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(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月21日(火)20時32分49秒
  「Now watching499」

次女がコンタクトレンズを入れました。学校の部活でバレーボールの選手なので、試合に出る時メガネだと大変のようです。

私たちの心の目にもコンタクトレンズをつけて、神を見ることができ、神の目を通して世界を見ることができますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月21日(火)12時07分34秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【948】2017/11/21(火) 御国が来ますように」

朝の食事会を早めに抜け出して、山手線祈祷会に参加しました。

イエス様は、「静かなところに行って祈りなさい!」と命じられましたが、この祈祷会は雑踏のど真ん中で捧げます。

傷口や破れ口に立ち、そこに住む人、通過する人、関係する人たちのニーズや救いを祈り求め、御国が来ますようにと祈りました。

イエス様は、この地に御国の支配がもたらされるように祈りなさいと教えられました。

「あなたの御国が来ますように。 天の御国でと同じように、この地上でも、 あなたの御心が行われますように。」(??マタイの福音書? ?6:10?)

私たちは、その生活のただ中、ど真ん中から祈り、そこに神の助けが与えられ、神の御国が来るように祈っていきたいものです。

これは、「~教」という一つの宗教が盛んになるようにとの祈りではなく、私たち全人類の天のお父さんが愛と正義を持って治めて下さいとの祈りです。

実際、この世界は理不尽であり、不平等です。今は、悪魔が支配しているからです。

数の原理、力の原理、競争の原理で世界は動いています。

神様がこの世界を治めて下さったら、どれほど素晴らしいでしょうか。

「御国が来ますように」と祈り続けたいですね。

この後もステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月21日(火)09時46分53秒
  「Now watching498」

今朝は、韓国の牧師たちとの祈りと食事の懇親会がありました。心も体も充電されました。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月21日(火)07時36分48秒
  「本当の弱さと本当の強さ」

あなたは、「自分の弱さを人に知られることはみっともない!?」と思っていますか?

もしそうだとしたら、弱さは良くないことであり、弱い人は馬鹿にされるのではないかと勘違いしているかも知れません。

弱い人ほど強さに憧れたり、強がって生きています。しかし、弱さを隠そうとするから、弱さに囚われ、弱さに振り回されてしまいます。

まずは、自分の弱さに対して、いいか?悪いか?を考えずに、そのまま受け入れて下さい。

あなたの弱さは、みんなが持っている弱さと同じなのです。

強い人は、自分に対しても、誰に対しても、そのままを認め、「ありのままでいい。私も一緒だよ。」と言って、弱さをそのままで包み込んでしまう力のことを言います。

自分の弱さを見せることで相手が励まされるなら、自分の弱さを語ってあげる力は、弱さを持ちながらも、弱さに囚われず、弱さに振り回されない本当の強さです。

自分の弱さを嫌わないで、弱さにもっと優しくなって。

「彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない。」(イザヤ書42章3節&マタイの福音書12章20節)

本当の強さは、本当の強さを持った人との出会いからはじまります。

素晴らしい一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月20日(月)22時58分21秒
  「Now watching497」

毎月第3月曜日定例の新宿路傍伝道をしました。今日は、立ち止まって聞いてくれる人も多かったし、クリスチャンの方々が立ち止まって一緒に賛美をしたり、とても楽しかったです。終了後には、私の一押しのつけ麺屋に行きました。食べてすぐ出たのに、駐車料金は1200円でした。さらに焼き鳥を食べて、新大久保駅前に車を止めて、盛り上がって盛り上がって、エンドレスでした。良い時間でした。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月20日(月)11時15分35秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【947】2017/11/20(月) 一つ一つ片付けたら」

今朝は、アップアップするほどに仕事が山積みになって、気ばかりが焦って、なかなか前に進めませんでした。

目を閉じて祈りました。

そして、やるべきことを紙に書き出しました。

それを一つ一つ片付けていきました。

そうしたら、2時間でほぼ片付きました。

今日は、これから牧師会があります。夜は新宿で路傍伝道をします。

スケジュールが詰まっていても、心が神様とつながっているので、ゆったりしています。

2時間半前には考えられないくらいです。

①神に祈る。
②やるべきことを神に書き出す。
③神と共に一つ一つをしていく。
④仕事が片付いたら、急用に対処できるし、自分の時間を過ごせます。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月20日(月)07時48分42秒
  「ころんだらタダでは起きない」

人が生きていれば、誰でもころぶことがあります。ころべば痛いし、けがをします。

その時、情けなく感じたり、悔しかったり、怒りがこみ上げてくるかも知れません。

ころんだら、タダで起き上がるのではなく、せっかくころんだのだから、しばらくころんだままゆっくりまわりを見渡して下さい。

そこで目に映るものは、立ってうまくいっている時とは違うものが見えるはずです。今まで見落として、気にも留めたこともなかったものに目が留まり、感動したり、反省したり、改めた方いいことは改めるならば、思いがけない幸せを手にすることができるはずです。

新しい決断をしたら、ゆっくり立ち上がって下さい。

「逆境の日には反省せよ。」(伝道者の書7:14)。

「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」(詩篇119:71)

せっかくころんだのだから、タダで起き上がるのではなく、そこでじっくり時を過ごして下さい。

うまく行っている時は、ほとんど何も考えていませんが、ころんだからこそ、じっくり考えることができるのです。

そうしたら、ころんだことも、幸せに変わってしまうのです。

素晴らしい一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月19日(日)21時38分31秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【946】2017/11/19(日) 国籍や世代を超えた交わり」

キリスト教会は、世界的な宗教なので、肌の色、原語、国籍を超えて交わりができるので、こんな楽しいことはありません。

また、世代を超えた交わりができます。ゆりかごから年配者まで、一緒に神を礼拝し、交わることができます。

日曜日は、それが楽しくて楽しくて、幸せを感じます。

国籍や人種、世代を超えることは、普通は難しいことです。

でも、イエス様を信じ、神の家族なので、そこに何の違和感もないのです。

究極的には、全人類が神に似せて造られた存在です。だから、人類みな兄弟として関わりたいですが、こちらが心を開いていても、相手はそうでないことがあります。

少なくても、違いに目を向けるのではなく、共通点に目を向けていきたいですし、こちらからは相手を排除しないようにしたいです。

貧しい家庭に生まれた3人の兄弟が、いつも食べ物の量で喧嘩をしていました。

ある日、お兄ちゃんが一番下の子に、3等分されたケーキを指差して、「先に選んでいいよ」と言いました。

そのことがきっかけで、3人は仲良しになりました。

それを、きっと愛と呼ぶのではないかと思います。

愛には犠牲が伴いますが、誰か1人の愛からはじまって、そこにいるすべての人を笑顔にすることは可能です。

教会では、イエス様の愛からはじまって、その愛を持って互いに愛し合える場所です。

イエス様は、「わたしがあなた方を愛したように、互いに愛し合いなさい。」と言われました。

イエス様の愛によって、一週間の活力を頂いきました。

この後もステキな時間でありますように。
 

山手線祈祷会&有楽町駅プレ伝道

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月19日(日)07時29分37秒
  「Now watching496」

山手線外回り一周祈祷会をし、有楽町駅のすべての出入り口で路傍伝道をしました。

楽しくて楽しくて、一緒に活動する仲間が与えられて幸せです。

素敵なサタデーナイトを!
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月19日(日)07時23分22秒
  「自分を最高に生きるには」

日曜日に、牧師がこう説教した。

「あの世ではお金は大事ではない。なぜなら、あちらにはお金じたいないのだから・・・」。

すると、誰かがこうささやいた。

「ママ、今の話し聞いた? ぼくたちもう天国に来ているんだね。」

お金持ちか?貧しいか? 人と自分を比較するところからはじまります。比較から生じるものは、せいぜい「劣等感」か「優越感」です。

劣等感は、通常、自己憐憫に陥り元気をなくします。

「こん畜生!」と、自分を奮起させる人もいますが、劣等感をバネにしてガンバっても、どこまで行っても安心を得ることはありません。

次に、優越感はつかの間の自己満足です。

多少、不足や不満があっても、「他より自分が勝っている」ということで自分を慰め、納得させても、世の中、上には上がいるものです。

自分より勝っている人を見た瞬間、劣等感を感じ、妬みを感じ、最初から劣等感を感じている人よりも楽差が大きい分、どん底に突き落とされたようなみじめな気持ちになります。

どんな世界でも、どんな立場でも、どんな人でも、比較による劣等感によって苦しまない人はいません。たとえ今苦しんでいなくても、必ず劣等感による自己憐憫、失望、絶望、悲しみ、怒りを遠からず経験するものです。

SMAPが歌った、「世界に一つだけの花」(作詞・作曲・編曲/槇原敬之)という曲は、当時、売れに売れて、「NO.1」になったからこそ、「No.1にならなくてもいい もともと特別な Only one」という歌詞に説得力があったのではないかと思います。

世の中にいる限り、比較から逃れることはできません。だから、それを一々気にしていたら、永久に劣等感から解放されることはありません。

どうしたら、人との比較をしないですむのでしょう?

私たちは、相対的価値観の中に生きています。誰かから比較され、そして、比較して来ました。それしか自分の位置を知る方法がなかったからです。

しかし、絶対的価値観の中を生き始めるならば、比較は無意味です。それは神との関係に生きることです。それは、全ての人が「Only one」なのです。

例えば、顔の中で、「おでこ」と「眉毛」と「目」と「鼻」と「口」と「ほっぺた」と「耳」を比較しようにも、比較の物差しがそれぞれ違いますので比較しようがありません。

同じように、あなたはあなたであるように神が最高傑作として造られましたし、他の人は他の人として神が最高傑作として造られました。比較することは全くナンセンスです。

そんな無意味なことは金輪際やめましょう。比較から良いものは生まれません。こと、人と人に関しては。

比較が必要なのは、①昨日の自分との比較 ②自分の使命との比較です。

①過去の自分、昨日の自分と比較して、少しでも前進し、改善し、成長を目指しましょう。

②自分の使命、もっと言えば、自分の本当の姿と比較して、少しでもそこに近づけるように古い自分のカラを破り、変化を受入れていきましょう。

「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。」(第二コリント3:18)

今日、「私はあなたを愛している」という神の言葉を聴いて下さい。

人との比較にピリオドを打ち、自分を最高に生きることができますように。

日曜日には、教会で〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時 礼拝の集会があります。良かったらどうぞ。
新宿福興教会HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/

インターネットを通して神さまを礼拝しませんか?
「生放送」〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時

①ニコニコ動画  http://nico.ms/l/co114841
②ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor

あなたは最高に素晴らしい人です。素晴らしい一週間でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月18日(土)08時53分8秒
編集済
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【945】2017/11/18(土) 苦しみの意味」

私は、今までの人生において、数多くの苦しみを経験して来ました。

なぜ、こんなに大きな苦しみを経験しなければならないのだろう?

私ばっかり、どうしてこんな貧乏くじを引かなければいけないのだろう?

ある時、「なぜ?」という質問をするのではなく、「何のために?」と質問するべきだと気がつきました。

その時に、明確に答えが与えられました。

先に苦しみを経験して、その苦しみから解放されることで、同じ苦しみを経験している人の助けになれることに気がつきました。

苦しみの経験は、牧師の私には最大の資源です。

苦しみから解放されるのに、時には多くの時間がかかりますが、止まない雨がないように、必ず苦しみから解放される日が来るのです。

苦しみは宝なのです。

これは、コペルニクス的転回です。

苦しみに対してそのように見て下さい。

神様が、マイナスをプラスに変えて下さるので、すべてのことを感謝できるのです。

この後も、素敵な時間過ごして下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月18日(土)07時36分40秒
  「失敗も人生の一部」

人生を生きていると、いくつもの失敗や早とちり、後悔することが起こります。

「これさえなければ~」「こうしてしまったので~」という出来事がいくつもあるのではないでしょうか。

人生に良いことだけが起こるとしたら、確かにそれは理想です。

しかし、ゲームをしていて失敗したらリセットするように、人生をリセットする訳にはいきません。

失敗を悔やむより、失敗も人生の一部分として受け入れましょう。

後で振り返ってみたら、失敗を含めて「いい人生だった!」と思えるようになるものです。

木を見て森をみないように、失敗というその一部分だけを見たら、確かに失敗です。

しかし、木を見ながらも、同時に森を見ることが大切です。

森とは、あなたの人生の全貌です。しかし、それを自分で客観的に見ることは容易ではありません。家族や親友でも、あなたの人生の全貌のごく一部分しか見ることはできません。

あなたの人生の全てを見られる方は、あなたを造り、あなたを愛しておられる天のお父様です。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8章28節)とあるように、あなたの人生全体を最善にして下さいます。

神に信頼し、失敗や誰にも見せたくない、知られたくない汚点でさえも、人生の一部として受け入れていきましょう。

みなさんの人生は、最高に素晴らしくなるように計画されているのです。素晴らしい一日をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月17日(金)23時25分20秒
  「Now watching495」

牧師の仕事をしていると、体調や精神状態が絶好調の時もありますが、最悪の時もあります。

コンディションが悪いのに人の前で奉仕をしなければいけない時は、穴があったら入りたいです。

しかし、調子が良い時には、少ししか祈らないで奉仕をしてしまいますが、調子が悪い時には、神様に助けを求めます。結果として、そんな時の方が神様の助けによって良い奉仕ができるものです。

どんな時にも神様が共におられるので感謝です。

今日は、あまりコンディションが良くありませんでしたが、路傍伝道ネットワークの賛美集会を致しました。

とてもとても良い時間でした。神様の助けを頂きました。感謝でした。

おやすみなさい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月17日(金)13時35分58秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【944】2017/11/17(金) 一つになる」

私が所属する日本のキリスト教界においては、一つになってほしいと心から願っています。

「一つになってほしい」と言うのは、一つになることが難しい現実があるからです。

私は、一番亀裂の深いところに置かれることが多くあります。

代理戦争に巻き込まれることもあります。

神様が「橋渡しをするように」とそこに置いて下さっていると信じています。

十字架を背負い、痛みを味わうことは避けたいですが、神様が橋渡しのために用いることを願っておられるならば、喜んでさせて頂きたいと願います。

「キリストこそ、私たちの平和の道です。この方は、私たちユダヤ人とあなたがた外国人とを一つの家族とし、両者を隔てていた壁を打ちこわして、平和をつくり出してくださいました。 ご自分の死によって、互いの激しい敵意を除いてくださったのです。その敵意の原因は、ユダヤ人を特別扱いし、外国人をのけ者にするユダヤ教のさまざまな戒律でした。その律法制度自体を無効にするために、キリストは死んでくださったのです。そして、互いに対立していた二つのものを融合させ、新しい一つの体をつくり上げて、平和を実現されました。」(??エペソ人への手紙? ?2:14-15?)

日本国内でも、世界中どこに行っても、亀裂のある部分が多くあると思います。

あちらこちらで、その亀裂が深まり、分裂が顕著に現れています。

その亀裂を埋めて、分裂に和解と一致をもたらすために私たちが用いられたら幸いですね。

植物は冬に枯れて一度死ぬけれど、春に再び芽を出すように、平和の使者として用いられますように。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月17日(金)07時49分0秒
  「すべては神の許しもとに起こっている」

世の中、理不尽かつ、不可解なことが起こるものです。納得がいかず、不甲斐なく感じることがあるのではないでしょうか。

「あー、あの時、こうしなければよかったのに!?」「もっとこうしておけばよかったのに!?」と悔やむこともあるかも知れません。

すべては自分次第でこうなっている!?

もしそう考えたとしたら、人生は後悔の連続になることもあるし、生きることが辛くなります。

私の友人のお父さんが、大病を患い入院しました。吐血をするごとに輸血をしました。しかし、医師の判断ミスで、吐血後に輸血をしそびれてしまいました。しばらくして友人のお父さんは亡くなりました。

その後医師は、直ちに医療ミスを認め、謝罪してきたそうです。

友人は、「神様が天に召されただけです。お世話になりました」といったそうです。

訴えられるかもしれない!?と怯えていた医師は、とても驚き、神を信じる人の考え方に驚愕したそうです。

友人のお父さんは、人為的ミスによる事故がきっかけで亡くなりましたが、神様が亡くなることを許されなかったとしたら、そのミスを覆す人物をその場所に送り込み、生かして下さったはずです。しかし、亡くなることを許された背景には、「もう、天に戻ってきなさい!」と召されたのです。

すべては、神の許しもとに起こっているのです。

人生の岐路に立たされてどちらの道を選んだらいいのか迷うことがあります。しかし、慎重になりすぎたらどちらも選べなくなり、優柔不断に終始してしまいます。

神に祈り、神と相談しながら、自分の心にある確信に従って大胆に決断してください。

もし、その決断が神の御旨に沿っていないとしたら、神が何らかの手段を講じて留めて下さるはずです。

後悔していることはないでしょうか?

後悔を神に委ね、神の許しのもとに起こった過去を感謝し、前に進んでいきましょう。

今日という、新しい一日を、昨日や過去を悔やむことで台無しにしてしまったらあまりにももったいないです。

「ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」(ピリピ3章13節~14節)

最高に素晴らしい一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月16日(木)20時24分34秒
  「Now watching494」

3日間の特別集会が終わり、電車で帰って来ました。

途中、湘南新宿ラインを待っていましたが、20分待った頃に、「6番線の電車に乗って下さい」とアナウンスがありました。

待ち合わせがありますし、体が疲れていたため、無性にイライラしました。「なぜ、もっと早く言ってくれなかったのか?」と。

とにかく、神様に感謝をし、状況に感謝をし、万事益になると信じて感謝しました。

待ち合わせは20分遅れましたが、福岡から来た男性と無事に合流して、路上ライブ(路傍伝道)について語り合いました。

これで、福岡に行っても、少なくても路傍伝道ネットワークの仲間が数人いることになります。

イライラは感謝に変わり、穏やかな心を神様が下さいました。

晴れ晴れした気分で帰宅しました。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月16日(木)11時50分15秒
編集済
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【943】2017/11/16(木) この世ではバックパッカー」

同じ教団の先生の教会での特別集会3日目を迎えました。

初日と2日目は車で会場に行きましたが、高速代とガソリン代を合わせると往復で6000円かかるため、今日は電車で来ました。

荷物の量を極限まで減らして、ギターは旅行用のMartinのbackpacker(バックパッカー)にしました。

身軽な格好で電車で来るととても楽で、気持ちが軽いです。

私たちのこの世での一生は旅行者、バックパッカーです。出来るだけ身軽に生きた方が楽で良いです。

あれもしたい、これもしたい、これも持ちたい、あれも持ちたい、と考えて欲を出すと、ポケットがいっぱいになり、肩に大型のリュックサックを背負うことになり、重たくて疲れます。

ポケットを軽くし、バックパックには必要最小限の荷物を持って歩んでいきたいですね。

神様と共に歩み、携帯と充電器、仕事の道具とギターさえあれば十分なんだなと感じました。

お互いバックパッカーです。身軽て感謝しながら歩んでいきましょう。

一番の重荷は「罪の重荷」だろうと思います。罪の重荷はイエス様の十字架のもとにおろして、身軽に歩んで行きましょう。

この後も、ステキな時間でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月16日(木)07時33分25秒
  「これが最高なのだ!」

神様は、「公平で平等だからこそ神様だ」と通常思うのではないでしょうか?

神様は平等な方ですが、一人一人に不平等な環境を与えます。

ある人は、億万長者の親の元に生まれるのに、ある人は極貧で、借金地獄の親の元に生まれます。

ある人は、権力があり、身分の高い親の元に生まれるのに、ある人は、身分の低い親の元に生まれます。

「家が貧乏で、片親で、親がまともな職に就いていなかった。私も同じような環境だ。世の中はお金がすべてだ。結局、神様は不公平で不平等だ。」と嘆きながら相談に来られる人がいます。

その話を聞きながら、「神様は公平で平等な方ですよ。」と簡単には言えません。

確かに神様は、不公平で不平等な扱いをされていると言えます。

しかし、それにもかかわらず、神様は公平で平等な方です。

ゴスペルソングの一節に、「多くの苦しみ味わったから 同じだけの慰めがある」という歌詞があります。

少しの苦しみしか味わわなかったら、慰めも少しだけです。

エリートの家庭に生まれた子供は、免疫が乏しく、ちょっとした失敗で大きな挫折を経験してしまうことがあります。

貧しく、苦労の絶えない環境で生まれた子供は、打たれ強く、踏まれて踏まれてもまた生えてくる雑草のようなワイルドさがあります。

悲しみが大きかった分だけ、それが喜びに変わったら何百倍の喜びを経験します。

ピンチに直面した時、そのピンチをチャンスに変えて、打開した時には、その報いは大きいものです。

川で泳いでいてもニュースにはなりませんが、たまたまそこに溺れている人がいて、その人を助けたらニュースになり、場合によっては表彰されます。

何が幸か?不幸か?誰がわかるでしょうか?

整理します。

神様は、私たちに各論的には、「不公平、不平等な対応」をされますが、総論的には、「公平、平等な対応」をされます。

不幸の原因、諸悪の根源は、「木を見て森を見ない」ように、各論的にだけしか物事を見ないで、自分と人を比較して、劣等感や優越感を持つことです。

各論的に物事を見る時にも、それを優劣ではなく、違いとして受け入れ、総論的に神様はバランスを取って下さっていることを信じ、自分に与えられたものや環境に感謝し、自分の道を歩んで下さい。

あなたに与えられた道が一番なのです。これが真理です。そして、「真理があなたがたを自由にします。」(ヨハネによる福音書8章32節)

「真理はあなたたちを自由にする。(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ / ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)」(ヨハネによる福音書8:32)の言葉は、国会図書館に書かれています。

本当の勉強は真理を探求することであり、その真理は人を自由にし、幸せにするものです。

神様が、不公平、不平等を与えているように見えることはあります。しかし、にもかかわらず、公平、平等であり、あなたに与えられた道があなたに取って一番であると知って下さい。

天才バカボンは、「これでいいのだ!」と言いました。

しかし、もっと進んで、「これがいいのだ!」そして、極めつけは、「これが最高なのだ!」です。そこまで言ったら、むしろ、神様を違う意味で不公平、不平等と思うようになるでしょう。

「神様は、誰よりも私を愛し、誰よりも私を祝福して下さった。」と。

幸せな一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月15日(水)13時45分13秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【942】2017/11/15(水) 一番好きな時間」

趣味に没頭している時間は、とても良い息抜きになります。

車やバイクに乗ること、スキー、ゴルフ、登山、水泳、ウォーキング、読書などを趣味としています。

趣味も好きですが、一番充実した時間は、牧師としての仕事をしている時間です。

一対一で聖書の学びをすることもあります。家族4人の住むご自宅に迎えられて家庭礼拝を捧げることもあります。たくさんの会衆の集まる大会や教会で説教をお願いされることもあります。

一対一で聖書を語ることの素晴らしさは、相手の質問やニーズに対して、具体的に、かつ、深い話ができます。

自宅に招かれて家庭礼拝をし、食事をすることで、そのご家族と深い交わりを持つことになり、親しくなります。

たくさんの人の前で聖書を語るならば、一度の説教でより多くの人に福音を伝えられます。

昨日から、同じ教団の先生の教会で行われている集会のお手伝いをしています。

司会と賛美リードをすることで奉仕をさせて頂いていますが、講師から、深い聖書の学びをさせてもらっています。

もともと、牧師の仕事が好きで、そういう仕事をしてみたくて、憧れて牧師になったのではありません。

神様からの召命(コーリング)があり、導かれて牧師にさせて頂きましたが、気がついたら、その仕事をしている時間が一番好きで、最高に幸せを感じています。

もちろん、時々息抜きが必要なので、趣味に時間を割きますが、毎日が幸せで、どんな時にも充実した時間を過ごしています。

神様から召されて行なっている仕事は、すべてが聖職であり、そこに優劣はありません。

神様を礼拝し、神様の栄光を現そうと願って行う仕事は、礼拝そのものです。

礼拝は、週一度の日曜日にだけ行うものではなく、毎日行うものです。

今日もそんな一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月15日(水)07時14分40秒
  「インターネット接続切れと回復」

パソコンを立ち上げ、いつものようにSNSやブログ・掲示板に投稿しようとしたら、ネットの接続が切断されていました。

モデムの再起動をしました。再起動完了後にネット接続を試みましたが、つながりませんでした。再起動をもう一度行いました。またつながりませんでした。

他のパソコンでインターネット接続を試みたら、何とつながりました。

「もしかしたら、メインのパソコンが壊れたのかも!?」と不安になりましたが、祈って神様に心を向けたら、パソコンを再起動することを忘れていたことに気づきました。

パソコンを再起動したら、難なくインターネットに接続できました。

毎朝の投稿をここ何年も習慣にしていますので、いつもと同じように投稿したいのに、インターネットが切断されてしまうと、何もすることができません。とてももどかしく思いました。

私たち人間は、神に似た最高傑作として創造されました。

「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記1章1節)

「神は仰せられた。『さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。』神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」(創世記1章26節~27節)

「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。」(エペソ2章10節)

私たちと神様をパソコンとプロバイダーの関係にたとえるならば、人間は最初、神様と直結された状態でした。しかし、悪魔に騙されて、人間は神を捨てて、自分の力だけで生きていくことを決断しました。

人はなぜ死ぬのでしょうか? 人生の中で不幸を経験するのでしょうか?

神というプロバイダーから遮断されているからです。

私が今朝、モデムとパソコンを再起動することで、インターネットに再接続できたように、悔い改めて、イエスさまというモデムに接続させるなら、神と再直結することができ、命が通うようになります。

「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』」(ヨハネの福音書14章6節)

神がお父さんとなり、私たちは神の子供となります。

罪が赦され、永遠の命を得て、天国に入ることもできます。

みなさんは、天のお父様というプロバイダーとつながっていますか?

モデムは、プロバイダーが提供するイエスさまを信じて、イエスさまを受け入れることです。

「皆さんも、またイスラエルのすべての人々も、よく知ってください。この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石が、礎の石となった』というのはこの方のことです。この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」(使徒の働き4章10節~12節)

みなさんは、もう神様とつながっていますか? 強い絆で結ばれていますか?
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月14日(火)19時10分17秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【941】2017/11/14(火) 空気を入れ替える」

三日間の集会がスタートし、司会や賛美リードをしていますので、元気いっぱい、心は喜びでいっぱいです。

ところが、午後の集会がスタートしてしばらくした頃から、眠くて眠くて仕方ありません。

一瞬船を漕いで目が覚めて目を開けてみると、講師の先生と通訳の先生が私を見ていました。

「これはまずい!」と思い、空気を入れ替えることにしました。

窓を開けて、換気扇のヒモを引っ張りました。

これで目がバッチリです。

空気を入れ替える効果は絶大です。

長距離を車で運転していた時、眠くて眠くて仕方なくなりました。

もし寝てしまったら、目が覚めたら天国かも知れないと危機意識を持ちました。

外は寒いですが、命には変えられません。窓を全開にして走り続けました。

眠気は吹き飛びました。

物理的な空気の他に、人々が醸し出す雰囲気の空気もあります。

相手から感じる空気、つまり雰囲気は、その人々の心を完全に反映しているものですね。

これは、何度も何度も感じて来ました。

否定的で、不穏な空気が漂っている時、私は、祈りによって空気を入れ替えます。

人の心を読むことはできても、その心を変えることは簡単にはできません。

しかし、感謝し、そこにいる人を愛する心を抱くならは、空気は入れ替わっていきます。

私が元気がいいと思われる理由は、かたい雰囲気を打ち破ってしまうことにあるのかも知れません。

聖書は、「いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことについて感謝しなさい」と教えます。

良い意味で雰囲気を打ち破り、空気を入れ替える人になってみたらどうでしょう。

私は、神の国の空気、イエス様の聖霊を持ち運び、流れさせる人でありたいと願います。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月14日(火)14時58分42秒
  「Now watching493」

午前の集会が終わり、昼食をお腹いっぱい食べました。刀削麺とチャーハンです。午後の集会がはじまりました。神様の言葉で心がいっぱいです。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月14日(火)09時47分7秒
  「Now watching492」

同じ教団の先生の教会で、これから集会がはじまります。多忙なのに、三日間ほぼ丸々時間を開けることができました。神様のタイムマネージメントは完ぺきです。司会と賛美リードをします。2人の先生方のメッセージ楽しみです。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月14日(火)07時33分11秒
  「試練は祝福に変わる」

ぼーっとしていた時、突然、「あーーーー」という声と共に、階段を「ゴトン~ゴトン~ゴトン」と転がりながら落ちる音が聞こえました。

とっさに、下の子たちが階段で遊んでいて落下したのではないかと考えて、階段の方に走っていきました。

少し重たい箱が転がり落ちていました。ホッと胸をなで下ろしました。

何年も前のことですが、中学1年生の子が幼稚園の頃、自転車に乗せてお出かけした時、座らせたままスタンドを上げて駐輪しました。ほんの数秒間、「動かないでね!」と念を押して離れました。しかし、動いてしまって、自転車が倒れて頭を打ってしまいました。

心配して病院に行って精密検査をしてもらいました。異常なしと言われて、ホッと胸をなでおろしました。

しばらく経ったある日、同じ子が階段から転がって落ちたこともありました。落ちて泣いているだけで、どんな状況かわかりませんでした。

通りすがりの人が一部始終を見ていて、「お子さんは、階段から勢いよく落ちましたよ。怪我がないといいのですが・・・」と言って去っていきました。

この時も、精密検査をしましたが、異常なしと言われて安堵しました。

子供たちが大きくなるまでには、数々の危ない目に会いました。神樣が守って守られて神様に感謝をしています。

軽傷程度の危ない目に何度も合ったことで、気を配るようになりました。かえって良かったと思います。

私たちが合う試練も似ていると思います。命を失うことなく、取り返しがつかないほどの失敗でもなく、耐えられるほどの試練に合うことで、慎重になり、謙遜になり、かえって良かったのではないでしょうか。

試練を経験した人は、人の心の痛みがわかり、優しい人です。

軽い病気になった人は、健康に気を配るようになり、普通に健康な人よりもかえって長生きすることもあります。

試練に合うことで、自分の弱さを知り、神と出会う人もいます。

明らかに試練が宝に変わっています。

試練に会った時、悲観したり、愚痴るのではなく、神に助けを求め、神に感謝を捧げましょう。

試練はマイナスですが、試練によってより良い人生を生きられるとしたら、宝であり、祝福です。

今日、試練の中で、十字架で死なれ、復活されたイエスさまと出会って下さい。

その悲しみと涙が、喜びと笑いに変わります。

素敵な1日お過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月13日(月)20時21分24秒
  「Now watching491」

月曜の礼拝が終わった後に、牛丼屋の松屋でチゲ定食を食べて、屋台のケバブ屋とハシゴし、ドリンクを買ってまいばすけっとのイートインコーナーでくつろいでいます。外は強い雨が降っています。路傍伝道の予定を食事と語り合いに変えました。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月13日(月)14時25分36秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【940】2017/11/13(月) 冷静に!」

「監獄のお姫さま」というテレビドラマを観ています。

小泉今日子が演じる「馬場カヨ」の口ぐせがあります。「冷静に!」です。

そのセリフを聞くたびに、「そうだ!冷静に、落ち着いて対応するべきだ!」と落ち着きを取り戻します。

時間をイスにたとえ、仕事を人にたとえたら、イス取りゲームのようです。

イスが9なのに、仕事が10なのです。

イス取りゲームは、誰か1人が座れないようになっています。

同じように、いくつかの優先順位の低い仕事ができないで、振り落とされます。

「テレビドラマを観る時間を削ったら良いのではないでしょうか?」と思われるかも知れませんが、これは1日最後の楽しみなので、自分の時間を大切にしています。

「時間がもう少したくさんあれば良い!」と考えることもできますが、時間がたくさんあっても、さらに多くの仕事を入れてしまうか、反対に、遊んだり、だらだら過ごしてしまうかも知れません。

今の状態が1番良いと思います。

ただ、時間がタイトだと、冷静さを失って、ミスが起こりがちです。

先日の川越駅路傍伝道の時には、風が強くて、寒くて、2時間伝道したために、疲れ切ってしまっていたことから、早く片付けて、早く温かい場所に行って食事をしたいとと思って、冷静さを欠いてしまったと思います。

今後は、極力冷静になって、忘れ物がないように心がけたいと思いますが、やはり状況によっては冷静さを失ってしまいます。

ドラマ「監獄のお姫さま」の馬場カヨは、口では「冷静に!冷静に!」と言っていても、冷静さを失って、夫をナイフで刺してしまいました。

監獄に入り、離婚されてしまいました。

私の冷静さの秘訣は祈りです。

祈ることで、その状況と私の心の中に神様を迎え入れることになり、神樣が平安(シャローム)を与えて下さり、冷静になれるのです。

「冷静に!」とは、スローダウンして、立ち止まることでもありますが、まずは祈ることです。祈って、神と歩調を合わせてスローダウンし、立ち止まることです。

忙しいからこそ祈るのです。

「先生、先生は牧師だから祈る時間がたくさんあるでしょう。しかし、私たちのように会社に拘束される時間が長いと、祈る時間が取れないのです。」と言われたことがあります。

私は、「祈らないから忙しくなってしまうのです。祈ったらゆとりが生まれます。」と言いました。

祈ると、やるべきことと、やる必要のないことがはっきり分かるようになります。やる必要のないことをしないことで、多くのゆとりが生み出されます。

次に、祈ることで、私の重荷を神に委ねることになるため、楽になり、冷静になりめす。

冷静かつ楽しく歩んでいきたいですね。

この後も、ステキな時間でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月13日(月)07時57分41秒
  「一体感の秘訣は、『人』+『神の言葉』=『信じる』にある!?」

どんなことでも一体感を味わえるって気持ちいいし、素晴らしいですよね。

路上であっても、ステージや教会などでも、歌って演奏した時に、それを聴いていてくれる聴衆と一体感を味わえた時の感動を忘れることができません。

ある時、5000人を超える聴衆を前に説教を語ったことがありめす。聴衆と一体感を味わって、いつまでも説教を続けていたいと感じました。一言語ると、打てば響くように、「アーメン!」「ハレルヤ!」などの叫ぶ声が帰って来ました。まるで、交互に説教をしているようでした。

車やバイクを運転していて、人車一体感を味わうことがあります。楽しくてやめられなくなります。

ただ、車やバイクの性能が良すぎて、持て余して振り回されてしまったり、反対に、ミニバンなど車高が高く、運動性能が低くて思った通りに動いてくれなくてフラストレーションを感じることもあると思います。

乗り物の特性を知り、特性を受け入れた上で、運転技術と乗り物の性能がうまくブレンドするような運転を心がけていると、自然に人車一体感を感じることがあります。長年乗った車やバイクは、一体感を感じやすいので壊れるまで乗り続けたいものです。

しかし、本当は一体感を感じることは難しいです。

音楽を演奏したり、歌を歌ったり、説教をして、最初は盛り上がったのに、段々聴衆の熱が冷めてしまって、こちらのボルテージも下がってしまって、退屈な雰囲気になり、さらに、「早く終われー!」なんていう空気が流れるようになったとしたら、両者が苦痛を感じることになります。一体になることを期待しているのに、一体になれないことに対する失望があるのでしょう。

それから、夫婦の一体感があります。聖書は、「夫婦は二人ではなく一体である」と教えます。

生まれた環境も違うし、育った環境も違うし、性格が違う二人が一体になることは可能でしょうか?

可能ですが、そこには多くの痛みがあります。お互いに相手をいたわり、譲り、許し、愛することが必要です。

どんなことでも、何かや、誰かとの一体感の前に、神との一体感を味わうことが大切だと思います。

深く祈っていると、いつの間にか神との一体感を感じます。

神を求めて祈つていると、イエス様の十字架の愛を通して、神と一体感を味わえるのです。

この世の中で、これ以上に感動できる体験はまずないのではないかと思います。

神との一体感を味わっていると、他のモノや他の誰かと一体感になる練習になります。

自分を造られた神と一体になることでいろいろな素晴らしいことが起こります。

神と一体になるということは、本来の自分になることです。本当の自分を取り戻すことになります。

自分を最高に生きることになり、自分のポテンシャルが最高に発揮されることになります。

聖書は、「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ」と命じます。

モノには命はないし、しゃべることはありませんが、実際、モノは自分を作ってくれた存在を知っているはずです。

犬や猫は飼い主を知っています。

しかし、私たち人間は、自分を造り、自分を生かしておられる神を知らずに生きて来ました。

今があるということは、過去があったからです。

歴史、過去、起源を知ることは、今と将来を知ることになります。

「はじめに神が天と地とを創造された」と聖書は語ります。

ここから歴史は始まりました。ここが一番の過去です。そして、ここが命と人類の起源です。

神を知り、神に立ち返り、神との一体を求めて生きていきませんか?

しかし、神がどういうお方なのかをどうやったら知ることができるでしょうか?

日本語の『信じる』という言葉にヒントが隠されています。

『人』+『神の言葉=聖書』=『信じる』です。

つまり、人である私たちが、神の言葉である聖書を読み、その言葉と一体になることが鍵です。

神との一体感は、一番根源的な一体感です。その一体感他のすべての一体感につながっていきます。

もし、夫婦が一体だとしたら、幸せなので離婚はなくなります。その家庭で育った子どもは健全に育ち、その一人ひとり子供たちが次の社会を担っていきます。夫婦が一体なら、未来に希望が持てます。

一体感は人を幸せにします。そのような一体感を味わいながら、今日も歩めますようにお祈り致します。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月12日(日)19時41分7秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【939】2017/11/12(日) 幸せの秘訣」

私の幸せの秘訣は、「愛されること」と「愛すること」です。

「愛されること」に関しては、神様から愛されている事実だけで良しとしています。

すべての人に愛されたらうれしいですが、それは不可能ですし、愛されることを求めたら、愛されるための努力をするようになり、偽善的になったり、自分を相手に合わせて自分じゃない自分を演じることになって、心荒ませてしまうことがあります。

愛を求めているのに、幸せになれないということに成り兼ねません。

しかし、神から愛されているだけで満足をし、幸せを感じていたらいいのです。

もし、愛してくれる人が居たとしたら、「奇跡である」とくらいに思っておいたら良いのではないでしょうか。

次に、人を愛し、人のために仕えることが幸せの秘訣です。

私は、牧師として教会で神の言葉を語り、路傍伝道をはじめ、数多くの人に伝道をすることで幸せを感じます。

どんなに疲れていても、気分が冴えなくても、試練の只中に居ても、人に与え、人に仕えることは可能です。

神様からの愛を受けているので、受けた愛で人を愛し、人に仕えられるからです。

その時、最高に幸せを感じられます。

人に幸せにしてもらおうという努力をやめて、自分の幸せは自分で管理するようにしてからは、本当に自由になりました。神の愛は変わらないですし、神の愛を他者にお返しできるので、いつでも幸せで居られるからです。

その意味で、日曜日は特に幸せを感じます。そして、毎日毎日、一瞬一瞬が幸せです。

文章を通してみなさんに仕え、みなさんを愛することができて、私は幸せです。

いつもありがとうございます。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月12日(日)07時43分19秒
  『ココロも満タンに~神の愛~♪』

ネット上のコメントで、『ココロも満タンに』という言葉を頂きました。

思いついたのは、『ココロも満タンに~コスモ石油~♪』というCMソングでした。パッと思いつくぐらいですから、CMの影響はすごいな~と思います。

毎日聖書を語り続けていますが、単純接触であっても、今日もこれを読んだ方々の心に神様の愛が届いてくれたらうれしいです。

私たちは、『ココロ満タンな人生』を生きたいと願っているのではないでしょうか? かつて心が満タンであったことを知っているからです。

人間は神によって、神に似せられて創造されました。その時点でココロ満タンな状態でした。

ココロを満タンにするために生きるのではなく、ココロが満タンで喜びに溢れて生きていました。

創造者である神とともに生きていたので、発電所とつながった電気製品のように、いつでも必要が供給され、いつでもココロが喜びで一杯でした。

しかし、最初に造られたアダムとエバは、蛇の姿を取って現れた悪魔に誘惑され、神を捨てて、神から分離して、悪魔とつながりました。

私の部屋には、電気が流れて来ているコンセントが数箇所と、電気が流れて来ていないコンセントが一箇所あります。

電気が流れて来ていないコンセントは、電気が流れて来ているコンセントと同じ形をしています。だから、コードをそこに差し込めば電気製品が使えるように見えますが、ダミーのように、差し込んでも無意味です。

電気が流れているコンセントと電気が流れていないコンセントは、神とともに生きていた人間と、神から離れて悪魔に支配されて生きている人間と似ています。

一見、見分けがつきません。

神とともに生きている人は、いつでも神からいのちが流れて来ているので、ココロ満タンで力に溢れて生きています。

しかし、神から離れている人は、生きているようですが、すでに死という病気にかかっていて、延命措置をしながら何とかいのちをつなぎとめて生きています。代用品で『心を満たそう!』とあくせくし、ある人は、老いに逆らってアンチエイジングに力と財を費やしています。

今日、あなたのココロは満タンですか?

もし、満タンだとしたら、本物のココロのガソリンで満タンになっていますか? それとも、代用品を入れて、何とかだましだまし生きていませんか?

本物のココロのガソリンは神の愛です。代用品はそれ以外です。

例えば、人から認められることで得られる満足感、お金や財産がある程度あることで得られる安心感、力や地位を得ることで得られる優越感、異性や友人などから愛されているから大丈夫という束の間の平安など。どれもこれも悪いものではありません。しかし、それらはココロのガソリンではありません。

ココロのガソリンとは、神とつながっていることで流れてくる、ありのままで愛して下さる神の愛です。

神の愛を知らないで生きている人は、神の愛以外のものでココロを満たそうと必死にもがいています。ココロが乾ききって瀕死の状態です。一日一日を生きるのがつらいです。

ところが、神の愛を知っているはずのクリスチャンの中にも、神の愛以外でココロを満たそうとしながら生きている人がいない訳ではありません。

神の愛は、無条件で一方的に与えられているのに、何かをし、神に気に入って頂いて、愛してもらおうとガンバっています。

牧師や聖職者の中には、より大きな教会堂を建築したり、より多くの人を教会に導き、より多くの教会の財産を得るなどの成功することで、人々の注目や賞賛を得て優越感や自己満足感を持つことで神に認めてもらい、愛を受けようとする人たちがきっといます。

聖霊派・カリスマ運動の人たちの中には、奇跡の証や信仰の強さなどが神に愛されていることと錯覚している人がいます。病気がいやされるなどの奇跡、神の声を聞いた、神を見た、霊が見える、異言を語ったり預言ができるなど。あるいは、断食をした、長い時間祈った、1/10献金を捧げているなどのワザの基準を満たすことで、神に認めてもらって、愛を受けようとする人たちがいます。

福音派の人たちの中には、信仰や奇跡よりも高い行いの規準を設けて、きよめられた品性、良い評判を受けるなどを目指すことで神から認められ、愛されようとする人がいます。

社会派の人たちの中には、信仰や行いよりも、知識の量が多いことや、政治などの社会運動に関わることで自己満足を得たり、人々から認められることで神から認められ、愛されようとする人がいます。

カトリックの人たちの中には、伝統や究極の美を追い求めることで優越感を得て、神から認められ、愛されようとする人がいます。

神に用いられ、大きな働きをするのも、奇跡も、信仰も、行いも、品性も、知識も、社会運動・政治運動も、伝統も、どれも悪いものではありません。むしろ素晴らしいものです。しかし、それらがココロのガソリンの代用品にはなりません。

神の愛以外の代用品でココロを満タンにすると、それはニセモノのガソリンですから、不安、孤独、死に対する恐怖を感じます。

しかし、神の愛でココロを満タンにするならば、平安がやってきます。

大切なのは、神の愛でココロを満タンにして、平安を得て、神に導かれて一歩一歩生きていくことです。

その結果、様々な素晴らしいことが起こることがありますが、目に見える成果を得らなかったり、人から注目されたり、賞賛を得られない人もいると思います。それでも全く問題ないのです。人間の価値が下がるわけではありません。

神の愛でココロが満タンなので、その人らしく、自分を最高に生きることができ、幸せです。

そんな人生を歩ませて頂きましょう。

今日、あなたのココロは神の愛で満タンですか?

日曜日には教会に!

〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時 礼拝の集会があります。良かったらどうぞ。
新宿福興教会HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/

また、インターネットを通して神さまを礼拝しませんか?
「生放送」〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時

① ニコニコ動画  http://nico.ms/l/co114841
②ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor

素敵な一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月11日(土)22時43分47秒
  「Now watching490」

東京駅八重洲口路上ライブ伝道。2回の移動を余儀なくされましたが、最高のシチュエーションで伝道できました。

横断歩道の信号が長く、たくさんの人が立ち止まるので、否が応でもゴスペルソングと聖書トークを聴いてもらえます。

神樣が一番良い場所に導いて下さり、強い木枯らしが吹き荒れる中、力いっぱい伝道できました。達成感と充実感でいっぱいです。

伝道後はラーメンを食べに行きました。めちゃくちゃ親密感があり、大騒ぎしました。食後、それぞれの帰路に就きました。おやすみなさい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月11日(土)16時19分12秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【938】2017/11/11(土) 絶え間ない感謝」

人生に於いて、楽しいことばかり起こるとは限りません。半分は楽しいことが起こっても、もう半分やつらく悲しいことが起こるものです。

より楽しみが多く、より悲しみが少なかったとしても、少しの悲しみが、多くの喜びを破壊してしまうのではないかと思います。

悲しみがやって来たら、感謝によって押し返してしまってはどうでしょう?

私は、思い出すたびに感謝をする習慣を持っています。それは、感謝できない気分であったり、感謝できる状況でないにもかかわらずです。

そうすると、心は感謝について来て、気がついたらうれしい気持ちになってしまいます。

これは、マインドコントロールをしたり、自分を騙しているように感じるかも知れませんが、そうではありません。これが人間本来の姿です。

これをひっくり返してしまっているとしたら、それこそがマインドコントロールであり、自分を騙しているのです。

聖書が教える罪は、神から離れた状態を指します。

神と共に生きるならば、どんな状況の中にあってもうれしくなり、感謝できるのです。

しかし、神から離れて生きるならば、うまくいっている時はうれしくても、ちょっと風向きがかわっただけでも不安になり、試練がやって来たら、押し潰されてしまいます。

感謝には理由があります。

①私を愛して下さる神が私を造り、私を愛し、私と共にいて下さるからです。
②神と離れて生きて来た私たちを救うために、神の一人子イエス様がこの地上に来られ、信じる私たちを救って下さいました。
③神は良いお方で、すべてのマイナスと見えることもプラスに変えて下さり、良いことをして下さるので、どんなことでも感謝できるのです。

最初、「どんなことでも感謝しなさい!」と聞いた時には、正直、弱々しい生き方のように感じて、拒否反応がありました。

しかし、弱い人には絶え間なく感謝することはできません。

神の愛を知り、神が共におられることを感じ、神が万事益として下さることを知っている人は強い人なのです。

神は私たちを愛し、私たちと共に居られ、すべてのことを変えて益として下さいます。

感謝でマイナスを押し返し、押し流し、追い出してしまいましょう。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

「時間を生かす秘訣」

 投稿者:菅野直基  投稿日:2017年11月11日(土)07時58分24秒
  「仕事を頼むなら忙しい人に頼め」と言われます。

普通に考えたら、仕事を頼むならば、忙しい人よりも、少し時間にゆとりのある人に頼んだ方がいいように思いますが、多くの忙しい人は、たくさんの仕事を、短期間で要領よくこなし、しかも良い仕事をします。

反対に、時間にゆとりのある人の中には、時間がたくさんあっても、時間を持て余していたり、あまり重要じゃないことに時間を費やしていることがあります。

今まで私は、いろいろ人に仕事をお願いして不思議に思ったことがこのことでした。

時間がありそうなのに、締切を過ぎても仕事が終わってないのです。しかし、超多忙なはずの人が、短期間に、かつ良い仕事をしてくれるのです。

私は、後者の、超多忙なのに、短期間で、かつ良い仕事ができる人になりたいと思いました。

よく仕事ができる忙しい人の特徴は、
① 仕事を始める前に、仕事の準備と段取りをよく行う。
② 物事の優先順位が明確。
③ 仕事に期限を設定している。
④ 仕事を始めたら、完成するまで集中して行う。

私は、教会外部の色々な仕事に関わったり、数々のボランティア活動をしながらも、与えられた仕事を手抜きせず、家族との有意義な時間や自分のための時間も確保するために、上記4つの秘訣を心がけています。

仕事の全容は、①で取り上げたように「段取り八分の仕事二分」と言われます。ただがむしゃらに、手当たり次第、一生懸命に仕事をやればいいのではなく、仕事全体の7~8割は、その仕事の段取りに費やすことが必要だと思います。

本当に「忙しい人」は、「忙しい忙しい!」と口で言って、忙しそうに動き回っている人ではなく、重要なことを次々にこなしているけれど、「忙しい」という雰囲気を感じさせないくらいに無駄がなく、本当に忙しい人です。

イメージとしては、静かに、全力で回るコマです。

時間は、神が全ての人に平等に与えられた賜物です。それを有効に使うことで、時間の積み重ねである人生が何倍にも豊かにすることができます。

朝一番に起きたら、まず神に祈り、神と交わり、相談し、その日にやる仕事をリスト・アップし、それに優先順位をつけて、一つ一つ神と共に、感謝しながら行っていきましょう。

時間は生き物です。同じ一時間でも、有意義で、感謝に満ちているならば何倍にも伸ばすことができます。

しかし、その一時間が、「嫌だなー、早く時間が過ぎてくれないかなー」と、つらく、不平不満に満ちて過ごすならば、その時間は死んでいるようなものです。

今日一日が、豊かな一日でありますように。やるべきことを成し遂げ、大切な人とのかけがえのない時間、自分だけのスペシャルな時間を過ごせますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月10日(金)15時33分8秒
編集済
  「Now watching489」

日韓親善宣教協力会の委員会が持たれています。

「日韓の橋渡しになりたい!」と願って、このような働きに関わっていますが、「韓国に謝罪することでかえって両国の関係が悪くなるから、安易に謝罪するべきではない!」という団体に関わっていますし、反対に、「韓国の人たちが『もういいよ』と言ってくれるまで謝罪するべきだ!」という団体とも関わっています。

私は、その都度神の導きを受けて対応するという第三の道を選びたいと思っています。

私の政治観は、「中道保守」ですが、私が大切にしたいのは、神の導きを祈り求め、一つ一つの政策の良し悪しを云々するよりも、神がリーダーを導かれるように祈り求めています。

そこで、まず第一に勧める。すべての人のために、王たちと上に立っているすべての人々のために、願いと、祈りと、とりなしと、感謝とをささげなさい。それはわたしたちが゜、安らかで静かな一生を、真に信心深くまた謹厳に過ごすためである。これは、わたしたちの救い主である神のみまえに良いことであり、また、みこころにかなうことである(第一テモテ2:1~3)
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月10日(金)08時39分18秒
編集済
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【937】2017/11/10(金)あきらめない心」

昨晩の川越駅での路上ライブ伝道が終わり、帰宅した後に、のぼり旗のプラスチックの基台を忘れて来たことに気づきました。

がっかりしながらも、「また買えばいいか!?」「それくらいの忘れ物で良かった。不幸中の幸いだ」とあきらめようとした時に、「いや、あきらめてはならない!」という声が心の中から響いたように感じました。

「神様、のぼり旗の基台が戻って来るようにお願いします!」と祈りました。

メンバーの一人が、今朝早くに川越駅に立ち寄ってくれて、基台を見つけ出し、それを回収し、預かってくれました。

私は、心の中で「ハレルヤ!」と叫びました。

神様は、九十九匹の羊を置いて、一匹の迷子になった羊を捜しに行かれる方です。

私にその心を教えられたと感じました。

「最後の一人が救われるまで、伝道を辞めてはならない!」そう、新たに決意しました。

「イエスの教えを聞きに来る人たちの中には、あくどい取り立てをする取税人や罪人といわれる者たちがかなりいました。 ユダヤ教の指導者や律法の専門家は、イエスがそういう問題の多い人々とつきあい、時には食事までいっしょにするのを見て、批判しました。そこでイエスは、次のようなたとえ話をなさいました。 『羊を百匹持っているとします。そのうちの一匹が迷い出て、荒野で行方がわからなくなったらどうしますか。ほかの九十九匹は放っておいて、いなくなった一匹が見つかるまで捜し歩くでしょう。そして、見つかったら、大喜びで羊を肩にかつぎ上げ、 家に帰ると、さっそく友達や近所の人たちを呼び集めて、いっしょに喜んでもらうでしょう。それと同じことです。迷い出た一人の罪人が神のもとに帰った時は、迷ったことのない九十九人を合わせたよりも大きな喜びが、天にあふれるのです。』」(??ルカの福音書? ?15:1~7?)

今朝のコラムでも触れましたが、決してあきらめない人にさせて頂きたいですね。

ステキな一日が私たちを待っています。

神様は、あなたを決してあきらめないで待っておられる方だからです。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月10日(金)08時01分38秒
  「ラスト1秒シュート。あきらめない人生に終わりはない」

小学2年生の時に、担任の先生が、雨の日の体育の授業の時に次のような話をしてくれました。

「白熱したバスケットボールの試合が行われました。試合は20:20の引き分けでした。残り1秒の時に、一人の選手がロングシュートを放ちましたが、途中で試合終了のホイッスルが鳴りました。そのボールはゴールに入りました。この試合どうなったと思いますか?」

全員が黙って聞いていました。

「シュートを放ったチームが勝ちました。みんなも、最後まであきらめないでがんばりましょう!」

それからというもの、そのことで頭が一杯になって、何とか、幻の残り1秒シュートを放ちたいと思いました。

次の体育の授業の時、バスケットボールの試合は10:10で終盤を迎えますが、なかなかお互いに点数を入れられませんでした。

先生が「残り30秒」「残り20秒」「残り10秒」とカウントしてくれました。

私は、最後の1秒の時にシュートを放ちました。

するとどうでしょう。

ボールが空中にある時に、終わりのホイッスルが鳴りましたが、そのボールが見事ゴールに入りました。

クラス全体で大騒ぎになり、私はその日「ヒーロー」になりました。

心に思い描いた通りに、残り1秒シュートが決まってうれしかったことを今でも忘れられません。

私は、「何があってもあきらめてはいけない!」という担任の先生に教えてもらった教訓をしっかりと心に受け止めました。

本当に良い経験をさせてもらったと思います。

教会の働きを続けることは、時には忍耐が必要です。

特に、思った通りに進まない時こそ、忍耐が必要です。

忍耐とは、ただ黙って耐え忍ぶだけのことではありません。耐え忍びながらも、神と共に前に進んでいくことが、聖書の忍耐の言葉の言語の意味です。

牧師であり、心理学者、哲学者であったロバートH・シュラー氏は、「逆境の時にはいつか終わりが来る あきらめない人生に終わりはない」と語りました。

つらい時、私の心を支えてくれた言葉です。

しかし、本当の忍耐は、重たい荷物を背負い続けていますので、前にも進めず、耐える力もなくなり、つぶれてしまいます。

人はそこまで忍耐してこそ、キリストと本当の意味で出会えるのではないかと思います。

人がつぶれる時、それは、神と出会う時です。そこまでいくためには、どうしたらいいでしょうか?

① 何事もあきらめないでやり続けること
② 聖書の言葉を実行すること
です。

しばらくしたら悲鳴を上げるか、つぶれてしまいます。

聖書の言葉を実行することは可能でしょうか?

「汝の敵を愛せよ!」です。不可能に決まってます。それができたらイエス様(救い主)はいりません。

敵を愛せるとしたら、もはや敵ではありません。敵を愛するとは、土台無理なことなのです。

神に出会う以外に道はありません。

神と出会ったならば、神と共にあきらめない人に変わります。

私は、最後の1人が福音を聞いてくれるまで、伝道を続けていきたいと思います。

神は私たちを導かれる方です。神に祈り、神に聞きましょう。

もし、神の御心でないならば、潔く手放す勇気が大切です。

しかし、神の御心ならば、死んでもあきらめない人にさせて頂きたいです。

共に、「神様、あきらめない人にさせて下さい」と祈っていきましょう。

今日も、ステキな一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月 9日(木)21時04分52秒
  「Now watching489」

夕食は大阪名物のかすうどん。風が強くて、風と戦いました。体が冷え切り、疲れました。かすうどんを食べて、体が温まり、元気になりました。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月 9日(木)20時45分51秒
編集済
  「Now watching488」

PM6時から8時までの2時間、川越駅東口歩行者用デッキ(2階部分)で路上ライブ伝道をしました。

路傍伝道は生き物です。毎回ドラマが繰り広げられます。川越に対する恋心が生まれました。また川越で伝道したいです。

「わたしが,あなたの神,主,イスラエルの聖なる者,あなたの救い主であるからだ。わたしは,エジプトをあなたの身代金とし,クシュとセバをあなたの代わりとする。わたしの目には,あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし,国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。」(イザヤ43:3~4)
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月 9日(木)17時12分34秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【936】2017/11/9(木)路傍伝道できることに感謝」

路傍伝道ネットワークの活動が起動に乗って来ました。

おかげで、自分に与えられた第1の使命にダイレクトに関われるので感謝です。

出前牧師の活動は、講演、司会、音楽、冠婚葬祭、慰問等です。

これらの活動も使命を感じていますが、その場にふさわしく振る舞い、ニーズに応えることが第1です。充実感がありますが、仕事としてやっているので、神経を使いますし、緊張して疲れることもあります。

路傍伝道は、駅前で、道行く人に、ダイレクトに聖書を語り、歌い、関わります。

仕事としてお金をもらっているわけではありませんし、手弁当で出かけていきます。自由です。

本日は、クリスマス用の伝道チラシを仕入れて、これから川越駅に向かいます。

今日は2時間伝道します。今から楽しみです。

風が強いので、のぼり旗が倒れたり、譜面台が倒れてしまうかも知れません。

神様の愛を川越で皆さんに伝えます。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月 9日(木)07時32分30秒
  「老いと人生そのものを楽しむ」

「自分はまだ若い」と考えていますが、いつの間にか40歳を超え、人生の折り返し地点を過ぎました。

モーセの十戒で知られているモーセは、120歳の長寿を全うしました。モーセは、「私たちの齢は70年、健やかであっても80年。」とモーセ(仰せ)ました。人の平均寿命は今も昔も70~80歳。

40歳生きたとしたら、その40年間はもう戻って来ません、40年は死んだようなもので、平均寿命まで生きられるとしたら、人生はあと30~40年です。

年を重ねるということは、この地上で生きられる日が少なくなるということです。

若い頃は、あんなに「早く大人になって、あれもしたい、これもしたい!」と考えていたのに、今では、「その時その時を大切に生きていこう!」と思うようになりました。

年を重ねるごとに、「光陰矢の如し」と言われるように、時が経つのが早く感じられます。

教育を受けて、自立して社会に出るまでの時期を「第一の人生」と考えたら、私は今、「第二の人生」を生きていることになります。

「第二の人生」で大切なことは、自分の使命を知った上で、やるべきことを行い、守るべきものを守ることです。

ぼーっと過ごしてしまったとしたら、「第三の人生」に入った時に、「あの時、こうしておけば良かった!」、と後悔することになるだろうと思います。

二度と戻ってこない今を真剣に生きていかなければなりません。

私が、老いて「第三の人生」を生きはじめた時には、また違う使命があります。「第二の人生」でできなかった残された仕事をし、生と死について深く考え、死ぬ準備をすることです。死ぬということは、最後に残された大きな仕事だからです。

「第二の人生」では、社会的な地位が上がり、家族が増え、家を建てたり、財産が増え、持ち物が増える時期ですが、「第三の人生」では、得てきたものを失なっていく時期です。そんな時をどうしたら楽しむことができるのでしょうか?

「第三の人生」では、「何を持つか?」より「どう生きるか?」が大切になのではないでしょうか。

「まだまだ若い者には負けやしない!」という気概は必要ですが、「何を持つか?」ではなく、「どう生きるか?」かです。

今まで得てきたものを次の世代に受け継ぎ、祝福を流していくことです。

老いることは、誰もが通る道のりです。決して憂えたり、悲しむことではありません。素晴らしいことであり、楽しむべきです。

私は、今から「第三の人生」に備え、さらに、死と死の向こう側にある「復活」と「永遠の命」と「天国」を見据えて生きていきたいです。

だから、日常の小さなことでくよくよしたり、悩んだりするほど時間にゆとりはありません。いつも今を精一杯、最高に生き、老いることも楽しんでいきたいですね。

ステキな一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月 8日(水)09時52分50秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【935】2017/11/7(火)共通点」

教団の研修会3日目、最終日を迎えました。

セミナーの講師は岩井基雄先生です。この先生といくつかの共通点がありますので、身近に感じます。

1、「直基」と「基雄」。「キリストの基」
2、私の母方の祖父の生まれは高知県の土佐。岩井先生の生まれは高知県の土佐。
3、私の母方の祖母の出身は徳島。岩井先生は徳島で育った。
4、私の祖父の先祖代々が神社の神主。岩井先生の父方の家系は先祖代々神主であった。
5、私はプロレスが好きだった(今でも)。岩井先生のお父さんはプロレス好きで、プロレスを見ながら日曜日の説教準備をしていた。
6、私と岩井先生も、若い頃キリスト教に躓いた経験がある。
7、私も岩井先生も牧師である。
8、岩井先生は、私の長女が通っている高校の付属中学で聖書を教えておられる。
9、この教団の中に、その付属中学の高校で教師をしている伝道者がいる。
10、同じ天の父の息子。
11、同じイエス様の弟。
12、同じ聖霊様が助け主。

10以降は霊的世界のことになりますが、この地上での共通点が9つあるというのは、すごいなと思います。

岩井先生のセミナーを聞きながら、心なしか短さを感じます。

テーマは、「次世代を育てる」です。

教会の中で、もし、次世代を育てることがなかったとしたら、消滅してしまいます。

次の世代の教会を担う人を育てることによって、教会は永続していきます。

教会の主な働きは、
1、種を蒔き
2、刈り取りをして
3、弟子を養育する
です。

上記の3つを行いながら、次世代は育っていきます。

改めて、牧師の働きに献身して、いのちをかけて継続していきたいと思わせられています。

心燃やされています。

私たちは、必ずどこかで共通点があります。

少なくても、同じ神によって造られた人間です。

互いに争ったり、妬み合ったり、憎み合ったりして同士討ちするのは、悪魔の策略にはまっているのです。

互いに愛し合い、認め合い、許し合い、尊敬し合い、学び合い、支え合い、祝福し合って生きていきたいものです。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月 8日(水)06時15分13秒
  「Now watching486」

バーベキューは最高でした。近況報告会エキサイトしました。部屋に戻って1日を振り返りながら感謝の祈りを捧げています。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月 8日(水)06時11分39秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【934】2017/11/6(月)遊び、レクレーション、親睦」

私たちの教団の研修会は、遊び、レクレーションをふんだんに取り入れています。

食卓では、聖書クイズ大会などをします。私が出題者ですが、クイズを準備するのが楽しいです。

遊んでばかりではいけませんので、1日目は、次世代を育てるをテーマに、私ともう1人の牧師による発題がなされ、小グループに分かれて活発に話し合われました。

そして、2日目の今日は、観光ドライブです。

日光から湯西川、塩原温泉、那須塩原のそば屋で昼食。那須平成の森での散策。鹿の湯に入って日光に戻ります。

鹿の湯は硫黄で、強酸性で強く、1時間たっぷりと入ったためか、少し湯当たりしたようです。

帰り道で、新高徳駅に寄って、講師の岩井先生を車にお乗せして、日光の施設に戻りました。

とても楽しいドライブでした。

夕食はバーベキューですが、バーベキューから岩井先生も合流して頂きます。さらに活気溢れています。

夜は近況報告会です。私はタイムキーパーです。どうなることでしょう。

明日の3日目、ギッチリセミナーが行われて研修会は終わります。

1日、那須の紅葉を見ながら、「また来うよう(紅葉)!」という気持ちです。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月 8日(水)06時08分21秒
  「赦したら楽になるよ」

誰かによって傷つけられたとしても、その人を憎み続けるのをやめましょう。そのことで、さらに自分自身を傷つけることになるからです。

憎しみと怒りを心のタンクにしまいこんでおくと、心身に大きなダメージを与えます。

傷ついて、どうしても赦せないとしたら、その傷つけた相手ではなく、傷ついた自分の過去を赦しましょう。

赦すことは、人間だけができる偉大な決断です。

赦すことができたら、赦せた本人の心が楽になり、いやされていきます。

赦すことができたら、一連の傷ついた体験が心の糧となり、祝福に変わります。

どうぞ、自分自身を、人を、過去を赦す愛を学びましょう。

イエス・キリストは、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」(マタイの福音書5章44節)と教えられました。

また、「ペテロがみもとに来て言った。『主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。』イエスは言われた。『七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。』」(マタイの福音書18章21節~22節)とも教えられました。

「七度を七十倍するまで赦しなさい。」とは、文字通り、「7回×70倍=490回赦しない!」ということではなく、「無限に赦しなさい!」という意味です。

「無限に赦しなさい!」と教えられたイエス・キリストは、私たちの罪(神に背を向け、神から的外れの状態)の身代わりに十字架にかかって死に、三日目に復活して、信じる者の罪を「無限に」赦して下さるのです。

「神の愛は無条件と聞いたけど、信じる必要があるなら、無条件の赦しではないじゃないですか?」と言われる人がいるかも知れません。

イエス・キリストは、マインド・コントロールによって人を救ったり、赦すのではなく、「赦し」をあなたの目の前に置き、あなた自身の意思によって赦しを受け取れるようにして下さったのです。

私がラーメンを食べに行ったならば、注文した味のラーメンを「お待たせ!」と、テーブルの上まで持ってきてくれたらそれで十分です。「ほら、アーンして!」と、食べさせてくれても困ってしまいますよね。自分で箸を取り、ズルズルと食べるのがおいしいです。

神様の赦しの恵みは、ラーメンのように、あなたの前に置かれています。あなたの意思で神様の赦しを受け取って下さい。

赦しを受けた人は、過去を赦すだけではなく、自分自身、自分の親、傷つけた相手を赦すこともできるようになります。

赦さないことは、傷つけた相手に対する復讐にはなりません。赦せたら、自分の心が楽になり、それ以上傷つくこともありません。やがて、傷がいやされ、心の糧となり、祝福に変わります。

宝となり、勲章に変わるのです。

赦しを受け取り、赦しを学び、憎しみや怒りから解放されて、幸せな人生を生きて参りましょう。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月 8日(水)06時03分44秒
  L「勇気は実力を引き出す力」

あなたの実力は、今まで積み重ねてきたことの結果です。

自分の成果を発表することはワクワク・ドキドキするものです。

神学校時代、ピアノ・リサイタルや英語スピーチコンテストに出場しました。自分の頑張ってきたことの成果を発表する時ですので、とてもやりがいがあったことを思い出します。

しかし、もしそこで自分以上の自分の成果を出そうと力むと、自信よりも不安で一杯になって緊張してしまいます。

「実力を出し切れなかったらどうしよう・・・」と、いくら心配しても仕方ありません。その場で発揮できた力が、今の実力なのですから。

どんなに悪条件でも、どんなにプレッシャーがあっても、あがり症でも、その条件のもとで出せた力が実力です。

どんな時にも、「自分なりにできればいい!」と、吹っ切っていたらいいのです。

子供たちの、学校の学芸会、英語スピーチコンテスト、英語劇、合唱コンクールのピアノ伴奏などを観にいきますと、観ている親の方が緊張してしまうくらい、堂々と演じています。

その姿の中には、「自分をよく見せよう」という心はなく、自然体の中にも、「自分の実力を出し切ろう」という気迫を感じます。

あなたの人生のステージで、「自分なりの成果が現せたらいい」と思ったら、肩の力が自然に抜けて、いい意味で勇気が湧いてくるはずです。そして、その勇気はあなたの持てる力を命一杯引き出してくれるはずです。

「あなたがたは、この世では悩みがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に 勝っている」と、イエス様は語られました。(ヨハネの福音書16章33節)

心に勇気を持って前進して下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月 6日(月)20時39分29秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【932】2017/11/5(日)私にあるもので勝負する」

教団の研修会がはじまりました。私が行なっている路傍伝道の働きについて語らせて頂きました。

ペテロとヨハネは、「わたしにあるものを上げよう」と言って、施しを持つ人を立ち上がらせました。

お腹が空いた人に魚をあげるよりも、魚の釣り方を教えてあげた方が良いはずてす。

この施しを求める人は、お金をもらい続けていましたが、立たせてもらって、自分の足で立ち上がって自分で生きていけるようになりました。

ダビデは、戦いのためにサウルのよろいを借りましたが、慣れていないので脱ぎ捨てて、慣れた武器である、パチンコと石に持ち変えて勝負しました。

私は、自分にあるもので勝負しています。それが路傍伝道であり、神様から与えられたきよめの体験を語りました。

語る場が与えられ、牧師のみなさんに聞いて頂き、さらに語り合い、自分にあるもので勝負しようと、改めて決意しました。

日常を忘れ、とても良い時間を過ごしています。

皆様も、ステキな時間を過ごして下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月 6日(月)12時59分56秒
  「Now watching484」

今日から三日間、日光で教団の研修会があり、その前に親しい牧師と食事をしています。ハンバーガーのセットで2千円。お腹も心もいっぱいになりました。この後、関東地区教区会があります。ログハウスの教会です。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月 6日(月)06時58分9秒
  「朝が弱いの? 大丈夫だよ」

ある人から相談を受けました。「先生、私は朝が弱いのです。どうしたら朝早く起きられるのでしょうか?」

私は、「起き上がりたい気持ちより、寝ていたい気持ちの方が強いからだと思いますよ。」と答えました。

話を聞いている中で、うつ病や引きこもり一歩手前の状態にあることがわかりました。

早く相談してくれて良かったと思います。

これが悪化してしまうと、通常の社会生活ができなくなり、自宅に引きこもってしまったり、「死にたい!」と思うようになります。

こういう症状を、まわりがもっと理解してあげられるといいのですが、まわりの理解がなかなか得られなかったり、本人もガマンしてしまう傾向があります。それがうつ病を発症させ、病状を悪化させてしまいます。

どうぞ、そうなる前に、誰かに相談をしたり、病院に行ったり、教会に行って下さい。私にメールで相談をしてくださってもいいです。

また、相談できそうな人がまわりに見当たらない場合、自分が自分の相談者になってあげることもできます。

案外、自分の相談者になるのではなく、コーチのように叱咤激励したり、主人が奴隷に対するように暴言を吐いたり、酷使したり、馬車の馬をムチでたたて操縦する御者のように、打ち叩いて頑張らせているものです。

あなたがあなたの味方になり、あなた自身に優しくしてあげられなかったら、誰があなたを助けられるのでしょうか?

しかし、自分に優しくできない人にも、頼れる方がいます。

神様です。

神様はあなたのカウンセラーであり、友であり、父であり、あなたを慰め、いやし、共にいて下さる方です。この方を忘れないで下さい。

あなたのすべての神経と思いを神様に向けて、神の声を聞いてください。

「私はあなたを捨てて孤児にはしません。私はあなたがたのところに、戻ってくるのです。」(ヨハネの福音書14章18節)

「あなたがたは、この世では悩みがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に 勝っている」(ヨハネの福音書16章33節)

「恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神 である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたを ささえる。」(イザヤ書41章10節)

神様との出会いは、必ずあなたを支え、慰め、いやしてくれます。

キリストは、「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」(マタイの福音書11章28節)と優しく招いています。飛び込んでみませんか?

ステキな一日でありますように。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月 5日(日)19時49分23秒
  「Now watching483」

今日の礼拝後の男子会は、?arāl hood。ハードルは高いですが、異国ムード満点です。楽しんでいます。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月 5日(日)15時56分9秒
  「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【932】2017/11/5(日)形より心」

路傍伝道ネットワークの目標は、参加する一人ひとりが、「いつでも、どこでも、誰にでも伝道できる人になる」ことです。

賛美チーム(worship team)が中心になって、路上ライブ形式で伝道をしています。

しかし、それが普遍的な形となり、それ以外の形ではできない、やりたくないということは起こってほしくないです。

現状では、今のやり方がベストです。

しかし、メンバーが変わり、場所が変わり、シチュエーションが変わったら、臨機応変に形を変えてやっていくべきです。

大切なことは、「いつでも、どこでも、誰にでも」いのちをかけて伝道できることだと思います。

教会の礼拝のスタイルも、普遍化されがちです。

「トラディショナルスタイル」「コンテンポラリースタイル」「リバイバルスタイル」それらの「ミックススタイル」などがあります。

「アメリカ教会スタイル」「アフリカ教会スタイル」「韓国教会スタイル」などがあります。

しかし、これが一番というのはありません。大切なのは、スタイルではなく、心であり、その動機です。

神様を心からたたえ、栄光を帰す心から捧げる礼拝なら、どれも素晴らしいのです。

形や見た目に捕らわれやすい世の中に生きているのではないかと思います。

何を着て、何を食べるかよりも、心が神を第一に考えて生きていきたいものです。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
 

(無題)

 投稿者:菅野 直基  投稿日:2017年11月 5日(日)07時34分19秒
  「爆発してしまう前に」

疲れがたまって心が波立ってくると、言葉がきつくなってきます。もしそんな時に誰かから批判されようものなら、一触即発で、相手に食ってかかってしまうこともあり得ます。

そうなってしまう前に、休んで下さい。

「イライラしてきたな」と感じたら、気分転換が必要です。自分をいたわってあげて下さい。

仕事の手を休めて深呼吸したり、甘いものを食べながらお茶を飲んだり、外に出かけて散歩をしたり、ちょっと昼寝をしたり・・・。

短時間でイライラは解消し、いつもの自分に戻れます。

こんな時間を、毎日持って下さい。

私が一番大切にしていることは、毎日聖書を読むことと祈ることです。また、週一度、教会で神を礼拝することです。

私たちは人間ですから、気力にも体力にも限界があります。

だから、「忙しいからそんな時間は持てない」と考えるのではなく、「忙しいからこそ、そんな時間が必要」と考えてください。

日曜日は教会に行って、神を礼拝することをお薦めします。必ずリフレッシュされ、一週間のストレスがリセットされ、元気いっぱいに一週間をスタートできます。

インターネットを通して神を礼拝することもできます。
「生放送」〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時

①ニコニコ動画  http://nico.ms/l/co114841
②ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor

新宿福興教会HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/
(メッセージを下されば、みなさんの近くの教会を紹介致します。)
説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/

あなたは、自分らしさを取り戻し、イライラを解消する方法を持っていますか?

すばらしい一週間でありますように。
 

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