話をしてもらえませんか?」と言われたことがあります。

もちろん、教会では聖書だけを話しますが、教会の外での講演会では、ほとんどが聴衆の興味のある話をします。しかし、そのすべてに神様で貫かれるように、祈りながら語ります。

仕事中に神様の事だけを考えて行うことは難しいですが、その仕事を神に向かって行い、神のために行ったら、とてもバランスの取れた仕事を行えるはずです。

人は自己中心です。その時点で著しくバランスを欠いているので、神様を迎え入れることでバランスが取れるようになるのです。

週末、土曜日・日曜日、バランスの取れた生活をして下さい。

日曜日は教会に。これもバランスの取れた生活のために欠かすことのできない要素です。

この後もステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月12日(土)05時40分46秒
  「食前の祈りは健康にいい!!」

私は、毎食前に神に「感謝の祈り」をしてから食事をします。どんなに忙しくても、習慣になっています。

昔、グルメを好む王様がいました。

王が食後に、「今まで食べた料理の中で最高の味だ。食事を作った調理師にほうびを与えよう」と言った。

調理師は、王の言葉を聞いて恐縮しながら、「王様、おほめを頂き、うれしゅうございます。しかしこの料理は、私の技術ではなく、良い野菜のおかげでおいしいのです。ほうびなら、野菜を売っている八百屋に与えて下さい」。

王は、彼の言葉を聞いて「その通り」と思って、すぐに八百屋を呼んだ。

王宮に呼ばれた八百屋は、王の賞賛を聞いてびっくりしてこう言った。

「王様、私はただ野菜を売っているだけです。ほうびを受けるのは、野菜を真心込めて作った農夫です」。

次に、野菜を作った農夫が呼ばれた。農夫も、自分が作った野菜が「世界一おいしかった!」という言葉を聞いて、戸惑いながらこう言った。

「王様、私はただ畑に種をまき、野菜をよく手入れしただけです。雨を降らせ、太陽を登らせて野菜を育てて下さる方がいらっしゃらなかったら、私は何も収穫ができませんでした。」

その言葉を聞いた王様は、神に感謝の祈りを捧げました。

農夫、八百屋、調理師のそれぞれがおいしい食べ物を作ることに貢献したことは確かです。しかし、神と人が貢献した割合を考えたら、96%以上が神の業です。土地・種・日光・水。どれか一つでも欠けたら農業をすることはできません。

昨日、こんなお話をしました。

ある冒険家がジャングルを探検していたら、ライオンに出くわしてしまった。

あわてて逃げたが、ついに崖っぷちに追い詰められて、逃げ道を失った。

冒険家は神に、「ライオンから守って下さい」と祈った。

しばらくして恐る恐る目を開けてみると、ライオンはヒザをかがめて、手を合わせておとなしくしているので、冒険家は、「神よ、私を助けてくれてありがとうございます!」と祈った。

ライオンは目を開けて、ほえながらこう言った。「静かにしてくれ! 今、食前の感謝の祈りをしているんだから!」

実際に、食前の感謝をするライオンがいるかどうかは定かではありませんが、こういうライオンがいたとしたら、他の食前の感謝をしないライオンよりも健康で長生きするのではないかと思います。

アメリカの医師「ジョン・ジャーウェン」は、「食前に感謝のお祈りをする」と少なくても「3つの効能がある」と発表しました。

①病気を予防し、免疫機能を向上させるワクチンが体の中から出てくる。

②病気の進行を抑制し、病原菌の侵入を防ぐ抗毒素が体の中から出てくる。

③胃腸内の食べ物が腐敗したり発酵することを抑制する「アンチセプチン」という成分が作られる。

「食前の感謝の祈り」を捧げる人は、食べる前に身体が反応して、健康を促進させ、食事を健康に食べられる物質が体の中で生み出されるとは素晴らしいことです。

食前に手を合わせながら「いただきます!」と言って食事をする人を時々見かけます。これは、食べる動植物に対して、「あなたの命を頂きます。」「あなたの命を頂くことで生き続けられるのです。ありがとう。」という感謝の心を現しているそうです。

私たちが食卓で食事を食べられるようになるまでには、たくさんの人の手がかかっています。「米」という字は、「八」「十」「八」と書きますが、一粒のお米が食卓で食べるまでには、八十八回の手作業がかかっているという意味だそうです。その人たちに対する感謝ももちろん大切なことです。

しかし、私たちが生きていくために必要な水や動植物をただで与えて下さっている神様に対する感謝をもっともっとするべきです。

今日も、「神様、この食事を感謝致します。この食事を食べて、健康で、実り多い一日を過ごせますように。」と感謝の祈りを捧げてから食事をしませんか?

感謝をする人は健康にもいいですし、おまけに、幸せになります。

幸せな人とは、人も羨む有名人や、億万長者や、地位や名誉がある人、自分の思い通りに自己実現している人でもありません。感謝しながら生きている人です。

あなたは幸せですか? 幸せな秘訣は感謝の心にあるようです。感謝しつつ、良い一日をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月11日(金)20時40分46秒
  「今日が最後の日だとしたら」
(一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/5/11(金)【1118】)

もし、今日が人生最後の日だとしたら、あなたはどのように時間を使いますか?

最後の最後まで仕事をしますか?
家族や大切な人と時間を過ごしますか?
やり残したことをやりますか?

人によって答えは様々だと思います。しかし、あなたが選ぶものが、あなたにとって最重要なものです。

聖書は、「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」(マタイの福音書6章21節)と語ります。

「今日が最後の日だとしたら何をするか?」を吟味して、その本当に大切なことを優先にして生きていきたいものです。

また聖書は、「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイの福音書6章33節)とも語ります。

私たちの人生において優先すべきことは、神に関することです。

つまり、何事も神に対して行うことが大切なのです。

神に対して行うならば、無駄なことをすることはありません。

最近私は、「今日最後の日だとしたら?」を考えて時間を使うように心がけています。

そうしたらとても楽ですし、充実しています。

二度と戻って来ない一日一日を大切にしつつ歩みたいですね。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月11日(金)07時49分13秒
  「平和な世界を夢見て」

ある冒険家がジャングルを探検していたら、ライオンに出くわしてしまった。

あわてて逃げたが、ついに崖っぷちまで追い詰められて、逃げ道を失った。

冒険家は神に、「ライオンから守って下さい」と祈った。

しばらくして、恐る恐る目を開けてみると、ライオンはヒザをかがめて、手を合わせておとなしくしているので、冒険家は、「神よ、私を助けてくれてありがとうございます!」と祈った。

ライオンは目を開けて、ほえながらこう言った。「静かにしてくれ! 今、食前の感謝の祈りをしているんだから!」

この話はもちろんジョークですが、ライオンが人間を食べるということはあり得ることです。世界は、弱肉強食の連鎖の中に置かれているからです。

しかし、自然界の本来の姿について聖書は次のように語ります。

「狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。雌牛と熊とは共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。」(イザヤ11章6節~9節)

罪のない世界は、想像もできないほど穏やかで、平和です。

人類の祖先であるアダムとエバは、神が定められたたった一つの律法を破ってしまいました。たった一つの律法を破るということは、全てを破ったに等しいことです。

『神である主は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」』(創世記2章16節~17節)

律法を破る罪を犯した結果、神が、人類と他の全被造物から切り離されてしまいました。結果、この世界に弱肉強食の連鎖が始まってしまいました。

私たち人間の世界にも愛がなくなり、利己的になり、自己中心になり、妬みや憎しみ、怒り、犯罪、暴力、殺人が起こるようになってしまいました。

「神がいるなら、なぜ、この世界に戦争や苦しみがあるのだろうか?」と問う人がいるでしょう。

神がそうしたのではなく、人間の罪が原因なのです。

神は、罪の責任と刑罰、罪の結果の呪いを人類に背負わせるのではなく、神の一人子イエス・キリストが十字架で身代わりに死ぬことによって、罪を贖って下さいました。

キリストが、私の罪の身代わりとして死なれ、墓に葬られ、よみに下られ、三日目によみがえって下さったと信じるなら、罪が赦され、神の子供とされ、呪いから解放され、永遠の命を頂くことができます。

今度の日曜日は母の日です。

母親の愛は神の愛に一番近いといわれます。中には、そうじゃないお母さんもいるかも知れませんが、産んで、育てて下さった母親に感謝し、その母親の元に生まれさせて下さった神に感謝したいものです。

母親を憎んでいる人がいるとしたら、そのことを悔い改め、赦し、愛する決断をしましょう。

母親も罪の中に生まれ、苦しみながら生きて来たのです。そして、その罪はあなたにも流れ込んでいて、親を愛せない、尊敬できない、憎んでしまう気持ちを持ってしまうのです。

キリストの十字架と復活によって、罪の力から解放されました。

もし、赦さないで憎み続けると、無罪が言い渡され、罪の牢屋の扉は開かれているのに、引き続き、罪の牢屋の中に留まり続けることになります。

今日、罪の牢屋から出て、神に感謝し、神と共に歩みませんか?

「狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。雌牛と熊とは共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる」ような、平和で穏やかな世界を作って行きましょう。

そこに至るまでは、多くの戦いがあります。しかし、戦いはすでに勝利しているのです。戦わないと負けてしまいますが、戦ったら、必ず勝利できます。

現在、この世界は悪魔によって支配しています。しかし、それはいつまでも続きません。神の愛がこの世界にやって来ているからです。

今日も、力いっぱい素敵な一日を歩んでいきましょう。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月10日(木)22時26分28秒
  「防災フェスタの報告ニュース」
《Now watching 762》

「第3回防災フェスタ(2018)動画」
http://japan.cgntv.net/movie_player.php?number=2437&sub_number=106392

「第2回防災フェスタ(2017)動画」
http://japan.cgntv.net/movie_player.php?number=2304&sub_number=96256
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月10日(木)12時23分55秒
  「成功よりも成長」
(一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/5/10(木)【1117】)

神は、創世記に登場するヨセフを愛していました。だから、成功の前に成長させてくれました。

神様に取って、人を成功させるのは簡単です。しかし、人が成長するのは難しく、時間がかかります。

ヨセフは一日にして成功しました。囚人から国務大臣になりました。

しかし、ヨセフが成長するためには、長い年月がかかりました。

人が急に成長したら、壊れてしまいます。時間をかける必要があります。

変わりたくないし、心底変わりたいと思うためには挫折のような経験が必要です。

私の知り合いで、失敗した牧師を何人も知っています。

日本は律法的な文化なので、牧師が一度失敗すると、敗者復活がありません。自分の力で立ち直ることはほぼ不可能です。

キリスト教文化のアメリカを見ると、失敗し、挫折したけれど、立ち直った牧師を何人も知っています。

アメリカのトランプ大統領を見ると、何度も倒産を経験し、何度も離婚しています。数々の失敗を繰り返していますが、敗者復活をし、大統領になりました。

日本が悪くてアメリカが良いと言いたいのではありません。

どんな状況の中にあっても、神にあっては敗者復活が可能です。

そのために、成長する必要があります。

人がどん底に落ちた時は、成長のチャンスの時です。

成長していない人が、中途半端に成功すると、傲慢になり、堕落する可能性があります。

しかし、成長した人が成功するならば、神の栄光が現れ、多くの人々の祝福になります。

今、もし、あなたがどん底を経験している人がいたら、成長の時であると知って下さい。

成長させていただけることを感謝しましょう。

成長したら、その成長にふさわしい成功はついてくるものです。

神はあなたの成功よりも、成長に興味があるのです。

「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。」(コリント人への手紙 第一 3章6~7節)
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月10日(木)08時53分47秒
  「互いに助け合う関係」

ある調理器具を売る会社で、テレアポによるセールスをしてたくさん売り上げる社員がいました。

電話の手を休めて、隣りで電話をしている部下に目をやると、自分ばっかりがアポを取っていることに気づきました。

その部下に、「お客さんに調理器具を届けてくれないだろうか?」と頼みました。

最初は嫌がりましたが、仕方なく引き受けてくれました。

その日の晩、その部下から電話がかかって来ました。

「私は今まで、こんなに楽しく仕事をしたことがありませんでした。素晴らしい気持ちになりました。仕事を言いつけて下さりありがとうございました。こういう仕事なら、いつでもまた言いつけて下さい」と言って電話を切りました。

この部下は、自分に向いていないと思っていた仕事をさせられるはめになって、最初は嫌がりましたが、仕事をやっているうちに、心が満たされてきました。それは、自分にやるべき仕事があることと、上司の役にたてているという満足感でした。

上司を助けることで、結果として自分を助けることになりました。

「お互いに助け合いましょう」という社訓が掲げられている会社を知っていますが、「互いに助け合う」ことを言葉にしなくても、自然にできていたら素晴らしいです。そんな家庭や地域や職場にしていきたいですね。

「互いに親切にもてなし合いなさい。それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。」(第一ペテロ4章9節~10節)

ステキな一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月 9日(水)13時04分7秒
  「一日という時間の重み」
(一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/5/9(水)【1116】)

一日という時間は、誰でも客観的に24時間です。

その中で、睡眠に6時間半、三回の食事に1時間半、準備などに2時間を使ったら、自由に使える時間は、せいぜい14時間です。

この14時間を有効に使えば、移動時間を含めて10以上の要件を行うこともできます。

総理大臣の一日の動きを見ていると、まさに分刻みです。しかし、その取り巻きの人の協力あってのことですし、通常はそのようなスケジュールは不可能です。

段取り八分の仕事二部と言われますが、二の仕事をするのに、その4倍の時間は段取りと準備に時間がかかるものだからです。

私の場合、一つの用事を心を込めて行うとしたら、はしごは難しいので、一日に2~3の仕事をするのが精一杯です。

サラリーマンは、完全に8時間以上拘束されています。

一日の重みは、それ単体で見たら多くはありませんが、一生から見たら、とても貴重です。

人を愛するとは、その命の一部である時間を割き、その愛する人と時間を共に過ごすことに他ならないと思います。

お互いに、時間の重みを感じながら、その時間を使って愛し合い、共に過ごす時間を持っていきたいですね。

私が毎日文章をと写真を準備してネット上に投稿するのは、暇だからやっているのではありません。時間がない中で、読んで下さる方々を思い、その喜んで下さる顔を思い描きながら準備しています。

大切なみなさんの祝福を祈ります。今日も、私の書く文章を読み、写真を見るために時間を使って下さり、その愛に感謝致します。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月 9日(水)07時04分2秒
  「人間の価値と地位や実績」

私たちは、無意識の中で、ある特定の人を「すごい!」と思っていることはないでしょうか? その人は、著名であったり、地位があったり、学歴があったり、財産を持っていたり、名声を得ていることが理由かも知れません。

こういう人たちは、他の人たちが持っていないものを持っていることは確かです。しかし、それだから優れていると言えるでしょうか? それは、うわべだけの違いで優劣を付けていることにすぎず、その人を特別視するにはあやふやな価値基準です。

『人はうわべを見るが、主は心を見る。』(第一サムエル16:7)

人のうわべだけで、人に優劣を付けるのは、口や鼻や耳や目が大きいということで、「立派な人」だと決め付けているようなものです。

人の価値は、人を造られた創造者だけが決めることができます。人を造られた神は、人の価値をどう見ておられるでしょうか?

『わたしの目にはあなたは高価で尊い。 わたしはあなたを愛している。』(イザヤ書43:4)

創造者である神の目には、人は高価で尊く映っています。それは、あなたに対しても同じです。神の目に高価で尊く映っていることを知ったら、自分に対して、神の目を通して見るようになり、もう自分の価値を人と比較して低いと感じる必要はなくなります。

そして、他の人に対しても、神の目に高価で尊く映っている人として見るようになり、他者が素晴らしく見えてくるはずです。そうなったら、人をうわべだけで判断することがなくなります。

人は、みんな違いますが、みんな違った素晴らしさがあるのです。どうぞ、人に優劣を付ける偏見から解放されて、人を高価で尊い存在として関わって行けたらいいですね。それが人を愛することにつながって行くはずです。

多くの人は、自分と人を比較して、劣等感か優越感を持っています。それは正しい尺度ではありません。顔を例に取るならば、口も鼻も耳も目もみんな違うけれど、みんな素晴らしいのです。人も同じです。

自分が持っていないものを持っている人を見たら、そこで劣等感やねたみを感じる必要はないのです。素直に素晴らしさを認めて、賞賛したらいいのです。そして同時に、その人が持っていないものを自分が持っていることを認めて、感謝したらいいのです。

人と人の違いは、比較するためのものではなく、互いに調和して助け合い、補い合い、さらには、学び合うためにあります。互いに成長し合い、互いに高め合って行けたらとても素晴らしいと思いませんか。

私もあなたも、共に素晴らしい存在です。素晴らしい者同士、力を合わせて、素晴らしい社会、素晴らしい世の中、素晴らしい世界を作って行きたいですね。今日も素晴らしい一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月 9日(水)00時15分41秒
  「共有」
《Now watching 761》

葬儀が終わりました。とても良い雰囲気の式になりました。閉会後には、会食に招かれました。喪主や親族の方々とゆっくりお話しすることができました。こういう時間が持てるのは、お互いに祝福だと思います。主の慰めと祝福を祈ります。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月 8日(火)11時09分34秒
  「神様の粋な計らい」
(一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/5/8(火)【1115】)

今日と明日は、葬儀の司式をします。はじめて葬儀の司式をしたのは20年近く前の神学校を卒業した直後でした。

先輩の牧師が、手取り足取り教えてくれたので、教えてもらった通りにやりました。

子供の頃は、葬式が苦手でした。神妙な面持ちで参列する人たちを見ていると笑いが込み上げて抑えられませんでした。

葬式には、本当に悲しんでいる人ばかりではなく、付き合いで参列し、さほど悲しんでいない人も紛れているものです。本当に悲しんでいない、悲しい振りをしている人の顔が可笑しくて仕方ありませんでした。

しかし、自分が司式をする時には、喪主をはじめ、近親者、参列者、葬儀社の人たちのすべての視線が私に注がれます。失敗は許されません。

ひたすら祈り続けました。

とても真剣でした。

もしかしたら、その時の葬儀司式が一番心がこもっていて、一番良い司式ができたかも知れません。

あれから数え切れないほどの葬儀を司式して来ました。慣れることはありませんが、やっと自然体でできるようになりました。

神様は、不思議と私に結婚式の司式は任せて下さいませんでした。

結婚式の司式は、実は、両手で数えるほどしかやったことがありません。

神様は、私が結婚式で新郎と新婦を祝福することが性格的に向いていることを御存知だと思います。

あえて得意でない葬式をたくさんやらせて下さり、キャパを広げて下さったのだと思います。

私は、未信者向けの伝道説教、教会員向けの礼拝説教などは得意ですが、将来牧師・伝道者・リーダーになろうとする人たちの神学校の講義はあまり得意ではありません。

しかし、時々、そのような奉仕を与えて下さり、私のキャパを広げて下さる神様の粋な計らいに感謝をしています。

この世の中、一芸に秀でていれば、それだけで食べて生きるし、生きていけるものです。

もし私が、一芸に秀でていたとしたら、有名になっていて、あまり苦労しないで生きていたかも知れません。

しかし、私は平凡な人間です。

得意なことだけではなく、苦手なことでも、人一倍努力をしています。

本当は、人前で話したり、文章を書くことは大の苦手です。

神様の助けを得ながら努力をして、今では、事あるごとに、人の前で語り、公なところに文章を寄稿するようになりました。

すべては神様の恵みです。神様の粋な計らいに感謝しています。

神様の粋な計らいの中には、「こういうことがしたい!」と思っているのに、その道を閉ざされることもたくさんあります。

神様が道を閉ざされたのか、あきらめないで挑戦し続けるべきなのか、それは、神様との関係の中で見極めないと難しいです。

道が閉ざされたように見えても、あきらめないでチャレンジし続けなければいけないこともあります。

しかし、神が道を閉ざされたならば、その事実を受け入れ、向きを変えて、神が開かれた道に進むべきです。

祈れば、神様は教えて下さり、導いて下さいます。

そして、神様の召された道を忠実に歩み、生きるのみです。

たとい、人が評価してくれなくても、人がほめてくれなくても、人が見ていなくても、人の役に立っているかどうかわかならなくても、それが小事に思えたとしても、神様が与えられた使命に生きるのみです。

孤独を感じることもあります。しかし、神がいつも一緒にいて私を導いて下さいます。

神様は、粋な計らいをして下さるお方です。神に導かれて歩んで参りましょう。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月 8日(火)08時28分21秒
  「人生の目標を立てる」

ある医学博士が、人生の目標を持っている人と、目標を持たずに生きている人を調査しました。

目標を持っている人は、目標を持たないで生きている人より収入が二倍もらっていることがわかりました。

さらに、目標を持っている人は、何に対しても意欲的で、人生に満足していて、幸せな結婚生活を送り、健康状態も良好です。

人生の目標を立てないで生きることは、行き先を決めないで乗り物に乗ることと似ています。

空港に行って、とりあえず飛行機に乗る人がいるでしょうか?

人生は長いようですが、長くはありません。

目標を立てることは今からでも遅くはありません。しっかりとした目標を立てて、その目標を目指して歩んでいきましょう。

「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」(ピリピ3章14節)

パウロの最終の目標は、天国行った時、神から「よくやった!」といって頂き、栄冠を得ることでした。

最終目標を神からの賞与を得ることに設定すると、安っぽい野心ではなく、命をかけても惜しくないような偉大な夢が出てくるはずです。

目標を設定したならば、その目標に向かって、今日も歩んでいきましょう。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月 7日(月)15時56分38秒
編集済
  「AwakeとRevival」
《Now watching 760》

全日本の教会が目覚め(Awake)しますように。人々がイエス様と出会い救われます(Revival)ように、力を合わせて祈っています。「神様、憐れんで下さい!」
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月 7日(月)11時22分6秒
編集済
  「死を考え生きる」
(一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/5/7(月)【1114】)

三十代までは、自分が死ぬということすらまず考えたことがありませんでした。

「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」と言われますが、人生の中で3度、死と隣り合わせの経験をしましたが、しばらくすると忘れてしまうものです。

小学3年生の時に、自転車で無人踏切を渡って、あと3mのところで電車に轢かれそうになりました。死と紙一重の体験でした。

16歳の時に、山の林道を原付バイクでツーリングしていました。エンジンを唸らせながら急なのぼり坂をノロノロ走っていると、突然、森の中から仙人のような男が「ワーッ」と大声を出して襲い掛かって来ました。一瞬ハンドルを切って、寸でのところでかわしましたが、あの時襲われていたとしたら、何をされたかわかりませんでした。思い出すだけでも恐ろしい経験です。

18歳の時に、環状八号線をシグナルGPをしながら、数台のバイクと競うように走っていた時、突然目の前に右折車が曲がって来て、併走していたバイクが突っ込み、ライダーが即死しました。その音の大きさと、その凄惨な光景を思い出すたびにうなされました。

その前後にも、死んでいたとしてもおかしくなかった経験がいくつもあります。しかし、今日を生きることで精一杯で、いつの間にか、死を忘れていることがあります。

昨晩、しばらくぶりに、葬儀の司式の依頼を受けました。喪主(施主)さんと何度も連絡を取り合いながら、式次第と式辞(説教)の準備をしています。

葬儀の司式をしたり、葬式に参列すると、死がリアルに迫って来ます。

通常、死は恐ろしい経験です。

生きている人が経験したことのない世界からです。

また、死とは、この地上の人生の終わりだからです。

死は恐い半面、死に就いて考えると、不思議とホッとします。

昨日、教会員が転職のために外国に行きました。彼の荷物は、たったスーツケース一つです。その荷物を見ながら考えさせられました。

車もバイクも持っていますし、私の荷物は、その何十倍もあるからです。

しかし、死んだら、何一つ持っていくことはできません。

人は生きるために生まれて来ました。しかし、同時に、死ぬ日が必ず来ます。人の死亡率は100%だからです。

私は、天国につながる生き方をしたいと願っています。しかし、同時に、死を見据えながら、今という時を生ようと心がけています。

他人の死に直面すると、天国がリアルにナリ、今の人生がシンプルになります。「悩んでいる時間はないな」と思います。

人生がいつまでも続くなら、人生はダレてしまいます。

しかし、人生の終わりを意識した途端、今の重みが変わって来ます。

「今日死ぬ日が来たとしても良いように生きよう!」と生き方が真剣になります。

使徒パウロは、「兄弟たち。それらがいつなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たちに書いてもらう必要がありません。主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。人々が『平和だ。安全だ。』と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。」(第一テサロニケ5:1~3)と、世の終わりに就いて語りました。

これは、文字通りの世界の終わりの日ですが、もう一つ、私たちに取っての終わりの日があります。

私たちが死んでこの地上を去る日です。死んだら、私たちに取ってのこの世は終わりだからです。

パウロは、世の終わりが近いと警告した上で、「ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。」(第一テサロニケ5:6)と勧めます。

そして、結論として、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(第一テサロニケ5:16~18)と語りました。

有名な「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」という言葉は、「世の終わり」というテーマの中で語られている言葉なのです。

世の中を生きることはつらいことの連続です。そのつらさを紛らわして快楽に生きることも可能ですし、現実逃避して生きることもできます。

しかし、このつらい世の中はいつか終わりが来る。だから、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」と勧められているのです。

外国に旅立った教会員のように、荷物はできるだけ少なくしたいです。

死ぬ準備、そして、天国に行く準備のためです。

もちろん、与えられた使命を全うするまでは、そう簡単には死ねませんが、神様が、「もう戻って来なさい!」と言って下さる日が来たら、この世を去ることになります。

その日が来たら、私は、この地上から天に移されるのです。もっともっとはるかに良い場所に行くのです。

だから、今日も、喜び、祈り、感謝しながら生きていきたいです。

これから祈祷会に出かけ、夜帰宅したら、明日の葬儀の準備の続きを行います。

神様が、死を考え、死と向き合う機会を下さって感謝しています。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月 7日(月)07時51分41秒
  「ゆとりある人生を生きる秘訣」

牧師になって一番苦労することの一つが説教の準備です。毎週月曜日の朝から準備をはじめます。

ある時、牧師の集まりで、「みなさんは、毎週いつ頃から説教準備をはじめますか?」と質問されて、指されたので、「月曜日の早朝からです」と答えました。

司会者が「素晴らしい! みなさん拍手しましょう」と言い、たくさんの拍手を頂いた経験があります。

別に賞賛されるような習慣だとは思っていませんが、何事も、重要なことから先に手をつけるようにしています。この習慣はある時から身につけました。

クリスチャンになる前の私は、学校の宿題はいつも後回しでした。そして、提出直前に慌てて宿題をやっつけていたことを思い出します。

嫌なこと、大変なこと、面倒くさいことは、いつも大抵が後回しでした。

18歳の時にクリスチャンになり、私の人生は大きく変わりました。特に変わったのが価値観です。

今までは、楽しいこと、得すること、おいしいこと、興奮することなど、自分を喜ばせることに価値を置いていました。

しかし、キリストの素晴らしさを知った時から、キリストがあまりにも素晴らしいので、それ以外のものが色あせて見えるようになりました。

使徒パウロは、「私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。」(ピリピ3:7~8)と語りました。

キリストの素晴らしさに心が奪われるようになりました。

私の優先順位は変わりました。

まず、神の愛と神の教えを人々に解く「説教準備」から「一週間」をはじめます。

そして、物事を重要な順に一つひとつを行っていきます。そうすると、後で時間にゆとりが出て来ます。

明日と明後日には葬儀司式をしますが、葬儀はいつも急に入って来ます。

そして、突然集会の奉仕の依頼が入ることがあります。本命の説教者が来れないので、ピンチヒッターとして声がかかったこともあります。

そんな時も、大切な準備や仕事はすべて終わっているので、依頼された奉仕や仕事を行うことができます。

スケジュール帳には、数多くの予定が詰まっていますので、いつでも急な仕事の依頼を引き受けられるとは限りませんが、気持ちの面では、ゆとりがあります。

「何かに追いかけられている」という感覚より、いつも「重要な何かを追いかけている」気持ちです。

私の文章を読んで下さるようなみなさんは、賢明な方々ばかりだと思います。

一日のはじめに、まず祈り、祈りの中でやるべきことを書き出して、重要なことから仕事を片付けて行かれることをお薦めします。

時間にゆとりも生まれますので、余った時間に家族や友達と時間を過ごしたり、趣味を楽しむこともできますし、さらに、色々なボランティア活動や奉仕活動を行うこともできます。

今週もステキな一週間を過ごせますように。祝福をお祈りします。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月 6日(日)19時59分22秒
  「ラーメンMIX、教会MIX」
(一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/5/6(日)【1113】)

今日は、長年教会生活を共に送った男性を送り出しました。

お昼の礼拝(集会)の後に、食事会しましたが、送別会だったこともあり、朝礼拝にほとんどの人が集まりました。

残念ながら食事会の模様の写真を撮り忘れ、大半の皆さんが帰った後に写真を撮りました。

夜の礼拝の後は、ラーメンMIXをしました。5種類のラーメンを混ぜて食べました。毎回オンリーワンの味わいです。

教会も、それぞれ個性的な人たちがMIXされて交わりをされています。MIXされた神の家族との交わりは最高の時間です。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月 6日(日)07時16分52秒
  「神様からほめられる人は?」

タクシーの運転手と牧師が天国に入った。

タクシーの運転手は、最高で時速200kmも出すようなスピード狂であった。乗った人は、シートベルトをし、死ぬかも知れないと思った。

牧師は、優しい語り口で、難解な説教をし、会衆を安らかな気持ちにさせた。

ある日、タクシーの運転手と牧師は死んだ。

神様は、天国で牧師よりもタクシー運転手をほめた。

タクシー運転手に神様は、「あなたは、たくさんの人に、『神様、助けて下さい!』と祈らせた。眠っていた信仰を呼び覚まさせた。」

次に、神様は牧師に、「あなたは40年も教会で説教をしたが、みんなを眠らせてばかりだった。どういうことだ!?」

これはジョークですので、神様が本当にそう言われるかどうかわかりませんが、会衆をいつも眠らせるような説教者になりたくないと思います。

ところで、キリスト教徒は、目に見える像やご本尊、教祖などを拝むことはありません。神は目に見えないお方だからです。

「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちの息と万物とをお与えになった方だからです。神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。あなたがたのある詩人たちも、『私たちもまたその子孫である』と言ったとおりです。そのように私たちは神の子孫ですから、神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません。」(使徒の働き17:24~29)と聖書に書かれています。

教会には、神の臨在があります。目で見えず、耳で聞こえず、手で触れることはできなくても、神がここにおられ、生きておられることを、体験することができます。

聖霊が満ち溢れ、神の臨在が満ち溢れるならば、教会に来て眠くなってしまうことはありません。平安といやしがあり、人を元気にさせます。

日曜日に、タクシーに乗って、スピード狂の運転手の運転に、「神様、助けて下さい。守って下さい!」と祈るのもいいですが、教会で、「神様、一週間守って下さい!」と共に祈りませんか?

日曜日は教会へ! お待ちしています。
新宿福興教会HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/

首都圏から遠い方で教会に行ってみたいと思われる方には、近くの教会を紹介致します。

また、インターネットを通して礼拝を生中継しています。良かったらご利用ください。

〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時
「集会の生放送(ニコニコ動画)」と「録画放送 http://9001.teacup.com/sfk/bbs」をしています。

①ニコニコ動画  http://nico.ms/l/co114841
②新宿福興教会HP  http://www.geocities.jp/sgr_ch/
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月 5日(土)22時16分57秒
  「渋谷駅ハチ公口路傍伝道 活動報告」
《Now watching 759》

 朝の投稿でお話しましたが、今日は「こどもの日」。国民の祝日の1つで、「こどもの人格を重んじこどもの幸福をはかるとともに親に感謝する日」として、1948年に制定されましたが、私たちに取っては、「神のこどもの日」と考え、神のこどもとされたことを思い、神に感謝をささげながら伝道を行いました。

 人・人・人でごった返す渋谷駅ハチ公口広場で伝道しました。約1時間30分の間、ノンストップでゴスペルソングを歌い、チラシ40枚を配り、個人伝道をしました。

 渋谷は、若い人と外国人が多く、神に祈り、大きなパワーが必要でしたが、同時に、カメラを向けてくれる人、手拍子をしてくれる人、手を振ってくれる人、聞いてくれる人などがいて、私たちもたくさんのパワーをもらいました。

 今は神のこどもはごく一部しかいませんが、祈りながら、みんなが神の子になる姿を思い描きつつ伝道をしました。

 福音の種をまき、すぐに刈り取りのできる効果的な伝道も必要ですが、すべての人に福音を伝え、知っていただく必要があります。路傍伝道ネットワークは、その使命を担わせていただけることを感謝しています。どうぞ、皆様のお祈りをお願いします。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月 5日(土)10時05分31秒
  「本当のところ何が大切なのか」
(一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/5/5(土)【1112】)

クリスチャンは、神を第一に生きていくことを目標にしています。

本当のところ、私は神を第一しているのだろうか?

わかりやすい2つのハードルがあります。

時間とお金です。

①日曜日の礼拝を、何にも勝って第一にしているか。
②全収入の什分の一を神様にお返ししているか。

その2つは当然行なっています。

牧師だから普通に行えるが、牧師じゃなかったとしたらどうだろうかと考えてみたら、難しいだろうと感じます。

人には、それぞれ段階があり、レベルがあります。

その2つをチャレンジしたら、究極の選択を迫ることになります。

当然、「はい、神様を第一にしたいです」と応答できる人がいます。

しかし、目に見えない神様を第一にすることが難しい人は、教会を離れていき、「そのままでいいですよ」と言ってくれる教会を探して移るか、教会に行かなくなってしまうかも知れません。

究極の選択を迫るチャレンジは、ザルで水をすくうようなことになる可能性があります。

ザルで水をすくったら、ほとんど何も残りません。

何も残らないとしたら、そのチャレンジは良かったのでしょうか。

その時大切になって来ることは、謙遜さ、柔和さ、そして愛です。

「兄弟たちよ。もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。」(ガラテヤ人への手紙 6章1節~2節)

また、人は立場が変わったら、生き方も変わります。

与党議員と野党議員では、同じ状況に置かれたとしても、まったく対応が変わる可能性があります。

牧師と信徒も、同じ状況に置かれたとしても、考え方、感じ方、対応が変わって来る可能性があります。

それを踏まえた上で、柔和な心を持ち、互いに重荷を負い合う心が大切です。

「自分は正しい!」
「自分はできている!」
「自分は大丈夫だ!」
と考えると、キツイ対応をしてしまう可能性があります。

「自分にも同じ弱さがあり、足りなさがあり、罪がある。しかし、あえて言わせてもらいます」という、謙遜と柔和な心の態度を忘れないでいたいと思います。

人を厳しく断罪し、非難した人が、同じ弱さを抱え、同じ罪を隠し持っていたというのを何度も見たことがあります。

相手の弱さを見て、自分の心にある罪責感が引き出されて、思わず相手を裁いたのだと思います。

しかし、自分にも同じ要素や罪があると自覚し、神様の赦しを頂いていることを感謝しているなら、人を安易に責められなくなります。

同時に、言うべきことは言わなければなりません。

でも、その時の言葉や態度は、柔和であり、優しいものだあり、愛から発するものになるはずです。

聖書は、
「神は愛です」
「愛が最も重要である」
「愛がなければ私は無に等しい」
と語ります。

「本当のところ何が大切なのか」を人に問う前に、「私は愛の心で人に接しているか?」を問わなければなりません。

神を信じ、神と共に歩む人生は、究極の選択が迫られ、本当のところ何を大切にしているかが問われます。

その時、神と向き合い、「神様助けて下さい。私を憐れんで下さい」と祈りたいです。

神様は、助け主聖霊を通して、祈りに答え、私を助けて下さるからです。

神の救いは、最初から最後まで、恵みによるのです。

神の恵みに感謝致します。

「--あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです--」(エペソ人への手紙 2章5節)
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月 5日(土)07時12分41秒
  「『こどもの日』と『神のこどもの日』」

今日は「こどもの日」。「こどもの日」は、国民の祝日の1つで、「こどもの人格を重んじこどもの幸福をはかるとともに母に感謝する日」として、1948年に制定されました。

中学生くらいまでは、自分も「こどもの日」に該当すると感じましたが、それ以降は、自分とはあまり関係がない日と感じるようになりました。

大人となり、こどもの父親になりましたが、私の両親から見たら今もこどもです。

さらに、神様か見たら、永遠に「神のこども」です。

聖書は、「すべての人が神によって創造された」と語ります。

「天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。」(コロサイ1章16節)

聖書は、すべての人が「神のこども」ではなく、新しく生まれた人が「神のこども」であると教えます。聖句を引用します。

「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」(ヨハネの福音書1章12節~13節)

「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。」(ローマ8章14節~16節)

次に、救われる前の私たちは、「生まれながら御怒りを受けるべき子」であると教えます。

「私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。」(コロサイ2章3節)

人は、生まれながらにして「神の怒りの対象」であるという意味です。恐ろしい、「バッド・ニュース」です。

しかし、同時に、「グッド・ニュース」があります。

その神の怒りは、クリスマスにこの世界に来られた、イエス・キリストが身代わりに引き受けて十字架で死なれました。

「キリストの十字架と復活が私のためであった」と信じる人は、誰でも、「怒りの子」から「神のこども」に変わります。

キリストの救いを受け入れているならば、大人であっても、あなたも「神のこども」です。

信仰とは、神が「天のお父さん」で、私が「神のこども」という関係で生きることを指します。

宗教は、人が神や救いに到達する努力です。しかし、信仰は、神が私たちに与えられた救いを受け入れ、神と私の親子の関係で生きる生き方です。

今日の「こどもの日」は、こどものための祝日が、「神のこども」とされた人も「神のこどもの日」として、自分のためにあると考えてもいいのではないでしょうか。

「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」(ヨハネの福音書1章12節~13節)

「神のこども」は、世界中に20億人以上います。実に、地球上の全人口の3人に1人です。しかし、日本では100万人くらいです。日本の全人口の100人に1人です。

ある人は、「日本には日本の宗教がありますから」と言います。しかし、クリスチャンになるということは、外国の宗教に入ることではなく、自分を造られた神と親子の関係で生きることです。日本人、韓国人、中国人などのアジア人、欧米人、アフリカ人などとは関係がありません。

「こどもの日」とは、「こどもの人格を重んじこどもの幸福をはかるとともに母に感謝する日」でもあります。

あなたを造られた神は、「神のこども」であるあなたの人格を重んじ、幸福を願っておられる方です。この日、あなたの両親を敬い、創造者である神に感謝を捧げませんか。

今日も、ステキな一日をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月 4日(金)21時19分4秒
  「路傍伝道ネットワークが大切にする10の項目」
(一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/5/3(木)【1111】)

昨日は、一日家族とともに過ごしました。今日は、神の家族である路傍伝道ネットワークのみなさんとバーベキューをし、賛美をし、語り合い、ともに過ごしました。

路傍伝道ネットワークは、日本全国のクリスチャンがつながって、イエス様の大宣教命令に応答して路傍伝道をする「チーム・イエス・キリスト」です。

ここに来て下さる方々はいろいろな価値観を持っておられます。

そこで、今日は、路傍伝道ネットワークの私たちが大切にすることを語り合い、考えました。

1、地域教会につながる。

一般に、一つの地域教会に根を下ろさないクリスチャンを見かけることがあります。それは、霊的ホームレスであり、一匹オオカミであり、いいとこ取りです。

霊的に無防備なので、攻撃を受けやすく、ダメージを受けやすいです。

また、せっかく伝道をしても、人々を、教会を軽視するように導いてしまう可能性が高く、結果的に悪いモデルとなってしまいます。

伝道の前に、地域教会に根を下ろすことを優先してもらいます。

また、牧師の許可を得て参加してもらっています。

2、ネットワークのお互いを大切にし合います。

お互いの調和を大切にし、手と手を取り合って伝道します。

3、救いの教理がしっかりしている。

これはとても大切です。

イエス様の十字架と復活を信じることで、完全な救いを受けているという共通点を持つことを大切にしています。

以前、路傍伝道をする仲間同士で、初歩的な議論をしました。お互い一歩も譲りませんでした。

A君は、「イエス様を信じるだけで救われる。」と語りました。

B君は、「聖書には、信じてバプテスマを受ける者は救われる」と書いてあるのだから、信仰だけではなく、洗礼を受けないと救われない。」と語りました。

C君は、「ヤコブ書に、『行いのない信仰は死んだものである』だから、信仰+行いが必要だ。」

正解はA君です。

しかし、信仰によって救われた人が最初に神に従うことが洗礼です。洗礼は重要です。口で信じていると言っても、洗礼を受けないということは、口先だけの信仰か、もしくは、信じていない可能性があります。

「行いのない信仰」もこれと似ています。本当に信じていたら、行いは自然に変わり、生き方が信仰の内容を証明するからです。行いのない信仰者がいるとしたら、それは、偽善か、信じているつもりではいるけれど、実際は信じていない可能性があります。

4、自分の救いの確信をしっかり持っている。

伝道する前に、救いの確信を持つことが大切です。

救われている気がするかどうかは関係ありません。聖書が語ることを信じて受け入れるならば救われるのです。

5、聖霊に満たされる。

これは、簡単に言えば、「イエス様が主、私は従」という関係を確立することです。それが聖霊に満たされた状態です。

6、自分を語るのではなく、キリストを語ることを共に心がける。

証することは変えられた自分を語ることですが、語ることで、自分の栄光ではなく、神の栄光を現すことです。

「恥は我がもの、栄光は主のもの」です。

7、魂を愛する。

このことは強調し過ぎてもし過ぎることはありません。

8・悪魔・悪霊との霊的戦いをする。

伝道するとは、神の武具を身につけ、血肉の戦いを止め、背後で働く悪魔・悪霊との戦うことです。

9、聖書を神の言葉と信じ、聖書から外れた価値観を捨てる、語らないことです。

10、イエス様の大宣教命令を直接受け止め、それに従い、実行することです。

当たり前の事ですが、一つの教会を越えて、複数の教会から集まって伝道をすると、様々な考えを持った人同士が集まりますので、最低限、この10項目くらいは一致していたいと思います。

今日は、路傍伝道ネットワークのみなさんと、バーベキューをしながら、楽しい一日を過ごしました。

幸せなみどりの日の一日を過ごしました。

皆様はどんな一日を過ごされたでしょうか?
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月 4日(金)06時59分2秒
  「いい面をリストアップし、感謝しよう」

「私は不幸だ!」と思っている人に対して、「自分の粗探しをやめて、いい面を探してリストにして下さい!」と話します。

自分自身について、自分の仕事、友人、配偶者、地域、環境などの好きな点、いい部分を紙にリストアップし、書き出してみて下さい。

それを朝晩、口に出して言ってみるのです。

ある日、教会に相談に来られた方は、自分の仕事に不満を持っていました。

その仕事のどこが好きで選んだのか? 今、その仕事の好きな点をあげて、リストにして、毎日それを口で話してください、と話しました。

二週間くらい経過した時、「教えて頂いたことを実行したら、最近、上司からたびたびほめられるようになりました!」と、うれしそうな顔で報告に来てくれました。

自分に与えられているものに対して感謝をすると、悪循環が打ち破られ、好循環がはじまります。そうすると、自然に感謝があふれますので、ますます好循環になり、感謝と好循環が相働いて、幸せで、祝福された人生を歩む人になります。

「ことばに表せないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。」(第二コリント9章15節)

感謝にあふれた一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月 3日(木)20時19分47秒
  「家族と過ごす時間」
(一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/5/3(木)【1110】)

今日は家族で一緒に出かけました。買い物などしながら一日外出しています。食事は三食とも外で食べました。朝と昼はガッツリ食べたので、夜はマクドナルドにしました。有意義で楽しい時間を過ごしてています。こんな優雅な時間が与えられて感謝しています。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月 3日(木)08時05分42秒
  「言葉の力」

ある電車の駅で、ホームレスの男性がボールペンを売っていた。一人のビジネスマンがやってきて、100円を支払ってすぐに電車に乗った。しかし、思い直して、次の駅で降りて戻ってきた。

「代金を支払ったのに、品物を受け取ることを忘れていたよ。あなたは私と同じビジネスマンだ。ビジネスとは、正当な価格で商品を売ることだからね。」と言い残して立ち去った。

数ヵ月後、ビジネスマンの前にピシッとしたスーツを着こなしたセールスマンが歩み寄って、自己紹介した。

「きっと私のことを覚えてないでしょうね。しかし、私はあなたを決して忘れません。あなたは、私に自尊心と自信を取り戻してくれた恩人です。ホームレスの私に、『ビジネスマン』と呼んでくれました。ありがとうございました。」

たった一言の励ましの言葉が、計り知れない大きな力を与えたのだ。

振り返って見ると、私を励ましてくれた数多く恩人がいる。

マイナスの評価を受けて、自信を失い、「どうぜ私なんか役に立たないんだ!?」と落ち込んでいた時に、力強い励ましの言葉をかけてくれた。

ある時は、神様が祈りの中で励ましててくれたこともある。ある時は、神様が人を通して励まして下さった。

それらの言葉が自信を回復させ、立ち上がる力を与えてくれた。一人一人の恩人にただ感謝します。

人から期待され、評価され、認められることによって、下を向き、人生をあきらめかけていた人が再び立ち上がる力を与えられる。

イエス様の弟子のペテロもその一人だった。

イエス様から祈られ、失敗を赦され、期待され、評価されて、挫折から立ち直ることができた。

「わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22章32節)

後にペテロは、初代教会の中心人物となり、多くの人を励まし、立ち上がらせる伝道者・牧師となった。

私たちも、励ましの言葉によって助けられてきたはずだ。

今度は、出会う人一人ひとりに励ましの言葉をかけてあげられる人になりたいものだ。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2018年 5月 2日(水)22時24分31秒
  「よく笑いよく食べる」
《Now watching 758》

大笑いし、おいしく食べています。今晩は、すき焼き、豚キムチ、チャーハンです。
 

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