投稿者
 メール
  題名 ※管理者の承認後に掲載されます。
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

他のスレッドを探す  スレッド作成


(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月27日(木)09時34分51秒
編集済
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【835】2017/7/27(木) 家族で仕事兼団らん」

一年前の今日、急にフリーになったので、一人で、箱根、山中湖などをドライブし、帰り道に、事件直後の津久井ヤマユリ園に報道陣に紛れて祈りに行き、最後は、教会員宅などに出かけました。

とても充実した1日だったことを思い出します。

以前は、夏休み、冬休み、春休みには、家族旅行をしていましたが、今は、私も、妻も、子どもたちも、それぞれが忙しいので、日帰りで出かけます。

日帰りといっても、仕事や買い物に一緒に行き、食事をしたり、一ヶ所、遊べるところに立ち寄ったりするだけですが、家族団らんの時となり、楽しい時間です。

今日は、長男はサッカーの合宿、長女は勉強の合宿に行っているので、私と妻と次女と次男の4人で、3つの仕事に付き合ってもらってから、買い物をし、ランチを食べて帰宅するという、半日のお出かけをしています。

わざわざ時間とお金をかけて旅行をしなくても、家族で一緒に出かけることで、楽しい時間を過ごすことができるものです。

つかの間の家族団らんの時間に感謝しています。

皆さんにとりましても、ステキな1日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月27日(木)08時11分29秒
  「人生の四季を楽しもう!」

昨日くらいから、梅雨の戻りがあり、少しホッとしています。しかし、こまめに水分補給をし、熱中症などに気をつけて下さい。

日本には、春・夏・秋・冬の四季があり、時間の経過と共に季節が変わります。地球が23.43度傾斜しているからです。

勢いよく成長する春、絶頂期の夏、収穫の秋、実りのない冬。どの季節も必要です。実りのない冬も、次に来る春に備える季節であり、他の季節とバランスを取る意味でも大切なのです。

いつも良い季節だけだとイイ!と考えることがありますが、地球の傾斜をなくしたら、地球は暑いか寒いかだけの星になります。きっと退屈なはずです。

神さまは、私たち人間が飽きないように、一年を通じて四季を下さり、私たちを楽しませて下さっています。

四季の変化は、私たちの人生にもあります。

いつも絶好調で何をしてもうまく行っているように見える人がいるかも知れませんが、その人にも、ちゃーんと四季があって、実りのない季節を過ごしているはずです。その時をしっかりと受け止めて、収穫の季節に備えて心も体も準備をしています。

好循環の人は、いつもどんな時にも、その瞬間を大切な時として受け止めて、感謝し、全力でその時その時を生きている人だと思います。

反対に、いつも貧乏くじばかりを引いて、何をしてもうまく行かないように感じている人もいることでしょう。その人にも同じように四季はやって来ているはずです。きっと、その時その瞬間を大切にしないで、感謝しないので、いつも「こうなったらいいのに!?」と嘆き、無い物ねだりをしています。

また、うまく行かないことを人や状況のせいにして何もしようとしません。そのように生きていると、せっかくチャンスがやって来ても、チャンスをチャンスと思わないので、チャンスは素通りして去っていってしまいます。

夏はいつまでも続きません。やがて秋になり、その秋も深まり、冬がやってきます。

人生もツライことばかりではありません。四季が巡っています。大切なことは、すべての四季、すべての時を楽しむことです。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケ人への手紙 第一 5:16~18)

どの季節にも良さがあり、どの季節も必要です。同じように、私たちの人生のどんな時も素晴らしい時であり、必要です。今日も素晴らしい一日でありますようにお祈りいたします。

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」(伝道者の書 3:11)

夏に感謝し、夏を楽しみましょう。「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」のですから。

良い一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月27日(木)00時31分15秒
  「Now watching397」

ラブソナタの荷物を車で事務まで運び終えて、シメのラーメン。

ラブソナタが終わって一段落ではなく、8月の大会一つと9月の大会二つが待っています。

毎日楽しいことばかりではなく、涙を流すようなこともありますが、すべてが感謝です。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月26日(水)22時06分57秒
  「Now watching396」

ラブソナタ終わりました。二日間のために、たくさんの時間を神様に捧げ、準備し、働いて来ました。

まだ夢のようです。

これからラブソナタの荷物を車に積んで、事務局まで行き、その後、夕食がまだなので、食事をしてから帰ります。

おやすみなさい。また明日。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月26日(水)17時16分42秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【834】2017/7/26(水) クリスチャンアントニオ古賀との再会に感謝」

私は、1971年に東京都品川区中延で生まれました。

小・中学生の頃、家から地下鉄で一駅の馬込駅の近くの「アントニオ古賀ギター歌謡学院」に、ギターを習いに行きました。

そのアントニオ古賀先生と、今日、30~40年ぶりに再会しました。

古賀師は、今年のイースターに洗礼を受けてクリスチャンになり、今日のリーダーシップフォーラムで二曲演奏をして下さいました。

プログラムを担当しているので、照明、音響、サウンドチェック、リハーサル等に立ち会いますので、ステージにあがられた古賀師に、子どもの頃、「ギター歌謡学院に通っていました」と話しますと、とても喜んで下さいました。

今私が、ギター奏者としてあるのは、古賀師から教えてもらったことと無関係ではないと思います。

単なる古賀師との再会ではなく、クリスチャンになった古賀師との再会に喜びを感じました。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月26日(水)09時29分9秒
  「Now watching395」

ホテルニューオータニで、リーダーシップフォーラムの準備が始まっています。

プログラム担当ですが、出演者だけではなく、舞台監督やディレクターとの打ち合わせをしています。

ワクワクドキドキします。

リーダーシップフォーラム参加予定の皆さまをお待ちしています。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月26日(水)06時52分45秒
  「晴れも曇りも雨もすべてが良い」

たまに雨が降るとホッとしますね。今日は雨か曇りの一日になりそうです。晴れの日は「ハレルヤ」。雨の日は「アーメン」でいきましょう。

あるユダヤ教の教師の家庭。息子が突然、「キリスト教に改宗したい」と言い出した。 両親はショックのあまり言葉を失い、夜一心不乱に祈り始めた。すると、急に天から神が現れた。そこで両親はこう叫んだ。「主よ、わたしたちの息子がキリスト教に改宗すると言っています。あの憎きキリスト教に息子が盗まれてしまいました!!」すると神は溜息を1つつきこう言った。「実は、わたしの息子もそうだった。」

人生は何が起こるかわかりません。一寸先は闇なのか?光なのか? でも、なるようになる「ケセラセラ(Que sera sera)」という訳にも行きません。仏教徒の「リチャード・カールソン」という人が書いた「小さいことにくよくよするな! ~しょせん、すべては小さなこと~」という本がベストセラーになりました。この題名は説得力がありました。しかし聖書は、2000年も前から、小さいことだけではなく、「何事も(大きいことも、小さいことも)思い煩ってはならない。(くよくよするな)ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。」と語ります。これは「ケセラセラ(なるようになる)」ではなく、「神が共におられるから大丈夫!」と言っているのです。

そういう確かな土台を持って、今日も生きていきましょう。

素敵な一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月25日(火)20時53分10秒
  「Now watching394」

ラブソナタ(韓国文化を通して行うキリスト教伝道集会)の初日が始まっていますが、明日の午餐会の最終準備を在宅で行っています。

私は、プログラム担当で、キューシートも完成し、出演者との打ち合わせも終わりました。

しかし、受付表がまだ完成していないですし、名札作りもまだまだ終わりません。

妻と子どもたちは、東京国際フォーラムで今頃楽しんでいると思います。

しかし、負け惜しみでなはなく、350名の席次表と受付表を交互ににらめっこしながら、家仕事ソナタを最高に楽しんでいます。

関係者からの電話もバンバン入って来ます。やっぱり、家仕事ソナタが私の天命。

「神の賜物と召命とは変わることがありません。」(ローマ11章29節)
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月25日(火)13時18分54秒
編集済
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【833】2017/7/25(火) 新宿アルタ前ラブソナタ」

今日は、韓国オンヌリ教会の32名の方々と、新宿駅でオーケストラと聖歌隊によるストリートライブをしました。

路傍伝道ネットワークの仲間も一緒に参加してくれました。

今晩と明日、国際フォーラムで大会が行われますが、新宿駅でもラブソナタを行いました。

多くの人に神の愛を伝えることができました。

4名の人が、「今度の日曜日に教会に行きたい!」と言ってくれましたし、数人の若い男女が「ラブソナタに行きたい!」と言ってくれました。

蒸し暑く、汗を滝のように流しましたが、とても楽しい時間でした。

感謝でした。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月25日(火)07時30分8秒
  「Now watching393」

今日からラブソナタ(韓国文化を通して行うキリスト教伝道集会)がスタート。

今朝は5時に起きて、ホテルニューオータニで朝食会で心潤され、食事を食べて元気になります。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月25日(火)05時13分43秒
  「人生のゴール設定」

人生のゴールを設定していないと、ちょっとした逆風が吹くだけで挫折したり、引き返したりしてしまいます。

逆風とは、誰かに行く手を阻まれたり、足を引っ張られているように感じられるかもしれません。しかし、本当の意味で行く手をふさいでいるのは自分自身です。

人生のゴールが明確ならば、一時的に障害物とぶつかって挫折をしたとしても、踏み台に変わります。

人生のゴールを見据えているならば、障害物を乗り越える体力や実力を身に着けて、1~2歩下がって、助走をつけてから障害物を乗り越えることもできます。

人生の逆境を赤信号、人生の順境を青信号と考えたとしたら、安全を考えて、すべての信号が青になるまで出発しないとしたら、いつまで経っても人生のゴールを目指す旅に出発することはできません。

「うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」(ピリピ3章13節~14節)

さあ、人生のゴールを設定し、今から出発しましょう。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月24日(月)22時14分52秒
  今週土曜日(7月29日)には、第三弾の山手線一周路傍伝道の旅を行います。夕方6時半集合、場所は、駒込駅南口路上です。今から予定に入れておいて下さい。

なお、明日(7月25日)の午前10時半頃から、新宿駅東口で、韓国のソウルオンヌリ教会の方々との路傍伝道を行います。もし、都合の良い方はご連絡下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月24日(月)19時45分57秒
  「Now watching393」

一日、体が沸騰するように暑かったです。

今年の夏の暑さで、体の調子が冴えないです。

夜の仕事場のクーラーがガンガンに効いているので、やっとクールダウンしました。

暑さを我慢すると熱中症なとになる可能性があります。遠慮せずにクーラーを使って下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月24日(月)15時42分59秒
  「Now watching392」

司会者との打ち合わせ。お化粧していないので、お顔は伏せました。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月24日(月)15時32分58秒
  「Now watching391」

ラブソナタ迫っています。席次表作りに奔走中。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月24日(月)09時47分12秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【832】2017/7/24(月) 問題意識からはじまる」

朝起きてトイレに行くと、便器に溜まっているはずの水が干上がっていました。ツーンと鼻につく悪臭を感じました。

その瞬間、「なるほど」と思いました。

便器に数センチの水が溜まっているおかげで、下水の悪臭が遮断されていたのです。

知人が、キッチンの排水溝が時々つまるので、配水管のねじれの部分が原因だと感じたのか、水道屋さんの反対を押し切って、配水管をねじれのないストレートのものと交換してもらったそうです。

その後、悪臭が部屋中にこもるし、虫がわいて困るので、再び、ひねりのある配水管に交換してもらいました。今度は、少し太めの管にしてもらったそうです。

知人は、排水トラップのありがたみを誰よりもよく知っています。

トイレの便器に水が溜まっていないだけで、ツーンと鼻をつく刺激のある悪臭で満ちました。

「よく考えたなー」と思います。

これを発明した人は、問題意識を持つことからはじめたのではないかと思います。

「下水は臭いものだ。仕方ない。」と受け入れてしまっていては、何も生まれてきません。

祈りながら、的を得た悩みをするなら、そこから想像的な何かが生まれてきます。

日ごろの何気ないことの中に、「こうだったらいいのに!」「なぜこうなってしまうのだろう?!」などの素朴な疑問から、深遠な悩みに発展させていくことで、何かが生まれます。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月24日(月)07時07分53秒
  「心にも栄養補給」

私たちは、毎日食事をして胃袋に栄養を入れますが、同じように、心にも栄養を入れているでしょうか。

心に栄養が行き届かないと、心が空っぽになり、心が「空いた!」「乾く!」「満たされたい!」と悲鳴を上げます。

人をけなして、自分より不幸な人を見つけて、それを心の栄養にして満足する人がいます。しかし、自分より劣ったと思う人を見下げても、それは一時的な満足で、心の栄養補給にはなりません。

人からの愛や賞賛を求めて、心の栄養をえようとする人もいます。しかし、願った通り、思った通りに栄養をくれる人はまずいません。

そのように、手っ取り早く心の栄養補給をするのではなく、バランスが良く、確実な栄養補給をしましょう。それは、神からのラブレターである聖書を読むことです。聖書はどこを読んでも神の愛で満ちています。

きびしいと思える言葉や、何の変哲もない言葉の方が、より栄養があることもあります。

体の栄養のために、高いお金を出して自然食品や健康食品を食べたり、サプリメントで栄養補給をする人がいるでしょう。しかし、同じように、心の栄養のために気を使う人がどれだけいるでしょうか。

心も、体と同じように栄養が必要です。

心が強ければ、どんな逆境の中にあっても、忍耐し、前進していくことができます。

心に栄養を取って、心が強くなり、あきらめないで前進し続ける人だけが人生の勝利者になれるのです。

「私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできません。」(ローマ8章37節~39節)

今日、まず聖書の言葉に耳を傾け、心に栄養補給をしてから一日をスタートしませんか。

ステキな一週間でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月23日(日)20時03分29秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【831】2017/7/23(日) 三重苦を祝福に変えて」

①暑さ ②疲れ ③声枯れの三重苦に悩まされながらも、神様の助け、家族の助け、皆さんの助けによって乗り越えています。

日曜日の礼拝では、少なくても一度の礼拝で40分以上賛美歌を歌います。

午前の礼拝には、新来者が5名来られました。うち2名は未信者ですが、枯れた声で歌わなければいけなくて、お聞き苦しかったのではないかと思います。

夕方の礼拝には、私と同じように声が枯れていますが、次女がマイクを持って一緒に歌ってくれましたので、助けられました。

2日後には、30名以上の韓国オンヌリ教会の皆さんと路傍伝道をする予定です。

ギターを弾きながら賛美をリードする予定なので、声枯れが治るように祈っています。

先週の木曜日は、大会で賛美をリードする仕事がありましたが、その直前に声が出るようになりました。

神様は、きっと明後日の朝までに声が出るようにさせて下さると信じます。

日曜日の礼拝後には、久しぶりに路傍伝道をしないで、教会員の信仰相談を受けました。

話しを聞き、アドバイスをすることで、軽やかな笑顔で帰って行かれました。うれしいです。

私の想像以上に、皆さん悩みを抱えています。

イエス様が弟子たちを育てたように、私と同じような仕事ができる人を育てていかないといけないなと思います。

同時に、人を助けることが私の仕事ですが、よく考えてみると、神様から、家族から、皆さんから助けられているんだなと感じます。いつも感謝しています。

ステキな日曜日の夜を過ごして下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月23日(日)09時01分2秒
  「一病息災」

「一病息災」という言葉があります。意味は、「持病が一つくらいある方が、無病の人よりも健康に注意し、かえって長生きであるということ」(広辞苑)です。

病気一つなく、風邪もひいたこともないような人が、ある日突然亡くなってしまうということがあります。反対に、いくつもの病気を抱え、病弱な人が長生きするということもあります。

話が変わりますが、世界では、キリスト教が国教になっている国が多くあります。そういう国で生まれた人はクリスチャンであることがごく自然なことかも知れません。しかし、日本で生まれ育った人がクリスチャンになるのは珍しいことです。

私がいろいろな人と出会う中で、何度も「クリスチャンや牧師にはじめて会いました!」と言われたことがあります。

世界のクリスチャン人口は、3人に1人の割合です。多数派ですが、日本では少数派です。

日本のクリスチャン比率は、「アメリカのギャロップ社の調査」によると6%で、10代の若年層では7%。ただ、毎週日曜日に教会に通っている人は1%未満です。

教会に来ている人の層は、中流階級以上の人が多く、首相経験者の13%がクリスチャンです。

一般庶民で教会に来られる人のきっかけを聞いてみると、心や体の病になったことや、人生の諸問題や人生の挫折などがきっかけになった人が案外います。

「一病息災」の話に冒頭で触れましたが、何らかの病いになった人は、健康で、問題なく人生を生きて来た人よりも、健康に気を遣います。同じように、病気を含めて、様々な諸問題を抱えた人は、悩みなく人生を生きている人よりも、人生を真剣に考える機会が増え、その結果、神を求め、神と出会う機会が多くあります。

「宗教なんて弱い人間のやるものだ!」という殺し文句があります。

事実かも知れません。しかし、弱く、足りない人間だという自覚があるからこそ求道し、神に出会えたのです。人生のマイナスがプラスに変わったといってもいい過ぎではありません。

「これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。」(使徒の働き17:27~28)と聖書に書かれています。

世の中を見渡すと、表面的に強い人と弱い人、勝者と敗者がいるように思います。その格差も広がっています。

しかし、本当はみんな弱いのです。いくらこの世で成功し、強くたくましく生きていても、死の前には誰もが無力です。

聖書に、「わたしの友であるあなたがたに言います。からだを殺しても、あとはそれ以上何もできない人間たちを恐れてはいけません。恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺したあとで、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。そうです。あなたがたに言います。この方を恐れなさい。」(ルカ12:4~5)という言葉があります。

今日、弱い人も、強い人も、どんな人も、この問いに対して一緒に考えてみませんか?

「私はどこから来て、何のために生き、どこに向かって生きるのか?」

上記質問は、誰もが人生のどこかで直面しなければならない重要な問いです。

教会にいらっしゃいませんか? 教会には、あなたが探し求めていた何かがあります。

新宿福興教会HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/

インターネットを通して神さまを礼拝しませんか?
「生放送」〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時

①新宿興教会HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/
②ニコニコ動画  http://nico.ms/l/co114841
③ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor

説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月22日(土)15時49分19秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【830】2017/7/22(土) 神のご配慮」

早いもので、今週ももう土曜日ですね。

今週の水曜日までは、喘息の影響で声が出せませんでした。

木曜日の音楽の仕事の時間が近づくにつれて声が出るようになり、歌い切ることができました。

今日は、音楽家たちの前での歌の仕事なので、「ハスキーボイスなので聞き苦しくないかな?」と心配しました。

神を賛美していたら、とてもうれしい気持ちになりました。

毎日仕事でいっぱいですが、可能な範囲の忙しさですし、先日は、喘息で急に倒れましたが、キャンセルできる仕事ばかりだったので、ホッとしています。

神のご配慮は完璧です。感謝です。

神は良いお方です。神に信頼しながら、神と共に最善を尽くしながら生きて参りましょう。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月22日(土)04時23分18秒
  「人を批判する習慣を断とう」

人を批判するのは鬱憤やストレスの解消になるし、容易に優越感に浸ることができるし、一時的には楽しいものです。しかし、危険な娯楽です。

人を批判する習性はすぐに習慣となり、ほどなくして友人を失い、敵を作ることになります。

マタイの福音書7章1節~2節には、「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。」と書かれています。

人を批判する習慣は恐ろしいもので、徐々にエスカレートしていき、必ず誰かをスケープゴート(生贄【いけにえ】)に祭り上げないと気がすまなくなり、標的がいなくなると、自分自身を批判するようになります。

最後は、自分が自分の敵となり、自分の中で戦争がはじまり、周囲をその戦争に巻き込んでいくことになります。

こういう心の状態だと心の病となり、引きこもったり、アルコールや脱法ハーブ中毒になったり、犯罪を犯したり、自殺をしたり、人を傷つけることに発展してしまいます。

人を批判することは、自分の首を絞めることにつながります。

人を批判する習慣を断つならば、そこからすべての好循環がはじまります。

心の病が緩和され、ある人はうつ病などの病がいやされたり、様々な中毒から解放され、生きる希望と力にあふれることでしょう。

人を批判する習慣を断つとは人を赦し、受け入れ、愛することです。

人を赦すためには、自分を造られた神様から赦され、受け入れられ、愛される経験が必要です。

神は、罪を裁く正義のお方なので、人の罪を見過ごしにできません。しかし神は愛のお方です。だから、あなたを裁く代わりに、一人子イエス・キリストを十字架につけて裁かれました。キリストは死んで墓に葬られ、三日目によみがえられました。キリストを信じるなら、罪が赦され、神に受け入れられ、神の愛を一身に受けることができます。

あなたのルーツは神からはじまっています。神との関係が回復されたら、そこから自分自身の心の中に平和が与えられ、人を批判する習慣が絶たれます。

人を批判しなくなる分幸せになり、人生が祝福され豊かになります。

良い一日をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月21日(金)19時10分2秒
  「Now watching390」

ラブソナタ(韓国文化を通して行うキリスト教伝道集会)の最後の委員会を終えて。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月21日(金)14時26分3秒
  「Now watching389」

ラブソナタ(韓国文化を通して行うキリスト教伝道集会)の最後の会議が行われています。

数日前から喘息で体調が悪くなり、二日間半お休みしましたが、これが一週間ずれ込んだとしたら大変でした。

神様が最善以下をなされないことを痛感させられます。

神様は愛です。

この後もステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月21日(金)11時43分31秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【829】2017/7/21(金) 感謝の秘訣」

聖書は、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(第一テサロニケ5章16節~18節)と語ります。

ところが、どう考えても感謝できない事態に遭遇することがあります。

それでも、聖書が「感謝しなさい!」と語っているのだから、無理やり感謝するとしたら、ストレスを感じることにならないでしょうか?

私は、一足飛びに感謝できなくても良いと思っています。

「喜んでいなさい」と「感謝しなさい」の間に「祈りなさい」という言葉がはさまれています。

さながら、「祈り」は、サンドイッチの具材のようです。

もし、サンドイッチに具がはさまれていなかったとしなら、ただのパンであり、味けがありません。

「いつも喜び」、「すべてのことについて感謝する」秘訣は、「絶えず祈る」ことにあるのだと思います。

「祈り」とは「霊的呼吸」です。

呼吸とは、二酸化炭素を吐き出して、酸素を吸い込む行為です。

祈りを通して、感謝できない思い、考え、感情を神に吐き出して、神の御霊、天国の空気を吸い込むのです。

時々、大きな試練に遭遇することがあります。そんな時には夜も眠れません。

私は、ベットの中で、「神様、私を助けて下さい!」と祈ることができずに、ただ、「神様!」「神様ー!」と声にならないうめきしかできないことがあります。

そうすると、私の頭や肩や胸にのしかかった重荷が、神様の方に移されていきます。

深い眠りができなかったとしても、気がついたら朝を迎えています。

日中であっても同じです。

ただ「神様!」「神様ー!」と声にならないうめきしか出て来ないことがあります。

祈りが宗教行為であり、美辞麗句を並べ立てなければならないとしたら、それが力になるでしょうか?

祈りは、霊的な呼吸なのです。

普段、呼吸は無意識に行っていますが、水泳をすると、呼吸が絶対不可欠なものであることがわかります。

無呼吸では、25メートルを泳ぎ切ることさえ苦しくて難しいです。

平泳ぎでも、クロールでも、バタフライでも、息継ぎをしながら泳ぐように、天国に行く日まで、祈りという霊的な息継ぎをしながら生きていきたいものです。

最初は、水泳の息継ぎがなかなか慣れないので、水の中でしっかり息を吐き出したり、顔を上げた時に、しっかり息を吸い込めなくて、泳ぎが続かないことがあるように、祈りもうまくできないことがあります。

しかし、練習し、継続していれば、泳ぎの息継ぎもうまくなるように、祈りも慣れて来ます。

ちょっと祈ってうまくいかなかったからといって、あきらめたり、やめてしまうのではなく、霊的呼吸、霊的息継ぎを続けていきましょう。

やがて、いつも喜び、すべてのことについて感謝できるようになっていくはずです。

祈り無くして、喜び、感謝することは、息継ぎ無く泳ぎ続けるようなもので、長くは続きません。

感謝の秘訣は祈りにあるのだとわかりました。

この後も、祈りながら、ステキな時間を過ごして下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月21日(金)06時25分39秒
  「空しさの原因はイ・カボデ」

聖書は、私たち人間は「神の神殿である」と教えます。

『あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。』 (第一コリント3:16)

幸・不幸は、どこに居て、何をしているかよりも、誰と共に居るかではないかと思います。

私の中に神の御霊が宿っているなら、どこに居て、何をしていようと、そこが天国になります。

祭司であるエリは、神の臨在を象徴する「神の契約の箱」が奪われ、二人の息子「ホフニとピネハス」が死んだことを聞いた時、がっかりして首を折って死にました。

ピネハスの妻は身ごもっていて、出産間近であったが、神の契約の箱が奪われ、しゅうととホフニ、さらに旦那までもが死んだと聞いて、気力を失いました。

そして、「栄光がイスラエルから去った。」と言って、生まれた子に「イ・カボデ」と名づけました。

私たちという神の神殿から神の御霊が去った状態は、「イ・カボデ」です。

私たちの人生で感じる空しさ、つらさ、恐れなどの主原因は「イ・カボデ」です。

イエスを信じ、心の中に神の御霊を頂いて歩んでいきましょう。

ステキな一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月20日(木)18時54分21秒
編集済
  「Now watching388」

主講師のビル牧師は、12歳の時に母親に捨てられました。それ以来天涯孤独です。しかし、本当はそうではありません。

「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。」(ヨハネ14章18節)

神様は、孤児(みなしご)の父です。

ビル牧師のように、神を父として受け入れるならは、一人ぼっちではありません。神が永遠に父です。

しかし、今、家族や環境に恵まれていたとしても、父なる神を神としていない人は、実は、天涯孤独です。

少年ビルに、イエス様を紹介した人がいました。

その人の愛のわざが、少年ビルの人生を救っただけではなく、彼を通して何十万の子どもたちが救われました。

私も、少年ビルを助け、イエス様を紹介した人のようになりたいです。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月20日(木)15時01分26秒
編集済
  「Now watching387」

私は、昨晩まで、喘息が原因で喉が枯れて、まったく歌えないほどの状態でしたが、奇跡が起こりました。2回の大会で普通に歌うことができました。

大会の講師のビル牧師も、真冬のオーストラリアやニュージーランドから日本に来たことから風邪で、昨晩は声が出せなかったのに、奇跡が起こり、力強い講演をしました。

私たち人間は土の器であり、弱い存在です。しかし、その器の中に、神ご自身という宝が入っています。

弱いけど強く、価値があるのです。

「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。」(第二コリント4章7節)

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月20日(木)10時42分41秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【828】2017/7/20(木) 生きることに疲れたら」

最近、私の周囲で、生きることに疲れている人が両手で数え切れないほどいます。

軽いうつ状態の人もいれば、対人恐怖を感じるレベルから、引きこもりになったり、「死にたい!」と思いつめている人までいます。

メンタルが強い人を含めて、弱肉強食の勝者の中には、元気な人もたくさんいますが、元気を奪ってしまう要素はいくらでもあります。

過労、経済問題、人間関係、病気、いじめなど。しかし、一番大きな原因は、人と自分を比較することが生じる劣等感、罪責感、焦燥感、無力感などではないかと思います。

人と自分を比較することは悪くはありません。

私が車やバイクを買う時には、何台もの中から比較検討した結果購入します。

安ければいいとか、かっこよければいいとか、性能がよければいいなど、一つの項目だけで選ぶことはまずありません。トータルで考えて、一番自分の今の環境にふさわしく、かつ、ほしいものを選びます。

同じように、人と自分を比較する時に、トータルで考えたとしたら、素直に自分に足りない点があることを認めながらも、自分の強味、長所、持ち味等を評価したとしたら、落ち込む必要はありません。

聖書は、「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。」(エペソ2:10)と語ります。

地球には、現在74億1230万人が住んでいます。これらすべての人がユニークで、オンリー1の神の作品なのです。

比較した時に、甲乙つけがたい素晴らしさがそれぞれにあるのです。

人と自分を比較して、元気がなくなってしまうとしたら、何かが間違っているのです。

聖書は、1ページ目を開いたところから、
①神は存在する
②人は神に似せて創造された
と語ります。

この点を知っているかどうか、認めているかどうかで、その後が変わってくるのではないかと思います。

私は、より単純で、より劣った生物から進化したと考えるのか、神が作品として創造されたと考えるのかで、その価値がまるっきり変わってしまいます。

人が神を知らず、神から離れている状態を「罪」と呼びます。もっとわかりやすく言えば「的外れ」です。

私たち人間は、生まれつき罪人(つみびと)としてこの世に誕生したのです。

罪を犯し、罪を犯したから罪人なのではありません。罪びとだから罪を犯すのです。

自分より大きな罪を犯した人を許せず、人より自分がましだと思えば「私は正しい!」と考えたくなるものです。

しかし、神の前では、同じように的外れな罪人なのです。

神の前では、「似たり寄ったり」「五分五分」「目くそ鼻くそ」「五十歩百歩」「どんぐりの背比べ」「どっちもどっち」「どっこいどっこい」です。

神から的外れな状態にあることに敏感な人は、深く深刻に悩むので生きるのがつらくなります。しかし、鈍感な人は、そう大きくは悩んでいません。

しかし、生きるのが楽しくて仕方がない。つらなくないという人はいるでしょうか。

ゴスペルソングの中に、「生きることに」という歌があります。

♪生きることに 疲れたら イエス様の扉を たたいてごらんたとえ今 つらくても 愛のイエス様に ゆだねて行こう主の愛が 今臨み すべては輝き 喜びが こみあげるイエスに栄光あれ♪

生きることに疲れた人は、最も大切なことに気がついた人だと思います。

イエス様の扉をたたき、神に立ち返るならば、つらさが喜びと平安に変わり、不幸だと思っていたのに、世界一幸せであったことに気がつくはずです。

生きることに疲れ、悩んでいる人がいなくならない限り、私には使命があります。

イエス様はあなたを招いています。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月20日(木)05時13分25秒
  「ほめ言葉が人を生かす」

一人の女性歌手が、その昔、歌の先生から批判されて、失望落胆し、ついに歌うことをやめてしまった時期がありました。

それから、何もかも自信を失い。人生を放棄しかけていました。

そんなある日、一人の男性から声をかけられ、しばらくしてプロポーズまでされました。

男性は、女性がかつて歌好きで、歌手を志していたことを聞いてからは、「君の歌声を聞きたいんだよ。僕に聞かせてくれないか」といい続けました。

少しメロディーを口ずさむと、「君の歌は世界一だよ。もっと歌ってくれよ」とほめてくれました。

女性は、男性からのほめ言葉を聞き続けるうちに、だんだん自信を回復して、2人は結婚をし、女性は歌手として生涯歌い続けました。

心からのほめ言葉は、人を生かし、その人の才能以上の力と成果を引き出すものです。

自分の子どもに対し、部下や同僚に対し、後輩や友だちに対して、もっとほめ言葉を使ってみませんか。

私の今日があるのは、私をほめてくれた人が周囲にいてくれたことです。それをどれだけ感謝しているでしょう。

何より、神様はほめ上手です。

失敗や罪を赦して下さり、良い点、得意なもの、ちょっとした成果をほめて下さり、それを伸ばし、豊かにして下さいます。

仮に人がほめてくれなくても大丈夫。神様はあなたを知っておられ、あなたをほめて下さっています。

最後に、旧約聖書の「雅歌2章10節~15節」の言葉を引用します。神様があなたに向かって語られる愛の言葉として受け止めて下さい。

私の愛する方は、私に語りかけて言われます。「わが愛する者、美しいひとよ。さあ、立って、出ておいで。

ほら、冬は過ぎ去り、大雨も通り過ぎて行った。

地には花が咲き乱れ、歌の季節がやって来た。山鳩の声が、私たちの国に聞こえる。

いちじくの木は実をならせ、ぶどうの木は、花をつけてかおりを放つ。わが愛する者、美しいひとよ。さあ、立って、出ておいで。

岩の裂け目、がけの隠れ場にいる私の鳩よ。私に、顔を見せておくれ。あなたの声を聞かせておくれ。あなたの声は愛らしく、あなたの顔は美しい。

『私たちのために、ぶどう畑を荒らす狐や小狐を捕らえておくれ。』私たちのぶどう畑は花盛りだから。」

今日も素敵な一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月19日(水)18時05分23秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【834】2017/7/19(水) 家族のきずな」

ある日、お父さんが子どもに、「お父さんのどこが好きか教えて!」と話しました。

子どもは、「お父さんがお母さんを愛しているところ」と答えました。

「どうして?」、と理由を聞いてみると、友だちのお父さんとお母さんが離婚することになり、「お父さんとお母さんのどちらを選ぶ?」と聞かれて、仕方なくお母さんについていくことになったそうけど、本当はどちらか一方を選べないし、選びたくなかったと、泣いている姿を見て、「うちはそんなことにはなってほしくない。いつまでもお父さんとお母さんと一緒にいたい!」と思ったから、と言いました。

「子どもは夫婦の愛のおこぼれで育つ」と言われますが、親が子どものためにできる最高のことは、夫婦が互いに愛し合うことです。

「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。」(ヨハネ15:12)

「互いに愛し合うこと」は、結婚生活の基本です。

聖書の原語ギリシャ語では、3種類の「愛」という言葉があり、使い分けられています。

1.エロス(恋愛)→愛が強い分愛されることを求める愛
エロスの愛は、相手に独占欲を抱き、相手からの愛を求めます。恋愛の絶頂期なら問題はありませんが、夫婦間では長続きしません。結果、互いに求め合い、不満を抱き合い、愛が冷めたり、愛が憎しみに変わることがあります。

2.フィレオ(家族愛・友愛)=条件付きで見返りを求める愛
フィレオの愛は、家族や友人という条件付きの愛です。この愛が家族関係や友人関係を持続させます。しかし、「親しき仲にも礼儀あり」で、受けるだけは許されません。与えたら、その分相手からの見返りを求めます。見返りが帰ってこないと、不満を抱くようになり、関係にヒビが入ってしまったり、争いが起こることもあります。

3.アガペ(神の愛)→無条件で一方的な愛
アガペの愛は、受ける価値があるかないかは関係なく、無条件で与え、かつ、一方的に与え、しかも見返りを求めない愛です。聖書が、「互いに愛し合いなさい」と教える愛はこの愛です。この愛が夫婦間にあるならば、夫婦関係は永続するどころか、その絆は時と共に深まっていきます。

「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。」(Iコリント13:4~8)

愛して損をすることは一つもありません。むしろ、愛を惜しむことで損をするのです。惜しまない愛を注いでくれる夫や妻に不満を抱くことはありません。浮気や離婚も通常起こりません。

聖書は、相手が不倫をした場合、離婚を許容しています。

また、DVや働かないとか、責任放棄や家庭崩壊につながる行動をするなどして、仕方なく離婚をする夫婦もいます。

夫婦の問題は当事者同士にしかわからない部分もあり、決して責められるべきではありませんが、アガペの愛で愛することで回復できるならそれに越したことはありません。

どうぞ、夫婦が互いに愛し合い、家族の絆を大切にしてください。子どもは、お母さんを愛するお父さん、お父さんを愛するお母さんが大好きです。

「愛は、すべてを完成させるきずなです。」(コロサイ3章14節)

神様が下さった愛に感謝しつつ。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月19日(水)07時23分35秒
  「試練の中でこそ大切な何かと出会える」

人生の中で忘れることができない経験は、ほとんどつらく悲しいできごとです。その時は、トンネルの先が見えないどん底のように思えますが、今は、「あの経験があったからこそ今の自分がいる」と、心から感謝をしています。

聖書には、「すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。」(ヘブル12:11)と書かれています。

暗い夜空ほど星が明るく輝くように、つらく悲しいからこそ、何が一番大切で、何が本当に必要なのかを知ることができるのです。

なまじっか、ものごとがうまくいき、平穏に過ごしたとしたら、何も考えず、真剣に生きることなく過ぎてしまうことがあります。幸せなようで、大切な何かを得損なっているかも知れません。

毎日、私の文章を読んで下さる方々に心から感謝しています。自分が体験し、知っていることだけを文章にして書いているだけですが、その文章を通して慰めや励ましを感じ取って下さる方がいるのは、私がつらく悲しい時に与えられた慰めや励ましが文章を通して伝わっているからだと思います。

私は、18歳の時に人生に行き詰まり、これ以上一歩も前に進めないような状態になりました。「もう死んでしまいたい!」と思いましたが、同時に、「何とかこの苦しみから救われたい!」と心で叫んでいました。私は、聖書を通して、イエス・キリストを見出し、出会うことができました。

思えば、一番苦しい状況の中で、一番大切でなくてならないものを得ることができました。

病気、経済苦、人間関係のトラブル、いろいろな問題の中で苦しんでいる人はいますか? その時は、乗り越えられないのではないかとアップアップして、押しつぶされそうになっているかも知れません。しかし、そのどん底の中で、本当の慰めや励ましを味わうことができ、問題の解決を得ることができるのです。

イエスさまは、人間が味わえるすべての喜怒哀楽を味わい、あらゆる問題、苦しみ、死を通過され、復活されました。

「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイの福音書28:20)と約束されました。

目に見えませんが、昨日も、今日も、そして、明日も、永遠にあなたと一緒におられます。この方と一緒に、今日も素晴らしい一日をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月18日(火)11時38分26秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【833】2017/7/18(火) メンタルの強さはプレゼント」

昨日から、安静にしています。と言っても、寝ながら聖書をずっと読んでいます。そうかと思えば、気分転換にiPadで昔の「西部警察」のドラマを見たりしています。

日曜日に、行政が関わっている休日診療をする病院に行きました。3日飲まなければならない抗生物質を、お役所仕事ゆえか、2日分しか出してもらえませんでした。

「中途半端なことをするな!」とも思いましたが、休日明けを待たずに治療がはじめられることに感謝しました。

休日が明けて、今朝、近くの病院に行って、残り1日分の抗生物質をもらいに行きますと、抗生物質の治療よりも、喘息が悪化しているので、プレドニンという飲用のステロイドの服用が必要だと言われました。

中途半端にしか薬を出してもらえなかったことで、病院に行かざるを得なくなったので、喘息の悪化がわかったので、二度感謝です。

毎日、10分に一度の感謝を心がけていますが、探せば感謝することはいくらでもあります。

近くの病院の医師は、自分は呼吸器の専門ではなく、プレドニンを処方したことがないので出せない、と言うのです。

そして今、かかりつけの国立病院に来ました。放っておくと入院になってしまう可能性があったと思います。

このことも感謝なので、三度感謝しました。

ここ数日、近くの病院に三度、休日診療の病院に一度行っていますが、どこに行っても「大丈夫です」だと言われ続けました。

7年前に入院した時にも、近くの病院に、一週間毎日通いましたが、「あなたの顔を見ていると、ものすごくお元気ですから、点滴を打ちますので・・・」と、点滴を打ってもらって帰って来ました。

しかし、一週間後に国立病院に行ったら、緊急入院することになりました。

国立病院の医師は、私の外見よりも、聴診器から聞こえて来る音を信じました。

近くの病院の医師は、聴診器から聞こえる音よりも、私の外見を見ました。

「もし、具合か悪いなら、こんな顔色が良くて元気なはずはない!」と言うのです。

私の主治医は、「菅野さんは、◯◯さんと同じです。」と、看護師に話しました。

私が、「それは一体何の話ですか? ◯◯さんはどんな人ですか?」と聞きますと、「喘息の自覚症状がまったくない人なので、みんなで注意してあげないといけない人です。」と言うことでした。

私は、現実を直視しますが、信仰によって、希望があるし、前向き、積極的、肯定的に考えます。

それだけで、たいていの問題は解決できますし、いつも心の喜びと平安は保たれています。

同時に、喘息の自覚症状に目覚めて来ていると思います。

体の健康のために神に祈り、数日間に何度も病院に行ったのは、直感的に体の調子が下り坂なのを察知していたのだと思います。

メンタルの強さとは、神の言葉に耳を傾け、大切な体からの注意信号に耳を傾け、弱さを感じている人の叫びを受け止める力であり、心を病ませてしまうような気にしなくても良い情報を蹴散す強さだと思います。

本当の強さを頂きたいです。

「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」(ピリピ4章13節)

この言葉は真理です。しかし、人は必ず一度死ぬべき存在だと聖書は語ります。

「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル9章27節)

近々行われる集まりの主講師であった日野原医師が、今朝天に召されました。身近な人の死は、天国を身近に感じさせてもらいます。

遺族、近親者、関係者に、神様からの慰めがあるようにお祈りします。

自分を見ても、周りの人や状況を見ても、人間の弱さを痛感します。

だからこそ、神様に頼ります。

(神に頼ること)ここに、真のメンタルの強さが与えられると信じます。

メンタルの強さは神様からのプレゼントです。

猛暑や雷雨の1日になりそうです。健康に気をつけて、ステキな1日をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月18日(火)07時45分36秒
  「争いや罪に巻き込まれない生き方」

時々、自宅の近くで男性と女性が言い争う声が聞こえます。

ある日の真夜中、「またいつもの喧嘩だろう!?」と思って、もうひと眠りしようかと思っていたら、いつもと少し様子が違います。

「ただ事ではない!?」と直感的に感じたので、警察に通報しました。

パトカー3台と、自転車3台に乗った警官が駆けつけました。

次に、今から10年以上前の話になりますが、自宅前に、警察と救急、報道陣が集まって、大変な騒ぎになったことがありました。

息子が母親を殴り殺すという殺人事件が起こりました。

新宿という場所は、どんな人がいてもおかしくないし、何が起こってもおかしくない町だと感じます。

日中は、人がたくさんいますので、人目が犯罪の抑止力になっていると思いますが、深夜から早朝にかけては違います。

夜中に酒を飲んだ男女の喧嘩は日常茶飯事です。

男女の喧嘩の原因のひとつは、不適切な男女関係にあると思います。不倫、同棲、婚前交渉・・・、これらはお互いを深く傷つけ合います。

さらに、お酒をたくさん飲むことで理性が働かなくなり、激しい喧嘩がはじまります。

多くは、女性が男性に、「浮気をして私を裏切ったわね!」「赦さないからね!」「あなたが憎い!!!」とわめいていますが、男女の立場が入れ替わると、暴力沙汰になります。

不適切な男女関係を結ばなければ、その男女は傷つかないですんだのですが、そういう歯止めがきかない時代です。

聖書は数千年も前から、そのことを語っています。

不適切な関係を持たない男女は、そのような争いになることはまずありません。

深く愛し合った関係ほど、何かの歯車が狂うと、深く憎しみ合うことになるからです。

人が罪に陥り、争いや犯罪に巻き込まれる分かれ道は、だいたい次の3つです。

1、お金の誘惑
2、異性の誘惑
3、名誉の誘惑

お金の誘惑はどこにでもあります。特に、政治家の汚職、利権がらみで癒着した関係の中で金銭的な不正が起こります。

小池さんの前の二人の都知事の辞任の原因も政治と金の問題でした。お金には力があります。お互いに気をつけたいものです。

日本には、八百万の神々がいると言われますが、多くの人にとっての神は、神が見以上に、「金が神」になっているといっても過言ではありません。

「金(かね)」と「神(かみ)」、似ていますが全く違います。

金は神ではありません。金は、神と人とのために使う道具です。金は愛する対象ではなく、神と人を愛し、金は使うためにあるのです。

「金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。」(ヘブル書13:5)

次に、異性の誘惑と聞くと、何人かの芸能人や政治家の顔と名前がうかぶのではないでしょうか。

しかし、この誘惑はもっともっと身近なところにもあります。

その誘惑に負けると、お互いの信頼関係が壊れます。また、家庭を持った人だと、社会的信頼も失墜し、家庭が壊れ、離婚につながってしまいます。

異性の誘惑に負ける人があまりにも多くいます。人は愛に餓え、苦しみとストレスが大きいので、それを紛らわすために一時の快楽に身をゆだねたくなるのでしょう。

しかし、それは幻想です。

代用品に過ぎません。神の愛こそが人の心を満たし、苦しみやストレスに打ち勝たせる力です。神の愛に満たされ、幸せな家庭を築いていきたいものです。

最後に、名誉の誘惑は、抽象的ですが、劣等感やコンプレックスが根底にあると、「見返してやりたい!」「今に見てろ!」「こん畜生!」と偉くなって人の上に立とうとします。

高い志はすばらしいことです。

しかし、その動機が大切です。神を信じ、神と出会い、神と一つになったら、劣等感やコンプレックスは音を立てて崩れます。人には、それぞれ与えられた分があり、それを自分と呼びます。その分に従って生きていったらいいのです。

劣等感やコンプレックスをいやし、満たすために、無理に背伸びをしても、また違う問題が起こります。

自分を造られた神を知り、神を信じ、神に立ち返り、神と共に歩むこと。これが人間本来の生き方です。

そこで、存在そのものを愛し、受け入れ、喜び、ほほえんで下さる神の愛を体験し、そこで満たされたら、誘惑におびき寄せられることはありません。

「だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。」(ヤコブ1章13節~16節)

あなたは、キリストが十字架でいのちを捨てるほど神に愛されています。大切にされています。喜ばれています。その愛を信じ、受け入れ、一日をスタートしてください。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月17日(月)23時58分37秒
  「ちょっと一プク〈服・福〉【42】 2017/7/17(月・海の日)プロポリスは効くか?!」

プロポリスに関して出版されている本を読むと、万能薬であるかのように書かれています。

「体にいい!」と聞くと、飲みにくくても、おいしいとすら感じてしまいます。

力が湧いてきて、元気になるし、便通が良くなるので、「本に書かれていたことは本当かも知れない!」と、しばらく続けました。

使用前・使用後で健康診断を受けました。数値的には、思っていたほどの効果はありませんでした。

私の結論は、万能薬ではなく、サプリメントの一つくらいの感覚です。

1本1000円を切るものから、数万円するものもありますが、プロポリスの材料の原産地やアルコールに漬け込む時間などの違いはあると思います。

高級なプロポリスをブラジル人からもらったことがありますし、1000円以下のプロポリスを自分で買ったこともありますが、味や香りの違いはありますが、効果に関してはそれほど変わりません。

ただ、ニンニクの臭いを嫌う人がいるように、プロポリスの臭いを嫌う人がいます。

ある日、朝一番の祈祷会に参加する前に、眠気を覚まそうとプロポリスの現役を10滴ほど飲んでから出かけました。

隣で祈っている人が、急に私から距離を置きました。「あー、プロポリスの臭いがしたんだな」と思いました。

プロポリスは、原液を飲んだ方が効果があるような気がしますが、仕事の前や人に会う前などに飲むのは避けた方が良いかも知れません。

プロポリスがどれくらい効くかはわかりませんが、本を読むと、万能薬であり、一切副作用がない、と書かれています。

しかし、その辺は未知数であるように感じます。

効き方には個人差があると思います。飲むならば、自己責任です。

興味がありましたら、まずは、一本完飲されてみてはいかがでしょう。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月17日(月)19時45分15秒
  安静で1日を過ごした。夕方外に出たら爽やかな風を感じた。「路傍伝道したい!」しかし体調悪くてできない、残念。「神様、早く元気になれますように」。《つぶやき52》  

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月17日(月)09時09分37秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【832】2017/7/17(月) 神様が下さったお休みに感謝」

私の仕事が忙しくなる時は、通常の皆さんと逆です。

PTA、町内会、消防団などの地域活動は、日曜日の午前中に行われることが多いのですが、日曜日の午前中は、必ず教会で説教しています。

多くの人が、今日まで三連休だと思います。そういう時こそ、かえって忙しいです。

今日は、朝から仕事の予定があり、夜の路傍伝道を入れて、5つの仕事がすし詰めのように詰まっています。

昨晩、土日、祝祭日にやっている病院に行って、抗生物質をもらって飲みましたが、病院に行っておいて良かったです。体調が下り坂です。

神様が私の心と体のいやし主だと信じているので、まず祈ります。

神様のいやしの中には、医学や薬も含まれていると信じます。

医者や薬という手段も、神のいやしの一つだと信じています。

休日に病院がお休みというのは常識です。

明日まで、休み休み、だましだまし、ガマンしようかと考えていました。

祈っていると、「休日診療をしている病院があるのではないか!」という思いが浮かびました。

祈りの答えだと思います。

今さっきまで、仕事に出かける準備をしていましたが、どうしても体の調子が悪く、行けそうにないので、決断をし、5つの仕事のすべてをキャンセルしました。

明日の4つの仕事もキャンセルになるかも知れません。

仕事をキャンセルすることは、絶対にしたくありませんが、

すべての荷を神様の元に降ろし、神様が下さったお休みに感謝して、今日と明日、ゆっくり休もうと思います。

暑い日が続きますし、風邪も流行っています。皆さんも、無理しないで、体に気をつけてお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月17日(月)06時32分4秒
  「空気読む」

時々、息子と近くの銭湯に行きます。お風呂屋にいくと色々な人と出会います。

体を伸ばしてゆったりと湯船に浸かる人、体を縮めて場所を取らないようにして入る人、じっと目を閉じて入る人、友達と大声で話しながら楽しそうに入る人、色々です。

お風呂に入っていると、今まで静かだったサラリーマン風の人が後から入ってきた友だちといきなり大声で会話を始めました。2~3分は仕方ないと思っていましたが、いつまでたっても大声の会話がやまないので仕方なく、「静かにしてほしい!」という思いを込めてチラッとその人々をみました。

一人は静かになり、もう一人はしゃべり続けました。

一人は空気を読んでくれたようで、恐縮してしまうほどでした。しかし、もう一人の人は空気が読めないのか、あるいは、空気をあえて読まないで無視したのかわかりませんが、空気を読んだ友人が「ほかのお客さんもいるから少し静かにしようよ」と話しましたが、それでも「何で!?」という具合でした。

少し古いですが、「空気が読めない人」を「KY(ケーワイ)」と言います。もし、自分が所属する場所の人たちや仲間うちの中で「KY」と断定されたらつらいと思います。本当に空気が読めない人は、人から何と思われても気にしないかも知れませんが、「KY」とは、通常殺し文句です。

人間関係で、相手の気持ちや考えていることを読むことはとても大切だと思います。つまり、場の空気を読んで、相手の気持ちを察した上で思いやりある行動ができたら、良い人間関係が築けるはずです。

しかし、もっと大切ことは、神様の空気を読むことです。神様は、父と子と聖霊の三位一体のお方です。父と子は今天におられます。この地上におられるお方は聖霊です。

聖霊は、「風」「息」などと表現されています。神は目に見えない風のようなお方です。そのお方の存在を認め、そのお方の心を理解し、導きに従うためには、神の空気を読む必要があります。

神の空気を読むためには、神の言葉である聖書を読み、祈ることです。そうしたら、神の心、思い、導きをキャッチし、それに従って行動できる人になります。

人は神に造られました。この方の空気を読み、この方と一心同体になって歩んだら、人間関係が表面的に空気を読み合う建前の関係ではなく、本音で心を通わし、良い交わりができるようになります。そして、人の本音を理解できるようになり、本当の意味で空気が読めるようになります。

空気を読める人になるためには、人の顔色を伺い、キョロキョロし、おどおどするのではなく、神と心を通わせることからはじめたらいいのです。やがて、人間関係が豊かになり、祝福されます。

神の空気を読んで生きていきたいですね。

「風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。」(ヨハネの福音書3章8節)

連休最終日、素敵な1日をお過ごしください。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月16日(日)19時59分29秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【831】2017/7/16(日) 伝道することが一番の力」

今朝起きたら、少し声が枯れていました。

朝の礼拝が終わり、夕方の礼拝が始まる頃にはほとんど声が出なくなり、30分の賛美歌を歌う時間は、次女にマイクを持って歌ってもらいました。

声が枯れただけではなく、伝道に行く元気もなくなっていましたが、駅の前で伝道をしていると、段々元気になっていきました。

おいしくネパール料理店で、マトンカレーとヤギの肉を食べました。

この後、祝祭日でも診療している病院に行って薬をもらいに行きたいと思います。

明日は路傍伝道があり、今週はあちこちで歌を歌う仕事があります。

神様のいやしを祈るのみです。

驚いたのは、神様の仕事をするとものすごい力が与えられることです。

毎日神に仕え、神の仕事ができることに感謝でいっぱいです。

ステキな連休をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月16日(日)10時02分36秒
編集済
  「業務連絡【2】架空請求に注意換気!」

度々、架空請求の電話やメールが来る。身に覚えがあるならまだしも、まったく見に覚えがない。振り込め詐欺(オレオレ詐偽)のように、「数撃ちゃ当たる!」と思っているのでしょうか。

この手の架空請求の電話に数回出たことがありますが、恫喝をし、お金を請求して来ます。普通の人、気の優しい人ならビビって払ってしまうか、ふさぎ込んでしまうに違いありません。

届いたメールは下記内容です。

有料動画閲覧料金の未納有り。本日ご連絡なき場合、法的手続き及び職場連絡などの対応致します。DMM相談窓口・・・・・・・(番号は伏せますが、架空請求報告がされています。知りたい方にはお知らせします)

お気をつけ下さい。また、良かったらシェアして下さい。

以上、業務連絡でした。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月16日(日)07時17分39秒
  「神と私たちの関係は、ぶどうの木と枝の関係のよう」

イエス・キリストは、「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」(ヨハネ15:5)と語りました。

「神」と人類の祖先「アダムとエバ夫妻」の関係は、「ぶどうの木と枝」のように一体の関係でした。

アダムとエバが犯した罪は、神から自分自身を切り離して、自分中心で、自分だけで生きて行く生き方を選びました。

結果、切り離された枝がやがて枯れてしまうように、人類に死が入りました。

「りんごの種をまく」と「りんごが生える」ように、「罪人の種」を持った全人類は、生まれながら「罪人」としてこの世に誕生しました。私たちも例外ではありません。

人類は、アダムとエバの罪の結果、やがて死ぬべき存在です。もし、アダムとエバが神から離れる罪を犯さなかったら、人は永遠に生きることができたのです。悲しいです。

しかし、私たち人類を救うために、神は、2017年前に一人子イエス・キリストをこの地上に送られ、十字架で私たちの罪の贖いをされ、死んで復活されました。信じるだけで救われる道を開いて下さいました。

キリストを信じるなら、「ぶどうの木と枝」のように、「キリストと私たち」が一体になり、罪が赦され、神の子となり、永遠の命を得て、天国に入ることができます。

神を信じる人生は、「ぶどうの木と枝」のように、「神と一体」になります。何と豊かで素晴らしい人生でしょうか。

キリスト教とは、「宗教」ではありません。「神との関係」で生きる生き方です。

神とは、私たちを造り、愛しておられる天の父です。あなたは、天の父と「ぶどうの木と枝」のように、親密な関係で生きておられますか?

神はあなたを待っておられます。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)

日曜日は教会へ。新宿福興教会HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/

首都圏から遠い方で教会に行ってみたいと思われる方には、近くの教会を紹介致します。

あるいは、インターネットを通して神さまを礼拝しませんか?

「生放送」〈1)朝10時半~12時 〈2)4時半~6時

①新宿福興教会HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/
②ニコニコ動画  http://nico.ms/l/co114841
③ ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor

説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月16日(日)00時09分33秒
  「Now watching386」

暑い1日でしたが、夕方には少し涼しくなりました。

7月の山手線路傍伝道の旅第二弾の巣鴨駅北口で路傍伝道をしました。

下町ですが上品さがあり、住宅地でもない不思議な気品のある町だと感じました。

今日はここで、イエス様の愛を伝えました。

印象的だったのは、子どもや若い人たちが興味を持って立ち止まって下さったことです。

人々の心が渇いていることを、ひしひしと感じました。

右からはクラシックギターの繊細な音が聞こえ、左からは元気のいい歌声が聞こえますので、多少体調を崩していましたが、おおぶねに乗った気持ちで楽しく伝道ができました。

少し残念だったことは、4人の参加予定だった人が参加できなかったことです。

1人の方は、渋谷で迷ってしまって、時間までに巣鴨につけそうになかったため、途中で断念して帰られました。

2人の方は、プールで泳いでから巣鴨に来るつもりだったのに、時間に遅れて来られませんでした。

1人の方は、夏バテでお休みされました。

しかし、少数でしたが、それでも来るべき人が来られました。

伝道終了後には、2時間近くジョナサンで食事をしながら語り合いました。とても楽しい時間でした。

おやすみなさい。また明日お会いしましょう。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月15日(土)11時48分17秒
編集済
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【830】2017/7/15(土) 誰に、何に、語るか?」

毎日、この暑さが続くので、クーラーを消すことができません。

6月中は、時々、冷房を27度に設定して寝ました。しかし、7月に入って急に暑くなり、24度~26度辺りで微調整しながら寝ます。

暑さによる夏バテ、夜のクーラーの影響で、喉がいがらっぽくなり、軽い喘息発作が出たので、朝一番に病院に行きました。

喘息治療は、早期に対応すれば収束しますが、ガマンしたり、悪化させてしまうと入院につながるため、喘息の吸引薬を増量するなどして、予防したり、病院に行きます。

病院に行くと、まだ言葉もしゃべれない赤ちゃんに向かって、お母さんが、しゃべるしゃべる。ちょっとは近くの人のことを考えてほしいと思うくらいです。

電車の中で携帯電話で楽しそうに話す人を見るかのようでした。

私は、赤ちゃんの顔を見て、ニコッと笑い、聖書を読むことに集中しようとしますが、お母さんが赤ちゃんにベラベラしゃべるので、集中できないので祈りました。

お祈りしていると、「このお母さんが神を信じるようになったら、よく祈る人になるな」と感じました。

「神様、このお母さんがあなたを知ることができるようにしてあげて下さい」と祈りました。

祈っていると、お母さんの赤ちゃんへのトークが気にならなくなっただけではなく、ほほえましくなりました。赤ちゃんを愛しているのだなと感じました。

嫌いなタイプの人、気に入らない人などの人に出会ったら、気にしてイライラするよりも、祈ったら良いと思います。きっと、気にならなくなり、好きになったり、愛らしく感じたりするものです。

イエス様は、「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」(マタイ5章43節~44節)と教えられました。

それから、時々、独り言を言う人を見ることがあります。

精神を安定させたり、ストレス解消をしているのでしょう。

「まったく、どうなってんだろうね。世の中おかしいよ。」などと、ブツブツ言っています。

「独り言を言うくらいなら、神に祈ったらいいのに!」と思います。

私は、喜怒哀楽のすべてを神に申し上げ、時にはぶつけます。

神は、私の言葉になる祈り、言葉にならないうめきにまで耳を傾け、分かって下さり、理解して下さいます。

さらに、祈りに答えて下さいます。

聖歌に「歌いつつ歩まん」という歌があります。

この歌詞の二番か三番に、「祈りつつ歩まん」という歌詞を入れたらいいのにと思います。

この後も、ステキな時間を過ごして下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月15日(土)07時03分15秒
  「うつは立派な病気 ~愛によって強い国になる~」

うつ病はとてもつらい病気だと思います。

うつ病の人と深くかかわったり、うつ病の人の話しをずっと聴いた後に、うつ一歩手前のような症状になったことがあります。

うつのこわい症状の一つは「死にたくなる」ことです。

今や、国民の二人に一人はガンにかかると言われていますが、ガンは、早期発見し、適切な治療をすることで完治させることもできますが、人の命を奪ってしまうこともあります。

ガンで亡くなる人が「病死」であるように、うつで自殺する人も「病死」であると思います。

私は、18歳で人生に行き詰って、「死にたい!」と思い詰めたことがありましたが、その後、死にたいほど苦しかったことはありますが、「死にたい!」と思ったことはありません。

健康な精神状態にある人が「死にたい!」と思うことはまずありません。もし「死にたい!」と今日感じている人がいるとしたら、うつ一歩手前か、軽いうつか、立派なうつ病患者かも知れません。

教会にうつ病の人が来たら、私は、まず迷わず手を置いて祈って上げます。しかし、同時に、精神科にかかることをすすめます。

神様が奇跡的にうつ病をいやして下さる可能性もありますし、神のいやしを信じています。しかし、うつ病は簡単には治りません。だから、牧師、医師、カウンセリング、投薬などの二人三脚で治療にあたります。

結果、うつ病が治ったという人をたくさん知っていますし、うつと向き合い、うつと付き合いながら生きている人もたくさん知っています。

最近、新型のうつ病といわれるうつが増えています。

例えば、会社員の人だと、仕事がはじまるとうつの症状になるのに、退社した途端元気になります。主婦だと、家事や子育てをしている時にはうつの症状が出るのに、趣味や遊びに没頭している時には元気になります。

軽度のうつの分類に入れられますが、うつであることには変わりありません。

かわいそうなのは、理解されにくいうつだということです。ある場合は、「怠けもの」のレッテルが張られます。

聖書には、「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」(箴言4章23節)と書かれています。

私は、ストレスをためないように注意し、心が喜びと平安で溢れるように見張っています。

誰でもうつ病になる可能性があると思います。うつを過信しないで、自分の心を見張って下さい。また、心が苦しくなることが続いたり、「死にたい!」と思うような時には、病院で診察してもらうことも大切です。

みなさんの周りに、きっとうつの人がいると思います。元気な人は、うつの人をなかなか理解できないかも知れませんが、うつは立派な病気です。しかも、「死にたい!」という気持ちになり、実際に死んでしまう人が少なくありません。明日は我が身ですし、うつの人を理解し、怠けものと考えず、受け入れ、ケアしてあげて下さい。

聖書は、「互いに仕え合いなさい」「「互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい」と書かれています。

そんな生き方が、この日本を救います。

日本が強い国になることには賛成です。しかし、それは武力だけではなく、愛によって国が強くなり、互いに支え合う国になることを願い、祈ります。そんな国づくりを一緒にしていきましょう。国をつくるのは政治家だけの仕事ではありません。私たち一人ひとりの仕事です。

素敵な一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月14日(金)21時07分59秒
編集済
  「Now watching385」

柏木育成会の公園調査をしました。

育成会は、PTA役員になったことがきっかけで入りましたが、本当に地域に根ざした活動をします。

帰り道、フラフラになりましたので、また喘息がぶり返したと思ったら、お昼から何も食べていませんでした。空腹が原因でした。

妻に電話をしたらお出かけ中なので、スーパーの半額惣菜を買って帰って来ました。

「人はパンだけで生くるにあらず」と聖書は語りますが、パン(食べ物を代表して)も必要だと思います。

食事が楽しみです。皆さんはどんな夕食を召し上がりましたか?

1日お疲れ様でした。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月14日(金)11時49分48秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【829】2017/7/14(金) 完全復帰できて感謝」

宗教改革500周年大会の決起祈祷会が行われました。

2、3日前まで寝込んでいましたので、まだまだスロースタートですが、こんなに早く完全復帰できて本当に嬉しいです。

「信仰による祈りは、病む人を回復させます。」(ヤコブ5章15節)

神様が祈りに答えて下さって、元気になれました。

私が体調を崩した一番の原因は、この暑さだと思います。

これから暑い日が続きますので、暑さ対策、水分補給をし、体調に気をつけて下さい。

いつもありがとうございます。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月14日(金)07時36分15秒
  「笑う理由」

今多くの人が、対人恐怖や引きこもり、うつ病などで精神的に苦しんでいます。

ある医学博士は、「精神病の一番の治療方は笑うことだ」と言いました。笑うと交感神経と副交感神経のバランスが取れるようになり、自律神経が正常になって心は正常になるそうです。

今日、精神的に苦しんでいる人がいたら笑ったらいいということですね。

どんな時にも笑って生きられたらいい心は健康になり、人生は幸福になりますが、現実はそう甘くはありません。

今さっきまで笑っていたのに、今は、誰かから言われた一言で重く暗い気持ちになってしまうことがあります。

しかし、笑うのは感情がうれしい時だけ笑うのではありません。つらく悲しい時にも笑うことを意思で選ぶことができます。今、とても笑える状態でなかったとしても、心が傷つき、涙が溢れていても、笑ってみませんか。

今の現状と笑いには距離を感じるかも知れません。しかし、笑いはじめたら、心からの笑いに一歩近づけるのです。

私は、笑いの引き金は、現状の気持ちをありのまま神に祈ることから始めます。しかし、それでも気持ちは晴れず、この苦しい気持ちは解決できないだろうと感じたとしても、イエスさまの十字架を見上げていると、徐々に心がいやされ、喜びが湧き上がり、最後は笑いに変わります。

気がついたら、心の底から笑いが溢れています。

感情が笑えないだけで、笑う理由はいくらでもあります。私が神によって造られ、愛され、生かされ、天国に行けること。これを本気で信じたら、こんな幸せなことはありません。これだけで十分に笑える理由があるのです。

今日、笑いながら一日を過ごしませんか? 「笑う門には福きたる」と言われるように、笑うあなたのもとにたくさんの幸せが訪れると信じます。

「最後に、私の兄弟たち。主にあって喜びなさい。」(ピリピ3章1節)
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月13日(木)13時33分58秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【828】2017/7/13(木) 夫婦で分担」

うちの夫婦は、一緒に出かけることがめったにありません。

お互いに抱えている仕事があまりにも多いので、一緒に出かける時間があったら、それぞれの仕事をします。そうしないと、仕事がたまってパンクしてしまうからです。

しかし、週に一度は一緒に買い物に出かけ、ランチを食べに行きます。

今日も買い物とランチに出かけました。その後私は外回りなので、一緒に出かけようとも思いましたが、仕事を分担してやっているので、妻を送り届けてから出かけました。

一緒に出かけたり、一緒に仕事をした方が楽しいですが、それぞれが分担している仕事をした方が効率が、いいと思います。

ある団体の役員会は、ダラダラ6時間も続きます。その場に居なければならない人は、10人中、2、3人です。後の人には、会が終了したら報告をするくらいでいいと感じます。

しかし、そういう合理性よりも、一緒に同じ空間とそこに流れている空気を共有することに価値を置いているように感じます。

近々行われる大会のプログラムを任されて、練って準備をして来ましたが、私は、「最終的な決定権のある人の承諾を得ながら進ていくこと」をこだわり、お願いしたましたが、何と、最終決定者とプロデューサーに何も伝わっていなかったのです。

「今まで何時間も時間をかけてやって来たことが何だったのだろう?」

「私のこの時間を返してくれ!」という気持ちになりました。

百歩譲って、そのような無駄も意味があるのかも知れませんが、このような経験を通して、もっと時間を合理的に使うことについても考えた方が良いと思います。

そんなこと言ったら、世の中の会社の中で行われる会議の大半は無くなっても良いのかも知れません。

仕事のために一生懸命向き合い、話し合っても、仕事が終わった後も仲良くできるかと言えばそうでもないものです。

本当の合理性とは、神に祈り、神と親しく交わる時間をたくさん持つこと。そして、その上で、不要なことをしない。本当に必要なことに時間をかけることに徹したいものです。

うちは、神様と交わった結果、夫婦分担で仕事をこなしています。

みなさんそれぞれに、一番いい形があると思いますが、神と相談し、神に導かれて歩んでいったら時間を有効活用し、良い1日が過ごせると思います。

この後も、ステキな時間を過ごして下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月13日(木)08時24分4秒
  「試練の目的は、あなたをグレードアップさせるため」

今日、あなたの人生に試練がありますか? 今、試練の中にいなくても、過去に試練を経験したことがあるはずですし、未来に試練は必ずやって来ます。現在、試練の中にいる人もいるでしょう。

試練はなぜやって来るのでしょうか?

① 因果応報のため?
② 運が悪かったから?

しかし聖書は、次のように語ります。

① 訓練のため
② 平安な義の実を結ばせるため

「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。」(ヘブル人への手紙12:11)

試練を喜ぶ人はまずいません。

しかし聖書は、「試練を喜びなさい」と語ります。試練には目的があるからです。

「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰が試されると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」(ヤコブ書1:2~4)

1つ目の聖書の言葉には、試練は、①訓練のため ②平安な義の実を結ばせるためとありましたが、2つ目の聖書の言葉には、試練は、③忍耐が身につき ④忍耐を働かせると、「何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な人になる」とあります。

試練を「うれしい!」と感じるものではありません。試練とは、思い通りに行かない経験だからです。しかし、試練によってより良い自分自身に成長できるとしたら、試練は祝福となります。

そうだとしたら、試練がないことは悲しむべきことかも知れません。試練がないと、人は楽な方に楽な方に進み、堕落し、腐ってしまいやすいのです。

権力者が既得権の上にあぐらをかいていることは、世界中どこででも見られる光景です。

試練に会うと、人は目を覚まし、真剣になり、堕落した歩みを捨て、あるべき姿に立ち戻るチャンスに直面できます。

試練を毛嫌いせず、感謝して受け止めましょう。人はどこからでもやり直せるし、人は無限に成長できる存在だからです。

また、試練を経験した人は、人の痛みや悲しみが実感としてわかるようになり、同じような痛みや悲しみを経験している人に同情することができ、慰め、助けることができます。

「主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。」(ヘブル書2:18)

キリストは、人が味わう可能性のあるすべての喜怒哀楽を先に体験されたので、私たちのどんな苦しみや悲しみをも理解し、慰め、助けることができます。今日、キリストのもとに行って、「私を助けて下さい」と祈りませんか?

最後に、あなたは試練を経験し、キリストの助けによって乗り越えることができた人ですので、同じような苦しみの中にある人を助けることができるはずです。

世の中には、顔で笑っていても、心で泣いている人がたくさんいるものです。人から羨ましがられるような生き方をしている人が、「死にたい!」と思っていることもあります。

神様は、あなたを通して、苦しみ、悲しみの中にある人を助けたいと願っています。神の手となり、足となり、心となり、口となり、人を慰め、友なきものの友となり、支え、助ける人になりませんか?

試練はあなたをグレードアップさせ、祝福します。あなたは祝福された人です。素晴らしい一日でありますようにお祈りいたします。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月13日(木)00時08分14秒
  「Now watching383」

まだ全快ではありませんが活動再開。

昨日は、明らかに病人の体調でした。喘息発作が出ましたが、休んだことで回復しました。

私の喘息発作の徴は、イライラです。

イライラする時は、何か原因があるのです。

体や心の不調や疲れを教えてくれているのです。

きっと悲鳴をあげているのでしょう。

周りの人が元気で、楽しそうにしていたとしても、自分自身が同じとは限りません。

人は皆、自分自身のリズムに合わせて生きていくしかないのですから。

ゆっくりお休み下さい。また明日お会いしましょう。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年 7月12日(水)13時28分30秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【827】2017/7/12(水) シンプルに」

昨日は、喘息発作が出たため、自宅で1日過ごしました。

でも、1日中寝てたら夜が眠れなくなるので、ゆっくり部屋の片付けをしました。

会議の書類をはじめ、不要なものを捨てたら、6袋分のゴミが出ました。

会の執行部側にいる時は、時間をかけて会議資料を作成しますが、後で書類を見返すことはまずありません。

必要なものは、携帯で撮影して、後は捨ててしまうのが良いと感じます。

スッキリしました。

この機会に、心の中も見返して、不要な情報はさっさと捨てて、教訓程度に記憶に残し、必要なもの最小限にだけ残して、心をシンプルにしたいです。

また、心配、恐れ、憎しみなど、マイナスの感情は、整理して捨ててしまったら良いです。

恐れていることで、実際に起こることは数パーセントに過ぎません。

しかし、最悪を想定し、それに備えることは大切です。

心を感謝と平安で満たし、ゆとりを持っで、楽しい気持ちで生きていきたいものです。

お部屋と心をシンプルにする時間は必要だと思いました。

後少し休んで、今晩から仕事に復帰する予定です。

とても良い時間を過ごしました。

ステキな時間をお過ごし下さい。
 

/123