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(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月24日(日)18時41分13秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【891】2017/9/24(日)半生を振り返って」

今日は、教会創立16周年を祝いました。

朝は、草加の天野先生の教会に説教をしに伺いましたので、夕方の礼拝で祝いました。

しかし、教会創立16周年を振り返るよりも、自分の半生を振り返った1日でした。

自分のことを語ったのは久しぶりでした。

普段、説教準備は半年くらい先まで終わっていますが、外部で説教する時には、事情も違いますし、ギリギリまで内容がまとまらないことがあります。

説教準備が終わったのが、1日前の夜でした。

説教の中で、自分の半生を振り返り、神様が教えて下さったことを語りました。

最近では、自分の半生を考えることも、語ることも少なかったので、嬉しくなりました。

教会創立16周年も半生とは切っても切り離せませんし、クリスチャンになる前のこと、クリスチャンになったきっかけ、クリスチャンなり牧師になり、その後の人生を語ることで、神様が、確かに私と共にいて下さり、私を愛して下さっていると、強く確信できます。

神様の目を通して半生を振り返ると、何て神様は素晴らしいのだろう。何て神様は私を愛して下さっているのだろう、と驚きを隠せません。

人の人生と自分の人生を比べて、劣等感や優越感を感じることは無意味です。

どうぞ、神様が私をどれだけ愛して下さっているのかを知り、味わい、想って下さい。

そうしたら、心に幸せと安らぎと喜びを感じることができますし、人に対して嫉妬しなくてすみます。

半生を振り返って、神様に感謝をした1日でした。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月24日(日)06時56分32秒
  「教会創立16周年記念日 ~世代を超えた交わり~」

私が務める新宿福興教会は、2001年9月23日にJR中央総武線の大久保駅北口駅前のカラオケ喫茶の「パラダイス」と、西新宿の「ストーク・マンションの一室」の二箇所でスタートしました。

それぞれの場所で20名くらいの人が集まり、順調なスタートでしたが、ストーク・マンションでの「第二チャペル」は、しばらくして閉鎖することになり、駅前の「パラダイス」の場所の「第一チャペル」も、約4ヶ月経った頃に、お店のママさんが、「教会に又貸しした」と、大家さんからカラオケ喫茶のお店ごと追い出されることになり、二箇所とも教会の場所を失ってしまいました。

教会にとっても大きな試練であり、大きな転機でした。同時に、お店のママさんは、考えられないような大きな試練だったと思います。しかし慰めは、後日、ママさんがこの教会の場所を探して訪ねて下さり、信仰を持って洗礼を受けられたことです。神様は生きておられます。

その後3ヶ月間、友人の牧会する大久保駅南口の駅前にある教会を夕方の時間だけお借りして、日曜日の礼拝を続けましたが、当時、その教会の場所が一杯になる程の人が集まっていることもあり、その教会の牧師さんがやりにくいと感じたのでしょう。

「もうそろそろ新しい場所を探してもらえませんか!?」と言われました。それなりの賃料を支払っていましたが、また場所を失うことになり、大きな苦境に立たされました。

集まった教会のメンバー全員で、「神様、新しい教会の場所を与えて下さい!」と必死にお祈りしました。

翌日、教会員の一人の女性が、月曜日に職場に行くと、その職場のFAX機のところに物件入居者募集の紙が置かれているので、「これは!?」と思ったのでしょう。すぐに私の方にその紙を転送してくれて、しばらく祈った後、大家さんに電話を入れました。大家さんは、「教会に物件を貸したい」という願いがあったので、話しはすぐに折り合いました。

入居時には、敷金・礼金も何ヶ月分も支払う必要があり、その時、教会の会計の銀行口座には約100万円ありましたが、引越しセンターの支払いまで入れて、ちょうどぴったりでした。その時点で蓄えが0円になりましたので、不安もありましたが、これまでの道のりを導いて下さり、守って下さり、ちょうど必要な費用を与え続けて下さった神様は、これからも必ず助けて下さるに違いないと信じて、前進しました。前進以外の選択肢はなく、神様に押し出されて引越ししました。

教会は、その時から時間貸しの場所から、24時間使える場所が与えられ、安定した伝道牧会の活動ができるようになりました。たくさんの素晴らしい方々が教会に集まりました。大きな喜びと励ましを感じました。

教会が当初から持っていた目標の一つは、「ゆりかごから墓場までの教会」。つまり、世代を超えて集まれる教会を目指してきました。

現在、下は10歳、小学生、中学生、高校生、予備校生、大学生、独身の男女、主婦、社会人の男女など80歳くらいまでの人がいます。16年の間に2人の方を天国に送りました。

実際、礼拝の時間に80歳近い年の差があるということは簡単なことではありません。子どもたちは礼拝中騒ぎますし、真剣に説教を聞いている人には、子どもたちの声は雑音です。

賛美歌もいろいろな世代の人たちが歌えるように、リズムや曲や歌詞の工夫も必要です。

いろいろな難しい問題もありますが、私が願い、神様から導かれた形ができあがっていることに感謝をしています。

子ども、青年、大人と分けることは簡単ですし、分けた方がそれぞれ目的やスタイルを限定できるのでやりやすいです。しかし、世代を超えて一緒に時間を過ごすことも大切だと思います。

改めて、世代を超えて共生・共存できる世界を作っていきたいと感じています。

ネットの世界でも、それが実現しています。ネットのお友達の中には、十代から八十代の人までいます。こうして、文章や画像を通して心通わせながら情報交換や交流ができることを感謝しています。どうぞ、これからもよろしくお願いします。

昨日は秋分の日。「昼と夜の長さが同じになる。」と言われますが、とても過ごしやすい季節になりました。素晴らしい日曜日をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月23日(土)12時19分57秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【890】2017/9/23(土)指の爪の横の痛み」

今日は、妻の誕生日(昨日は次男の誕生日)です。ところが、これは陰暦の日付なので、通常遣う陽暦では10月26日になります。

どちらを祝っていいかを考えているうちに、誕生日を祝うことを忘れてしまうことがありました。

もう一つ、9月23日は、教会の創立記念日です。明日の日曜日にお祝いしたいと思いますが、たまたまですが、妻の陰暦の誕生日と重なりました。

ところで、私の誕生日は、7月6日です。しかし、こちらは意図的ですが、結婚記念日でもあります。

「二つを重ねた方が忘れないだろう」と思っていましたが、実際は、思いが分離して、それぞれの記念日の価値が分散してしまうというところがあります。だから、記念日は何かと重ねたり、重なったりしない単独の日の方がいいなーと思います。

経験を通して得た教訓です。

元旦、大晦日、天皇誕生日、祝祭日などが誕生日の人は、忘れられやすかったり、インパクトが薄くなってしまって寂しい思いを経験したことがあるかも知れません。

究極的には、人に忘れられたとしても、自分で覚えていて自分で祝えればいいのです。また、神様はちゃんと覚えていて、祝って下さいますので、寂しく思う必要はありませんね。

本題に入りますが、ここ何週間か、右手の人差し指の爪の横が赤くはれて、触るだけズキンズキンと痛みを感じます。そのうち治るだろうと思って、放っておきましたが、一向に治りません。

ネットで調べてみたら、病院に行って治療してもらうか、自分で切開して膿を出したら治ると書かれていました。

早速、痛い場所を強く押してみました。そうしたら、膿が出て来ました。痛いですが、上から、下から、横から膿を搾り出しました。そうしたら、とても楽になりました。消毒をし、薬を塗りました。

これは、罪の悔い改めと似ていると思いました。

罪は、心に罪責感と苦痛を与えて苦しめます。

人に言えないような罪や犯罪を犯して、それを隠し通せたとしても、その心の痛みは残ります。時間が経って忘れたとしても、何かの拍子に思い出す度に痛みを経験します。

罪は、神様に「ごめんなさい」とあやまって、捨て去ることが一番です。これは、爪の横の膿を出すことと似ています。

罪を悔い改めることはしたくありません。しかし、それを告白し、あやまる時に、心がいやされ、喜びと平安を感じることが出来ます。

ある女性が殺人を犯し、長いこと逃亡生活を続けました。時効目前に逮捕されて、罪を自白した時に、心がすっきりして、ホッとしたと言いました。

また、ある女性の有名人が、不倫を隠し続けていましたが、ある日バレてしまいました。夫に謝罪し、記者会見を行って謝罪した時に、心がホッとしたそうです。

罪は隠し通せるものではありません。いつの日にかそれが明るみに出ます。そして、隠し通すために、繰り返し嘘をつきますので、罪に罪を重ねることになり、心の痛みが膿のようにたまっていきます。

しかし、罪を赦し、罪を購われるイエス様を信じ、イエス様に罪を告白するならば、罪は赦され、洗い聖められ、心はいやされ、喜びと平安を感じることができます。

加えて、罪を隠し続ける必要はないし、罪を隠し続けるための嘘をつき続ける必要もないのです。

そんな喜びと平安、解放感を感じながら生きてまいりましょう。

私の指は、膿を出した後も、少し痛みが続きましたが、罪を悔い改めた後にも、痛みはすぐに消えないかも知れませんが、しばらくしたら、完全に痛みは消えてしまいます。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月23日(土)08時35分57秒
  「『言うは易く行うは難し』を超越しよう!」

「言うは易く行うは難し」という言葉を聞いて、「確かにその通りだ!」と思う人は、人生の経験をたくさん積んだ人だと思います。

若い時、大きな夢を描き、それに向かって生きる時期があります。特に、子供は夢を一杯見ます。万能感に満ちて、「何でもできる!」と考えます。

「言うは易く行うは難し」ということを痛感した大人が、それでも夢を描き、それでも挑戦するとしたら、莫大な力が必要です。

聖書は、「人にはできないことが、神にはできるのです。」(ルカ18:27)と語ります。

これは、子供が描く夢の原動力とは質が違います。子供の持つ万能感は、「私には何でもできる!」と考えます。

しかし、大人になるということは、夢に描いた通りに現実はならない経験を何度もさせられるということです。

夢は、簡単にかなうものではありません。

「思考は現実化する」と、自己啓発セミナーで学んだことがあります。その時私は、「思考は現実になることもあるけれど、現実にならないことが多い」と思いました。そして、それだから人生は面白いのだと思います。

2020年には、夏期オリンピックとパラリンピックが東京で開催されますが、100歳を超えた人が、「思考は現実化する!」といくら思い込んで、オリンピックに出場して、金メダルを取るなんていうことは、まず不可能です。

しかし、夢を描く上で大切なことは、「それができるかどうか?」をあんまり考えてしまうと面白くありません。

1、しかし、最低限押さえておくべきことは、
① その夢は、神の御心にかなうか?
② その夢は、「愛を動機としているか?欲を動機としているか?」を吟味し、愛が動機か?

2、その二つを吟味したら、次に、夢は、限りなく大きなものであるべきです。簡単に実現するようなものなら、誰がそれを「夢」と呼ぶでしょうか?

3、夢に対して、現実を直視し、「人にはできない」ということを認めることが必要です。

4、しかし、「神にはできる!」と信じて、祈り、思い描き、挑戦していくのです。

「言うは易く行うは難し」という言葉は、現実を教えてくれます。現実は大切です。しかし、現実を直視するばっかりに、失敗を恐れたり、安全な道を選ぶよりも、失敗したとしても挑戦する道を選びましょう。

一番恐ろしいことは、「あの時、こうしておけば良かった!?」と後で後悔することです。

お互いに、大きな夢を描き、それに向かって挑戦し続ける人生を歩んでいきたいですね。

「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」 (ヘブライ人への手紙 第11章1節)

今日も夢に向かって挑戦し続ける素晴らしい一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月22日(金)19時47分38秒
編集済
  「Now watching455」

宗教改革500周年記念メサイヤコンサート開催。

妻と2人で行く予定でしたが、次女が合唱コンクールの指揮者になったので、勉強のために次女に行かせました。

これで、宗教改革500周年イベントは一段落です。

コンサートの行き帰りの送迎をした後、次男の10歳の誕生日のため、食事に来ました。

静かな秋雨の降る中、秋の夜長を楽しんでいます。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月22日(金)11時59分18秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【889】2017/9/22(金)試練の意味」

秋らしい日が続き、過ごしやすくなりましたね。

神様が下さった四季は、変化を与え、退屈させません。

人生の中にやって来る試練も、目を覚まさせ、停滞、安住から立ち上がらせてくれます。

やっと問題が解決して、物事がスムーズに進みはじめたとホッとした矢先に、試練がやって来て、驚かされます。

皆さんも同じだと思いますが、四季が交互にやって来るように、私の人生には、試練が度々やって来ます。

だから、人生に退屈したことがありませんし、絶えず変化があり、成長に誘われて来ました。

ドラマや映画も楽しいですが、「事実は小説よりも奇なり」と言われるように、私の人生を振り返ってみると、とてもエキサイティングです。

どうぞ、人生を振り返りながら、神様が守って下さり、導いて下さったことを感謝したいですね。

そして、今、平穏であるなら神様に感謝しましょう。

試練がやって来ているならば、神が良いお方であると信じて神に祈りましょう。

試練は、人生を楽しませるスパイスであると共に、あなたの生き方に軌道修正が迫られているかも知れません。そうであるとしたら、軌道修正しましょう。

あるいは、罪を悔い改めるように語られているのかも知れません。そうであるとしたら、罪を離れ、神に立ち返りましょう。

何より、神があなたにテストをしています。それでも神を信頼しするかどうか? それでも人を愛するかどうか? それでも正しい生き方を選択するかどうか?を試しておられると思います。

試練は悪いものではなく、試練は私たちの人生を祝福し、励まし、最善の生き方へと導いてくれるものなのです。

試練がやって来たら、感謝し、神様に心を注ぎ出して神に祈り、導きを求めていきましょう。

「わたしの兄弟たちよ。あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。 あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによって、忍耐が生み出されるからである。 だから、なんら欠点のない、完全な、でき上がった人となるように、その忍耐力を十分に働かせるがよい。」(??ヤコブの手紙? ?1:2-4? ?JA1955)??

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月22日(金)07時18分22秒
  「今いるところで花を咲かせる人生」

植物は、自分が植えられているところで花を咲かせます。同じように、私たちも、今置かれているところ、与えられた環境の中で花を咲かせて行けたら素晴らしいですね。

ナンバーワンを目指す人生ではなく、オンリーワンを目指す人生です。

オンリーワンの人生、今いるところで花を咲かせる人生を良く歌われているのが、槇原敬之が作詞・作曲・編曲し、SMAPが歌った「世界に一つだけの花」です。

私は、この曲が世に出る前から、この歌詞と似た「オンリーワン」のメッセージを語っていましたので、このようなメッセージが込められた歌が紅白歌合戦で歌われた時にはとても、感動し、しびれたことを思い出します。

『世界に一つだけの花」』

花屋の店先に並んだ いろんな花をみていた
ひとそれぞれ好みはあるけど どれもみんなきれいだね

この中で誰が一番だなんて 争う事もしないで
バケツの中誇らしげに しゃんと胸を張っている

それなのに僕ら人間は どうしてこうも比べたがる?
一人一人違うのにその中で 一番になりたがる?

そうさ 僕らは 世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい

今いるところで花を咲かせる人生は、

(1)与えられた今この時、この場所、この自分を感謝する生き方です。

(2)ありのままの自分をそのままで受け入れて、自分じゃない自分になろうとしない生き方です。

(3)自分と人を比較しないで、自分に与えられた使命と可能性という名の花を咲かせることに一生懸命な生き方です。

(4)自分と誰かを比較したいなら、昨日の自分と比較して、昨日より今日、今日より明日にもっと成長することを目指す生き方です。

(5)神と直結して、神の命によって成長する生き方です。

聖書は、「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」(ヨハネの福音書15章5節) と語ります。

今日も、オンリーワンを目指して歩んでいきましょう。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月21日(木)10時30分36秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【888】2017/9/21(木)自らのストーリーを語る祝福」

今朝は、被災者支援のためのPTGセミナーに参加しています。

最初の講義で、「自らのストーリーを語りましょう」という話からはじまりました。

昨晩のことを思い出しました。

ある方が「自分のストーリーを書いた本を出したらどうですか?」と勧めてくれた人がいました。

自分の過去を赤裸々に語ることはできれば避けたいですが、「先生の証(体験談)はインパクトがありますからね。無難なことを書いても、読者はすぐに読むのをやめてしまうものですから」。

自らのストーリーを語ることで、傷がいなされたり、過去の良い体験を再評価し、励まされ、力になります。

また、それを聞いた人が興味を持ち、励まされ、力になるものです。

「一日一シャ」は、毎日その日の出来事を書きたいと思っています。

書く私も、読む皆さんも、励まされ、力になることを願っています。これからもよろしくお願いします。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月21日(木)07時25分36秒
  「命の重さと赦し」

しばらく前に、PTAを代表してある講演会に参加しました。演題は「命の大切さに学ぶ」で、講師は「桶田清順氏」でした。

講師の息子さんが、15年前に東京駅構内のコンビニエンスストアの店長をしていた時、万引き犯を見つけたので、呼び止めますが逃走されたので追いかけたところ、ナイフで刺されて命を落とすという事件に巻き込まれてしまいました。犯人は現在、無期懲役の判決を受けて服役中です。

「私が息子を殺した犯人を赦すことができるとしたら、それは犯人が死んだ時か、私が痴呆になった時でしょう。」と語られた話を聞きながら、一人の人の命の重さに対して真剣に向き合わせられました。

命とは神様から一時的に預かったものです。与えられた使命を果たすために、大切に使わせて頂きたいと思わせられました。

みなさんも、きっとあの15年前の事件を覚えておられると思いますが、命を落としたコンビニの店長は立派な行動を取ったと思います。その意味では使命を果たされたと思います。しかし同時に、同じような立場に立たされた時にどのような態度を取るべきなのかを考えさせられます。

次に、講師は二次被害について語りました。息子を失った悲しみに打ちひしがれている時に、配慮のないマスコミの取材にとても傷つけられたそうです。

例えば、「お子さんが3人いて良かったですね」と何気に言われた言葉に、「子どもが3人いるなら1人くらい死んでもいいってことかよ!」と憤慨する思いで一杯になったそうです。

人を励まし、慰めようという意図で語られた言葉であったとしても、相手の置かれた環境や心情を慮りながら言葉を発する必要があるなーと思います。言葉数を減らして、じっと相手の悲しみややるせない感情に寄り添い、耳を傾けるだけでもいいかも知れません。

子どもを亡くすということは、講師の息子さんのように殺害されたのではなくても、交通事故でダンプカーにひかれて子供をなくしても、悲しみの大きさは変わりありません。

「息子のことは一生忘れることができません」と言われましたが、その通りだと思います。

そういう大きなできごとに対して軽々しく発言することは避けた方がいいことは言うまでもありませんが、同時に、普通に接すること、そして、自分のことのようにその痛みを感じながら、神様から与えられた慰めや励ましを語らせて頂くことができたら幸いだと思います。

私は牧師ですので、教会では、人を無条件に赦すことを奨めます。しかし、私自身、人を赦すことの難しさに長年向かい合ってきました。

口で「赦します」と言えても、感情がついてこないのです。時が解決してくれる場合もありますが、どうやっても赦すことが難しいできごともあります。それだけ傷が深いから仕方ありません。しかし、傷を引きずっている限りは、どうしても前に進むことができません。

赦すことで傷がいやされ、そのできごとを後にして前に進むことができます。

赦せないという人の痛みに寄り添い、いつかその人が赦せるようにと祈りながらも、自分自身は赦しに向かえたら幸いです。

赦しは最高の治療薬であり、過去を教訓にし、宝に変え、前に向かわせる妙薬です。

赦し難きを赦し、不可能を可能にする力を与えて下さるのは神様です。

今日もその方に祈りながら、与えられたたった一つの命。そして、たった一度の人生を最高に生きてまいりましょう。

今日も、素敵な一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月20日(水)17時31分28秒
  気分一新。でも、ちょっと困っています。  

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月20日(水)10時21分14秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【887】2017/9/20(水)罪の自覚と祝福」

聖書に登場する使徒パウロは、恵まれた環境に生まれ育ち、超エリートコースを歩み、キリスト教迫害者となった。

しかし、神と出会い、回心して、クリスチャンとなり、誰よりも伝道する人に変えられた。

しかし、なぜか、パウロの罪意識は、日に日に深まった。

最初は、伝道者仲間の間で私は足りない存在であると自覚しました。

次に、クリスチャンの中で私は罪深い存在だと自覚しました。

晩年には、全人類の中で一番罪深いと自覚し、自身を「罪人(つみびと)の頭(かしら)」と呼んだ。

パウロは、クリスチャンになり、伝道者になり、悪い人間に変わったのか?

そうではなく、罪の本質を知り、自分の罪深さを知るようになったのだ。

「罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。」(ローマ5章20節)

これは、悪い犯罪を犯した人に、より大きな赦しが与えられるとも言えるが、パウロ自身のように、罪の自覚が増し加わるところに、恵みや、愛と赦しの意識が増し加わると言うことです。

神様に目を向ける度に、本質的な意味での罪深さ、自己中心性に心を痛めます。

しかし、同時に、その私が赦され、愛され、神の子とされているとわかるので、「私は世界一幸せだ!」と叫びたくなることがあります。

そんな私でも、本質的な罪だけではなく、実際的な罪を自覚させられることがある。交通違反です。

「毎日運転しているのだから、ゴールド免許は夢のまた夢」と言い訳したくなることがある。

無事故無違反を貫いていたのに、黄色い車線を踏んでしまって青キップを切られたり、軽微な交通違反をしてしまうことがある。

腹立たしくなり、心が痛くなり、悔いても悔いきれません。

人は、失敗を通して、練られ、神に引き戻され、成長していけるのかも知れません。

本質的な罪を知り、パウロのように、「罪人の頭です」と言う意識と共に、失敗を通して謙遜になり、人を裁かなくなり、人に優しくなれたらいいなーと思います。

私の人生で起こるすべての体験に感謝したいと思います。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月20日(水)09時49分57秒
  整理整頓しよう!  

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月20日(水)06時52分7秒
  「やまない雨はない」

自然界を見てわかることがあります。止まない雨はないということです。

数日間雨が降り続くような時には、このままこの雨が止まないのではないかと感じることもあります。しかし、間もなく雨はやみ、青空が一面に広がります。

同じように、現実の中につらい出来事や試練がやって来て、このまま苦しい状態が一生続いて解決しないのではないかと感じることもあるだろうと思います。

配偶者との離婚や死別、親や親しい人との死別、リストラ、倒産、破産、人間関係のトラブル等々、そのような状況がやって来るかも知れません。

しかし、やまない雨がないように、解決しない悲しみや問題や試練はないのです。

もちろん、それがいつになるかはわかりませんが、苦しみには必ず終わりがあり、雨の後には青空が一面に広がるように、解決と喜びの日が必ずやって来るのです。

ゴスペルソングに、♪多くの苦しみ味わったから 同じだけのなぐさめがある♪という曲がありますが、大きな慰めを感じます。

長い雨が止んだ後には、最高に気持ちの良い青空が待っているように、今あなたが味わっている長雨のような試練が過ぎ去った後には、最高に素晴らしい青空のような解決と慰めの日がやって来ます。

現代の人が持つ苦しみの一つに、絶望があります。顔で笑ってはいても、人がうらやむような生活をしていても、その心の中にしっかりと絶望がある場合があるのです。

セーレン・キルケゴール(S. Kierkegaard 1813~1855)は、「死に至る病は絶望である」と言いました。絶望は最も恐ろしい病の一つです。やまない雨はないのに、絶望は、もうダメだと思わせてしまうからです。そして、未来に対する期待や希望を否定して、お先真っ暗な心の状態にさせてしまいます。

心の中にに絶望があることは事実かも知れません。それは、人間に罪(創造者である神から離れている状態)があるからです。

しかし、変わらない真理があります。「わたしは道であり、真理であり、いのちである。」と言われたイエス・キリストが、絶対絶望的な私たちの身代わりに十字架で死んで下さり、三日目によみがえられたことです。

イエス・キリストにこそ、絶対絶望を打ち破って、それを絶対希望に変えてしまう力があります。

ここに希望があります。

やまない雨のように、いつまで続くかわからない悲しみや絶望の中に身を置いている人がいましたら、神への信仰という傘を広げて歩んで行きませんか。この雨は間もなくやみみ、神があなたの傘になって下さるので、その苦しみの中にあっても耐えられる力が与えられるはずです。

God bless you!
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月19日(火)15時59分11秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【886】2017/9/19(火)どんな時にも感謝し、祈ろう!」

今朝起きたら、体の力が抜けてしまって、なかなか起き上がれませんでした。

心は平安な状態ですが、昨日までの大会と路傍伝道、そして、様々な奉仕で力を使い切ってしまったようです。

「神様感謝します。力を与えて下さい」と祈っていると、だんだん力がみなぎって来て、元気になりました。

少し遅れましたが、韓国の牧師たちの集まりに参加しました。

帰宅後、銀行に行き、自転車修理に行ってから、車の車検を通すために練馬の陸運局に来ました。

午後の予約でしたが、受付の人が気を利かせてくれて、午前に押し込んでくれました。

「ラッキー。早く帰れる!」と思って喜んでいたら、サイドブレーキが甘くて、車検が通りませんでした。

すぐに、日産のディーラーに行きました。定休日でした。

トヨタも、ダイハツも、マツダも、一体のすべてのディーラー(自動車メーカーの販売店)がお休みでした。

暑さも相まってイライラしはじめました。

ハッと目に入った車検の予備検査工場に行きますと、「うちではサイドブレーキの調整はできないね」と言われました。

次に行った自動車工場は、お昼時間だったためか、誰もいませんでした。

このままイライラし続けてはいけないので、神様に感謝し、祈りながら、陸運局に戻り、近くのお蕎麦屋さんに入りました。

お蕎麦が美味しかったのと、祈りの力に支えられて、穏やかな気持ちになりました。車をゆっくり走らせていると、車検の予備検査工場があったので、立ち寄ってみました。すぐに修理してくれました。

機械を使って修理をしてくれているので、「いくらくらい取られるかな?」と心配していましたが、請求されたのは千円でした。

私は、かれこれ15年以上ユーザー車検をして来ました。昔は、法律上それが認められなかったそうです。ありがたいです。

手数料や保険代や税金以外はほとんどお金はかかりません。

しかし、光軸が狂っているとか、壊れている箇所を見つけられると、車検を通してもらえないので、出直さないといけません。これが面倒です。

しかし、面倒くさがる前に、神様に感謝し、祈りました。

祈れば神様は答えて下さり、導いて下さいます。

私たちは、時々、気が滅入ってしまうような出来事に遭遇します。

落ち込み、自己憐憫し、失望落胆することもあります。

しかし、神を信じ、神様に明け渡しながら感謝と祈りを捧げるなら、昔だったら、とうてい耐えられないような試練でも、それを乗り越えることが出来るだけではなく、それがあったことで、かえって良い事に変わりるのです。

感謝ですね。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月19日(火)06時35分0秒
  「心のよろい」

心が無防備だと、「人の言葉や対応で傷つけられる!?」と恐れて、何があっても傷つかないように心によろいを着て、自己防衛をする人がいます。

よろいを着ることで傷つかないだろうと思ったら、もっと傷つくことがあります。誰も本当の心をわかってくれないからです。

こちらが心を閉ざしていると、相手も心を閉ざしてくるので、とても寂しいものです。

こちらから思い切って心を開いてみることです。相手も心を開いてくれて、傷つくどころか、相手の心と触れ合えるので、うれしくなり、元気になれます。

心によろいを着て、心を閉ざすことで傷つくことから自分を守ることは、何の役に立たないどころか、間違った思い込みです。

ちょっとやそっとの傷でふさぎ込んで、自己憐憫し、悲嘆に暮れるのではなく、そこから立ち直り、立ち上がっていくときに、人はたくましくなっていくのです。

神を信じ、神に祈り、神と共に歩んだら心のよろいは必要ありません。

心をおおっているよろいを脱ぎ捨てて、心を開き、さあ、相手の懐に飛び込みましょう。

「わたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。」(Ⅱコリント4:7-18)と聖書は語ります。

「たといノックダウンされることがあっても、ノックアウトすることはない」という意味です。

人は恐れる存在ではなく、愛する存在だからです。

すばらしい一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月18日(月)22時41分22秒
編集済
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【885】2017/9/18(月)素敵な仲間に感謝」

四日間の宗教改革500周年大会が終わり、夜6時半から新宿駅東口アルタ前で路傍伝道しました。

今日は、高校生4人、大学生1人、娘の学校の事務のお姉さん、暴走車椅子のおじさまなど、多種多様の方々が参加して下さいました。

寂しい、しかし、嬉しいニュースがありました。一緒に毎月路傍伝道をしていたアメリカの宣教師が、天に凱旋(召)されました。

人生は長いようで短いのかも知れません。一日一日、一瞬一瞬を大切に生きていきたいと思わされます。

ところで、10月9日(月・体育の日)に、「TCU(東京基督教大学)のシオン祭」で、路傍伝道ネットワークのブースを出すことになりました。

路傍伝道ネットワークの関係者の皆様、一緒にTCUに行きませんか?

きっと、ネットワークが広がり、深められることと思います。

宗教改革500周年大会、そして、路傍伝道ネットワーク、教会などなど、素敵な仲間に囲まれて幸せです。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月18日(月)15時11分18秒
編集済
  「Now watching453」

宗教改革500周年大会最終日、最高に盛り上がっています。

2日目に続いてチームで会衆賛美を導きました。

恩師の三坂先生と手を取り合ってのツーショット、そして、大坂先生の講演。

アナコンディア先生のメッセージ。

天国にいるように感じます。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月18日(月)05時57分33秒
  「バトンタッチ」

私は中学生時代、陸上部に入っていました。得意種目は、短距離走、長距離走、砲丸投げなどでした。

今、私の次女が中学一年生ですので、随分昔の話です。

過去の栄光を話したいわけではありませんが、運動会になると、リレー選手に選ばれ、騎馬戦では大活躍し、決して戦いに負けないばかりか、他の騎士のハチマキは10本以上を奪取したこともあります。応援団長もやりました。

そんな中で忘れもしないできごとがあります。

リレーは、運動会の種目のメインイベントでした。私はアンカーで四番目の走者でした。練習ではいつも一番でしたので、その日も第三走者から一番にバトンを受け取って優勝することだけを思い描いていました。

しかし、こともあろうに、第二走者がバトンの受け渡しで失敗してしまいました。私のところにバトンがまわって来た時にはビリで、そのままビリで終わりました。

応援団長をしたり、他の種目では活躍できたのに、リレーの敗北はショックでした。

バトンの受け渡しは大切です。

私たちの人生においても、バトンの受け渡しがあります。

例えば、入園と卒園、入学と卒業、入社と退社、恋愛のはじまりと終わり、友達との出会いと別れなどです。さながらリレーのバトンタッチのように、次のステージに移行します。時々、卒業や別れを惜しんで、新しい環境に変わりたくなくて、バトンタッチがスムーズに行えないことがあります。

しかし、季節に春・夏・秋・冬と四季があるように、人生には、何度も変化が繰り返されます。

みなさんの多くは、9月に入り、夏が終わって、秋らしい天候になってホッとしている人も多いと思いますが、新学期が始まったばかりなのに、「また夏休みに逆戻りしたい!」と思っている子供たちもいるのではないかと思います。

振り返ってみると、私は、夏休みが終わってほしくなかったし、新学期になっても学校に行きたくない気持ちで心が一杯でした。

リレーのスムーズなバトンタッチが必要なように、人生の節目におけるスムーズなバトンタッチは必要です。

人生における「バトン」とは何でしょうか?

変わらず受け継いでいくべきものは、神と家族と隣人を愛することです。このバトンを生涯引き継ぎ続けていきたいものです。

次に、スムーズなバトンタッチ、つまり、人生の節目の切り替えが必要です。終わった関係や環境に別れを告げ、新しい関係や環境に早く馴染むことです。そうすると、ものごとの展開がスムーズになり、いつも新鮮でいられ、人生のリレー・マラソンで挫折することはありません。

大切なことは、「変わってはいけないこと」(バトン)と「変わるべきこと」(切り替え)を正確に見極めることです。

どうしたら、それを見極められるでしょうか?

人生のロードマップである聖書を読み、人生のナビゲーターである神に祈り、神に聞くことです。

今日も、神と共に確かな人生を歩ませて頂きましょう。そして、大切な人生のバトンタッチのタイミングを逸したり、もたついたり、挫折することがないように、しっかりとバトンタッチをして行きましょう。

今日は新しい日です。昨日とも明日とも違う一日です。

最高の一日となりますように、祝福を祈ります。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月17日(日)18時27分53秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【884】2017/9/17(日)恵みの雨に感謝」

今年の夏は雨が多く、随分雨に慣れたように感じます。

子どもの頃は、私は雨が大好きでした。私の雨好きを歌っている曲があります。

日本の童謡であり、唱歌の「あめふり」です。雨を楽しむ子どもの姿が見えてくるようです。

あめふり(あめあめふれふれ)
作詞:北原白秋 作曲:中山晋平

あめあめ ふれふれ かあさんが
じゃのめで おむかい うれしいな
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

かけましょ かばんを かあさんの
あとから ゆこゆこ かねがなる
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

あめふりあらあら あのこは ずぶぬれだ
やなぎの ねかたで ないている
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

かあさん ぼくのを かしましょか
きみきみ このかさ さしたまえ
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

ぼくなら いいんだ かあさんの
おおきな じゃのめに はいってく
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

子どもの頃、雨が降ると、母親に買ってもらった長靴をはき、傘を持って外に飛び出していったことを思い出します。

16歳でバイクの免許を取得し、当初はレーサーレプリカ型バイクに乗っていましたが、少ししたら飽きて、オフロード型バイクに買い換えました。それからというもの、雨が降るとカッパを着て、バイクが乗り入れられる河原にいって、泥だらけになって大はしゃぎだったことを思い出します。

18歳になり、車の免許を取得し、車で峠を攻めにいくようになりました。雨の日だとドリフト走行がスピードを出さなくてもできるので、雨が降ると血が騒いだことを思い出します。

こういう話をすると、雨が好きで仕方ない人間のように思われるかも知れませんが、バイクや車の熱が覚めると、雨が嫌いになりました。

雨の中、海で2時間以上流された経験がありますし、富士山の登山をして、凍ってしまうほど寒くて生きて戻れないと思ったこともありました。

牧師になって、スーツを着ることが多くなり、ぬれたくないので雨が降ると出かけたくない気持ちになることもあります。

しかし、あえて頭を切り替えるようにしています。嫌いな雨を好きになる工夫です。

もし雨が降らなかったどうなるだろう?と考えるのです。日本全土は砂漠化してしまいます。とても住みにくい場所になってしまいます。

雨が降ってくれるおかげで大地がうるおい、植物が生え、自然が豊かになります。雨が降ってくれるおかげで川が流れ、飲み水が豊かになります。雨が降ってくれるおかげで空気が清浄され、優しい風が吹きます。雨の恵みは計り知れません。

ただ、台風は被害を伴うので、困ったなーと思います。しかし、同時に、台風は必要だと言われています。

海をかき回して、プランクトンが活性化されて、魚にとって大きな恵みです。また、大気をかき回して空気を入れ替え、大掃除をしてくれます。

神様が造られたものはすべてに意味や価値があります。

また、雨や台風が嫌なように、人生の雨や台風の日があります。

経済的な雨や台風、人間関係の雨や台風、病気の雨や台風など、人生は晴れの日ばかりではありません。

いつでも晴れであってほしいと思うものですが、雨が降らず、毎日が晴天だったら、それこそ砂漠なりますし、いろいろな弊害が起こります。同じように、人生の雨や台風は必要なのです。

その一つは、高ぶる心を打ち砕き、謙遜にさせてくれます。

人間の一番の美徳は謙遜です。反対に、人間の一番みにくい姿は傲慢・高慢です。

人生の雨や台風は、最もみにくい姿を最も美しい姿に変えてくれる力があります。

いっそのこと、人生の雨や台風を感謝して受け止め、変えられることを喜びましょう。

この後も、素敵な時間でありますように。

「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである」(マタイの福音書5章45節)
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月17日(日)07時54分32秒
  「脱スマホ依存生活のすゝめ」

2000年頃から、PCとノートと携帯を駆使しながら毎日仕事をしてきました。

4年前、ガラパゴス携帯(ガラケー)からスマートフォン(スマホ)に切り替えました。
どこにいても仕事をすることが可能になりました。

電話やメールで、「菅野さんのアドレスに書類を送りましたのでよろしくお願いします。」と連絡が入ると、その場で、小さなスマホの画面で書類をチェックします。

「ここはこのように変えて、もう少し短くお願いします。」などと、メールで返事を返すと、外にいながら、しかも会議中であろうと、集会中であろうと、電車の中であろうと仕事ができてしまいます。

ただ、スマホを使う頻度の半分は、行く先々で写真を撮って、twitter、facebook、mixiに文章をつけてアップをしたり、ニュースなどを見ていますので、スマートフォンの小さな画面を見ている時間が短くはありません。

おかげで、バッテリーを持ち歩かないといけません。バッテリーの寿命かも知れませんが、1日に3回空になることもあります。

最近、目が疲れたり、ものが見え難くなっています。おそらくスマホの使い過ぎや、パソコンの画面を見ながらの作業などが原因だと思います。

気になることがあったらすぐに検索をし、メモをします。連絡をしたいと思ったら、その場でメールを出します。

祈ったり、聖書を読んだり、静まる時間が減っています。

そこで、時々、断スマホをします。

① 電車に乗ったらスマートフォンをポケットにしまってお祈りをする。
② 午前中、もしくは、午後はスマホを極力使わない。(メールの連絡待ちや電話の着信があった場合は別)
③ 1日とか、3日とか、7日など期間を決めて、本当に必要なこと以外にスマホをいじらない。
④ ゲームをしない。(飽きちゃった)
⑤ SNSは、朝一番と夜寝る前以外見ない。(返事が遅い時は、断スマホしているんだな!とご理解ください。)

スマホを手放す時間が増えたことで、心がゆったりし、穏やかになり、人間らしい生活が戻ってきたし、祈る時間が増えました。

目の疲れが回復し、スマホのバッテリーの持ちもよくなりました。

友達や家族など、人と一緒に居る時にスマホをやめることで、デジタルとアナログのバランスの取れた生活ができるようになり、心身共に充実しています。

最近疲れがひどい。肩や首がこって仕方がない。目が疲れる。目がかすむ。目が乾燥する、などの症状や弊害が出ている人がいないでしょうか?

いつもスマホが気になり、スマホを手離せない、などのスマホ中毒の人もいると思います。

そんなあなたに、脱スマホ依存、断スマホ、をオススメします。

① 必要なこと以外にスマホを触らない、見ない、使わない。
② 電車に乗った時、待ち合わせの時、昼休みなど、手持ち無沙汰を紛らわすためにスマホを使わない。
③ 人と一緒にいる時にはスマホはしまっておく。
④ 午前中だけ、午後だけなど、日時を決めて、電話以外スマホに触らない。

もちろん、ただスマホ断ちをするのではなく、スマホをしない分の時間を人とのコミュニケーションをしたり、神に祈ったり、聖書を読んだり読書をしたり、掃除をしたり、運動をしたりなど、有意義で、健全な時間の使い方はいくらでもあります。

聖書は、「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6:33)と語ります。

良い一日でありますように。

今日は日曜日、ぜひお近くの教会へ。

近ければ、新宿福興教会にいらっしゃいませんか?

新宿福興教会HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/

また、インターネットを通して神さまを礼拝しませんか?

「生放送」〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時

① 新宿福興教会HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/
② ニコニコ動画  http://nico.ms/l/co114841
③ ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月16日(土)18時28分54秒
編集済
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【883】2017/9/16(土)宗教改革500年を境に一つになる」

宗教改革500周年大会2日目の夜になりました。とても盛り上がっています。

大会は聖霊派の集会ですが、福音派を代表して、JEA(日本福音同盟)副理事長の米内先生がごあいさつして下さいました。

フッと、私は聖霊派と福音派の両方に所属していることを思い出しました。

両派の壁を乗り越えたことは事実ですが、それは半分です。

残りの半分は、機が熟して、隔ての壁が崩れて来ているのではないかと思います。

「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。」(エペソ2章14節~15節)

ただ、カトリックとプロテスタントは、500年に渡って歩み寄ろうとしたけれどそれができなかったのです。それを、私たちで簡単にできるわけがありません。同じ土俵に立っていないのですから。

しかし、プロテスタント同士は、同じ土俵に立っているはずです。つまり、

①聖書のみ「ソラ・スクリプトゥラ (Sola scriptura) 」

②信仰のみ「ソラ・フィデ (Sola fide)」

③恵みのみ「ソラ・グラティア (Sola gratia) 」

④キリストのみ「ソルス・クリストゥス (Solus Christus) 」

⑤神のみに栄光あれ「ソリ・デオ・グロリア (Soli Deo gloria) 」

一つになれるはずですが、実際は違います。

近い者同士の方が仲良くするのが難しいものです。

しかし、宗教改革500年を境に一つになりたい、と心から願っています。

私は、先取りして、一つになったと信じて感謝したいと思います。

ステキなサタデーナイトを過ごしています。

皆さんにおかれましても、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月16日(土)13時45分21秒
  「Now watching452」

宗教改革500周年大会2日目。

今朝は、娘の学校の最後の学年の学園祭なので、スピーチや演奏を聴きに行こうと思いましたが、朝から、外部奉仕の講演の準備がはかどり、大会にも遅れて参加しました。

会場に着いたらすぐに講師が祈ってくれました。グッドタイミングでした。神のタイミングは、ガッドタイミングですね。

夜はワーシップチームで賛美しますが、リハーサルを見学しながら心の備えになりました。

神様は最善以下はされません。安心して生きて生きたいです。

「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28章20節)
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月16日(土)07時34分13秒
  「もっと笑って!」

笑顔は、相手に好感を与えるためだけのものと思っていませんか?

確かに笑顔は、相手の心を開かせ、警戒心を解き、好印象を与えます。しかし、何より、自分を元気にしてくれます。

笑うと、顔の7つの筋肉を使って、顔を若くし、美しくしてくれます。そして、その筋肉は脳にまで働いて、体の自然治癒力を最大限に放出させてくれるのです。

笑顔は、あなたに元気を与え、病気からも守ってくれます。

あなたは、最近笑いましたか?

ある人は、いつも笑顔で過ごしている人もいると思いますが、中には、「最近笑ってなかった!?」と、ドキっとした人もいるかも知れません。

笑顔は、無理やり笑ったり、作り笑いであっても、顔の同じような筋肉を使いますので、脳から同じホルモンを放出させてくれます。しかも、副作用はありません。

凹んだ時、泣きたい時、落ち込んだ時にも、鏡を見て笑ってみませんか?

笑う理由はあります。

① 神があなたを愛しておられる。
② 神があなたと共におられる。
③ イエスさまが、あなたの悲しみや苦しみの原因を十字架で背負って死なれた。
④ そして、復活された。
⑤ だから、全ての問題は解決している。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・ イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(Ⅰテサロニケ5:16~18」

笑顔は、あなたも、あなたのまわりも元気にし、明るくし、悲しみ、憎しみ、怒りを溶かし、喜びと優しさと平和を生み出してくれるはずです。

素敵な一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月15日(金)14時43分17秒
編集済
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【882】2017/9/15(金)距離によって見え方が変わる」

富士山を遠目で見ていた時と、足で登頂した時と、見え方が全く違いました。

遠くから見た時には、日本人なら誰もが絵や写真で見たことのあるそれです。青またはグレーです。しかし、実際に自分の足で登山をしてみると、赤茶色です。

途中、何度登山を断念して下山しようかと迷いました。しかし、登頂した時には、「あの時あきらめないで良かった!」と感動に酔いしれたものです。

人生もこれと似ていると思います。

未来に夢と希望を抱いてワクワクしている段階は、遠くから富士山を眺めていることと似ています。

しかし現実は赤茶色で、険しく、そうそう思い通りにはいきません。

でもあきらめないで、与えられた使命をやり続けたいものです。

「私の人生これで良かった!」と感じられたら、間違いなく幸せな人生を送れているはずてす。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月15日(金)14時27分5秒
  「Now watching450」

宗教改革500周年大会の準備が進んでいます。今日から4日間、素晴らしい時を過ごします。

台風上陸と微妙に重なっています。低気圧と高気圧のぶつかり合いが起こります。霊的領域でも、神の祝福と悪魔の抵抗がぶつかり合うのでしょう。

「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」(ローマ8章31節)
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月15日(金)07時19分24秒
  「心が通じ合う関係」

仕事で疲れを感じることがありますが、人間関係の疲れはもっとこたえるものです。

理解されない苦しみ、置いていかれてしまう孤独、裏切られ拒絶される悲しみなど、心の痛みはなかなか人にわかってもらえるものではありません。

そんな時、自分が自分の友達になるように、自分の心と向き合って、自分の感情やキモチに耳を傾けて下さい。そして、自分ともう一人の自分と心を通わせるのです。

心の痛みや悲しみは、経緯は違ったとしても、みんな共通した感情です。

あなたの痛みや悲しみは、自分の感情やキモチを感じ、深く知ることで、心の構造を深く理解できるようになり、自然に、人の心も理解できるようになり、相手のかゆいところに手が届くようになるものです。

人間関係で疲れるのは、お互いの心が通じ合わない時です。心が通じ合わないと相手の心が理解できず疲れてしまいます。しかし、心が通じ合うと相手の心が理解できるようになり、人間関係が楽しく、元気を与えてくれるものです。

心が通じ合う?通じ合わない?は、1:1の人間関係だけではなく、1:大勢の関係でも同じです。

私は、色々な集会に参加します。ある時は聴衆の一人として参加します。またある時は、司会や講演をしたり、音楽を演奏したり歌ったりします。

ある集会は、参加者同士の心が通じ合い、居心地がよく、元気になって帰って来られますが、違う集会では、参加者同士の心が通い合わず、「自分の居場所でない」と感じたり、居心地が悪く、疲れ切ってしまうことがあります。

心と心が通じ合っているかどうか? これが大切なポイントです。

参加者が義理や義務で来ている集会は、なかなか心が通じ合いません。しかし、コンサート、講演会、スポーツ観戦、教会の礼拝やミサなどは、自分の意思で参加していますので、参加者同士の心が通い合い、居心地がよく、元気をもらえます。

心が通じ合わない原因は、本音ではなく建前で生きているからです。

つらく悲しい時、自分の感情やキモチに耳を傾け、心を受け止める時、自分ともう一人の自分が本音で触れ合います。

しかし、つらく悲しくても、自分の心を無視し、責めたり、心を打ちたたいたりすると、自分ともう一人の自分の本音が触れ合えず、建前の関係になり、自己不一致になります。

心は、本音と本音が触れ合い、本音で生きてこそ元気になるのです。

① 自分と本音で心通わし、
② 人と本音で心通わし、
③ 神と本音で心通わして下さい。

建前でイエス・キリストを信じると、キリスト教という宗教になってしまいます。しかし、キリスト教の本質は、宗教ではなく、神との関係です。神と本音で触れ合い、交わり、祈るなら、そこに神の命と力が流れて来ます。

本音の部分で心を通わしましょう。

私はネットを通して、単に情報提供をしているのではありません。みなさんと心を通わしたいのです。

だから、議論をしたり、批判し合うことよりも、本音で交流したり、共感し合いたいのです。

今日も、心と心の交わりをしましょう。

あなたに会えて良かったです。あなたの存在に心から感謝します。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月14日(木)23時28分17秒
  「Now watching449」

仕事を終えて外に出ると、バイクは雨でずぶ濡れでした。問題は、ヘルメットの中に雨水がたまっていました。水を捨て、インナー・パットをしぼりました。

ところが、ヘルメットをかぶると、水が顔や首筋にたれて来て、「水もしたたるいい男」になりながら帰って来ました。はしゃいでしまいました。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月14日(木)11時07分55秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【881】2017/9/14(木)追う人もないのに逃げる人生からの脱却」

聖書の箴言にこのような言葉があります。

「悪者は追う者もないのに逃げる。しかし、正しい人は若獅子のように頼もしい。」(箴言28章1節)

実感としてわかるような気がします。

クリスチャンになってからの人生は、自分の力を頼って行きていこうとすると、いつも何かに追いかけられているような感じがしました。

そこで、現実逃避をして、直前になって、追いかけて来るものと向かい合って、「神様、助けて下さい」と叫んだものです。

これは、自分の力で生きていこうとするのと、神に頼って神任せにして、責任を放棄する生き方と戦いではありません。

本当の戦いは、自分の力で生きていこうとするのと、自分に死んで、神と共に生きていくことの戦いです。

私たちは神に造られた被造物です。神ではありません。

神ではない人間の私たちが自分の力で生きようとすることは、神ではない存在が神を演じ、神になろうとすることです。

悪魔は、人間の先祖であるアダムとエバを罪に誘惑しました。

罪とは、神を捨てて、自分を神としようとする生き方です。

「蛇(悪魔・サタン)は女に言った。『あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。』」(創世記3章4節~5節)

人間は、「神のようになれる」という誘惑に負けてしまいました。そして今もその誘惑に負け続けているのではなきでしゃうか?

今日、神を神と認め、 神を受け入れ、神と共に生きる人生を決断して生きていきませんか?

追う人もいないのに逃げる人生から脱却できたら、穏やかで、幸せです。

この後もステキな時間を過ごして参りましょう。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月14日(木)07時55分21秒
  「祭りでお神輿を担ぐ時の、『わっしょい!』『えいさ~ほいさ~』の掛け声」

この季節、私が住んでいる地域ではお祭りが行われます。

お祭りになると、「消防団」「PTA」「育成会」の警戒活動やパトロールにだけ参加します。

だから、お神輿を担いでいる人たちの姿を遠目で見ています。

あの「わっしょい!」や「えいさ~ほいさ」というかけ声は、一説によれば「へブル語」から来ていると言われています。

へブル語の「ワッショイ!」は、「神が来た!」という意味で、「エッサ」は「運ぶ」「持ち上げる」という意味です。

古代イスラエルには、十戒の石版を入れた契約の箱に棒を通して、レビ人たちが肩の上に担いで運ぶ習慣(写真参照)がありました。これは移動式神殿で、この習慣がそのまま日本にまで伝わって、祭りの時、神輿が担がれているのかも知れません。

日本とイスラエルには、案外多くの共通点があります。

年を取った人が立ち上がる時に使う「よいしょ!」というかけ声は、へブル語で、「神が助けてくださる」という意味です。

相撲で「ハッケヨイノコッタ!」と、行司が力士たちにかけるかけ声は、へブル語で、「ハッケ」=「撃て!」、「ヨイ」=「やっつけろ!」、「ノコッタ」=「打ち破れ!」という意味です。土俵の上では、「撃て!やっつけろ!打ち破れ!」と、過激な言葉がかけられているんですね。

「ジャンケンポン!」の「ジャン」は「隠して」、「ケン」は「準備」、「ポン」は「来い」という意味です。

「ヤーレンソーラン」の「ヤーレン」は、「神が答えてくださった」で、「ソーラン」が「見てください」です。北海道や青森の日本海側で、漁師たちが、ニシンの水揚げや荷揚げの時に歌われたそうです。「神が答えてくださった!大漁だ!見てくれ!」と、漁師たちの喜びの声が聞こえてきそうです。

さらに、我が国の国家である「君が代は」も、何と、へブル語かもしれません。

「君が代は」は「クムガヨワ」=「立ち上がる」で、「千代に」は「テヨニ」=「シオンの民」で、「八千代に」は「ヤ・チヨニ」=「神・選民」。「さざれいしの」は「サッ・サリード」=「喜べ・人類を救う、残りの民として」で、「いわおととなりて」=「イワ・オト・ナリァタ」で「神・預言・成就する」。「こけのむすまで」は「コ(ル)カノ・ムーシュマッテ」=「全ての場所・語られる・鳴り響く」という意味です。

つまり、「君が代」をへブル語で歌うと、

立ち上がれ、神を讃えよ!
神の選民 シオンの民!
選民として 喜べ!
人類に救いが訪れ!
神の預言が成就する!
全地あまねく 宣べ伝えよ!

という意味の賛美歌になります。

断言はできませんが、おもしろい話だなーと思います。

私の父方の先祖は、約1000年続く神社の神主の家系ですが、神社と旧約聖書に出て来る幕屋と構造はとてもよく似ています。日本とイスラエルの共通点はいくらでもあります。

「みのもんた」の「新説!?みのもんたの日本ミステリー!~失われた真実に迫る~」というTV番組が、2006年から2008年までの4回、「日本のルーツは古代イスラエル!?」というテーマで放映されました。

他の番組を含め、いくつかの動画のURLを貼りましたので、時間のある方はお楽しみください。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=U9NqwW6Bka8#t=3

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=crKpCZe3LQg#t=3

http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=opbryiIc9D4#t=134

http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=8ACzntouvqs#t=40

http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=PvtI1akmzTE#t=1182

最近では、DNA鑑定でも古代イスラエルが日本のルーツだということが証明されているそうです。

もし、これらの話が本当だとしたら、日本は、隠され忘れられた聖書の国ということになり、そのことに気がついたとしたら、天皇陛下や安倍総理大臣をはじめ、全国民が、天地創造の神様、その一人子であるイエス様を信じ、礼拝するという壮大な話になります。

現時点では、断定はできません。本当かもしれないけれど、違うかもしれません。

しかし、キリスト教の牧師は、この国では少数派グループのリーダーですが、そんな私にとっては、想定外でわくわくするような話です。

これから先、何が起こるかわからない不確実な中に生きています。その中で確実なものを持っている人と持っていない人では、想定外の何かが起こった時、大きな違いが生まれてきます。あなたは、何が変わっても変わらないものを持っていますか?

「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。」(マタイ 24:35)と聖書は語ります。

冒頭で「わっしょい!」が「神が来た!」という意味だという話に触れましたが、今日、今週、聖書に書かれた神を心の中心にお迎えし、神と共に歩んでいきましょう。

言葉でいうのは簡単ですが、天地を創造し、全知全能の神様と一体になり、共に歩むということです。すごい、素晴らしい、エキサイティングな一日になることを祈ります。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月13日(水)21時40分15秒
編集済
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【880】2017/9/13(水)歩きタバコしたんじゃねーよ。オメーだよ&ジーマーチ」

教会の前で、一人の女性が歩きタバコをしている人を注意しました。

歩きタバコを止める気がないので、何度も何度も繰り返して注意しました。

その気持ちはよくわかりますが、逆ギレされないか心配です。

女性が強く、女性が威張っていられる姿を見ると、平和だなーと思います。

相手の立場を考慮し、愛を込めた言い方が出来たらいいのになーと感じた一幕でした。

争いに巻き込まれないといいなーと思い祈りました。

話は変わりますが、長女が高校三年生で受験生です。

ある意味、受験はギャンブルに近いものがあるように思います。

「もし志望校に落ちたらどうしよう?」という心配がないわけではありません。

神様に祈っていたら、「高校からの推薦を受けたら良いのでは?」と感じました。ちょうどその頃、担任の先生から、「(ある大学に)推薦入試にエントリーしてみないか?」と声をかけてくれたそうです。

受験生の間でよく聞く言葉に、「ジーマーチ」という言葉がありますが、東京の有名大学の頭文字です。

G 学習院大学
M 明治大学
A 青山学院大学
R 立教大学
C 中央大学
H 法政大学

私たちは、

G 元気に
M 負けずに
A 明るく
R ルンルンしなから
C 力を受けて
H 励まし合って行きましょう

皆さんと毎日心を通わせられることを感謝致します。これからも、共に祈り合いながら進んで行きましょう。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月13日(水)12時03分34秒
  どうしたら良い?!  

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月13日(水)07時36分25秒
編集済
  「ストレスは大切なことを教えてくれる」

私たちの社会はストレスで満ちています。

カナダの生理学者である「ハンス・セリエ博士【Dr. Hans Selye】(1907~1982)」は、元々、物理学で使われていたストレスという言葉を使って学説を発表しました。

金属に一定の力を加え続けると、歪んだり、折れてしまうこともあります。それが人間に加わったとしたらひとたまりもありません。

ストレスには二種類あります。「良いストレス」と「悪いストレス」です。

良いストレスは、普段と違う環境の中で、適度な緊張や興奮を感じることで、苦痛ではあっても、達成感や満足感を与えます。例えば、軽い運動などがそのストレスに当たります。また、カレーやキムチなどの刺激的な食べ物を食べるのも良いストレスに入るのではないでしょうか。

次に、悪いストレスがあります。やりたいと思ったことが拒絶されたり、道が閉ざされて断念せざるを得なかった時などに、全身でストレスを感じ、心と体に害を与えます。

良いストレスはかえって健康にプラスになりますが、悪いストレスは健康を損ねてしまう可能性があります。悪いストレスとどう向き合い、関わったらいいのでしょう。

①「ストレス」に抗おうとせず、そのまま抵抗しないで受け入れることが第一の対処方です。

②「なぜストレスを受けている?」のかを考えてみることです。決断を促されているかも知れません。あるいは、何かが間違っているので神が忠告をしてくださっているのかも知れません。立ち止まって静かに考える時を持って下さい。

③あなたのストレスに耳を傾け、苦しみを共感してくれる友だちに心の内を聞いてもらうことです。ただ、話す相手を選ぶことは大切で、相手によっては、弱みを握られたり、後で陰口を言われて、かえってストレスが増えてしまうこともあります。複数の友だちに、小出しで少しづつ聞いてもらうのも一案です。

④祈ることです。ストレスが心に重くのしかかっていると祈りすら出てないかも知れませんが、それでも祈ることです。私は、ただ「神さまーーーー」とうめく祈りしかできないこともあります。しかし、心は次第に軽くなり、喜びに変わっていきます。神さまがストレスを受け止め、代わりに背負ってくださるからです。

一人でストレスを受け止め、耐え続けたら心身が破壊され、あなた自身が潰れてしまう可能性がありますが、神に祈り、互いに助け合って行くならば何も怖くはありません。

ストレスはできれば避けたいものですが、ストレスがあっても大丈夫です。ストレスは神と人との絆を強められるチャンスであり、大切な何かを学ぶ機会です。いつの間にかストレスは宝物に変わっています。

「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれで あなたのおきてを学びました。」(詩篇119:71)

良い一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月12日(火)20時15分35秒
編集済
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【879】2017/9/12(火)明日を思い煩わず、今を喜び感謝しよう 」

宗教改革500周年のもう一つのバンドのリハーサルは4時間もかかったのに、こちらのバンドは1時間弱で終わってしまいました。

一日のお仕事が終わって、これから帰宅です。

今日の一日一シャに入ります。

ある日は、重要な仕事同士がバッティングして、残念な思いをすることがあります。

そんな時は、優先順位に従って取捨選択します。

残念に思っても、悩まず、神の守りと導きと信じます。

振り返ってみると、バッティングしたすべての仕事をすべて行えたとしたら、疲れる仕事ばかりで、倒れてしまったかも知れません。

今日のように、4つの仕事がきれいに整列することがあります。

どれも大切で、神がうまくが調整して下さったと思います。

帰宅して娘が私のSNSを見て、「パパ、ネタ多すぎッ」て言われました。

ただ行った先で、写真を撮って載せているだけです。

私は、過去を思い煩ったり、未来を心配したりしないで、いつも、今この時を楽しむことにしています。

そして、その出来事を写真におさめます。

今日は、朝雨が降る中、ギターを片手に、自転車でスタジオに行って、大会のバンドのリハーサルを行いました。リハーサルの時間を合計すると、6時間かかりました。

次に、宗教改革500周年メサイヤコンサートの最終決起集会に行って、祈りと賛美を神に捧げました。少し長引きました。

だから、次の会議に遅刻してしまいました。遅刻したので、ものの1時間で終わりました。

そして、朝練習したのと違うバンドのリハーサルに参加しました。先に触れましたが、トータルで計算しても1時間弱て終わりました。

軽やかな気持ちで帰って来ました。

明日も、明後日も、明々後日も、スケジュールはいっぱいですが、しかし、橋は、橋のたもとに来てから渡るように、明日のことは悩まず、考えず、明日になってから悩み、考え、生きることを心がけています。

もちろん、明日の準備はします。教会の日曜日の説教は、少なくても半年先まで終わっています。

「備えあれば憂いなし」とことわざにあるように、備えることは大切です。

しかし、聖書は、「あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」(マタイ6章34節)と語ります。

この言葉を、「座右の銘」としています。

元々の私は、何でもすぐに思い煩い、悔やみ、後悔し、クヨクヨする人間だからです。

昨晩は、1時間しか眠れませんでした。早く寝すぎて、1時間後に起きてしまいました。

朝になるまで、やるべき仕事を紙に書き出し、メールをし、探し物を探し、仕事の準備をしました。

神様が、私を起こして下さったのだと思います。

忘れていた仕事を思い出すことが出来ました。

このようなことは特別です。毎日1時間しか眠らなかったら、3日と持たないか、昼寝をしなければならなくなり、1日を台無しにしてしまいます。

通常は、明日を心配しないけれど、時間のある時に、先の仕事を少しずつ準備していきます。

明日を心配しなくても、必要ならば、神様は夜中に起こしてくれますし、仕事をうまくバッティングしないように調整して下さったり、わざとバッティングさせて、仕事量を調整して下さると信じます。

明日を神にゆだねて、今を楽しんでいきたいですね。

1日お疲れ様でした。また明日お会いしましょう。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月12日(火)16時30分57秒
  「Now watching448」

遅れてラブソナタのフォローアップ集会に参加しました。行くところ行くところ雰囲気が違うので面白いです。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月12日(火)14時56分56秒
  「Now watching447」

夫人伝道者が祈りに燃えて燃えて、なかなかラブソナタのフォローアップ集会(次の予定)に行くに行けません。エンドレスです。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月12日(火)13時26分46秒
  「Now watching446」

宗教改革500周年メサイヤコンサートの最終決起集会の集まりがスタートしました。盛り上がっています。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月12日(火)12時23分41秒
  「Now watching445」

雨の中、ギターを担いで自転車でスタジオに来て、宗教改革500周年大会のバンドのリハーサルを行いました。

力が出ないと思ったら、まだ食事をしていませんでした。何にしようかな?
 

ありがとうはツキを呼ぶ

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月12日(火)05時20分12秒
  「ありがとうはツキを呼ぶ」

世界で最も美しい言葉は、おそらく、「ありがとう」です。

漢字で書くと「有難う」。「有る」ことが「難しい」と書きます。

つまり、「ありがとう」は、イイことに対してだけではなく、「有る」ことが「難しい」ことに対して、どんなことにでも言える言葉のようです。

今日、イヤなことが起こったら、「有難いこと」ですから、「ありがとう」と言ってみませんか?

イヤなことに対して、「イヤだ!」と言って、不満を抱くことは自然な感情ですが、心はもっともっとイヤな気持ちになり、落ち込んでしまいます。

しかし、イヤなことに対して、「ありがとう!」と言ってみたら、イヤな気持ちは少しずつ消えていきます。

「ツキを呼ぶ魔法の言葉」というものがあります。工学博士の「五日市剛さん」の講演の演題名です。

同じような境遇で、同じような環境に生きていながらも、一方の人は果てしなく不幸に生きていますが、もう一方の人は最高の人生を歩んでいるということがあります。

人生の幸・不幸を決める何かがあるのではないでしょうか?

五日市さんは、かつて徹底的にツキに見放されていました。大学院の研究に行き詰まり、人間関係でも悩んでいました。そんな彼がツキを呼び込むようになったのは、人生に疲れ、現実逃避のためにイスラエルに行ったことがきっかけでした。

しかし、旅先でもツイていませんでした。トラブルが続き、飛行機の遅延、財布の紛失、詐欺被害で所持金をほとんど失いました。ある日大寒波が襲来し、泊まる宿も見つからない中、「なんで俺ばっかりツイてないんだよ!」となげいていたら、一人の親切なユダヤ人のおばあさんと出会いました。

「泊まりに来なさい!」という言葉に甘えた五日市さんは、おばあさんのお宅に泊めてもらうことになりました。

その日、ツキから見放されていた五日市さんを見るに見兼ねたおばあさんは、そっと「ツキを呼ぶ魔法の言葉」を教えてくれたのです。

それから日本に帰国し、教えてもらった「ツキを呼ぶ魔法の言葉」を使い始めたら、どんどん幸運が引き寄せられてきました。

人間関係が改善し、大学院の研究が進み、工学博士号取得。一流会社に就職し、さらに、ヘッドハントされ転職し、転職先では億単位の開発費が用意され世界的な発明をしました。

新規事業が2年でトップシェアに登り詰め、その頃、理想の女性と出会い、めでたく結婚。まさに、いいことずくめです。

ところで、「ツキを呼ぶ魔法の言葉」は、どんな言葉なのでしょう。

「ありがとう」と「感謝します」のたった二つです。

イヤなことがあったら、「有難い」ので「ありがとう」。しかし、良いことが起こったら「感謝します」と言うだけです。

これなら誰でも言えます。

物事は、嫌なことか良いことかの二種類しかありませんから、いつも、「ありがとう」。「感謝します」と言っていればいいのです。

聖書は、「すべてのことついて神に感謝しなさい」と教えます。

ユダヤ人のおばあさんは聖書の言葉を実践して幸運を引き寄せていたのですね。

「ありがとう」。この言葉はあなたを祝福し、ツキを呼ぶはずです。

最後にもう一言。

五日市さんはもう一つ、「ツイてる! ツイてる!」といつも口ぐせのように言うそうです。そうすると、「ツキ」がやって来るのだそうです。

しかし、真の「ツキの法則」は、ただ、口で「ツイてる! ツイてる!」というだけではなく、「神が私にツイていて下さる」から、共におられる神から「ツキ」がやって来るのです。

「見よ。 わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイの福音書28:20)

「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。」(詩篇23:6)

神がツイておられるので、祝福がツイてきます。

ステキな一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月11日(月)21時35分54秒
  「Now watching444」

消防団の祭礼パトロールをしました。

神社の境内で見回りをしていると、保育園の男の子か小学3年生くらいの男の子に突き飛ばされて、大きな怪我をしました。救急車を呼び、引き継ぎをしました。

何事もないことを祈りつつ任務を終えて、帰宅しました。

帰宅後には、先日の大会の写真が送られて来ました。楽しかった思い出がよみがえりました。

一日お疲れ様です。また明日。おやすみなさい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月11日(月)19時14分19秒
  「Now watching443」

「ハレルヤ牧師会」が終わり、「被災地のための祈り会」に顔を出しました。

この後、「消防団」の「祭礼パトロール」があるためまともに参加できませんでしたが、来て良かったです。

行こうかどうか、迷った時は「ポジティブ・チョイス」ですね。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月11日(月)11時51分12秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【878】2017/9/11(月)たかが『いいね!』、されど『いいね!』 」

今から16年前の今日、アメリカで同時多発テロが起こりました。同じ年、同じ月の9月23日に、新宿福興教会がスタートしました。

その一ヶ月前、教会をスタートするために、祈りと経済的支援をお願いするためにアメリカを訪問しました。

その一ヶ月の旅を終えて帰国した直後のできごとでした。TVをつけると、ビルに飛行機が飛び込むシーンが放映されていました。映画のワンシーンだと思いましたが、レポーターの声を聞いて、これは大変なことが起こったと感じました。

10年一昔と言いますが、16年前が二昔くらいに感じます。

また、11日と言えば、3.11東日本大震災から6年半が経ちました。月日が経つのが早いなーと感じます。

今日は、これから、牧師会か行われます。その後、昨日に引き続き、消防団の祭りの警戒活動します。

牧師会は、普段通りのスーツとYシャツ姿ですが、消防団の活動をする時には、制服や作業服を着ます。

いつもとイメージが違うためか、「こんばんは」とあいさつをしても、一瞬、「えっ!?」という顔をしてから、「あー、菅野さんですね。消防団やられているんですね。ご苦労様です」となることがあります。

いつも見慣れない服装を着ていると、気づかれないことがあります。

反対に、顔は同じなのに、祭りのハッピを着ていて見慣れないため、「あれー、どこかで見たことがあるんだけどなー」という人とすれ違って、後でわかるということもあります。

私は、いつも皆さんから「いいね!」を押して頂いていますが、ある時から「いいね!」押さないことにしました。

通常の「いいね!」を押さない理由は、

①ただ単に投稿に気づいていない。祭りの時には、普段と違う着物や制服を着るため、気づかないことがあるようにです。

②忙しいので、投稿を見ていない。

③その投稿を良いと思わない。

④記事を書いた人を好きでない。

しかし、このあたりから深くなります。

⑤この記事を読んだことを他者に悟られたくない。

⑥自分がネットをやっていること事態を人に悟られたくない。

⑦一人に「いいね!」をすると、他の友達にも平等に「いいね!」をしなければならなくなるので、平等の観点から「いいね!」をしない。

私は、⑦の理由から、「いいね!」を基本的に押さないことにしました。

誰が、誰に、「いいね!」を押しているかを知ろうとしなくてもわかることがあります。

そうすると、この友達は、『この人には「いいね!」を毎回押すのに、私には押してくれていない』と、なぜか寂しくなります。

嫌われているのか、いいと思ってくれていないのか、あるいは、気づいてないだけかも知れませんが、ある人には「いいね!」をしても、違うある人には「いいね!」をしないということは、寂しさを感じさせてしまう可能性があります。

しかも、ネットに割ける時間は限られています。

友達の記事に気づいた時には、コメントをすることにしています。

コメントなら、よほどのことがなければ書かないですし、よっぽど親しいのだろう、と感じるのではないかと思います。

毎日、発信するばかりで、じっくりみなさんの記事を読めないこともあり、申し訳なく思います。

しかも、スマホやタブレッドでみなさんの記事を見ながら寝てしまうこともあります。

充電しっ放しで朝を迎えることもあります。

夜眠れなくて、睡眠薬を飲む人がいるのに、私は、布団に入って1分もしないうちに、あっという間に眠ってしまうことも珍しくありません。

元々体が疲れやすく、一日一日を完全燃焼しているからです。

そのくせ、旅先のホテルで相部屋になった時には、朝まで眠れなかったことも何度かあります。

私の記事を読んで下さる方の中で、こっそり読んで、「いいね!」を押さない人がいるのを知っています。

メッセージを送って詫びてくれます。

「恥ずかしいので・・・」とか、「やっていることを他の人に知られたくないので・・・」などの理由だそうです。

私自身が「いいね!」をほとんど押さないので、「いいね!」をして下さるとすごくうれしいですが、「いいね!」をしなくても、読んで下さるだけでうれしいです。

統計から、「いいね!」を押して下さる方の10倍~20倍くらいの人が、見て下さっていると予測しています。

見て下さっているという事実に感謝したいと思います。

私の友人に、「いいね!」魔の人がいます。

私が記事を投稿すると、数分のうちに「いいね!」を押して下さいます。さらに、あの人も、この人も、そして、こんな人までと思うほどたくさんの人に「いいね!」をしています。

みんなにも「いいね!」をしているけど、私にも「いいね!」を忘れずに押して下さるのでうれしいです。

本当は、友達全員の記事に「いいね!」を押したいです。

時々、悪い考えがよぎることがあります。『「自動いいね!押しアプリ」があったらいいな』と。

私の中では、「いいね!<コメント<シェア」と思っていますが、『たかが「いいね!」、されど「いいね!」』。

その「いいね!」の中に、様々な思いが込められていると思います。

みなさんが下さる「いいね!」には、いろいろな深いが込められていると感じます。

感謝しています。そして、いつもありがとうございます。

毎日交流して下さるみなさんに、心から感謝しています。

どうぞ、引き続きよろしくお願いします。

新しい週もよろしくお願いします。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月11日(月)07時37分24秒
  「夢は実現する(Dreams come true)」

きれいな農園の前を一人の牧師が通りがかりました。

農園の主人に、「神様は、本当に美しい自然を造られましたね」と話しかけますと、少し考えてから、「そうですね・・・しかし、神様がお一人で農園を経営されていた頃は見られたもんじゃなかったですけどね」と言いました。

これは、夢を持ち、行動することの大切さを教えてくれる話です。

あなたには夢がありますか?

あなたは、今の社会を見て、「そのままで素晴らしい」と思われるでしょうか? きっと、多くの問題があると感じられるのではないでしょうか。政治的に、経済的に、そして、道徳的に、人々の心には様々な苦しみや闇があります。

「そのままでいい!」と思ったら、それで終わってしまいますが、夢を持ち、一歩踏み出していくところから素晴らしい未来が現実になるのです。

今住んでいる町を何とかしたい。このような社会を作っていきたい。争いのない世界にしたい。みんなが幸せに生きられる国にしていきたい。きっと理想的な夢を持っておられると思います。

夢を描く前に、現実に押しつぶされて、あきらめてしまっている人もいます。もったいないです。

イエスさまは、「あなたが信じたとおりになるように。」 (マタイ8:13)」と言われました。

聖書は、「神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。」(使徒の働き2:17)と語ります。

神の霊に満たされたら、若い人は「幻」を見、年取った人は「夢」を見る、というのです。

神ご自身、夢を見るお方です。

神が天と地を創造された時、適当に宇宙を造り、太陽系を造り、地球を造られたのではありません。しっかりとした青写真を持って、夢を描きながら造られたに違いありません。私たち人間を造られた時も同じです。思いつきでアダムとエバを造られたのではなく、神ご自身に似せて、神のイメージに人間を造られたのです。

「神は仰せられた。『さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。』」(創世記1:26)

私たちは神に似せて造られたのです。そうであるならば、私たちも神と同じように夢を持ち、その夢に向かって行動していくのが本来の姿です。

しかし、夢ならば何でもいいというのではありません。

夢は、
①神の御心に沿い
②愛を動機とし
③自分だけが幸せになるのではなく、「自分がしてほしいことを他人にする」という「黄金率」に従い
④社会のルールをやぶることなく実現させる
ものです。

①の神の御心に沿った夢とはどんなものでしょう?

神は全人類の神です。信じず、背くものを滅ぼす恐ろしい方ではなく、愛そのものであり、人類の救いのために一人子イエス・キリストを十字架につけて救いの道を与え、信じるだけで、永遠の命と天国のパスポートを与えられた方です。神の御心に沿って夢を描いたら、全人類が幸せになる世界が描かれます。

夢と似ているものに野心というものがあります。それは、
①神の御心から外れ
②欲を動機とし
③他人が不幸になっても構わず、自分だけが幸せになることを願い
④社会のルールを破って実現させようとする
ものです。

夢と野心の違いをしっかりと見極めて下さい。

夢は楽しいものであり、1円もお金がかからないし、やがて実現します。

聖書には、「幻なき民は滅ぶ。」(箴言29:18)と語ります。

夢がないと、やがて停滞し、衰退していきます。

夢を持つことを忘れた人間は、歌を忘れたカナリヤのようなものです。

もう一度、夢を見ることを思い起こし、夢を描き、夢に向かって行動していきませんか?

150年前のエジソンの夢が、白熱球を生み出しました。130年前のライト兄弟の夢が、飛行機を生み出しました。

今度は、あなたの夢が実現する番です。

今日も、すばらしい一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月10日(日)21時13分31秒
編集済
  「Now watching442」

夕方の礼拝後、教会員とゆっくり語り合いました。

その後、少し遅れて地元の祭りの警戒活動を行いました。

地域の人たち、議員さん、PTAや育成会関係者など、たくさんの人たちと会いました。

祭りは、色々人たちとの再会の場ですね。その意味でも、祭りは意味があります。

クリスチャンに取っては、毎週日曜日がお祭りです。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月10日(日)13時24分47秒
  「Now watching441」

カメの「カメ美」どうしちゃったんだろう? 8個目のたまごを産みました。

ここのところ、食欲が多く、機嫌が悪く、落ち着かないと思ったら、こういうことだったのですね。

機嫌が悪い人がいたら、カメ美のように、何らかの理由があるのかも知れません。それを理解しようとする心を持つことから愛はスタートするものだと思います。

「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」(マタイ22章39節)
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月10日(日)13時13分10秒
編集済
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【877】2017/9/10(日) 神を賛美する理由」

教会の仕事は、「すべて終わった」と思っても、いくらでも仕事を思いつきます。エンドレスです。

それに引き換えイエス様は、十字架の上で、「完了した」と言って死なれました。
「イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、『完了した。』と言われた。そして、頭を垂れて、霊をお渡しになった。」(ヨハネの福音書19章30節)

この「完了した」という言葉は、ギリシア語で「テテレスタイ」という言葉です。

新改訳聖書は、「完了した」と訳しましたが、他の訳を見てみます。

「成し遂げられた」(新共同訳聖書)
「すべてが終わった」(口語訳聖書)
「事(こと)畢(をは)りぬ」(文語訳聖書)
「何もかもなしとげた」(リビングバイブル)

「テテレスタイ」は、商売用語で、「支払いが終わった」「完済した」という意味で使われていた言葉です。

イエス様は、ただ一度十字架で死なれたことで、罪の赦しのための代価をすべて支払われたのです。

気持ちがいいですね。

信じるだけで、永遠、かつ、失われることのない救いが与えられるのです。

サントリーウイスキー山崎のテレビコマーシャルで、「なにも足さない。なにも引かない。」というキャッチフレーズがありました。

これは、イエスの十字架にそのまま当てはまる言葉です。

イエス様の十字架に、「なにも足さない。なにも引かない。」でいいのです。そして、そうしなくてはいけないのです。

ありがたいです。

ここに、永遠に神に対して賛美歌を歌う理由があります。

今日の日曜日も、神に祈り、神を賛美し、礼拝したいです。

この後もステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月10日(日)07時39分47秒
  「チューニング・給油・治療をする日」

ある男性が、「体中が痛い!」と叫びながら病院に飛び込んできた。

診察の番がまわってきたので、「お医者さん大変です。どこを押しても全身が痛くてしょうがないんです。」

医師は、しばらく診察してから、「原因がわかりました。指の骨が折れています」と言われました。

この男性のように、原因がわからない漠然とした苦しみ、悲しみ、怒り、孤独で苦しんでいることはないでしょうか?

教会に来て聖書を学び、神に祈る時に、痛みや問題の根本を知ることができ、神様がいやしや解決を与えてくれます。

「イエスは答えて言われた、『健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。』」(ルカによる福音書5:31~32)

神はあなたの創造者であり、あなたをいやすことができる医者であり、あなたの問題を解決できる全能のお方です。

病院なら、病気になった時だけ行けばいいです。しかし、教会は、毎週日曜日に行く必要があります。

そこで、いやされるだけではなく、ギターのチューニングをするように、あなたの心をチューニングしていただき、車のガソリンがなくなったらガソリンスタンドに行ってガソリンを入れるように、あなたの心を聖霊で満たして頂きましょう。

教会には、人間が根本的に必要とするすべてがあります。

教会にいらっしゃいませんか?
新宿福興教会HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/
(メッセージを下されば、みなさんの近くの教会を紹介致します。)

また、インターネットを通して神さまを礼拝しませんか?
「生放送」〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時

① 新宿福興教会HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/
② ニコニコ動画  http://nico.ms/l/co114841
③ ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor

説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月 9日(土)16時39分35秒
  「Now watching437」

ある友人から、「菅野先生は、年がら年中外に出ていて、家族らんが欠けているんじゃないですか?!」と指摘して頂きました。いつも、私のfacebookを見て下さっている方です。

私は、家族や身近な人を守るために、日常生活の写真は出さないことにしています。私がネットで載せる出来事は珍しいことです。

食べ物の写真を1日に3回載せたら、「菅野先生は1日食事ばっかりですね」と言われました。

投稿にはバランスが必要ですね。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月 9日(土)15時13分0秒
  「Now watching436」

息子の高校の学園祭。PTAブースでクッキーとオリジナルグッズを売っています。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月 9日(土)12時19分45秒
編集済
  運転中眠くなったら、  

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 9月 9日(土)10時46分44秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【876】2017/9/9(土) すわって、立って」

日光三日目を迎えました。

今回は、「シンセサイザー」と「キーボード+ボーカル」を交互にやりました。ステージの構造上、同じ楽器を座って演奏し、立って演奏するこを繰り返しました。

木曜日夜はすわって
金曜日朝は立って
金曜日午前はすわって
金曜日午後は立って
金曜日夜はすわって
土曜日は立って

本当は、一度決めたら、そのままのセッティングで終わらせたいと思いますが、すわって、立ってを繰り返しました。

ふと、収税人マタイが収税所にすわっている姿と、イエス様から、「わたしについて来なさい」と呼ばれて立ち上がったマタイの姿を思い起こしました。

「イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、『わたしについて来なさい』と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った。」(マタイ9章9節)

人は、安易な生活にあぐらをかいて、なかなかその生き方をやめたくないものです。

マタイもそうでした。当時の収税人は、嫌われる職業でしたが、お金がもうかるので、一度やったらやめられない職業でした。

しかし、イエス様から、「わたしについて来なさい」と呼んで頂いた時に、マタイは立ち上がりました。

これは、ただ立ち上がっただけではなく、収税人という古い生き方をやめて、イエス様に従う新しい生き方をし始めたのです。

一回の集会ごとに、すわったり、立ったりを繰り返すのは少しめんどくさかったですが、大切なことを思い起こさせて頂き感謝です。

私たちも、今までどのような生き方をして来たとしても、過去は変えられない、変えたくないと思っていたとしても、イエス様と出会い、必要ならば、今日からでも新しい生き方始めていきたいものですね。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

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